実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第493回】DVD第3巻:Act.12の巻(8)

1. 1973年の高倉健



 さいとうたかをは1973年、東映から『ゴルゴ13』映画化の許可を求められたんだけど、チャチなものを作られるくらいなら制作しないほうがマシ、と思って、わざと「主演は高倉健、オール海外ロケ」というむちゃな条件を出したという。そういえば東映もあきらめるだろうと考えたそうだ。
 この場合、より難易度が高いのは「主演・高倉健」という部分だ。当時の高倉健は、『日本侠客伝』シリーズ(1964年〜1971年)と『昭和残侠伝』シリーズ(1965年〜1972年)で、弱きを助け強きをくじく、義理人情に厚い侠客というイメージが確立していた。自分以外はだれも信用しない冷酷非情のスナイパーなんて、180度方向性が異なる役にヘタに手をだせば、最悪、せっかく築いた過去の財産をぶち壊しにしてしまう可能性だってあった。さいとうたかをでなくても、普通なら断るだろうと、誰もが予想したはずだ。



 ところが実際には、高倉健は主演のオファーをすんなり受ける。健さんが出るならばと、イランはじめ中東ロケでの撮影にもOKが出て、そうなると、さいとう氏も自ら脚本の執筆を買って出た。こうして『ゴルゴ13』は年内に完成し、1974年正月の目玉作品として公開された。
 このときどうして高倉健は、リスクを冒してまでデューク東郷を演じる気になったのか。考えられる理由は、1973年の1月に公開された、深作欣二『仁義なき戦い』である。大ヒット作となり、同年のゴールデン・ウィークには早くも第2作『仁義なき戦い 広島死闘篇』が、そして9月には『仁義なき戦い 代理戦争』が制作・公開された。この年、やくざ映画のトレンドは、古き良き仁侠ものから仁義なき実録ものへと、おおきく転換したのである。その変化を自覚し、新たな方向性を模索していた高倉健のもとへ転がり込んだのが、『ゴルゴ13』の企画だった。そういうことなんじゃないかと思うんですよ。実際、高倉健は、『仁義なき戦い』の数週間前に公開された『昭和残侠伝 破れ傘』(1972年12月)を最後に、古いタイプの仁侠映画を撮っていない。



 『ゴルゴ13』の、作品としての出来ばえにはここでは触れない。ただ、この作品以降『新幹線大爆破』(1975年)『君よ憤怒の河を渡れ』(1976年)『野生の証明』(1977年)と佐藤純彌監督との仕事が続いていることから、高倉健のキャリアにおいて重要なターニングポイントとなったことは確かである。また、ドスだけではなく銃器に関してもスペシャリスト、というふうに自分のキャラクターを広げた意味では『駅 STATION』(1981年)へとつながる。



 ついでだから書いておくが、1973年には『現代仁侠史』も撮られている。オープニングからして、高倉健が和服の着流し姿、ドスを片手にパンナム機のタラップを降りるというムチャクチャな映画だが、「過去のある男」「ラブロマンス」「過去のしがらみとの決着」とか、その後の作品の原型になっていくようなカードがすでに切られている。ちなみにこの作品のヒロインは梶芽衣子。



 要するに『仁義なき戦い』でやくざ映画の革命がはじまったその時点で、高倉健はもう過去を捨てて、その後のキャリアを築くための土台固めに入っていたのである。まあ、すでに1970年代に入った時点で、仁侠映画はピークを越え、下降線をたどり始めていたようだが、それにしてもこの見切りの早さと決断力はすごいと思う。高倉健の俳優としてのイメージが変わらないのは、ぜんぜん変わっていないからではなくて、常に時代の変化を鋭敏に読み取り、次の手を打ちながら、変わっていく時代との間合いをキープしてきたからだ。だから本当の意味で古くなって忘れられることがなく、トップ俳優であり続けてきたのだろう。
 繊細な感受性と、自身のキャラクターの一貫性への的確な判断力が結びついて、この俳優の魅力をかたちづくっていた。そこを押さえずに、「不器用ですから」という武骨なイメージと、プライベートでの周囲の人間へのこまやかな気配りの様子を語るだけでは、若い人たちに、高倉健がなぜ凄いのかをうまく伝えられないのじゃないか。
 以上、セーラームーンとはまったく関係ないが、いろいろな追悼記事を読んでいるうちに、書きたくなったので書いてみた。じゃ本題だ。すでに時間がないが(またか)。


2. ウルトラセブンのマイ・フェア・レディ


 ペンキ塗り立ての看板にぶつかって洋服を汚してしまった美奈子は、うさぎの紹介した店で服を買うことに。どれも可愛いもんだからプチファッションショー状態で、うさぎは嬉しくてたまらない。






うさぎ「ステキ〜!」

  
  今年、私はテレビの『セーラーゾンビ』にハマって、続いてビデオで観た『Miss ZOMBIE』がこれまたツボだった。それでスイッチが入って、今年の夏から秋にかけて、ヒマがあれば小松彩夏のドラマや映画のビデオばかり観賞していたのだが、なかでも今回初めて観た『ネオン蝶』4部作は、ぜんぶで5時間近いボリュームということもあって、かなり心に残った。この作品は、小松彩夏のファンなら観るべきだと思うし、小松彩夏のファンじゃない人は手を出してはいけない。ファンだけど、観て損したと思ったあなた、残念ながらあなたは本当の小松彩夏のファンじゃないです。
 私はだいぶ以前から、高倉健は「不器用ですから」っていうわりにぜんぜん不器用じゃないぞ、と思っていたのだが、『ネオン蝶』を観て、小松彩夏こそ「不器用ですから」って言葉が似合う女優だと思ったよ。
 『ネオン蝶』というドラマは、ヒロインの桜子が、母の死をきっかけに故郷の岩手県から上京し、東京でスナックを経営する伯母さんのもとに転がり込むところから始まる。そして池袋を振り出しに、処女喪失したり、大物実業家の愛人になったり、さまざまな挫折や試練を乗り越えて、銀座の名店でナンバーワンとして花開くまでを描く、『巨人の星』ならぬ『銀座の星』みたいな熱血スポコン水商売物語だ。



処女をカタに借金をチャラにして、伯母さんの店を救った翌朝の小松さん(設定19歳)。



 小松彩夏はほとんど星飛雄馬みたいに、何かあるごとに「が〜ん!」とショックをうけ、落ち込んで接客もおろそかになって水割りをひっくり返したりする。でもお客は、そんな小松彩夏のホステスらしからぬ素人っぽさを愛して、小松彩夏も勉強を重ねて、だんだんとナンバーワンになっていくのである。
 現実世界では「小松彩夏→不器用→ブレイクできない」という図式があって、他方、我々オタクの妄想世界では「小松彩夏→不器用→そこがいいんじゃない」という認識が成立している。この両者を組み合わせて「小松彩夏→不器用→そこがウケる→大ブレイク」という展開を、小松彩夏が最も映えるホステスの世界に組み込んだところに『ネオン蝶』の見どころがある。



 いやすまん、なんでこんな話を始めたんだか。そうだ、その第2部で、小松彩夏に大物のパトロンがつく。モロボシ・ダンである。ダンは小松彩夏を一流のホステスにすべく、高級マンションにかこって一流の生活をさせる。一流の店で食事をさせ、本もどっさり買ってきて教養を身につけさせる。モロボシ・ダンの『マイ・フェア・レディ』。






 なんかねえ、小松彩夏がお店であれこれ服を試すシーンっていいですけど、お金持ちのパパがいるともっといいような気がします。ってそれだけの話。

3. 心変わりの節目


 バカな話ばかりしているうちに、もう日曜日も遅くなっちまった。あとちょっとだけ進みましょう。
 時ならぬ愛野美奈子のファッションショーに大喜びのうさぎと、その脳天気ぶりに浮かない顔の美奈子。




 自分が命に換えて守ろうとしてきたプリンセスがとんでもないミーハーでバカな女の子であることを、昨日に引き続いて思い知り、落胆と軽蔑を隠せないわけだが、それがこのあとの振る舞いを見て、急にうさぎにシンパシーを抱くようになる。
 ただ、美奈子のうさぎに対する気持ちが、冷たい感情からホッコリした親しみに変わる最初のポイントがどこであるかが、台本でも映像でもいまいち分からないんだな。このことについては、だいぶ前にM14さんが考察されたのを読んで以来、課題となっている。
 ……でももう、マジで眠くなってきたので、すみません、あとちょっとだけ先を見て、今回はここまで。



美奈子「捨てといて下さい」
うさぎ「え?じゃあ私がもらいます」



美奈子「いいけど……汚れてるし」



うさぎ「そこが良いんです!うわぁ!」


 実は次回の更新もどうなることやら不安定です。来週の週末は、私、母の三回忌で実家に帰って、二日間あれやこれやしなけりゃいけないこともあるのです。更新が遅れても大目に見てやってくださいませ。