実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第158回】Special Actの巻(22)


もうだいぶ前から職場で「ブチョーもいい加減ケータイ持ってくださいよ」と言われ続けている私だが、いやなので「iPhoneが日本でも出たら、すぐにでも買うつもりなのに、残念だなぁ、いやぁ残念残念」とヘラヘラ笑っていた。この言い訳であと一、二年は行けると踏んでいたが、そこが素人の浅はかさ、早くもiPhoneの国内販売が始まって、今週は「もう買いましたか」と声をかけられることしきりでございます。
それにしても、携帯電話なんて不便なものが、どうしてここまで普及してしまったのか。持って歩いている限り、どこへ逃げ隠れしても、容赦なく連絡をつけられてしまう怖ろしい道具だ。
私の職場のパソコンには、仕事中も妻から短い携帯メールがよく届く。「帰りに牛乳2本、卵1パックお願い」とかね。で、買って帰ると「ごめん、食パンも切らしてた。あなたが携帯もっていれば連絡ついたんだけど」なんて言うのだ。そんな指令が通勤電車にまで飛んでくる生活なんてゴメンだ。トーストがなくても、翌日の朝食はあり合わせの素材で私がなんとかする(うちの妻は料理が苦手なので、食事は基本的に私の仕事なのだ)。携帯なんかなくたって、何も困らないのである。

1.「不振の理由は?」「前世っす」


さて前回の記事も、最後の方は時間がなくてバタバタのグダグダだったが、今日の日記はそれに輪をかけて絶不調である。すでに日曜の午前、あと数時間でアップしなきゃいけないのに、まったくもって記事が書けていない。なぜか。四天王とエンディミオンの様子があまりにも脳天気なので、ついうっかり、Final Actのことなど考えてしまったからだ。

ネフライト「マスター、久しぶりに暴れますか」
マスター「ああ」
クンツァイト「行くぞ」

「行くぞ」はいいんだが、この人たちって屈託がなさすぎるよね。まともに前世を思い出せないままだったくせに「久しぶりに暴れますか」と知ったような口をきくネフライトも変だし、4年の歳月などなかったかのようにタキシード仮面になって、しかも平然とエンディミオンにもなっちゃうマスターも問題だ。ジェダイト、あんたあれほどご執心だったベリル様はどうした。そもそも、ベリルの力を借りて黒木ミオを作ったのはあんただろう(【第140回】の「3.黒木ミオとは何者か」をご参照ください)。なんてことを考え出すと、どうしても行き着く先はFinal Actだ。

(Final Act)
クンツァイト「我々のためにも、生きてください、今を」
マスター「クンツァイト…」
ゾイサイト「我らはずっと、マスターと共に」
ネフライト「何かあれば、かならず駆けつけます!」
ジェダイト(黙ってうなずく)

(Special Act)
クンツァイト「さすが、ニセ者だと気づいていましたか」
マスター「いくらお前たちでも、あそこまで間抜けじゃないからな」
ゾイサイト「マスター、ご冗談を」
ネフライト「もう少し上等なニセ者にして欲しかったな!」
ジェダイト(黙ってうなずく)

Final Actの「何かあれば、かならず駆けつけます!」が、この『Special Act』における登場の伏線となっていることは言うまでもない。そしてこのふたつの場面が、四人の並びもセリフの順序もよく対応していることは、前回も述べた。みなさんも当然、ここでFinal Actを思い浮かべられることだろう。でもFinal Actにおける四天王復活のシーンが、そもそも不可解なので、そのことを考え出すと、この『Special Act』での四人の帰還を、素直に喜べなくなってしまうのである。そうじゃないですか。
いちばん不可解なのはやはりネフライトだ。他の三人は、Final Actで星が滅ぶまでのプロセスで、あくまでも四天王の一人として命を落としている。最初がゾイサイト(Act.44)、そしてクンツァイト(Act.48)、最後にベリルとの愛に殉じて、崩壊するダーク・キングダムにとどまったジェダイト(Final Act)。だからこの三人が、四天王として復活するのは、まあなんとか我慢しよう。だがネフライトは、Act.36を機に四天王をリタイアしており、最後にはただの人間として生きる決意をかためている(ように見える)。Final Actで、ついにプリンセス・ムーンの力で星が滅んでしまう場面の直前には、亜美のために「まずいもののお礼」を買う、人間ネフ吉のイメージ・ショットが挿入される。
ご存じのようにこの後、世界はまるごと中田島砂丘になってしまい、一人とりのこされたプリンセス・ムーンには、うさぎの人格が戻って、泣きじゃくる。そこへエンディミオンが現れる(メタリア化してセーラームーンに倒されたエンディミオンが、なぜここにふらりと姿を見せるのか、それも実は私には分からない。一応「プリンセス・ムーンは星を滅ぼしたとき、月と地球のすべてを代償にエンディミオンの命を復活させた」と理解しておく)。
エンディミオンは絶望するうさぎに語りかける「でも、まだ終わりじゃない。幻の銀水晶の力を全部解放するんだ。今度は、星を救うために」。もっとも、それをやれば、うさぎの命は失われるだろう。けれどもうさぎは即座に決意する「それでもいい、みんなが助かるなら」
そうやって二人が力を合わせてリセットした世界には、亜美やレイやまことや、美奈子が普通の女の子として復活している。だったらただの人間ネフ吉になったネフライトも、四天王としてではなく、むしろネフ吉として再生しているべきなのではないだろうか。
ただし、二人によってリセットされた世界が、まだうさぎがセーラームーンになって戦う前、ちょうど一年前の時点まで時間をさかのぼって、そこから再起動しているのだ、と仮定したらどうか。いやこれは余計にややこしいな。クンツァイトはまだクンツァイトではなく「シン」でなきゃならないし。
ていうかさ、そもそもFinal Actでリセットされた世界が、いつの時点で復活しているのかが分からないのだ。この世界は、ダーク・キングダムとセーラー戦士たちが戦っていた一年間を「無かったこと」にして、つまり一年前まで戻って再出発しているのだろうか。それとも、ただ戦士たちや関係者から、この一年の戦いに関する記憶を抜いた状態で、時間的な巻き戻しは一切なしで再生されたのだろうか。

2. Re-Make Re-Model


アニメ版ダーク・キングダム篇(無印)でも実写版でも、最終回で、世界は銀水晶の力でいったんリセットされる。アニメ版の場合、全員が第1話冒頭の時点まで戻り、うさぎが朝寝坊で学校に遅刻する場面からやり直す。うさぎと衛の出会いはこれからだし、セーラー戦士たちもまだ友人になっていない。
でもルナとアルテミスだけは記憶をもっていて、しゃべれないただの猫のふりをしたまま、うさぎや衛や戦士たちが、普通の女の子として出会い、友情を結び、恋におちるのを見守っていこうとする。そういうラストだった(もっとも、その次の回では、第2シーズン『セーラームーンR』が始まり、新たな侵略者がやって来て、ルナはうさぎたちの封印されていた記憶を解き放ち、セーラー戦士を呼び戻すんだけどさ)。
実写版の場合はやや複雑だ。そもそもリセット後の世界はいつの時点から始まっているのか?十番中学で亜美たちが着ている制服は夏服で、破滅直前の世界がそのまま続いている光景のように見える。ところが、次の場面で亜美が楽しそうに街角を歩いていると、CDショップの店先には、愛野美奈子のセカンドアルバム『Venus』のポスターが貼られているのだ。てことは実は、ほぼAct.1の時点まで時間が逆戻りしたっていうことなのか?
どういうことか、少し考えてみよう。
うさぎは、幻の銀水晶を使ってこの世界をリセットした。その代償として、うさぎ自身の存在は、再生した世界の人々の記憶から消去されてしまったわけだ。そしてそれはいびつな世界だった。どうしてかというと、みんなの幸せを願ううさぎの気持ちが強くて、時間軸が混乱したからではないかと思う。
つまりですね、美奈子にとって、前世の使命に目ざめてからの、この一年は、歌手であり続けたいという希望や、次第に重くなる病状との葛藤に満ちた苦しい日々であった。そしてようやく自分のために生きる決意をして、手術を受けようと思ったときには、もう手遅れだった。つまり美奈子にとって、この一年というのは「やり直すべき」時間としてある。美奈子を幸せにするためには、アニメ版のようにまるっと一年を巻き戻して、すべて「無かったこと」にしてやるのが理想だ。
しかし残る三人にとってはそうではない。彼女たちはこの一年間、さまざまな体験を経て、コンプレックスや家族との確執を乗り越えた。亜美はメガネをかけ忘れて登校するようになり、レイは、自分を捨てたとばかり思っていたパパの不器用な愛情に気づき、幼い頃から抱え込んでいたトラウマから解放された。そしてまことも、何かと理屈をつけて自分の感情をごまかそうとする性癖を、ほんの少し乗り越え、自分の気持ちを素直に見つめられるようになった。本当はこういう日常生活の変化の方が、前世やダーク・キングダムとの戦いなんかより、はるかに重要なんだ。もしこの一年がまるごと失われれば、それらがぜんぶ振り出しに戻ってしまう。
そんなわけで、うさぎによってリセットされた世界は、一年間が奇妙にダブった状態になっている。美奈子は、元気に『C'est la vie』を歌っていて、CDショップには『Venus』のポスターが貼られている。美奈子に関する限り、状況はほぼ一年前、Act.1の時点にさかのぼっているように見える。
でもその一方で、夏服の亜美は、遅刻してきた大阪なると笑みを交わして、いかにも親友っぽい。神社で子どもたちとかくれんぼをするレイの明るい表情は、父親との関係に傷つき、心を閉ざしていたAct.3のそれとは違う。ストリートバスケをやっているまことにも、Act.6で初登場したときの孤独な面影はない。三人にとっては、戦士としての戦いの記憶が抜け落ちているだけで、この一年の様々な変化は、決して失われていないのだ。
そういう意味で、うさぎと衛が最初にリセットした世界は、時間的におかしくなっていたのではないかと思う。最初から不完全で、もとより、そのまま永続きする世界ではありえなかった。だからこそ、その歪みが生んだ隙間から、四人の記憶に、うさぎの笑顔が甦ったのだ。
再生された世界で楽しい日々を送っていた四人は、そんな自分たちの幸福な「今」に、ぜったい忘れてはいけない何かが欠けていることに気づいて、消えてしまったうさぎの笑顔を思い出す。「うさぎ!」「うさぎちゃん!」
あとはFinal Actのとおりだ(そこを細かくレビューすると、今度は「最後に出てくるプリンセス・ムーンって?」みたいな話題になって、ますます脱線しそうなので止めておく)。みんながうさぎを憶えていてくれたので、うさぎはこの世界に還ることができた。そして、マスターの命を封じこめた絵を、四天王が探し出して来てくれたので、衛も一緒に戻れることになった。
でもここまでは、うさぎも衛も、この世界に「いない」ことになっていた。十番中学の教室にうさぎがいなくても、亜美もなるも平然としていた。ということは、月野家の人々にも、進吾にお姉さんがいたなんて記憶はないはずだ。
そこに強引に、二人の存在をねじ込むのだから、こりゃ力業で、かなり大幅な世界の書き換えが行われたはずである。つまり、Final Actラストシーン直前の段階で、世界はもう一度「やっぱりうさぎ(と衛)が初めから存在した世界」として再リセットされたのだと思う。プリンセス・ムーンの暴走で星が破滅する一瞬だけを「無かったこと」にして、その前後はふつうに時間が流れていたものとして、世界は再構築された。そこへ四人は、再びうさぎを迎え入れたのだ。そういうふうにして『Special Act』冒頭の「あの戦いから4年」という時制に続くのである。


うひゃあ、これだけ書いているうちに7時である。『Special Act』というよりFinal Actレビューになってしまったが仕方がない。だから前世の話をしたくなかったんだよ。