実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第60回】いよいよ最終コーナー、第4クール突入の巻(Act.36)


 前回の日記は原作漫画のストーリーの要約が多くてとても長かった。その結果、こっちよ!さんは出勤に支障をきたし、M14さんは乗り物酔いになり、そして私は腱鞘炎が再発してしまった。こういうブログはいけないと思う。やはり人間は健康第一だ。というわけで今回は文字数が1万字を越えたら問答無用で終了します。

1. 台本版Act.36&Act.40


 Act.35の再放送が2006年12月20日で、2週間の年越し休みを挟んだオンエアである。なんだかとても長かったような気がするなあ。ということはともかく、2006年1月10日(水)深夜3時10分、Act.36再放送。いきなり 3時10分かよ。でもそんな遅い時間の割に今週のCMはそこそこメジャーっぽかった。一青窈の新譜とかがメインで、常連の公共広告機構のCMなんてひとつもなかったのではないか。
 さて、『M14の追憶』の「検証・これが実写版の台本だ!」をお読みの方はすでにご存知のとおり、このAct.36の撮影台本には、完成作品から削除されたシーンがけっこうある。とりわけ前半、アルテミスがレイに「実は美奈子が戦士の力にまだ目ざめていない」事実を打ち明けるシーンはかなり重要だ。このシーンはAct.40における美奈子の引退宣言にも関わってくる。Act.40の美奈子は、使命のために芸能生活を捨てようとするわけだが、台本ではさらに、本当は歌が大好きなのだけれど「いまだに戦士として覚醒できないのは、歌の世界を捨てきれない自分の中途半端さのせいだ」とアルテミスの前で自分を責める美奈子が描かれている。そのあたりの詳細は、M14さんの記事(ここここ)をご覧ください。なお今回も『M14の追憶』への言及が多くなると思うが、いちいちM14、M14と連呼しているとなんかちょっと恥ずかしいので(何でだ)、以下「大家さん」と略称する。そんな感じ、しますよねえ長屋のみなさん(って誰だよそれ)。
 さてこの、Act.36からAct.40にいたる「美奈子とレイの物語」は、【第37回】にもちらっと書いたようにAct.23を出発点としている。相変わらず伏線を張ってから回収するまでが長い。なので今回はまずそこを整理したいと思う。ですがその前に、大家さんのご指摘する「放送されなかったセリフ」を織り交ぜながら、Act.36、Act.40という話の流れを、オリジナル台本に基づいて整理しておきます。放送版よりも、こっちで考えた方が、分かりやすいのである。


 コンサート中に倒れた美奈子を心配して見舞いに行ったが、マネージャーにあっさり面会を断られる4人。でも前回Act.35のラストで、ヴィーナスは自分が愛野美奈子であることをセーラームーンに告げているから、この段階ではすでに4人とも、ただのファンとしてではなく「仲間の戦士」として見舞いに来たのであり、美奈子もそのことを知っているはずだ。だからレイは松尾に「私達とも?名前言ってもらえました?」と念を押すのだが、松尾は「言ったけど同じ。心配しないでくれって。ごめんね」。やっぱり門前払いである。仕方なく帰る4人。レイだけは心配そうに病院を振り返る。台本ではここでAct.23の回想シーンが挿入されるわけだが、これについては後で触れる。
 ところが、みんなが帰った後、アルテミスはレイを再び呼び出しに火川神社にやって来る。これは美奈子の意向だ。仲間の戦士全員には会いたくない。彼女たちには余計な心配をかけずに、プリンセスに仕えることに専念してもらいたい。けれども自分がいなくなった後、名実ともに守護戦士のリーダーとなるべきマーズにだけは、事実を伝えておかなければならない。そういうことだ。
 放送版ではこのアルテミスがレイを呼び出す場面は切られていて、次は病室を訪ねたレイが、美奈子から本当の病状を聞いて愕然とするシークエンスに進む。もちろんカットされても、そういうふうにレイがやって来た以上、例によってアルテミスが伝令役として一走りしたんだろう、くらいのことは我々にも察しがつく。ただ、このAct.36で、そうやっていつものように美奈子のパシリでレイを呼び出しに来たアルテミスが、Act.40で、今度は自分の意志で火川神社にやって来る、という対比を考えれば、やはりカットしないで欲しかったとは思いますけどね。
 Act.40で、美奈子は残り僅かな余命を前世の使命に捧げるために、芸能界からの引退を決意する。「アルテミスだって、ずっと気にしていたはずだよ。どうして、リーダーの私が、戦士の力に目覚めていないのかって。 病気のせいじゃないよ。きっと、歌のせい」(このセリフの現物はここにスキャンされてます)。そんな美奈子の姿にいたたまれなくなったアルテミスは、再び火川神社を訪れ、レイに相談する。「美奈子に前世の使命を思い出させたのは僕だし、病気の事も知ってて、厳しい戦いをさせたのも僕だ。でも、勝手だけど歌はやめさせたくないんだ。彼女がどれほど歌が好きか、知ってるから」(こちらの現物はここ)。Act.36のカットシーンでは、いつものように美奈子のパシリでレイを呼び出しに来たアルテミスが、今度は自分の意志でレイに助けを求めるのである。レイは美奈子の孤独と悲しみと焦りを深く深く理解する。けれども「そんなに前世が大事なら、愛野美奈子なんかさっさとやめればいいわ」とアルテミスの訴えを突っぱねる。そしてマーズれい子の登場だ。
 フラッシュの中、ポーズをとっているレイを見て「どういう事……?」と茫然とした美奈子は、パシリのアルテミスがこそこそしていることに気づき「アルテミス、あなたでしょ」と問いつめる。「マーズに何か言ったのね」仕方なくアルテミスは答える(ここ)。

「ごめん。君が歌をやめないように努力してもらおうと思ったんだが、やめたいならやめればいいって、急に事務所に乗り込んで、それでマーズを見た社長がいきなり盛り上がって、何がなんだかわからない内にこういう事に…」

 というように台本ではマーズれい子再登場が、アルテミスの入れ知恵とかではなく、レイ自身の意志によってなされたものであることがわかる。そして結局それは、美奈子の芸能人魂に再び火をつけるための策略だったわけだから、要するにAct.40のメインのお話は全部レイのアイデアで、齋藤社長はそれに乗ったに過ぎないわけか。まあそれは良いとして、問題にしたいのは、なぜここでレイの思いついた手段が「マーズれい子」だったのか、ということだ。

2. レイはなぜカラオケが嫌いか


 Act.23、火川神社に退院のお礼参りに来たナナちゃんから、美奈子が南十番総合病院でプライベートライブをやっているという話を聞いて不審に思ったレイは、病院に行ってみる。そして美奈子の計略で新人タレント「マーズれい子」に仕立てられる。

レ イ「どういうこと?私がタレントだなんて」
美奈子「私のことは追わない約束でしょ」
レ イ「あなたが毎月ここへ来てるって聞いたから、何かあるのかと思って…」
美奈子「健康診断のついでに、入院している子どもたちをはげましてるの」
レ イ「毎月?」
美奈子「体調管理のためよ。それより、セーラームーンが最初に目覚めるなんて、意外だったわね。あなたが先だと思っていたのに」
レ イ「リーダーになるはずなのに、情けないって言いたいんでしょ」
美奈子「そうね。力がめざめるには、心の問題も大きいけど、リーダーとして何か欠けてるんじゃないの?」
看護婦「あのー、美奈子さんに聞いたんだけど、午後からマーズれい子さんがミニライブして下さるって。子どもたち大喜びです。ねー。」
レ イ「どういうこと?」
美奈子「だから、罰よ」

 きっかけはぜんぶこの会話の中にある。レイはすでに漠然と、美奈子に異変を感じているのだ。「あなたが毎月ここへ来てるって聞いたから、何かあるのかと思って」。だから健康診断だと聞いても食い下がる「毎月?」いくら体調管理だからって、人気アイドルが毎月病院に来るなんておかしい。でもそう思った疑問は、美奈子の「リーダーとして何か欠けてるんじゃないの?」というきつい一言と、「罰」のミニライブの話でぶっとんでしまう。
 しかしレイはこのとき感じた疑惑をすっかり忘れてしまったたわけではない。だからAct.36の冒頭で、面会を断られた4人が、それぞれに美奈子の心配をしながらも、あっけらかんと笑顔で帰っていくなか、レイだけはひとり立ち止まって病院を振り返り「ヴィーナス」と心の中でつぶやくのだ。そしてさっきも触れたとおり、台本では、まさしくこの瞬間、レイは上に引用した対話を回想することになっている。そしてAct.23のこのシーンは「マーズれい子誕生」というイベントとも結びつている。Act.36でこの対話を思い出したことが、Act.40でレイが美奈子に対する仕掛けとして「マーズれい子」再登場を思いつく伏線となっている。
 だからAct.36で病室に入るとき、すでにレイの胸の中には不吉な予感がふくらんでいたのである。実際、このシーンのレイはとてもおずおずとしているように見える。そして衝撃的な話を淡々と語るヴィーナスの言葉を、きっと意外であると同時に「ああ、やっぱり」という力の抜けるような既視感とともに聞いていたのだろう。
 さらに帰りがけにアルテミスに呼びかけられ、実は美奈子はまだ戦士の力に目ざめていない、という第二の衝撃的な事実を知る。その時レイの脳裏に甦ったのは、やはりあのAct.23の会話ではなかったか。「それより、セーラームーンが最初に目覚めるなんて、意外だったわね。あなたが先だと思っていたのに」もちろん美奈子の病院通いを不審がっているレイの気をそらすための挑発ではあったのだが、今にして思えばこれは、そう言っている美奈子自身に跳ね返ってくる、かなり痛い言葉であり、あるいは美奈子が自分自身に投げかけた自嘲の言葉ではなかったかとも思えてくる。何しろ「リーダーとして何か欠けてるんじゃないの?」である。でもリーダーなのに戦士として覚醒できないことを痛感していたのは、誰よりも美奈子本人だったのだ。
 そう考えながら、Act.23のラストをもう一度見ると、我々は慄然とせずにはいられない。スライムのような接着剤のような粘液に足をとらわれたセーラームーンとヴィーナス。そこへ駆けつけたマーズは、これまでとはケタ違いに激しく美しい炎を放ち、一気にネフライトを退治する。戦士の力に目覚めたのである。そのパワーに目を見張ったヴィーナスは、戦いの後「欠けていた何かが見つかったみたいね」とわずかに微笑んでマーズを祝福するが「でも、まだ全てじゃない」と固い表情を崩さずに去っていく。その内心はどれほどつらいものであったか。
 Act.40で放送からカットされたセリフをもう一度引いておこう。アルテミスは「歌はやめさせたくないんだ。彼女がどれほど歌が好きか、知ってるから」と言い、美奈子は「どうして、リーダーの私が、戦士の力に目覚めていないのかって。 病気のせいじゃないよ。きっと、歌のせい」と言った。一方のマーズは、このAct.23のラストで「じゃあ、カラオケやりますか!」とセーラームーンに誘われて即座に「カラオケは嫌い!」と答えている。つまりAct.23とは、歌が大好きで歌手になったけれども、そのために戦士の力に目覚めることができないでいる(と思いこんでいる)美奈子の目の前で、歌が大嫌いなレイが、歌うことで戦士の力に目覚めてしまう、という皮肉な話なのである。
 レイのカラオケ嫌いという設定は、ここではほとんど残酷でさえある。歌うことにちっとも喜びを見いださないレイが、うさぎの助けでマーズれい子として歌う経験を通して、いわば歌によって戦士として目覚めた。それを目の当たりにしたヴィーナスは(どうして、あたしじゃないの?)と思ったに違いない。あたしはこんなに歌うことが好きなのに。なぜ、あたしじゃなくて、彼女が?
 しかも相手はリーダーの自分にことあるごとに突っかかってくる「サブ」のレイなのだ。これは誇り高い美奈子には、ちょっと素直に受け入れがたい現実である。かなりガックリきたはずだし、嫉妬の気持ちだって起こっただろう。けれども、少なくともレイに対してだけは、絶対にそんなみっともないところを見せたくない。だからAct.23の美奈子は「欠けていた何かが見つかったみたいね」と、レイに対しては徹頭徹尾、尊大に振る舞う。そして自分が戦士としての力に目覚めていないことだけは、最後までレイに語ることができなかった、これは美奈子のプライドの問題だ。私はそう思う。
 今回、Act.36で、美奈子は自分に死期が迫っていることをこともなげに告白して、レイを驚愕させているが、それはたぶん彼女の強さではない。「歌が好きだし、前世の使命についての記憶もあるのに、どちらも中途半端なままで終わりそうな私に対して、カラオケ嫌いで、前世の記憶もぜんぜん甦っていないのに、あたしの手に入れたいものを手にしているあなたがうらやましいし、本当はあこがれている」という内心の思いを、プライドにかけて隠しおおせるためなら、美奈子にとってそのくらい、たやすいことなのだと思う。青春とはそういうものだ。

 「あたしはたぶん、あと二、三ヶ月しか生きられない。セーラー戦士になる前から分かっていたことよ。問題はそのことじゃなくて、敵を倒す前に、戦士がひとり欠ける可能性があるってこと。リーダーのあたしがね」

 そしてAct.40、ヴィーナスが歌手をやめようとしていることを知ったレイは、美奈子の手によって生まれた、そして本当は美奈子にっとてある意味「あこがれ」でもあるマーズれい子として、弱気になった美奈子の前に挑発的に立つのである。だからそれは確かに美奈子を叱咤激励しようという愛情でもあるのだが、同時に最後の真実を話してくれなかった美奈子に対する、けっこうキツイ仕返しでもある。この二人の間に流れる感情は複雑で、説明しようにもなかなか一筋縄ではいきませんね。
 とまあ、Act.23→Act.36→Act.40というふうに「美奈子とレイとマーズれい子」の物語は展開していくし、その流れのなかで「なぜAct.40で、レイは自分から積極的にマーズれい子を演ずる作戦を思いついたのか」という疑問もすんなり理解できると思うのだが、ちょっと字数を食い過ぎて、肝心の結論が舌足らずだ。まあいいや、もし「なに言ってんのか分かんないよ」なんて意見があったら、またAct.40の再放送の時にやってみます。

3. 欧米か?


 げっ。冒頭の美奈子とレイに気を取られて、だいぶ字数を使ってしまった。身体に害のないブログを目指して、後は少し切り上げ気味に行きたいと思う。
 まずは食事のこと。第46回の日記で、Act.29の夕食のシーンについてあれこれ書いた。晩御飯の主菜がロールパンって、日本の食卓としてどうよ、とか、ひょっとしたらこれは朝食シーンのつもりで撮影の準備をしていて、後になって夕食シーンであることに気づいたというミスなのではないか、とか。でも今回、Act.36でも、病院で面会を断られた4人が帰宅した後、月野家の晩御飯の様子が描かれるのだが、これが洋食なのだ。
 ハンバーグを焼きながら、テレティアで衛と翌日のデートの約束をしているうさぎの会話に聞き耳を立てるママ。うさぎが電話を切るとすかさず「うさぎ、彼でしょ。知ってんのよ、最近できたの。ママに隠すことないじゃなぁい。ねえどんな子?名前は?まもる、へぇ、じゃあ、まもまもとか呼んでるんでしょ。まもりん?じゃあうさぎはうさうさ?いやぁ、熱いわね!」とハイテンション。これはつまり「うさぎが衛をどう呼ぶか」という今回のテーマの提示部でもあり、また当然「うさこ」「まもちゃん」が出てくることを期待する原作やアニメのファンに対するはぐらかしでもある。みんなそうでしょ?私も初回放送時は、ここで絶対ママの口から「うさこ」「まもちゃん」が出ると思った。そうは問屋がおろさないのである。
 それはまあ良いとして食卓でしたね。テーブル中央にはパンの入ったバスケットが置かれていて、ランチョンマットは3枚しか敷かれていない。つまり今夜もパパは出張のようである。子どもたち二人にはオレンジジュースのグラス、そしてサラダとデザートの器と取り皿、育ち盛りの進悟はメインディッシュを待ちきれず、すでにサラダをつついているという図である。見たところスプーンとフォークだけで、お箸すらない。
 前回は、これは朝食シーンと勘違いして食事の準備をしたスタッフのミスなんじゃないかと勝手な憶測を書いたが、それはやはり根も葉もない憶測でありました。ここにお詫びします。すみませんでした。で、改めて思うのだがこのシーンは普通に観て良いものかどうか。こうして再び観ていても「ちょっと日本の家庭の食卓の描写としてはどうなのかな」という気もするし、「案外、今ではこういう、お箸すら出てこない夜の食事って、普通なのかも知れない」という気もするのだ。つまりこの夕食の風景を、たとえば「十番中学の教室の机が全部ピンク」というのと同じような、この実写版の世界ならではの、あえてリアリズムを外した表現と受け止めるべきか、それとも普通によくある食事の場面として受け止めるべきかが、ちょっと分からないんですね。
 さて台本だとここでさっき述べた、夜の火川神社にレイを訪ねるアルテミスのシーンが入って、次に翌日のデートの待ち合わせ、と続くようだが、放送版はこの晩御飯からダイレクトに待ち合わせにつながって、デートのシーンになる。
 衛がロンドンから帰ってきて交際宣言をした二人だけれども、結局その後、ちゃんとしたデートが描かれたのは、Act.33の、例のマフラーを渡す場面と、それからこのAct.36だけだ。今回のデートは、美奈子のお見舞いを探すのが目的だ。そして二人は風景写真の本を買う「写真集なんていい思いつきだったよね。病院の景色つまんないし。美奈子ちゃん元気になってくれるといいなあ」。お見舞いに写真集を選んだのは、やはり、初めて二人のこころが触れあうきっかけとなったAct.13の想い出があるからに違いない。まだ「シン」と名乗る記憶喪失の青年だった頃のクンツァイトに、なんとか記憶を取り戻させてやろうと、うさぎは風景写真の本を買ってやることを思いつくのだが、とてもお小遣いが足りなくて買えなくて、それを見ていた衛はうさぎをバイクに乗せて、鴨川まで貝殻を拾いに行ったのだ。
 で、今回もたぶんうさぎが堅実にお小遣いを貯めていたとは思えないから、この写真集の代金はほぼ衛が出したんじゃないですかね。しかもその次に、マフラーのお返しにムーンフェイズの時計も買っちゃうのだから、けっこうな散財である。でもつき合って最初のうちはとにかく男の側の出費がかさむ。そうじゃないですか?私なんか妻と知り合ったころ、週末に会うためにどれだけ日頃の生活を切り詰めたか、なんて話は誰も聞いていないのでやめる。
 時計を買ってもらったうさぎが、ベンチで衛の肩にそっと頭をあずけるシーンは、再放送で、これが二人の最後のデートになることが分かっているだけに、観ていて切なくなってしまいます。本当はもう一回、デートはあるんだが。Act.43、想い出の鴨川のキスシーン、はしゃぐ二人を見守る四天王。そして衛の姿が消えてゆくのを見守りながら、それでも約束どおり、笑顔を絶やさないうさぎ。思い出すだけで涙が出ますね。ともかく幸せなデートは、今回のこれで最後だ。前半では何度も『オーバーレインボー・ツアー』が流れたが、ここでは『Here we go! 信じるチカラ』。この曲が本編のBGMに使われたのはこれ一回きりではなかったかな。私はこの曲を聴くと、なぜか沢井美優より安座間美優の踊りを思い出す。

4. エンディミオン、参れ!

 
 ところで鈴村演出と言えば「口元のアップ」がトレードマークということになっている。もちろんそういうふうに意識して見ていれば、確かにこれまでのエピソードでも、鈴村監督の回は、普通の演出だと目元のアップになるところが、口のアップになっている場合がしばしばあった。ただ普通に観ていてもすごく目立つというほどではなかったように思う。それが今回は「命をムダにしたくないの」と言う美奈子、「エンディミオン」と言うベリル、「四天王が待ってるよ」と言う黒木ミオと、とにかく口元のアップが妙に印象に残るのである。それは、今回のエピソードのテーマが「名前を呼ぶこと」であるのと関係しているのかも知れない。
 楽しいデートの後、衛の前に黒木ミオが現れ、断れば四天王の命がないことを仄めかして連れ去る。一方クラウンにいたうさぎはその気配を察知して飛び出して、みんなも後に続く。こうして長いクライマックスの場面に移る。セーラー戦士、地場衛、クイン・ベリル、四天王、そして黒猫と白猫、主要メンバー全員が一堂に会するのは、これが最初で最後である。そういう意味ではここ、Act.36の後半をシリーズ全編の頂点と見なす見方も成立するのだ。
 このシーンについてはこの日記第40回のなかの「4. 訂正とお詫び」にほんのちょっと触れたが、互いが互いをどのような名前で呼ぶか、というテーマが、物語の進行と画面の構図を決定づけていて、とにかく見応えがある。まず黒木ミオの消滅。かつてのベリルは、プリンセスと仲むつまじいエンディミオンを物陰から見守るしかなかった女だ。だから今、衛のことを名前で呼べないでいるうさぎ=プリンセスを尻目に、黒木ミオに「衛くん」と何度も呼ばせることで溜飲を下げているのだが、しかし前世の宿願を果たそうとするベリルにとっては、衛はあくまでも「衛くん」ではなく「エンディミオン」だ。特撮ファンにはおなじみの栃木県は岩舟山採石場まで衛を呼び出したミオは「ようやく、数十万の時を越えて、エンディミオン」と言いながら、ひとまず姿を消す。「エンディミオン」と口にした瞬間から、ミオは必要なくなるのである。
 前世でのベリルの立場を考えれば、彼女が直接「エンディミオン」なんて気安く声をかけられる立場になかったことは明らかだ。ほんとうに文字通り「ようやく、数十万の時を越えて」彼女はついに恋いこがれていたその人に「エンディミオン」と直接、呼びかけることができた。杉本彩の歓喜ほとばしる表情はさすがに見事である。
 で、そこへ先ず四人が駆けつけてから、一歩遅れてヴィーナスがやって来る。その時のヴィーナスのセリフは「ベリル、いったい何の真似?」。Act.10のラストでは、戦士たちに向かって「我が名はクイン・ベリル、闇の王国、ダーク・キングダムの女王」と名乗ったベリルだが、前世の記憶を取り戻しているヴィーナスにとっては、女王でも何でもない。だから「クイン・ベリル」とは決して呼ばない。ただのベリルだ。
 で四天王を人質に「エンディミオン参れ」という展開になる。ここから先は、じっくりワンカットごとに見ていきたいほどの名場面ぞろいなんだが、もう夜明けも近いや。それに、あっ計算したら1万字を越えてるじゃないか。


撤収だ!


というわけで、皆さんまた。これに懲りずに次回もお読みいただければ幸いです。あとは、おまけとして、プリンセスムーンの変身シーンを、大家さんの公開されたオリジナル台本(現物はここ)と、放送本編とを並べてご紹介いたします。これを見ながら「プリンセス・ムーンとは何者か」を考えるのも、テーマの一つのはずだったのだが、ま、それは今後の課題としておきます(何という終わり方だ)。

【台本】
その時、光の中でセーラームーンの姿が変わる。
光の中心にいるのは、剣を手にして目を閉じたプリンセス・セーラームーン(以下Pムーン)。
一同が驚きで見守る中、Pムーンが目を開ける。
表情はうさぎのそれではなく、毅然として強い。
そしてまっすぐベリルを見据える。

【放送】
シルバー・ミレニアムのムーンキャッスルの風景。
階段を下りるプリンセスがセーラームーンと重なる。そのまま通り抜ける。
通り抜けた瞬間プリンセス・ムーンとなり、セーラームーンの姿は消える。
祈るように両手を組み合わせるプリンセス・ムーン


【今週の猫CG】【今週の待ちなさい】なし

(放送データ「Act.36」2004年6月19日初放送 脚本:小林靖子/監督:鈴村展弘/撮影:小林元)