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【第115回】沢井美優生誕20周年記念『素浪人 月影兵庫』第2話レビュー


10月23日が過ぎてしまいました。とっくに。明日はもう、小松さんのカレンダーの発売イベントである。来週は北川さんがメイドコスプレをするというので、ネット界は騒然としている。あれは私も心底おどろいたけどさ。
そんな中、沢井さんが記念すべき20歳のお誕生日をむかえられ、公式HPもリニューアルされたというのに、私は仕事のペース配分にもブログのペース配分にも失敗し、なんにもお祝いらしい記事が書けなかったですよ。そのせいか当日の夜は、沢井党mixi支部の方々が、HIBIKI-ENで「糸車の唄」を合唱している夢をみた。本人の夢ならまだしも、沢井党のみなさんですよ(実話)。私の深層心理はどうなっているのか。
そういうわけで今回は、いまさら何をというタイミングで『素浪人 月影兵庫』第2話のレビューをやってみる。これも、もう大家さんがやっちゃってるんだけど、何しろ沢井さんに関しては素材がない。
『拝み屋横丁顛末記』第4話は観ていない。そもそもこのドラマ、名古屋(メ〜テレ)で放送されたのだろうか?ビデオ『ほんとうにあった怖い話  第六夜 たたり』の第3話「落としもの」は、呪いの古時計を拾ったせいで、深夜に布団の中で金縛りになってしまう沢井さんの、苦悶にあえぐ表情が実にエッチだ。私のような下世話な人がこれをレビューすると、うっかり「まるでロストヴァージン」なんて不適切なことを書いてしまって、沢井党に二度と顔向けできない(書いてるじゃん)。

 

 

かといって、まさかヘルシア緑茶のCMのレビューをやるわけにもいかないしさ。
そういや原史奈さんがソフトバンクのホワイト家族の新しいCMに出ていた。上戸彩のお兄さんのガイジンさんの恋人、というか「ただ友」だ。結婚されても相変わらずお美しいので、北大路欣也の声でしゃべる犬のお父さんもデレデレで、樋口可南子のお母さんに怒られていた。いいなあCMか。メジャーな仕事を誰かくれないか。北川さん、忙しくて引き受けられない仕事があったら、友達のよしみで紹介してください。
だんだん卑屈になってきたので、本題に入る。

1. このサブタイトルは変だ



松方弘樹主演の『素浪人 月影兵庫』は、今年、2007年の7月7日から9月11日まで全8回、毎週火曜日午後7時にテレビ朝日系で放送された。そしてこの作品をもって、テレビ朝日が1959年以来、半世紀近くのあいだ続けていた連続時代劇の枠は終了した。火曜時代劇最後の作品、しかも1960年代後半に同局で放送されていた人気ドラマのリメイク、しかも主演は旧作の主演、近衛十四郎の息子の松方弘樹、しかも松方としては、1988年から1998年まで同局で放送された『遠山の金さん』『金さんVS.女ねずみ』以来、ほぼ10年ぶりの時代劇出演と、時代劇ファンには、何かと気になる作品だったと思う。
その第2話に沢井さんが出ている。放送日は7月14日。エピソード・タイトルは「姫は家出娘だった!! 鈴の音色と親子の絆」。変なタイトルだね。今回の話は、松方弘樹が旅の途中で家出娘の沢井美優と出会い、後半になって、彼女が実はお姫様だったことを知る、という展開だ。だったらサブタイトルは「家出娘は姫だった」でなければおかしいのではないか。でもまあいいか、そんな細かいこと。
オープニング。箱根山中で道中ひとやすみといった風情の月影兵庫(松方弘樹)。ロケ地は、時代劇ではイヤというほどおなじみの、京都は保津峡の落下岩、清滝川と保津川の合流点から眺めた遠景だ。

初夏の日差しをのんびり浴びて、心地よさげな月影兵庫、いつものんびり一人旅、なんてわけにゃいかないようで。どうやら、騒動の方からやって参ります。

ナレーションが、味があるなあと思ったら、旧作で「焼津の半次」を演じた品川隆二さんの語りだという。
焼津の半次は渡世人で、ひょんなことから素浪人月影兵庫と知り合い、相棒として旅を続けて、兵庫の人助けに付き合う。1960年代後半に放送されたオリジナル版テレビシリーズは、この二人の掛け合い漫才のような弥次喜多道中ぶりが人気を集めて、視聴率は常に20%以上をキープ、最高時には35%を超えるヒット作となった。でもそれは南條範夫の原作にはない設定だ。というか原作には、そもそも焼津の半次というキャラクターが出てこないし、兵庫は気ままなぶらり旅をしているわけでもない。お姫様の誘拐事件を追うとか、殺人事件の調査とか、話ごとにそれなりの目的をもって行動している。
それで旧シリーズは、第1シーズン(1965年10月〜1966年4月:全26話)と、好評で制作された続編(1967年1月〜1968年12月:全104話)の後、『素浪人 月影兵庫』から、タイトルを『素浪人 花山大吉』へと変えることになった(1969年1月〜1970年12月:全104話)。原作者やファンのクレームによるものなのか、制作サイドの自主的な判断なのかは知らないが、主人公の名前ぐらいしか原作との共通点がなくなってしまったので、思い切って「月影兵庫」の名前も返上したのである。どういう風にしたかというと、『素浪人 月影兵庫』の最終回で、旗本の父親が亡くなって、兵庫は家を継ぐために、半次を残して江戸に帰ってしまう。そして続く『花山大吉』の初回では、一人になって旅を続ける半次の前に「月影兵庫にそっくり」の素浪人、花山大吉が登場する。そっくりも何も、同じ近衛十四郎が演じているわけだが、二人はまたコンビを組んで、前作と同じように旅を続けるのである。昔のテレビはすごい荒技をやっていたんですね。
今回の松方弘樹版は、南條範夫の時代小説『月影兵庫』シリーズの新たな映像化というよりも、テレビドラマ『素浪人 月影兵庫』のリメイクであり、だから焼津の半次も登場する。そして旧作で焼津の半次を演じた品川隆二さんは、ナレーションだけでなく、第1回では、兵庫が入った飲み屋の客としてゲスト出演もして、オールド・ファンへのサービスに努めている「俺もねェ、若けぇ頃には旦那のように諸国を旅してまわったもんだよ、連れの旦那と一緒にね。あの旦那、今頃どこでどうしているのかねぇ。会いてぇなぁ…。あっ、旦那…似てるよ、あの旦那に。そっくりだ」。

2. 沢井美優「Vシネ影の帝王」に立ち向かう


オープニングに戻る。兵庫がのんびり景色を眺めているところへ、崖を登ってやってくるのが半次。兵庫が「なぜわしの後をつける」と言えば、半次が「なにおう、何でおれ様が、お前の後をつけなきゃいけねえんだ」と返す。二人はまだ旅の道連れという関係になりきっていない。だもんだから、どっちが先で、どっちが後をつけているんだ、ということになり、意地を張り合って、先を急いで競争するかのように山道を歩きだす。そこへお奈津(沢井美優)の登場だ。ちりちりと鈴の音をさせ、けもの道からいきなり飛び出して、危うく二人にぶつかりそうになる。「気をつけろこの野郎!」と怒鳴りつける半次だが、お奈津は臆するところもない「そっちこそ、どこに目をつけてやがんだよ!」

兵庫「この娘、少し妙だぞ」
半次「少しどころじゃねえ、まるごと妙だ」
奈津「ふん」
兵庫「娘さん、どこから来たね」
奈津「江戸だよ」
半次「おい小娘、うそぬかすなよ。いいか、ここはなぁお前、お江戸から二十四里も離れた箱根の山ん中だぞ。こんな町人が湯にでも行くような格好で、旅なんかできるか、ばかたれが」
奈津「あははっ」
半次「何がおかしいんだよ」
奈津「だってそのとおりなの。あたい湯に行くって家を出て、そのまま来ちゃったんだ」
兵庫「つまり、家出か」
奈津「そういうこと。変な爺さんがしつこいんで、先行くよ」

半次を演じているのは小沢仁志である。このキャスティングは松方弘樹の強い意向で決まったらしい。松方弘樹さんは最近、俊藤浩滋プロデューサーの衣鉢を継いで任侠映画を守っていきたい、という趣旨の発言もしていたし、実際、劇場作品やVシネで、やくざ映画に力を入れておられた。そういうこともあってか、この『月影兵庫』にも、この小沢仁志や、それに高知東生もレギュラーに入っていて、なんだかVシネ的なテイストをにじませている。
私は小沢仁志が「OZAWA」名義で監督した『殺し屋&嘘つき娘』(1997)『くノ一忍法帖 柳生外伝』(1998)『SCORE2』(1999)という3本の作品を観ている。ということはファンなのかな。しかし、たとえば室賀厚監督がジョン・ウーのアクション演出をまんまパクっても、つい笑って許してしまえるのに、同じことを小沢仁志が監督・主演でやると、ちょっとついていけなくなるのだ。たぶん「オレって格好いい?」という自己陶酔が見えすぎてしまうせいだと思う。だからこの人は、今からでも三枚目役か何かに挑んで、自分を客観的に見つめた方が良い、そうすれば、芝居や演出の幅が広がるのになあ、などとお節介なことを思っていた。そういう意味で、今回の半次役には期待しているのだ。この仕事をきっかけに、映画人・小沢仁志は、もう一段レベルをあげるかも知れない。新作『無許可保育園 歌舞伎町ひよこ組』はどんな出来だったのだろうか。期待しています。
しかしドラマとして見た場合、いくら松方弘樹の要望とはいえ、やはり半次役に小沢仁志というのはミスキャストと言わざるをえない。小沢仁志自身が「今回のオレは松方さんを引き立てる三枚目」とわきまえて芝居をしていることは分かるし、彼なりに新境地を拓いてはいるのだが、何しろデフォルトのイメージが「Vシネの影の帝王」である。どうしても「バカで間抜けでおっちょこちょいだけど根は正義漢の渡り鳥」というより「ドスの効いたやくざ者」に見えてしまうんですね。いや、確かに半次は渡世人の親分さんで、つまりはやくざ者に違いないのだが、しかしこのドラマはそういうリアリティを追求しているわけではない。
でもそんな小沢仁志のミスマッチのおかげで、おっかない半次にも一歩も退かずにやりとりする沢井美優が、すっごく上手に見えたのはいいことだ。

いやいやいやいや「上手に見えた」なんて失礼だ。別に小沢仁志のサポートがなくても、沢井美優の芝居は上手い。たとえば『バンビーノ』の時なんか、小松彩夏がセリフを言いそうになると、心臓がどきどきして手に汗にぎっていたものだ。現在放送中の『モップガール』視聴中にウソ発見器にかけられたら、特に前半は乱れに乱れたグラフが出ると思う(でも第3話あたりでようやく冷静に観られるようになってきた)。しかしこのドラマの沢井美優については、そういうことも一切なくて、ふつうにドラマを楽しめる。とにかく仕事量と技量が反比例しているというか、元セーラー戦士の現役芸能人の中で、これほど安定した芝居ができるのは、沢井美優しかいない(小池里奈は除く)。
まあこのあたりのことについては、大家さんのレビューに言い尽くされているので、もういいや。いわく「この奈津のキャラ、まるで江戸時代に転生した月野うさぎだ。これは沢井美優も演じやすかったのではないか」「沢井美優の演技はさすがにあぶなけがない。ところどころに、うさぎちゃんが垣間見えるが、それは月野うさぎとお奈津が同じキャラだからだ」。いまは庶民の娘のつもりでいるが実は自分でも知らないプリンセス。スタッフの中に狙った人がいるかと思うくらいセーラームーンだ。

3. 仕事は少なくても絶好調



兵庫と半次をやり過ごして山道を急いでいたお奈津は、不意に現れた雲助たちに囲まれてしまう。「もう逃げられねえぞ」「ほんのねんねと聞いていたが、親方、なかなかのべっぴんですぜ」「へへへへ、連中に届けるまえに、いただくか」いや〜ん。
まあこれは定番のシーンだけど、沢井さんだと、Act.3のプロペラ妖魔のツタにがんじがらめにされて吊される、くらいのところまで行かないと、あんまりいやらしい感じも、危機感もない。というのは、長所というべきか短所というべきか。ともかくここで、やはりお約束どおり「おれに免じて、その娘さん、見逃してくれねえか」と兵庫が登場。ちょっとした立ち回りがあって、あっという間に雲助どもを追っ払う。

兵庫「大丈夫か?怖い目にあったなあ。娘さん、名は?」
奈津「はい、奈津と言います」
兵庫「お奈津っちゃんか、いい名だ」

と、言いかけた兵庫だが、かたわらの木を這っていた蜘蛛を見るなり「く、蜘蛛」と腰を抜かして大げさにおびえる。すると、襲われたショックでさっきまでおとなしかった奈津は「お侍さん、もしかして、蜘蛛、嫌いなの?」といたずらっぽく目を輝かせ「気に入った!あたいを三島まで連れてって。お願い」と勝手に決めつける。
蜘蛛が大嫌いというのは、オリジナル・シリーズ第2シーズンの半次のキャラクターなのだが、今回のリメイク版では兵庫ということになっている。で、二人は峠の茶店で一休み。ロケ地はこれも時代劇では定番の、愛宕山の傍を通る谷山林道の頂上付近です。

兵庫「ところでお奈津っちゃん、家出までして、三島に良い人でもいるのか?」
奈津「あたいを生んだ人がいるらしいよ。あたいは、神田大工町の棟梁の娘で、育ててくれた二親を、実の親だと思いこんでいたんだけどさ、本当は、三つの時にもらわれたんだって。先月死んだお父っつあんが教えてくれたんだ。生みの親の名はお稲。三島宿に、いまも健在だって」
兵庫「そうか、そうかぁ、見かけによらず苦労しているんだなあ」
奈津「……でも、決して会いに行ってはいけないって」
兵庫「どうして?」
奈津「会うと、みんなに災いが起こるんだって」
兵庫「それでも会いたいか?」
奈津「会いたいよ。だって、どんな人から生まれたのか分からないと、宙ぶらりんじゃない。どうして離ればなれになったのかも、知りたいしさ」
兵庫「会ってみたらひどい女で……そんなおっかさんでも、泣かんと、約束するか?」
奈津「する」
兵庫「よし、月影兵庫、三島まで送り届けてやろう」


松方弘樹との二人芝居も、上手だぞ。しかし達者だなあ沢井美優。この茶屋で、兵庫にきつねうどんを振る舞われるのだが、丼を手にもってうどんを食べるというような所作も、ちゃんと時代劇っぽくて、本当に感心する。
そこへ「兵庫どの」と、桔梗が姿を現す。桔梗というのは、兵庫の甥の嫁である。旗本松平家の次男坊なのにふらふらしている兵庫を、江戸に連れ戻そうと追い回している、という設定で、毎回ワンシーンずつ登場しているようだ。演じるのは古手川祐子。これは当然、松方弘樹とダブル主役を張った『遠山の金さんVS.女ねずみ』(1997年:全19話)『金さんVS女ねずみ』(1998年:全22話)を意識してのキャスティングだろう。
奈津は、江戸に戻られては大変と、とっさに兵庫の刀を奪って飛び出す。桔梗を置いてけぼりに、それを追う兵庫。

兵庫「お奈津っちゃん、何の真似だ」
奈津「江戸に戻られたら困るもん。三島まで連れて行ってくれる約束でしょ。兵庫どの」
兵庫「約束は守る。刀、返してくれ」
奈津「やった!」(刀を投げ返す)
兵庫「ふっ、おてんばだなあ」

可愛いですね。

 

4. 恋愛ではないのだが


なんて感じでタラタラやっていると、また3週ぐらいレビューが続いてしまいそうなので、後は端折ります。この後、生みの母親、お稲の居所を捜し当てるまでの、兵庫と奈津の道中がある。そして、そんな二人の後をつけねらう、怪しい人影。このあたりの展開で注目すべきは、親子ほども歳の離れた兵庫と奈津の間に交わされる、恋愛とは呼べないくらいのほのかな情感であろう。
明らかに自分たちを尾行しているとおぼしき侍、実は播州兼光藩藩士、土田主水(演じているのはアナザーアギトの菊池隆則)を逆にとっつかまえて、尋問しようとした兵庫だったが、そこへ仲間の侍たちが駆けつけてくるのを見て、仕方なく土田を放り出して逃げ出す。わずかな遅れで二人を見失った追っ手は、何やら「兼光藩八万石、存亡の危機だ」などとこそこそ言い合っている。事情は分からないが、彼らが追っているのは明らかに奈津だ。その様子を、道ばたに隠れて秘かにうかがう兵庫とお奈津。

  
奈津「ねえ、あの連中、あたいに何の用なんだろう」
兵庫「だから、それをさっきの侍に聞こうと思ったんだが…」
(不安そうに兵庫の肩にすがる奈津)
兵庫「ま、とにかく、三島へ行こう」

この時の、さっきまでのおてんばぶりから一転して、兵庫の背後に隠れてその肩にぎゅっとしがみつく奈津がとても良くて、沢井さんにこんなことされたら、私なんかどうなってしまうか分からない。が、ここは月影兵庫、ぐっと堪えて「ま、とにかく、三島に行こう」。ちょっとドギマギしちゃった感じの松方弘樹の表情が良いです。
続く菩提滝ロケ、また一休みのシーンでも、二人の間のそんな情感は続いている。お奈津が滝壺に素足をつけ、赤い襦袢なんか見せて無邪気にはしゃいでいるかたわらで、兵庫はあえて、そんな胸キュンなお奈津の姿から目をそらすように、ほつれてしまった自分の着物の裾を繕っている。あまり仲良くなってしまっては、遠からず訪れる別れが辛くなるってとこですかね。そんな兵庫の気持ちを知ってか知らずか、お奈津は滝から上がってきて兵庫の隣に腰かける。

奈津「貸しな、してあげる」
兵庫「結構だ」
奈津「こう見えても裁縫は得意なんだ。貸しなって」
兵庫「いかん」
奈津「なんだよ、お礼がしたかっただけなのにさ」(お得意のドナルド・ダックの口)
兵庫「ああ、済まん。わしは針仕事は苦手だ。だがここでお前さんの手を借りれば、次が辛くなる」
奈津「独りで生きるって、淋しいねえ」

どうどうと流れる滝。


 

5. プリンセス再び


この後、二人は三島にいる母親のもとにたどり着く。母のお稲(日下由美)は、三島屋の吉兵衛という男やもめの後妻に入って、家庭と畑仕事を切り盛りしていた。四、五人の子がいるが「子どもたちにも慣れた」というセリフがあるところから、実の子供ではなく、夫の連れ子であるようだ。新しい家庭で幸せにやっているが、でも自分の腹を痛めて産んだ娘のことは忘れるはずもなく、娘に形見分けしたのと同じ鈴を、帯のところにつけている。そこへ、同じ鈴の音をちりちりさせて、お奈津が姿を現わす「おっ母さん……あんた、おっ母さんなんだろ、そうなんだろ」

突然の娘の出現に一瞬、胸を詰まらせるお稲だが、奈津の素性がばれれば、その身に危険が迫る。抱きしめたい気持ちをこらえ、お稲は泣く泣く、しらを切る「娘さん、藪から棒に何を言い出すんですか」
「だって、死んだお父っぁんが言ってたもの。おっ母さんは、おっ母さんは、あたいと同じ、この同じ鈴をつけた女の人だって、ね、そうなんだろ 答えておくれよ」と食い下がる奈津だが、お稲は必死で冷たく突っぱね続け、しまいには「ちがいますったらしつこいね。お武家様、旅の親分さん、亭主が戻ってくる前に、この娘さんをさっさと追っ払ってくださいよ」と、付き添ってやって来た兵庫、そしてその場に居合わせた半次に申し渡す。
兵庫は何やら事情がありそうなことを察し、ひとまず「行こう」と、ショックにうちひしがれた様子のお奈津を促し、引き返す。が、すでに追っ手はそこまで辿り着いていた。そこで半次が機転を効かせ、大声で騒ぎ立て、付近の村人たちの注意を引く。ことを表沙汰にしたくない侍たちは、とりあえず刀を収めてその場を引き上げるが、兵庫は先ほどつかまえ損なった土田主水を再び拉致する。
兵庫と奈津、そして半次は、捕らえた土田に、ことの仔細を尋問する。ここでようやく、事態の全貌が明らかになる。

兵庫「お奈津ちゃんとお稲さん、何で狙ったんだい」
土田「親子だから」
奈津「うそ。おっかさんなんかじゃない。あんな人がおっかさんなもんか。違うよ、違う違う」
土田「同じ鈴を持っているのが、なによりの証です」
半次「だとすると、なんであんな猿芝居をよ」
兵庫「あの連中の気配を感じたのかも知れない。もし娘と認めれば、それこそ災いが起こるんだ」
奈津「でも、あの人はあたいと目も合わせなかったよ。実の親が、おっかさんなら、そんな薄情な真似……」

動揺を隠せない奈津をさえぎり、兵庫は土田に話を促す。うすうす察していたとおり、やはり奈津の本当の素性は、播州兼光藩の藩主、兼光信房公が、腰元のお稲に産ませた娘、奈津姫だった。

兵庫「驚いたなお奈津っちゃん。お姫様だとよ…その姫を、なぜ狙うんだ」
土田「殿は、長患いで寝たきりなのです」

兵庫「跡目、継ぐのは誰だい」
土田「御分家の御当主です」
兵庫「なるほど。ところが現に、こうして奈津姫様がいる。姫と御母堂、お稲の方様は、何で藩を追われたんだ」
土田「お稲の方様は腰元だった。殿に見そめられて奈津姫様を生んだ。だが二年後、御正室様が嫡子を誕生された。お稲の方様は屋敷を追われ、姫とも引き離された」
兵庫「お奈津ちゃん、事情は分かったか」
奈津「どうして、どうして簡単に手放したの?あたいは数えでまだ三つだったんだ。どうして手放したんだよ」
土田「母と共に暮らせば、お家騒動の火種になるからと」
兵庫「もっと詳しく言うと」
土田「背けば、母子ともお命はなかった。姫のお命をお守りするためです。お稲の方様は、姫をお救いしたい一心で泣く泣く…。我らが姫を抱いて引き離したとき、お稲の方様は裸足で後を追われ、形見の鈴をお渡しに…」
兵庫「すると、姫を殺したいのは分家だな」
土田「そうです。御分家が殿に毒を盛り、お世継ぎ様を殺した張本人」
半次「分かってんだったら何で家来つづけてんだおめえは!」
土田「い、いや、拙者ひとりの力では…。拙者には妻子もあれば、老いた両親もおるのです」
半次「ああもう、こうなったら奈津姫様の出番だぜ」
奈津「あたいが…」
半次「しょうがねえだろお前、なんたってお前、お姫様だ」
奈津「そりゃ、そうみたいだけどさ、いま聞いたばかりだよ、あたいに何ができるのさ」

分かれば実に簡単な話だ。というか時代劇としてはありきたりで、タイトルだけでだいたいの視聴者は分かっていたはずだ。でも私はバカなので、この会話でも、もうひとつ細かいところがどうなっているのか呑み込めなかった。なので、ここで自分自身のために整理しておきたい。
播州兼光藩のお殿様、兼光信房が重い病に伏せっている。弟で分家の兼光頼近(浅見小四郎)が毒を盛ったせいだ。分家はお家乗っ取りを企み、すでに正統の世継ぎを暗殺している。残るはもう一人、かつて信房が腰元のお稲に産ませた奈津姫だ。これを亡き者にすれば、分家は晴れて兼光藩八万石を我がものにできる。
ところがこういう事態を予測していた一部の家臣たちは、奈津姫をいざというときのバックアップとしてかくまっていた。正室に子供が生まれた時点で、騒動が起こるからとお稲を城から去らせ、さらに、娘の身の安全のためと説得して、お奈津を神田の大工の棟梁夫妻に預けさせたのである。
お奈津を見つけ出して亡き者にしない限り、いつ本家側が、奈津姫をミコシにかついで巻き返しを計るか分からない。だから分家の頼近は臣下を使ってお奈津を捜させていた。そして、お奈津が神田の大工の娘として育ったことまでは把握したようである。ひょっとすると、お奈津の育ての父親の死というのはこれと関係あるのかも知れない。そう考えれば「死んだお父っぁん」が、奈津に本当の母親のことを告げて、母親探しに出かけるよう、暗にし向けた理由も説明がつく。すでに分家の手が江戸まで及んでいるので、とにかく逃したかった、ということなのだろう。まあそんなところで納得しておくかね。
というわけで、お奈津は突然、このまま庶民の娘として、頼近の手が及ばない遠国まで逃げてひっそりと暮らすか、それとも本家信房の正統な血を継ぐ奈津姫として名乗りをあげ、悪政に苦しむ兼光藩の臣下や民衆を救うために立ち上がるか、という、とんでもない二者選択を強いられてしまったわけだ。
そんなこと急に言われたって困るよね。だからお奈津は「いま聞いたばかりだよ、あたいに何ができるのさ」そう言って飛び出していく。半次は「おいっ!」と呼び戻そうとするが、兵庫はそれを止める「ひとりにしてやれよ」。
ここまでの一連の流れは、時折バストショット程度のアップを挟みながら、引き気味の画面を基本に構成されており、クローズ・アップのショットは非常に少ない。

一般的に、クローズ・アップというのは、わりとはっきりした喜怒哀楽の表情を伝え、物語の展開に感情的なアクセントをつけるために用いられ、ロング・ショットというのは、全身を遠景に捉えることによって、そんな風にすぱっと割り切れない、様々な想いが絡み合った、その人の人生とか運命とか、存在そのものから滲みでる感情の総体を表現するための技法だ。ここでお奈津は、ただの庶民の娘だったつもりが、実はプリンセスだったという、これまでの人生を根本からひっくり返されるような真相を告げられているのだから、驚きの表情をアップで画面いっぱいに写しだすだけでは少々安直だ。そういう意味で、ここから先の一連のシークエンスを、引き気味の画面で構成しているのは正しいと思う。
あてどなく走りながら「あたいが、大名の子、お姫様…」とつぶやくお奈津。手持ちカメラはそんな彼女の後を追って前に回り込み、その混乱した表情を捉える。そして、とある池の畔に出てからは、また引き気味の画面になり、お奈津は、小さなお地蔵さんのかたわらにしゃがみ込む。ロケ地は、先ほど足を浸してはしゃいでいた菩提滝の上流のため池、沢ノ池だ。
そこへ兵庫が現れると「あたい、あたい、どうすればいいの」と、思わず兵庫の胸にすがって泣きじゃくる。この時のロングショットもいいですね。こんなふうに沢井さんに「どうすればいいの」なんて泣かれたら、おじさんどうしちゃおうかなあ。という話ではなくて、こういう引き気味の画面でぽつんと佇む姿が、深い哀しみをくっきりと伝える画になっているのだ。これは、ちょっと今の北川さんや小松さんには真似できないと思う。時代や舞台が変わっても、プリンセスの哀しみは繰り返し沢井美優を苦しめるのである。

6. 大団円


迷いながら兵庫と戻ったお奈津を出迎えたのは、すでに心を入れ替えたアナザーアギトの土田。まだ後ろ手に縛り上げられながらも、お奈津あらため奈津姫の前にかしずく。「拙者もずいぶん迷いましたが、姫さえ立ち上がって下さるのなら、及ばずながら、この土田主水もご一緒に」兵庫や半次に告白しているうちに、もう一度、本家の再興のために力を尽くす決意を固めたのである。ますます悩む奈津に、兵庫が優しく語りかける。


兵庫「なあお奈津ちゃん、殿様が愚かだから、あんたのおっ母さんも不幸になったんだ」
奈津「うん」
兵庫「今度のは、もっと愚か、いや、悪党だ、許せるか?こんな人の良い家来を悪の道に引きずり込む。この男の女房、子供、年老いた両親を見捨てるか。何千何百という領民を、路頭に迷わせていいのか」
奈津「知らないよ、そんなこと」
兵庫「うん、俺も迷いながら確かめてるんだ。どうかね」
奈津「だって、あたいはお姫様として育てられたわけじゃないもん。知ってるだろ、神田の大工の娘だもん」
兵庫「姫でも、大工の娘でも同じだ。(胸を指して)あんたの、ここに聞いてる。どうだ、許せるか?」
奈津「許せないよ、そんなこと、許せるもんか」
兵庫「よく言った(刀を一閃、まだ縛られていた土田を自由にしてやり)悪党の所に連れて行け」

やはりプリンセス・セレニティである。大家さんも書いているが、お姫様になってめでたしめでたし、ではなくて、むしろ背負う重荷の方が大きいのだ。このあたり、現代的なねじれがあるね。封建的な圧政で苦しめられる人々を解放したいのだが、そのためには、自分が封建的な権力体制の頂点に立って、姫という不自由な身を甘んじなければならない。そのあたりの問題を、「許せるか?」「許せないよ」であっさりと逃げるかわりに、少し深く追求してみたら、話ももっと面白くなり、1話では収まらなくなり、うまくいけば沢井美優もレギュラーになれただろうに、残念ながら脚本はウェルメイドな娯楽時代劇の枠組みを出ない。
で、クライマックスは兼光頼近の本陣に乗り込んでの大立ち回り。母親のお稲が囚われの身になっていて、あわや頼近の慰みものになろうとするところへ、月影兵庫登場。近衛十四郎と較べてどうかと問われると分からないが、やはり松方弘樹の殺陣は良いです。

最近の時代劇映画なんかだと、若い俳優さんは、斬って払ってかわして斬って、というような三手以上のチャンバラが出来なかったりするもんだから、二手ぐらいごとにカットを割って、編集で見せる感じになってしまう。そうなると、いくらCGやワイヤーワークで装飾しても、基本的につまんないですよね。しかしこの月影兵庫のクライマックスは、ワンカットのロングショットの中で、ちゃんと松方弘樹がばったばったとザコを斬り倒すから気持ちが良い。もちろん「斬られ役」として有名で、最近では『ゲキレンジャー』第33話にも出られた、あの福本清三さんもしっかり出ていらっしゃいます。そして最後は、黒澤映画で言えば仲代達矢風のクールな悪役、兼光藩士、鉾田源之助(清水紘治)と一騎打ち。兵庫は一閃で相手を仕留めて、去っていきます。パチパチパチ。
ラスト、こうして分家一味は滅ぼされ、兼光藩は、奈津姫のもとで新たな出発をすることとなった。新しいお姫様は、きっと家来や民衆から慕われることだろう。でも彼女は、ようやく巡り会えた実の母親とは別れなければならない。お稲は三島屋の吉兵衛という夫と、自分のことを「おっ母さん」と慕ってくれる夫の連れ子たちという、新しい家族がいるのだ。いまさらお奈津と二人きりでやり直すことはできない。というわけで涙の別れだ。
ここはねえ。ご覧になった方には言うまでもないが、出発の籠から姿を現し、遠く見守る母親に鈴を振ってみせるお姫様の沢井さんはとびきり可愛いし、別離の哀しみに満ちた表情は、まったくうさぎちゃんの時代劇バージョンで、思わずもらい泣きしてしまいますよ。セリフもないし、こっちも黙って鑑賞しましょうね。

テレビ朝日最後の時代劇なので、本当はもっと、最後らしい派手なケレンがあった方が良かったとは思う。ただその一方で、最後だからこそ、奇をてらうよりも、きちんとした作品を残すことを心がけよう、というスタッフの気持ちが伝わるような丁寧な作風には好感を感じた。演出も撮影も端正なベテランの業で良いですね。難を言えば脚本だな。これがもっと面白ければ、もう少し視聴率を取れたのではないだろうか。フォークロア調の音楽は、とても良かった。
そして沢井美優について言えば、たしかにうさぎちゃんと似ている役というアドバンテージはあったものの、それでもその女優としての力量が並々ならぬものであることが改めて分かって、とても嬉しかった。まあいろいろと事情もあるだろうが、これだけの才能と魅力をそなえていれば、なんとかなるだろうというのは、楽観的すぎるかな。というわけで、ほんとうに遅くなって、しかもこんなに長くなってごめんなさい。沢井美優さん、20歳のお誕生日、おめでとうございます。


【作品データ】『素浪人 月影兵庫』第2話「姫は家出娘だった!!鈴の音色と親子の絆 」制作:テレビ朝日・東映/2007年7月24日放映
<スタッフ>チーフプロデューサー:田中芳之/プロデューサー:田中芳之(テレビ朝日)、小嶋雄嗣・矢後義和(東映)/脚本:渡辺善則/監督:猪崎宣昭/撮影:加藤雄大/音楽:栗山和樹
<キャスト>月影兵庫:松方弘樹/焼津の半次:小沢仁志/桔梗:古手川祐子/お涼:賀来千香子/榊原東馬:高知東生/ 彦次郎:小林滋央/ナレーション:品川隆二/お奈津:沢井美優/お稲:日下由美/鉾田源之助:清水紘治/土田主水:菊池隆則/嘉納康馬:木下ほうか/兼光頼近:浅見小四郎/細野甚左:三谷昇/波多野博/入江毅/浜田隆広/杉山幸晴/伊庭剛/稲垣陽子/藤川博歌/松木杢樹/小林美穂