1. 『LADY』第7話(2011年2月18日OA)さて今回は
で今回、第7話の前半に、北川景子(矢沢あい原作の映画『Paradise Kiss』のヒロイン)が市川由衣(矢沢あい原作の映画『NANA2』のヒロイン)と会話をするシーンがある。市川由衣は、5年前に起こった誘拐監禁事件の被害者で、唯一の生き残りだ。この5年前の事件には、まだ疑惑の霧に包まれた部分があって、そこが晴れれば、今回の事件の真相も明らかになるだろうという、もうプロファイリングとほとんど関係のないプロットである。
まあ話自体はともかくとして、ここでの北川さん、私のノスタルジーを妙に刺激したな。
「5年前のことを、調べています。あのとき、ここで何があったのか、知りたいんです。憶えていることを話していただけませんか?」「思い出したくないんです。思い出すのは、つらくて」「忘れようと……しない方がいいですよ……そうすればするほど……忘れられなくなります。私もそうでした」「何かあったら、連絡をください」
どこが懐かしかったかというと、ここでの北川さんのセリフの「間」の作り方と申しますか、こう、言葉を探しながら語りかける感じが、すっごくAct.4のレイ(北川景子)と亜美(浜千咲)の対話を思い出させたんですよ。いやホント。
「レイさん……もしかして、仲間が怖い?」「え?」「ごめんなさい。ちょっと、分かるような気がしたから」「そう……なのかな……友達とか、家族とか、いつかきっと壊れるから……今までずっとそうだったし」
Act.4はほとんど女優・北川景子のスタートラインみたいな芝居である。もちろん今回の『LADY』は、あの頃より格段に進歩している。当たり前の話だ。でもこのふたつの場面を較べると、北川さんが女優としてどれだけ進歩したかと同時に、今後の課題がどれほど沢山あるかもよく見えてくる。この人の場合、学習を積んで一歩一歩課題をクリアしているから、そういうのが素人目にもわりとハッキリ見えるのだ。女優としての実力はまだまだ。でもまだまだまだまだ伸びていく人でもある。何度も言うが、このまま一歩一歩進歩すれば、森光子と同じ年に国民栄誉賞を取ることだろう。
あと『LADY』って、北川さんの着ている服が、赤とか紫とか、さりげなくセーラーマーズの基本カラーが多いところが偉いと思う。
2. 安座間さんのフェイスブック総括
さて、安座間美優24歳誕生日記念企画として、昨年暮れから前回までの全7回にわけて安座間さんの顔面変化史を追って来た。長くかかっちゃったな。これで、初登場のAct.6から最終話にいたる過程で、安座間さんの顔というか表情というかメイクというか、とにかく顔のうえでの役作りの試行錯誤を、多少は跡づけることができたのではないかな。改めて全体を中間総括しておこう。
とりあえずこんな感じで総括しておきます。反論・疑問等のある方は、コメント欄までどうぞよろしく。
3. レビュー再開です
昨年暮れの【第289回】を最後に中断していたAct.7レビュー、ようやく再開である。といっても、メイン・イベントというか、妖魔との戦いは終わっているし、あとはエピローグだけだ。エピローグだけなんだけど、このシークエンス、とっても田崎竜太らしいカッチリした演出で、けっこう好きです。
妖魔を倒された腹いせに、セーラームーンとセーラージュピターに向けて衝撃波を放つジェダイト。そこへ飛び込んで危機を救ったのがタキシード仮面。だがその代わりにタキシード仮面は手の甲に大きな火傷を負ってしまった。
この直前に地場衛は、鏡の間で、うさぎがセーラームーンに変身する瞬間を目撃している。これにはもちろん驚いたが、ともかくセーラームーンが登場したということは、また何か事件が起きたということだ。てことは、オレの出番かも。
と思った衛は、すぐに後を追おうとしたが、古幡元基の母親に繕ってもらったタキシードを、さっきコインロッカーに預けてしまったのを思い出した。それで取りにいったりしてちょっとタイムロスができて、ギリギリのところでなんとかセーラームーンを助けることができた。そんなところではないかな。
ところで、この時点でタキシード仮面は、まことがジュピターだということに気づいたのだろうか。Act.6に衛は出てこないから、まことと会うのもジュピターを見るのも初めてのはずである。「あのセーラームーンがあいつ、ということは、もうひとりの緑の戦士は、背の高さから行って、さっきボートに一緒に乗ったあいつか」くらいに考えたんだろうな。
同時に、今回のエピソードで、まことが気をきかせてうさぎと元基をカップルにしてやった様子も見ているから、緑の戦士がそういう世話焼きな性格であることも知っているわけだ。だからAct.20で、タキシード仮面に扮した自分の前に、まことが「あんただったんだ、地場衛」と立ちふさがったとき、彼女が何を考え、何に怒っているか、すぐに分かったんだろうね。
ま、それはさておき本編だ。
以前、舞原監督の演出って、キャプチャ画像を使って考察するのはむずかしい、という話をしたことがある(ここ)。のめり込むように対象に近づくズームインとか、登場人物の目線を借りた切り返しとか、非常に主観的なカメラの動きが先にあって、構図はあとからついてくる、という性格が強い。それに較べると田崎監督は、構図とかカットのつながりで表現するタイプの人なので静止画像で説明しやすい。具体的に見ていきましょう。
セーラームーン「タキシード仮面、待って」セーラームーン(そうだよ、いつも、このドキドキ)
真ん中の、タキシード仮面の手に、包帯がわりにハンカチを巻いてあげるセーラームーンね。この時の二人の、まあ身も蓋もない言い方をすれば恋の芽生えのようなデリケートな感情の交錯を、表情のアップではなく、ちょっと引きの画面で、たたずまいで表現する。その際、人物を画面中央に配さず、ちょっと片方に寄せて空間を作るので、観ている方はその空いたスペースに、二人の感情のたゆたいを読みとってしまうのである。
続く二人の会話では、別にクローズアップにしなくても、沢井美優の演技力ならセーラームーンの気持ちを画面一杯に表現できるよっていう感じ。沢井美優の繊細な演技がすばらしいですね。
タキシード仮面「ありがとう」セーラームーン「ううん、私のせいでごめんなさい」セーラームーン「でも、どうしていつも助けてくれるの?」タキシード仮面「さあな、俺にも分からない」セーラームーン(私も、どうしてこんなに…)
そしてまた画面にスペースを作るので、視聴者はそこに、セーラームーンの、かたちにならない悩ましい想いを読み取ってしまう。こういう、ある種きっぱりと論理的で明快な表現というのが、田崎監督作品の魅力であり、パイロット監督たるゆえんなのだと思う。
……と、もの想いにふけるセーラームーンの視界に、セーラーVの姿が飛び込む。
セーラームーン「セーラーV」セーラーV「セーラームーン、忠告を忘れたの?」セーラームーン「タキシード仮面に近づかないなんて無理だよ」セーラームーン「どうしてか分からないけど、私、たぶん……」セーラーV「…運命は、変えられないのね…」セーラームーン「え?……セーラーV……」
う〜ん。やっぱり沢井美優は素晴らしいよなぁ、と言いたいところなんだけど、セーラーVのセリフ回しとの比較でもの凄くそう感じるだけなのか、何だか良く分かんなくなってきたよ。
えーと、じゃ今回はここまで。