実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


最新記事〕 〔過去記事〕 〔サイト説明〕 〔管理人

【第248回】火野家の問題を考えるの巻(前編)


注意】『M14の追憶』からお越しの方、泉里香さんの画像は一番下にあります。

1. 非実在の夜

 

ここんとこ、うちのブログのコメント欄は「古代少女ドグちゃんまつり」で盛り上がっている(正確に言えば、そういう方が一名ほどいらっしゃる)が、いよいよこの週末から、シネマスコーレにて名古屋ドグちゃんまつりの本番である。昨晩の初日は、谷澤恵里香がやって来て大盛り上がりだったようだ。といっても、私はアイドリングなんてシンケンジャーのイエローはん(森田涼花)くらいしか知らないし、このブログと谷澤恵里香のつながりは何なんだ?と訊ねられても正直よく分からない。
ええと、矢澤さんは日出高校の卒業生だ。日出学園といえば、堀越学園と並ぶ芸能人学校で、原史奈・神戸みゆき・郡司あやの・多部美華子(以上ミュージカル)、沢井美優・清浦夏実・渡辺典子(以上実写版)と、セーラームーン関係の名門でもある。何だか「それがどうした」という感じの関連だ。
ところで次の週末には、ある意味で「ドグちゃんまつり」をはるかに凌駕するオールナイト上映が東京で開催される。一部ではすでに(いろいろな意味で)大盛り上がりを見せているので、ご存知の向きも多かろう。これだ。


『映画プリキュアオールスターズDX2
    希望の光☆レインボージュエルを守れ!』公開記念
朝までプリキュア!オールナイト上映けって〜い!!

  ☆4月3日(土) 17:30より 新宿バルト9にて
   (終了は4月4日(日)午前5時前後を予定しています)
  ☆舞台挨拶登壇者(予定)
   本名陽子・ゆかな(ふたりはプリキュア Max Heart)
   樹元オリエ・榎本温子(ふたりはプリキュア Splash☆Star)
   三瓶由布子・仙台エリ(Yes! プリキュア5GoGo!)
   沖佳苗・小松由佳(フレッシュプリキュア!)
  ☆上映作品☆
  「映画 プリキュアオールスターズDX2 希望の光☆レインボージュエルを守れ!」
  「映画 ふたりはプリキュア Max Heart」
  「映画 ふたりはプリキュア Max Heart2 雪空のともだち」
  「映画 ふたりはプリキュア Splash☆Starチクタク危機一髪!」
  「映画 Yes!プリキュア5 鏡の国のミラクル大冒険!」
  「映画 Yes!プリキュア5GoGo! お菓子の国のハッピーバースディ♪」
  「映画 プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合!」
  「映画 フレッシュプリキュア! おもちゃの国は秘密がいっぱい!?」

 ★ 入場者プレゼントとしまして、特別にレインボーミラクルライト、ミラクルハートライト、 クリスタルミラクルライト&ポストカード18枚セットを差し上げます!
 ★ オールナイトイベントのため18歳未満の方は、保護者同伴でもご入場できません。


「オールナイト上映けって〜い」とひらがなで書いたり、プレゼントをアピールしたり、振る舞いは子供っぽいが、最後に「オールナイトイベントのため18歳未満の方は、保護者同伴でもご入場できません」とオチがつく。もう完全に「大きいおともだち」向け仕様である。
以前、どこかのアニメイベントで撮影された画像がネットに出まわり、東映が20代男子を、しっかりプリキュアの「メインターゲット」と見なしていることが明らかになったが、やっぱり本気なんだね。
しかしアレだ。かつてセーラームーンがそうであったように、現在プリキュアをネタにしたアダルトパロディ画像ってものすごく多い。いや私だってその道に明るいわけではないが(必死の言いわけ)、試しにGoogleでもYahooでもいい、アダルト規制のフィルタリングを外した状態で「プリキュア」「エロ」と入れて画像を検索してごらんよ。すごいでしょう。
ほんとうなら制作サイドは「いやそれはプリキュアの間違った楽しみ方です。プリキュアは本来、小さい女の子たちのために作られたアニメです」と言うべきところだ。でも東映は18禁のオールナイトを開催することで、少なくとも「プリキュアは子どもたちだけのために作りました」という大義名分を捨てた。これは、法律上の問題はともかく、理論的には、個人の遊びの範囲でのアダルトものパロディの存在を暗に認めたことになる、と私は思うがね。
まあしかし、ここは意見が分かれるところだろうし、考え始めたらとても難しいので、今はこれ以上の考察を進めるのを控えます。私がこのオールナイトの話を書いたのは、ちょっと痛快だったからなんだよね。だって現在、最もメジャーな「非実在青少年」(笑)のヒロインたちが活躍するアニメを、「18歳以下は入場禁止」というめちゃくちゃいかがわしいルールをわざとこしらえて、オールナイト興行で、しかも都庁のお膝元、新宿の劇場で上映するんだぜ。この「非実在ナイトイベント」(と勝手に命名したが)って、ひょっとすると東映から石原慎太郎に投げらかけれた挑戦状ではなかろうか。東映アニメもなかなか反骨精神があるよ。ははは。

2. わたしのグランパ



というわけで本題に戻る。今年1月に書いた【第237回】で、セーラームーンに出て来る欧米人キャストの特集を組んだ。その中心となったネタは、こっちよ!さんから寄せられた、ビクター・カサレ氏に関する新情報であった。まあしかし大抵の方は「ビクター・カサレって誰だ?」と思われるだろう。実写版セーラームーンのAct.17とAct.18で、教会の神父の役を演じていた方です。
余談になるが、Act.17とAct.18は、佐藤健光監督が初めて担当したエピソードである。その身もふたもないリアリズムはのっけから全開で、一部視聴者にインパクトを与えた(そのあたりの詳細は『失はれた週末』を参照されたい)。
たとえばこれまでの監督は、商店街でロケをする場合も、街角からのショットのなかに、CDショップの美奈子のポスターを映り込ませるとか、そういう工夫によって、このドラマはあくまでファンタジーであり、この町は架空の町「十番町」です、というイメージを損なわないようにこころがけていたように思う。
しかし佐藤監督にそういう考えはない(推定)。もうガチンコでゴミゴミした現実の街そのものを画面に映し出す。うさぎの背後には、剥がれかけた貼り紙をまとわりつかせた小汚い電柱が無造作に立っているし、自転車置き場は乱雑なまま放置されていて、都電荒川線は「三ノ輪橋」行きなんて具体的な地名を表示して疾走するのである。

画面はだいたい灰色っぽくくすんでいて暗い。おまけにクライマックスの「教会」にいたっては、あからさまに体育館にしか見えない。ヴィーナスがマーズに「なっかりだわ!戦士としてちっとも成長してないじゃない」と言い放つ背後の出口に、おざなりにはりつけられた「St. Juban Church」の看板や、負けじとにらみ返すマーズの背後で旋回する十字架がむなしい。

あっごめんね、体育館、とか、ぼんやり考えているうちに別の画像がまぎれこんでしまったね。
ともかくそういうふうに、あまり評判のよろしくない佐藤健光監督ではあるが、でもこの回は、うさぎは衛に彼女がいることを知って嫉妬の思いにかられ、やっと正体を明かした美奈子はレイと対立し、亜美は、バラバラになり始めた仲間の気持ちを察しながら静かに編み物を始め、ダーキュリーモードの最初のステージに入っていく。全体的にこれまでになく暗鬱として生々しい感情が流れる内容で、それが佐藤監督の華のない画面に、意外とうまくマッチしているのだ。私はけっこう好きです。町がゴミゴミしていればしているほど、俗世の喧騒を離れた聖なる空間としての教会の意味と、その汚れなき聖域で純潔な乙女たちが、それぞれの純潔な信念ゆえに対立する、という構図がくっきりと浮かび上がる。

そう思いながら観ていれば、最後の体育館なんて、あれをあえて教会と呼ぶことで、鈴木清順のようなシュールな効果を狙ったのではないか、なんて思えてくる。きっとそうに違いない。あ、さっきから私、しばらく思いつくままに出まかせばかり書いています。
すまんAct.17の評価が問題じゃなかった。教会とお墓の話でした。
放課後のクラウン。学校の家庭科の課題のマフラーを編む亜美、地場衛と陽菜のことで塞ぎ込むうさぎ、そんなうさぎの様子が気がかりなまこと、三者三様だが、そこにレイの姿がない。「あっ、今日レイちゃん来ないって。お母さんの命日だから、教会に行くって」
「命日」という言葉そのものは仏教だけど、故人が天に召された日にお墓参りをする、という風習はキリスト教にもないわけじゃなくて、特に日本の場合、広く行われているらしい。というわけで場面は替わって十番教会。巫女なのに教会の墓地で祈るレイ。そんな彼女に優しく言葉をかけるのがビクター・カサレ神父である。

神 父「お母さん、喜んでいるでしょう。あなたがお父さんと一緒に来たら、もっと喜ぶでしょう」
レ イ「父は、母が死んだときにも仕事をしていたような人です。母も望んでいないと思います」


父を拒絶する冷たい言葉を放つレイの方に、無言で手を置く神父。
少々見えにくいかも知れないが、表面には「RISA HINO 1963〜1995」の碑銘が確認できる。実写版の火野レイは1989年4月17日生まれと推定されるから、火野リサは26才の年にレイを生み、レイが6才になった1995年に逝去したと考えられる。
その後すぐに火川神社に預けられたのかどうかは、即座に判断するのはむずかしい。政治家として多忙をきわめ、妻の死に目にも会えなかったという当時の火野隆司には、最初からとてもレイの面倒を見る余裕などなかったようにも思える。葬儀を終えた直後、まだ就学前のレイをすぐに神社に預けてしまったのかもね。
ただ、Act.34で明らかにされたように、実は火野隆司は、外面とは裏腹に、内心ではずっと深く深く娘のことを愛し続けていた。だとすると、そう簡単に手放すかな、という気もしてくる。ほんとうは自分のもとで育たくて、しばらく一緒に暮らしてみたのだが、どう努力しても限界があり、結局、泣く泣く神社に預けた、と考えてもいいよね。しかしこの場合も、二人で暮らした時間がそんなに長かったとは思えないが。
いずれにせよ、レイが神社に預けられるまでの経緯に関する説明は、レイ自身による「パパはね、私の持っている力が嫌いなの。だから神社に預けたのよ」(Act.8)というセリフ以外、実写版では出てこなかったと思う。
では原作やアニメに、何か参考になる話はないかなと考えてみたけれど、どうだったっけ。アニメシリーズなんかぜんぜん思い出せない。アニメで、レイが神社で育てられた理由をおじいちゃんが説明した回なんてあったっけ。ご記憶の方がいらっしゃったらご教示ください。
原作漫画はどうか。こちらは実写版と設定が真逆である。実写版では、父がレイを神社に預けたことになっているが、漫画ではレイの方から父をいやがって神社に転がり込んだことになっている。

おじいちゃん「レイの父親は政治家をやっておっていそがしいらしく、めったに家によりつかんらしい。レイは父親ぎらいでな。母親が死んでからは、父親と暮らすのはいやだと、ワシのこの神社へやってきたんじゃ」

これは原作漫画の番外編「カサブランカ・メモリー」から、レイのおじいちゃんのセリフ。

おじいちゃんというと、アニメ版に出て来る母方の祖父、火野宮司がイメージ的には広く知られている。聖職者としては性格が軽すぎで、おバカで若い女性が大好きで(アニメの火川神社は「恋愛運がアップする」という評判で女性参拝客が多い)レイに怒られてばかりいるが、ときには後ろからぎゅっと抱きしめられるという役得があって、ああ私はこの役がやりたいな(同程度のバカ)。
原作漫画のおじいちゃんは、ルックスはアニメ版とかなり異なっているが、普段はまあそこそこ軽めの性格のようだし、設定も、上のセリフから判断して、父方の祖父とは考えにくい。要するに、母を失ってから、レイは母方の祖父を慕って火川神社に身を寄せたわけだ。
もしこの設定をそのまま実写版にとりこむなら、レイのママ、火野リサはもともと神社の家系の娘なんだけど、代々カトリック信徒の火野隆司と結婚して、亡くなった後、葬儀は火野隆司の意向どおりキリスト教式で行われ、遺体はカトリックの墓地に埋葬されたが、忘れ形見のレイは、母方の祖父に引き取られ、神社で育った、ということになる。
だいたい、前の総理大臣の麻生太郎の家系はカトリックだったし、現在の自民党総裁の谷垣氏もそうだ。一方、鳩山家は確かプロテスタントのはずだ。漫画でも実写版でも、レイのパパは大臣クラスの保守党の大物っぽく描かれているので、この辺のイメージと合致する。

3. いつもいつもすみません



ということで、ここまでを実写版の設定に基づいて整理すると、火野家(レイのパパの家系)は代々カトリックで政治家、一方の火川家(仮称:レイのママの家系)は代々神社を受け継いでいて、1963年生まれのリサ(レイのママ)は、たぶん1980年代中頃に火野家に嫁ぎ(4年生大学をストレートに卒業した後すぐに結婚したと考えるなら1986年)その後1989年4月17日にレイを出産するものの、身体を悪くして、レイが6才になった1995年、32歳で逝去した、ということになる。
でまあ、結局こういう解釈でいいかと思う。
実は1月にこの問題に言及した時には、もっと違うことを考えていた。さっき見たように、Act.8のセリフによれば、パパが年端もゆかぬレイを神社に預けたことになっている。でも、理由はどうあれ自分が死なせた嫁の実家に娘を押し付けて、好きな時にリムジンをよこして呼び出すなんて、それ普通の神経じゃできないと思うのだ。まあ升毅が普通の神経の人じゃない、という解釈もなりたつが。
そうしたらコメント欄に黒猫亭さんの「火野リサってママのネーミングは、単純に<小野リサ>からの連想みたいなもんじゃないか」というご指摘があって、私はハッとしたね。小野リサは日系ブラジル人の歌手だ。てことは、実はレイのママのリサも、日系ブラジル人なのではないか。それを、火野隆司が外交上の仕事でサンパウロを訪問した時に見初めて、日本に連れてきたのである。
日系ブラジル人の宗教の第1位はカトリックだ。だから火野リサの宗教もカトリックで、パパはママの没後、故人の遺志を尊重し、カトリックのお墓に愛する妻を埋葬した。で、いったんは娘のレイを自分の手元に置いたが、政治活動と子育ての両立が困難なので、最後には自分の実家である火川神社にレイを預けた。どうですかこの解釈は。
最初にこのアイデアに辿りついたとき、私はポンと膝をたたいた。Act.10でレイの少女時代を演じた水黒遥日(みずくろ はるひ)さんのちょっとエキゾチックな顔立ちも、これで説明がつくな、と思ったのである。

でもよく考えると、遥日さんが純和風の北川さんの顔へ成長する過程がうまく説明できないんだよな。というわけで、やっぱりあきらめた。結局、そんな複雑なことを考えて話をこじらせなくてもいいか、って思って、「パパはカトリックの政治家、神社はママの実家」で良いんじゃないか、という原案に戻ってしまいました。



すみません、そろそろ出かけなくちゃいけない時間だ。一気に片付けようという心づもりだった火野家の問題だが「前篇」「後篇」に分けることにした。次回は、もう4年越しの懸案となっている原作漫画「カサブランカ・メモリー」のご紹介をメインとしたい。名作の誉れ高く、私も一番好きな作品である。
最後に次回予告として「カサブランカ・メモリー」の名セリフを。アニメのレイちゃんは、別にぜんぜん男嫌いではなくて、一時は地場衛とつきあっていたほどだった。実写版の火野レイが男嫌いなのは、ファザコンの裏返しだった。このふたつにくらべると、原作の火野レイが恋愛をしない理由の方が、断然カッコいい。北川景子に言わせたかったセリフである。

……いや北川さんより杉本彩さんの方が似合うセリフか。




今週のおまけ

『曲げられない女』第10話より 泉里香さん
出番はこのワンカットのみですが、ドラマ復帰おめでとうございます。