実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第1002回】香の告白の巻(北川景子 連続ドラマW 湊かなえ「落日」13 )


 つい数日前まで何もなかったのに、ここへ来て勃発した花粉症に苦しむ私であるが、それとは全く関係なく、小松彩夏は陸前高田市の「いちごパークせせらぎファーム」で、いちご狩りである。



 ベビーカーで行ったらしい。お子さんもお元気そうで何より。
 さて連続ドラマW 湊かなえ「落日」DVDビデオを鑑賞しながらのレビューもいよいよ第3話である(2023年9月24日放送、全4話/原作:湊かなえ/脚本:篠崎絵里子/照明:井上真吾/撮影:伊藤麻樹/監督:内田英治/チーフプロデューサー:青木泰憲/制作:WOWOW)。



 この作品、けっこうあちこちのサブスク配信プラットフォームで視聴可能になったようなので、この第3話のレビューを終えたら、当ブログでの紹介は終わりとする。あとは実際の作品をお楽しみ下さい。ちなみに、これまでのレビューも、基本的には北川景子さん出演シーンに絞って紹介しており(それもちょっと意図的に省略している場面がある)、吉岡里帆さんのパートを含め、第1話から楽しんでご覧いただけるよう配慮はしているつもりです。



 香 「私ね、人を殺したの」


 ……と、前回はそんなインパクトのある引きで終わっていましたね。というわけで続く第3話は、香(北川景子)が少女時代、「人を殺した」ことを真尋(吉岡里帆)に告白するところから始まる。



真 尋「人を殺した……」



 香 「私の周りで、人が二人死んだの」



 香 「一人は父親。私が5歳の頃」



 香 「あのアパートで、毎日毎日母親に責められて」

 幼少時代の香を演じた子役は児玉すみれ、壊れてしまった母親は真飛聖、お母さんをおさえられない父親は夙川アトム。このあたりまでは以前にも紹介したが、今回さらに、中学時代の香(中島もも)も登場する……えっ、中島ももはもう20代ではなかったか?(笑)



真 理「もう、ねえ、頑張って東京勤務になるって言ったでしょ!」



真 理「もっと頑張ってよ。もっともっと、もっと」



真 理「ねえ、聞いてんのあなた。何とか言いなさい」



真 理「よ、もう、やってらんないわよもう」



 母 「あなた!」




 香 「お父さん、どこへ行くの?」




裕 貴「映画を観てくるよ」



真 尋「映画」



 香 「そう、好きだったの。よく一人で観に行ってた」



 香 「ほら、あの喫茶店の隣の映画館」



 香 「父が唯一、生きる気力を取り戻せる場所」



 香 「でも、その日は駄目だったみたい」



 香 「映画を観て、その帰りに崖に飛び込んで自殺しちゃった」


 う〜ん。このときお父さんが観にいったのは『スター・ウォーズ』オリジナル3部作の一挙再上映だったらしいのだ。あらためて言うのも野暮だが、『スター・ウォーズ』は1977年から1983年にかけて、最初の3部作が制作された。この時点でジョージ・ルーカスは、シリーズが全9作からなる構想で、オリジナル3部作はそのなかのエピソード4・5・6であることを公表している。けれどもその後、1987年に奥さんと離婚したあたりから、ルーカスはいろいろやる気をなくしてしまい、1990年頃には、もう『スター・ウォーズ』の続きを作るつもりもない、と言うようになった。でも1993年になると、盟友スピルバーグが撮った『ジュラシック・パーク』のCG技術に刺激を受け、続編制作に再び意欲を見せ始めた、という報道があり、実際1994年には新作の脚本を書き始めている。そして1997年に、オリジナル3部作をデジタル復元のうえ新たに加工した「特別編」が公開され、さらに1999年には16年ぶりの新作(オリジナル3部作の前日譚)『エピソード1/ファントム・メナス』が公開される。



 香によれば、お父さんは『スター・ウォーズ』が好きで、リバイバル上映を観に行ったんだけど、それでも、お母さんのもとに戻って頑張る気力を取り戻せず、崖から飛び降りて自殺したのだという。さらに香は、もしルーカスがシリーズ新作に取り組み始めたことを知っていれば、それを観るために自殺も思いとどまったのではないか、とも思っている。つまりお父さんが亡くなったのは、映画ファンが『スター・ウォーズ』再始動の噂を聞きつけたか聞きつけなかったかぐらいの微妙な次期、1993年のいつかということになる。では1993年に『スター・ウォーズ』トリロジーのリバイバル上映があったかどうかという野暮なことは、この際、言いっこなしにしよう。映画館の看板ははっきり読み取れないが、どうも3作目のタイトルが『ジェダイの帰還』になっているように見える事実にも目をつぶっておく(3作目の日本公開タイトルは『ジェダイの復讐』で、2004年のDVDボックス発売の際『ジェダイの帰還』に改められた)。



 ともかく1993年である。香はまだ小学校入学前なのにお母さんから小学生のドリルをやらされていて、出来ないときは罰としてベランダに出されて、お隣の立石力輝斗にはげまされていた。ということは、香は1987年くらいの生まれで、原作小説が出版された2019年を物語の「現在」と考えれば、32歳ぐらいである。まさに新進気鋭の映画作家だ。香と幼稚園が一緒だったという真尋の姉の千穂も同い齢で、15年前の2004年、高校1年生の時、交通事故で亡くなっている。その同じ年に「笹塚町一家殺害事件」も起こった。真尋は千穂の4歳下ということだから、1991年くらいの生まれかな。そうすると2019年現在で28歳。原作小説の冒頭に「もう30になろうとしているのに」とあるのとも、まあまあ一致する。
 すみません、私の頭のなかの整理作業にお付き合いさせてしまいました。



真 尋「でもそれは監督が殺したわけじゃないですよね」



 香 「うん、父はね。私が関係しているのは、もう一人のほう」



 香 「父が死んだ後、母の気持ちが壊れちゃってね」



真 理「ねえ、私がいけないの?私が頑張れって言ったから?」



真 理「だってあなたが言ったんじゃないの『君の理想を叶えるように頑張る』って」



祖 母「なにやってんの、これは香よ、裕貴さんじゃないんだから」



真 理「何とか言いなさいよ、ほら」



 香 「結局、母とは住めなくなって、横浜の父の実家に引き取られたの」



 香 「そこで私は中学生になった。」



先 生「細胞には、核を持つ真核細胞と、核を持たない原核細胞があります」



先 生「動物や植物など真核細胞からなる生物を真核生物と言って、大腸菌やシアノバクテリアなど、原核細胞からなる生物を原核生物と言います」



先 生「この二つの図が植物細胞と動物細胞です」


 なんて、あからさまにイジメが行われているのに、先生も(たぶん)見て見ぬふりをしていて、時おり「はい静かに」と注意する程度である。



 男子生徒たちの下山君(萩原護)への虐待は次第にエスカレートする。ある日、あまりにひどい仕打ちを見かねた香は、手足をガムテープで巻かれてもがく下山君に駆け寄る。



 香 「大丈夫?」



 香 「保健室、手伝って」



 香 「手伝って、早く、手首取って」



 香 「支えて」



 香 「正義感とか、別にそういうことじゃないの。私自身が昔、力輝斗に助けられたから、そういう人間になりたいと思って」



 香 「でもそれが裏目に出ちゃった」


 ここから、下山君に映画に誘われ、断ったところを勢いあまって乱暴されそうになり、逃げ出すところまでは、(このレビューでは省略したが)長谷部香監督『一時間後』の第3エピソードとセリフもほぼ同一である。しかし映画では描かれなかった重い後日談が続く。



 香 「相談って何?」



下 山「あの、夏休みに、映画行かない……かな」



 香 「え?」



男子生徒「映画が好きだって言っていたから、へへへ」



 香 「ごめん無理。勉強があるし」



下 山「一回だけ、一回だけキス」



下 山(押し倒す)



下 山(乱暴に胸をつかむ)



 香 (かばんで叩いて逃れる)



下 山「ううっ」



 香 「気持ち悪い。臭いし気持ち悪い」



 香 「その夜、下山君は首を吊って自殺したの。自分の部屋で」



先 生「延宝三年、1675年頃から江戸の俳壇で頭角を現し」



先 生「やがて俳諧師としての地位を確立しました」



下山の母「長谷部香はどの娘?」



下山の母「どうして映画くらい行ってあげなかったのよ」



下山の母「あの子に優しくしてあげたんでしょ」



下山の母「気を持たせるようなことをしたの、そっちじゃないのよ」



下山の母「あなたのせいであの子は死んだのよ!」
先 生「下山さん、落ち着いてください」



下山の母「人殺し、人殺し!」



真 尋「その話って、監督のあの映画の三つ目のエピソードですか?」



 香 「そう。男の子を自殺に追いやった女子中学生は私のこと。自己満足で優しくしておいて、あんなふうに罵って、傷つけて、それから学校にも行けなくなって、私自身も死のうと思ったりしてね」

 
 原作小説はもっとシビアである。香は「下山に触られた部分をすべて刃物で切り落としてしまいたいほどに」ショックを受けていた。当然である。ところが下山が自殺すると、担任の先生は、香を呼び出して、ほんとうにキスをされただけなのか、自殺するくらいのことだから、実際にはレイプに近いことをされたのではないか、などと詰問するのだ。それで香が、キスをされかけただけで、そこで突き飛ばして逃げたと話すと、今度はまるで、香が突き飛ばしたことが原因で、下山が自殺に追い込まれたかのような非難まで浴びせるのである。一方で、もともと下山をいじめていた男子学生たちは、呼び出されることもなく終わる。あげくのはてに、下山の母親(ドラマでは島田桃依が演じている)になじられ「あなた、自己満足のために、息子をかばってただけじゃないの」とまで言われるのである。この理不尽さが湊かなえらしいというか、ちょっと読んでいても堪え難い。
 それで香自身も死のうと思うほど追いつめられる。でもこのとき彼女は、錯乱した母のもとを離れ、父方の祖母のもとで育てられていた。もしここで香が死んだら、祖母にとっては息子(香の父)に続いて孫娘(香)も自殺することになる。祖母の気持ちを思って、香は自殺を思いとどまる。
 すみません、ドラマに戻ります。香の独白の続き。




 香 「下山君の家に謝りに行けたのは、大人になって何年も経ってから」



下山の姉「はい」



 香 「御無沙汰してます。長谷部です」



下山の母「帰って!」
下山の姉「母さん」



下山の母「帰って!」
 香 「あの、お話だけでも」



下山の母「帰って帰って帰って帰って帰って」



下山の姉「お母さん」



下山の母「帰れよ、帰れ!」


╳    ╳    ╳



下山の姉「長谷部さん」



下山の姉「すいませんでした」



 香 「いえ、当然です」
下山の姉「そうじゃないんです」



下山の姉「……弟の遺書です。当時ご覧になったかも知れませんけど」
 香 「内容だけ聞きました」



下 山(長谷部香さん、許してください)
下山の姉「本当はここにもう一枚あったんです」



 香 「え?」



下山の姉(隠していた一枚を差し出す)



下 山(こんな自分じゃお母さんに申し訳ないから死にます。今まで育ててくれてありがとう。お母さんごめんなさい)



下 山(お母さんごめんなさい。お母さんごめんなさい。お母さんごめんなさい。お母さんごめんなさい。お母さんごめんなさい。お母さんごめんなさい)



下 山(お母さんごめんなさい。お母さんごめんなさい。お母さんごめんなさい。お母さんごめんなさい。お母さんごめんなさい)



下山の姉「弟が自殺したのは、母のせいなんです」



下山の姉「母は世間で言う毒親なのかも知れません。ああいう母だから、弟のした事を知ったらどうなるか分からないと思って……あなたのせいじゃないんです」



下山の姉「でも、母がそれを知ったら、母がその遺書を見たら、今度は母が死にます。だからこのページを私が破りました」



下山の姉「あなたへの憎しみが原動力でもいいから、母に生きていてもらいたくて」



下山の姉「本当にごめんなさい」



下山の姉「今では後悔しています。弟の最後の思いを、母に伝えればよかった。本当にごめんなさい」



下山の姉「ごめんなさい」



下山の姉「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 香の口癖「ごめんなさい」は、下山が遺書に書いた「ごめんなさい」であり、下山の姉(金野美穂)が香に言った「ごめんなさい」である。なんというか、真実が明らかになるときの呪文というか、キーワードなのだ。真尋が「監督はごめんなさい、ごめんなさいと言いながら他人のプライバシーに踏み込んでくる」というのも、もっともな話である。ともあれ、このことがきっかけで、香は映画監督になった。



真 尋「この映画のラストシーンは、そういう意味だったんですね」



 香 「私のせいじゃないと言われても、そうは思えなかった。きっかけを作ったのは私なんだから」



 香 「どう考えれば良いか、分からなくなって、映画にしたの」



 香 「フィクションに落とし込んで、客観的に向かい合うために」



 香 「下山君のお宅に五年間通って、映画にする許可を貰って、それでやっと私なりに昇華できたの」



真 尋「力輝斗の事件も、だから映画にしようとしているんですか?」



 香 「下山君のことに整理をつけて、次に知りたいと思ったのは、沙良さんのことだったから」



 香 「沙良さんが亡くなったって知ってから、ずっと、私だけが生き残ったっていう、罪悪感があったの」



 香 「だから、どうして沙良さんが死んだのか、どうしても知りたかった」



 香 「知れば前に進めるから」



 香 「真尋さんもそうじゃない?」



 香 「お姉さんのこと、知らなければ良かったって言ってたけど、知ることで前に進めてきたことも、あるんじゃないかな」



真 尋「すいません、帰ります」



 ここでいったん真尋が逃げ帰るというのはドラマ独自の展開である。原作の真尋はこの場面で「監督と目を合わせると、その奥にスクリーンがあるような、過去のあの日の景色が映っているような感覚に囚われ、それに抗わず、わたしは自分の意識をそこに委ねた」と、姉の死後、家族でどんなふうに、姉が生きているように振る舞ったかを素直に語る。それでふたりの結束が固まるのである。


 監督の、ごめんなさい、という口癖を鬱陶しく感じていた自分を恥じた。
 姉が生きているようにふるまっているわたしを、監督が必要以上に気遣ってくれている理由もわかったような気がした。
 そして、知りたい、がなぜ生きる支えとなるのかも。
 想像力において大切なことは、まず、自分の想像を疑うことではないのか。
 (湊かなえ『落日』ハルキ文庫)


 それに対してこのドラマ版は、フィクションという手段で、自分であろうが他人であろうが、人が心の底に隠し持っている真実を本能的に暴き出さずにはおれない業を抱えた、映画作家長谷川香のちょっと不気味な姿を描いている。まだそこまで心の準備ができていなかった真尋は、いまここで死んだ姉と自分の関係にも踏み込まれそうな気がして怖じ気づき、逃げ出してしまう。北川さん、なかなか静かに怖いです。
 以上が香の告白で、前回の真尋の告白と一対になって、このドラマのひとつのクライマックスともなっている。だいぶ字数も使ってしまった。今回はこのへんで。では。ラストは意味もなく再びこまっちゃんで締めくくります。