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1. イドウの季節
春が近づくと、学校は進級や卒業を控え、一般社会では人事の異動や、それに伴う住居の移動なんかもあって、なんとなく落ち着かない。『M14の追憶』も、最近は日付変更線にブレが生じて、更新日が微妙に行ったり来たりしている。ikidomariさんは、再放送の終了を待たずして関東方面に引っ越されるという。残念である。私自身にも、もうすぐ何か異動がある(かも知れない)。そういう話を、聞きたくもないのに職場で耳打ちしてきた人がいたのだ。その内容というのが、ちょっと気が重くて。
いや話題を変えよう。今回、Act.41の初めの方に「理科の加藤先生」が登場する。佐藤健光監督が、Act.29、Act.30に登場させたオリジナル・キャラクターだ。もちろん今回もケンコー監督。これが最終ターン、4巡目でトータル7本目の演出となる。
こっちの世界は、いよいよ夏休みだ。終業式が終わった帰り路、うさぎは亜美ちゃんの成績表(当然オール5)を見て「さすが亜美ちゃん。私もがんばらなきゃ!」と気合いをいれる。Act.2の模試の順位発表のとき(亜美ちゃんは当然1番、なるちゃんが15番、うさぎの順位は分からない)「あ〜、またママに怒られるんだろうなあ」なんてしゃがみこんでいたのを思い出せば、前向きになりました。成績はオール2だけど、人間的には成長しました。
で、そこへ後ろからやって来た加藤先生が声をかけるのだ「おお、月野、心配するな。いつでも補習やってやるからな!」白衣にボール箱を抱え、ぱたぱたさせている扇子にはなぜか「長生き」の文字。うさぎはちょっと引き気味。
この加藤先生を演じているのは、実写版チーフ助監督の加藤弘之氏である。ビデオ『Act.ZERO』では、オマケのミニドラマ『タキシード仮面誕生の秘密』の脚本と監督を担当している。またAct.9で劇中のテレビ番組に出てくる「銀水晶の想像図」や、Act.10でうさぎがルナに「かぐや姫」のお話を語って聞かせるときのイラストを描いているのもこの人だ。さらには、次回以降で物語のカギとなる「エンディミオンの部屋の風景画」も実はこの人の作だ。イラストレーターとしての名義は「時計屋」という。ただ実写版以外でもこの名前を使っているかどうかは知らない。
それはともかく、加藤氏はかつて『ビーファイターカブト』(1997年)、『ビーロボカブタック』(1998年)、『燃えろ!!ロボコン』(1999年)といった日曜朝の特撮シリーズで、ずっと助監督をつとめていた方だ。そして最後の『燃えろ!!ロボコン』の最終クール直前にチーフ助監督から監督に昇格し、全部で5本を演出している。しかしロボコンの後番組として始まった『仮面ライダークウガ』(2000年)では1本も監督をやっていない。理由は分からない。
一方、加藤氏の後輩で、『燃えろ!!ロボコン』ではまだチーフ配下の助監督の一人だった鈴村展弘氏は、対照的に『仮面ライダークウガ』でチーフ助監督に抜擢され、第17話(総集編でしたが)で監督デビュー。以降は『アギト』以下すべてのライダーで監督をこなし、着実にキャリア・アップして実写版セーラームーンの監督ローテーションに加わった。そしてそのセーラームーンの現場には、かつての先輩、加藤弘之が、自分の下ではたらく助監督として配属されていた、と、つまりそういうことになる。一種の入れ替え人事だ。鈴村監督、元上司を部下として使う立場になっちゃったわけで、これはけっこうストレスあったんじゃないかなあ。なかなか使いづらいですよ。
今回は鈴村監督の回じゃないんですが、私はある理由から、最近になって急にそのことを親身になって考えているので、この理科の加藤先生の登場には、ちょっと物思いにふけってしまったのである。というわけで、実はちっとも話題が変わっちゃいないのでした。いやプライベートなグチですまない。本題だ。
2. 河辺さんおめでとう、そして、さらばひこえもん
2007年2月21日、深夜2時15分、Act.41再放送。下校のシーンの話から続けますね。
理科の加藤先生がうさぎたちから離れると、それと入れ替わりに、なるちゃんが追いかけて来る。うさぎと亜美に追いついて「ねえねえねえねえ、夏休みの宿題さあ、あれどうするボランティア、何すればいいのかさっぱり」「だよねー」。とても短いシーンですが、この時、追いついたなるちゃんが、自然な感じで亜美の肩に手をかけるのが良いですね。
Act.16でいちおう確執に決着がついてから以降、亜美となるの関係がどんなふうになっていったかは、具体的にはあまり描かれていなかった。ただ、Act.30では、黒木ミオの計略でクラスの仲間はずれにされたうさぎに、亜美となるだけが味方していた。そして、二人で相談して、などというシーンはなかったが、たとえば、亜美がうさぎに付き添い、屋上で一緒にお弁当を食べている間、なるは黒木ミオと直接、話をつけようとしている、というように、そこには一種の暗黙の協力体制というか、連携プレーが生まれていた。そんなところに、我々は、うさぎを通じてこの二人に信頼関係ができあがりつつあることを感じていたわけだ。そして今回、亜美となるとうさぎは、ごく自然に、一緒に歩いている。亜美もうさぎ以外のクラスメイトと、普通に「友だち」になれるようになってきたんだな、と思うととても嬉しい。そしてそうなれたのは、多分うさぎよりも、むしろなるちゃんのおかげだと思う。
というわけで久々のなるちゃんだ。そしてそれにあわせるかのように、今回は週末が河辺さんの誕生日にあたるので、私は先週、舞い上がってしまった。しかし改めて再放送を観ると、今回の主人公は明らかにまことであり、なるちゃんに関しては、このAct.41はまだ次回への前フリに過ぎない。うっかりしてたなあ。
ともかく、河辺千恵子さん、お誕生日おめでとうございます。去年はなにかと色々たいへんでしたが、今年はどうか、良い年になりますよう。
本当は女優としての活躍にも、もっと期待したいところなのですが、何よりもまず、本業とされる音楽の世界で、新しい曲を、そしてセカンドアルバムをリリースされることを念じております。えーと、こんなことを言うのは何ですが、歌声は表現力に満ちて、とても魅力的で、聴いていて元気が出るし、ご自分で作詞された歌詞もステキですから、あと課題は作曲家だよな。
歌いたい曲のイメージがある、そのヒントとして洋楽がある。まず、自分がどんな感じの音楽をやりたいか、既成曲のカバーや、はっきり元ネタが分かるような曲で具体的に示してみた。ファーストアルバムはそんな印象でした。それを「パクリ」とか「オリジナリティの欠如」とか言う人もいたが、私は新人の「パクリ」を、それほど悪いこととは思っていない。お手本をもたず、先行ランナーから何も学ぼうともしない怠惰さを「オリジナリティ」という言葉でごまかすより、目標とする人をもち、そのコピーから始まって、そこから多くを盗む方がはるかに真面目な態度だし、そういうアーティストの方が、学習しだいで、次第に豊かな独創性を発揮していく可能性をもっている、そう思うからです。
そして昨年リリースされたシングルのカップリング曲「シマウマノヨル」を聴いていると、あなたが自分の音楽世界を広げ、オリジナルな方向へ一歩、踏み出そうとしている、そんな意欲を感じます。余計なお世話かも知れないが、そのためにいま欠かせないのは、曲作りの面からあなたの夢をサポートしてくれる強力なパートナーだと思う。いい作曲者に、どうかめぐりあえますよう。ともかく、本当のチャレンジはこれからだ。頑張ってください。
以上で祝辞を終え、本題に戻ります。さてそんなわけで、実写版の世界は今回から夏休みに入る。だから学校がらみのシーンも、あとは確かAct.45の登校日と、それから最終回だけだったと思う。でもAct.45は、せっかくの登校日なのに、欠席者が多い。メタリアのせいで、世間に「ぬけがらみたいになっちゃう人」がどんどん出てきて、生徒の中にもそういう子が沢山いる、という設定なのだ。なるちゃんもまだ入院中で、知った顔と言えば、カナミとモモコとうさぎと亜美、それに春菜先生だけだったと思う。もちろん黒木ミオもいない。ひょっとしたらミオは、衛のお目付役をする都合上、学期が終わった時点で転校届けを出しちゃったのかも知れないね。わずか二、三ヶ月の在籍ということになるが、芸能人だからいくらでも言いわけできる。
いずれにせよ、我々視聴者の立場から言えば、黒木ミオにはまだ会える。なるちゃんは今回と次回の、実質的には最後といっていい出演で、重要なパートを演じる。しかし山本ひこえもん君にはもう会えない。今回の下校の場面にも、Act.45の登校日にも出ていないのだ。Act.30 で、黒木ミオ親衛隊の男子代表としてうさぎをにらみつけていた、あれが彼の最後の出番だったのだ。
失敗したなあ。ちゃんとAct.30の時にひこえもんに別れを告げておくべきだった。さようならひこえもん。君は一体、何だったんだろう。
3. ネフライト、戦士と出会う
さて次はクラウンだ。カメ吉にエサをやりながら話しかける元基。こちらも夏休みがとれるみたいである「カメ吉、今年の夏休みは一緒にどこへ行こうか。 お前のふるさと行くか。で、どこだよ?」。
そのかたわら、ネフライト改めネフ吉は、憤懣やる方なく、意味もなくわめきながらモップで掃除している。思わず元基が「ネフ吉くん(台本ではたぶん今回も「ネフきっちゃん」違うかな)そんな力を入れないでさあ」と声をかけると、「その呼び方はよせぇ!」とくってかかる。「分かった。ほかの考えるから」と、なんとかなだめようとする元基。
とその時、客の気配にハッとしたネフライトは、いきなり店の奥に向かって逃げ出す。もちろん元基は追いかける「ちょ、ちょっとどこ行くの、まだ終わってないでしょ」「離せ!」
「こんにちは〜」と入ってきたのはうさぎと亜美だ。ネフライトを見て、彼が誰であるか気づいた様子はぜんぜんない。これが以前は不思議だった。なぜ前回、衛は入ってくるなりネフライトだと分かったのに、うさぎも亜美も、それから、この後にやってくるまことも、彼が誰か気づかないのだろう。ひょっとして気づいた上で、とぼけているのか?
しかしその疑問は前回の日記に書いたとおり、M14さんにいただいたAct.40台本を読んで解けた。台本にはその前に、ゾイサイトがマスターに頼まれてネフライトの居所を捜しているシーンがあったのだ。衛は、すでにネフライトがここにいると知ってやって来た。だからすぐ気づいたのである。普通だったら分からないのだ。
うさぎに「新しいバイトの人?」と尋ねられ、元基は「ネフ吉」に代わる名前をとっさにひねり出す「うん、名前はね、ネフリン」ぷっと吹き出すうさぎと、「駄目だよ、笑っちゃ」と必死にこらえる亜美。逆上するネフライト。
「ネフリン」と聞いても、うさぎたちが「ネフライト」を連想した様子はぜんぜんない。これは不自然ではないのか?いやいや、そうでもない。実写版の世界では「名前で正体はバレない」という厳然としたルールがある。だからAct.14の最後で、マーキュリーが涙ながらに「うさぎちゃんを、返して!」とクンツァイトに訴えても、誰も「登場したばかりの敵の幹部に、いきなり仲間の本名を教えてしまうなんて、アブナイよ」とは突っ込まないし、Act.23で、ミニライブで「桜・吹雪」を歌い終わったマーズが戦いの場に駆けつけたとき、セーラームーンはネフライトの前で、平気で「レイちゃん!」と叫んだのだ。
最初は私も、そのルールが分からなかった。Act.4の最後で、ビルから落ちたセーラームーンとタキシード仮面が、ムーンスティックから放たれた光に包まれて、ふわりと着陸する。そこへマーキュリーが「月野さん!」と叫びながら駆けつける。おいおい、タキシード仮面がすぐそこにいるのに「月野さん」はないだろう、初放送を観た時はそう思った。案の定、すぐ次週のAct.5で、地場衛はうさぎのネームプレートを見て、うさぎの本名を知ってしまう。ところが衛はそこで「月野こぶた」と小馬鹿にするだけで、苗字の一致に気づいたような様子はまったくない。で、Act.7で、うさぎの変身現場をモロに見て「あいつが、セーラームーン」と心底びっくりしているのだ。なるほど、名前の一致は、正体を特定する手がかりにはならない。この世界にはそういうお約束があるのだな、と納得した。
話を戻して、だから逆に、ここで「ネフリン」と聞いたうさぎたちが、ネフライトを連想しなくても、当然だと思う。
4. ネフライトは知っていた?(問題提起篇)
というわけで、クラウンに入ってきたうさぎと亜美は、「ネフリン」がネフライトであるとは気づいていない。しかしネフライトの方はどうなのか?という疑問は残る。ネフライトは、彼女たちがセーラームーンとセーラーマーキュリーであると、一目で気づいたのか、そうではないのか。
うさぎに「新しいバイトの人?」と尋ねられた元基が「うん、名前はね、ネフリン」と答えるまでの間、カメラはネフライトを後ろから捉えている。だからこの時のネフライトの表情が分からない。単に隠れようとしたのにモロにお客と顔を会わせてしまって、羞恥やら元基への怒りやらで固まってしまっているのか、「こ、こいつらセーラー戦士じゃないか、でもオレに気づいてないのか?」という驚愕で動きが止まってしまっているのか、どっちなんでしょうか。どっちをとるかで、この少し後に出てくる、ダーキュリーを回想するシーンの意味は、だいぶ変わってくる。
うさぎが、まことと元基をくっつける計画を思いつく。そこで亜美がクラウンに行って「児童館の裏に新種のカメが出現した」という、元基を引っ張り出すためのデマを伝える。計略どおり、喜々としてサファリルックと捕虫網をもって飛び出す元基。一方的に留守番を頼まれたネフライトは、再びかんしゃくを起こしてタンバリンなどを散らかしてしまう。
で、後始末を、亜美が手伝ってあげるんだが、その亜美の後ろ姿に、ネフライトは、かつてダーク・キングダムの洞窟で、ダーキュリーに情けをかけられたときのことを思い出すのだ「そんなふうに独りでいられるの、何だか好きじゃないの」(Act.24)。そして「ぶざまな!」と、いたたまれなくなった様子で、その場を逃げ出すのである。あとはたぶん、亜美が一人でお片づけしてくれたのだろう。
これはつまり、ネフライトはやっぱり亜美がマーキュリーであると最初から気づいていて「あの時と同じように、こいつに憐れみをかけられた」と回想している、という意味に理解できる。しかし一方で、亜美という初めて会った少女に、なぜか、かつてベリルに見捨てられた自分に憐憫の情を示したセーラー戦士の面影を見てしまい、あの時の屈辱を思い出し、ますます落ち込んでしまった、と解釈しても、一向に不自然ではない。どっちなんでしょう。
ひょっとすると台本のト書きには、クラウンに入ってきたうさぎと亜美に鉢合わせした瞬間の、ネフライトの表情や、その意味するところがはっきり書いてあるのかも知れない。だとすれば、少なくとも小林靖子がどう考えていたかは分かる。Act.41の台本は、M14さんが先日、落札されたので、どう書いてあるか教えていただけるかも知れない(教えてください)。ここでは、どっちの場合でも合理的な説明が可能であることだけ書いておく。
5. ネフライトは知っていた?(仮説1)
まず常識的に考れば、ネフライトは気づいていなかったと思う。さっき触れたAct.7の衛の態度ではっきり示されているように、セーラー戦士たちはふつう、変身する瞬間を見られでもしない限り、正体バレはしない。Act.2の亜美は、セーラームーンを見てもすぐにはうさぎだと分からなかった。「亜美ちゃん、大丈夫?」と呼びかけられて初めて、自分をそんなふうに呼ぶのは「もしかして、月野さん?」と思い当たる。Act.6の「まこちゃん」もたぶんそうだ。仲間の戦士たちですらそうなのだから、ネフライトに分かるわけがない。そういうことですね。
しかし前回、ネフライトは入ってきた普段着の衛を見て、一発でマスターだと気づいた。彼には何かそういう特殊な力が、まだ残っているのだ。だから今回もうさぎと亜美を見て、すぐに気づいたはずだ、と思われる方もいるかも知れない。
でもそれは違う。そもそもネフライトは、Act.32のアヴァンで、ゾイサイトがロンドンから召喚した「普段着の」衛に向かって「お前がマスター・エンディミオン」と言っているのだ。
それに、ついでに言っておくと、衛=エンディミオンは、実写版の中では唯一、変身しても正体を隠せない人物である。同じAct.32のラストで、衛は日本に帰って来て、妖魔に襲われているうさぎのピンチを助ける。このとき初めてエンディミオンの衣装に身を包んで白昼堂々姿をあらわすのだが(回想シーン除く)その顔を見たとたん、うさぎは目をまるくして「ウソ、ほんとに…」とつぶやく。すぐに衛だと分かるのだ。まあカツラもしてないしね。だから元基がエンディミオンを見たら「衛なにやってんの?」と聞くだろう。さらに言えば、Act.36のベリルの、うっとりとしたまなざしから察するに、衛=エンディミオンは前世のころとも寸分たがわぬイイ男なんである。この人は唯一、前世でも現世でも変身しても、誰でもそれと分かる「同じ顔」をしているのだ。
と、それは余談だが、いずれにしてもネフライトが前回、マスターを見てすぐに分かったのと、今回とでは事情が違う。そしてネフライトが、うさぎたちを見るなり、それがセーラー戦士であると判別できるような特殊能力を、まだそなえているとは、なかなか考えにくい。かれはベリルによって、四天王としての能力をすべて奪われ、普通の人間として再生したのである。じゃあ、次回だったか次々回だったかで、中途半端に力が戻りかけたような描写があるけど、ありゃ結局なんだったんだと思われる方もいるだろうが、私にだって分からないよ。いちおう考えてはみるつもりだが、分からなかったら、風呂場でルナを見てしまった進悟のように「見なかったこと」にして話を進めるつもりなので、ひとつよろしく。
ともかく、そういうわけだから、ネフライトが、ここでうさぎと亜美を見て、ノーヒントで「あ、こいつらセーラー戦士だ」と気づいたとは考えられない。これが第1の仮説である。
6. ネフライトは知っていた?(仮説2)
しかし、その場で気づけるはずはなくても「ネフライトは前から知っていた」という可能性はある。だいたいダーク・キングダム勢は、だいぶ前からセーラー戦士の正体に気づいている。
まずジェダイト。彼なんか、Act.1でもう知っていたんじゃないだろうか。うさぎの記念すべき初変身シーンを思い出していただきたい。「ムーンプリズムパワー・メイクアップ!」で変身、ここでBパートが終了、コマーシャル。そしてCパートの冒頭では、それを物陰から見ていたジェダイトが「セーラームーン、何者だ?」とつぶやく。間でパートが分かれちゃっているので、ジェダイトが、うさぎが変身するところをズバリ見ていたかどうかは、断言できないが、その可能性は高い。そうだとすれば、ジェダイトは前半で人間姿のときに、娘の親友としてなるのママに挨拶するうさぎを見ているのだから、身元の特定は簡単だ。
また、たとえそうでないとしても、彼は黒木ミオ計画の実行犯であるから、少なくともミオをうさぎの同級生として十番中学に送り込んだ時点では、もうかなりのことを知っていたはずだ。ジェダイトが黒木ミオ計画のことをベリルにほのめかすのは、Act.27である。「それを調べるにはプリンセスに近づく必要があります。この件すべてお任せください」。
次がゾイサイト。彼は初登場のAct.6からセーラーVに目をつけていて、Act.8では、どういうチューニングの仕方か知らないが、セーラーVに「心を合わせ」、その居場所を突き止めてナコナココンテストに妖魔を送っている。あとはストーカーのファンのように美奈子を追い、Act.10のラストで、ロンドン帰りの彼女に攻撃をしかけるのだ。こういう能力があるのだから、いつでもうさぎたちの正体は知ることができたはずだ。Act.35では、美奈子にオルゴールを渡し、後半では、美奈子がうさぎを引き留めている場に姿をあらわし「今はマスターを助けるのが先だ。プリンセスを放せ」と言っている。うさぎがセーラームーンでありプリンセスであることはとっくに承知済みだ。
クンツァイト。Act.13で「シン」としてうさぎと衛に出会い、同じエピソードのラストでは、クンツァイトとして、セーラームーンおよびタキシード仮面の前に姿をあらわす。この時、2人の正体に気づいていたかどうかは分からないが、次のAct.14で洞窟に拉致したうさぎは変身前の姿であった(髪型は違うけど)。そしてタキシード仮面とは「どうやら本当にシンという男は消えたらしいな」「最初からいないのだよ」と会話を交わしているので、少なくともこの段階で、セーラームーンとタキシード仮面の正体は分かっているのだと思う。そしてAct.20では「変身前の」亜美の前に登場する。すでに水野亜美がマーキュリーであることをとっくに知っていた口ぶりである。その「手に入れるならお前がいいと思っていた」というセリフに「オレも」と思った人は少なくないだろう。
要するに四天王の面々は、だいたい話がダーク・マーキュリー篇に入ったころには、セーラー戦士の変身前の姿や身許について、かなりのところまで情報を得ていたはずだ。じゃあどうして、拠点となるクラウンに一回たりとも総攻撃をしかけなかったのか。分かりませ〜ん。きっとクラウンの周囲には、シールドというかバリアというか結界が張られていて、なかなか侵入することができなかったのだ。
ところが肝心のネフライトが、このAct.41まで、というよりも、Act.36で四天王を除名になるまでの間に、うさぎたちの変身前の素顔や身許を知っていたのかどうか、それがはっきりとは分からないのである。
そもそもベリルは、当初ジェダイトにエナジー集め、ネフライトに銀水晶さがしの役割をふっていた。そしてAct.12でセーラーVが、自分がプリンセスで銀水晶の持ち主である、と宣言してから、ネフライトはなんとか銀水晶を奪い取ろうと、ひたすらヴィーナスを追っていたのだ。Act.19の最後にヴィーナスを踏みつけにしたあたりが、彼の四天王人生のピークであろう。しかしそれでも成果は得られず、Act.23で起死回生を計るが、覚醒したマーズにやられて、Act.24でついにベリル様に見捨てられてしまう。とにかくずーっとヴィーナス狙い。あとの4人に対する関心は二の次だった。そんなネフライトが、うさぎや亜美や、まことの素顔を知っていたか、となると、怪しいなあ。
でも、たとえ自分の力では調べがついていなかったとしても、四天王の仲間の誰かから教えてもらっていた可能性はある。そう考えた場合には、彼は今回、クラウンでうさぎと亜美を見た瞬間から、それがセーラー戦士だと気づいてたのだけれど、相手が気づいていないみたいだったので黙っていた、ということになる。これが第2の仮説だ。
ふう。疲れた。検証おわり。
で、私個人としては、どちらかというと第1仮説の「気づかなかった」という方を採るな。ご存知のとおり、四天王はお互いそんなに仲が良くないし、みんなネフライト馬鹿にしてたもん。自分の情報をおいそれと落ちこぼれに横流しして助けてやるなんてこと、しそうにないじゃないですか。ゾイサイトは案外いい奴なので、教えたとすればこいつだと思うが、さあどうだか。
7. 変身が分ける明と闇
ネフライト問題の考察に思わぬ手間がかかってしまった。しかし少なくともあと2点だけは触れておかなければならない。私も疲れたがみなさんもお疲れでしょう。まあ無理はなさらず、よろしかったらおつき合いください。
ひとつはカメラワークだ。佐藤監督は、決めポーズのスローモーション&リピートとか、ご存知ヘリの効果音とか、何か必ずギミックを持ち出すが、今回は、お前は深作欣二か!と言いたくなるくらい(ウソだが)かなり大胆に手持ちカメラによる撮影を導入している。その手持ちカメラ映像は、さっきのクラウンのシーンからすでに見られるが、とくに舞台が「十番児童館」に移ってからの流れのなかで、なかなか見事な効果を発揮している。
夏休みの宿題で何かボランティア活動をしなければならないうさぎたちは、クラウンで待っていたレイに「私たちにできるボランティア、ないかなと思って」と相談する。それで、たぶんレイの紹介で「十番児童館」という保育園というか幼稚園のようなところで、一日子どもたちの面倒を見ることになったのである。ロケ場所は、特撮もので時おり使われている板橋区の「きよみ幼稚園」。参加メンバーは十番中学のうさぎと亜美とまことと、それからなるちゃん。
先 生「さあみんな、今日は中学生のお姉さんたちが、一緒に遊んでくれますよ。ほらショウタ君、部屋のなかで虫捕りしないっ!みんな、今日は新しいお友だちができたと思って、思いっきり遊んでもらってね〜!」
一 同「よろしく〜!」
という具合で、4人はなぜか着ぐるみに着替えて子どもたちの相手をする。うさぎはもちろん、ピンクのうさぎ、亜美は青いペンギン、まことは緑のカメ、そしてなるは、大阪のおばちゃんみたいなヒョウ柄。
以下、今回の話の流れをざっとまとめておく。いまのセリフのなかで先生に怒られていた「ショウタ君」が、いつの間にか虫を捕りに外へ出て行ってしまう。一方、亜美はうさぎの指図で児童館を抜け、クラウンに行って元基を呼び出し、さっき書いたようにそのままクラウンでネフライトのお片づけを手伝う。
うさぎは、新種のカメがいると聞いてやって来た元基と、カメの着ぐるみのまことをくっつけようとするが、あえなく失敗。その時、児童館にショウタ君がいないことが発覚する。うさぎたちが手分けして外に捜しに出ると、街ではメタリアにエナジーを吸い取られた人々がばたばた倒れている。
混乱のなか、まことは街で再び出会った元基と一緒にショウタ君を捜し、川岸で無事保護。虫を捕ろうと木の上にのぼったまま降りられなくなっていたのだ。だがほっとして帰ろうとした三人の前に、エナジーで力を得たメタリアの泥妖魔たちが姿をあらわす。一方、遊園地でショウタ君を捜していたうさぎとなるの前にも、同じく泥妖魔が出現。そしてとうとう、うさぎはなるちゃんを、まことは元基を、襲いかかってくる妖魔から守るために、それぞれの目の前で変身することを余儀なくされる。
このように、今回はまず児童館で、やんちゃな子どもたちと遊ぶうさぎたちのシークエンスがあり、次にショウタ君の失踪騒動と、エナジーを奪われて倒れる街の人々、というふたつの事件が重なって、全体的に慌ただしく物語が進む。それを佐藤監督は、ハンディカメラでスピーディーに追いかけるのだ。そしてその始終ブレ気味に動きまくる画面は、元気いっぱいな子どもたちに振り回されるうさぎたちのドタバタぶりや、いきなり襲いかかってくる泥妖魔との戦いに、活劇的な躍動感を与えている。なるほど、それで手持ちカメラか、とまずは納得する。
しかし徐々に、今回ハンディカメラが使われている理由が、それだけではないことに我々は気づかされる。泥妖魔に襲いかかられ、変身して戦いたいのだが「どうしよう、なるちゃんと一緒じゃ変身できないよ」「今変身したら、元基君に……」心の中でつぶやくうさぎとまことの表情のアップ。それもまた絶えず不安定に動く手持ちカメラで映し出される。つまり「大切な人たちの前で変身する」状況に追い込まれていく彼女たちの揺れる心理が、文字どおり画面の「揺れ」として映像的に表現されてもいるのである。このへんの演出はすばらしいと思う。これでヘリの音さえ入れなきゃねえ。
さらに注目すべきは、まことの変身だ。元基は「まこちゃん、この子連れて逃げて」とショウタ君をまことに託し、泥妖魔に立ち向かっていく。その果敢な姿を見たまことは意を決して「ここに隠れて」とショウタ君を茂みの中に隠すと、泥妖魔にやられて倒れ込んでいる元基の目の前で、ついにセーラージュピターに変身する。ここでBパートが終わってCパート。するとご存知セーラームーン七不思議のひとつで、さっきまで夕方だったのがいきなり夜になっている。そんなに長時間、ショウタ君を放ったらかしでいいのかよ、という心配はあるが、暗闇のなかで炸裂するシュープリームサンダーを効果的に見せるためには仕方がない。
それにこっちは地上派放送ですからね地上放送。この間にちゃんと「きらきら研修医(番組予告)」→「なつめぐ堂(何か若槻千夏の番組の予告)」→「本格芋焼酎 天孫降臨」→「春山のスーツ」→「アーク引っ越しセンター」→「高須クリニック」→「すまいの一番」→「キャベジンS」→「ヒーローズ(格闘技の)」→「マスク(メーカーをメモし損ねた。花粉症対策か)」とCMがたっぷり入っているので、場面がいきなり夜になっていてもそんなに違和感はない。DVDで鑑賞しているとそうは行きませんでしょうなあ(優越感)。
で、ここから先、つまりジュピターが変身してから後、これまで手持ちカメラで動き回っていた画面が、ぴたりと止まるのである。いやまったくの固定画面になるというわけでもないのだが、遙か後方、橋の向こうに強力な光源を据えた暗闇でのアクションは、急にあたりが静まりかえったような印象を与える。その静寂のなか、あっさりシュープリームサンダーで敵を殲滅させ、呆然とした表情の元基を振り向くジュピター。
一方、セーラームーンの方も、手持ちカメラはこの辺でおしまいになるが、短いカット割りとズームやパンを多用しながら、まだまだアクションが続き、画面が静かに落ち着く気配はない。もちろん、こっちの方は泥妖魔が合体して別な妖魔になり、プリンセス・ムーンが覚醒して、大がかりな火薬ボンボン、という展開になるのだから当然といえば当然だが、それにしても対照的である。そしてそのコントラストが、うさぎがなるの前で変身したことと、まことが元基の前で変身したことの意味の違いを、くっきりと際だたせている。ほとんど明と闇を分けたと言ってもいい。
うさぎは、本当はなるの前で変身することを、心の底では望んでいたんだと思う。自分がセーラー戦士になったときから、うさぎは大親友のなるちゃんに隠し事をしなければならなくなった。そのために、亜美となるの対立まで招いてしまった。それはうさぎのような子にとって、とても心苦しいことだったのだ。だって本当は、たとえすべてを打ち明けたところで、決してなるちゃんが、態度を変えてうさぎを避けたり、秘密を言いふらしたりするような子じゃないことは、誰よりもうさぎ自身が分かっているのだから。そんなふうに親友を信じることができるのがうさぎで、その気持ちに応えることができるのがなるで、二人はそういう友情で結ばれているのだ。
だからうさぎにとっては、変身したことがマイナスになっていない。むしろ「これで隠し事はなくなった」という吹っ切れた気持ちが「こうなったら、大好きななるちゃんを絶対に妖魔から守ってみせる」という気迫につながり、アクションをよりシャープにさせている印象すらある。くるくる回って空気投げをしたり、『けっこう仮面』の「おっぴろげジャンプ」とカカト落としを合わせたような、たまらさんだったら何と名づけるのかドキドキするような技を繰り出して、とにかく激しく、勇猛果敢に戦いを挑んでいるのだ。その結果、勢い余ってプリンセス・ムーンの力を再び開放し、なるを傷つける結果になってしまったのではあるが。
一方、まことにとっては、元基の前で変身したことは「終わり」を意味していた。まことは、自分には前世の使命があるから、普通の女の子として、恋なんかしてはいけないと思っている。でもそれは、恋に臆病な自分の心をごまかす言いわけに過ぎなくて、本当はとても元基君に、というか、女の子らしく男の子と恋愛をしたいという気持ちに心を惹かれている。だから、いったん元基の告白を断った後も、彼の前にいると、ほんのちょっとの間だけ戦士でいることを忘れて、恋人同士みたいな気分を味わったりして、そしてとても切ない気分になっていた。
でもそんな疑似恋愛も、もう終わりだ。元基君の前で変身してしまった。私がつきあえない、本当の理由を元基君は知ってしまった。これで元基君も、いままで色んな人がそうだったみたいに、私から離れていくだろう。終わりだ。いつも、最後は一人だ。でもそれが戦士として引き受けなければならない運命なんだ。
まことにとって、元基の前で変身したことは、最後の淡い恋心への、完全な決別を意味している。変身した後のジュピターは、その深い喪失感のなかで戦っている。だから今回のジュピターの戦いは、セーラームーンとは対照的に、とてもやるせなく、もの悲しい。具体的に言うと、セーラームーンが泥妖魔を倒しに自分から打って出るのとは逆に、ジュピターは、泥妖魔の攻撃をいなして、かわしている。回転したりパンチを出したりしているが、それはすべて基本的に、攻めの攻撃ではなく、襲ってくる泥妖魔に対する受身の攻撃になっている。そして最後に、ほとんど仕方なく、といった感じで伝家の宝刀シュープリームサンダーを放ち、一気に殲滅するのである。
明と暗とに分かれた二人の戦士の感情の流れが、両者の変身後のアクションの変化によって、鮮やかに画面に映し出されている。いろいろ言われる佐藤監督だが、やっぱり素晴らしいよ。
8. パパは何でも知っている
そんなわけで、このAct.41は、まことが元基の告白を拒絶したあのAct.31に続くエピソードであり、今回の変身によって、まこと=ジュピターはより一層、孤独の淵に追い詰められる。Act.31も観るのが辛い話であったが、今回はまたそれに輪をかけていたたまれない、ように思うのだが、ところが全体を観おわった感想を言うと、案外そうでもないんだな。不思議とAct.31のようなやりきれなさはない。
どうしてか。それはいま書いた泥妖魔とのバトルに入る直前の、まことと元基の、心温まるシーンがあるからだと思う。さあようやく今回の最後のポイントだ。このAct.41のなかで、私がいちばん好きな場面でもある。おつき合いいただいた皆様も、ほんとうにお疲れ様です。
いつの間にか児童館を抜け出したショウタ君は、結局、川岸の雑木林の木の上にいた。虫を捕ろうと木に登ったのはいいものの、降りられなくなってしまったのだ。それを見つけた元基はショウタ君を身体を張って助けてくれる。一緒にいたまことは、やれやれとうさぎに電話して、ショウタ君が見つかったことを告げる。その傍らで、元基は泣いているショウタ君をあやし、肩車して、一緒に「♪も〜しも〜しカ〜メよ〜」と歌っている。
テレティアを切ったまことは、沈んだ表情でそんな「いい人」の元基をしばらく見つめているが、元基と目があって、近づいていく。
元 基「よいしょ(ショウタ君を肩から降ろして)まこちゃん、帰ろうか」
まこと「うん……あ、ちょっと」
まこと、ハンカチを出して、元基の顔の汗を拭いてあげる。
元 基「ありがと」
まこと「いまの歌、お父さんが歌ってくれたことあるよ」
元 基「本当!もしかしてカメ好き?」
まこと「じゃなかったと思うけど」
元基「だよね、へへへ。……やばいなぁ。何か、期待もっちゃいそう」
切なそうな表情のまことのアップに、うさぎの声が重なる。
うさぎのM「独りでいいなんて、まこちゃんだって思ってるはずないよ」
何度目のときだったか、この場面をDVDで観ていて、私はあっと思った。そういうことだったのか。何で、いままで気づかなかったんだろう。
長いこと、私はなぜ、実写版の元基が「カメ愛好家」という設定にされたのか、その理由がよく分からなかった。だから、単にウサギとカメという語呂合わせからの連想で、クラウンにカメを置くことになり、だったら飼い主は元基だ、なんていうくらいの、わりと適当なノリと思いつきで決まった話なのかな、とも思っていた。あえて意味づけするならば、善人で無害ではあるがやや鈍感、という元基のキャラクターを象徴するのがカメ、つまりカメは元基のことだと思っていたのだ。
実際、発想の原点はそんなところだろう。そしてAct.7の、元基とうさぎの勘違いデートで「うさぎとカメ、やっぱ運命かも」というダジャレ(ではないか)をやって、それから後のカメ吉は、シン(クンツァイト)とうさぎたちの出会いとか、いろんな場面でコミカルな息抜きを提供するアクセサリーになった。
でもある時このシーンを観ていて、ふと「なんで、もしもしカメよの歌をまことのお父さんが歌っていた、なんて話がここに出てくるのかな」なんて思った。そしたらセリフの中の情景が頭の中にぱっと浮かんだ。そうだよ、お父さんは幼い自分の娘がどんな子か、そしてこれからどんな子になるか、分かっていたんだ。
まことは健康で元気で、運動神経も良さそうだし、自分をしっかりもっている子だ。そして、そのせいで誤解を受けるかも知れないが、実は内面は意外とおっとりしていて、心の成長も人より遅い。きっと恋愛なんてものすごく奥手で、恋人なんかなかなか出来ないだろう。でもそれで良い。あせらず、ゆっくり、自分のペースで育ってくれればいい。お前はまったく世界一、歩みののろいカメだね。お父さんはそんな気持ちで、まことに愛情をこめて「もしもしカメよ」って歌ったのである。そして確かにまことは、今はなきお父さんが予想したとおりの子になった。
まことは、一人暮らしもきちんとこなし、外見はとてもしっかり者にみえるけれど、ほかの戦士たちと違って、うさぎの手助けなしではセーラー戦士に変身することもできなかった。そして戦士となってからも、覚醒に人一倍時間がかかったし、さらに覚醒してからも、自分がなぜ覚醒できたのか、その本当の理由に、直ぐには気づくことができなかった。とにかく何事につけてもめざめが遅くて、とりわけ自分自身の恋愛となると、すぐに「ありえないって」と甲羅の中にとじこもってしまう。そんな臆病で「歩みののろい」緑の戦士が、セーラージュピター、木野まことだ。カメっていうのは、元基ではなく、まことのことだったんだ。だから今回、まことはカメのコスプレをしていた。そしてそのまことを「発見」した元基が、今ここで、パパの歌っていたあの歌を、まことの前で歌っている。これはそういうシチュエーションなのだ。
そう考えると、元基がなぜカメ愛好家なのかも、分かってくる。ここで元基は、いったんは振られたはずなのに「やばいなぁ。何か、期待もっちゃいそう」なんて思わせぶりなことを言っている。元基はだいぶ、まことが分かってきたのである。Act.31で、あんなにきっぱりと自分を振ったのも、嫌われているというよりも、まだまことの側に、そんな恋愛なんていうことに対して、心の準備がぜんぜん出来ていなかったからだ。まこちゃんはそのくらい純情で、背はおっきいけど、まだ子供なんだ。
だからすぐ「絶対ダメだと思う」なんて決めつけなくていい。急がなくてもいい。本当にきちんと考えて、結論を出せるようになるまで、ゆっくり歩んでほしい。それまで待っているから。そんな感じなのではないだろうか。そして待つことに関して、これほど気の長い男もいない。彼は「世界一、歩みののろいもの」をこよなく愛しているのだ。
「Special Act」は、本編の物語が終わってから4年後の話だった。それが、まことの心が成熟し、ようやく素直に元基の言葉を受け入れられるようになるまでにかかった時間だ。その時まで、いらだちもせず、まことを優しく見守りながら、待って待って待ち続け、改めてアタックをかけられる、度量の広い男が元基である。そんな男に巡り会うことが出来て、やはりまこちゃんは幸せだよ。
もちろん今回は、さっきも触れたように、この直後に泥妖魔が出現し、まことはセーラージュピターに変身し、揺れる心を再び封印する。また甲羅の中にこもってしまう。ひとまずは淋しい結末だ。でもこの挿話があるおかげで、Act.41は、観おわった後に哀しみばかりが残ったAct.31とは、だいぶ印象が違う。二人の物語には、まだ続きがあるな、という予感がはっきりとこちらに伝わり、ほっとするのだ。それは、目の前でいきなり変身されようが、それでまことに対する見方が変わってしまうような、元基はそんなやわな男じゃないよ、ということを、我々が確信しているからだ。古幡元基がまことを救い、我々を癒す。そしてうさぎも、大阪なるに救われる。戦士が隣人たちを敵から守り、隣人たちが戦士の心を救済する。今回と次回は、そういう話だ。
【今週の猫CG】【今週の待ちなさい】なし
(放送データ「Act.41」2004年7月24日初放送 脚本:小林靖子/監督:佐藤健光/撮影:上林秀樹)