実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第216回】DVD第2巻:Act. 6の巻(その7)



 北川景子さん、お誕生日おめでとうございます。


昨年の誕生日には、お盆休みを返上して『モップガール』全話解説をさせていただきましたが、今年のお盆はブログ更新のリズムが狂って、とうとう前回は実質オチてしまいました。今週も結局、先週ボツにした記事に手を入れてお茶をにごすのが精一杯の青息吐息、とてもバースデイ記事を書ける余裕なんぞございません。ま、こんなていたらくではございますが、心より23歳のお誕生日を祝福し、また『ブザー・ビート』無事アップをお祈りしております。お仕事どんどん増えておりますゆえ、お身体にはじゅうぶんお気をつけくださいませ。

1. 太陽音楽と箱


NHK教育『テレビでフランス語』といえば、かつて沢井美優が出ていた番組ですが、現在は髭男爵の二人が生徒役をやっているという。マダム北村と山田ルイ53世の掛け合いがどのようなものか、一度は確認しておこうと思いつつ未見のままだ。

髭男爵って、泉里香のブログでは「事務所の先輩」と紹介されていた(2009年06月11日)。先日「M14の追憶」に関連する話が出ていて、つくづく思ったんだが、この事務所はNHKとのつながりが強力だなあ。大抵の人が教育か総合かその両方に出ているし、朝の連続テレビ小説や大河ドラマで、それなりの役をもらっている人も多い。こうなると、泉里香が教育テレビのアシスタントを経て朝ドラもしくは大河へステップアップする日は、意外と近いのかも知れない。
でもなあ、それはもともと、沢井美優のために思い描いていたシナリオだった。だから沢井さんが『テレビでフランス語』のレギュラーの座を得たときには大喜びだった。次は総合テレビのドラマだぁ!と思ったんだが、それは実現するにはしたが『キャットストリート』の数秒の「出演」に終わってしまった。
あっちょっと目頭が熱くなってきた。

そういうわけで私は、近年の沢井さんの活動停滞ぶりに、やっぱり弱小事務所所属はつらいなあ、と嘆いていたのである。が、前々回のもとやんさんのコメントを読んだり、のりピー事件が起こったり、『ブザー・ビート』を観たりしているうちに、次第に、ボックスってけっこういい事務所かも、と思うようになりました。
泉里香がその傘下に所属するサンミュージックグループには、有名どころで言うと、安達祐実とか酒井法子とか太川陽介とか森田健作といったタレントがいる。メジャーだけど、デビュー当時のイメージがいつまでも変わらない人が多い。つまりこの事務所って、タレントのイメージチェンジに消極的なのではないのだろうか。青春アイドルが歳をとって、もうアイドルを卒業してアダルト路線に行きたい、とか言っても、固定ファンを失うリスクを怖れて、事務所がなかなか動かない、みたいな。
でも三十になっても四十になっても、二十歳の時の「清純派」のイメージを背負ってなくちゃいけないなんて、タレント自身にしてみればきついよね。結局この事務所は、そこんところの問題を、うまく処理できていないのじゃないだろうか。アイドルとしての臨界点に来たところで、松田聖子が独立してSEIKOになったり、桜田淳子が宗教に走ったり、あるいは森田健作が政界に打って出たりしたのを見ていると、そういう気がする。森田健作はこの会社の重役になっちゃったけど。
最近ではもちろん酒井法子。本人はたぶんもとよりヤンキーな素地があるんだろう。だから二十代の終わりごろからは、もういいでしょうと「できちゃった結婚」をしてみたり、足首にタトゥーを入れてみたり、あからさまに「脱アイドル」をアピールしているんだが、それでも周囲はそれを無視して、清純派アイドルであり続けることを彼女に強要した。すべてに絶望した酒井容疑者は、ああ私はもう死ぬまで「のりピー」という鉄仮面を被り続けるしかないのね、と覚醒剤に溺れていったのである(推定)。

そういうふうに考えると、ボックスコーポレーションは健全だよ。『ブザー・ビート』で相武紗季に準ヒロインの七海菜月役をもってきたのはすごい。一見育ちの良いお嬢様だが、その裏に奔放な「肉食系」の顔を隠しもつ情熱的なチアリーダー。カレシに隠れて煙草は吸うし、ほかの男とキスはするし、ベッドにも入る。これまでその清楚な笑顔を武器に、たくさんのCMに出演した相武さんだが、この役をきっかけに仕事が減るかも知れない。
でも、そろそろそういう節目の時なのである。ボックスのエースとしてこれまで様々なCMで活躍してきた相武さんだけど、もう二十代の折り返し点で、プライベートでは恋愛話も出てきた。これからも彼女に納得のいく形でタレント活動を続けてもらうためには、このへんで「清純派」という縛りを解いて、いい形で「大人の女」にステップアップしていくための準備に入らなければいけない。
と、そういう観点に立つならば、今のこの時点で、相武紗季を多少問題のある『ブザー・ビート』の菜月役につけたのは、所属タレントの将来を先々まで考えた賢明な判断と言えるだろう。う〜む。ボックスコーポレーションって、なかなか良い事務所じゃないか。
だけどね、その場合、最近テレビで沢井美優を見る機会がめっきりなくなってしまった、この現状をどう考えるべきなのかが分からないのだ。以上の考えが正しいならば、沢井美優の今の仕事の少なさは、今後の展開に向けての重要な布石のはずだが、どういう伏線なのか、どんな深慮遠謀が秘められているのか、私には読めないのだ。ウルトラマンダイナで子供たちのヒーローを演じて以降、ラジオパーソナリティなどをやりながら、およそ10年近くの雌伏期を経て大ブレイクした、つるの剛士のパターンを狙っているのか?誰か分かりますか?

2. ホット・ジュピター


すまない。本題だ。
実写版セーラームーンAct.6が、原作漫画第5話「まこと ―Jupiter―」とアニメ無印第25話「恋する怪力少女、ジュピターちゃん」を織り交ぜたようなあらすじになっていることは、このブログの再放送レビューで検討した(ここ)。そして最後のまことの独白が非常に原作に忠実であることも書いた。が、その一方では、この初登場回で、すでに木野まことのキャラクターが、原作ともアニメとも違う方向へ進んでいる。こっちについては、まだ詳しく書いていなかったと思う。放送当時もあまり話題にならなかったしな。
ちょっと不思議ではある。だって実写版の亜美やレイは放送当時、アニメとキャラが違うということで、さんざん叩かれたのだ。しかしまことだけは、アニメ原理主義者の嵐のようなバッシングをまともに受けずにすんだ。と私は記憶しているが、当時を(トラウマのように)よく憶えていらっしゃる方、どうでしょう?まあ、みゅうみゅうのセリフ読みについては話題が集中したが、それはアニメと比較してどうのこうのという以前の問題だったし、後はせいぜい、シュープリームサンダーをやるときにはアンテナをのばせよ、とか、その手の些末な言いがかりだけだったんじゃなかったですかね。単にほかの戦士ほど人気がなかったせいか、まこちゃんの人徳か、あるいはやはり、安座間さんのセリフ回しに、批判勢力の気勢をそぐほど圧倒的なインパクトがあったためか、ともかく、思いのほか批判が少なかった。
でも本当は、木野まことは原作とアニメの間で最もズレの少ないキャラクターである。だから、火野レイのように、いったん原作に戻って性格設定をリセットする必要もなく、流れをそのまま継承すれば良かったのだ。なのに実写版は、ここでもまた独自の解釈を展開している。本気で実写版を批判するつもりなら、まことの設定の変更こそ「その必要もないのになぜ?」と彼らは言うべきではなかったかな、なんてことは今だから書ける話だけど。

3. 「男らしさ」の解釈


ともかく、原作とアニメのまことを再チェックだ。まず、うさぎとまことの出会いのシーン。以前もちょっと触れたが、もう一度ふりかえってみる。
原作の初登場シーンは朝の登校時。うさぎは、タキシード仮面のことをぼんやり想いながら道路を渡るもんだから、車に轢かれそうになる。そこへまことが登場、間一髪、うさぎをかっさらって助ける。名前も名乗らず「あぶないよ、気をつけな」と去っていくまことの後ろ姿を見つめて、うさぎは「バラのピアスだわ いいニオイ……」と胸のうちでつぶやく。木野まことは中学生なのにピアスと香水を身にまとっているのだ。
アニメ第25話では、うさぎは車ではなく、前方不注意でチンピラたちと衝突してしまう。三人のチンピラにインネンをつけられているところへ、まことが「やめときな。あたし見てたよ。ちょっとぶつかったくらいで女の子にアヤつけるなんて、せこいね」と登場。あっという間にチンピラを一蹴したあと、うさぎに「大丈夫かい、気をつけてな」とひとこと残して去っていく。その耳もとがキラリと光って、うさぎが「バラのピアス、素敵」とうっとりつぶやく。

このピアスの意味を補強するシーンが、原作漫画のもう少し後に出てくる。登校したうさぎは、なるちゃんたちと雑談しながら学校の廊下を歩いていて、前方不注意で向こうから来た大きな生徒とごっつんこ。「気をつけな」と注意されて見れば、それはさっき助けてくれたあのバラのピアスの子だった。制服も違うのに、なぜ十番中学にいるんだろう、と唖然とするうさぎ。
そこへ生活指導の先生が駆けつけてどなりつける「転校生!制服はどうした制服は」「ああ、ちっこくてサイズ合わないんだもん」「それにそのアタマはなんだっ」「天パーですよ!センセイ」まことは、目一杯かがみ込んで、先生に頭を見せる。その身長差には生活指導の先生もたじたじだ。
以上の会話から二点が明らかになる。(1)まことの制服は、既成の制服ではサイズが合うものがないので特注したもののようだ。デザインは前の学校の制服だと思われるが、ひょっとすると『こち亀』の中川や麗子みたいに、純粋なオーダーメイドかも知れない。(2)ご存じのように、原作とアニメ(およびミュージカル)において、戦士たちは変身前からあの髪型と髪の色をしている。だから原作のまことも、変身前から、どこぞのマダムのような、あちこちくるくるウェーブのかかった茶色の髪をしている。それは天然パーマなんだって。
う〜ん。ここで、風紀の先生は、制服なんかよりピアスを注意した方がいいんじゃないか?とか、まことのあの程度の髪で注意されるなら、じゃ金髪のうさぎと青い髪の亜美はどうなんだよ?という疑問が生じてしまうが、今は措いておく。まあ亜美の場合は、あれだけ成績優秀だと、あんなに真っ青な頭で校内をうろうろされても、先生も注意しづらいんだろうね。「生まれつきです」と言われても返答に困るし。

余談であった。ともかく、以上の描写から察するに、まことは、大柄な体格やウェーブがかった栗色の髪のせいで、ルックス的には中学2年生という実年齢よりだいぶ上に見えるらしい、そして本人もそれを自覚していて、バラのピアスなんかしている、ということだ。
さらに、ここに「ケンカに強い」「制服はロングスカート」「さばけたもの言い」といった要素を加味すると、元レディースと言いますか元ヤンキーと言いますか、そういうイメージも付加される。で、すべてを総合すると、実際の歳よりもずっと大人の女の魅力をもっていて、おしゃれでカッコ良くて同性からもあこがれられて、しかもケンカとなったら強くて、何事にも一本筋が通っている、という、まあひとことで言えば「姐さん」タイプだね。これが原作およびアニメのまことである。
実写版で、うさぎはまことに「男らしいんだね」という。いま見たように、原作第5話やアニメ第25話のまことは、もちろんそういう「男らしい」「男前」な要素も持っているが、そればかりではないし、具体的に「男らしい」という単語も、実は出てこない。でも小林靖子は、原作およびアニメを見て、ケンカに強いとか、弱い者いじめを見ると放っておけないとか、ごちゃごちゃ余計なことは言わないとか、そういった特徴を、まことのキャラクターの中心ポイントと見なした。そしてそのことを「男らしい」という一語に象徴させたのだと思う。
しかし、監督の舞原賢三が、まことを演じる安座間美優を見て、かつ台本の「男らしいんだね」というセリフを読んで連想したイメージは、どうも小林靖子が言う「男らしさ」とは微妙にニュアンスが違っていたと思う。私はそのズレに、実写版の木野まことの魅力が凝縮されているんじゃないかな、と思うんだけどね。

4. 不器用だから黙ってます


小林靖子が描いた「初期まこと」の特徴は「寡黙さ」にある。実写版の木野まことは無駄なおしゃべりはしない。持ち前の正義感から思わず誰かをなぐって、言い訳めいたことを言わないから、罪を一人で背負いこむ結果になる。それでも弁解はしない。転校の理由はそんなところにあるらしい。

うさぎ「ああ、あの噂?私は信じられないな。そんな人に見えないし。あれ嘘でしょ」
まこと「どっちでも。弁解する気ないから」
うさぎ「男らしいんだね」
まこと「よく言われる]

実写版では、寡黙であるから「男らしい」という理屈が成立している。これが小林靖子自身のアイデアなのか、それとも「いま安座間美優にあまり沢山セリフをあてることは危険だ」というスタッフ判断に基づく設定なのかは分からないが、いずれにせよ、東映作品としては限りなく正しい考え方だ。私なんかも「男だったら余計な言い訳はするな」という価値観を、東映作品、厳密には高倉健の任侠映画から学んだ。おかげで何かと損をしているが。

まあともかく、そんなわけだから、アバンでタチの悪そうなバスケ少年をやっつける場面でも、安座間バージョンのまことは、アニメ版みたいにタンカを切ったりしない。無言のうちにあっさり全員を片付け、うさぎにも何も言わずに去って行く。お昼休みに、屋上で亜美と出会っても、もちろん話しかけたりはしない。
でも原作やアニメのまことは、そんなふうに寡黙ではない。
お昼休みのシーンを見てみよう。原作では、うさぎが、なるちゃんとお昼を食べるために、中庭のいつもの場所に駆けつけると、そこに一人でお弁当を開くまことの姿がある。でまあ色々あって、うさぎはすっごくおいしそうな「たきこみごはんのおにぎり」を、おスソ分けいただく。「おいしい〜」とおにぎりを夢中でぱくついているうさぎに、まことは語りかける「ちょうどよかったわ。なんかしんないケド、みんなコワがってクチきいてくんなくて、あたし、ひとりぐらしなんだ。このへん安いスーパーがある?おしえてよ」。
アニメ版は、これがさらに分かりやすくアレンジされている。

うさぎ「お昼だお昼だ、お腹のラッパがプップカプー……あっ、バラのピアスの女の子!」
  (まことの様子を見るうさぎ、そこへ突然)

海 野「うさぎさ〜ん」
うさぎ「うわぁっ。突然現れないでよ!」
海 野「今日6組に転校してきたんですよ、彼女」
うさぎ「えっ?」
海 野「名前は木野まこと。すんごい怪力の持ち主で、なんでも、喧嘩して前の学校を追い出されたってウワサですよ」
   (海野が説明している間に、どんどんまことに近づうさぎ)
海 野「近づかない方が良いですようさぎさん。気をつけないと……あっ、あれっ、あ〜っ!うさぎさん!」
うさぎ「うわ〜ぁ、なんかおいしくって可愛そうなお弁当、あのきんちゃくもかわい〜。あ、炊き込みご飯のおにぎり、おいしそう」
まこと「誰だい!」

うさぎ「あっ、あはははははは、こんちわ〜」
まこと「今朝の子!……ここの学校だったのか」
うさぎ「月野うさぎで〜す」
まこと「こっち来ないか」
うさぎ「今朝はどうもありがとう」
まこと「良かったら食べる?」
うさぎ「えぇ……わたし小食だしぃ……いっただっきまーす。うむうむ、おいしいよう」
まこと「ちょうどよかった。なんか知らないけど、ここのみんな、怖がって口をきいてくれないんだ」
うさぎ「ねえまこちゃん、あ、まこちゃんでいいよね。まこちゃんのお母さんて、料理の天才だね」
まこと「ああ、これ、あたしが作ったんだ」

実写版の無口なまことと打って変わって饒舌である。
実写版のまことは、ケンカの理由を弁解しなかったせいで、前の学校を追われた。だから、新しく転校してきた十番中学で自分の風評が広まっても、やはり「弁解する気ない」から何も言わない。その結果、クラスメイトから遠巻きに囲まれ、ひそひそ話の対象になっても、少なくとも外見上は平然としている。
原作やアニメ版のまことは、なんでも歯に衣着せず、言いたいことをズバッと言い、話だけで決着がつかないなら腕力に訴えてでも正しい道を通す、という豪快な正義派である。そこから「男らしい」というイメージが出てくるわけだが、小林靖子はむしろ、ヘタな言い訳はせず「黙っている」ところに男の美学を感じる人だったので、実写版のまことは、原作やアニメとは逆に寡黙になった。
そして舞原賢三監督がさらにもうひとつのファクターを導入する。舞原監督は、きりりと涼やかな美少女、安座間美優のビジュアル・イメージに影響され、脚本にあった「男らしい」という言葉を、勝手に「ボーイッシュ」「活発」という言葉にあてはめて再解釈したのである。


えーと、前回は、舞原賢三監督がこのAct.6で、どのように木野まことを解釈したかについて、きちんと考察してみたいと思っていたんです。しかしその本題になかなか入れないまま、二万字以上も書いてしまいまして、収拾がつかなくなったので一回休みをいただきました。
そして結局、今回の記事も、前回の記事を四分の一程度に圧縮したものになってしまいました。まあAct.6レビューはまだ続くので、このくらいにしておきます。