実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第241回】影武者VS影武者の巻(侍戦隊シンケンジャー第12幕)

1. ただのイントロのつもりがまた……



この記事をみなさんが目にする頃には、もう大団円を迎えているだろうけど、『侍戦隊シンケンジャー』は期待通り面白かったね。
なんといっても、我らが小林靖子が、あの『未来戦隊タイムレンジャー』(2000年)以来、ほとんど10年ぶりに手がける戦隊ものである。もちろん実写版セーラームーン(2003年)だって戦隊のバリエーションと見なせるけど、あれから数えても5年以上のブランクだ。ま、セーラームーンはちとアレだったが、その後『仮面ライダー電王』は大評判になり、その記憶もまだ残っているところで、本領とも言えるスーパー戦隊、群像劇の世界に戻ってきたというのだから、これはもう、期待するなという方が無理だ。
しかも執筆話数がすごい。全49話中、7本(大和屋暁が4本、石橋大助が3本)を除く42話分の脚本を、小林靖子が一人で書いてしまった。この数字は、49話全話を手がけた実写版セーラームーンや、同じく49話のうち45話を執筆した『仮面ライダー電王』と較べれば、別にどうってことはないんだが、スーパー戦隊としては異常である。ふつう戦隊もののメインライターは、せいぜい全エピソードの半分くらいしか書かない(ここ数年を見ても、2006年の『轟轟戦隊ボウケンジャー』の會川昇は全50話中の23本、2007年『獣拳戦隊ゲキレンジャー』の横手美智子は全49話中24本、2008年『炎神戦隊ゴーオンジャー』の武上純希は全50話中25本しか担当していない)。
要するに、メインライターが降板すると作品のカラーがガラッと変化する平成仮面ライダーなんかとは事情が違うのだろう。35年という半端じゃない歴史をもつ戦隊ものには、『サザエさん』や『水戸黄門』なんかと同じように確立されたパターンがある。だからメインライターが、主要キャラクターの初期設定や、大まかな物語展開の要所要所を押さえておきさえすれば、後はどんなライターに書かせても、その個性を反映して作品の雰囲気がころころ変わるという事態には、良くも悪くもなりにくいんでしょうね。そういうわけで、メインライターは20話も書けば、充分そのつとめをはたしたことになるのだと思う。

にもかかわらず小林靖子は今回、とにかくできるだけ多くのエピソードを自分で執筆するという方法で『シンケンジャー』に臨んだ。その結果、49話中42本というべらぼうな数になった。しかもこの間、夏のシンケンジャー劇場版はもちろん、會川昇さんが降りた後の『仮面ライダーディケイド』を4本(電王編2話とシンケンジャー編2話)も書いている。それがなければおそらくシンケンジャー本編全話を書いていたのではないだろうか。なぜそこまでしたのか。
なんてことは考えず、私は当初、小林脚本の回が多いことだけを無邪気に喜んでいた(コミックリリーフに徹した大和屋脚本も良かったけどね)。そして、戦隊ものの「お約束」をきちんと遵守しながら、ひと味もふた味も違うキャラクターの掘り下げ方を見せてくれる彼女の職人芸的な手腕に感嘆し、そのウェルメイドな世界を楽しんでいた。
しかしやはりそれだけではなかった。ご覧になっている方はご存知のように、残りあとわずかという第44話と第45話の段階で、シンケンジャーには、戦隊ものとしてはちょっと信じられないような大どんでん返しが用意されていた。そしてこの大ネタ一発で、前半のエピソードで描かれた一連の描写や謎が、まるでドミノ倒しみたいにパタパタと連鎖反応を起こしてひっくり返り、これまでとは全く違う画を描き出した時には、私はもう、ほとんど恍惚としてしまった。これか。この伏線をきっちり決めて、後から矛盾が出ないようにするために、小林さんは42本も脚本を執筆したのだなあきっと。


本編に入る前にちょっとだけ、最終回を迎えるシンケンジャーに触れようと思っていたんだが、どうも収まりがつかなくなってきた。う〜ん、現在、実写版DVD第2巻Act.6のレビューを中断して始めた「火野レイのお墓と家庭事情問題」の考察を中断して始めた『筆談ホステス』のレビューを継続中だが、仕方がない、このレビューもちょっと中断して、今回はシンケンジャー第11幕と第12幕について考察してみたい。何故ならばこれ、なんと実写版セーラームーンAct.11とAct.12のリメイクなのである。
 こんなことを書くとまたコメント欄で誰かに叱られそうだ。いや冗談冗談。冗談ですって。ただこれまでも取り上げたように、シンケンジャーとセーラームーンには妙な符合がある。これとか。そういうののアナザーケースだと思って聞いてください。なお話の都合上、第44幕のオチについてはどうしても触れざるを得ない。これは、やはりある種のネタバレということになるでしょう。これからご覧になるつもりの方はご注意ください。

2. 第十一幕 三巴大騒動(みつどもえおおそうどう)


さて、というわけで『侍戦隊シンケンジャー』ですが、このシリーズの特色は、まずレッドが「リーダー」ではなくて「殿様」で、残る4人が「家臣の侍たち」という主従関係になっているところだ。つまり主人公だけ「戦士」じゃなくて「プリンセス」だという、セーラームーンと同じ構成ですね。
敵は「三途の川」と呼ばれる魔界から人間界を攻めて来る「外道衆」。対する正義の味方は、300年前から代々シンケンレッドを継承してきた由緒あるサムライ、志葉家の18代目当主、志葉丈瑠(しば・たける)である。
彼はこの世界を外道衆から守るために、忠実な家臣の「じい」こと日下部彦馬(伊吹吾郎)に支えられ、これまで人知れず戦っていた。

しかしここへ来て外道衆の攻撃が本格的になってきて、とても一人では防ぎきれなくなってきた。そこでじいは招集の文書を括りつけた文矢を放ち、志葉家の家臣の末裔である若いサムライたちを集める。こうしてシンケンジャーが結成される。

4人の若者たちは、もちろん先祖代々、いざという時には殿の元へ馳せ参じるよう言われ続けていたから、すぐに集まってきた。
でも殿様はエラソーだし、これまで普通に過ごしていたところへ、いきなり殿様だの家来だのと時代錯誤なことを言われても、そんなの納得いかないよ、というメンバーもいて、チームワークはイマイチ。これがだんだん、主従関係よりも信頼関係で結ばれて、本当のチームに育っていく…というのが、つまり第1クールのテーマだ。その節目となるのが第11幕と第12幕である。
ここで言わずもがなの注釈をしておくと、仮面ライダーや実写版セーラームーンの場合、2話ごとに監督が交代するローテーションを組んでいるので、脚本も2話でひとつのエピソードが完結する場合が多い。今やっている『仮面ライダーW』なんてその分かりやすい例で、第1周が「事件篇」で翌週が「解決編」という、『名探偵コナン』と同じ形式になっている(念のために書いておくが、『W』は松田優作の『探偵物語』と水谷豊の『相棒』と永瀬正敏の『私立探偵 濱マイク』の設定をごっちゃにしたハードボイルドミステリである)。
一方スーパー戦隊の場合、監督ローテーションは2話ずつなんだけど、お話は2話ひっぱらず、原則として1話完結で進行する。『シンケンジャー』も同様で、第10話までは、本編の最後に「シンケンジャー第○幕、まずはこれまで」という締めくくりのナレーションが必ず入っていた。
ところが第11幕のラストでは、初めて「シンケンジャー第11幕、まずは……12幕に続きます」となる。つまり、このエピソードは明確に、第11幕と第12幕でセットなのだ。それだけ重要なエピソードだ、という意味でもある。

どのへんが重要かというと、第一に、敵の総大将「血祭ドウコク」および外道衆とシンケンレッドの因縁が明らかにされるのだ。このへんは、前世の月で何があったのかイマイチはっきりしない実写版セーラームーンと違って、かなり明確である。
シンケンジャーたちは、携帯電話と毛筆を一緒にしたような(笑)「書道フォン」というアイテムを持っていて、これで宙空に文字を書くと、文字が実体化して変身したり、敵を粉砕したり、封印したりできる。シンケンジャーがシンケンジャーなのは、各自がこの「文字を操り、パワーに変換する力」を持っているからである。ドラマの中では「モヂカラ」と呼ばれます。文字の力でモヂカラ、分かりやすいですね。
この力を代々継承している血筋が、殿様のシンケンレッドであり、家臣のブルーとグリーンとピンクとイエローなのである。
で、先代のシンケンレッドは、モヂカラを使って、外道衆の大将、血祭ドウコクを一度は封印したんだそうだ。

じい「これは極めて秘密のことなれば、お前達も聞いてはおらんだろう。実は志葉家には代々、ある文字が伝わっている。志葉の人間にしか使えん文字だ。この文字こそ外道衆、血祭ドウコクを封印できる唯一の文字だ。先代の殿は、その文字でドウコクを封印された」

でもそのために先代のシンケンジャーたちはバタバタと討ち死にして、先代レッドも、ドウコクを封印するには、自分の命を引き換えにしなければならなかった。要するにドウコクっていうのは、クイン・メタリアなみの強さってことだと思います。「ドウコクは封印され、それが先代殿のご最後に……」
ところがですね、そのメタリアが、ではなくてドウコクが、いまの世に復活しているわけだ。ということは、先代レッドの封印は完全ではなかったんだね。
整理します。敵のラスボスは血祭ドウコク。こいつを完全に封印するには、シンケンレッドに先祖代々伝わる特別な封印文字を使うしかない。が、先代が命をかけても封印できなかったくらいで、この封印文字を操るには、ハンパないモヂカラの鍛錬が必要。現在の十八代目シンケンレッドにもまだそれだけの力が備わっていないので、ただいま特訓中である。家臣たちの使命は、殿様がその力を身につけるまでの間、外道衆の攻撃を食い止め、必要があれば自分の身を挺してでも殿様を守ることだ。
というわけで、これまでイマイチ自分たちの使命が呑み込めないまま、ただ言われた通りに戦ってきたシンケンジャーたちは、やっと何がどうなっているのか理解する。で、毎日の日課である剣道の訓練をしながら、お屋敷の庭で会話している戦士たち。


(お屋敷の庭で竹刀の素振りとかしている戦士たち。たまたまやって来て、障子の陰で聞いている殿様)
グリーン「惜しいよなあ。丈瑠が封印の文字、使えればなあ」
ピンク「戦いが終わる、ってことだよね」
グリーン「ま、ずっと稽古しているらしいけど、先代もその前もマスターできなかったんだろ、キビシイよな」
イエロー「きっと使えるようにならはるわ。殿様やったらきっと」
ブルー「そうだ。それまで何としても、殿をお守りするんだ。我々がなぜ家臣として育てられてきたか、その意味がようやく分かった。殿をお守りすることが、すなわちこの世を守ること。我々が殿の盾となって…」
(そこで障子の影から姿を現す殿様。いらだたしげに)

レッド「そんな必要はない!自分のことは自分で守る。お前達は今まで通りでいい」
ピンク「今までとは状況が違うでしょ」
グリーン「確かに。丈瑠がこっちの切り札ってことだもんな」
ブルー「守らないわけにはいきません」
イエロー「うちも頑張ります」
レッド「いいから、戦いの中で余計なことを考えるな」
ブルー「いえ、この流之介、命に代えても…」
レッド「やめろ!かえって足手まといだ」
(仲間に背を向けて一人で素振りをはじめる殿様)

ここまでがAパートで、ドラマ全体にかかわる伏線部分となる。でBパートからは、パターン通り今回の敵が登場して、そいつと戦って、というバトルシーンなんだけど、守られていなければならないはずの殿様が、率先して敵の火中に飛び込んで家臣を慌てさせたりして、いまいちフォーメーションが上手く行かなかったりする。

いやぁやっぱりご飯に梅干し、主役にナパーム。
それから、他にもいろいろあるんだが、ともかくチームワークはバラバラで、勝利にはほど遠い状態。負傷しながら辛くも生きながらえて志葉家に帰ったシンケンジャーたち。でもその晩、殿様がどこかに失踪してしまう……と、ここまでが第11幕のあらすじだ。

3. 第十二幕 史上初超侍合体(しじょうはつちょうさむらいがったい)

 

続く第12幕では、家臣たちの命をあずかる「殿」であることの重圧に耐えかねて夜の街をあてどなく歩き回る丈瑠(レッド)と、じたばたせず「殿」を信じてその帰りを待つ腹を固める日下部(じい)、というような描写があって、そのあと、茉子(ピンク)と千明(グリーン)の会話になる。ことは(イエロー)と流之介(ブルー)は、前回の戦闘で負傷して床の間に寝て、二人の会話を聞いている。

ピンク「千明(ちあき)さあ、自分が殿様だったらって、考えたことある?」
グリーン「え?」
ピンク「私、ゆうべずっと考えてた」
グリーン「何それ?…ま、ペコペコされんのは気持ちいいかもな」
ピンク「あのね、ペコペコされるっていうのは、その人のぜんぶ預かるってことだよ!昨日のことはと流之介みたいに、自分に命賭けてくる…」
グリーン「それは丈瑠もやめろっつってたろ」
ピンク「でもとめられない。丈瑠は死ぬわけにはいかないんだから」
グリーン「そっか…丈瑠が外道衆を倒す切り札だもんな」
(負傷して床に伏せながら、二人の会話を障子越しに聞いているブルーとイエロー)
ピンク「この世を守るためには、家臣を捨てても自分は生き残らなきゃいけない。できる?……私だったら、殿様やめる。でも丈瑠はやめられない…ちょっとぐらい逃げ出したくもなるよ…」
(同じく二人の会話を障子越しに聞いているじい)

そんなわけで、いつもやたら偉そうな殿様に反撥していた千明(グリーン)を中心に、家臣たちは、丈瑠(レッド)が殿様として背負ったものの重さに思いを馳せ、改めて一緒に戦って行こうという決意を新たにするわけだね。

一方、丈瑠(レッド)は、街をふらふらしているうちに、港で紙飛行機を飛ばして遊んでいる保育園の子供たちと出会う。そのうちの一人が、外道衆に襲われて父親を失ったと聞いて、自分の少年時代を回想する。父は折り紙で紙飛行機を作ってくれて、それを遠くまで飛ばしながらこう言ったものだ「強くなれ、丈瑠。志葉家十八代目当主、どんなに重くても背負い続けろ。落ちずに飛び続けろ」
気持ちがふっきれて、もういちど「殿」として戦う決意を固めたレッド。そこへ遠くで爆音が響く。外道衆の出現だ。
駆けつけた殿様の前で、必死で戦う家臣たち。

ブルー「殿、うるさく思うでしょうが、私はこのように育ちましたし、このようにしか戦えません。この先もずっと」
ピンク「正直、戦うなら仲間でいいって思ってたけど、殿だから背負えることもあるんだよね、きっと。だから決める。丈瑠に命、預けるよ」
グリーン「お前が殿様、背負って行くって言うなら、家臣になってやってもいい。ただし、俺がお前を越えるまでな」
イエロー「うち、あの…殿様、死んだらあかん。うちイヤです。それだけです」
父(回想)「強くなれ、丈瑠。志葉家十八代目当主、どんなに重くても背負い続けろ。落ちずに飛び続けろ」
レッド「流ノ介、茉子、千明 、ことは、お前達の命、あらためて預かった!」

てな感じで、5人の結束が固まるんです。カッコいいですね。

4. ヒゲ武者


ところが、それから8ヶ月も経った物語の終盤も終盤、第44話になって、なんと本物の殿様が現れる。殿様というかプリンセスだ。

彼女こそ本当の志葉家十八代目当主、志葉薫、真のシンケンレッドである。つまり丈瑠は、実は影武者だったんですね。彼の任務は、本物の志葉家継承者であるカオル姫が敵の大将を封印できる力を身につけるまでの間、敵の目をあざむき、さらには味方の目をもあざむき、当主になりすまして、敵の攻撃を引きつけることにあった。もともと彼は、サムライでも何でもない、ただモヂカラを操る能力に恵まれた血統の一民間人で、親の代から本物の殿様の影武者を演じていたのだ。

  

もちろん、じい(日下部)も、すべてを知りつつ、丈瑠をあたかも本物の殿様のように育て、その孤独な戦いをサポートしてきたのだ。

  

その間、本物の志葉家の当主は、外道衆の親玉を封印するパワーを体得すべく、ひそかに特訓を重ねていた。そして、ようやく今、血祭ドウコクを封印できる文字の力を身につけたということで、家臣たちの前に姿を見せたというわけだ。

シンケンジャーたちに土下座してこれまでの嘘を詫びる丈瑠。当惑する仲間。せっかく影武者と家臣の結束がゆるぎなく固まったところに出てきて混乱を招く結果となってしまい、本当にこれで良かったのかと悩む姫。
ともかく、本物が姿を現した以上、影武者はお役御免だ。だけど、ここまで一年間一緒に戦って来て、実は影武者でしたと言われても、仲間達もそれは困るよね。視聴者にしても、ずーっと主役を張っていたレッドが、実は本物のレッドじゃなかったなんてオチも、本物のレッドが実は女だったというオチも、スーパー戦隊史上、初めてではなかろうか。小林靖子、してやったり。
で、もうそろそろ字数も時間も尽きてきたので、ここから後、最終回の大決戦に向かうまでの、さらにびっくりする展開は省略させていただくが、この真相から第12幕を振り返って考えると、実はこのときにレッドが悩んでいたのは、「自分は本当の殿様じゃないのに、殿様の振りをして、本物の家臣たちの命を預かっている」ということへの罪悪感だったことが分かる。
この二重構造こそ、実写版セーラームーンAct.12が実現できなかったものだ。
実写版Act.12は、ほんとうは(表)「プリンセスと幻の銀水晶を探す」という本来の使命を放ったらかしにして愛野美奈子に夢中のうさぎ。でもその愛野美奈子こそ、実はセーラーV=プリンセスであった、という勘違いコメディ、(裏)実はうさぎこそ本物のプリンセスであり、愛野美奈子は影武者に過ぎないのだが、そのうさぎが美奈子の「ヒゲ武者」を買って出るという皮肉な展開、という、表と裏、両面的な話だ。でもセーラームーンの話はあまりにも有名なので、ほんとうのプリンセスがうさぎ=セーラームーンであることを大抵の視聴者は了解していたし、大抵の視聴者が了解していることを脚本家の小林靖子も了解していた。
それで結局、表向きの勘違いコメディとしての側面はなんだかおざなりになってしまって、裏の面、つまりうさぎが美奈子のヒゲ武者を演じるアイロニーが前面に出ている。出ているのだが、しかし物語のタテマエとしては、まだ「うさぎがプリンセスである」という事実は伏せられていることになっているので、そっちだけで押すこともできず、結局、お話として中途半端に終わっている。

それと較べると、このシンケンジャー第12幕は、みごとに二重構造を実現している。(表)最初のオンエアで、我々は志葉丈瑠が本物のシンケンレッドだとすっかり思い込んでいるから、彼が突然失踪した理由を、ピンクが劇中で言うように、殿様であることの重圧に耐えかねたのだろうと推測するし、殿様のくせに敵との戦いで自ら最前線に飛び出す場面では、家臣たちの命を預かっていることへの罪障感が、彼をそういう行動に駆り立てるのだろうと考える。そして最後の「お前達の命、あらためて預かった」という台詞を、言われたそのままの意味で理解する。(裏)しかし今あらためて観なおすと、そのすべてが違った意味になる。彼の失踪のほんとうの理由は、影武者に過ぎない自分に命を預けようとしている家臣たちの態度を前に、このまま彼らを欺き続けていいのか、と迷ったためであるし、戦いの場で常に最前線に立つのは、そうやって自らが標的となって、隠れている真の当主から敵の目を逸らすことこそ、彼の本来の使命だからなのだ。そして最後に「お前達の命、あらためて預かった」と言ったのは、父から命ぜられた通り、最後まで影武者としての使命を全うしよう、と腹をくくったからに他ならない。重要なのは、表の意味で観ても、裏の意味で観ても、この第12幕がドラマとして十分に楽しめることだ。実写版のAct.12に欠けていたのは、まさにそこのところだった。
というわけで、「やる気を失いかけていた影武者が、もういちど主君のために頑張ろうと気力を取り戻す」というまったく同じモチーフの物語でありながら、シンケンジャー第12幕はセーラームーンAct.12よりも段違いに完成度が高い。『電王』の時にも「小林靖子は進化した」って書いたと思うけど、なんか、また進化したような気がする。日本一の脚本家だよ。
それに、同じ戦隊ものだけあって、電王よりも、シンケンジャーとセーラームーンの方が、もっともっと面白い構造的な類似点や相違点がたくさんある。やれと言われりゃ今からでも、さらに5つ6つの共通点を挙げることができるが、そんなことをやりだしたらいつ終わるか分からないので止めておく。私は次週『筆談ホステス』に戻りますので、誰か興味のある方、ぜひ比較考察してみてください。
はい、じゃ今回はこれくらいで。


あ、もうひとつだけおまけ。シンケンジャー第23幕より。このエピソードは、じい(伊吹吾郎)との『水戸黄門』つながりで、うっかり八兵衛(高橋元太郎)がゲスト出演した楽しい回だった。もちろん印籠も出てくる。八兵衛の役どころは志葉家の菩提寺の住職、浄寛和尚。オンエア日がお盆の前の8月2日だったので、歴代シンケンレッドが眠るお墓に、シンケンジャー一同が墓参りに行くというお話だった。

墓参りが終わってから、みんなはお寺の中を見学するんだけれど、気がついたらレッドの姿が無い。で、レッドと八兵衛、じゃなくて和尚はどこにいるかというと、二人だけでお寺の裏の、ホントに目立たない場所にある、墓というか、文字さえ刻まれていない小さな石碑の前に立っている。花も線香も、何も添えられていない。

オンエアの時にはこれが何を意味するのか、さっぱり分からなかったが、今なら分かる。これが本当の丈瑠の父の墓なのだ。本物のシンケンレッドの墓はお寺の目立つところにちゃんと立てられているが、影武者の墓などおおっぴらに造るわけにはいかない。レッドは、父親を偲びながら、いずれ自分も本物の殿様の身代わりとして使命を全うしたら、このちっちゃな石の下に、人知れず埋められるんだな、と思っているのだろうか。
ま、いずれにせよ、そういう意味が分かるのは、丈瑠が影武者であることが判明する半年後である。大半の人はこんなシーン忘れちゃっているんじゃないかな。他にもシンケンジャーには、忘れた頃に畳まれる、しびれるくらい遠大な伏線があちこちにばらまかれています。やっぱりこれ、実写版セーラームーンのファンは必見だと思う。



(放送データ「侍戦隊シンケンジャー 第十二幕 史上初超侍合体」2009年5月3日初放送【スタッフ】脚本:小林靖子/監督:諸田敏/撮影:松村文雄【キャスト】志葉丈瑠(レッド):松坂桃李/池波流ノ介(ブルー):相葉弘樹/白石茉子(ピンク):高梨臨/谷千明(グリーン):鈴木勝吾/花織ことは(イエロー):森田涼花/梅盛源太(ゴールド):相馬圭祐/志葉薫(真レッド):夏居瑠奈/日下部彦馬(じい):伊吹吾郎/丈瑠の父:津田寛治/浄寛:高橋元太郎)