実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第9回】舞原賢三、初登板初完封の巻(Act.5)


 先輩ブロガーの方々が、それぞれ趣向を凝らしたゴールデン・ウィーク特集を組んでおられるなか、新参者の私はしっかり連休をとって名古屋を離れ、日記の更新はおろか実写版再放送の視聴さえしなかったというヘタレっぷり。今回は代わりにビデオ視聴レポートでお茶を濁します。なんか初回の趣旨とはぜんぜん違うことをやっているのだけれど、まあ再放送だろうとビデオだろうと中身は一緒なんだからいいや、って、それを言っちゃあお終いなんであるが。
 しかも今回は、多くのファンがシリーズ中屈指の名作と推すAct.5である。すでに様々な感想が語られていて、何を書いても二番煎じになってしまう、って、これも言っちゃあお終いである。だいたいこの日記そのものが二番煎じみたいなものだからね。
 と、いささか開き直り気味に始めるが、このAct.5は初めて原作を離れた実写版オリジナルの脚本であり、これまでほぼ一ヶ月かけて創り上げてられてきた実写版の世界が、いよいよ独自の地平を切り開き始めるという意味で、なかなか重要な回です。さらに、以降シリーズの屋台骨を支えて行くことになる舞原賢三監督が初お目見えとなる回でもある。再放送を見逃したからといって、これを飛ばして次、というわけにはどうしても参りません。

1.今回のお話



 トップシーンは朝、亜美の部屋。勉強机に置かれた亜美とうさぎとレイ、三人一緒の写真。そこに「三人でいるのは、何となく楽しくて、私は、初めて友達って呼べる人たちと一緒にいるのかも知れません」という亜美のモノローグがかぶさり、独りぼっちではなくなった彼女の明るい一日が始まる……はずだった。
 ところがラジオをつければDJが「乙女座は友人関係に要注意。あなたが思っているほど、友達との友情は強くないかも」と忠告し、外に出れば同世代の女の子たちの「そうそうあの子ウザい」「ホントありえない」「勝手に友達づらするなっつうの」「でも本人はぜんぜん気づいてないっぽいんだよね」などという会話が耳に飛び込む。一人でクラウンに行けば元基から「今日は一人?ケンカでもしたの」と尋ねられる。こうして亜美の心には次第に暗雲が立ちこめる。私は本当に月野さんから「友達」って思われているのだろうか。ひょっとして私が一方的にそう思っているだけなのかも。
 そこへ待ち合わせしていたレイとうさぎがやって来てホッとしたのもつかの間、「月野さん」と呼びかけた亜美に、うさぎがトドメの一撃。亜美は動揺を隠せない。


  


うさぎ「亜美ちゃん、まだ“月野さん”って言ってる。レイちゃんなんか、いきなり呼び捨てだよ。亜美ちゃんもさ、“月野さん”なんてやめようよ。なんか友達じゃないみたい


  

 帰り路、亜美は書店で『本当の友達になれる本』というベストセラーを見かけて、思わず買ってしまう。そして一晩じっくり読んだ翌朝から、その本のとおりに、努めて明るく社交的に振る舞おうと努力する。月野さんのことは本人の希望どおり「うさぎ」と呼ぶ。自分から進んでうさぎたちと一緒にお弁当を食べる。抜き打ちテストでわざと赤点を取って居残り組の掃除当番に加わる。うさぎに誘われたので、いつもの塾をさぼってパジャマパーティーに参加する。だけど結局は無理がたたって一日でダウンしてしまう……という展開です。「Act.5ってどんな話だったっけ」という方も、ここまで紹介すれば想い出しましたね。ということでストーリー紹介はこれで終わり。

2. 演出



 この回の舞原演出は冴えている。人目を気にしながら水溜まりをジャンプして笑顔を浮かべる亜美、遅刻しそうになって大慌てで学校の正門を駆け抜けたものの、いったん戻って掃除中の用務員のおじさんにきちんと「おはようございます」と挨拶して、再び急いで駆け出すうさぎ、火川神社の境内を掃除しながら、夢中でお喋りしているうさぎのかかえていたポップコーンをひょいとつまむレイ。戦士たちの日常を描く、印象的なディティールがあちこちに散りばめられている。こういうのを「大きいお友達殺し」と呼ぶ。
 前回いささか暴走気味に崩れたうさぎ=セーラームーンと衛=タキシード仮面の関係は、次の次、Act.7で、いよいよセーラーVも絡んできて新たな段階に入るのだが、今回はその前の仕切り直しというか、基本パターンを踏む。ここでようやく二人は、お互いの名前を知るのである。地場衛という漢字を読み間違えるうさぎと、わざと「うさぎ」を「こぶた」と呼ぶ衛のケンカは、パターン中最も楽しい。
 それから戦闘シーン。今回はマーキュリー単体での闘いがメインになるが、「逃げても、無駄よ」の決めポーズ、それから、瞬間移動するポヨヨン妖魔の動きを追うために、マーキュリーが眼を閉じ、水の流れ=自然の気の流れと一体化して、その流れを乱すエナジーのポイントで妖魔の所在をつかむ、というイメージショット風の映像、こういった工夫を凝らすことによって、全体の構成にメリハリをつけることに成功している。

3. 二人の亜美



なんて、今回も色々な名シーンがあるわけですが、なかでもアレですね。学校の下駄箱のところで、完全にテンパった顔で「う、うさぎ!お早う」と呼びかける亜美。これはみなさん、鮮やかに憶えておられるに違いない。あの目を真ん丸に開いた浜千咲の顔は、私にはやはり河辺千恵子の真似に見える。
 これは物語内の説明としては、おそらく亜美は前の晩に、なるちゃんをお手本にイメージして、何度も「うさぎ!」と呼ぶ練習をしたのであろう、それで似ちゃったんだな、ということになるし、物語外の要素としては、セラミュのマーキュリー役で好評を博した河辺千恵子のパロディを、実写版の浜千咲がやっているという面白さもある。スタッフもそういう楽屋落ち的効果を意識していると思う。
 となると、前回の日記でも河辺千恵子のことは書いたので、もう止めておこうと思ったが、やはりパジャマパーティーの場面に触れねばなるまい(なるまいって…)。実写版うさぎとミュージカル版亜美がコスプレ(?)しながら歌う美奈子ソング。夢の共演だ。このまま二人で小坂明子によるセラミュの名曲の数々をメドレーしてくれないか、なんて期待も高まりますが、さすがにそれはなく(当たり前だ)、カラオケマイクは亜美に渡される。

 その亜美の歌いっぷりがまた良い。本当は「いま塾に行けばまだ間に合う」と時計を気にしていた直後なのだから、亜美としては、その不安を振り切るように無理して明るく歌うとか、そんな演技プランが必要な場面だ。ところが実際に我々が目にするのは、まったく嬉しそうに、アイドルみたいにキラキラはじけている亜美なのだ。いや亜美ではなくて、ここだけは「浜千咲」である。
 だがそれでいいのだ。ときにドラマの文脈を離れて美少女アイドルのイメージ映像を堪能する、というのもこの実写版の正しい楽しみ方であるし、なによりこのシーンは、河辺千恵子と浜千咲の間に交わされるマーキュリー継承の儀式なのだ(そうかあ?)。このくらいの祝祭感覚はむしろ必要である。浜千咲のはしゃぎように、河辺千恵子は「ウソ……水野さんのイメージが……」と目を丸くする。彼女が「水野さん」と呼ぶのはこれが最後で、次になるがマスカラを、うさぎがリップを持ち出して三人でメイクを競い合うシーンでは、うさぎと一緒にさりげなく「亜美ちゃんは?」と言っている。この時点をもって儀式は終了し、河辺千恵子から浜千咲へと「亜美ちゃん」の座が正式に譲られたのである。とまあ、この話になるとどうしても尋常ではいられなくなるので、これくらいにしておこう。

4. うさぎの気持ち、亜美の気持ち、そしてママの気持ち


 一方、うさぎは今回、ちょっと可哀相な役回りである。このパジャマパーティーでついに努力の限界を越えた亜美が「なんか勉強より疲れる……」とつぶやくなりバッタリ倒れてしまい、パーティーは中断、なるはうさぎの母に付き添われて帰宅、そしてうさぎの部屋でベッドで寝込む亜美。そんな亜美にうさぎが語りかける。


  


うさぎ「亜美ちゃん、無理してたんだ……」
亜 美「えっ?」
うさぎ「バッグから落ちてた」
  『本当の友達になれる本』を差し出すうさぎ。


  


  思わず起きあがり、ひったくるようにそれを奪い取る亜美。


  


うさぎ「何で?こんなことしなくたって友達じゃん……もう止めようよ。倒れるようなこと、良くないって」
亜 美「でも……でも月野さんだって、名前で呼ばないと友達じゃないみたいって。変わったら喜んでくれたじゃない」


  


うさぎ「そうだけど……嘘だったんなら嬉しくないよ。そういうの、一番友達っぽくないと思う……


  


 ふつうに考えて、今回ここまで亜美に無理をさせた直接の原因はうさぎである。だからこの場面では「ごめんね。私、亜美ちゃんの気持ちにぜんぜん気づかなくて、勝手なことばかり言って」などと謝るのがスジというものだろう。

実際、次に翌日クラウンですっかり落ち込むシーンが続くから、うさぎなりに自責の念を感じてはいるようだ。なのにここでは、うさぎは、まるで傷つけられたのは自分の側であるかのように亜美を責めるのだ。日頃はあれほど友達の気持ちを大事にするうさぎが、こんな態度はちょっと珍しい。
 まあ以降の展開を考えれば、ここで二人が和解してしまっては、妖魔も変身もなしに話が片づいてしまうじゃないか、ということはある。ラストを印象づけるためにも、いまは亜美をさらに追い詰めておくのが作劇上の道理だ。それにうさぎの気持ちも分からないではない。
 たとえばAct.2。亜美が仲間の戦士だということをルナから知らされ、嬉しくて翌朝早々に亜美のところへ飛んでいって「一緒に闘おう」と誘ったうさぎは、あっさり亜美に断られる「そっか……月野さん、私が戦士だから友達になろうって言ったんだ」「え、どういうこと?」「私、戦士になんか興味ない」

もちろん亜美は、なんだ月野さんもそういう下心があって私に話しかけたのか、私が成績優秀だからとか、ママが有名なドクターだからといって近づいてくるクラスメートと同じだったのか、と思ってがっかりしたのだ。でもうさぎは、なぜ亜美が断ったのか、実はぜんぜん分かっていない。亜美がそういう考え方をしていることも、下心というものすらも、たぶん理解できていない。だいぶ後の話で申し訳ないが、あれだけ黒木ミオに騙されても信じてやろうというのだから、もはや非常識である。しかしやんごとなき方というのはそういうものだ。なにしろプリンセスだもんなこの人は。
 そういう性格のうさぎだから、亜美が戦士になる気はない、というのをとても残念がりはしたが、どうにか策略を練ってその気持ちを変えさせよう、という考えはまったく起こさなかった。ルナが「私が説得するわ」と言うと「止めなよ。嫌だって言ってるんだから可哀相だよ」と真剣に反対した。窮地に陥っても「嫌なのに変身しちゃ、駄目だよ」と、亜美の気持ちを尊重しようとした。そしてその言葉が心に触れたから、亜美は戦士として共に闘う決意をした。

 だからうさぎも、亜美ちゃんと友達になれた、と喜んだ。そして自分が亜美に本音で語りかけているように、亜美も本音で接してくれていると信じていたのだ。その亜美が、実は自分の友情を心底信じてはいなくて、こちらの心を探るようなことをしていた。こういう経験は、これまでうさぎにはなかった。しかも自分一人だけではなくて、親友のなるちゃんもそこに巻き込んでしまった。ということで、これは天真爛漫に育ってきたうさぎとしては人生初の大ショックだった。だからどうしても亜美を責めるような言い方になってしまったわけですね。
 とはいえ、なにしろ「“月野さん”なんてやめようよ。なんか友達じゃないみたい」と言っておきながら、「そういうの、一番友達っぽくないと思う」である。じゃあお前はどうしろと言いたいのだ、と亜美でなくても思ってしまう。それに今回は、始めの方に出てくる妄想シーンのなかでも亜美に拳銃を突きつけたりして、かなり悪役度が高い。やはりうさぎに分が悪いな今回は。

 でももう少し考えると、この「嘘だったんなら嬉しくない」といううさぎのセリフは、後にAct.33、34で明らかになってくる亜美の母親の気持ちを先取りしていることになるのがちょっと興味深い。うさぎと亜美の性格の違い、それはやはり家庭環境の違いだ。たぶん亜美も、純真なうさぎの友情を疑ってしまったことについての引け目は感じている。でも、と彼女は思う。私は月野さんのように、家に帰ればいつでもママがいて、自分の思っていることをいくらでも友達みたいに話せるわけではないのだ。大好きなママとのコミュニケーションはいつも向こうからの一方通行で、私の方から語りかけることはできない。できるのは、ホワイトボードに書かれたママの期待に一生懸命に応えることだけだ。そうすれば、ママに喜んでもらえる。そんなふうに生きてきたのだ。だから月野さんの期待どおりにすれば、きっと喜んでもらえると思ったのに……。
 しかしすでにAct.33、34を観ている我々は、亜美のそういう考えが、実はママにとっても意外なものであることを知っている。ママが励ましのメッセージをホワイトボードに書き続けてきたのは、亜美が本心からの希望として、自分みたいなドクターを目指して勉強を頑張ってくれていると思っていたからだ。でもそれが「嘘だったんなら」ママはぜんぜん「嬉しくない」。そしてママも、今回のうさぎと同じように、それとは気づかず亜美に自分の気持ちを押しつけていた事実を知り、ひとり思い悩むことになるだろう。

5. レイはクールな傍観者か?


 ともかく、そういう亜美とうさぎの気持ちのすれ違いが今回の主題だ。そしてそれがどのような結末に向かうか、その成り行きを改めて観ているうちに私が気づかされたのが、レイという存在の重要性である。ひょっとしてAct.5の主役は、亜美でもうさぎでもない、レイではなかったか。なんてね。

たとえばさっき触れたAct.2に、もしレイが存在したらどうなるか。亜美に「一緒に闘おう」と呼びかけ、断られてヘコむうさぎ。だいたい、ほとんど昨日初めて知り合ったような人からそんな話をいきなりされたら、亜美でなくても引いてしまうだろうが、そういうことはうさぎには予想できない。でも、そのストレートなところがうさぎの良さでもあるのだから、「アンタいきなりそんなこと言って、バカじゃないの」なんて言葉はかけたくない。うさぎの持ち味を否定せず、それでいて、彼女の性急さを多少はたしなめ、もう少し亜美の気持ちも汲んでやるようにアドヴァイスする、どんな言葉がここではふさわしいだろう。そう考えると、Act.5のレイのセリフは、実にピッタリはまる。「うさぎはさ、本当、名前の通りかけ足だね、なんでも。そんなにすぐには変わらないって
 レイはうさぎの純真さを愛しているし、亜美の複雑な心境にも共感している。そしてそのへんの性格の違いのせいで、どうも今回、二人の関係がぎくしゃくした方向に進んでいるぞ、ということを、いちはやく察知している。けれども余計なお節介は焼かない。

 レイが、必要な時には亜美のような子にも容赦なくびしっと説教する性格であることは、やがて、たとえばAct.16で明らかになる。しかし今回レイがすることと言えば、時おりうさぎに遠回しに忠告を与えるだけで、あとはただ黙って注意深く二人を見守り続ける。それで私も見逃していたのだが、実はそんなふうに見守ることが、このような場合どれほど重要か。
 世間には、たとえどこがどうまずいのか傍目から見れば分かっていても、下手に介入するより、じっと時が解決するのを待った方が、最終的には良い結果が得られるような種類の問題もある。たとえば自分の友人二人の関係がこじれているとき。そんなとき、さっさと間に入って誤解を解き、関係を修復することも、共通の友人ならもちろんできるかも知れない。でもその二人の友情が真に育ってゆくためには、そういう試練もときには必要で、しかもその解決は他から与えられるのではなく、本人たちの互いの努力で見いだしていかなくちゃならない。だから本当の友人なら、安易に二人に助けの手を差し伸べず、歯がゆい時間を待ち続け、じっと見守るべきなのである。でもそれは、あの二人なら必ず最後はうまくいくと、心から信頼していなければできないことだ。
 レイは今回、亜美のことをずっと気にかけていながら、たとえばうさぎがパジャマパーティーに誘っても「私は学校が違うから」と即座に断り、離れた場所から静かに事の成り行きを見守っている。レイはクールな性格を装ってそんな態度をとっているが、実はそうではない。それは彼女が本当に二人を友人として尊重し、信頼していることの証なのだ。
 後半のアクションシーン。妖魔と出くわしても、亜美はうさぎの「一番友達っぽくないと思う」の一言が気になって助けを呼べない。変身して一人で闘うが、倒れた木の下敷きになって窮地に陥る。そこへ駆けつけたセーラームーンとマーズは、ダブル攻撃で一気に妖魔を粉砕する。負傷したマーキュリーをいたわる二人。


  


セーラームーン「どうして助けを呼ばなかったの?もっと早く来れたのに」


  


マーキュリー「うさぎちゃん、私……」


  


セーラームーン「あ、その呼び方の方が亜美ちゃんらしくて好きかも」


  


  マーキュリーの肩にそっと置かれる手。見るとマーズが黙って微笑んでいる)

マーキュリー「うさぎちゃん……レイちゃん」


  


 まだ危なっかしいうさぎと亜美の友情には、こういうレイのまなざしが今はどうしても必要だ。無邪気なうさぎはまだそこまで気づいていないかも知れない。でも亜美は、自分の肩に置かれた彼女の手とその笑顔で、「レイちゃん」が今までじっと自分たちを見守っていてくれたこと、クールな外見の影に隠れた、その友情の温かさに気づいたはずだ。だから最後に「うさぎちゃん」に続けて「レイちゃん」と言った。これはただの付け足しのセリフではない。



 エピローグ。結局、学校での亜美はもとのサヤに収まってしまい、亜美の物語はまだまだ続くが、なるちゃんたちは「亜美ちゃん」と呼ぶようになり、亜美も亜美で、昼休みになってようやく、眼鏡をかけるのを忘れていたことに気づく。そんな変化をもたらした最大の功績は、ひょっとしたらこのエピソードを通じてもっとも控え目だった、三人目の仲間の戦士、その無言の友情にあるのかも知れない。

6. 冒頭シーンの意味



 始めに述べたように、Act.5は、亜美の部屋の机に置かれた、亜美・うさぎ・レイが一枚に収まっている写真、それに「三人でいるのは、何となく嬉しくて、私は、初めて友達って呼べる人たちと一緒にいるのかも知れません」という亜美のモノローグから始まる。この写真はクラウンにも貼ってあって、今回のテーマとして、何度か繰り返しアップで映される。そして最後も、闘い終わったセーラームーンが、マーキュリーとマーズをハグする三人のショットで終わる。でもそのわりに、話の内容は亜美とうさぎの関係だけに終始しており、違う学校に通うレイはずっと傍観者のままで絡んでこない。だからこれは構成のミスなのではないか、実はなんとなくそう思っていた。でも違う。この三人の写真こそが今回の主題ということで、きっちり辻褄が合うのだ。舞原監督、初登板にして見事な完封勝利である。ぱちぱちぱちぱち(幕)。