実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第91回】<2007年沢井美優需要拡張プロジェクト番外編>やったぞ少林少女!の巻


よっしゃあ。「MY HEART」、sakuraさんの日記とM14さんの日記についてはみなさんご存知だろう。動かざること山の如しの沢井美優がついに動いた。
 誰もおぼえちゃいないだろうが、私の<沢井美優需要拡張プロジェクト>第1案は「NHK教育テレビ」だった。これは見事に玉砕した。第2案は『水戸黄門』、要するに「時代劇をやって欲しい」という企画だったので、今回のドラマのゲストの話はけっこう「やった!」という感じである。もっとも万丈さんなんか、そういうお考えをとっくに、しかも直接ご本人にリクエストされていたらしい。やっぱり沢井党はすごいなあ。ともかく、松方弘樹主演、テレビ朝日火曜時代劇『素浪人 月影兵庫』 第2話、お奈津役(2007年7月24日放送)である。
 その後、第3案として昼ドラの企画も書いたが、それを蹴散らすようなニュースが飛び込んできた。『少林少女』だ。実は「沢井美優に香港映画を」なんて企画、私も考えなかったわけではない。でもそれは、いくらなんでも個人の趣味の世界に走りすぎた妄想だろうと、ブログに書くのをためらっていたのだ。いやしかし、そもそもこれは趣味の日記だから、いまさらためらうもへったくれもないのか。それにしても夢のような話だ。この『少林少女』は、あの『少林サッカー』の正式な姉妹編として制作・公開されるというのだから。

 
 2001年に公開されたチャウ・シンチー(周星馳)脚本・監督・主演の『少林サッカー』(少林足球)は、その年の香港の興行成績で、2位の『ハリーポッターと賢者の石』をはるかに引き離す6,000万香港ドルという記録を叩き出した。そして翌年の第21回香港電影金像奨(香港アカデミー賞)では、最佳電影(最優秀作品賞)、最佳導演(最優秀監督賞)、最佳男主角(最優秀主演男優賞)、最佳男配角(最優秀助演男優賞)、傑出青年導演(若手監督賞)、最佳視覚効果(視覚効果賞)、最佳音響効果(音響効果賞)の七冠に輝いた。
 プレゼンテーターを務めた今は亡き張國榮(レスリー・チャン)は「香港人はどんなに苦しい時も、あなたの映画に助けられてきました。これからも、どんなときでも、あなたの映画があれば乗り越えていけます」と讃えたという。「どんなに苦しい時も、あなたの映画に助けられてきました」っていうのはどういう意味か。シンチーがブレイクしたのは1990年であるが、このころ、1997年の中国返還を控えた香港には不安の影が差していた。
 もちろん、イギリスが1997年に香港を中国に返還するっていうのは、ずっと前から決まっていた約束だ。でも1980年代までは、不安も危機感も薄かった。文化大革命の指導者たちは1981年に死刑判決を受けたし、1984年の中・英共同声明では、香港は返還以降も、中国の行政特別区として保護され、経済体制もそのまま維持されることが表明された。もうこれで返還後も、大陸から人民軍がやって来て、自分たちの自由を弾圧する心配は消えた。ばんざい。これが1980年代の香港の空気だったのだ。しかも80年代の末期には、ソ連ではゴルバチョフがペレストロイカを行い、ドイツではベルリンの壁が崩壊し、ルーマニアでは独裁者チャウシェスクが処刑された。共産主義国は軒並み総崩れを起こして、中国共産党が1997年までもつかどうかだって、怪しいのではないか、とさえ思われた。
 実際、そういう民主化の波は中国にもやって来た。1989年6月、民主化を求める学生たちは北京の天安門でデモを行った。ところがこれに対して政府は人民軍を発動し、戦車で鎮圧したのである。中国政府の発表によれば、死者は319名を数えたという。いわゆる「天安門事件」だ。返還後も自分たちの自由を信じて疑わなかった香港人たちにとって、この人民軍による鎮圧事件はたいへんなショックだった。1990年の香港に不安の影が差していた、というのはそういう意味である。
 テレビの子供番組の人気司会者だったチャウ・シンチーが映画界に進出したのは、天安門事件の前年、1988年である。そして1990年に入ると、彼は一躍トップスターへの快進撃を始めた。その明るいキャラクターと、むちゃくちゃなナンセンス・ギャグを詰め込んだコメディ作品群が、不安な世相に疲れていた香港の人々を一気に惹きつけたのだ。みんな爆笑し、元気づけられた。1990年に公開された『ゴッド・ギャンブラー賭聖外伝』は、歴代の記録を塗り替える香港映画史上最大のヒット作となった。翌1991年には、興行収入1位になった『ファイト・バック・トゥ・スクール』を初め、彼の出演した8本の映画がすべて、ベスト20圏内にランク入りした。さらに続く1992年には、1位から5位までの上位5本が、彼の出演作品で占拠された。時代が彼の才能を求め、呼び寄せたとしか思えない。
 その後も1997年ごろまで、必ず2、3作はベストテン入りさせていた彼だが、このあたりからちょっと低迷期に入る。いろいろ事情は考えられるが、何よりも、自分がいつの間にか身につけてしまった「大物」のイメージに、かれ自身、折り合いがつけられなかったのではないかと思う。もともと「そのへんのあんちゃん」的な親しみやすさと、芸術性とはおよそ無縁の大衆娯楽路線で人気が出たのに、押しも押されぬ大スターとなるにつれ、作品も、妙に複雑で洗練されたものになってしまったのである。そういう自分への居心地の悪さが、たとえば1999年の『喜劇之王』という作品には見て取れた。もちろんヒットはしたが、かつてのような爆発的な熱狂はなかった。それまで毎年何本もの映画に出ていた彼は、このころを境に、がくんと出演本数を落とした。
 そしてあれこれ考えた末に「やっぱり自分らしいものを撮りたいように撮るのが一番」という結論に達したのだと思う。いろんな迷いを吹っ切って、自ら脚本・監督・主演をこなして放った起死回生の一作、それが『少林サッカー』だ。
 この作品のチャウ・シンチーは、かつての初々しく、とびきり馬鹿馬鹿しい彼だ。それでいてアクが抜けて、洗練されている。改めて観なおせば観なおすほど、細部までよく出来ていて、まったくほれぼれする。
 まず何よりも、サッカーという世界標準のスポーツ競技を、少林拳というアジアのローカルな格闘技にこだわる主人公が制覇してしまう、という基本設定。これは彼自身の決意表明だ。1990年代後半、ジャッキー・チェンやチョウ・ユンファといったシンチーのライバルたちはハリウッドに渡り、世界に通用するために、ハリウッド演技や英会話を熱心に勉強していた。でもシンチーは香港に残った。ハリウッドにおもねることなく、ローカル・スタンダードのままで世界に通用する面白い映画を目指す、という彼のスタンスが、この映画のメイン・テーマとぴったり重なるのだ。
 それから、カンフー映画オタクらしいこだわりが、シンプルなストーリーの背骨をがっちり固めている点。恋人役のヴィッキー・チャオ(趙薇)が、初登場シーンで饅頭を作るとき、太極拳のポーズをとる。DVDの副音声に入っている自作解説で、シンチーはこのシーンを「ラストの伏線となる」重要な場面だと言っている。そうなのだ。少林拳は力で力を制する剛の拳。シンチーたち少林隊は真っ向勝負で、悪のドーピング軍団に力VS力の対決を挑むが、ゴールキーパーを吹っ飛ばされてしまう。そこで最後にヴィッキーが、女とバレないように頭を丸めて登場する。彼女は太極拳の使い手だ。力をもって力を制するのではなく、相手の力をそのまま活かし、防御を転じて攻撃となす柔のわざ。それがあって初めて少林隊は勝利を収めることができる。彼女が太極拳を使う初登場シーンで、ラストの勝負への伏線は張られているのだ。
 そして彼女がラストでゴールキーパーを務めるためには、レギュラーのキーパーはその直前に退場しなければならない。だからゴールキーパーは夭逝したブルース・リーのそっくりさんで、彼の死と共に未完に終わった『死亡遊戯』の黄色い衣装を着ていなければならない。敵の球に倒されて、担架で運び出される彼は、ファンなら誰でも知っている、葬儀の時の棺のなかのブルース・リーとまったく同じ格好をしている。別にただ面白がってブルース・リーのそっくりさんを出しているわけではない、物語終盤に向けてのきちんとした布石であることが分かる。とにかく、細かいところの整合性がとてもよくできていて、観れば観るほど面白い。

 

 とまあ例によって長々と書いてしまったが、私はこの映画については、公開前から勝手に盛り上がっていたので、思い入れもひとしおなのです。ファン投票もかなりやった。当時開設されていた公式ホームページには、何人かの女の子の写真とプロフィールが並んでいて、このうちからオーディションで一人を選んで映画に登場させるが、参考までに皆さんはどの子がいいですか、という人気投票のコーナーがあった。私は自分の気に入った女の子の投票ボタンを押して、もう1回押して、さらにもう1回押したけど、カウンターは平気で増えていった。組織票とか、ぜんぜんOKらしい。さすが香港である。それから毎日、公式ページの更新を確認しながら、同じ子に何度も投票したんだが、その子は選ばれなかった。映画の冒頭とラストで、バナナの皮に滑る女の子の役である。
 ただ、当時シンチーは、日本ではまだそれほど知られていなくて、彼の映画を普通に日本の劇場で観られるなんて思ってもいなかった。で、結論から言うと香港まで観に行った。いやそのために行ったんじゃないです。上手い具合に仕事があったんですけどね。出張ぎらいの私も、この時ばかりは飛んでいきましたよ。嬉しかったなあ。 
 そして『少林サッカー』はこれまでの記録を塗り替えるとてつもないヒット作となり、我が国でもめでたく上映され、それまで『燃えよドラゴン』が持っていた、日本における香港映画の興行収益記録をおよそ30年ぶりに塗り替えた。ジャッキー・チェンも『Mr. BOO!』もなしえなかった偉業を果たしたのである。

 

 そういう映画の、続編というか、スピンオフというか、それが『少林少女』で、その映画に沢井さんが主演するというのだから、これはスゴイ。いや主演は柴咲コウか。まあいいや、我々にとっては『眠れる森の美女』だって沢井美優主演だしな。
 で、どういう話なんだ?シンチーのファンサイトやBBSに出ている情報によれば、香港の新聞なんかには「『少林少女』は『少林サッカー』と木村拓哉主演の日本のドラマ『プライド』を合わせたような物語。主人公は少林寺へ行き、武芸を学んだ後、功夫を使ってアイスホッケーの競技をする」とか書いてあるらしい。『プライド』ってアイスホッケーの話か。でも結局、ラクロスになったわけだな。プラス『少林サッカー』ってことですね。世界観はつながっているのかな。ブログを見たら『少林サッカー』のティン・カイマン(田啓文)とラム・チーチョン(林子聰)が出演しているぞ。どひゃー。
 監督は本広克行。すごいじゃないか。フジテレビの肝いりだ。この間の『UDON』も大ヒットだったと言うし、沢井美優も『眠れる森の美女』で四国に行っていたとき撮ったうどんの写メールを「MY HEART」に載せた甲斐があるというものだ。日本の記事ではシンチーと亀山千広が共同プロデューサーって書いてあるが、香港の報道では、シンチーの立場は「顧問」となっている。映画の「顧問」って何だ?シンチー撮影現場を観に日本に来るのか。来るんだったら、だれか実写版セーラームーンのビデオをシンチーに見せてやってくれ。Act.6のバスケのシーンとかAct.39の森林公園特訓なんて 『少林サッカー』にインスパイアされているから喜ぶぞ。そしてAct.5のメイクのシーンとかAct.36のナパームのシーンとかは、きっとシンチーの気に入る。うまくいけば次の作品に抜擢されて香港に招聘されるかも。その場合にはやっぱり沢井美優は一人で飛行機に乗っていくんだろうか。
 と言うわけで、現在私の頭の中はたいへんな状態になっている。でもシンチーだったら、最終的には柴咲さんよりも沢井美優を気に入るんじゃないかと、わりと真剣に思っているんですけどね。ともかく、名古屋支部にとってこの夏もっとも気になる映画が『少林少女』だ!って、よく考えたら、私は去年の夏の日記に「名古屋支部にとってこの夏もっとも気になる映画は『マスター・オブ・サンダー』だ」なんて書いている。人間、40を越えるとほとんど進歩がなくなる。