実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第47回】晴れのちブルーボーイの巻


 今シーズン注目のテレビドラマ、フジ(CX)系の『のだめカンタービレ』であるが、私、帰宅も遅くて、これまで視聴する機会に恵まれず、今夜ようやく観ることができました。わずか1回で感想を言うのもなんですが、非常に良いですね。快調。ギャグとシリアスのバランスも素晴らしい。
 で、観たのはこれが初めてなんだけど、視聴率のことは前から気になっていました。20%の大台には至らず、16%から18%の間をうろうろしている。これ「月9」としてはどうなのかなあ、とも思っていたが、今シーズンのドラマのなかでは健闘している方だそうで、ひとまずホッと胸をなで下ろしている次第です。ともかく、実写版セーラームーンを愛好する者として、『のだめ』には視聴率的にもぜひ頑張っていただきたい。でもそれ、どう関係があるの?というのが今回のお題。と書いただけで、だいたい私の言いたいことが分かってしまった方もおられるとは思うが。

 

 

 二ノ宮知子が『kiss』(講談社)に連載している漫画『のだめカンタービレ』は、もともと昨年秋にTBSで連続ドラマとして放映される予定だった。ところが撮影開始の直前になって原作者がドラマ化を拒否したため、すべては白紙に戻る。で、急遽プロデューサーを代えて立ち上げられた企画が『花より男子』で、これがまずまずの好評を博したおかげでとりあえず万事まるく納まった(のか?)という顛末は、ネット上でもいろいろ話題になったのでご存知の方も多いでしょう。
 この拒否の理由だが、ひとつは脚本の内容が原作とかけ離れていたこと、もうひとつは、千秋役を演ずる予定だった岡田准一君の所属する某人気グループ(笑)が主題歌を歌うという条件だったという。主役はあくまで「のだめ」で、千秋を主役にするような脚本はダメ、それから音楽はぜんぶクラシックで、というのが原作者二ノ宮さんの要望だったわけだ。どちらも、まあ分かる話である。分からないのは、なぜそういう騒動が、撮影直前のぎりぎりの時点で起こったのか、ということだけだ。
 これについては、岡田君の所属する某大手事務所(笑)が、土壇場で「脚本をうちのタレント中心の話に変えろ」「主題歌を入れろ」とムリヤリねじ込んだせいだ、なんてウワサも流れていたが、この記事なんかを読んだ限りでは、どうもそうではなくて、番組プロデューサーが、事前にそういう話をきちんと原作者サイドにしておかなかったのが原因だったようだ。要するに「自分の漫画が人気タレント主演でドラマ化してもらえるんだから、細かいことをごちゃごちゃ言わんだろう」と原作者をなめてかかっていたのではないだろうか。ありそうな話である。
 まあともかく、そういうわけで今回のフジテレビ版は、原作のテイストに忠実な脚本、音楽はクラシックのみ、そしてジャニーズ(書いちゃった)のタレントは一人も起用しない、というふうに、問題となったポイントをすべてクリアしてドラマ化にあたっている。フジもやればできるじゃん。
 それでもよくOKをもらえたなあと思う。何しろほんの一年前にトラブルがあったばかりなんだよ。しかもその経緯から、原作者は、月9でドラマになるなんてことで浮かれる安直な人じゃなくて、自分の作品をすごく大事にしていることが分かる。「もうドラマ化の話はこりごりです」とあっさり門前払いを食わせたって不思議じゃなかったはずだ。そう考えると、今回のドラマ化がスムースに行った一番の原因は、やはり上野樹里にあるような気がする。
 TBSでのドラマ化の段階から、主役の「のだめ」は上野樹里ということで決まっていた。しかしそれがつぶれて、代わりに放送された『花より男子』に彼女は出演していない。つまり上野樹里は、せっかくの主演の機会を、寸前でおじゃんにされてしまったわけで、原作者にも、そのことへの寝覚めの悪さというか、申し訳ないという気持ちはあっただろう。だからもういちど上野樹里の主演でやるという話に、慎重にではあるが前向きに取り組んだ、そうとも考えられる。でもそれ以前の話として、上野樹里ならのだめを演ってもいい、というかこの人ならイメージにぴったりだ、この人しかいない、という原作者の意向があったのではないか。つまり初めに上野樹里ありき。そうでなければ、他局で流れた企画が、同じ主演で一年後に復活ということなんて、そんなにないと思うのだ。そして実際、今回を観た限りでは、これは確かに彼女が主演でなければ、ここまで優れたものにはならない話である。

 

 

 原作ものの映画化やドラマ化の場合、だれもが最初に気にするのがキャスティングだ。これがまるで見当はずれだと、いくら原作どおりの脚本でも、雰囲気がぜんぜん違ってしまったりする。逆にイメージにぴたりとはまると、かなり脚色されていても、原作ファンも楽しめたりする。もちろん原作に対するスタッフの敬意とか、脚色の手腕とか、そういう問題も色々あるが、やはり主役のイメージというのは、かなり大きな要素だと思う。
 その意味では、原作者が「この人なら」という提案をしてきた場合には、極力それを尊重する、というのが、プロデューサー側の正しい態度ではないだろうか。そもそも漫画原作をドラマ化するのは、それがヒット作品で、原作のファンを取り込めるという計算が成り立つからなんじゃないのか。その場合、やはり原作者が太鼓判を押す人は、確かにそれなりの雰囲気をもっていることが多いと思うのである。そこを無視して、人気のある原作プラス人気アイドル主演で、視聴率や観客動員数を倍にしようという浅はかな考えにおちいると、結局どちらのファンからも「イメージが違う」とそっぽを向かれることになる。
 今回の『のだめカンタービレ』が、原作者のイメージどおりのキャスティングが、視聴率にもまずまずの結果として反映されるという、幸福な例になってくれればいいと思う。この調子で20%めざして頑張ってください。
 と応援したくなるくらい「原作者の意向を尊重した映像化」という言葉は、さまざまな不幸を我々の記憶に甦らせるのである。

 

 

 実写版セーラームーンはそもそも、『ピンチランナー』(2000年)の那須博之監督が、これに続く東映制作「モーニング娘。」主演の劇場公開映画として出したアイデアだったと聞く。セーラームーン大好きで有名な後藤真希なんかは大いに乗り気だったらしいが、しかしこの企画は原作者の武内直子にあっさり拒否される。その気持ちは分かりますね。モー娘。がセーラームーンをやったら、それは「モー娘。のせらむん」であって『美少女戦士セーラームーン』ではなくなるだろう。そして私もそれでよかったと思う。もし「モー娘。のセーラームーン」が実現していたら、私はいい歳して「セラヲタ」であるばかりでなく「モーヲタ」にまでなってしまうという十字架を背負って、残りの人生を生きていく羽目になっただろう。
 で、もともと仮面ライダーみたいな変身ものを少女漫画でやりたくてセーラームーンを描いたという原作者の提案にそって、企画は急遽テレビ版へとシフトする。この段階で那須監督はスタッフから外れ、代わりに、ということなのか、同じく人気マンガ=アニメのヒット作実写化の企画である劇場版『デビルマン』(2004年)に回った、ということであるが、そんなチマタのウワサを裏付ける確たるデータはまるでない(おいおい)。以上は、ネットに出回った間接的な情報でしかない。けれども、2005年の初めに那須監督が亡くなったとき、白倉プロデューサーがご自身のブログに記した「那須監督なかりせば、『セーラームーン』を実写で、という発想はなかった」という証言とか(ご存知でしょうが、今もここで読めます)、そのほか大体の状況から判断して、このウワサ話はかなり事実を伝えているのではないかと、私は思っております。
 しかし本音のところでは、やはり東映は「劇場版」が欲しかったのではないか、とも思う。東宝が、毎年、年末には翌年一年分の公開スケジュールをどーんと発表するのに較べて、東映は、年明け段階ではせいぜい夏休みの「仮面ライダー・戦隊もの二本立て」くらいまでしかラインナップが決まっていないのが常で、最近は12月に「プリキュア」が入ったりもするが、秋はがら空きなのだ(今年の秋は『スケバン刑事』と、某宗教団体の幸福なアニメであった)。ここを確実に埋めるコンテンツが欲しい。だからあのセーラームーンを実写で復活、そして番組がクライマックスを迎える2004年秋にその劇場版を上映、という腹だったのではないだろうか。ところが結果は、視聴率的に大苦戦。でもコアなファン層はついたので、劇場版の予定は、本編終了後のオリジナル・ビデオ制作まで規模縮小のうえ実現された。言っておきますが、これはネットに流れた噂ですらない。ぜんぶ私の憶測ですからね。そう考えないと、『Special Act』『Act. Zero』と2本もオリジナル・ビデオが作られた背景が分からないというだけの話なのだ。それからあややさんの『スケバン刑事』も、おそらく本来の「モー娘。劇場版。人気少女漫画リメイク」構想が、ヒット作『バトルロワイヤル』に続く十代向け作品を、という流れと合流して生まれた作品であろうと思う。
 まあそれはともかく、このようにセーラームーン実写版の企画は、何よりも原作者の意向を尊重するという方針で進められた。アニメ版では自分の意見を受け入れてもらえず、様々な悔いを残した武内先生は、今回は、もう自分のイメージどおりにならないのなら、実写化そのものを拒否するくらいの決然とした態度で臨み、セーラームーンのブランドが欲しかった東映は、それをほぼ全面的に受け入れざるを得なかった。しつこいようだが、この段落も勝手な憶測。

 

 

 だからキャスティングについても、原作者の意見が通ったのだと思う。かつてネットに出回った噂では、オーディションでほとんどのスタッフが月野うさぎ役に沼尻エリカを推した(という説を読んだことがあるのだが、おそらく「沢尻エリカ」の誤記だろうと思う)にもかかわらず、武内直子は頑として聞き入れず、沢井美優しかいないと主張し続けてとうとう通してしまったという。そして武内直子自身がそういう話は認めていて、どのエリカだか名前は出していないけど、周囲の推薦した他の候補者を斥け、ほとんど原作者特権で沢井美優を推したと、かつてセーラームーンチャンネルで語っていたから間違いない。結論から言えば、それで大正解だったわけだ。
 改めて言うまでもないが、小林靖子が書いた実写版の脚本は、実は原作をかなり深く読み込んだ上で、独自に再構築したものであり、その意味では制作者の言っていた「原作に基づく再映像化」という謳い文句にウソはない。けれども表面的には、美奈子の設定を始め、かなり大胆な変更が加えられている。それでも一見して「これは原作の雰囲気をきちんとつかんだセーラームーンだな」ということが分かるのは、沢井美優のおかげだ。沢井美優は天性の月野うさぎである。何しろうさぎ役に決まる以前から「自分を動物に例えると?」という質問に「うさぎ」と答えている人だ(ここ)。あ、でもこれ2003年8月か。ならもうセーラームーン役は決まっているころだな。ということは、ここでさりげなく自分の次の出演作を暗示しているわけか。そう思うと感慨もひとしおである。
 いやそうではなくて、アイスクリーム好きなところも、声の高さも(原作の最初の方では、セーラームーンは妖魔に襲われて泣き出すことが多いのだが、実はそれが超音波で妖魔を撃退するのである)、そして周囲を明るく照らし出す魅力も、と挙げていったらきりがないが、とにかくこの人はうさぎちゃんなのだ。そして他のスタッフが惑わされているなか、それを見抜いたのは原作者だった。このことだけでも、武内直子が実写版の制作に口うるさくかかわった(推定)甲斐はあるというものだ。
 そして視聴率的にも健闘した、ということになれば世の中万々歳だったのだが、現実は厳しい。結果はみなさんご存知のとおりである。ただ実写版セーラームーンの不幸は、そういう数字的なことよりも、むしろ従来のファンからも批判を浴びてしまったという点にあると思う。
 たとえば今回の実写版『のだめカンタービレ』がもし数字的に惨敗だったとすれば、制作現場では、わがままを言った原作者の独断のせいだとか、そういう批判の声は上がるかも知れない。しかし原作ファンの多くは、むしろ原作者を支持する側に回ると思うのだ。ところが実写版セーラームーンの場合はその逆なのだ。制作サイドから「武内先生があれこれうるさかったので失敗した」なんて告発を漏れ聞いたことはないし、むしろ「数字は思うように取れなかったが、良い作品だった」と現場はみんな言っている。まあ社交辞令もあるだろうが、しかし私としては信じたい。で、批判は逆にファンの側から出てきたのだ。しかもアニメの。実際、これまで紹介してきたウワサの数々は、だいたい実写版の放送当初のころに某巨大掲示板などで見たものだが、それらはほとんど「原作者が余計な口出しをしたためにアニメのセーラームーンとは似ても似つかぬつまらないものになってしまった。だから視聴率も低い。ザマミロ」というニュアンスで語られていた。沼尻某の話だって、趣旨は「沢井美優よりこっちのうさぎちゃんの方が良かったのにね」という内容だった。
 つまりセーラームーンには「アンチ原作派」という奇妙な存在がいる。これは大ヒットしたアニメ版が、原作とはだいぶ違うテイストだったことの必然的な結果と思われているが、必ずしもそればかりではない。原作とその映像化作品の雰囲気がだいぶ異なっていて、しかも映像化の方が人気が出て、広く知られてしまった、というケースは他にもあるが「アンチ原作派」なんて滅多に聞かない。『カリオストロの城』をこよなく愛する人が、モンキー・パンチの漫画を「こんなのはルパンじゃない」と全否定し、執拗に批判するなどということが、ありうるだろうか。ふつうは、そんなに好きじゃなくても、原作には一応の敬意を表するものなのだ。ではなぜセーラームーンにだけは「アンチ原作派」がいるのか。その理由については、今は長くなるので省略する。次の再放送レビューの後ぐらいに書いてみようかと思う。
 ともかく、幅広いアニメ版セーラームーンファンの一部に「アンチ原作派」がいて、しかもその勢力は、原作ファンを明らかに越えていた。「原作に基づく」と謳ったことで、その層を敵に回してしまったことが、視聴率的なことよりも何よりも、実写版の最大の不幸だったと私は思っている。実は私も、放送開始当初は某掲示板で「アニメと違う!」と大騒ぎの皆さんに、「実はこの設定は原作のこういうところをうまく活用していて…」などと説明して、「だからダメなんだ」と嘲笑されて最初よく分からなかったりしたものだ。原作=ダメという方程式があるのだ。そして私は間もなく、ネットでセーラームーン関係の記事を検索したり掲示板に書き込んだりすることを完全に止めてしまった。その期間はけっこう長かった。

 

 

 だからAct.29で「黒木ミオ」が登場したときには頭を抱えてしまった。実写版の放送中も、セーラームーンミュージカルは続いていた。しかし、いくらセラミュの歴史が、あるいは当時4代目セーラームーンだった黒木マリナのキャリアの方が長い(2001年夏公演から2005年正月公演まで、年齢的には12歳から16歳までの足かけ5年間である)とはいえ、やはりテレビと舞台では、知名度に格段の差がある。2004年正月『火球王妃降臨』の公演案内には、たしか「出演者はテレビ版とは違います」という断り書きがあった。先輩なのに、ある意味バッタもん扱いである。それでもミュージカル制作陣の態度は立派だった。パンフレットにはプロデューサーによる「実写版のファンの方にも楽しんでいただければ」というようなコメントが載ったりして、スタッフもキャストも、テレビと舞台、違うメディアで、それぞれのかたちでセーラームーン世界の魅力を知ってもらえればいい、という感じで、実に度量の広いところを見せてくれた。
 ところがそんなエールに実写版はどのように答えたか。あからさまに黒木マリナを連想させる名前の「黒木ミオ」という悪役を登場させたのである。たいして意識していなかったとも思うが、それにしても誰かが気づいて止めるべきだった。これはもう、ミュージカルに対する悪意ある挑発と取られても仕方がない。
 私は暗鬱たる気分だった。セラミュファンのなかには当初、実写版に好意的な人、アニメよりな人、双方入り混じっていた感じだったのだが、これでまた新たな敵をつくってしまったように思えた。でも本当のところ「黒木ミオ」に対するネット上の反応がどうだったのか、当時はそういうことを検索しないようにしていたので、私は知らない。あるいは、もうAct.29だったし、実写版が嫌いな人はとっくに観なくなっていて、話題にもならなかったのかも知れない。そうであってくれればいいと今でも思っている。

 

 えーと、ようやく『のだめカンタービレ』を観ることができたので、それにちなんで雑談でもと思って書き始めたら、話がどんどん暗くなって、一気にここまで書いてしまいました。「黒木ミオ」のことを前回書こうか書くまいか迷って、でも浜さんの誕生日祝いだし、やめておいた。結局そのことが心にひっかかっていたのだと思う。今日はこれまで。なんだか変な話になってすみません。