実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第107回】小林靖子は変わったのか?(映画『劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!』レビュー)

 

関西支部のご主人を後押しするかのように、阪神は驚異的なペースで元気を回復して8連勝、首位に迫りつつある。リハビリ頑張って下さい。一方、私のスランプをさらに蹴り落とすように、中日は3位転落だよ〜ん。

1. で、今日の日記は…


『仮面ライダー電王』のDVD第1巻を買った。第1巻を買えば全巻そろえたくなる。でも、いい歳して小遣いも少ないのに、こんなことやっていいのか、とだいぶ迷った。結局、買っちゃいました。
いや8月に、息子を連れて『劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!』と『電影版 獣拳戦隊ゲキレンジャー ネイネイ!ホウホウ!香港大決戦 』の2本立て(厳密には『モモタロスのなつやすみ』というオマケの短編つきなので3本立て)を観に出かけたんですよ。そしたらすっごく面白くて、映画のパンフレットが売り切れだったこともあり、帰りについつい、迷っていたテレビ版のDVDを買っちゃったわけです。
それで先週末、久しぶりに第1話から第4話までをぶっ通しで観て、あらためて思ったのが第4話の重要性だ。最初の2話は、主要登場人物のキャラクターの確立と作品世界の説明が主で、話の筋は従だ。第3話で、各キャラクターが自らの個性に応じて動き出す。そして第4話で、主要登場人物同士の心理的な距離関係がはっきりとしてきて、その後のドラマ的展開が暗示される。実写版セーラームーンも、ほぼ同じパターンを踏んでいて、Act.4で、亜美とレイの心のふれあいとすれ違い、タキシード仮面のセーラームーンに対する想い、といった各キャラクターの関係性が、ほのかに見えてくる。なかなか繊細な回なんですね。再放送レビューの時、原作漫画の第4話に思い入れのある私は、原作との設定上の変更ばかりを気にしていて、もうひとつ脚本が読めていなかったのだ。
で、今回の日記は、まずは劇場版の感想をマクラに振って、前半で『電王』と対比しながらAct.4のキャラクター描写を、後半で高丸演出の傾向と対策を考えよう、と思ったわけです。ところがまた脱線してしまった。書き始めたら電王の話がいつまでも終わらなくなってしまったのです。おのれを知るというのはむずかしいものです。
というわけで、本日のメイン記事は劇場版『電王』の感想文になってしまいました。

2. セーラームーンから電王へ


脚本家が同じなんだから当然だろうという気もするが、とにかく『仮面ライダー電王』って、あちこちでセーラームーンを連想させるドラマである。
たとえば敵役にあたる「イマジン」。イマジンとは肉体をもたない、未来からやってきた発光する生命体で、任意の人間に憑依する。そしてその人間の記憶からイメージを借りて、動物や、神話や昔話にでてくる想像上の生き物の姿で実体化する。この、怪物が単体で出没せず、人間に憑依して騒動を起こし、それから実体化するってところが、まずもってセーラームーン初期の妖魔っぽい。
だから『電王』には、妖魔に取り憑かれた渡辺典子のなるママや、春木みさよのゼミ講師や、池田成志の齋藤社長のように、イマジンに憑依される「ゲスト被害者」がエピソードごとに登場する。しかもイマジンは、それらゲスト被害者に憑依して実体化し、この世界で暴れるばかりはでない。憑依した人間の意識にダイブして、その人が最も強く記憶している過去の一時点へとタイムトリップしたりもするのだ。たとえばあるイマジンが取り憑いた少年は、自分の親不孝のせいで母の死に目に会えなかったことを後悔している。そこでイマジンは彼の記憶をたどって、母親が亡くなった数年前の夜へ飛ぶ。別のイマジンは、別れた婚約者への未練を断ち切れない女性に憑いて、破談となったその日へとジャンプする。そしてそれぞれ、その過去の世界でも大暴れするのだ。
過去の世界でイマジンが暴れると、歴史が変えられて、現在の世界がめちゃくちゃになってしまう。電王はそれを防ぎ、歴史を修復するために、時の流れを往来する列車デンライナーに乗ってイマジンを追い、戦いを挑む。だいたいこれが電王の物語のフォーマットである。
つまりどのエピソードにも、何らかのかたちで、過去の失敗や不運をひきずりながら今を生きている人物が登場する。その人物はイマジンに憑依されることで、封印していた過去を直視せざるを得なくなる。しかし逆にその体験を通して、過去を克服するきっかけを手に入れていく。電王はイマジンと戦いながら、その過程をひそかに見守り、時には時間の流れにちょっとだけ干渉して、その人が現在を生きる勇気を獲得できるよう、手助けをするのである。なぜ人生は、一瞬一瞬がやり直しのきかない選択の連続なのだろう、などと考えながら。
同時に、電王となる主人公には記憶喪失の姉(松本若菜)がいて、この姉の空白の過去には、なにかドラマの根幹に関わる大きな秘密がひそんでいるようなのだ。それが何であるかは、まだはっきりと明らかにされていない。
実写版セーラームーンも、前世の悲劇という巨大な過去にひきずられ、あるいは前世を否定しようとしていた少女たちが、ダーク・キングダムとの戦いを契機に、今を生きるために前世を直視し、克服しようと決意する物語であり、しかもそのなかに、個々の戦士たちの、個別の過去の物語が包み込まれていた。やっぱり似ている。特に、幼女時代に受けた心の傷が原因で、成長後も父親と反目するレイや、過去の失恋の痛手が癒えずに、目の前の優しい男性に心を開けないまことの話なんか、まるで電王のエピソードみたいにも見える。


もうひとつの両者の共通点は、多重人格テーマだ。主人公の野上良太郎(佐藤健)は、デンライナーでこの世界にやって来た謎の美少女、ハナ(白鳥百合子)から、電王として戦う使命を与えられる。しかし良太郎は、もともと善良で心の優しい、およそ争いごとには不向きな少年であり、そのまま変身して戦っても、イマジンを倒すどころかかえってボコボコにされてしまう。そんな良太郎に力を添えるのがモモタロス(中の人:高岩成二/声:関俊彦)だ。
モモタロスもイマジンで、良太郎に憑依し、記憶の中にあった『桃太郎』の絵本の鬼からイメージを借りて実体化したので、そう呼ばれるようになった。ところが、モモタロスが憑依した状態で変身すると、電王はそのパワーを取り込んで、基本フォームから、より高い戦闘機能をそなえたソードフォームに変形し、圧倒的に強くなるのだ。で、良太郎の性格が気に入ったモモタロスは、本来のイマジンとしての使命をはたすよりも、良太郎と一緒に電王となって、ほかのイマジン相手に大暴れする方がおもしろいやと、良太郎に憑依し続ける。良太郎にとっても、力強い加勢だ。
ただイマジンが憑依すると、人はそのイマジンに人格を支配されるのである。だからモモタロスが憑いた良太郎は、ふだんの気弱な彼とは一転して、短気で見栄っ張りな乱暴者になる。戦闘時はそれでいいが、普段にもひょっこり憑依されて、いきなり顔つきが変わり、目がギラギラして、振る舞いが横柄になったりするのだ。はたから見れば人格分裂者である。
しかも話が進むと、『浦島太郎』の海亀のイメージが実体化したウラタロスや、それにキンタロス、リュウタロスといった新たなイマジンが良太郎に憑依する。そのおかげで良太郎は、戦闘時には、状況に合わせて様々なフォームの電王に変形できるようになるわけだが、みんな個性的なメンバーなので、日常生活はさらに混乱する。時にナンパ野郎になったり、仁義に厚いナニワのど根性男になったり、陽気でダンス好きでワガママな現代っ子になったり、くるくると色々な人格が出たり入ったりするのだ。
この、戦闘モードの別人格を背負い込むことになった主人公、という設定が(『龍騎』の「契約モンスター」を連想させつつも)やはりセーラームーンっぽいのだ。まったく性格の異なるイマジンに憑依されて身体がボロボロになりながら、なんとか折り合いをつけてそのパワーをうまく戦いに活かそうと苦労する良太郎の姿には、トーンは違うが、プリンセス・ムーンの暴走を克服しようとするうさぎのイメージが、どうしても重なってしまうのである。


ほかにも、時の列車デンライナーの食堂車と、クラウンのカラオケルームが物語でしめる役割の共通性とか、興味深いポイントはまだあるのだが、話がいつまでたっても劇場版に進まないので、もうこのくらいにしておく。総じて『仮面ライダー電王』は、実写版セーラームーンのモチーフを、より単純で分かりやすいプロットと、より娯楽性を高めたアレンジで、ふたたび取り上げた作品のように思える。とにかく楽しい。ただ、まだあと20話ほどを残している段階なので、最終的な評価は控えたい。
後半はおそらく、主人公の記憶喪失の姉と、その婚約者をめぐる謎をメインに話が進んでいくはずである。セーラームーンで言えば、前世の悲劇とメタリアの謎をめぐるパートに入っていくわけで、ひょっとするとこれからの『電王』も、後期セーラームーンのような重苦しい大河ドラマになるかも知れない。
それでも(実験的な野心作であったがそれゆえに)視聴者不在の番組になってしまったセーラームーンとは違い、電王は最後まで、メインの視聴者となる男子児童の興味をつかみ続けていられるんじゃないかな、と思う。それは、短気でおっちょこちょいで見栄っ張りで、乱暴だけど根は良い奴、モモタロスの陽性の魅力が、すでに浸透しているからだ。モモタロスは、この番組のメインの視聴者となる男の子たちのお友だちだ。彼が彼のままでいる限り、小学生はみんな最後までついて行くだろう。
タイムレンジャーやセーラームーンの小林靖子には、ひたすら面白いドラマ作りを追求してのめり込んで、ふと気がついたら、番組が本来ターゲットとしていたよい子のお友だちを、遠く置き去りにしてしまっていたようなところがあった。でも今回は明らかに違う。これは小林靖子の変貌を意味するのだろうか。つまり彼女はマーケティング意識にめざめたのか?そうかも知れないけど、そうじゃないかも知れない。『電王』も、単にこれまでどおり「みんなが楽しめる、面白い物語を」と思って書いているだけのようにも見える。
その辺がよく分からないのだが、ともかく結果的には、『電王』は変身好きな少年たちにがっちりアピールして、大好評放映中である。そして今回の劇場版『電王』は、小林靖子がそういう反響に自信をもって、いま乗りにのっている感じが、観ているこちらにも伝わるような快作となった。

3. ようやく劇場版の話


劇場版ライダーの脚本家は、第1作目の『アギト』(2001年)から第5作目の『響鬼』(2005年)までが井上敏樹で、昨年の第6作『カブト』(2006年)は米村正二であった。そして今回が小林靖子だ。小林靖子はデジモンなど、アニメの劇場版を幾つか手がけているが、実写作品でのスクリーンへの登場はこれが初めてのはずだ。もっとも、今回の『電王』の上映時間は1時間強。いつもの劇場版ライダーよりちょっと短めで、長さはセーラームーンの番外編ビデオ『Special Act』とたいして変わらないはずだ。調べてみると69分とあるが、これって本編に先だって上映された、3分くらいのパロディ風の短編『モモタロスのなつやすみ』とあわせた時間かも知れない。とすると正味65分というところか。
さて、今回の劇場版『電王』には、過去のライダーと大きく異なる点がひとつある。これまでの劇場版ライダーは、いずれもテレビシリーズの外伝だったり、マルチエンディング的「もうひとつの結末」だったり、キャラクターは共通しても設定が別だったり、はては戦国時代だったりと、要するに「番外編」的あつかいで、テレビシリーズにダイレクトにつながる内容にはなっていなかった。ところがこの劇場版『電王』(2007年8月4日公開)は、そこがまったく違っていて、テレビ版の第27話「ダイヤを乱す牙」(2007年8月5日放送)と第28話「ツキすぎ、ノリすぎ、変わりすぎ」(2007年8月12日放送)の間に入る、いわば「第27.5話」なのである。
これは一種のティザー広告なのだろう。実際、テレビの第26話、第27話なんて、完全に劇場版のプロモーションというか、大がかりな予告編みたいなものである。それが証拠にラストは「続きは劇場でお楽しみ下さい」と結ばれている。そして第28話は、劇場版の事件が終わってやれやれ、という打ち上げパーティーみたいな場面から始まる後日談だ。こりゃテレビの前のお友だちは映画館に駆けつけたくなるよね。
とにかく煽りに煽っている。昨年の劇場版『カブト』と『ボウケンジャー』は、ライバルに75億円以上も稼いだ『ゲド戦記』がいたこともあって、興行的にもうひとつふるわず、10億の大台に乗らなかったそうだし、今年はフジテレビが局を挙げて『西遊記』を大々的にプロモーションしている。そういう事情もあっての、必死の宣伝策だったのだろう。実際、その効果は大きかった。もちろんテレビの『電王』自体が好評ということもあるだろうが、ともかく封切り週のランキングでは『トランスフォーマー』と『レミーのおいしいレストラン』と『ハリー・ポッターとナントカのナントカ』の後につけて邦画トップに躍り出て、その後も、ポケモンや『西遊記』といった国内の強豪と競り合いながら4週間(8月いっぱい)興行成績のベストテン圏内にとどまったのだから、これはもう大健闘と言えるだろう。昨年の『カブト』『ボウケンジャー』の興行収益(9億円)はすでにクリアして、最終的には過去最高だった2003年の『555』『アバレンジャー』(15億円)を越える可能性も見えてきた。(興行成績については最後の方をご覧ください)
そして肝心の、作品そのものの内容もなかなか良い。ネタ振りと大ざっぱな状況説明をぜんぶテレビの方で済ませているので、おなじみのモモタロスの決めゼリフどおり「最初からクライマックス」という感じで、事件と見せ場の連続で物語がテンポ良く進んでいく。
もちろん、そのせいで、いつも以上に劇場版を単体で観てもよく理解できない話になってしまってはいる。しかし大部分の客はテレビ版のファンだろうから、まずそういうメインの観客のために作る方が正しい、と私は思う。まあ、子どもの付き添いで行って初めて観た保護者の方には我慢してもらうしかないな。それに、テレビ版の熱心な視聴者である私が言うのは説得力がないかも知れないけれど、はっきりとターゲットを絞って作られているぶん、この作品には「外の人」をも呼び込む力があると思う。分からないなりにも楽しめて「どういう話なのか、少しテレビも観てみよう」という気にさせるだけの勢いが感じられる。だから保護者の方は、お子さんに説明してもらって、これからはテレビ版も観て、親子のコミュニケーションの一環にしていただければ良いのではないでしょうか。

4. 消えた映画館


その一方で感心したのは、いちおう、様々な事情で劇場に行けないであろうお友だちにも、それなりの配慮がしてあるところだ。確かにこの劇場版は、テレビの第27話と第28話の間に挟まるエピソードあり、これを観ないことには、テレビの方の面白さも半減する。でもテレビだけを観ていると、話がまったくつながらないかと言えば、そこまでではない。主人公の良太郎が乗る「時の列車」デンライナーがハイジャックされ、その首謀者が「牙王」(渡辺裕之)という悪いライダーであること、映画のメインストーリーが、ハイジャックされたデンライナーを追って、みんなで時を遠い過去まで遡っていく冒険であること、そして最後の決戦がどんなシチュエーションで行われるか、というあたりまでは、テレビシリーズを観ていればだいたい呑み込める。封切り翌日の8月5日に放映された第27話なんか、最後に「ここまで見せちゃっていいのか?」と思うくらい映画版のハイライトシーンが流されていた。エピローグにあたる第28話も、細かいところは分からないけど、ともかく色々あって、牙王をやっつけて、ハイジャック事件は解決したんだな、という程度の理解があれば、それはそれとして引き続き楽しめる。
そうすると逆に、わざわざ映画を観に行っても、予想どおりの内容だし、見せ場はテレビで観ちゃったし、つまらなくはないか、ということになるが、その辺もうまくクリアしている。映画版はそういう、テレビ版の前宣伝でだいたい予想できるメインプロットに、もうひとつ、主人公である野上良太郎の子ども時代の物語を絡めてあって、こっちには、うちの息子なんかあっと驚いて大喜びしたイベントが用意されている。それはテレビ版の視聴者には分からないように完全に伏せられているのだ。このあたり、やはり名手、小林靖子の技が光っている。


ただそれでも、ちょっと思うのだ。今回の電王の場合、これだけテレビの話とリンクして、前宣伝を煽られると、全国でテレビを観ている少年たちは、どうしたってリアルタイムで劇場版を観たくなるだろう。実際、それがこの作品の最も楽しい観方でもある。第27話でワクワクして、映画館に行って、「面白かったあ」と思って、次の日曜日の第28話は、その続きのお話なのである。でもね、小学生が一人で、あるいは友だち同士で行けるような「地元の映画館」をもたない市町村が、現在の日本には、たぶん昔よりいっぱいある。
長らく減少の一途をたどっていた我が国のスクリーン数は、2000年ごろから増加に転じて、昨年、全国で3,000スクリーンを越えた。しかし映画館の数は、1960年代には約7,500館あったのが、現在は1,000館をおおきく割っている。現在、全国に3,000スクリーンあるうち、ざっと2,200スクリーンは、1990年代後半からぞくぞくと増えた複合映画館(シネコン)に集中している。シネコンは郊外や地方都市にも建てられ、従来は大都市に集中していた映画人口をローカル都市に分散させた。地方の人々も、ちょっと足を伸ばして近くの町に出れば、以前より様々なジャンルの映画を選んで鑑賞できるようになった。それもおっくうなら、半年も待てば観たい映画がレンタルでリリースされる。
その結果、田舎からは昔ながらの地元の映画館が消えていった。
電王が大好きな田舎の小学生たちは、劇場版が観たくって、町のシネコンに連れて行ってと親にせがんだだろう。お父さんやお母さんはちゃんと連れて行ってあげただろうか。「どうせすぐにビデオが出たら借りてあげるから、それまで待ちなさい」なんて言っていないかなあ。まあ大人だって忙しいもんね。でも、今年はいつもの劇場版ライダーと違うんだよ。今年はリアルタイムで楽しむべきだ。それに同時上映の「モモタロスのなつやすみ」はビデオソフトにならない。ゲキレンジャーのキャラクターと電王のキャラクターが入り交じるパロディ的な短編なので、版権の都合とかあるらしい。
まあきっと、こんなのは余計な心配なんだろうね。ただ私は、こういう映画なら、たとえば鬼太郎のテレビ版のブローアップや、初代ライダーのリバイバルと抱き合わせで、つまり私自身が昔、同級生たちと田舎の映画館に詰めかけて楽しんだ「東映まんがまつり」みたいな形式で、息子にも観てもらいたかったな、とふと思って、そんなことを考えてしまいました。

5. 主役はやっぱりモモタロス


話を映画の内容に戻すと、私が最も感心したのは、小林靖子が、映画版というお祭り騒ぎ(なにしろ主人公たちは、恐竜時代からエジプトのピラミッド、西部開拓時代と、様々な過去の時代を訪問するのだ)や、それにまつわる諸々の外圧に迷うことなく、しっかりと電王の本筋を示して、テレビ版のファンへの仁義を通してくれたことにある。
たとえばバンダイはこの7月末に、劇場版に登場する新しいライダーという触れ込みで、ウイングフォームのライダーというフィギュアを売り出している。これは普通だったら劇場版で初のお披露目という運びになるはずだ。ところが実際には、劇場版を待つことなく、テレビ版の24話で、すでにこのウイングフォームは出てきてしまう。そして当の映画では、話が半分も進んだあたりでさっさと物語から退場するのだ。
それからもうひとつ、レギュラーの四つのフォームのライダーの各パーツがひとつに合体する、クライマックスフォームのライダーというのもいる。これも普通だったら映画版の最後で、満を侍して登場するはずなのだが、結局エピローグにあたるテレビ版第28話に初めて出て来る。だから映画ではまだ姿を見せない。
さらに、ゲストキャラクターの登場シーンもじつにあっさりしている。芸能ニュースでは、映画版ライダーに特別出演するということで大きく取り上げられた星野亜希(ほしのあき)の千姫も、それから陣内智則の真田幸村も、本編にはほんのわずかしか出てこない。星野亜希なんか、たった1シーンに出てくるだけで、しかもそのシーンは、ヒロインのハナがこれから活躍するための前フリであるから、いわばハナの引き立て役として登場したようなものなのだ。もちろんセクシーポーズもありません。
おそらくスポンサーは、夏の玩具商戦への主戦力として、新フォームのライダーが劇場版で華々しく活躍することを期待していたろうし、会社の上の方からは、白鳥百合子の事務所つながりでおさえた人気グラビアアイドルや、話題性のある吉本のお笑いタレントのゲスト出演を盛り上げるように、という声もあっただろう。しかしスタッフはそれを斥けた。なぜか。たぶん、ただでさえ劇場版ということで、様々な趣向を盛り込んだお祭り映画的性格の強いプロットに、そういう要素まで取り込んでしまうと、電王としての本筋がぶれるからだ。
だから星野亜希の出番をぎりぎりまで削り、ほとんど顔出し程度に抑えて、代わりにレギュラーのハナを活躍させた。だって電王のヒロインはハナだから。そしてクライマックスの戦いは、ウイングフォームのライダー抜きで、レギュラーのライダーたちの揃い踏み集団バトルから始まり、最後は、第1話からお馴染みの、一番ベーシックなモモタロスのソードフォームのライダーと、敵のボスとの一騎打ちで締めたのだ。だって電王はあくまでも、主人公の良太郎といつものイマジンたち、とりわけ良太郎とモモタロスの物語だからだ。そういうふうに余計なものを捨てたおかげで、この映画は、打ち上げ花火のように華やかなイベントムービーでありつつも、『電王』本来の、地の魅力を大スクリーンで再確認する作品としても成立している。
あれだけ予告編的なエピソードをテレビで観せて、おおいに煽って、テレビで良太郎やモモタロスやハナのファンになったみんなを、劇場に集めたのである。だったらいちばんの見せ場を彼らのために開放するのが当然だ。これがスタッフのポリシーだったと思う。
新しいフィギュアを買ってもらえた子、良かったね。でもこのお話の主人公は良太郎とモモだ。だから買ってもらえた子も、もらえなかったお友だちも、前から持っているモモタロスやソードフォームの人形を大事にしてね。だって最後にひとりで戦ったモモ、格好よかったでしょ。ほしのあきちゃんとか陣内君とか出て面白かったでしょ。でもこのお話のヒロインはみんながテレビで知ってるハナちゃんだものね。だからハナちゃん、大活躍したでしょ。これからも応援してね。私には長石多可男や小林靖子やスタッフの面々が、そんなふうに、メインの観客であるお友だちに語りかけながら、その一方で、お盆商戦で新型フォームのライダーを売り出すことに躍起になっているスポンサーや、人気タレントの特別出演で観客動員のテコ入れをしようとする上層部の安易な態度に、ひそかなひじ鉄をかましているように見えた。こういう姿勢はまったく正しい。その結果が、前年を遙かに上回る興行収益という明確な数字で示されたことも、非常に喜ばしい。
ここには、実写版セーラームーンの時のような、いったいどんな視聴者層を対象としているのか、首をかしげたくなるような曖昧さはない。物語は、劇場にやって来る子どもたちの方をまっすぐ向いている。やっぱり小林靖子は変わったのかも知れない。でもそれはこざかしいマーケティング戦略とは無縁だと思う。とにかく面白い物語を語る、という変わらない路線を進んでいくうちに、ひとつ壁を突破したのかも知れないね。

6. おまけ


以上が所感だが、ええい、この際だから同時上映の『電影版 獣拳戦隊ゲキレンジャー ネイネイ!ホウホウ!香港大決戦 』と『モモタロスのなつやすみ』についても簡単に触れておこう。いや『モモタロスのなつやすみ』は、売店にポップコーンとコーラを買いに行ったりしていたので、ほとんど観ていないんだった。なんかSD人形みたいに二頭身にデフォルメされた『電王』のモモタロスが、『ゲキレンジャー』の師匠のマスター・シャーフーに泳ぎを教わってカカヅチを克服しようとするとか、そんな話だったでした。だいたいさあ、3本ぶっつづけで上映しないで欲しい。そりゃ3本あわせて100分くらいの上映時間だけどさ、子ども向けなんだから、ゲキと電王のあいだに10分くらい休憩時間入れろよ。
『ゲキレンジャー』はタイトルどおり香港が舞台の、『燃えよドラゴン』のパロディ。元ネタのプロットをざっくりなぞり、最後に合体ロボットのバトルがあって、しめて36分で全部カタがつく話である。レギュラー悪役のメレと理央が、諸般の事情でゲキレンジャーと休戦、一時的に手を組んで共通の敵を倒すところがミソで、上映後「テレビで敵同士なのにあれはアカンやろ」という大きいお友だちの声が後ろの方から聞こえたが、それは野暮というものだろう。レギュラー放送の悪い奴が、劇場版では良い奴になるという、いわゆる「ジャイアンの法則」と割り切って、夢のタッグを楽しめばいいのである。実際、子どもたちはおおいに盛り上がっていた。
ただ私はゲストにひっかかってしまった。インリン・オブ・ジョイトイは思った通りの役だったが、小野真弓の演ずる謎のカンフー娘が、予想していたような「香港経済を裏であやつる金融業者のイメージガール」ではなくて(当たり前だよ)、「潜入中の香港国際警察の秘密捜査官」だったのだ。それって一昔前、いや二昔前の東映映画では志穂美悦子がやっていた役である。しかも敵のボスが志穂美悦子の『女必殺拳』シリーズで悪役の常連だった石橋雅史なのだから、なおさらイメージがダブる。特撮系のみなさんは『ジャッカー電撃隊』あたりなのでしょうけれど。
で、そういうことなら、もう少し、あの頃の東映アクションを彷彿とさせる顔に出てきて欲しいわけだ。そうだ美希さん(伊藤かずえ)がいる。真田広之主演『燃える勇者』(1981年)のヒロインは伊藤かずえだったじゃないか。まあ薄いつながりに過ぎないが、伊藤かずえが出てくれば、それなりに「往年の東映青春アクション風味」になるのではないかな。
という、もう自分でも何だか分からない理屈で、私は途中から伊藤かずえの出番ばっかり待っていたのだが、しかし今回の彼女はラストシーンにようやく出てくる。事件がすべて解決して、ゲキレンジャー一行が日本に帰ろうと空港に来たら、そこへようやく美希さんが駆けつけてくる、という一種の出オチの役回りで、つまり伊藤かずえが出たとたん、映画は終わってしまったのである。残念だ。


白鳥百合子さん。完全に復調するまでゆっくりお大事に、と言いたいところだが、『電王』も終盤に入ってきたし、それに、とうとうあなたの名前がタイトルに出なかった先週のオンエアを観て、やっぱりハナのいないデンライナーは寂しいと思った。あなたがヒロインなんです。早く元気になって還ってきてください。待ってます。



【訂正と補足】本文中、劇場版『電王』の興行収益について「最終的には過去最高だった2003年の『555』『アバレンジャー』(15億円)を越える可能性も見えてきた」と書きましたが、これは、制作側発表による「過去最高のヒットを狙うぞ」という意気込みというか、期待値の混ざった記事によるものでありました。おおむね結果が見えてきた現状の数字によりますと
  2001年『アギト』『ガオレンジャー』12.5億円
  2002年『龍 騎』『ハリケンジャー』14.3億円
  2003年『555』『アバレンジャー』15.0億円
  2004年『 剣 』『デカレンジャー』09.2億円
  2005年『響 鬼』『マジレンジャー』11.0億円
  2006年『カブト』『ボウケンジャー』09.5億円
  2007年『電 王』『ゲキレンジャー』12.6億円(9月4日現在)
ということで、今年の『電王』は『555』『龍騎』に次ぐ歴代3位です。おそらく最終的には13億の大台に乗るか乗らないかというあたりではないかと思います。訂正いたします。


【作品データ】『劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!』 配給:東映/2007年8月4日公開/66分/カラー/ヴィスタ
<スタッフ>制作:鈴木武幸(東映)・高橋浩(東映アニメーション)・亀山慶三(テレビ朝日)/スーパーバイザー :小野寺章(石森プロ)/プロデュース:梶淳(テレビ朝日)・ 白倉伸一郎(東映)・武部直美(東映)/監督:長石多可男/原作:石ノ森章太郎/脚本:小林靖子/撮影:いのくままさお/アクション監督:宮崎剛/特撮監督:佛田洋/照明:斗沢秀/美術:大嶋修一/音楽:佐橋俊彦
<キャスト>野上良太郎 :佐藤健/ハナ:白鳥百合子/桜井侑斗:中村優一/ナオミ:秋山莉奈/オーナー:石丸謙二郎/ 野上愛理:松本若菜/尾崎正義:永田彬/ 三浦イッセー:上野亮/牙王:渡辺裕之/良太郎(10才):溝口琢矢/才蔵:山口祥行/佐助:川口真五/加藤浩:松本実/野上真一:佐々木征史/野上加世子:松井涼子/野上愛理(少女時代):工藤美友里/千姫:星野亜希/真田幸村:陣内智則
<中の人>モモタロス:高岩成二/仮面ライダー電王:高岩成二・佐野弥生/ウラタロス:大岩永徳/キンタロス:岡元次郎/リュウタロス:おぐらとしひろ/デネブ・仮面ライダーガオウ:押川善文/ 仮面ライダーゼロノス:伊藤慎
<声の出演>モモタロス:関俊彦/ウラタロス:遊佐浩二/キンタロス:てらそままさき/リュウタロス:鈴村健一/デネブ:大塚芳忠/ジーク:三木眞一郎