実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第217回】DVD第2巻:Act. 6の巻(その8)



Act.33と『ブザー・ビート』第7話。5年ぶりの邂逅
レイ「ちょっと若づくりになったわね、パパ。ポマードは?」パパ「経費削減だ」

1. 「あんた、私が怖くないの?」


前回、実写版の木野まことは口数が少なくて、その寡黙な点が「男らしさ」として解釈されている、と述べた。その「口数の少なさ」という特徴は、自分の容貌に対する彼女の劣等感から来ている。
うさぎに「男らしいんだね」と言われて「よく言われる」と笑顔で答えるまことだが、本当はそのことで過去に何度も傷ついていている。だから今は、自分はクラスメートから怖がられても当然だし、ガールズトークや恋の告白なんて柄じゃない、と思いこもうとしている。それでどこへ行っても無口で孤立している。実写版のまことの特徴は「男らしい」「コンプレックス」「無口」という3点に集約できますね。
漫画やアニメでは、うさぎはまことに「男らしいんだね」とは言わないし、思ってもいない。原作のうさぎなんか、大柄な身体に似合った大人の女らしいルックスをもち、しかも運動神経が抜群で料理も上手なまことに、憧れに近いまなざしを向けている。
だから恋愛に対するコンプレックスもない。まあアニメ版だって、惚れた男が陰で「あんなバカでかい女の子、おれのタイプじゃないんだ」と言っているのを聞いて「また同じこと言われちゃった」としょげている。大柄なせいでふられたのは、一度や二度ではないらしい。しかし立ち直りも早いし、立ち直れば再び自分から男子にアタックする。同性やクラスメートに対しても、これといったコンプレックスはもっていないように見える。だから平気にうさぎにだって声をかける。転校早々、みんなから敬遠される理由をよく理解してもいないようなのだ。アニメ版で、うさぎとまことが初めて親しく会話を交わす、お昼の中庭でのシーン。


まこと「こっち来ないか」
うさぎ「今朝はどうもありがとう」
まこと(物欲しげな視線に)「良かったら食べる?」
うさぎ「えぇ……わたし小食だしぃ……いっただっきまーす。うむうむ、おいしいよう」
まこと「ちょうどよかった。なんか知んないけど、ここのみんな、怖がって口をきいてくんないんだ」
うさぎ「ねえまこちゃん、あ、まこちゃんでいいよね。まこちゃんのお母さんて、料理の天才だね」
まこと(ちょっと照れた表情で)「ああ、これ、あたしが作ったんだ」
うさぎ「げげっ、すごーい。うわあ、こんど教えて教えて、あっ、作ってもらっちゃおっかな、なんちゃって〜」
海野「うさぎさんは友達をつくる天才ですね」

この場面については、前回にも紹介しましたね。そうしたらM14さんがコメント欄でこんなことを書かれていた。

このシーンの後ろに「あんた、私が怖くないの?」「なんで?」という名場面がありますね。

実は、そんなセリフはこのアニメ版無印第25話にはない。これまでの文脈から考えれば、分かりますよね。アニメ第25話の木野まことは、なぜみんなが自分を避けるのかといぶかしんでいるだけだ。だから、同級生の海野ぐりおが「うさぎさんは友達をつくる天才ですね」と言ってこの場は終わる。次は、2人がカラオケ「クラウン」に入っていくシーンだ。

うさぎ「ねえまこちゃん、なんでうちの学校の制服着ないの?」
まこと「コイツの方が、肌に合うんだ」
うさぎ「ふーん」

前回見たように、原作漫画には、まことは大柄すぎて制服も特注サイズだから、前の学校の制服のままなのだ、という説明がある。しかしアニメ版では、それって視聴者に背の高い子がいたら傷つくかな、と思ったのかどうかは知らないが、「コイツの方が、肌に合うんだ」というむちゃくちゃな理由で、今後もこの制服を着続ける言い訳がされる。実写版では「まことはなぜ、いつまでたっても十番中学の制服を着ないのか」という疑問に対する明確な説明はなかったと思う。だいたい実写版のまことは、よく分からない行動が多い。家の模様替えをするのにかなづちを持っていたり、タクシーを降りるときに領収書を取ったり。
いやわき道にそれた。その話ではなくて「あんた、私が怖くないの?」というセリフだ。原作漫画にも、これに類するセリフはない。原作のまこともよくしゃべる。実写版では、うさぎが勝手に商店街を紹介しているが、原作では、まことの方から、買い物をするお店を紹介して欲しい、と言っている。

まこと「ちょうどよかったわ。なんかしんないケド、みんなコワがってクチきいてくんなくて。あたし、ひとりぐらしなんだ。このへん安いスーパーがある?おしえてよ。そうだなあ、あと、ほかのお店も……ゲーセンとかも……」
うさぎ「あ、あたしゲーセンならショーカイできるわっ」

やっぱりアニメと同じで「なんかしんないケド、みんなコワがってクチきいてくんない」とボヤいているだけなのだ。こういうキャラクターから「あんた、私が怖くないの」なんてセリフが出て来ようはずがない。

2. Moon Revenge


ではこのセリフはM14さんの勘違いかというと、そういうわけでもない。ご存じの方はとっくにご承知だろうが、このセリフは、幾原邦彦監督『劇場版 美少女戦士セーラームーンR』(1993年)に出てくるのである。名作ですね。で、問題のカットは、その名作のなかでも超有名な「ムーンリベンジ」が流れる場面に、まことがうさぎとの出会いを回想するシーンに出てくるのだ。

うさぎ「わーっ、そのおにぎり、おいしそう」
まこと「あんた、私が怖くないの?」
うさぎ「ん、なんで?」


『劇場版R』では「うさぎの存在意義」というテーマがクライマックスにやってくる。戦士たちは、天才少女とか霊感少女等々として学校や社会から疎外され、孤独な思春期を過ごしてきた過去の自分たちが、うさぎによってどのように心を開かれ、癒されたかをあらためて自覚する。そして最後にうさぎが、命の危機も顧みず「幻の銀水晶」のパワーをすべて解放して、小惑星と地球の衝突を食い止めようとするとき、戦士たちもまた、最愛の友達であるうさぎのために、うさぎのもとに集い、プラネットパワーでうさぎをバックアップする。

要するに「前世とか、プリンセスと護衛戦士という関係を越えて、今を生きる大切な仲間として戦う」というセーラームーンのモチーフは、原作漫画やテレビ版のダーク・キングダム篇というより、この『劇場版R』から始まったわけだ。そして、この『劇場版R』の段階で、まこととうさぎの出会いのシーンは改変された。周囲から怪力少女と呼ばれ、すさんでいたまことの心に、初めてまっすぐ飛び込んでいったのがうさぎだった、という物語になって、それがアニメファンにとってもスタンダードになって、やがて実写版に継承されていったわけですね。
そういうわけで、テレビ版第1シリーズ(無印)と、その総集編というかリメイク的性格もかねそなえた『劇場版R』というふたつアニメシリーズを比較することも、実写版を考察する上で必要な作業に思えてきたので、またそのうちやってみたいと思います。
それにしても、紳士服の看板から抜け出てくるような演出の、トリッキーなタキシード仮面の登場シーン、実写版でやってみせて欲しかったなあ。

3. グダグダな終わり方


すみません私スランプなのかな。今週もすでに日曜日の10時過ぎたというのに、結局このくらいしかできてなくて。
本来の実写版レビューは、まことの転校初日の放課後、いきなり友達になったうさぎに手を引かれて、商店街を引っ張り回されるシーンあたりまでいったところで、ずっと停まっているよ。それから靴の試着合戦。

こんなの別に男っぽくもないし、やっぱり舞原監督は、小林靖子が台本に書いた「男らしい」というセリフを、女らしさの対義語として捉えていたのではないな、と思う。沢井さんも安座間さんも、まだ少女らしい幼さが残る笑顔だけれど、安座間さんは背が高い分、中性的なイメージがある。もともと実写版のまことのキャラクター・コンセプトは「スポーツ万能少女」だったし(【第206回】参照)。そのへんを手がかりに、まことの「男っぽさ」を、舞原監督は、ボーイッシュというか、ファッションとしての活発さというニュアンスで展開していった。以前も引用したが、東映公式ホームページの「ダークキングダムの縁の下」、スタッフインタビューのなかにも、次のような発言がある。


舞原監督(5・6話)は、全体の雰囲気を大事にされる方で。たとえば、「まことは活発なイメージで」と。イメージ先行。
「ポニーテール、もうちょっと高いほうが活発に見えるんじゃないか」「髪を下ろしても、活発そうに見える手はないだろうか」とか。(2003年10月5日)

お話ししているのはヘア担当の谷本忍さん。谷本さんは、現在はテレビドラマの仕事をお辞めになって、DHCのヘアメークインストラクターだそうだ。DHCって、0120‐ 333‐906のプロテインダイエットのあれだ。じゃあナニか、友近とか叶美香とかのヘアメークでもやっているのかな。
というわけで今日はこの辺まで。
っていうのも何か、あんまりな終わり方なんで、もうひとつエピソードを追加。原作では、うさぎはこの後、まことをクラウン(言わずもがなだが、原作のクラウンはゲーセンである)に連れて行く。そこで古幡と初めて出会う。まことは古幡を見るなり、ほおを赤らめるのだ。

古 幡「うさぎちゃんの友だち?ガッコちがうの?」
まこと「十番中二年六組に転校してきた木野まことです。ヨロシク」
古 幡「あ、ボクは古幡元基です」
うさぎ「おにーさん、そういう名まえだったの!?ねね、いつもなんてよばれてるの?」
古 幡「大学では、ふるちゃんだよ。そうよんでよ」
うさぎ「ふるちゃん?なんかカッワイーイ。じゃ、まことさんはまこちゃんね。おりょーりじょうずでチカラ持ちのまこちゃん」

実写版だと「私は木野まこと」と自己紹介されたうさぎが「じゃあ、まこちゃんか」と勝手にあだ名をつけてまことを絶句させる。何がどう「じゃあ」なのか分からないが、原作によればこの通り、古幡が大学で「ふるちゃん」と呼ばれているのにちなんで、まことは「まこちゃん」なんだそうだ。
ま、実写版には出てこない二人のなれそめのシーンでもあるので、紹介してみました。


では本当に、今日はここまで。次回こそちゃんとしたレビューを再開したい。
火川神社のシーンからだね。

うさぎ「引っ越してきたばかりで大変でしょう」
まこと「うん。独り暮らしだから」
うさぎ「うそ。まこちゃん独り暮らしなの?」
まこと「うん。両親が小さい頃から死んじゃってるからね」
うさぎ「そっか……そうだ。もう一箇所案内するよ。困ったとき神だのみする場所」

  
  なんか今週もへろへろだなあ。



おまけ】コメント欄でikidomariさんよりご指摘を受けた「まこちゃんの家に、帽子がいっぱい置いてあるシーン」(Act.31)。

なるほど。妙なレイアウトですが、どういう意味があるんだろうか。