実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


最新記事〕 〔過去記事〕 〔サイト説明〕 〔管理人

【第109回】数えきれないコマツをあなたの手に、の巻(小松彩夏)


まいったよ。小松みどりのこととか考えていたら、本日未明に自宅のハードディスクがクラッシュだ。原因はまだ分からない。かろうじてサルベージしたファイルから、今回の日記の話のマクラにしようと思って、ちょこっと書きとめておいたネタだけふくらませて、取り急ぎ某所よりアップしておきます。別に小松みどりに責任はない。

 

:W200

ぼくが無限の観念と最初にはっきりした接触をもったのは、オランダ商標のついた、ぼくの朝食の糧であるココアの箱のおかげだ。この箱のひとつの面はレースの帽子をかぶったひとりの百姓娘を描いた絵で飾られていたが、その娘は、左手に、同じ絵で飾られた同じ箱をもち、ばら色のさわやかな顔にほほえみをうかべながらその箱を指さしていた。こうしてぼくは、同一のオランダ娘を無限回も再現する同じ絵の無限の連続を想像しては、いつまでもめまいのようなものにとらえられていた(ミシェル・レリス/松崎芳隆訳『成熟の年齢』)

いきなりこれは何だ。だいぶ以前に読んだ本を引っ張り出しての引用だ。これはドロステココアという、オランダの有名な銘柄だそうです。レリスの文章には「レースの帽子をかぶったひとりの百姓娘」が「左手に」同じココアの箱をもっている、と書いてあるが、これは記憶違いで、実際にはご覧のように、看護婦さんが、お盆に載せたココアの箱をもっている。看護婦さんというのは、ココアは栄養価が高いとか、滋養があるとか、そういう意味だろう。いずれにせよ、彼女が示すココアの箱のなかに、同じ彼女の絵があって、その絵のなかにも、彼女の絵があって、合わせ鏡を覗いたように、無限に続いていくわけだ。ついでにもうひとつ引用しちゃえ。

 

私は幼年時代、メリー・ミルクというミルクの罐のレッテルに、女の子がメリー・ミルクの罐を抱いている姿の描かれているのを眺めて、そのたびにレリスの味わったのとそっくり同じ、一種の眩暈に似た感じを味わったおぼえがある。(澁澤龍彦「胡桃の中の世界」)

これも、メリー・ミルクの缶をもった少女が、無限に小さくなっていく、という、さっきと同じ効果の「だまし絵」的な作品である。というわけで、お分かりの方にはもうお分かりであろうが、次はこう来る。

 


ここから勝手にいただいてきた画像だが、赤いワンピースを着た小松彩夏が、屋内の階段の下で尻もちをついていて、そのかたわらの写真立てには、まったく同じ小松彩夏の写真が入っている。当然その写真のなかの小松彩夏のかたわらにも小松彩夏の写真があるはずで、つまりこのチラシ一枚で、比喩でも何でもなく、数え切れない無数∞の小松彩夏がこの手に収まるわけである。ファンにとっては夢のような話だ。マストアイテムであろう。もれなくモロ師岡も一人ついてくるが、我慢したまえ。モロさん済みません。『ウガッタ!』観てました。北野武『キッズ・リターン』の、だらしない先輩ボクサー役も良かったです。
で、話を『アンラッキー・デイズ』のチラシに戻すと、その写真立てのところに、どうやら『不思議の国のアリス』らしい紙細工のようなものが添えられているのが、フシギ度アップのチャームポイントである。
それがちょっと気になっていたのだが、世の中は広いと言うべきか狭いと言うべきか、私とまったく同じ関心をもっている方がいて、この『アリス』の素材は何なのか、きちんと調べて報告してくださっている。もちろんそんなことをするヒマ人奇特な方は、あの流線型の人だ。いや人ではなくてマシンか。ともかくご興味のある向きは、こちらのFig.11とFig.12をご参照ください。私としてはこれで知りたいことがぜんぶ分かった。グッジョブだ。ありがとうございます。青山円形劇場の座席表まであるぞ。
誤解なきよう申し添えておきますが、私は『アンラッキー・デイズ』の内容を知らない。東京まで観に行く予定も取れませんでした。トホホ。だから観劇された方のレポートを心待ちにしていたが、来年早々DVD化されるらしいので、今は、それまではどんな話か詳しく知らないままでいたいと思っている。ただここ数日、チラシを見ながら、学生時代に好きだった本の一節を思い出したというだけの話です。だから別にミシェル・レリスや澁澤龍彦は関係あるだろうとか、そういうことが言いたいわけじゃないですからね。というか、多分ぜんぜん関係ない。舞台をご覧になる方は、その辺くれぐれもご注意を。アリスは、何か関係あるかも知れないけどね。

 

というわけで、自宅のノートパソコンをどうにかしなくちゃならんので、この週末はコメントをいただいてもレスはつけられないと思います。すみません。じゃまた(泣)。