実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第113回】DVD第1巻:Act.4の巻(その5)


昨日か一昨日の新聞に「まことちゃんハウス」に対する住民要求が却下された、という話が出ていた。「まことちゃんハウス」というのは、漫画家の楳図かずお先生が吉祥寺に新築した家なのだが、外装を紅白のストライプに塗装する(楳図先生がいつも着ているシャツと同じ模様)とか、屋根にまことちゃんを連想させるヘンテコなオブジェをトッピングするとか、とにかく楳図先生らしいド派手なヴィジュアルになる予定が明らかになった。それで一部の周辺住民は困惑し「景観利益を損ねる」「生活環境の破壊」という理由から、当局に建築差し止めの仮処分を申請した。裁判所は双方に、話し合いによる和解を促したが、楳図先生は「表現の自由」をタテに話し合いに応じない。結局、正式に裁判沙汰となり、今回東京地裁が、住民の訴えを斥けた、という、だいたいそういう流れのようだ。
まあ私なんか、テレビの報道で完成予想図を見て「ヘンなもん建てるなあ、さすが楳図先生。インパクト重視の名古屋だったら、かえって周囲から歓迎されるかもしれないのに」と思うくらいで、正直コメントのしようがない。代わりにぜんぜん別のことを思い出してしまった。
アニメ版セーラームーンが好評を博していたころ「木野まことが<まこちゃん>と呼ばれるのは、アニメスタッフが楳図かずおの<まことちゃん>をリスペクトして、同じ呼び方を避けたのだ」という説がまことしやかに流れたのをご記憶の方はいらっしゃるだろうか。「それが証拠に、アニメのジュピターがシュープリームサンダーを出すときの指の形、あれは<グワシ>だ」って、何がどう証拠なんだかよく分からない話もあった。
ていうか、私はこれ、誰かがシュープリームサンダーのときの手の形と「グワシ」が似ていることに気づいて、そこから生まれた都市伝説のような話ではないかと考えたんですけどね。久しぶりに思い出したなあ。どなたかこの件について詳しい話をご存じでしたら、ぜひご一報ください。というわけでDVDレビューAct.4の続きです。

1. リボンの騎士みたい


原作漫画『美少女戦士セーラームーン』のセーラームーンは、初めのころセーラーVやタキシード仮面と同じようなマスク(ゴーグル)をつけていた。つまり『Act ZERO』のセーラーラビットみたいな感じ。たぶん先行作品であるセーラーVのコスチュームとの整合性を考慮して、そういうデザインになったのだと思う。
原作によると、このマスクには、妖魔の存在を感知し、その場所を伝えるカーナビみたいな機能がそなわっている。たとえば第1話で、大阪なるがママ(妖魔)に襲われると、マスクの目の部分にその映像が映る。初めて変身したセーラームーンは、それを見て、親友の危機を救いに駆けつけるのである。
でも主人公の格好がアニメと違っていては、小さいお友達が混乱する。だから戦いの場に駆けつけたときにはもう外しまっていたり、あるいは「おしおきよ!」と言いながらマスクを投げ捨てたりして、最後までマスクをつけたまま戦うということはなかった。結局、連載第6回目を最後に、原作の方もアニメと同様、変身した時からマスクなしのスタイルになる。
連載前に武内直子が準備していたデザイン画では、セーラームーンだけではなく他の戦士たちも、みんなマスクをつけていた。でももちろん、原作でもアニメでも、ヴィーナス以外の戦士は、みんな初登場のときからマスクなんかつけていない。わずかに亜美のマーキュリーゴーグルに、そのなごりが感じられる程度だ。たぶん原作者はマスク案にけっこう愛着をもっていたが、東映側の意見でそれがボツになった。そこで武内先生は、最初の数話のセーラームーンだけにマスクをつけさせて、ちょっと原作者としての自己主張をしてみた。だいたいそんなところではないかと思う。
その準備段階の初期デザインで、マスク姿がインパクトを与えるのはやっぱりマーズだ。赤いハイヒールに赤いマスクという、何というか、つまり女王様である。
実写版のAct.4では、仮装パーティーに潜入した火野レイが、巫女の姿でマスクをつけている。それを見ていると、私なんかどうしても、この幻の初期コスチュームを連想してしまう。Act.4のパーティー場面で、ネコ耳メイド服メガネという完全装備の浜千咲に萌えるか、女王様マスクの北川景子に萌えるかで、世の男性は二種類に分かれるのではないか。私は迷ったあげく後者かな。
が、その仮装パーティーの場面に行く前に、もう少し、池袋西口公園の話です。

2. 運命はすでに動き始めている


桜木財閥のお嬢様の誕生パーティーの席上で「幻の青い水晶」なる秘宝が公開されるというニュースが、ビルの壁の大型ビジョンに流れている。それを見るうさぎと亜美とルナ。

うさぎ「ルナ、青い水晶だって。銀水晶じゃないじゃん」
ル ナ「<幻の銀水晶>は、私たちがそう呼んでいるだけだから。令嬢と宝石の組み合わせ、気になるわ」
うさぎ「そっか。じゃあパーティーに潜入捜査だね」
亜 美「でも、招待状がいると思う。ママに頼んで…」
うさぎ「なに言ってんの、そういうときのための、これでしょ!」(とテレティアを出す)

この場面では、「潜入捜査」のためにどんな姿に変身しようか、とか、すぐに考えがそういう方向へ進む脳天気なうさぎと、思慮深く慎重な亜美という性格の違いがコミカルに対比されている。でもひょっとすると脚本家の意図としては、どんどん新しい興味に向かって突っ走って行くうさぎと、それについていけない亜美というコントラストを描くことで、次回Act.5の「このまま月野さんについていけないと、そのうち嫌われちゃうかもしれない」という亜美の不安感への伏線を張っているのかも知れない。ということは前々回の日記に書いた。
まあともかく「そういうときのための、これでしょ!」と言って、変身携帯テレティアSを取り出したうさぎは、その拍子に、たまたますれ違った地場衛にぶつかってしまう「またお前か。なんで俺のまわりをうろうろするんだ」「それはそっちでしょ」「とにかく、人混みでバカみたいにはしゃぐなよな」「バカみたいって何よ!」。記念すべきうさぎの初「バカって何よ」である。
ここでカメラはうさぎたちから衛に移り、「幻の青い水晶……もしかして、幻の銀水晶」とつぶやきながら歩く衛を追う。するとその背景に、同じように「幻の青い水晶」のニュースに見入るネフライトがいる。さらに、ネフライトが「可能性ありだな」と歩き出すと、火野レイと交錯し、レイは「今の気配」とネフライトを振り向く。そこへ「レイちゃーん、こんなところで会えるなんてすっごい偶然」とうさぎと亜美がやって来る、というわけで、カメラは今回の主要メンバーを一巡してうさぎと亜美のところへ戻る。うさぎはレイと偶然出会えたことだけを無邪気に喜んでいるが、そのセリフは図らずも、地場衛やネフライトもこの場に居合わせ、同じ「幻の青い水晶」のニュースを見て行動を起こそうとしている、という「偶然」をも言い当てているわけだ。運命の糸は、すでに確実に人々を結びつけ、前世の悲劇に向かってたぐり寄せている。
前回述べたように、ドラマのキャラクターとして見た場合、亜美のファッションは可愛すぎるし、レイのファッションはカッコ良すぎる、という問題があるが、それを別にすれば、このあたりはなかなかテンポの良い演出ですね。ただネフライトの衣裳と髪型は少々気になります。一応、人間の姿に扮しているのだが、真っ赤な髪と真っ赤なジャンパーというド派手な格好は、Act.1でジュエリーショーのスタッフジャンパーを着てパシリをやっていたジェダイトや、Act.13で、古い洋館に住む記憶喪失の青年シンとして登場したクンツァイトと較べて「普通の人のフリ」度が足りないように思うのだ。

3. 赫い髪の男


初めに述べたように、最も初期の案では、 セーラー戦士は変身すると全員、セーラーVのように仮面で顔を隠すことになっていた。でもそれがマスクなしで戦うかたちに変更され、ヴィーナスもマスクを取った。この変更はセーラームーン世界に微妙な問題を残す結果となった、と私は思うのだが、ちょっとこれ、まだ頭の中で整理がついていないので考察は後回しにしたい。
ひとまず実写版だけに話を絞ると、実写版のセーラー戦士は、原則としてあまり人目に触れるところでは妖魔と戦わないようにしている。でもたとえ身近な人の前で戦わざるを得ない状況になっても、簡単に正体はバレないはずだ。だって地場衛は、Act.7でうさぎがセーラームーンに変身する現場を目撃して、ようやく「あいつが、セーラームーン」と気づいている。Act.3の亜美やAct.6のまことも、セーラームーンを初めて見たときは誰だか分からず「亜美ちゃん」「まこちゃん」と呼びかけられて、そういうふうに自分のことを呼ぶのはうさぎしかいない、と初めてさとるのだ。
このあたりのことは、Act.41再放送レビューの、「3. ネフライト、戦士と出会う」と「5. ネフライトは知っていた?(仮説1)」であれこれ考えてみた。結論としては、あの色とりどりのカツラと髪型になれば、それは「変身」であって、知人たちですら、それがうさぎであるとか亜美であるとか気づかなくなる。実写版にはそういうお約束があるようだ。そしてこの法則はセーラー戦士だけではなく、四天王にも当てはまる。たぶん。
Act.13で、古びた洋館に住む記憶喪失の青年シンと出会ったうさぎは、シンのために色々してあげるが、最後に登場したクンツァイトを見て、シンだと気づいているようには見えない。また、Act.41のうさぎや亜美は、クラウンの掃除をしているバイト君のネフリン(ネフ吉)を見ても、それが四天王のネフライトと同一人物であるとは、気づいていないように見える。それから、Act.7の遊園地でジェダイトと対面したセーラームーンは、それが Act.1の、なるママのジュエリーショーのスタッフをやっていたパシリ少年であるとは、たぶん気づいていない。いや最後のは、気づかない方が自然だが。ともかく、セーラー戦士と同様、四天王も、あのカツラを変えることで、正体が分からなくなる、と思うのだ。
だとすれば、セーラー戦士が平常は金髪や青い髪のカツラをしていないように、四天王も普通の人間のフリをする場合には、まずあのカツラを普通の黒髪に変えなきゃいかんはずだ。が、このAct.4冒頭で池袋西口公園に姿を見せるネフライトは「私は四天王のネフライトですよ」と言わんばかりの、燃えるように赤い髪を逆立てて、平然と腕組みしているのだ。
本当は、ずっと後の第4クールに登場するネフリン(ネフ吉)を予想して、それと同じ格好で出て来ていればベストなのだが、さすがにそこまで求めようとは思わない。メイクや衣裳が、初登場となるネフライトをイメージカラーの燃え立つような赤でコーディネイトするのも当然だ。でもそこのところで監督には「四天王が人間世界に潜伏する」という意味を考えて、派手すぎる衣裳にダメ出しをして欲しかったと思う。だってあれじゃ目立ちすぎて、レイが霊感を働かせるまでもなく怪しいじゃないですか。

4. 変身と変装


ちょっとここでAct.4を離れて、さっき書いた「変身」ということについて、未整理ではあるが考えてみたい。
原作者がセーラーVや、あるいは初期デザインのセーラー戦士たちになぜマスクをつけさせたかというと、たぶん『リボンの騎士』とか『ラ・セーヌの星』とか、ああいう素顔を隠して戦うヒーロー(ヒロイン)もののイメージだったんだろう。特に原作およびアニメが始まる2年前、1990年にテレビで放送されていた特撮番組『美少女仮面ポワトリン』からは、タイトルひとつとっても、強い影響を受けていたと思われる。チマタで噂された実写版セーラームーン誕生秘話のひとつに「東映側は当初、アニメによるリメイクを考えていたが、原作者の強い意向で実写版になった」というのがあるが、そういう実写ドラマ化へのこだわりを考えると、やはりポワトリンの存在は大きかったのかも知れない。
ポワトリンこと村上ユウコにはタクトという弟がいる。タクトは「ポワトリンクラブ」という親衛隊を作ってそのリーダーになったりしているが、もちろんポワトリンが自分の姉だとは気づいていない。あの仮面のせいで、肉親でもなかなか正体を見抜けないのである。かたやアニメ版の進吾も、親衛隊こそ作らないがセーラームーンのファンだ。でも、アニメのうさぎは、もともと黄色い髪をしているし、ポワトリンと違って、セーラームーンに変身しても仮面もつけてない。なのに進吾はどうして正体に気づかないのか。
進吾がセーラームーンのファンになる、アニメ無印第5話『妖魔の香り!シャネーラは愛を盗む』を見てみよう。このエピソードで進吾は、セーラームーンが妖魔をやっつけるのを見て、ノートとペンを持って駆け寄ってくる「セーラーV、サインしてください、ぼく大ファンなんです」「あたしはセーラームーンよ!」「え?まあ可愛いからどっちでもいいや、とにかくサインお願いします」
ファンになるったって、このように実にいい加減なものなのだが、目下の問題は、この時のセーラームーンの行動だ。進吾が駆け寄ってくると、あわてて逃げだし、その辺に停めてあった乗用車の向こう側に身を隠して、直接、姿を見られない位置を確保してから会話している。つまり身内にマジマジと見られて正体がばれることを危惧しているのである。こういう彼女の振る舞いは、いわば「仮面をつけていない美少女仮面」のものであって、「変身」ヒロインとしての態度ではない。
しかし一方、タキシード仮面との関係においては、彼女は立派な変身ヒロインだ。タキシード仮面と話している時も、別に顔を隠すような素振りは一切みせない。それでもタキシード仮面はセーラームーンの正体を見抜けない。ロイス・レーンがスーパーマンの正体を見破れないように。
同じ状況は、アニメ版のなるちゃんにも当てはまると思う。なるちゃんも、セーラームーンに助けられる機会が少なくないが、うさぎの親友のくせに、その正体が分からない。が、そっちまで考えるとややこしいので、今回は省略させていただきます(いい加減)。ともかく「地場衛にはセーラームーンの正体が分からない」というお約束をもう一歩踏み込んで、その理由を考えると、いわゆる「遠山の金さん効果」ということが考えられる。いや「いわゆる」って、いま私が考えた言葉なんだが、つまり「まさかあの遊び人の金さんが、お奉行様のはずがない」という思いこみのせいで、正体を見過ごす、ということだ。
ロイス・レーンはなぜスーパーマンの正体を見破れないのか。想定外だからだ。身体つきは立派だが気が弱い同僚と、空飛ぶ無敵のヒーローが同一人物であるなんて、ハナから考えていないのである。だいたい、ロイスはいつもバタバタ忙しく動き回っていて、クラークの顔なんかよく見ちゃいない。というのは、クリストファー・リーブ主演の映画版第1作目の話ですが。
地場衛も同じだと思う。いつも偶然出会ってはケンカばかりしているあのおかしな娘が、さっそうと妖魔を倒す美少女戦士と同一人物であろうなどとは、想像もしていなかったのだ。そもそも、うさぎと衛が会えばたちまちケンカになる、という設定そのものにそういう狙いがあったのだと思う。これが、お互いにじっくり見つめ合ったりするような関係だと、やはり衛がセーラームーンの正体に気づかないことが、どうしても不自然に見えてしまう。変身前は、ちらっと会って、ケンカして、分かれるだけの間だから、まあ気づかなくてもしょうがないか、と我々も納得するのだ。


ごめんなさい。ちょっとここで行き詰まってきた。続いてハロウィンの仮装パーティーのシーンに進むにあたって、変装と変身と、そして実写版の二人の関係の特殊性について、整理してみたいと思っていたのだ。
恋愛物語の典型的なプロットとして、初めは反撥しあっていた二人が、お互いの表向きの顔の下にある「本当の顔」を知って、互いに惹かれるようになる、というパターンがある。セーラームーンもそういう展開を踏む。原作やアニメの場合、そのきっかけは、互いの正体が明らかになった瞬間に訪れる。うさぎは、いままでいやな奴だとばかり思っていた衛が、ずっと自分を助けてくれていたタキシード仮面だと知って恋に落ち、衛は、うさぎがあの勇敢に妖魔に立ち向かうセーラームーンだと知ってうさぎへの想いを深めるのだ。ところが実写版の二人は、ご存じのように、タキシード仮面とセーラームーンとしてではなく、あくまでも月野うさぎと地場衛として恋に落ちる。ここに実写版の最大の特色がある。
うさぎの場合、その描き方はものすごくはっきりしている。彼女は衛がタキシード仮面とは気づかないまま、衛に恋をして、もうどうしようもなく抑えられなくなってから、タキシード仮面のマスクの下の素顔を知る。しかし衛の場合は、まずAct.7でセーラームーンの正体を知ってから、うさぎへの気持ちに変化がやってくる。なぜか。それはセーラームーンがマスクをしない戦士だからだと思う。
地場衛が先にうさぎに恋をしたら、そして恋する相手を見つめる目でうさぎを仔細に観察するようになったら、たぶん彼は容易にセーラームーンの正体を見破ってしまうだろう。セーラームーンにはそういう視線を遮るマスクがない。だから脚本家は、衛にはあらかじめセーラームーンの正体を明かした。けれどもそうすると、うさぎと違って衛の恋は、原作やアニメと変わらなくなってしまう。つまり衛がうさぎを好きになったのは、彼女がセーラームーンだったから、ということになってしまう。それは実写版の狙いではない。
そのために描かれたのが、このAct.4のラストなのだと思う。ここでタキシード仮面が心惹かれるセーラームーンは、彼のピンチを助けてくれたセーラームーンではなくて、年頃の女の子らしく「C'est la vie 〜私の中の恋する部分」を口ずさむセーラームーンである。それはセーラームーンではなくて月野うさぎなのだが、明らかにこれまでの無邪気なうさぎちゃんとは違う。そこに地場衛は心をとらえられるのである。
その前段階として、このAct.4には仮装パーティーのシーンがある。地場衛がタキシード仮面ではなく「タキシード仮面の変装をして仮装パーティーに乗り込んだ地場衛」という手の込んだかたちで登場し、クマの着ぐるみに変装したうさぎに抱きつかれる、という、一見ばかばかしいが、考えれば考えるほど何か深い意味がありそうな場面なのだ。その意味を考えるために、セーラームーンにおける変身と変装についてまとめたかったのだけれど、タイムアップだ。また来週、もう一度考え直せたら考え直してみます。すみません。