実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第165回】DVD第2巻:Act.5の巻(その0)


GOD SPEED FREEDOM

GOD SPEED FREEDOM

yst(ヨシトと読むのかな、やっぱり)こと遠藤嘉人のバンドLast ReunionのマキシシングルCDが、Amazonの通販でも手に入るようになったよ。1曲目ではゾイサイトのピアノが堪能できる。しかもおまけのプロモDVDは遠藤くん本人の監督。「(日本の)グランドキャニオン(的場所)で撮影された圧巻の映像は必見です」だそうだ。(日本の)(的場所)って……。

1. 男性キャストにも愛を


先週から『仮面ライダーキバ』に窪寺昭が登場している。しかも1回ぽっきりのゲスト出演ではなく、レギュラーのようです。戦う場面ではすぐ怪人に変身してしまうが、人間体のときはなぜかマカロニウェスタン風の衣装で、悪役ということもあって、印象はかなりクンツァイトと重なる。ぜひ舞原賢三が演出を担当する回で、小池里奈さんとの共演を実現して欲しい。
『キバ』の小池里奈さんは、第1話がスタートした時点では、引きこもり気味の主人公(瀬戸康史)の家に押しかけ、あれこれ面倒をみたり、外に引っ張り出そうとしたりして、恋人というか、おませな世話女房ふうの役だった。ちょっと若すぎるが、これって立派なヒロイン役じゃん、と喜んでいたら、第2話・第3話と回を重ねるうちに、だんだん雲行きが怪しくなってきた。そもそも主人公が引きこもり(この世アレルギー)である、という初期の設定がどこかへ行って、平気で外を歩き回れるようになった。さらに第20話からは、正規のヒロイン役として芳賀優里亜が起用され、すごく甘酸っぱいベタな青春恋愛ドラマが始まった。で小池里奈は、この二人の恋路を邪魔する小姑みたいな役柄になっちゃって、デートの現場に割って入ったり、わざと電話を取り継がなかったりして、悪魔のコスプレで「ホーッホッホッホッ」と高笑いしています。木野まことと亀吉をくっつけようと一所懸命だったあのころのピュアなルナはどこへ行ったんだ。
こうなってくると、やはり安座間美優さんにゲスト出演してもらわなくてはいけないと思う。それで、小池里奈ちゃんには「ルナ、あんたいつから人の恋路を邪魔するような奴になったんだ」と一喝してもらう。まこちゃんの言うことならば小池ルナはしゅんとして反省するはずである。で、芳賀優里亜には「この子、ほんとうはいい子だから許してあげて」と言う。親友の安座間さんの言うことなら、優里亜も耳を傾け、ルナを許す気になるであろう。いま、いささか暴走気味の井上敏樹のストーリー展開を軌道修正できるのは、安座間美優しかいない。
とここまで書いて、本日(2008年8月31日)放送の第30話「開演・キバの正体」を見たら、小池里奈はいきなり先週の自分の態度を反省して、瀬戸君と芳賀さんをくっつけるキューピッド役になって、悪魔コスプレから天使のコスプレになっちゃうのだから、まことに井上脚本の展開は予断を許さない。安座間美優の出番はなくなった(初めからないって)。
しかしあれだな。セーラームーンリングに参加されているみなさんのブログは、セーラー戦士の動向についてはものすごく敏感だが、四天王・マスター・元基あたりに対する反応はちょっと冷たすぎるぞ。この窪寺君のキバ出演情報とか、渋江譲二君がアバレイエロー(いとうあいこ)とフジの昼帯ドラマ『愛讐のロメラ』に出るとか、黄川田将也君が『世界☆ふしぎ発見』に出た話とか、そういうネタは、ひろみんみんむしさんのところにしか出ていないね。

2. すみません、不調です(またかよ)


さて本題、と言いたいところだが、今週はちょっと気合いが入らないんですよ。ひとつには、仕事の方がひとつ山場を迎えつつある、ということがある。それに加えて

(1)半年以上も続いていた『Special Act』レビューがようやく終わって、脱力・疲労気味。
(2)お盆休みを潰して書いた『モップガール』全話リストが完成して、脱力・疲労気味。
(3)BGM研究でやるべき課題がいろいろ山積みなんだけど、めんどくさい。
(4)DVDレビューをAct.5から再開しなきゃいけないんだけど、名作なので緊張します。
(5)小ネタはこの間やったばかりなので、イマイチやる気がしない。

といった諸事情が絡んで、まだ今日の記事で扱うテーマも決まっていないのだ。日曜日は日曜日で、早くから仕事に出なければならないというのに。
しょうがないなあ。まあいいや。今回は、これまでこのブログでAct.5についてあれこれ書いてきたことをざっと復習して、間もなく始まるAct.5のDVDレビューのためのイントロダクションにしたいと思ます。

3. 過去ログ再訪(ジュピター問題)


実写版セーラームーンは、まことが転校してきて、ヴィーナス以外の4人が揃うAct.6までは、わりと原作漫画に忠実に話が進んでいる。でもそのなかでAct.5だけは、原作にもアニメにも対応するエピソードがなくて、実写版だけのオリジナル・ストーリーになっている。

実写版 原 作 ア ニ メ
Act.1Act.1 うさぎ SAILORMOON第1話 泣き虫うさぎの華麗なる変身
Act.2Act.2 亜美 SAILORMERCURY第8話 天才少女は妖魔なの?恐怖の洗脳塾
Act.3Act.3 レイ SAILORMARS第10話 呪われたバス!炎の戦士マーズ登場
Act.4Act.4 Masquerade 仮面舞踏会第22話 月下のロマンス!うさぎの初キッス
Act.5 (な し) (な し)
Act.6Act.5 まこと SAILORJUPITER第25話 恋する怪力少女、ジュピターちゃん
以上がAct.6までの実写版と原作とアニメの対応関係である。さらにくわしい原作と実写版のストーリーの比較に興味がある方は、この日記の【第59回】をご参照ください。
さてこのように、原作では第1話にセーラームーン、第2話にマーキュリー、第3話にマーズが立て続けに登場する。しかしジュピターは次の第4話ではなく、第5話で初お目見となる。たった1話だが、『なかよし』は月刊誌なので、うさぎ・亜美・レイの三戦士が揃ってからまことが登場するまでに、実質2ヶ月のブランクがあるのだ。
以前【第56回】の「4. ジュピター問題について」という項目に書いたように、私はこれを、アニメ版にジュピターを登場させるか否かの判断をするために設けられた「猶予期間」であったと想像している。
アニメ版の第1回放送は、原作の連載が第3話(Act.3、セーラーマーズ誕生篇)まで進んだ1992年3月に始まっている。この時点でアニメが全2クール26話になるか、4クール1年間の放送になるかは流動的だったのだと思う。つまり、もしアニメの評判が期待したほどではなかった場合は、2クールで打ち切りになる可能性もあって、その場合は、ジュピターが出てこないまま、物語は三人の戦士(とセーラーV)の物語として完結することになっていたんじゃないだろうか。それで連載中の原作でも、木野まことの登場は、一時ストップしていた。けれども幸いアニメが大好評だったので、1年間4クールの放送が決定し、まこちゃんも、晴れて次の原作第5話で十番中学に転校できることになった。
というのはまあ、見てきたような私の妄想だが、ともかく事実として、アニメ版は、第8話で亜美、第10話でレイが登場してから、しばらくは三人体制で話が進んでいる。主題歌と共に流れるオープニングタイトルにも、この三人しか出てこない。木野まことが初登場するのは、2クール目も終わりに近い第25話であり(ちなみにセーラーVが正体を明かすのは第33話)ジュピターとヴィーナスが加わったバージョンのオープニングは、第27話から始まる。つまりアニメ版のセーラームーンって、スーパー戦隊もので言うと、去年のゲキレンジャーや、あるいはちょっと前のハリケンジャーと同じように「もとは三人組」で、四人目(ジュピター)と五人目(ヴィーナス)は、後半から登場するシルバーとかゴールドとかの「追加戦士」なのである。

4. 過去ログ再訪(三人の物語)


そしてそういう目で見てみると、実写版のまことも「追加戦士」にふさわしいキャラクターであるように思えてくる。
亜美やレイは、父との確執や母へのコンプレックスを引きずった状態で登場する。彼女たちがセーラー戦士として成長していく過程は、同世代の友人との出会いという「横の関係」を築くことによって、家族という「縦の関係」の抑圧から自由になり、内面の葛藤を克服していくプロセスでもある。だからこそ、どのように彼女たちが互いに「仲間」と認め合って、友情をはぐくんでいくかが、こまやかに描かれなければならない。
しかしまことの場合はちょっと違う。うさぎたちと出会う以前のまことの人生は、Act.6の失恋エピソードひとつで、わりとあっさり精算されてしまう。まことの物語はいったん白紙となり、ここから始まるのだ。古幡元基との恋愛問題が発生するまでのまことの印象が、亜美やレイに較べて弱い理由はそのへんにあると思う。そういう意味では、まことの登場がもっと後のエピソードまで持ち越されたとしても、物語の展開には、さほどの不都合が生じない。むしろ戦隊ものの「追加戦士」の法則にのっとって、もう少しうさぎ・亜美・レイの友情物語に話数を費やしてから、まことを参入させた方が良かったんじゃないかなあ、という気さえしてくる。
それができなかったのは、まあセーラームーンの話が超有名だったからでしょうね。美奈子はすでにセーラーVとしてちょこちょこ登場しているからいいとして、早くまことを出さないことには、ファンが黙っちゃいない。なにしろ放送開始当初から、ダーク・キングダム篇は前半2クールで終了し、3クール目からちびうさや外部戦士が出るのではないかとか、そんな気の早い噂まで出回っていましたからね。
で、Act.4とAct.5である。このふたつのエピソードは、追加戦士まことが加わる以前の、うさぎと亜美とレイだけのお話である。本来ならもっと何話もかけて描かれるべきだった「三人の物語」が、この2話に圧縮されている。
ただAct.4は、原作第4話がベースとなっているので、いささか詰め込みすぎの観もあった。原作は、仮装パーティー(原作では仮面舞踏会)の事件を通して、セーラームーンとタキシード仮面が初めてまともに言葉を交わしあい、心寄せ合うきっかけが生まれる、というのがメインテーマだった。実写版はそこに「レイさん……もしかして、仲間が怖い?」に始まる亜美とレイの会話シーン、そして、三人で力を揃えなければ倒せないサボテン妖魔ブラザーズというオリジナル要素を付け加えて、「三人の物語」というもうひとつのテーマを盛り込んだので、プロットがちょっとごちゃごちゃしましたね。まあこれはこれで、いま観るとけっこう面白いが。
でもAct.5の方は、原作を離れた完全オリジナル脚本である。しかも次はまことが登場する。だからこのエピソード一本で、「最初の三人」の人間関係を可能な限り鮮明に描き出さなくちゃ。そういうスタッフの気合いが、Act.5を前半屈指の名作にしたのだと思う。

5. 過去ログ再訪(寡黙なレイの問題)


でもAct.5って、おまえが言うほど「三人の物語」か?と思われる向きもあるかも知れない。Act.5は亜美の物語、あるいは亜美とうさぎの物語であって、レイは実質、あんまり話にかかわってこないじゃん、ということですね。
そのことについては、このブログの【第9回】に詳しく書いたつもりだ。確かに、Act.5のメインテーマは、いつも天真爛漫で性格に裏表がなく、思ったことを口にするうさぎと、反対にいろんな思いを口に出せずに、内に抱え込んでしまう亜美との間に起こる、友情のすれ違いだ。その意味で当事者は亜美でありうさぎであり、レイは傍観者に過ぎない。でも、もしレイがいなかったら、このお話はこれほど見事な着地点にたどり着かなかったと思う。
うさぎは決して、自分の無邪気な言葉が亜美の心をどれほど苦しめたか、最後まで十分に自覚してはいないように見える。亜美にとっても、問題は解決したと言うにはほど遠い。あえて自分の性格を強引にねじまげてうさぎに併せようとしても、しょせんそれは付け焼き刃にしか過ぎない、ということを学習して、一歩成長はした。けれども、あれこれくよくよ悩みがちな自分の性格はそのままに、うさぎやクラスのみんなと、これからどんなふうに新しい関係をつくっていったらいいのか、答えが見つかったわけでもない。なのにどうしてAct.5の結末は、よくある学園ドラマの対立と和解の物語よりも、はるかに豊かな幸福感に満ちあふれているのか。それはレイがいるからだ。
思慮深いレイは、ひそかに二人の感情の行き違いを心配するが、決して間に割って入って仲を取り持とうとはしない。そういう性急さが、こと亜美のような性格の子に対しては、決してプラスに働かないと知っているからだ。レイもまた屈折した性格の持ち主だ。亜美の気持ちは良く分かる。でもだからといって、うさぎの性急さを非難もしない。ただ「うさぎはさ、本当、名前の通りかけ足だね、なんでも。そんなにすぐには変わらないって」とたしなめながら、辛抱強く二人を見守る。そしてうさぎと亜美は、そんなふうに自分たちを見ていてくれるレイちゃんの視線に気づいたときに、満面の笑顔を浮かべる。ドラマを観ている我々も、うさぎと亜美、二人の物語のように思われたこのエピソードが、レイを含めた三人の写真のアップに始まり、変身した三人の戦士のハグに終わる、「三人の物語」であることに気づかされる。これはそういう話だ。

6. 過去ログ再訪(旧姓河辺さん問題:芸名はそのまま)


あともうひとつは、河辺千恵子問題ですね。これは【第8回】に書いた。初回放送の時点では、どうしてもAct.1からAct.4までの浜千咲が「ニセ亜美」に見えてしまって仕方なかったわけだ。だって同じ教室に本物の亜美がちゃんといるんだもん。それほどセーラームーンミュージカルで河辺千恵子が演じた5代目水野亜美は魅力的だったわけです。しかしこのAct.5で、亜美(浜千咲)が「うさぎ、おはよう!」と、あえてなる(河辺千恵子)のパクリをやって、うさぎと亜美となるの三人でパジャマパーティーをやって、しかもなるが亜美に向かって「亜美ちゃん」と言うことで、ようやくしつこい呪縛が解けた。このエピソードをもって、私の中では、「水野亜美」の座が河辺千恵子から浜千咲に正式に譲渡された。そういう通過儀礼的な意味合いも、少なからずAct.5にはあったと思う。


と、Act.5については、だいたい以上のようなことを、これまでこのブログで述べてきた。過去の日記をお読みいただいている方には、目新しいことはひとつもなかったと思いますが、とにかく、以上の前提を踏まえて、改めてAct.5を観てみたいと思います。しかしこれだけ書いちゃうと、他に書くことはあるのだろうかという気もしますけどね。