実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第62回】やっぱり前世はむずかしいの巻(Act.37)

温くても 冷めてもまづし 梅昆布茶 だけどしはわせ あの娘想へば (詠み人知らず)

 前回の日記のくだらなさ加減に、つい「たまらさんの小咄なみのくだらなさ」と書いたら、直後に御本人から厳重なる抗議をいただいた。申し訳ありません。あれはたまおのことでした。謹んで訂正とお詫びいたします。みなさんもお間違えなきよう。(1)『ぽんたのエスティマ日記』に素直でかわいいコメントを書くのがたまらさん、(2)『Sour & SweetS』に叙情的で透明感のある感想を書くのがtamaraさん、(3)『M14の追憶』にくっだらない小咄を書くのがたまお。3人はちょうど、月野うさぎとセーラームーンとプリンセス・ムーンのような関係にあります。万丈。

1. 戦士の休息


 さて、もう1週間が過ぎてしまったが、2006年1月17日(水)深夜2時15分、Act.37再放送。監督は前回も書いたとおり六巡目の登場で11本目となる高丸氏である。撮影は今回から上林秀樹さんという方に交替だ。
 この回、うさぎちゃんは、出番らしい出番はアヴァン・タイトルのクラウンのシーンのみ、あとはプリンセスとなって失踪してしまう。つまり沢井美優のお休み回である。そして次のAct.38では、今度は他の戦士たちが初めの方にちょこっと顔を見せるだけで、あとはだいたい沢井美優が一人二役で進行係をつとめてこれまでのおさらいをする。2週間にわたる戦士の休息。そのため彼女たちを取り巻く状況には大きな進展は見られず、代わりに「前回Act.36で登場したプリンセス・ムーンとは何者か?」「そして前世で何が起こったのか?」という謎が少しずつ解きほぐされていく。物語の背景を知る上では重要だが、いささか説明に偏りすぎていて、ドラマ的な起伏に乏しいのが難点である。次回にいたってはほとんど総集編ですしね。
 そういう平板さを補うために、今回の脚本と演出は、様々な工夫を凝らしている。たとえば前半では、うさぎの失踪をかくまうために、亜美とまことが月野家でうさぎに変装する、という「ニセうさぎ祭り」のシーンを入れ、中盤の美奈子とレイの会話は、色々と興味を引く小道具が置かれた映画の撮影現場にもっていく。さらに後半のプリンセス・ムーンと前世の悲劇をめぐる謎解きを、クンツァイトの回想と美奈子のセリフを切り替えながら同時進行で進めている。だから徐々に話が断片的にあっちへ行ったりこっちへ来たりとめまぐるしくなって、順を追ってレビューしづらい。なのでさしあたって、今回のエピソードの構成要素を分類整理しておこう。だいたい以下の8つのパーツから成り立っている。

(1)<クラウン>うさぎを元気づける仲間
(2)<月野家>夜、出て行くうさぎ、見失うルナ
(3)<月野家>翌日、亜美とまこととルナの「ニセうさぎ祭り」
(4)<撮影所>美奈子から前世の話を聞くレイ、そしてナコナコのコスプレ
(5)<街>うさぎを捜す亜美、そしてネフライトの人間化
(6)<ダーク・キングダム>拉致された衛と四天王、ミオ、ベリル
(7)<前世>回想、クンツァイトとエンディミオン、ベリル
(8)<横浜ビジネスパーク>プリンセスの発見「私が、星を、滅ぼした」

 うち、後半の(4)〜(7)は並行して展開するわけである。

2. そのままの魅力


 まず(1)「 クラウンでうさぎを元気づける仲間」のシーンについて言えば、高丸監督の本領発揮である。本領って言ってもこの人の場合「そのまま」ってことなんですけど。しかしそれがいいんだ。
 プリンセス・ムーンとして力を使いはたし、ずっと昏睡状態だったうさぎが、クラウンのソファでようやく目ざめる。「うさぎちゃん!」「大丈夫?」と駆け寄るルナ、亜美、まこと。
 ぼうっと起きあがり、首に下げたムーンフェイズの時計を握りしめ、ダーク・キングダムに連れ去られた衛のことを想って「そうか、いなくなっちゃったんだ」とうつろな表情のうさぎ。「うさぎ…」と、かける言葉に迷うまことと、黙ってうさぎの肩に手を置く亜美。
 相変わらず足を開き気味で見守っていたレイも思わず駆け寄って「うさぎ、元気出しなさい。あんな前世のお化けみたいなのに、大切な人とられちゃだめよ」と強い調子で励ます。意外な言葉にびっくりするみんな。うさぎもホッと笑顔を見せて「うん。そうだよね。ぜったい戻ってくるって言ってたんだもん。めそめそしてたら馬鹿って怒られちゃう。大丈夫」。こういうところで「馬鹿」ってキーワードを使うのが、素晴らしいですね。
 まことは、レイの口から「大切な人とられちゃだめよ」なんて言葉が出たもんだから、ちょっと嬉しくなって「いいこというじゃん」と言うけれど、レイは照れて「別に」とそっぽを向く。そしてうさぎは、ふくらむ不安を押し隠すように「大丈夫…だよね」とつぶやく。だいたいそういうシーンですね。
 特にどこがどうということもないのに、心をとらえられてしまうのは、4人がとても自然体だからだ。推定でこんなことを書いて恐縮だが、たぶん高丸監督はほとんど演技指導らしい指導をしていないのではないだろうか。でもそんなものは必要ない。おそらくこの時期、4人はすでに深くキャラクターに同化していて、カメラが回り出せばすぐに「うさぎ」「亜美」「レイ」「まこと」になりきれたし、気持ちがつながりあえたのである。特に北川景子は、Act.33、Act.34、Act.36を経て、完璧に「火野レイ」をつかんだと思う。そういう意味で、ここでは「ありのまま」の高丸演出がとても心地よい。演技であることを感じさせないほど、確かに、うさぎちゃんと亜美ちゃんとレイちゃんとまこちゃんがクラウンにいるのだ。あ、ルナもいるか。
 再放送で観ていると、あれから3年という歳月を感じてほろりとしちゃいます。みんなもう、うさぎでも亜美でもレイでもまことでもないのだ。

3. たまおが…


 さてここまでがアヴァン・タイトルで、主題歌が入り、次に(2)「うさぎの失踪」と(3)「ニセうさぎ祭り」へと話は進む。まあこれはとやかく言うような場面じゃない。ただ若干の疑問は残る。たとえば、前回書いたように、うさぎがプリンセスとなって部屋を出て行くシーンでのルナの過剰な演技はやっぱり高丸監督の趣味か?とか、なんでルナは夜中にうさぎを探しに外に飛び出すとき、わざわざ人間体になったのか?猫の姿のままじゃないと、補導されちゃうぞ、とか、あるいは翌朝、ニセうさぎになった亜美が、食卓でゴーヤオムレツ(アボガドソース)を気味わるそうにつついていると、進悟がやって来て「何やってんだか」と呆れたように去っていくシーンはどういうことなのか?とかね。でも進悟はルナ人間体を見ても、見なかったことにしてすませちゃうような奴だしな。
 カンぐり過ぎかも知れないが、進悟と亜美を1回は会わせておこうというのは、アニメ版のファンへの目くばせかな、とも思う。アニメの進悟は、姉とは違うタイプの亜美にほのかなあこがれを抱いている。『SuperS』第144話「きらめく夏の日! 潮風の少女亜美」では、海水浴場でボートから落ちて溺れかけ、亜美に助けてもらうのだ。いいなあ。私は進悟、そして亜美はもちろん浜千咲だ。水の中に沈み、意識が薄れかけたところへ、青い水着の「水と知性の戦士」がマーメイドのように泳いできて、しっかり抱きとめて助けてくれて、人工呼吸をしてくれるのである。「ぬれちゃう!あはは、うふっ」
 はっ!私は何を考えていたのだろう。実は今、ウィスキーの水割りを飲みながら書いていたのだ。このように酒が入ると「たまお」が意識を支配しようとする。みなさんもたまおにはくれぐれもお気をつけください。進悟のことはAct.39で改めて考えてみることにしよう。

4. 耐えるレイ


 続いて(4)「美奈子から前世の話を聞くレイ」のシーンに移る。うさぎはプリンセスとなって失踪した。でもあのプリンセス・ムーンってそもそもなんだろう、ルナは、前世ではあんな姿は見なかったと言っているし。というわけで、レイは新作映画を撮影中の美奈子のもとを訪れ、前世について問いただす。
 二人の会話の導入部が、いきなり「巨大女」の視覚トリックになっていることと、このシーンを演出するにあたって監督が意識していたかも知れない巨大女映画の系譜については、前回の日記に書いたが、改めて考えると、これにもそれ相応の意味があるように思う。つまりAct.33、Act.34、そしてAct.36と、ここのところレイの視点を軸に物語をひっぱってきた小林脚本にしては、今回は拍子抜けするくらいレイの心理描写が欠けている。そこをごまかすための手段として、演出はいきなりこういうビックリなシーンをもってきたのではないか、とも思えるのである。
 美奈子が積極的にレイと話すのは問題ない。美奈子は、すでに自分の命が長くないことをレイに告白しているし、自分の後リーダーとなるべきレイには、できるだけ多くを知っておいてもらいたいと願っている。だからもう、以前のようにレイが来ることを拒まないばかりか、時間の許す限りこれからのことを話し合いたいと思っている。
 一方レイは、そういう、前世に引きずられる生き方に反撥を感じていて、美奈子の殉教者的な態度を疑問に思っている。Act.36のラストでは、ついヴィーナスを責めるかのように「これも、こんなことも、前世から背負ってきたことなの!」と叫んでしまったばかりだ。なのに今は、ともかくも美奈子の話をおとなしく聞いている。失踪したうさぎを見つけ出す手がかりを得たいのだが、自分には前世の記憶がない。美奈子をたよるしかない。Act.28では、ダーキュリーを救いに行ったうさぎを捜し出すために「しかたないわ、ヴィーナスとアルテミスに協力してもらいましょう。今は手段を選んでられないわ」と言っていたが、だいたいあの時と同じ心境だ。
 そこへ通りがかりのスタッフが「お友だち?」と問いかける。美奈子はとっさに「新人のマーズれい子です」と紹介する。これはAct.40のマーズれい子復活への伏線であろうが、「マーズれい子」というのもレイにとっては、美奈子にまんまとしてやられた苦い想い出だ。そのおかげで戦士の力に目ざめることができたとはいえ、「またその名前を出して」ぐらいにムッとするよなあ。さらには台本の読み合わせごっこまでさせられて、あげくの果てに「下手ね。気持ちが入ってないわ。まずは形から」である。
 でも今回は二人は火花を散らさない。言い争いも、ケンカ別れもない。とにかく今回、レイは耐える。実に素直に美奈子の話を聞いているのである。つまりスタッフの意向としては、ここで前世をめぐる話をサクサク進めておいて、二人の確執はAct.40にじっくり語ろう、ということなのだろう。でもこのままだと、美奈子の意地悪さと、今までのいきさつを考えればちょっとくらい言い返してもよさそうなレイが、ひたすら大人しいという不自然さが目立ってしまう。それを隠すための目くらましというか、演出側からのサポートととして、巨大女の視覚トリック、あるいはカメファイター映画の撮影現場、ナコナコのコスプレという、視聴者の気を引く道具立てをもちこんだ、とも考えられるのだ。
 しかし監督がたんに戦隊もののセットを使ってみたかっただけ、という疑惑もあるな。いったいこれは何のセットの流用なんだろう。まさかこのシーンのために、巨大ビルのセットを組んだりはしないだろうし。「疑惑好き」の私としてはいろいろ考えさせられるシーンだ。

5. やはり『えびボクサー』の話をちょっと


 以下はまたまた余談である。前回も書いたように、ここで撮影されている『カメファイターVSイカキック』の元ネタは、カリスマ映画バイヤー叶井俊太郎がアルバトロスフィルムにいたころに買い付けて日本公開した『えびボクサー』(2002)である。
 叶井俊太郎は、アルバトロスでゲテモノ映画を扱っていた人だ。2001年には、1976年のイタリア映画『クイーン・コング』を大々的に宣伝して日本公開し、見事に失敗する。巨大なメスゴリラの怪獣が登場する映画なんですが、って紹介しなくてもタイトルだけでどんな作品か分かるか。そして会社を傾けさせるが、直後に恋愛コメディの佳作『アメリ』を配給して、単館系では記録破りとなる16億円のヒットを飛ばす。しかし実をいうと叶井は、この映画をB級ホラーと間違えて内容を知らないまま買い付けたのである。
 観ないで買った『アメリ』大ヒットによって伝説の映画バイヤーとなった叶井は『アメリ』に続けとばかりに一時期『メアリ』というタイトルの洋画を本気で捜して回るが見つからず、代わりにベッカム人気にあやかろうと配給した『ベッカムに恋して』も失敗、そしてついに『えびボクサー』にいたる。これは、海から引き上げた巨大なシャコにボクシングをさせて見せ物をやり、一儲けしようとたくらんだ男たちの愛と感動のドラマだが(私はラストシーンでちょっと貰い泣きした。でも皆さんはご覧にならない方が良いと思う)叶井は「シャコじゃだめだ!」と勝手にタイトルを『えびボクサー』に変更。えびはぜんぜん出てこない。
 こんなもの、本来なら当たるわけないのだが、フジテレビのプロデューサーに物好きな人がいたらしく、このあまりにも面白すぎる叶井俊太郎というキャラクターをモデルに、江口洋介演ずる映画バイヤーを主人公にした『東京ラブシネマ』という月9ドラマを制作、そのドラマの中で『えびボクサー』が実名で登場したことから「そんな映画が実在するのか」と思わぬ宣伝効果となり、大方の予想を覆すヒット。さらに伝説の人となる。このころ叶井は「オレがリアル江口よ」とブイブイ言わせていたという。
 その後アルバトロスフィルムを退社した叶井は、ファントムフィルムを設立して自ら『いかレスラー』を制作。公開は2004年7月である。この実写版Act.37の放送は2004年6月26日だから、ひょっとしてある種のタイアップ企画なのかとも思うが詳細は分からない。私が叶井俊太郎という人を面白がってその動向をひそかに注目していたのはこの頃までなので、『いかレスラー』が採算がとれるくらいにはヒットしたのかどうか、そして彼がどういう経緯でファントムフィルムを抜けてトルネードフィルムの代表取締役になったのかは知らないが、まあともかくおかしな人だ。ちなみに、トルネードフィルムは小松彩夏の出演する『ドリフト』『ドリフト2』を制作し、北川景子が昨年観た映画のベストに推す『SAW3』の宣伝はファントムフィルムが担当している。ホント、どうでもいい話ですね。

6. 前世がヴェールを脱ぐ


 まあともかく、レイは『カメファイターVSイカキック』用のナコナコのコスプレという羞恥プレイに甘んじて前世の話を聞き続ける。そしてそれと絡んで、後半はさらに(5)「うさぎを捜す亜美」、(6)「ダーク・キングダムに拉致された衛」(7)「クンツァイトの回想」の物語が並行して進む。
 亜美がうさぎの姿を捜し求めて街をさまようシーンでは、途中で人間化したネフライトの前を通り過ぎる点だけ注意しておけばいいだろう。亜美は「うさぎちゃん、うさぎちゃん」と駆け抜け、ネフライトも呆然と座りこんでいるので、二人は互いの存在に気づいていないが、まずこのように交錯させて、今後の関係を暗示しているのだ。亜美とネフライトの物語、序章という感じで、いよいよこのテーマも始まるな。
 さていよいよ前世の物語である。で、まずは(変な言い方だが)映像的な構成に注目してみたい。美奈子の話の内容よりも何よりもこれがけっこう重要だと思うのだ。何が問題かというと、つまり美奈子の語りには回想シーンが一切ないのである。省かれている、と言ってもいい。
 Act.37の後半は、ダーク・キングダムにおける衛とクンツァイト、あるいはベリルの会話と、美奈子とレイの会話が交互に繰り返され、徐々に前世に起こった出来事が視聴者の前に明らかにされていく。ダーク・キングダムのシーンでは、衛に剣を突きつけるクンツァイトに向かって、ジェダイトが「マスターは昔のままだ」と牽制すれば、エンディミオンが、かつて第一の忠臣であったクンツァイトと剣術の稽古をする前世の回想シーンが入る。クンツァイトが「過去は、あの滅びの日にすべて消えた」と言えば、瓦礫の中に埋もれる四天王、ただひとり生き残って絶叫するクンツァイトのイメージが挿入される。ベリルが衛に向かって「あのころお前はすべての象徴だった、権力、富、幸せ、美しさ…」と近づけば、エンディミオンとキスするプリンセス、それを妬ましそうに物陰から見守る貧しい身なりのベリルが描かれる。けれどもその合間に美奈子が語る場面になると、まったく何の具体的な映像も示されない。
 これはこの回に限ったことではなく、実写版の大きな特徴である。原作漫画やアニメでは、前世の回想シーンに、現世の変身した姿とまったく同じ。4人のセーラー戦士が登場する。セーラームーンは措いておくとして、あとの4人の戦士は、現世と前世が鏡に映したように対応しているのだ。それが具体的にビジュアルで示される。ところが、実写版は、前世の彼女たちの姿を一瞬たりとも見せない。前世の回想シーンで具体的なイメージとして出てくるのは、四天王、ベリル、そしてプリンセスとエンディミオンだけなのだ。
 特に今回は、戦士の中でただひとり前世の記憶をもつ美奈子が、それを知りたがっているレイに話を聞かせる回なのである。ところが美奈子の語りに導かれて前世のイメージが甦るというカットつなぎはひとつもない。そしてこれと入れ替わりに出てくるダーク・キングダムのシーンでは、前世の記憶のない衛に、クンツァイトが、ジェダイトが、あるいはベリルが語りかけるたびに、その場面が具体的に、生々しく挿入されるのである。このような描写を観ていると、我々は「はたして美奈子は、実際どれほどはっきり前世のことを思い出しているのだろうか?」と疑わざるをえない。もちろん、何があったか、という知識や情報としてなら、だいたいのことを記憶してはいるのだろう。おぼろげなイメージだってあるに違いない。私だって別に、レイから「でも、どうして急にプリンセスがあんなふうに?ルナは前世の姿とは違うって言ってたけど」と訪ねられた美奈子が「確かに違うわね」と断言したのが嘘だと思っているわけではない。けれどもこのAct.37を見る限りでは、クンツァイトやジェダイトが、かつての光景を、まるで今まさに目の前に観ているように、ありありと脳裏に甦らせているほどには、美奈子がくっきりと前世を思い出せているのか、どうにも疑問に感じてしまうのだ。
 百歩ゆずって、今回レイに語ったことぐらいの記憶は、美奈子の脳裏にもまざまざと焼き付けられているのだろう、と仮定してみる。しかしそれにしても、彼女の回想は、次のように締めくくられているのだ。

美奈子「その日、何かが地球を滅ぼして、月も滅亡したのよ」
レ イ「何かって、クイン・メタリアじゃないの?」
美奈子「それは分からない。たぶん、プリンセスとエンディミオンにしか」

 これはつまり、美奈子=前世のヴィーナスも、星の破滅の真相を見届けていないということだ。たぶんその前に死んでしまったのである。一方、プリンセス・ムーンとは何者か。今回の最後の最後に姿を現したプリンセス・ムーンは「私が、星を滅ぼした」とつぶやく。彼女は前世のプリンセスであってプリンセスでない。そしてその心は、エンディミオンを失った悲しみに満ちている。プリンセス・ムーンは、月と地球の争いを止めようとしたエンディミオンが命を落としたとき、そのショックで、つまりエンディミオンが死んだ後で誕生し、そして星を滅ぼしたのだ。その瞬間を、ヴィーナスもルナも見ていない。あるいはすでに戦士たちやルナは、戦いの中でプリンセスの身を護るために倒れていたのかも知れない。要するに、ヴィーナスやルナが、プリンセス・ムーンの姿を知らなくても不思議ではない。


 う〜ん。すみません。やっぱりむずかしいですわ。これでも何回か書き直しをしたのですが、もうこれ以上、書き続ける、というか考え続ける気力が尽きた。今回はこれまで。今夜も再放送はないし、週末にもう一回くらいやってみようかと思います。で、みなさんはですね、できたら次回更新までに『M14の追憶』「前世と現世の非対称」(前編)および(後編)を復習しておいてください。次回はこれをテキストに、今の問題を再考してみたい。余裕がある人は、この日記の「原作およびアニメ版で語られる前世の物語」の要約にもざっと目を通しておいてくださってもいいが、こっちは特に必要はない。読んでくださる方々に、なんだかんだと要求を突きつける私のブログは何様だ!万丈!!じゃまたね。
 ともかく、実写版では、前世でのセーラー戦士たちの姿はまったく出てこない。四天王たちとは対照的に。映像の面から言えば、前世と現世が非対称なのは、プリンセスばかりではないのだ。これはけっこう大事なポイントだと思う。


P.S. 今週は実写版再放送がないのでまったりモードで進んでおりますが、土曜日からは『仮面ライダー電車男』じゃなくて『仮面ライダー電王』が始まるぞ!チーフプロデューサーはもちろん白倉伸一郎、メイン監督は田崎竜太、特撮監督は佛田洋、そしてメインライターは小林靖子だ。今回の敵は未来からの侵略者「イマジン」。その目的は、過去からの時の流れを変え、そして未来を変えること、なんだってさ。どこかで聞いたような話だね。これだけお膳立てが揃っていれば、途中からシリーズに絡む重要な準レギュラーとして沢井美優を登場させることは十分可能だと思うんだが。仕事が少ないんだ、使ってやってくれ、うさぎのパパ。私は信じて待っている。


【今週の猫CG】【今週の待ちなさい】なし

(放送データ「Act.37」2004年6月26日初放送 脚本:小林靖子/監督:高丸雅隆/撮影:上林秀樹)