実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第473回】北川景子『みをつくし料理帖』リターンズの巻(前編)



江戸に現れた天才女料理人・澪。
「女料理人への偏見」、流行する「死の病」に料理で立ち向かっていく!
2012年ギャラクシー賞月間賞に輝いた感動作、第2弾が登場!


前作のあらすじ】享和二年(1802)の淀川大洪水で両親を喪なった少女、澪(北川景子)は、身よりもなく腹をすかせたところを、大阪一の料亭「天満一兆庵」のおかみ、芳(原田美枝子)に引き取られる。主人(笹野高史)は、この幼い少女のなかに、料理に関する天賦の才能を見いだし、やがて包丁を与えて板場に入れ、当時としては珍しい女料理人として彼女を育てる。



 しかし10年後、火事によって大坂の店が全焼し、主人は失意のうちに息絶える。澪とお芳は、江戸出店の夢を語りながら亡くなっていった主人の想いをかなえるべく、二人で江戸へやってきて、長屋暮らしをしながら小さなそば処「つる屋」の奉公人として働く。



 つる屋の主、種市(大杉漣)が腰を痛めてからは、澪は料理人として腕をふるうようになる。江戸の人々には馴染みのない上方風の味付けは、はじめ客から罵声を浴びるほどであったが、しだいにその味が浸透すると客がつくようになり、特に江戸にはなかった卵液の茶碗蒸しは、料理番付けでいきなり関脇の位を得るほどの評判を呼ぶ。



そのため、江戸一番と評判の名店、登龍楼を怒らせてしまい、数々の嫌がらせを受けたあげく、店に放火されるを始めとする嫌がらせの数々も受けるが、つる屋の主人、種市(大杉漣)をはじめ、周囲の人々の温かい理解のもと、くじけることなく料理道に邁進するのでありました。


 ちなみに当ブログによる第一作目のレビューはこちら(前編中編後編)。


 高田郁のベストセラー時代小説『みをつくし料理帖』(ハルキ文庫)は、一冊が数本の短編で構成された連作形式なので読みやすく、話もおもしろい。
 第一冊目の『八朔の月』が出たのが2009年5月、以降ほぼ毎年二冊ずつのペースで刊行され、この2014年8月に第10冊目を出して、それで完結するそうだ。足かけ6年がかりの作品になったわけだが、なんと作品の時代設定も、『八朔の月』が文化9年(1812年)だったのが、最新作は文化14年(1817年)になり、澪は18歳から23歳へと成長している。つまり、作品内でも、ほぼ読み手と同じペースで時間が流れている。そしてその間ヒロインは様々な人々と出会い、料理道と恋愛の板挟みでスランプに陥ったり、遊女となった幼なじみを救いたいという思いに悩んだりしながら人間的に成長していく。
 2012年のドラマ版第一弾は、原作一冊目『八朔の月』のお話をベースに、二冊目『花散らしの雨』のエピソードも加えて構成されていたが、今度のドラマは、その二冊目と、および三冊目『想い雲』を下敷きにしている。原作ではここらあたりで、お話の雰囲気が、当初の「スポ根ふうドラマ」つまり試練を乗り越え勝利を収めるというパターンから、さっき言った「澪の成長物語」の方向にシフトしていく。


1. ほろにが蕗ご飯


そういう作風の変化を端的に示す存在として、今回、まず二人の人物が新たに登場する。一人目は戯作者の清右衛門(片岡鶴太郎)。当代きっての人気作家で食通で、モデルは曲亭馬琴だそうである。澪の料理に少しでも迷いが出ればすぐに感じとり、厳しく的確な批評を述べるおっかない人だ。実際、冒頭いきなり料理にケチをつけながらの登場だ。



清右衛門「なっておらんなこの店は。まったくもって、なっておらん!」
坂村堂「清右衛門先生!」
 澪 「お客様お待ちくださいまし。何かお気に召さぬ事でも?」
清右衛門「お前かこの店の女料理人は」
 澪 「へえ」


清右衛門「あの茶わん蒸しの百合根はなんだ?」



 澪 「まことに…まことに失礼致しました!」
清右衛門「これだから女の料理はしょせん所帯の賄いなどと言われるのだ!」


 百合根に関しては、痛いところを疲れたという感じで、ただ誤るしかない澪。理由はこのあとセリフに出て来る。
 前作では、つる屋に出入りする謎の侍、小松原(その正体は将軍の献立を考える御膳奉行、小野寺数馬。演ずるのはTOKIOの松岡昌宏)が、澪の才能を評価しながら、時には叱り、時には励まし、時にはヒントを与え、厳しくかつ温かく見守る、という「海原雄山」的な役割を演じていた。でも小松原は前作の後半で茶碗蒸しを食べたところで、澪の実力を認め「お前はお前の味を突きつめれば良いのだ」と、これ以上はないアドバイスをしてしまって、それからは、澪と恋愛モードに入ってしまった。いやそこまで露骨にラブラブではないけれど、微妙な感じになっちゃった。
 でもこの手の料理ドラマには、ベタでも「海原雄山」がいた方が盛り上がる。それで今作では、小松原に代わって当代一の流行作家、清右衛門が登場したのである。もっとも初登場シーンでは、ただのいやみな食通にしか見えないが。


 澪 「申し訳ございません」


 そんなわけで、『美味しんぼ』初期の海原雄山みたいに傍若無人と帰っていく清右衛門。その背中を「やっちゃった」という表情で見送る澪の背後から声をかけたのが、ほかでもない小松原。



小松原「厄介な男が現れたもんだな」



 澪 「小松原様」



小松原「何をあんなに怒っていたのだ?」



 澪 「小松原様はあのお方をご存じなのですか?」



小松原「戯作者の清右衛門という男だ」
 澪 「戯作者…」
小松原「うん。いま流行りの読本を書いている」



 澪 「怒っていらしたのは茶わん蒸しに入れた百合根のことです」
小松原「百合根…」


 澪 「季節の移ろいに合わせて、そろそろ替えなければと思っていたのですが、甘みを惜しんで時期を逃したのを、みごとに言い当てられました」


小松原「なるほどな。……清右衛門は読本を書くだけではなく食通で辛口の評価をする事でも知られている。あの男の筆で潰された店は数知れずだ。気をつける事だな。人の口ほど怖いものはない」
 澪 「はい…」




 原作の澪は丸顔で眉は下がり気味、緊張感に欠ける顔をしているので、小松原はいつも、澪のことを「下がり眉」と呼ぶ。ネタバレになるが、六冊目の『心星ひとつ』で「俺の女房殿にならぬか」と澪にプロポーズするときも「ともに生きるならば、下がり眉が良い」と言っているくらいである。『エースをねらえ』で、宗像コーチが岡ひろみのことを「目ダヌキ」と呼ぶのは最初の方だけだが、『みをつくし料理帖』の小松原は澪をずっと「下がり眉」と呼んでいる。澪が悩んだ末にプロポーズを断って、料理の道に邁進することを告げた時(第七冊『夏天の虹』所収「冬の雲雀」)初めて小松原は「澪」と名前で呼ぶ。
 これほどさように「下がり眉」は、ヒロイン澪の重要なポイントなわけだが、もちろん北川景子は下がり眉でもなんでもないので、松岡昌宏は北川景子のことを「下がり眉」とは決して呼ばない。当たり前です。しかし、このあたりにひっかかりを感じる原作ファンが多いであろうことは、容易に想像できる。私にもその気持ちは分かる。私なんか、前のドラマを観てから原作を読み始めた北川景子ファンなのに「やっぱり小松原が澪のことを下がり眉って呼ばないのは、ちょっとなぁ」なんて思ってしまったもの。



 でもその一方で、やっぱりこれはこれでありだよなあ、とも思った。ただ私がこう書いたって、まったく説得力がないんだよね。私は以前、ドラマ『ビブリア古書堂の事件手帖』の剛力彩芽を誉め称えたことがある(こことかここ)。黒髪の長髪で胸が大きいという原作のヒロインに対して、剛力彩芽は茶髪のショートでスレンダー。原作とぜんぜん違うルックスなのに、メイク等でそれをどうにかしようともせず、ただ芝居だけで、原作の栞子さんに近い雰囲気を出していた。でも世間はかなり不満だったみたい。
 ともかく、それと同じ意味で、このドラマの北川景子もよくやっているよな、と私は思った。黒髪ではなく茶髪、下がりまゆじゃなくてキリリとした眉ではあったけど、ちゃんと澪になり切っていた。もっとも「茶髪」というのは正直よく分からない。



 たとえば時代劇アクション映画『あずみ』のヒロイン上戸彩は思いっきり茶髪だったが、あれは原作に混血という設定があるから構わない。でも『みをつくし料理帖』の澪が茶髪というのはどうなのかな。
 もちろん私は「実写版セーラームーンの火野レイを演じたときですら茶髪だった北川景子なのだから、よほどの信念のもとに、茶髪で江戸の料理人を演じたに違いない」とは思った。思ったが、どういう信念かはさっぱりわからないですね。

物語がまったく始まっていないのに、そろそろタイム・アップです。本当は、前作には登場しなかった重要人物として、清右衛門ともう一人、ふきちゃんを紹介するところまで書くつもりだったんですが、明日マジで早いもんで、このくらいで失礼します。


しかしこのペースではこのレビュー、一カ月以上かかってしまうのではないか。困りましたね。