実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第46回】天使の降誕祭の巻(Act.29)



 前回日記にお寄せいただいた数々のコメントは、北川さんのことを考えるにあたって、たいへん参考になりました。今後の考察に活かしたいと思います。皆さんどうもありがとうございました。
 さて本日、11月10日は浜千咲さんの誕生日である。おそらく来年の今ごろには、高校を卒業して芸能界に復帰して、一気に国民的アイドルになっているだろうから、多少なりとも「私たちが祝っている」という実感をこめて祝えるのは、今年が最後だ。なんて書くとホントにそうなっているような気がしませんか?しましょうよ。夢を見るのは自由だ。
 浜千咲さん、あるいは梨華さん、お誕生日おめでとうございます。どんなふうにこの日を迎えていらっしゃるのですか。もと戦士のみなさんからお祝いのメールとか届いていますか?伏見桃山の秋も深まってきたことでしょうね。修学旅行の児童たちから今でも「あっ亜美ちゃんだ」とか声をかけられたりしますか?今回は亜美ちゃんがクラウンに帰ってきたところから始まり、マーキュリーが戦士の力に目ざめて終わるAct.29です。

1. 新たなる黒の使者、降臨


 2006年11月8日(水)。世界女子バレーボールの方は、日本はキューバを相手に最初の1セットは取ったものの逆転負けだそうで、残念でした。それでちょっとだけ放送が延長されて、予定より10分遅れの深夜2時35分、Act.29再放送スタートである。
 しかし失敗したな。私のなかでは、今回のメインはウェルカムバック・パーティーで、そしてマーキュリーが戦士の力に目ざめて、あと黒木ミオ登場もありましたね、という印象ができあがっていた。だからバースデイ記念の今回の日記はとことん浜千咲特集で、ダーブロウちゃんについては、何だったらパスしてもいいや、そのうち書けばいいもんね、という心づもりだったのである。いや「ダーブロウちゃん」なんて変かも知れないが、みなさんも初回放送当時は『天才テレビくん』のダーブロウ有紗ちゃんが帰ってきた、しっかしますます派手な顔立ちになったなあ、とか思いませんでしたか。そういう感じを思い出したくてわざと書いてみた。
 それはさておき、実際に観てみるとこれ、完全に黒木ミオのお披露目回である。「亜美ちゃん、お帰り」のパーティーはアヴァン・タイトルであっさり終わるし、それも、Act.14「明けましておめでとうパーティー」の舞原演出なんかに較べると、衣装も照明も演出もフツーで、語るべき点はほとんどない。まこととレイの衣装なんか特に地味な感じで、こういうめでたい日にはぜひ一工夫して欲しいまことの髪型も、いつもどおりのポニーテール。逆にその次に来る黒木ミオ初登場のシーンが、すっごくかっこ良かったりする。
 それから最後に披露されるマーキュリーの新しい「戦士の力」も、敵の攻撃ではね飛ばされた自分のセーラースタータンバリンを、手から牽引ビームみたいなものを放射して空中でつかまえる、という何だかよく分からないもの。そこへ現れたセーラールナがなぜか捕虫網をもっていて、そのなかに落とすという、これじゃUFOキャッチャーではないか。しかも演出がまたユルイ。激しい攻防戦のなかでタンバリンをはじき飛ばされ、でもとっさにビームを発射して狙い違わずキャッチ、みたいなスピード感があればまだしも救われたと思うのだが、戦士たちはムーンライトアトラクティブアタックの攻撃ポーズをとったところで、全員しばらくそのまま静止して、妖魔がマーキュリーのタンバリンを飛ばしてくれるのを待っているのだ。これじゃ敵がコーナーポストから飛んでくるまでマットで大の字になっているプロレスラーだよ。もっとも、このマーキュリーの力については、最後にもう一度触れたいと思うが。

2. イカタコキムチオムレツ、そして食卓の謎


 というわけで、とくに演出がどうにもパッとしないのだ。困ったね。今回の担当はこれが三巡目となる佐藤健光監督。私はこれまでけっこう評価してきたし、M14さんからも健光監督再評価運動の継続を託されている(のかな)手前、誉めたいのはやまやまなんである。がしかしこのAct.29は疑問が多いなあ。ツメの甘さが目立つのだ。
 たとえば主題歌が終わって、夜、月野家の光景。ダイニングのテレビでは「Change of Pace」をBGMに、黒木ミオの最新CMが紹介されている。「可愛いよなあ!」という進悟と、「そうお?愛野美奈子ほどじゃないでしょ」といううさぎ。キッチンから夕食の皿をもって入ってきたママが「進悟、もうちょっと見る目、養わないと、大人になって泣くわよ。この場合は美奈子が正解」と美奈子に一票、「うんうん」と頷くうさぎ、といった会話で、黒木ミオがいま、美奈子のライバルとして赤丸急上昇中の新人アイドルで、お茶の間の話題の人であることが説明される。
 問題はこの夕食のメニューが、イカタコキムチオムレツということである。ではない。そうではなくて、食卓に並べられる主菜がロールパンということである。日本の晩ご飯としていかがなものか。私が古いのかな。でもご飯じゃなくて、ロールパンだよ。
 スタッフの方に失礼な話だが、私はこれ、ひょっとすると、最初は朝のシーンのつもりで料理を用意していて、後から夜のシーンだということに気づいて、そのまま撮ってしまったのではないかなあ、なんて邪推している。これまで、主題歌が終わった後の月野家の光景といえば、登校前の朝食、ママの変なオムレツということにほぼ決まっていたし、しかも今回、次のシーンではうさぎはなるちゃんたちと登校するのであり、続いて教室、朝のホームルームで転校生の黒木ミオさんとご対面、という流れなのだ。だから脚本をさっと見て「最初の月野家のシーンは朝」と勘違いしてもおかしくはない。というかむしろ夕食シーンであることのほうが不自然なのである。
 ではなぜ夕食なのか。実はこの月野家の夕食から、登校のシーンに行く前に、場面はいったんロンドンへとスイッチする。黒木ミオなんか見たくないうさぎがリモコンでテレビのチャンネルを変えると、不意にロンドンの光景が映る。はっとして、心のなかで「あそこにいるんだよね」とつぶやくうさぎ。こうしてカメラは、雨が降るロンドンのとある下宿、ベッドで眠っている地場衛を映し出す。部屋の外からだれかが「ブレックファーストに行こうぜ」と誘い、衛は起きる。
 えーとロンドンは春から秋までサマータイムだから、時間は東京より8時間遅れ。ということは、うさぎちゃんたちの家が午後6時〜7時だとすると、そのころロンドンは午前10時〜11時か。それでお目ざめか。ちょっと遅くない?まあ、徹夜で勉強でもしていたのだろうと好意的に解釈しておく。
 それはともかく、脚本家の意図は明らかだ。うさぎたちが晩ご飯を食べているその頃、ロンドンの衛は目ざめて、これから朝食である。今の二人は、心のなかでは互いを想いながらも、そんなふうに遠く隔てられている。その距離感を時差で表現したかったのだ。だからうさぎたちの食事は夕食、衛は朝食でなくてはならない。もちろんうさぎが朝食、衛が夕食でもいいのだが、そうすると、いかにも「ここはロンドン」という雰囲気のディナーの光景を演出しなければならなくなって、手間も金もけっこうかかりそうである。
 で、いざ撮影となって、スタッフ一同、どうしよう台本に「イカタコキムチオムレツ」なんて書いてあるから朝食シーンだとばっかり思いこんでロールパン用意してたら、今日は晩メシかよ。まあいいや、晩御飯がパン食の家庭だって今の日本ならあるある。照明を落として夜っぽくして、これでやっちゃえ……なんて、本当にそんなふうに撮影が進むのかどうかは知りませんよ私は。それにけっこうみなさん「別に晩御飯でロールパンなんて、ぜんぜん普通じゃん」と思われるのかも知れない。そうであるならこの解釈はすべて撤回します。

3. I Was Born to Love You


 しかしそう勘ぐりたくなるぐらい、今回の演出はあちこちで細部の詰めがゆるいというか、アバウトなのだ。「もうちょっと考えて欲しいな」と思ったことを、あとひとつだけ挙げておく。まあこれはデータ的な意味合いもあるのだが。
 2年1組(4月になって新学期を迎えたことを暗示する描写は一切ない)の新しい転校生は、なんと売り出し中のアイドル黒木ミオだった(このシーンでヘリの音。やれやれ)。ミオがどこの出身かは知らないが、拠点を東京に移して、岩手通いの愛野美奈子に一気に差をつけようという魂胆なのであろう。違うって。
 もちろんクラス中騒然。休み時間にはみんながサイン欲しさにミオの机に集まる。それがカナミとかモモコとか、女の子たちばかりなのは正しい。男が群がると、同性からは「な〜によアイドルだと思って」と反感をかっているという意味になってしまうからね。でもサイン欲しさに周囲をうろうろしている男子が一人だけいる。我らが山本ひこえもん君である。
 担任の桜田先生がカメラを持ち出して、ミオちゃんを囲んでみんなの記念写真を撮ろうとする。うさぎの手前、遠慮していたなるも、ここまでくると我慢できず「あたしも!」とその輪の中に加わろうとする。「なによなるちゃん、愛野美奈子の方が良いって言ってたくせに」と引き止めるうさぎだが、なるは「いやー、やっぱ遠くのスターより近くのアイドルっていうかさ、ごめんね」とまったく意味不明の言い訳だ。しかしそんなことより「ちょっと隣、いいかな」と割って入るなるちゃんに、曖昧な笑顔で思いっきり場所をゆずってやるひこえもん君の純情が心に残る。遠慮してものすごく距離をとるのだ。ひこえもん君はたぶんベッチ組だと思う。
 おっとその話がしたかったのではなかった。そういうふうに、一気にクラスの女子を味方につけて、次が体育の時間で、バレーボール対抗戦が行われる。ここからいよいよ、ミオがうさぎのクラスに転校してきた理由が少しずつ明らかにされていく。ひそかにうさぎを狙い打ちするミオ。他のみんなが「ミオちゃんすご〜い」と騒ぐなか、ジャッジ役を務める亜美だけは、誰も見ていない隙を狙って、ミオがネット越しにうさぎをけりつける瞬間を目撃する、という展開である。
 ここもドラマ的には、最初のミオのアタックが、もう少し明確にうさぎを正面から狙いすましたという感じの、悪意のこもったものでなければならないと思うのだが、まあそれはいいや。問題はミオの球を受けそこなって無様にこけたうさぎが「愛野美奈子のライバルになんか負けないんだから!」と気合いを入れ直すところから入る音楽である。クイーンの『ボーン・トゥ・ラブ・ユー』だ。もともとボーカルのフレディ・マーキュリーが1985年にソロシングルとして出したテクノ調アレンジの曲だったが、フレディの死後、1995年に残されたメンバーが思いっきりクイーンっぽいコーラスと伴奏を追加録音したバージョンであり、ここではこのクイーン・バージョンがかかる。
 もちろん版権の都合上、DVDでは大島ミチルのスコアに差し替えられている。だから今回の再放送はどうなのかなと思っていたら、ちゃんとクイーンでした。ということは、おそらく東映チャンネルのオンエアも、この『ボーン・トゥ・ラブ・ユー』BGMバージョンなのであろう。
 こういうことをわざとやる場合もある。私の印象に残っている例をあげれば、ちょっと前だが2002年の秋に日本テレビ系で放送された、永瀬正敏主演『私立探偵濱マイク』第4話「サクラサクヒ」(行定勲監督)だ。クライマックスにユーミンの「春よ、来い」が流れて、これがものすごく印象的だったのだが、現在販売されているDVDでは別の音源に差し替えられているという。これは、もともと監督のイメージでは、その場面にはその曲しかない、しかし版権の都合上、ビデオ化には使えない。せめて、オンエアを観てくれるお客さんだけに、オリジナル構想通りのBGMで伝えよう、ということだった。
 音楽とは違う例で言えば、たとえば実写版セーラームーンの後番組のそのまた後番組だった『ウルトラマンマックス』第11話の冒頭で、公園の砂場で子供がガメラとゴジラのソフビ人形を戦わせて遊んでいるというシーンがあった。もちろんDVDでは削除。これについては金子修介監督が、放送前からご自身のブログで、今度のマックスでは「夢の怪獣対決」をやるけど、オンエア限りのシーンなのでみなさんぜひ生で観てください、というような宣伝活動をしていた。とにかく土曜の朝のこの時間枠は視聴率稼ぎが大変で、実写版もみなさんご存じの通りの結果だったし、その後を継いだ『ウルトラマンネクサス』に至っては、打ち切りの憂き目にあった。そこでこういう手を使ったのだろう。平成ガメラとゴジラ、どちらもやっている金子修介監督らしいアイデアではある。
 で、話を戻して、じゃあここで実写版が、あえて大島ミチルのサントラを使わず、クイーンの楽曲を使用した狙いはというと、ない。何にもない。せいぜい、ちょうどこのころフジテレビ系でやっていた『プライド』というドラマの主題歌に同じ曲が使われて有名になった、ということくらいしか思いつかない。あやかろうとしたのか。あとはイントロのシンセの音が、ちょっとヘリの音っぽい(笑)ということか。
 そういうわけで結局、このAct.29オンエア版は、ほとんど無意味なレアバージョンになってしまっている。しかしDVDしかご覧になっていないファンの皆さんは、やはり、一度は観てみたいと思うでしょうね。大したことないんですが、オタクとはそういうものである。だからこういうことは、後々のこともよーく考えて、やるんだったらそれなりに意義のあるかたちでやって欲しい。

4. 美奈子、ついに制服で登場


 と不満を書いたが、ただ今回は、黒木ミオ登場回ということもあるのだろうが、ミオと、それからダーク・キングダムの面々に関しては、けっこうきちんと描かれている。ロンドンの衛が鏡を覗くと、またゾイサイトがピアノを弾いている。そこに絡むクンツァイトが意味深なセリフを言う、なんてシーンはけっこう印象的だし、その次に、ますますベリル様に一途なジェダイトと、気持ちはエンディミオンとの再会にわくわくでジェダイトのことなんか考えちゃいないベリル様、というすれ違いなんかも、なかなか良いのだ。本当はこのへんも詳しく書きたいのだが、そろそろ先を急ぐ。
 これまでこの日記では、「それぞれの監督のお気に入りはだれか」なんてことも勝手に推測してきた。田崎監督はうさぎのパパ、舞原監督は亜美に夢中でまことも可愛い、鈴村監督はレイに夢中、高丸監督は普通に撮れば一番かわいい美奈子を普通に一番かわいく撮る、という具合だが、健光監督についてはまだ、レイと美奈子のケンカが好き、ぐらいの印象しかなかった。しかし今回を観ていると、この人、ひょっとしてダーブロウちゃんがいちばん好みなのかなあ、と思えてきたね。
 ただ、まだ黒木ミオは登場したばかりなので見極めはついていない。とりあえず、今回のミオの演出は凝っているなあ、と私が思ったいくつかのポイントから、ひとつだけ挙げておきます。それは公園のシーンだ。
 バレーの対抗試合も終わり、下校するときに、ミオはうさぎを待ち伏せして、公園に連れて行く。そしてブランコに載りながら「友だちになりたい」と言いだす。
 転校して、クラスのみんなと仲良しになれたのに、うさぎちゃんだけは私に冷たい。友だちになりたい。そういう口実でうさぎに接近するわけである。それで困ってしまったうさぎは「ごめん、私、愛野美奈子のファンだから、つい対抗しちゃって……。でも、クラスメイトだもんね、やっぱり友だちだよ」と言ってしまって、心のなかで美奈子に謝る。
 さて、このときもちろんうさぎは学校帰りだから制服なのだが、ミオはすでに私服に着替えている。しかも帽子にサングラス。つまりいかにも、これからお仕事に行く芸能人という格好だ。
 このミオの私服には二つほど意味があると思う。ひとつは、この場面の直前に、制服を着たまま番組収録のスタジオに駆けつける美奈子のシーンが入っていることと関係する。ようやく美奈子の制服姿の登場であるが、つまり美奈子は学校生活もちゃんと大切にして、芸能界のお仕事と両立させているよ、ということを示している。それに対してミオは、学校ではみんなと友だちの普通の中学生、というふうを装っているけれども、授業が終わればさっさと私服に着替えている。つまり「お友だち」は見せかけに過ぎない、中身はけっこうお高くとまったアイドルだ、という意味なんだろう。
 もうひとつはうさぎに対するプレッシャーだ。私服に着替えてみせることで、私は本当は、学校が終わったらすぐにお仕事にいかなくちゃならないくらい忙しい芸能人なんだ、だけどうさぎちゃんと友だちになりたいから、わざわざこうして時間を作っているのよ、という無言の圧力をかけているわけだ。
 この場面はなんで私服なんだろう、と前から疑問だった私だが、今回じっくり観てみて、だいたいそういう意味なのだろうな、と思った。しかしこれ、凝った演出をしているのでよく考えて初めて分かるということなのか、それともただの説明不足なのか。う〜ん。

5. マーキュリー開眼に剣豪の面影を見た


 というわけで、戦士の面々についてあまり書けないまま終わりそうだ。ぼちぼち手首が痛くなってきたので、あとはもうどうしても書きたいことだけ、箇条書きでまとめます。もちろん箇条書きと言っても、sakuraさんみたいにスッキリとはまとまらないが。

  • 年間パスポートを使ってクラウンに入りたいルナと「ちっちゃい子は一人じゃだめ」と突っぱねる元基。そこへまことがやって来て、ルナの願いを叶えてやって「元基君ごめんね」。こういう心遣いと笑顔、いいですねまこちゃん。この一言でメロメロになる元基の気持ちがよーく分かります。
  • 「黒木ミオには何かイヤな予感がする」という美奈子のメッセージを伝えにクラウンにやって来るパシリのアルテミス。ここで、美奈子がヴィーナスだということを亜美が知って、うさぎ以外の戦士全員の共通の知識となる。でも美奈子ファンのうさぎがそれを知ったら大変なことになるから、しばらくは言わないでおこう、とみんなで示し合わせる。これは「お姫様あつかいはしないけど、でもプリンセス」という、うさぎの特別な立場を確保するための補助線だと思う。つまり「このことだけは、姫のお耳には入れず、我ら忠臣の腹に収めておこう」というわけだ。これによって(1)姫と忠臣たち、という関係が明確になる、(2)でも姫の言いなりになるということでもなく、情報をコントロールし、姫を保護する、という立場をとることで、ある意味の平等な関係を保てる、という効果がある。この関係はAct.35の最後に、ヴィーナス自身がコンサートチケット(チケットぴあの封筒入り)をセーラームーンに手渡すことで終わる。どうしてかというと次のAct.36でセーラームーンはプリンセス・セーラームーンに変身し、姫と臣下たちの関係がまた新しい局面に入るからである。
  • Act.5のクライマックス、心を空にし、水と一体化してポヨン妖魔の所在をつきとめたマーキュリーを見たとき、私はブルース・リーが生前、武道の極意をよく「水になることだ」という喩えで説明していたのを思い出した「水には決まったかたちがない。コップに入れればコップに、瓶に入れたら瓶になる。スムースに流れることもできれば、硬い岩を穿つこともできる」。でこの言葉の元ネタは、さらに宮本武蔵の『五輪書』「水の巻」まで遡れるんだそうだ。「水を本として心を水になすなり、水は方円の器に従ひ一滴となり滄海となる」なんてね。でもブルース・リーは本当に『五輪書』を読んだのかなあ。ていうか、小林靖子はこのどちらかに影響を受けたのだろうか。と思っていたら、今回、Act.29では、亜美たちはクラウンで、箸で蝿をつまむ特訓をしている。いや蝿ではないのだが、これはもう宮本武蔵としか考えられない。そしてそれがラストでマーキュリーが発揮する、戦士の新たな力の伏線となっている。マンガやアニメでは、戦闘能力が低いぶん、参謀としての能力を期待されていたマーキュリーだが、実写版ではあくまで戦士の一人だ。その戦士としての亜美の極意は、パワーファイターではなく、しなやかに臨機応変に、そして鋭くピンポイントで敵を撃つ、スナイパー的計算力と狙撃力にあり、その原点は宮本武蔵だったのである。違うかな。

 だいたい以上でございます。

6. さよなら亜美ちゃん


 再放送がAct.29を迎えたこのタイミングで千咲さんの誕生日がやってきたということに、私はちょっと感慨をいだいている。Act.28で、実写版の亜美ちゃんの物語は完結を迎えた。あとはあのAct.34があるだけだ。「木馬遊園地」で天使の羽をつけてはしゃぐ亜美、そんな幼いころの写真をママがしみじみ眺めているとき、クラウンでレイと眠ってしまった亜美のうえに天使の羽が舞い降りるという、あの印象的なショットを収めたエピソードが。
 もちろん、これまで何度か書いたように、元基のもとに転がり込んだネフライトとのエピソード、その意味するところは何だったのかを、これから改めて追っていきたいとは思っている。しかしおそらく、千咲さん自身のうちにも、もうこの段階で自分の「水野亜美」を演じきった、という手ごたえはあったのではないだろうか。そういう意味でAct.29以降は、亜美の物語としては緩やかなエピローグなのである。これから先も浜千咲は、前半のエピソードで完成させた、実写版ならではの「水野亜美」像をイメージどおりに演じて見せるだろう。でもそれはファンの拍手に応えたカーテンコールだ。あの悩み苦しみながら少しずつ変わっていった「亜美ちゃん」はもう終わったのだ。
 そして次に来るべきものは、水野亜美ではない浜千咲の第2ステージだったはずだ。しかしその段階でほとんど時が止まったまま、彼女は放送終了後3回目の誕生日を迎えて、18歳になった。
 でもね、まだやっと18歳ですからね。私は期待と不安を胸にいまも待ち続けている。いや私だけではなくて、みんな。


【今週の猫CG】なし
【今週の待ちなさい】Cパート始めの方(7時52分)セーラーマーズ。対妖魔
(いまさらですが、M14さんの言葉を真に受けて始めちゃいますよ)


(放送データ「Act.29」2004年5月1日初放送 脚本:小林靖子/監督:佐藤健光/撮影:松村文雄)