実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第230回】DVD第2巻:Act. 6の巻(その16)



主演:綾瀬はるか&玉木宏/監督:磯村一路『雨鱒の川』より
まあそんなに深い意味のある画像ではありません。ぽんたさんに喜んでもらえるかな、と思って。

1. がんばっていきまっしょい


なんか最近ね、一部ネット上に「ホントかガセか知らんけど」という断りつきで

『瞬』(またたき) 2010年4月公開予定
 原作・脚本:河原れん 
 監督:生野慈朗
 プロデューサー:岩倉達哉
 出演:北川景子 岡田将生
 製作:『瞬』製作委員会 S.D.P・電通・札幌テレビ放送

という情報が出回っているけれど、このネタの出所はここだよ。うちのブログだよ。ここにちゃんと書いた通り、ただの予想だってば。ネタ元はNakoさんだけど、コメント欄に「間違ってたらすみません」と断ったうえで、未確認情報として書き込んでくれた。それをまことしやかにブログの記事にしたのは私だから、もし当たっていたらNakoさんの殊勲賞だ。外れていたら私がお詫び申し上げるが、それ以上の責任はとれん。
で、北川景子主演という話がガセかどうかは、まだ確定的には分かんないんだけど、監督は磯村一路と発表された。この部分はNakoさんとは関係なく私の予想が大はずれってことで、先が思いやられる。
でも磯村一路監督で北川景子主演なら、名古屋支部的には大歓迎だ。理由は、ぱっと思いつくところで三つほどある。
(1)磯村監督は女優を撮るのがうまい。もう少し露骨に言うと「この女優さん、人気はあるし、世間の評価は高いみたいだけど、本当にそれだけの実力があるのかな?」と疑問に感じていた人の印象が、磯村作品で変わっちゃったりする。具体的な名前を挙げるのははばかられるが、と言いつつ挙げるが、『あさってDance』(1991年)の中島朋子とか、『群青の夜の羽毛布』(2002年)の本上まなみとか。木村佳乃なんて、色々なところで見かけるわりに、私的には評価の定まらない女優さんなんだが、磯村監督の『船を降りたら彼女の島』(2003年)なんか観ると、「木村佳乃、いいなあ」なんて思えてしまうのである。
北川景子も、世間一般的には「今あっちこっちに出てくる女優さんだけど、どうよ」と思っている方も多いのではないかと思う。磯村監督はその何割かを「北川、いいじゃん」というポジティブな評価に変えてくれると思うのだ。
(2)地味。いやホント、ヒット作となった『解夏』(2003年)なんか、ものすごく地味だ。原作はさだまさしの短編である。東京で小学校の先生をしていた主人公が、ものすごく珍しい眼病にかかる。徐々に視力を奪われ、仕事を辞めて長崎の実家に帰り、ついには全盲にいたるという、ある意味、ただそれだけの話だ。最近のケータイ小説の波瀾万丈すぎるストーリー展開とは較べるまでもない。『ディア・フレンズ』で言えば最初の20分くらいで終わってしまうプロットではないだろうか。
でも『解夏』の脚本も担当した磯村一路は、だからといって、何か派手な事件をひとつふたつ加えてアレンジする、というような馬鹿なことをしない。主人公(大沢たかお)が、徐々に視力を失って、時に不安になったり自暴自棄になったりしながらも、彼にとことん寄り添う恋人(石田ゆり子)の愛情とともに、運命を前向きに受け入れて行こうとする過程を、きめ細やかに描いていくのだ。この石田ゆり子も、昨今のケータイ小説映画のあくどい派手さとは対照的な、地味で美しい芝居で、よかったなぁ。
というわけで、もし『瞬』のヒロインが北川さんならば、きっと磯村監督から、すぐに号泣したり叫んだりするような激しさを極力おさえた演技を要求されているはずである。伝家の宝刀を禁じられることになるわけだが、もちろん北川景子は、そういう監督の求めに真摯に応えるだろうし、だからそれはもう絶対的に、女優・北川景子の演技力の幅を広げることになるはずだ。ということで、ぜひ北川さんに『瞬』に出演していただきたい(たぶんもう撮影は終わっているんだけどね)。
(3)エロ。磯村一路は、1980年代、たくさんの成人映画を撮ってから一般映画に進出した人だ。「北川徹」という名義で緊縛シリーズ(1984〜1985年)なんてのを手がけていた時期もあるので、そういう趣味の人と見られることもある。でも実際のところ、当時のピンク映画は、撮影が4、5日で予算が300万円以内とか、そういう厳しい状況だったんだけど、SMものだとプラス20万〜30万円の上乗せが認められるから、それでそっち方面に走ったというのだからいじましい話である。上層部には、SMは特別な経費がかかると思われていたらしい(以上、どっかのインタビューで読んだ)。

ま、それはともかく、滝田洋二郎『おくりびと』の広末涼子のシーンを待つまでもなく、成人映画出身の監督は、ちゃんとエロい場面をエロく描けるから安心だ(何が?)。前述の『解夏』でも、失明への恐怖と焦慮から自暴自棄になってどしゃぶりの雨の中に飛び出す大沢たかおの後を石田ゆり子が追って行くシーンがある。石田ゆり子の清楚な白いブラウスがみるみる雨に濡れて透けていって……なんて、私は40代も半ばをすぎて何を書いているんだろうね(自嘲)。
『がんばっていきまっしょい』(1998年)は、磯村監督の名を一躍有名にした青春映画の傑作だと思う。1970年代の四国の高校を舞台にした、ボート部に青春の情熱を燃やす少女たちの物語だが、ヒロインの田中麗奈がボートの漕ぎ過ぎで腰を痛め、保健室でコルセットをつけられる場面がある。ところがそのシーンで校医を演じているのが、ポルノ映画の暴行魔役の常連で、磯村監督とも馴染みのある下元史朗なのだ。看護婦が下着姿の田中麗奈にコルセットをつける、その後ろに校医のフリをした下元史朗が虎視眈々と狙っているなんて、こんなエッチな構図はないよ。
……いや、改めてDVDで確認したら、下元史朗は「俺はこんなガキにゃ関心ねえよ」というふうを装って、まともな校医っぽく何やらカルテに書き込んでいる。でもだからって油断してはいけないよ田中麗奈。田中麗奈って10年前はこんな感じの美少女だった。
ええと私は何を訴えようとしたのか。そうだ、だから磯村監督なら、けっこうエロいシーンも撮れる。武田久美子がニューハーフという設定でベッドシーンをやったVシネマもあったな(我ながらよく知っている)。ぜひ『水に棲む花』や『Dear Friends』もぶっとぶような名場面を入れていただきたいです。
あっ、すまん。磯村監督のファンなので、北川さんの作品を手がけたのかもしれない、と思ったとたんに我を忘れていっぱい書いてしまった。さあ、通常営業に戻ります。

2. 木野まことの潮吹き(画像入り)



てなわけで、しばらく間が空いてしまったけれども、DVD第2巻、Act.6レビューの再開だ。2003年11月8日(土)の朝、バスケットコートではタケル君が追っかけの少女たちを集め、なにやら怪しげな表情。一方、まことは前夜に、タケルとのデートのために手作りクッキーまで用意して、待ち合わせ場所である「駅前の噴水広場」へ。
ドキドキ、ソワソワのあまり、頭からぴゅっと水が噴き出してしまうくらい気合いは入っているのだが、服装とかは格別に女の子っぽくしているわけではない。 スカートも履いていないし、髪型もポニーテールだ。たとえ憧れの人とのデートだからといって、妙にとりつくろっても仕方がない。むしろそんなときこそ、素直に自分を出せる自然体のスタイルがいちばん良い。というポリシーは安座間美優のもので、原作やアニメの木野まこととは違う。しかし安座間美優自身の「自然体のファッション」は、もっと女の子っぽくて、まことほどボーイッシュではないはずだ。実写版の木野まことには、そんなふうに「安座間美優」と「木野まこと」がブレンドされている。

3. 月のものを待つレイ


一方クラウン。学校は休みなのでみんな私服である。

さりげなくおしゃれで紫ベースの衣装のレイと、ハート目のウサギ「NEW LOVE RABBIT」というキャラクターがプリントされたトレーナー(シャツか?)のうさぎ、地味な亜美と、三人とも相変わらずのスタイル。

ここでうさぎが、なぜかエビせんを食べていて、なぜなんだろうということを、以前ひろみんみんむしさんが書かれていた。なぜなんでしょうね。分かりません。愛知県の知多半島には「えびせんの里」がある。ぜんぜん関係ないけど。

うさぎ「絶対そうだと思うんだけどな」
亜 美「簡単には決めつけられないよ」
レ イ「戦士かどうか、ルナの三日月がはっきり反応しないと……」
うさぎ「違うよ、まこちゃんが男の子に憧れてるって話」
レ イ「何よそんな話?」
うさぎ「大問題だよぉ!」
レ イ「男に憧れるなんて時間の無駄」
うさぎ「へっ、レイちゃん、男の子好きになったことないの?」
レ イ「ないわよ。だいたい、本人がそういうタイプじゃないって言っているんでしょ」
うさぎ「うん…まあ…」
亜 美「でも、あのひとのお弁当、隠してたけど、手作りでとっても可愛かったよ。すごく女の子してた」
うさぎ「そっか、まこちゃん、やっぱり」

レイの気がかりは、まことが戦士かどうかという一点にしぼられている。不必要に感情を表に出さず、クールに振る舞うことを自分の美学としているレイは、初対面のときのまことの無表情さぶりに、けっこう感服しているのだと思う。あまりにハードボイルドだったので、戦士なのかそうでないのか、接してみても確実に読み取れなかった。霊感少女としてはそれがちょっと悔しかったりもする。だからうさぎの言うように、実はまことが男の子に恋心をいだくような普通の子だなんて、この時点ではとても信じられないでいる。
亜美は、学校の屋上で出会ったまことが、愛想はそんなによくないが、実はけっこう「女の子してた」ことを知って、密かな好意を感じている。亜美自身、自分を全面的に表に出せないタイプなので、共感してしまうのだ。もっとも、まことが自分の女の子らしい一面を隠すのは、単純に恥ずかしいからで、亜美みたいに屈折した自意識からではないが。
で、うさぎは、自分がタキシード仮面に憧れちゃっているように、まことはタケルに憧れているんだろうなって思っている。レイも亜美も、男の子の話にはあまり興味がないもんだから、もしまことが戦士なら、ようやく恋愛を語り合える仲間ができたっていうことになるわけで、ちょっとワクワクである。
というように、謎の転校生木野まことに対して、三人それぞれが自分の思いを投影してイメージを作り上げていて、だから同じまことについて話していてもけっこうバラバラ、なのに妙なところでかみ合う、というのがこの会話の面白さだ。またレイの男ぎらいが初めてセリフとして口にされ、その後の展開への伏線となっていく点も見逃せない。こういうさりげない場面にも、こまごまとした仕掛けがあって、何度見直してもじゅうぶん鑑賞に耐えるのが実写版の脚本の美点である。

4. 自爆する元基/ずぶぬれのまこと


一方、場面はふたたび噴水広場のまこと。どれだけ経ってもタケル君は来ない。それでもけなげに待ち続ける。

さっきも書いたように、これまでの考察から、この日は土曜日で学校は休みだと思うのだ。だってうさぎも亜美もレイもクラウンにいるし、まことは朝からデートだし。でもここでは、噴水広場でタケルを待っているまことの前を、ランドセルを背負った小学生の群れが通り過ぎていく、よくわからないが、土曜登校日だった小学校があったんだね。この場面にチャイムの音が鳴っているから、学校が終わって下校している小学生たちという設定だろう。
タケルの手紙には「明日10時、駅前の噴水広場で待ってます」と書いてあった。憧れの人とのデートに遅れて来たりはしないだろうから、まことは10時前からここに立っていた。一方、小学校の土曜登校日の終了時間というのは、何時か分からないが、面倒なので12時としておこう。要するに、まことはだいたい2時間ほど、ここでずーっと立って、タケル君を待ち続けていた。
何もしないで2時間も待っていれば「これはおかしい」くらいのことは分かるはずだ。例の三人組の仕業だ、ということまでは分からなくても、普通だったら、1時間過ぎたあたりで、わたし、バカにされているのかなあ、なんて思っていたはずだ。どうなのかなあ。

(1)騙されたことをうすうす感づいていても、それでも、なかなかふんぎりがつかない乙女の純情。
(2)レイが最後に指摘したように、すでに妖魔の術にかかって、正常な判断力が失われている。

この場面だけなら(1)だけど、この後、マンションに帰ると本当にタケル君が待っていて、手を取られて、またしょうこりもなくホイホイついていってしまうことを考えると、(2)の可能性もある。
そうだ、タケルと言えばね、唐突ですが先日、近所のBOOK OFFで『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌(レクイエム)』の中古DVDを買っちゃいました。この映画、神戸みゆきと黄川田将也が出演しているのだ。特に黄川田君は、わりと早めに物語から退場するわりに、抜群にカッコいい。戦わないのだ。

ご存知の方も多いと思うが、『バトル・ロワイアル』は、大人たちが中学生の少年少女に殺し合いをさせる話だ。生徒たちは強制的に首輪をはめられていて、大人たちの命令に背いたり、勝手に首輪を外そうとすると、この首輪が爆発する。そういう状態で殺し合いゲームへの参加を求められる。
それでも黄川田君は、命令を拒絶するんです。見せしめに脚を撃たれても、卒業記念に「仲間」と書いてクラスみんなで寄せ書きしたラグビーボールを抱きしめて、「おれは大切な仲間と殺し合いなんかしない」と大人たちを睨みつける。そしてまだバトル・ロワイアルが始まらないうちに頭を吹っ飛ばされてしまう。命がけの不戦。元基の平和主義はハンパではないのである。私は主人公の藤原竜也以上に、黄川田君にしびれた。
一方、神戸みゆきは、病気で定期的にインシュリン注射をしなくちゃいけない身なんだが、何としてでも生き延びる道を選ぶ。そして途中で死なずに、愚かな殺し合いの道からも脱出し、サバイバルゲームに勝つのである。これも一つの生き方だが、その後、神戸ちゃん自身に起こったことを考えると、とてもせつない。
てことはさておき、今回わざわざDVDを買ったいちばんの動機は、今このブログでレビューをやっているAct.6のゲストですね、バスケ少年のタケルを演じている田代功児が、この『バトル・ロワイアルII』に出演しているからなんである。
ところがこれが、わざわざDVDを購入して「田代功児どこだ、タケルどこだ」と思いながらじーっと鑑賞していても、いったい画面のどこに彼がいるのか、結局のところさっぱり分からない。藤原竜也率いる、大人たちに宣戦布告した少年テロリスト軍団のメンバーをやっているという話なんだけど、気づかなかったなあ。残念である。
 
「これがそうかな?」と思う子は、ときおり画面のすみにチラチラ映るんだけど、この映画、見せ場を作って派手に死んでいく主要登場人物とは対照的に、「その他の人々」は右往左往する戦闘シーンで知らないうちに消えていくので、よくわからなかったよ。まあ仕方がない。加藤夏希も頑張っている。加藤夏希、元カレの嫌がらせなんかに負けんなよ。
いや脱線した。まだタケルは登場しない。とつぜん雨がぽつぽつ降り始めて、すぐにざあざあ降りになる。それでも律儀にタケルを待って、ずぶぬれのまこと。そこへ現れる三人組。

ほら、こういう表情を見ると、安座間美優って良い女優だと思いません?というわけで、続く。
(Act.6とは関係ない話の方が多くないか?)