実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第478回】続・北川景子『みをつくし料理帖』リターンズの巻(破)

 

 

 先日、里香が案内役で、安座間さんと二人で京都旅行をしたそうだ。……な〜んて、もう1ヶ月も前の情報になってしまったけど、最近この二人にあまり触れていない気がしたので、ちょっと触れてみたくて。ブログに載った、メガネお揃いの写真が可愛かったですね。
 それから、桃子こと清浦夏実を久しぶりにテレビで見た。うれしい。NTT西日本フレッツ光のCMなので全国放送ではないようだが、いまならネットで現物を観ることができます(ここ)。

 


「……止まった……」



「そうならないよう、フレッツ光のWifiで、通信容量対策を」



 


 それにしても、歌手活動を再開してくれないもんかな。最近、竹達彩奈のシングルのカップリング曲で、ビーチ・ボーイズ風のコーラスつけているのをチラッと聞いたけど、やはり耳に残る不思議な声質なんだよね、この子は。

1. 肉食系の草食演技


 前回は『セーラーゾンビ』でとんだ道草を食ってしまったが、『みをつくし料理帖』に戻る。今回ご紹介するのは、恋愛ドラマとして見た場合には一番クライマックスになる場面だな。
 本作の澪は、素朴な町娘なりに、2年前の前作よりもあか抜けて艶やかな感じがする。ちょっと前のコメント欄でNakoさんが書かれていたように、これはメイクさんやスタイリストさんがそういう設定で仕上げたとのことである。前作では「憎いあんちくしょう」だった小松原に、もう恋心が芽生えているのである。

 


小松原「もう店じまいか?」


╳    ╳    ╳


小松原「せっかく来たんだ、何か食わせてくれ」

 澪 「はい」

 


 嬉しそうですね。
 これは力説しておく。北川景子といえば、茶髪でアニキでヤンキーで「男嫌いの火野レイ」のイメージで誤解されている向きもあるが、本当はピュアな恋愛ドラマの、ピュアな恋愛芝居がものすごくよく似合う。もうずーっと前からそう。うそだと思う人がいたら(いないか)『チェリーパイ』や『花のあと』や『太陽と海の教室』などなどの、トキメキ片思いのシーンを観てほしい。って、『太陽と海の教室』なんて観る機会がないか。





 これほどさように、純粋無垢な恋愛ドラマを演じる北川景子は世界最強なんである。『抱きしめたい』の成功を「北川景子なのに珍しい」なんて思っている人がいるとしたら、それは、北川景子という女優の芯にある純情さを十分に味わっていない証拠なので、悔い改めたうえ存分に味わってください(なぜか上から目線)。いや私は真剣にそう思っている。

2. 土圭の間


 そんなわけで種市も気を遣って、「お澪坊、あとは頼むよ」澪と小松原を二人だけにしてあげようと、ふきを促す。

 

種 市「小松原様、私はこれで」

小松原「うん」

ふ き「あのお方は…」

種 市「うん、小松原様というお武家様だ。恐らくご浪人さ」


種 市「いつか二人が一緒になってこの店をと思ってるんだが……」


種 市「さあ休もう」

ふ き「はい」

 


 前作の放送から一年経って、二人の間にも淡い感情が生まれていて、でもまだ真剣に悩む段階には入っていない。男と女って、このくらいがちょうど良い感じなんだけどねぇ。そして、しつこいようだが、こういうシーンの北川景子は最強である。ああ10年前、北川景子主演のオリジナルVシネマ『美少女戦士セーラームーン外伝 カサブランカ・メモリー』が制作されていればなぁ。……ということは何度も書いたけど。

 


 澪 「どうぞ」

小松原「ん?夏にタコか」

 澪 「はい。タコといえば冬ですが、冬の蛸は身が硬く、どう工夫してもなかなか柔らかくなりません。その点、夏のタコはいいですよ」
小松原「どれ……」


小松原「うん」

 澪 「いかがでしょうか?」
小松原「なかなか面白いな」



小松原「だがキュウリの酢の物など出していては、武家の客がそのうち来なくなってしまうぞ」

 澪 「えっ?」


小松原「切り口が徳川の御紋に似ているのだ」


 澪 「徳川の御紋?」


小松原「見たことがないか?こういう形だ」


小松原「恐れ多いと、直参旗本はキュウリを口にしない。直参旗本の食べないキュウリを、その下の者が食べるわけにはいかない。したがって、武士は総じてキュウリを口にしないのだ」

 


 まったく知らない武家の常識を語る小松原に、はっと我にかえる澪。小松原は、本当は自分とは住む世界がまったく違う、すごく身分の高いお侍様なのかも知れない。そんなことを澪に感じさせる出来事が、これまでにも何度かあった。

 


小松原「これ以上この店に構うな」


小松原「土圭の間の小野寺がそう言っていたと采女に伝えろ」

╳    ╳    ╳

 侍 「今のは土圭の間の小野寺様ではないか?」

╳    ╳    ╳

 


 たしか原作の澪は、心の中で「とけいのま」とひらがなでつぶやいていたと思う。意味がよく分からないわけね。私だって「土圭の間」なんて知らない。この場面のちょっと後で、戯作者の清右衛門(片岡鶴太郎)……というより、いつも清右衛門のお供で「つる家」にやって来る、出版元の坂村堂(田口浩正)が説明セリフを言うので、そこから引用しておこう。

 


清右衛門「土圭の間?なぜそんな事を聞く?」


 澪 「あっ…いえ」

坂村堂「清右衛門先生ならどんな事でもご存じですよ。この方の博識ときたら江戸中探しても右に出る者はいない」
清右衛門「土圭の間ぐらいお前でも知ってるだろう。無駄なおべっかを使うな」


坂村堂「土圭の間とは江戸城の中にあり、公方様、すなわち徳川家斉公に仕える侍たちが詰めている部屋のことでございます」

 澪 「えっ…公方様に…?」


坂村堂「このような字を当てます」


坂村堂「土圭の間はいくつにも区切られた部屋で、そこにはさまざまな役職の方がおられます。たとえば、時計のお世話をするお城坊主、公方様の警護、それに御膳奉行というのもおられます」

 澪 「御膳奉行?」


坂村堂「ええ。公方様の献立を考えたり、料理番に調理の指示を出したり、公方様のお口に直接入るものを全てつかさどる、重要な役割の侍です。まあ、われわれ庶民には手の届かない世界の方々ですが」

 


  「とけいのま」という言葉の響きに「われわれ庶民には手の届かない世界の方々」だという印象を、澪はもう、うっすらと感じている。といって、まだ恋と呼べるか微妙な淡い気持ちなので、悲嘆しているわけでもないけどね。

3. 忍び瓜


 ここから先は、原作からだいぶ離れていくことになる。高田郁の原作小説「忍び瓜」(『花散らしの雨』所収)では、武家はキュウリを食べないと小松原に指摘された澪が、その後、あれこれ思案を重ね、しばらく悪戦苦闘したあげく、新メニュー「忍び瓜」を創作している。
 しかし連ドラだったらともかく、今回は一回ポッキリのスペシャル企画なので、このエピソードはここでサクッと終わらせたい。そこで脚本は脚本は思い切って、小松原がその場で「忍び瓜」の作り方を澪に伝授する、という形にした。
 私は寛容なので、あれあれと思って観ていたが、原作ファンにとっては評価が分かれるところだろう。原作では、澪が工夫を凝らした「忍び瓜」は、つる家の新しい看板料理として評判になり、味にうるさい戯作者の清右衛門なんか、漬け汁まで呑み干して絶賛する。で、しばらくブームが続いて、それも一段落したあたり、ある夜ふらりと小松原が姿を現し「忍び瓜」を賞味する、という感じだったと思う。
 読み直してないので違うかも知れないが、ともかく原作の小松原ってそういう人なのだ。一歩退いたところから、でもあくまできちんと澪を遠くから見守っている。そういう観点からいえば、ドラマ版の松岡昌宏は、前へ出過ぎであり、澪にも干渉し過ぎである。「忍び瓜」のレシピを伝授するなんて過保護ではないか、とも思う。そのあたり違和感を覚える原作ファンもいることにも多少共感はできるが、まあ、もう少し先まで視聴してみましょうよ。

 


小松原「いい事を教えてやろう」


 澪 「えっ?」
小松原「すりこぎとキュウリを出してくれ」

 澪 「はい」


(すりこぎでキュウリをトントン叩いて潰す小松原)

 澪 「そんな事して……」

小松原「湯を沸かしておけ」

 澪 「はい」

小松原「どうだ?これでもう徳川の御紋には見えないだろう」

小松原「これをさっと湯がく」



小松原「湯に通す事により、かえって歯触りがよくなるのだ」




小松原「酢と醤油、砂糖とだし、それに鷹の爪を入れてつけ汁を作っておく」


小松原「ごま油を少々」

 澪 「はい」


小松原「うん」

 


 夏はキュウリの季節ですね。しかもこれなら、ふだん料理をしない人でも簡単に作れる。実は私、さほどキュウリが好きではないのですが、妻が大好きでしょっちゅう買ってくるものだから(うちの妻は買い物はするが、料理はあまり作らない)日々いろいろなレシピを実践しています。この「忍び瓜」は、妻はもちろん、キュウリがあまり得意ではない私も、けっこう美味いと思ってしまったのだから、たいしたものだと思う。この機会にみなさんも試してみてはいかがでしょう。
 原作の『みをつくし料理帖』シリーズは、巻末に、作品中に出てきた料理たちのレシピが添えられているので、それを参照されることをおススメしますが、私が自己流にやっているのはこんな感じ。キュウリ2、3本をアク抜き(もしくはイタズリ)して、綿棒で叩いて潰し、熱湯に通す。漬け汁は、だし汁ベースに酢と醤油を等量、それに砂糖とごま油を小さじ一杯ずつほど。刻んだ鷹の爪を放り込んで、そこに1本を五等分くらいに切ったキュウリを漬けて、冷蔵庫で2時間ぐらいかけて冷やしておくと美味しい。だけどドラマではすぐに食べちゃっているような描写になっているのがちょっと残念。本当は漬け込む時間が必要です。

 


小松原「よし。食べてみろ」


小松原「うまいだろう」


小松原「ハハハハ…お前さんのその顔はいつ見ても飽きねえな」

 澪 「あの…このお料理は、なんというのですか?」


小松原「忍び瓜だ」

 澪 「忍び瓜……」

 


 というわけで、この、小松原が澪にキュウリを食べさせるシーンは原作にはない描写だが、映像ならではの方法で、原作の空気(シリーズ二作目あたりでの二人の関係性)をうまく表現している。
 原作では、「忍び瓜」という料理名は澪がとっさに考えついたもの、ということになっていた。で、世間ではそれを「キュウリを避けねばならない武家たちですら、お忍びでこっそりつる家に食べに来るほど美味い味」という意味で解釈し、大評判になる。
 一方、このドラマでは、小松原が澪に名前を教えてやっている。そのせいか「忍」の一字には、恋愛的なイメージがより前面に出ている気がする。少しずつ澪に心惹かれている自分をごまかすかのように、人目を忍んでこっそり会いに来る小松原の、揺れ動く心のうちとか、あるいは、お互いの身分や立場の違いをぼんやり自覚しながらも、小松原への想いがふくらんでいくのを止められない澪の「忍ぶ恋」とか。
 こういうアレンジのひとつひとつに、このドラマの、原作の雰囲気を損なわないままオリジナリティを目指す、丁寧な作りが見えてくるように思う。これなら原作ファンも「原作と違う」と想いながら「ま、これはこれでありか」と許してくれたんじゃないかと、勝手に思ってるんだが、どうか。