実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第488回】北川景子『みをつくし料理帖』リターンズ大完結編・地の巻


 最近Huluで『キッズ・ウォー』シリーズが動画配信されているので、台所でご飯の支度をしながら、iPhoneで『キッズ・ウォー5』(2003年7月〜9月、CBC/TBS)を少しずつ観ている。フリースクールで抑圧されている少年少女を描く話で、イジメとか体罰とかの場面も多くて、ちょっとつらいのだけど、セーラームーン直前の沢井美優が可愛くて可愛くて。





1. いつも関係ない話で盛り上がって済まぬ


 さて、オンエアされた6月以来、実に5ヶ月の歳月を費やして取り組んでいる『みをつくし料理帖』レビューだが(←バカ)ようやく先が見えてきた。で、最後にご紹介する予定のスタッフ・キャスト一覧リストを準備していたら、すごく重要な見落としに気づいた。
 いや、重要って思う人はそんなに多くないと思う。ひょっとしたら私くらいか。



 宅間孝行。前作・今作を通じて澪と「つる家」の最大の敵となった「登龍楼」主人、釆女宗馬(うねめ・そうま)を演じた俳優さんである。舞台の世界では劇団「東京セレソンDX」の主宰者で(昨年、解散しちゃったそうだけど)作・演出も手がけることで知られている。



 脚本家としても相当な作品歴がある。映画だったら、この『みをつくし料理帖』の片山修が監督して、北川景子が出演した劇場映画『ヒートアイランド』、テレビでは上戸彩の実写版『アタックNo.1』(2005年、テレビ朝日)、あるいは『キッズ・ウォー』シリーズの井上真央の評価を決定づけた『花より男子』シリーズ(2005年/2007年、TBS)とか。これらの作品は「サタケミキオ」のペンネームであったが、劇場版『花より男子F』(2008年、東宝)を最後に、すべての活動を「宅間孝行」名義に統一する。



 あと『花より男子』の松本潤主演、新垣結衣がヒロインの『スマイル』(2009年、TBS)では、全11話の脚本を書いたものの、視聴率不振を理由に結末の変更を求められ(と言っても平均2ケタは取っていたんだが)結局これを拒否して自ら降板、最後の2話だけ別人の脚本になった、なんて硬派な話もあった。
 いや話が脇道にそれた。で、この宅間孝行、映画『愛と誠』(2012年)の脚本家でもあったのだ。これを見落としていた。「重要な見落とし」というのはこのことです。というのも私、個人的に『愛と誠』のことを、ここ2〜3年の日本映画のなかでもダントツに面白い傑作だったと思うからだ。




 ポイントはふたつあって、ひとつは時代の描き方だ。『愛と誠』の原作は1973年(昭和48年)に連載が始まっている(『週刊少年マガジン』)。連合赤軍によるあさま山荘事件(昭和47年)の翌年、東アジア反日武装戦線「狼」による三菱重工爆破事件(昭和49年)の前年である。そして連載終了が1976年(昭和51年)つまりロッキード事件と田中角栄逮捕の年だ。左翼過激派の夢みた革命が夢に終わり、体制側のしたたかさが明らかになるにつれ、国民の関心は、無軌道な若者たちによるテロへの不安から、腐敗政治家に対する怒りへと替わっていった。まあ、戦後の黒歴史みたいな面もある時代で、まともに映画化するには、少々恥ずかしさが残る。
 しかも原作は梶原一騎である。代表作『巨人の星』の根性主義とか、星飛雄馬の目の中で炎が燃えるとか、その大仰な設定や時代錯誤なキャラクターは、発表当時からすでに笑いの対象にされていた。『愛と誠』でも、岩清水の「君のためなら死ねる」というセリフは、あのころ小学生だった我々もリアルタイムでギャグにしていたくらいだ。



 私は1970年代に梶原一騎原作の劇画を愛読して育ったから『愛と誠』の映画化は観たいし、北川景子と山下智久でリメイクしてくれないかな、なんてことは何度かブログに書いてきた。しかし考えてみれば、かなり恥ずかしい時代の恥ずかしい物語だ。たとえば『ALWAYS 三丁目の夕日』なんか、ズブズブのノスタルジーで描いても簡単に感動を取れる昭和30年代だから楽なんだけど、『愛と誠』はむずかしいや。ブルジョア令嬢と貧民あがりの不良少年が、過去の因縁と学園内暴力の嵐を背景に、階級闘争みたいな純愛を繰り広げて、そこに保守党の大物とつながる右翼団体のサディスト暴力男が絡んでくるという、読んだことのない人にとっては何がなんだか分からないであろう、血と涙のピュアラブストーリーです。




 そこのところを、今回のリメイク版は「アバウト」「ミュージカル」「勘違い」というようなやり方でみごとに処理していた。もうだいぶ字数を使ってしまったので後を急ぎますが、ヒロイン早乙女愛の家庭の、画に描いたようなブルジョアぶりも(これがないとこの人のキャラクターが成立しない)父親役の市村正親の本格的ミュージカルで、有無をいわさず見せつけてくれる。







 早乙女愛は「勘違い女」として描かれている。たとえば太賀誠への純愛に殉じようとするあまり、誠の足にすがって引きずり回され、しまいには機動隊にボコボコに踏みつけにされる。こうなると機動隊もコントの一コマみたいになって、全体をコメディとして受け入れてしまえる。そうすると後はドラマの感情の流れに入って、むしろその一途さに感動さえすることができるのだ。この勘違いぶりが、キャラクター的に武井咲にぴったりハマって、これがまたツボ。





 それからふたつめのポイントは「鈴木清順」なんだけど、もういい加減、本題に入らないとね。てきぱきまとめよう。
 簡単に書いておくと、最初の映画化である1974年松竹版『愛と誠』の監督、山根成之は、日活の鈴木清順に私淑していて、強い影響を受けている。この西城秀樹・早乙女愛の『愛と誠』と、同じく西城秀樹に、なんと田中絹代を絡めた『おれの行く道』(1975年、松竹)の二作品あたりが分かりやすい実例だ。『愛と誠』でいえば、西城秀樹のケンカ三昧の高校生活ぶりが『けんかえれじい』だし、雪のなか誠と愛が向き合う場面で背景が真っ赤になるところは『関東無宿』の影響だろう。ほかにも清順的な映像のケレンはいくつもある。





 鈴木清順は1967年の『殺しの烙印』が「難解な作品」だということで日活を解雇され、およそ10年間のブランクにはいるが、その清順に原案を提供して『悲哀物語』(1977年)を撮らせ、復活のきっかけを作ったのは梶原一騎である。おそらく『愛と誠』『続・愛と誠』でつながりができた山根成之が、鈴木清順に映画を撮らせるよう、梶原一騎に進言したのではないかと私は想像している(証拠はなく想像にすぎないが)。



 そして2000年に、タイのウィシット・サーサナティヤン監督が『快盗ブラック★タイガー』を発表する。タイの田舎の少年が、金持ちのお嬢様を守るため、額に深い傷を負う。そしてそれがきっかけで転落の人生を歩み、盗賊団に身を落とす。大人になってその事実を知ったお嬢様は、償いの気持ちと彼への愛から、なんとか盗賊ブラックタイガーを更生させようと身を尽くす。まんま『愛と誠』のプロットに、鈴木清順ばりの原色無国籍アクション。タイ人だが、この人がどこからどういう影響を受けてこんな映画を撮るようになったか、私には手に取るようにわかる気がした。この話はだいぶ以前のブログに書いたので省略するが(ここ)、要するに今回の2012年版『愛と誠』は、驚くほど忠実に、この鈴木清順→山根成之→梶原一騎→サーサナティヤンという系譜の上に成立している。なんならここに、いまのところ鈴木清順の最後の作品である『オペレッタ狸御殿』(2005年)を加えてもいい。
 もちろん監督の三池崇史がタイのサーサナティヤンまで知っているかどうかは知らない。たぶん知らないと思うが、もともと『クローズZERO』なんて、『けんかえれじい』の最新版みたいな映画をすでに撮っている三池監督である。『愛と誠』も知らず知らず(推定)ちゃんと、いま述べたような歴史的流れを踏まえた作品になっているのだ。『ブラックタイガー』と妙に構図がそっくりな場面まで出てくるのがおかしい。


『快盗ブラックタイガー』(2000年)


『愛と誠』(2012年)


 そういう次第でこの2012年版は、模範解答的に正しく映画化された『愛と誠』だと、名古屋支部は認定したい。
 そして「オペレッタ化」「パロディ化」の導入を提案して、この作品のフェイズを決定し、独力で脚本を書き上げたのが宅間孝行である。ちょっと今後、この人と三池崇史の組み合わせに注目してみなければいけません。
 と、それだけの話なのに、こんなにひっぱってしまった。では本題に。……ここまで書くのに時間を使ってしまったので、本編はとても短いです。すみません。
 





 『愛と誠』のキーパーソン岩清水弘。旧作の仲雅美(花登筐ファミリー)もじわじわと来るが、新作の斉藤工は「君のためなら死ねる」手紙を渡したあと、全力でにしきのあきら「空に太陽がある限り」を歌い踊る。すばらしい。ただ、武井咲の演じる早乙女愛はドン引きなんだが。







 じゃあ、今度こそ本当の本編です。

2. そんな花魁はうちにはおりませぬ


 ハモは生命力が強い魚なので、京都まで連れてきてもぴんぴん活きていて新鮮だ。ただし、小骨が多くて、とても一本一本取ることができない。ということで上方では、獰猛なハモをさばき、小骨を丁寧に包丁で砕いて食感をよくする「骨切り」の技法が発達した。



 澪は、大阪の老舗「天満一兆庵」で仕込まれた腕をふるってハモ料理の定番「鱧の葛叩き」を作る。文字どおり、骨切りしたハモの身にクズをはたきつけ、湯取りして吸い物に仕立てた一品だ。だしのなかで白いハモの身が牡丹のように花開き、口に入れると、つるっとしたクズの食感に包まれた身は、白身のわりには脂が乗ってしっかりしている。
 なんて、『美味しんぼ』の栗田さんみたいになってきたので、このへんでやめておくが、とにかく、つる屋の最初の看板となった「とろとろ茶わん蒸し」と同じく、そんなに奇をてらった料理ではない。むしろオーソドックスな腕物である。でも、そもそもハモを口にすることさえ滅多にない江戸で、大阪の名店の味を再現したのだから、これは受けないはずはない。そういう理屈で話に説得力を持たせている。加えて、澪が類いまれな味覚の持ち主であることや、昆布だしと鰹だしをあわせたオリジナルだしを開発している、という要素が加わり、「ハタチそこそこの小娘のつくる料理が江戸の食通たちをうならせる」という話にリアリティをもたせている。よくできた原作だなと感心しますね。



 ま、ともかくそういうわけで、吉原の遊廓「翁屋」のあるじ伝右衛門も、このハモの腕にはすっかり降参して、「女に料理人は務まらぬなどと言ってすまなかった」と、いさぎよく過ちを認めたのであった。
 



伝右衛門「お納めのほど」



 澪 (首を振り)「その代わりお願いがあります」
伝右衛門「願い?」



 澪 「会いたいお方がいるのです。あの鱧を食べたあさひ太夫に会わせて頂く事は出来ませんか?」



伝右衛門「あさひ太夫は幻の花魁。そんな花魁はうちにはおりませぬが」



 澪 「けどあの鱧を……」



伝右衛門「たとえ、いたとしても、会わせるわけには参りません」


 それはそれ、これはこれ。なかなかガードが堅い。
 そもそも伝右衛門にとってあさひ太夫は、単なる遊女ではない。自分の成功と繁栄をもたらした象徴的存在である。だから常に大事に秘匿して、滅多な人には会わせないし、その身に何かあれば、翁屋や自分の身も安泰ではないと、本気で信じている節がある。ただ金を積めばいいというわけではないのだ。ともかく、あさひ太夫の名前を出したとたん、伝右衛門の態度は豹変し、澪はとまどいを隠せない。
 そのとき外で「大変だ!」という叫び声があがり、男たちが駆け込んでくる。
 すでに述べたとおり、吉原では八朔(旧暦8月1日)に一般の人々、女性たちにも大門を開放し、縁日みたいに賑わうことはすでに述べた。で、白無垢小袖に衣替えした遊女たちは「俄」(にわか)という特別な出し物で来訪者たちを楽しませる習わしになっているのだが、その俄の舞台を設営中に、事故が起こったらしい。



若い衆「大変です! 俄の舞台がひっくり返って、若衆が三人、下敷きに!」



伝右衛門「しばらくここでお待ちを」



 せっかくここまで来たのに、幼なじみの野江ちゃんに合えるかも知れないわずかな希望がいきなり断たれ、呆然とする澪。と、そこへ人影が。
 伝右衛門が席を外すのを待っていたかのように姿を現したのは、さきほど二階から澪の料理をじっと見つめていた遊女だ。ていうか、本編の冒頭で男に追われ、あさひ太夫が傷を負うきっかけとなった彼女である。演じているのは黒川智花(研音)。けっこう幅広く活躍されている方なので、この役は小松彩夏か沢井美優に譲って欲しかったなぁ、とつい自分勝手なことを考えてしまった。




菊 乃「あちきは菊乃と申しんす。よく覚えておくんなんし」



 澪 「菊乃……さん」


╳    ╳    ╳



又 次「なじみの客と刃傷沙汰になった、菊乃って遊女をかばって、自分が……」


╳    ╳    ╳



菊 乃「今日の俄では、翁屋の女狐が白狐に化けるのでありんす。この先の西河岸のお稲荷さんを、みんなで冷やかしにいくのでありんすよ」



 澪 「西河岸の……お稲荷さん?」




 なぞかけのような菊乃の言葉に何かを予感して、澪はただちに飛び出し、吉原西河岸の稲荷神社に急ぐ。

3. 狐の行列


 走る澪。はたして、翁屋の遊女たちが、お稲荷さんを冷やかしにでかける、にわか行列に出会う。さあいよいよドラマも、最後のクライマックスに向けてボルテージが高まってきた。いったい彼女をなにが待ち受けているのか。




 澪 「西河岸のお稲荷さん……西河岸の……」



見物客「白狐だー!白狐の行列だー!」





 澪 「野江ちゃん……?すいません、すいません」


行列からのぞき込む澪の目の前にいたのは、まさに白狐の行列だ。面をかぶった翁屋の遊女たちの行列がこちらへやてくる。



幇 間「お狐さーん」



遊女たち「こおんこん」



狐たちが面を外すと、さきほど澪に「よく覚えておくんなんし」と念を押していた菊乃が、婉然と微笑んで近寄り、澪をいざなう。







その幻想的な雰囲気に呑まれたかのように、菊乃に手を引かれ、ふらふらと進み出た澪を、女狐たちが包み込む。












  いやぁ引っ張ってすみませんが、前半よけいな事ばっかり書いちゃったので、今回はこれまで。
 次回いよいよ『みをつくし料理帖』レビューも最終回です!