実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第206回】DVD第2巻:Act. 6の巻(その3)


近所のブック・オフのDVDコーナーに『ハンサム・スーツ』スペシャル・エディションが3,000円くらいで出ている、と娘が教えてくれたので、妻に土下座して5,000円札をもらって買いに行ったんだけど、『僕の彼女はサイボーグ』スタンダード・エディションが2,300円、『ICHI』スタンダード・エディションが2,700円で、気がつくとその2枚に5,000円を使い果たしていた。バカバカバカ。帰宅すると妻から「それ父の日のぶんだから」という容赦ない一言が。
まあそんなわけで、ぽんた師匠、これから私も綾瀬さんを勉強します。

1. ハードボイルド・ジュピター 序曲


プリンセスに迫るチンピラたち。そこへさっそうと割って入ったのが、ご存じ月影兵庫(二代目)。


えーとすみません話を間違えました。
プリンセスに迫るチンピラ少年たち。そこへさっそうと割って入ったのが、涼しげなまなざしの美少女、木野まこと。

この、まことが登場する場面から、少年たちを手もなくやっつける場面にかけて、短いけれども、爽やかな雰囲気が印象的なBGMが流れる。この曲は現在リリースされているサントラ盤には入っていない。
以前に書いたけど、こういう場合、仮面ライダーなど、ほかの東映特撮番組(もしくはアニメ)から曲を借りている可能性は高そうだ。実写版の選曲担当者、金成謙二さんが、これまでもそういう流用を時おりやっているらしい(『機動刑事ジバン』や『鉄腕探偵ロボタック』などで)。ただ実写版セーラームーンに関しては、現時点で具体例は確認できていない。前に話題になった、Act.33、セーラーマーズ深夜のバトルで流れるジャズっぽい曲も、いまだに未確認です。

ただ、ここでかかる曲は、ひょっとして大島ミチルによるCD未収録のオリジナル音源かな、という気もする。だって、このシンセサイザーの軽快な感じって、Act.2で、亜美が初めてマーキュリーになる場面の曲と似ているのだ。亜美がセーラームーンにぶらさがって落っこちそうになっているところへ、ルナが変身ブレスレットを投げるときの、あれですね。ひょっとして、戦士たち初登場の場面専用に、大島ミチルがちょっと短い曲をそれぞれ用意していて、亜美のAct.2とまことのAct.6のときはそれを使ってみた、ってことなんじゃないか、なんて勝手なことを考えたりしています。
まあいいか。風が吹き、木々の枝を鳴らす。前回、Act.5が、亜美を見守るように部屋に配置された大きな水槽と、ポンプの水の音で始まったように、このAct.6はまことを見下ろす大きな樹のショットと、風にざわめく梢の音から始まる。

2. 木野さんの事情



武内直子が最初に構想していた木野まことのコンセプトは「スケバン」もしくは「不良少女」だった。準備段階でのイメージ・スケッチでは、タバコをくわえていたし、連載のなかでも、深夜の自動販売機で、明らかに缶ビールか缶チューハイらしき飲料を買っている場面があった。性格は直情的で喧嘩上等、ただし曲がったことは大嫌い、それに子分や仲間を率いて徒党を組んだりもしない一匹狼だ。だから、いつも単独で正義の鉄拳をふるい、問題を起こす。そして言い訳が嫌いだから弁解もせず、責任をすべて背負って学校から学校へ転校していく。まるで渡世人ですね。でもバラのピアスとバラの香りを身につけ、ちょっぴり大人の女の雰囲気を漂わせていて、料理や園芸が得意だったりもする。

アニメ版も原則としては、このイメージを踏襲している。もちろん、喫煙や飲酒に関する描写は、もう暗示すらないが、喧嘩っ早く少々がらっぱちな喋り方と、それに何より、制服の長めのスカート丈が「不良少女」である。ただ、意外とホレっぽくてイケメン男子に出会うとすぐにメロメロというあたりが、原作よりかなり強調されてコミカルになっている。
総じてアニメ版の戦士たちは、原作よりお笑い要素を増やされている。まことの場合はそのぶん、いざとなるとこの姐さんはちょっとアブナイよ、という危険なニュアンスが薄れて、「気は優しくて力持ち」というニュアンスに近寄っている。広く一般に浸透した「木野まこと」は、このアニメ版のイメージの方だった。
さあそれでは「原作原理主義」を標榜する実写版、より正確に言えば、原作のスピリットをベースに物語を再構築したリメイク版だが、その木野まこととはどんなキャラクターか。
まず、いわゆる不良少女ではない。まことが着ている前の学校の制服デザインや、ポニーテールの髪型に、原作のような不良っぽいモードはない。また、そんな髪型によっていっそう強調された、ほっそりと美しいうなじや、しなやかに伸びた手脚の優美さは、アニメ版のまことがもっていた、体育会系というかアスリート系の精悍さとも異質だ。

ただ、それは安座間美優のヴィジュアルがそう見えるだけであって、制作サイドの思いは別なのだろう。ご存じの通り、毎回のオープニング・クレジットのまことはキャッチボールをしているし、このAct.6はバスケがらみの話で、さらに、Final Actでリセットされた世界でも、まことは男子たちとストリートバスケをやっていた。バスケとキャッチボール。つまり球技である。
そして格闘技。このAct.6でのチンピラ相手の戦いぶりは、なんか非常に理にかなったマーシャル・アーツの技みたいだ。喧嘩に強いというよりも、技術に熟達した選手に見えるよう演出されている。

つまり、実写版のまことは、基本はスポーツ少女なのだ。身体を動かすのが好きで、本当はバスケとかソフトとかバレーとか、みんなでチームを組んでやれる球技にあこがれている。
ところが、小さい頃からずば抜けた体格と運動神経に恵まれていることがアダとなって、まことが入るチームは常にワンサイドゲームで、試合にならない。さっき触れたFinal Actでバスケをプレイしているまことが紅一点なのは、そのためだ。同性の子たちとやったのでは差がありすぎて、男子とプレイして、はじめて実力が拮抗するほどの才能なんである。
そんなまことがバスケやソフトのような集団競技に加わると、まあ観戦している方は盛り上がるだろうが、勝敗の行方はその時点ではっきり見えてしまうので、プレイヤーはみんな白けてしまう。それで次第に、何となく敬遠されるようになる。繊細なまことは、そんな空気を察して、だんだん、みんなと一緒のゲームに参加しづらくなってしまった。それで、ひとりでもトレーニングできる格闘技を学び始めたのである。決して喧嘩っ早かったせいではない。だから戦いぶりもクールで理路整然としているのだ。でも格闘技でも強すぎるし、ますます周囲から敬遠され、孤独な少女となっていったのである。
う〜ん。勝手に想像して書いていて、勝手にかわいそうになってきた。が、基本的に引っ込み思案の性格だから、どのみち6人とか9人とかでやる球技は、彼女には無理だろうな。でもダブルスくらいの球技ならば、気配りのきく性格だから、相方といいチームを組めるのではないか。たとえばテニス。安座間さんのテニスシーンって、見てみたいでしょ(何か混同していないか?)。
しかし本命はビーチバレーである。ぜんぜん関係ないけど、ビーチバレーのユニフォームの規定ってすごいね。Wikipediaには「タンクトップは体にぴったりと密着したもので、袖ぐりは背中に深く、また胸の上部と腹部は大きくカットされたものとする。ブリーフはぴったりとしたもので、裾は左右が上向きにカットされ、サイドは7cm以下とする」ってあるけど、ホントにそんなオヤジが妄想で書いたようなルールが適用されているのだろうか?

3. 安座間さんの事情


すみません話を戻します。
というわけで、製作スタッフは、この初登場シーンでまことを「スポーツ少女」としてしっかり印象づけたかった。スポーツ少女と言えば本当は沢井さんだが、その沢井さんも安座間さんを盛りたてるべく、いかにも運動神経がなさそうな芝居をしている。が、ひとり安座間美優には、そんな役柄をまっとうする心づもりなどなかった。と私は思う。
これまでも何度か話題にしたと思うが、2003年秋、実写版の放送開始に先だって『メイクアップ! 〜少女がセーラー戦士に変わるまで〜』という30分の宣伝番組がオンエアされた。残念ながらいまだソフト化されていない幻の番組である。で、その後半で、各戦士のオープニング・クレジットのメイキング映像が順々に出てくる。木野まことのパートは、次のような感じだ。


(ご存じオープニングの撮影風景、神社でレイのシーンの撮影の後)
渡辺美香(CBCアナウンサー)「続いて、広大な敷地の公園で行われた、セーラージュピター、木野まこと役の、安座間さんの撮影現場。どうやらグローブを片手にキャッチボールをしているようですねぇ。そう、安座間さんが扮する木野まことと言えば、気は優しくて力持ち、スポーツ万能少女なんです。さて安座間さん自身はどうなんでしょうか?」
安座間美優(撮影の合間に歩きながら)「なんか、演技で男っぽくとかは、がんばれば出来ると思うんですけど、運動神経の良さを出すっていうのは(運動神経が)悪い人だと難しいじゃないですか(笑)」
渡辺「安座間さん、そんなに謙遜しなくてもいいですよ。キャッチボール姿、じゅうぶん決まっていました」

いやこれ、謙遜ではないね。淡々と「難しいじゃないですか」って言っているが、この時点で安座間さんは、すでに「スポーツ万能少女」をやる気がない。なぜか。自分自身がスポーツ少女ではないからだ。本当の自分自身とかけ離れたキャラクターを無理に演じようとすれば、どこか不自然になる。だからやらない。安座間さんが自分のモットーを「自然体」と定めているのは、そのような意味だと思う。
自分が理解でき、自然に演じられる部分だけを手がかりに役を作る。演じているうちに共感できる部分が増えていけば、そのぶん役とシンクロしていけることになるが、配役のキャラクターにあわせて、自分を変えることはしない。そういう人を女優とは呼ばない。女優っていうのは様々なキャラクターになりきることを、むしろ喜びとする人種だ。沢井美優とか北川景子は、本来の自分の性格とかけ離れた役を与えられれば、発奮して役作りに取り組むだろう。安座間美優はそういう意味で「女優」ではないのだ。ブログでも公言しているし。

私は女優ではありませんがね。
今はなるつもりもありませんがね。笑
あまり興味がないのでねヾ( ´ー`)
あ!女優の仕事は素晴らしいですよ!!
女優を否定しているわけではないので♪
今は興味がないだけです(・∀・)
そのうち、興味が出てきたらまたやりたいと思います!!
Mew〜みゅう〜」2007年4月25日

「今は興味がないだけです」とか「そのうち、興味が出てきたらまたやりたいと思います」というのは、事務所が女優の仕事を取ってきて、自分が引き受けることになったときのために、あらかじめ用意しておいた言い訳だ。現にこの記事の後『サラリーマン金太郎』でOLを演じている。実際、女優の仕事がどうしてもいや、という訳でもない。でも、自分以外の人格になれ、なんて不自然なことはできない。

というわけで、情熱的かつ楽しげにうさぎ役に取り組む沢井美優、天性のカンであっさり亜美を自分のものにした浜千咲(現:泉里香)、ひとつひとつステップを確認しながらレイという役にアプローチをかける北川景子、という三人に続いて出てきた第四の戦士は「(キャラクターの内面を追求するという意味での役作りは)特に何もしない」という驚くべき演技プランを携えていた。結果、Act.6の冒頭に登場した木野まことには、内面というものがまったく感じられない。スケバンでも、スポーツ少女でもない。何者なんだかさっぱり分からない。風の又三郎のように突如としてあらわれ、ヒロインのうさぎをチンピラ少年たちから守り、礼を言ううさぎを無表情にやり過ごし、一言のことばも漏らさず去っていく。後に残るのは「なぜ?」の嵐。
『ターミネーター4』の公開を記念して、昨晩『ターミネーター2』を地上波で放送していたが、もし私がこれをリメイクをするなら、シュワルツェネッガーの役はぜったい安座間美優にする。もう一方のターミネーターはもちろん小松彩夏だ。

4. 色即是空



なんか、むちゃくちゃなことを書いているようなのだが、私はこういう、無理をして役柄の内面を作り込んだりしない安座間美優の演技プランが、けっこう好きである。「スポーツ万能少女らしく見せかけるなんてできない!」と力んで開き直るわけでも、また逆にへこむわけでもない。台本に書かれたことを淡々とこなして「いまのところ、これが私の木野まことです」とありのままを差し出せるのが彼女の強みだろう。決して投げているのではない。まずホトケを作って、魂を入れるのはこれからなのだ。気の短い人はイライラするかも知れないけどね。
こういう人だから、土曜の早朝から、ネコ耳としっぽのアニメ風コスプレでテレビに登場しても爽やかなのだ。普通、民放の情報番組で変なコスプレしている人を見ていると、その人の「えーっなんで私が」「恥ずかしい」「でもこれは今後のためのステップ。耐えねば」という内心の叫びが画面から伝わって来るものなのだが、安座間さんからはそれを感じない。台本に指定されていれば、世界のナベアツの真似でもなんでも平気でやるのだが、実に淡々としている。無我の境地である。

唐突だが、『モップガール』第8話で「魅せられて」をBGMに、ソフトフォーカスの画面でジュディ・オングのコスプレをする北川景子を見たとき、私はこれ、長身の安座間美優にさせたいなあ、と思ったりしたものだ。
北川景子は『モップガール』で様々なコスプレをさせられるたびに、表情や態度に、それなりの葛藤をにじませていた。その一方で楽しんでいるというか、開き直ったような感じも、もちろんあったのではあるが、いずれにしても、常に「私がコスプレ」という自意識を周囲に発散していた。性格を考えれば当然という気もするが、ひょっとして、デビュー作がセーラーマーズで、次の主演がモップガールで、自分はテレビではコスプレの役しか回ってこないのか、という不安があったのかも知れない。
というように、この場面を演じているときの北川景子の心境を考えれば、間違いなく半日はつぶせる。しかし安座間美優が同じシーンを演じているところを想像しても、何も思い浮かばない。空っぽだ。空の境地である。


まあともかくそんなところでアバン・タイトルは終了。ドラマはようやく主題歌に入る。今回はここまで。

うさぎ「すごーい。ありがとう。あの……」
まこと「……」(うさぎを一瞥して、無表情に去っていく)
うさぎ「カッコいい〜。でもどこの制服だろう」

   


<つづく>



【おまけ】ミュージカル版には、どうも「これ」という木野まことは現れなかったような気がする。たぶん最も長くジュピターを努めたのは、若山愛美(水野亜美)と共にマリナムーン後期を支えた渡辺舞(その後「伊倉舞」として再デビューして、さらに「渡辺舞」に戻ったようだが詳細は不明)ということになるのだろうが、正直なところ、私には最後までこの子が木野まことに見えなかった。もちろんこれは「原史奈はぜんぜん月野うさぎに見えなかった」というのと同じ意味であって、渡辺舞の力量がどうのこうのという話ではない。

後は杉本文乃もけっこういいけど、「木野まことらしさ」で言うと、どうでしょうか、個人的にはやはり、栗山絵美(身長177cm)ではないかと思う。
まあしかし、ミュージカルの木野まこと役は、1993年夏の初演から2005年正月の最終公演に至る足かけ12年の間、実に11人ものキャストがめまぐるしく変わっており、最後まで決め手を欠いたままだった。ちなみに愛野美奈子役も11代目まで行っているが、木野まこと役の方は、たった1期の公演のみで、次のシーズンを待つことなく降板しているキャストが、実に4名もいるのだ(美奈子役は2名)。
ひょっとして「セーラームーンを生身の人間が演ずる」という課題の中で、一番キャスティングがむずかしいのは、実は木野まこと役なんじゃないか、とも思う。安座間美優はそういう難役に「内面へのアプローチをしない」という、余人にマネのできない方法論で挑み、そして、小林靖子をして「ジュピターがいちばん書きやすかった」と言わしめるほどの成功を収めたのである。安座間美優こそ、究極のセーラージュピターだ。
つまり私はマジメに安座間さんをたたえるために今回の記事を書いたんで、そこんとこよろしくね。


というわけで(どういうわけだ)間もなく神戸みゆきさんの一周忌がやって来る。次回は改めて彼女をしのぶ記事を書く予定ですので、Act.6レビューは1回休みとします。