実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第249回】メモリー・オブ・カサブランカ・メモリーの巻(本論)


みなさんこんにちは。カードは三井住友VISA、メインバンクは三井住友銀行、いま住んでいる家が三井不動産関係で購入した物件なので、住宅ローンも三井住友銀行で組んでいる、全面三井住友のLeo16です。ローンはまだ10年以上残っているので払い切るまではがんばりたいです。4月、新年度になりましたががんばりましょう。

今年の夏はがんばるぞ、おー!
(東京より地方公演に行きたいんだけど、未だ詳細情報がつかめん)
「でもばんがります!」

 

1. るんるんを買ってセーラー戦士を見よう


じゃ、本題だ。今回は、実写版以外で唯一レイの父親が(ちらっとだけ)登場する「カサブランカ・メモリー」を取り上げ、「火野家の問題を考える(後編)」へのつなぎとしたい。

実はこのブログを始めて間もないころ、私は「メモリー・オブ『カサブランカ・メモリー』の巻(序)」という記事を書いたんだが(第6回)、結局(序)に続くはずの本編を書かないまま4年の歳月をやり過ごしてしまった。でも忘れていたわけではないんだよ。待っている人などいないので言い訳しても意味ないが。

「カサブランカ・メモリー」は『るんるん』の1993年9月号に掲載された武内直子の漫画である。いつごろか、というと、アニメの『セーラームーンR』(第2シーズン)前半戦が終了して後半戦に入ったあたりだ。つまりエイルとアンの話が終わって、月影のナイトの正体も判明して(なんかサギみたいな説明だったな)ちびうさが空から落ちてきたころで、要するにセーラームーンの全盛期(の初期)である。

武内先生は『なかよし』にセーラームーン、姉妹誌『るんるん』にセーラーVの連載をそれぞれ抱えつつ、さらに『るんるん』にはセーラームーンの番外編的な短編を随時執筆されていた。この番外編は、旧単行本では、各巻の末尾に少しずつおまけ的に収録されていたが、新装版では本編とは別に2冊の「ショートストーリーズ」にまとめられた。「カサブランカ・メモリー」はその一編で、旧版コミックスの11巻、新装版ショートストーリーズの2巻(表紙がレディスコミックみたい→)に収められている。
この『るんるん』の番外編シリーズ、前にも書いた気がするが、番外編とはいえ、ある意味『なかよし』のシリーズ本編以上に重要だ。いや話の内容は他愛ないものが多い。「ちびうさの小学校生活」とか「高校受験を控えた五人が勉強会を開いたけど、雑談ばかりで勉強にならなくて、ため息をつく亜美ちゃん」とか、そんなのばかりだけど、とにかく楽しい。『なかよし』の本編が、大がかりな善と悪の戦いを描くストーリーをメインにしていたのに対して、こっちの番外編は、そっちではなかなか描けない、五人の戦士たちの素顔や日常生活を拾い出しているんです。
たぶん武内直子先生にとっても、この『るんるん』の仕事は、忙しいなりに良い息抜きになっていたのではないか、とも思う。なにしろ『なかよし』の連載は、月刊誌というペースで、毎週放送のアニメに遅れないよう話を進めなければならなかったし、出さなくてはいけないキャラクターも増えていった。サターンや外部戦士はいいとしても、カルテットあたりまでセーラー戦士が増えてくると、もう私なんか、AKB48 と同じで何が何だか状態。そのせいで「スターズ」の頃の原作漫画は、もう見せ場をつないだ名場面集みたいになってしまって、オリジナルの五人(内部戦士)など、ほとんど脇役であった。そのへんの欲求不満を、この番外編は解消してくれるのです。



実写版セーラームーンの物語は、原作の前半4分の1弱にあたる「ダーク・キングダム篇」をベースに作られているが、五人の戦士のキャラクター造形にあたっては、この『るんるん』の番外編シリーズの存在がけっこう大きいと思う。とりわけ、実写版火野レイのキャラクターを考える上で「カサブランカ・メモリー」は外せない作品です。なんてことはご存知の方も多いと思うけど、そういう視点から、あらためてこの作品を鑑賞したいと思います。

2. 「レイちゃんは永遠にキミのもの!」(武内直子)

 


カサブランカはユリを交配して生み出された真っ白い花だ。だから、そもそもイメージカラーが赤である火野レイの話のタイトルにするにはふさわしくないのだが、その事情について武内直子先生は、トビラ画の裏にこんな解説を書いていらっしゃいます。

このオハナシを思いついたきっかけは、ナオコがよくいく某公園の某ホテル。
そこのレストランで、声優さんたちと食事をしたあと
(今はもうない)レストランのトナリの花屋の前で「わあキレイな白いゆり」と、
セーラームーン、みついしことの嬢がたちどまった。
「それはカサブランカっていうのよ、あたしの大好きな花なの」
そういったのはセーラーマーズ、富沢美智恵おねーさまだった。

そのシュンカンにきめたの。レイちゃんの好きな花はカサブランカにしよう、って。

もしかしたらこのオハナシは、声優、富沢美智恵おねーさまのイメージに重なった
ちょっぴりオトナのオハナシになったかも知れない。



というわけで「カサブランカ・メモリー」は、アニメ版で火野レイを演じた富沢美智恵にささげられた話である。
これまで何度もこのブログに「原作者はアニメ版に必ずしも満足していなかった」と書いてきた。でもそれは武内先生がアニメ版を全面否定していたという意味ではない。話はそう単純ではなくて、やっぱり自作のアニメ化(しかも大ヒット)なので、愛着も、制作に関わった人々に対するリスペクトも十分にあったことは、当時のインタビューなどの端々でうかがえる。しかしその一方、納得できない部分、認めたくない部分もあったようで、このへんは複雑な心境だったと思う。たとえば富沢美智恵がレイを演じたこと自体に不満はないが、アニメ版のレイが、うさぎと「べろべろべー」とか低レベルな意地の張り合いをするお馬鹿キャラになっちゃったことには心を痛めていた、みたいな。



ともかく、以前こっちよ!さんからも御指摘をいただいたとおり、原作者はアニメ版に対して含むところをもってはいたが、三石琴乃を始めとする声優陣とは、とってもフレンドリーだった。食事をしたとかパジャマパーティーをしたとか、劇場版の挿入歌「ムーン・リベンジ」を歌ったときの五人のユニット名をピーチ・ヒップスと命名したとか(良かったのかそれで?)、その親密さを伝えるエピソードには事欠かない。そうした交流のなかから生まれたのが「カサブランカ・メモリー」である。
だからこの作品、設定的には、うさぎたちと知り合ったころのレイちゃんなんだけど、当時すでに30代だった富沢美智恵さんがイメージのベースとなっているために、なんか妙に年齢不詳だったりする。これ、けっこうややこしい関係ですね。つまりアニメ版のレイは、わりとドタバタしたお馬鹿キャラなんだけれど、そのアニメでレイの声をあてた冨沢さんの、プライベートな素顔のイメージが重ねられている原作漫画のレイは、大人っぽくなっている、ということだ。私の言っていること、分かりますか?
そういう意味では、セーラームーンを「原作原理主義」で実写化する場合に、レイのキャスティングは、演技力云々以前に、素材の持つ「少女で大人」な雰囲気がポイントとなったことだろう。たぶんオーディションで北川景子を見つけたときには、スタッフはみんな「やった!」とか思ったんじゃないだろうかね。みなさんもご存知のとおり、武内直子先生も実写版終了時には、ホームページのコメントで「レイちゃんは永遠にキミのもの!」と北川さんを絶賛していた。
で、その原作漫画「カサブランカ・メモリー」(以下「原作」と省略します)は、火野レイとパパの確執と和解をテーマにした実写版Act.8、およびAct.33・Act.34の下敷きになっている話だ。小林靖子は、原作を巧みに活用し、大胆にアレンジして脚本化している。
東映公式HPの、Act.34エピソードガイドの終わりの方に「おわびと訂正」と題して次のように書いてある。

(Act.33のエピソードガイドのなかで、「『セーラームーン』史上、たぶん初登場のレイパパ・亜美ママを演じるは、升毅さん&筒井真理子さん」と記載したことに対して)「レイパパや亜美ママは、コミックにも出てくるよ!」と、ご指摘をいただきました。
前回、うっかり「セーラームーン史上初?」みたいなことを書いたのは、映像や舞台の話です。まぎらわしくてすみません。
そのコミックが原作です。(^^;
たとえば代議士秘書が女性だったり(Act.8)、「西崎」と名前を強調したりしているのは、『カサブランカ・メモリー』の設定を活かす上で、番外編と誤解されないための一策。
この番組は、流通上《実写版》とかいわれてはいますが、そうした原作にもとづき、きっちり「ドラマ化」するのが主旨です。

この文章、なんかイマイチ日本語として不自由で意味不明なのだが、私の理解した限り「原作はあくまでセーラームーンの番外編として書かれた作品だが、Act.33やAct.34はそれをアレンジしてメインストーリーに組み入れているので、原作そのままではない。そのことを示す意味で、レイのパパの秘書の名前や設定を変えている。でも原作のスピリットそのものは活かしてドラマ化している。原作原理主義とはそういうことである」という主張と解釈していいのだろうか。いいことにしておこう。

3. どんなお話か


ではどこが活かされているのか、という点に留意しながら原作を見ていきましょう。
お話は、4月17日の誕生日に、見知らぬ男の子から、レイちゃんが真っ赤なバラの花束を貰うシーンから始まる。

だけどレイはまったく興味がない。せっかくなのでモノはもらっておくが、気持ちは受けとれない
……って誰かと同じだね。

 

レイのイメージカラーは炎と情熱の赤だが、意外にも好きな花は純白のカサブランカだ。だがそのことを知る人は少ない。
でも、家(というか神社)に帰ると、カサブランカの花と白い服が届けられていた。毎年、誕生日(だけ)には、レイとパパは夕食を共にする。それにあわせて火川神社に、服と花束が贈られて来る。レイはその服を着て、パパとのディナーに出かけるわけです。

でもレイは知っていた。毎年届けられるワンピースと花束。そのプレゼントは「パパより」となっているけれども、本当はパパではなくて、パパの秘書の海堂さんが選んでくれたものだ。
レイがそのことに気づいたのは、小学六年の時だ。海堂さんと花屋に行って、お店のカサブランカに見とれたら「レイさんには白がよくにあう」と言ってくれた。そのとき、そう確信したのだ。同時に、たぶん以前から無意識に抱いていた海堂さんに対するほのかな恋心が、ぐいっと表面にあらわれたのですね。
そしてさらに翌年の中学一年の時には、呼び出したパパの都合が悪くなって急遽キャンセル。パパは海堂に代理を頼み、レイは海堂さんと二人きりで誕生日のディナー・テーブルに着く。
内心では胸をときめかせながら、レイは表向きの冷静さを装う。「海堂さんも、いずれはパパとおなじように政界へはいるんでしょ?みんないってるわ、海堂さんはパパの後継者だって」
でも海堂は答える。「自分の娘を不幸にはしたくないな。わたしはおとなになりきれないから、政治にはむいてない」

まあちょっとした殺し文句である。これでもう、レイの心は完全に海堂さんに傾いてしまった。
だけど、思い出はそれだけでは終わらない。苦い続きがあるのだ。そしてそれこそが、レイを「男嫌い」にした原因である。
ある日、レイは見知らぬ美しい女性と楽しげにデートしている海堂の姿を見てしまう。彼女は民主自由党(笑)トップの娘であり、レイのパパは、信頼する第一秘書の海堂を彼女と結婚させ、自分の地盤を譲って次の選挙に立候補させようと考えていたのだ。そして海堂は、恩義ある「火野先生」に勧められた縁談を断れる立場になかった。

雨の中の悲しい別れである。ただフォボスとデイモスがばさばさ飛んでいるのが不気味ではある。

 

ブザー・ビートは関係なかったね。このブログはときどき関係ない画像が紛れ込むけどお許しください。
で、この後、恋の悩みで霊感が鈍くなったレイのスキをついて、ゾイサイトが襲いかかる一幕があるわけだが、そこは省略しておきます。原作はジェダイトが倒された直後の話になっていて、ゾイサイトはジェダイトの敵をとろうとしたのである。原作とアニメのゾイサイトがオネエ言葉でしゃべることは、みなさんもご存知ですよね。ここでも女装だったりする。

 

セーラームーン、マーキュリー、ジュピターが駆けつける前に、ゾイサイトは退散。
それで、前回も紹介した最後の決めゼリフになるわけだが、これカッコいいけど、ちょっと強がりともとれるところが可愛い。せっかくだからもう一度紹介します。

 

4. 実写版の世界に近い……と思うんだけれどなぁ


以上、読んだことのない方にも、だいたいの雰囲気はご理解いただけたものと思う。この物語にはもうひとつ「雨の木(レイン・ツリー)」のイメージが絡んでくるのだが、まあそっちの方は、ぜひ原作本を購入してお読みください。
で、実写版はこういう火野レイのキャラクターを土台に、特に、レイのパパという新キャラクターを導入して、パパとレイの関係を中心に再構成しながら、Act.8、Act.33、Act.34を作っていったわけです。もちろん、原作にもパパは出て来ないわけじゃない。でもワンカット、しかも顔が半分切れているぐらいで、扱いがすごく小さい。

原作のレイは、ママが孤独に死んだときから、パパに対する親子の情愛を(表向きだけではなく)失っている。パパも、誕生日ごとにレイと会うのはほとんど義務としてやっているだけだ。両者の関係はほんとうに冷えきっちゃっているわけね。まあそれ以上の親子の確執を描こうとすると、番外編の読み切り短編という範疇を越えてしまうので、話を膨らませようがなかった、とも言える。
そこを、シリーズ本編の流れに組み込んで、「一見、お互い冷淡で、憎しみ合っているようにさえ見えるレイとパパだけれど、実は……」というかたちで、二人の背後にある別の物語の可能性を引き出してみせたのが実写版である。
で、テーマをパパとレイの父娘に絞り込むためには恋愛問題も邪魔なので、海堂の存在そのものを物語から取っ払ってしまった。ちょっともったいない気もするが、そう何もかもというわけにはいかないよな。海堂がいなくなったことによって、全体的なプロットは原作と別物になってしまった。でもテイストというか、雰囲気は、原作の影響が色濃く残っているように思うのだ。
特にレイとまことの関係に、それが強く感じられる。

  

原作の設定では、レイはまだうさぎや亜美には十分に心を開いていない。でもこのお話で、レイは初めて、まことと打ち解けた関係になる。
まあ実写版の場合、うさぎはともかく、亜美とレイは、わりと出会って間もなく、Act.4やAct.5で、お互いに通じ合うものを感じ始めてはいるんだけどね。でもやっぱり、亜美は何しろ本人がああいう性格なもんだから、とても「レイの心を開かせる」という感じではない。本当の意味でそのきっかけをつくったのは、やはりAct.8のまことだろう。
「カサブランカ・メモリー」でもそうなのだ。心揺れ動き、雨の中あてもなくぶらりと外に出たレイは、ばったりまことと出会う。それでふと、お互いに胸の内を明かして語り合ったりするのである。

レイは明らかに未成年が入っちゃいけなさそうな店にまことを連れて入っているし(会員制クラブっぽい。でも「民主自由党の火野先生のお嬢さま」なので顔パスだ)しかも、最後のコマのまことは明らかに酔って寝ている。ついでに言えば二人とも制服である。が、なにせ富沢美智恵おねーさまのレイちゃんのイメージを基準に描かれた作品なので、そこは割り切って考えなくてはいけない。
で、実写版のどこにこんなシーンがあったんだよ、と思われる方がいらっしゃると思う。でも全体的なトーンは、さっきも言ったように、Act.8の後半の展開に近いと思うんだよね。(a)実はセレブなお嬢さまの火野レイだからこそ入れるような高級感のあるスペースに、わりと庶民っぽいまことが入り込む。(b)腹を割ったまことの話しっぷりに、レイの気持ちがなごむ、(c)二人の間に、なんかよく分からないが「同士」としての絆が生まれる、みたいな基本展開において、けっこう近いものがあると私は思う。でも、そりゃアンタの思い込みだよ、と言われれば否定しません。

ま、そんなわけで今回は「火野家の問題」続編とはならず「カサブランカ・メモリー」の話題に終始してしまいましたが、私個人としてはこの日曜日にちょっとビッグなイベントを控えているので、まずはこれまで。
で、いろいろ書いたが、今回のブログで私が言いたかったことは、実は次の一点に尽きるのであった。

 
実写版「カサブランカ・メモリー」を、当時の北川景子と安座間美優で作ってほしかったなぁ。

もはや叶わぬ夢である。
ではまた。