1. ...and the Oscar goes to....
2週間のご無沙汰でした。結局、先週はKNUの名古屋単独ライブに行けなかったし、ここんとこ連日、2時間とか3時間とか、時間のかかるタフな会議ばかりで、主に4月に向けての人事の綱引きで本当に疲れた。まだ問題は山積み。あと、ウチは今年は関係ないけど、友人知人のうちには、お子さんが高校受験とか大学受験とか就職とかで悲喜こもごもである。
ストレスでへたばって検査したら腫瘍がみつかることもある。組織人としてつらいことがあっても、子供たちのこれからを思うとグッと耐えなきゃいけない時もある。がんばろうご同輩(なんかやっぱり疲れてるね)。
さてそのあいだも世間では米アカデミー賞とか日本アカデミー賞とかいろいろあった。
第88回米アカデミー賞は、『ロッキー』の主演男優賞以来40年ぶりに最優秀助演男優賞にノミネートされたシルヴェスタ・スタローンに期待したけど、残念だった。でもアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が、こんな読みにくい名前なのに、昨年に続いて監督賞を2年連続で受賞したのは快挙だ。セーラームーンファンには周知の通り、小松彩夏を『バベル』(2006年カンヌ映画祭監督賞)に起用した監督である。
とはいえ小松彩夏の出番は、菊地凛子の家でちらっと映るテレビのCMの中であるし、それはこの映画のために撮られたものですらなく、ホンモノの「Fanta」のCMの流用に過ぎないのだが。
ちなみにこのファンタのCM(2005年)もだいぶ昔のものになったので、どんなのか紹介してみよう。
BGMはおかあさんといっしょのスタンダード曲「そうだったらいいのにな」(作詞:井出隆夫 作曲:福田和禾子)の替え歌。スチャダラパーのMCボーズが歌っている。ちなみにこの曲、平成25年度の保育士試験課題曲にもなっているので、そういう方面で練習された方もいるかな。
「お願いします!」
「いいね」
「おお〜」
「いいね〜!」
♪おれはプロのカメラマン♪「いいよ〜」
「だって〜の」♪好きなアイドル撮り放題♪
「いいよなぁ」「いいです」
「よかったよ」「はい」
♪そうだったらいいのにな♪
「なに見てんだよ」
「うおお」
♪そうじゃないからファンタ飲も♪
話を『バベル』とアカデミー賞に戻しますと、この作品で菊地凛子はルーズソックスの女子高生(時代を感じますね)を演じて毛を見せて第79回アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。
大変なことであった。いやアカデミー賞ノミネートが。アカデミー賞はアジア人俳優には冷たい。これまで日本人で受賞した俳優といえば、1957年のナンシー梅木(第30回助演女優賞、『サヨナラ』)と1966年のマコ岩松(第39回助演男優賞、『砲艦サンパブロ』)の二人だけ。アジア系俳優に範疇を広げても、1984年のハイン・S・ニョール(第57回助演男優賞、『キリング・フィールド』、中国系カンボジア人)がいるくらいだ。
ナンシー梅木と同年にノミネートされた早川雪州(『戦場にかける橋』第30回助演男優賞)は受賞しなかった。てかノミネートされたのだって、あとは2003年の渡辺謙(第76回助演男優賞、『ラスト・サムライ』)だけだ。たとえば1988年(第60回)に作品賞・監督賞はじめ9部門で最優秀賞を獲ったベルトルッチの『ラストエンペラー』は、ジョン・ローンやジョアン・チェンを始めとする中華系俳優陣の名演技なしには成功しなかったと思うんだが、ノミネートすらされなかった。2001年(第73回)に10部門にノミネートされて4部門で受賞したアン・リーの『グリーン・ディスティニー』だってそう。チョウ・ユンファもミシェール・ヨーも完全無視であった。
今年のアカデミー賞では、俳優部門で黒人がひとりもノミネートされていないことが多方面から糾弾されているが、ともかくアレはだいたいそんな程度のもんなのである。日本ではべつに人種がどうのという騒ぎにならないが、お隣の国では今年イ・ビョンホンがプレゼンターとして初めて公式招待されたことがけっこう話題になっている。あと数年たつとたぶん「なぜ受賞させない。人種差別だ」とか騒ぎだすんじゃないかな。
話がどっかへ行ってしまったな。戻る前にもうひとつ、日本アカデミー賞。今回はぜったい二宮和也と吉永小百合で織込み済みなんだろうな、と思ったら、主演女優賞が『百円の恋』の安藤サクラだった。実にすばらしい。ときどきこういうことがあるのが、日本アカデミー賞の醍醐味である。かっこいいぞ安藤サクラ。
セーラー戦士のなかで、現時点で日本アカデミー賞に最も近いのは言うまでもなく北川景子で、めざすは主演女優賞だが、そこに至るにはまだもう一皮むける必要があるかとも思う。他方、沢井美優が狙うとしたら助演女優賞部門。今年はここに、夏帆とか常連の満島ひかりとか長澤まさみに混じって、吉田羊が登場した。吉田羊という人は、1997年にデビューして以来、およそ10年にわたって小劇場演劇を拠点に活動し、さらに2007年に個人事務所を立ち上げ、仕事を映像にシフトしてからもけっこうな歳月を経てブレイクにいたっている。今回が初めての日本アカデミー賞。沢井さんにもがんばって欲しいなぁ。でも最優秀助演女優賞は昨年に続いて黒木華だった。文句はないが、やや残念でもある。
2. うさぎの表情が良い
さて少しでも本編を進めておきたい。Act.13。うさぎが集めた花とか海の小石とかを、衛がシンのもとに届けにいったんだけれども、すでにシンはベリルの力で、クンツァイトとして本格的に覚醒を始めていた。
そうとは知らず、最初に訪れた時にはあんなに怖がっていた洋館に、ひとりで入っていくうさぎ。
でも中から衛が出てきて、なぜかうさぎの前にたちふさがる
というところまで進みましたかな。それでは続きだ。
うさぎ「あ……遅れてごめん。シン君は……」衛 「記憶が戻って出てった」うさぎ「え、ホントに?!」衛 「お前に感謝してた」
うさぎ「良かったぁ」(テレティアが鳴る)
うさぎ「もしもし?」ルナの声「うさぎちゃん、大変よ、すぐ来て!」
うさぎ「え……。わかった」
うさぎ「じゃあ……私、急ぐから」
衛 「ああ」
衛の様子がおかしいので、ちょっと気になるんだけど、といって妖魔も放っておけない。ふたつの気持ちを抱えながらその場を立ち去るうさぎ。
一方、うさぎの姿が見えなくなってから、衛は顔をしかめ肩を押さえる。
衛は、この洋館で何か危険な現象が生じつつあることを察知して、うさぎがそれに巻き込まれないよう遠ざけようとした。
ただ、衛はうさぎがセーラームーンであることをすでに知っている。だとすれば、いまシンの身に起こっている異変に何らかの決着をつけられるのは、セーラー戦士たちしかいない、ということも、うすうす分かっているのかも知れない。それでもうさぎを傷つけたくないために、衛は彼女をシンから遠ざけた。これで良かったのか悪かったのか、そのへんの判断も悩ましい。衛もなかなか大変である。
一方、洋館ではそれどころではない。平穏な生活を愛する青年シンの心と、覚醒したクンツァイトの荒ぶる魂が一個の人格の中で格闘中である。
うさぎが買ってきてくれた白い花に手を伸ばし、なんとかシンの意識を保とうとするが、その瞬間、身体はクンツァイトに完全に乗っ取られてしまう。
シンの絶叫と、コンサート会場で妖魔に支配されそうなアユミの絶叫がシンクロして、アユミは妖魔と化す。
そこへ駆けつけるセーラームーン。
と、ここで私「アレっ」と思って調べてみたんですよ。
3. 変身しないセーラームーン
このエピソードはAct.13、最初のワンクールのなかで、変身バンク抜きでセーラームーンが登場したのはぜんぶで3回。
1回目がAct.5で、マーキュリーのピンチに、すでに変身を終えた状態のセーラームーンとマーズが駆けつける。
セーラームーン「よくも亜美ちゃんを!」
マーズ「お仕置きよ!」
次がAct.6。妖魔に襲われたまことの深層心理にセーラームーンが現れるという変わった登場の仕方。それで変身アイテムを渡す。
まこと「いつも、最後は、独りだ」
セーラームーン「まこちゃん」
セーラームーン「独りじゃないよ」
そしてこのAct.13が3回目である。
つまりこれまで「セーラームーンの変身バンクが使用されないエピソード」は、すべて舞原賢三監督の回に集中しているってことになる。これは舞原監督が省略したのではない。少なくともAct.5と今回のエピソードについては、小林靖子脚本にそもそも変身シーンがないし、たぶんAct.6も、話の流れ的にそうだと思う。要するに巡り合わせである。
アニメと実写版の大きな違いは、アニメの戦闘シーンは必ず全戦士の変身バンク+必殺技というお約束の展開になるけど、実写版はそうじゃない、ということがある。その担い手がたまたま舞原監督であるというのは、なかなかに象徴的ですね。
それはともかく、駆けつけたセーラームーンに、助けを求めるアユミ。しかし時すでに遅く、アユミは白狐のような妖魔の姿に変身してしまう。
セーラームーン「! この人……」
アユミ「助けて……」
セーラームーン「え……?!」
ル ナ「セーラームーン! 妖魔が乗り移ってるんじゃないわ、人間が妖魔に変わってしまったのよ!」
セーラームーン「人間が?じゃあ倒しちゃったら彼女も?」
ル ナ「あなたの力なら人間を傷つけずに、妖魔の力だけを封じられるはずよ!やってみて」
う〜ん。「妖魔が乗り移ってるんじゃないわ、人間が妖魔に変わってしまった」とルナは言うが、少なくともセーラームーンの力を用いれば「人間を傷つけずに、妖魔の力だけを封じられるはず」とも言う。これはどういうことであるか。
セーラームーンのヒーリングは、今までは人間に取りついた妖魔を追い払うことであったが、アユミの場合は一体化している。だからアユミのなかの妖魔を活動しないように封じる、ということなんだろうけど、そうすると表面的にはあまり変わらないよね。よく分からないが、これはたとえばガンの場合、治っても「完治」と言わずに「寛解」という、そういうようなものか。あくまで根絶するわけではなく、共生しつつその活動を封じるというか。
ま、ともかく、今回はこんなところで。









































































