実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第70回】男と女のいる廊下の巻


 理由は書かなくてもだいたいお察しいただけると思うが、前に腱鞘炎をやった手首がふたたび疼きだしたので、今回は短く小ネタでまとめます。内容も、少し前に書きかけてボツにした日記の再利用。なお、浜千咲問題に関しては、当方はしばらく動かず、しばらく状況を静観する構えである。ていうか動きようもない。ただひとつだけ言っておきたい。
 もうだいぶ以前の話だが、加勢大周という人が事務所を移った時、元のプロダクションの社長が芸名を返せとか言い出して、揉めに揉めたあげく「新加勢大周」がデビューするなんて冗談みたいな事態にまで発展したことがある。とっておきの芸名をつけて、手塩にかけて育てた側の気持ちを思えば、分からなくもない。がしかし、それでも頼みたい。我々の知っている浜千咲がセーラームーンで終わったのなら、惜しい名前かも知れないが、もう永久欠番にしてやって欲しい。お願いだから「二代目浜千咲」や「新浜千咲」をデビューさせるのだけは止めて欲しい。

 

 さて先日MC-K3さんのところで、『その時はかれによろしく』の公式HPができたことを知った。で、見にいってみると、トップが長澤まさみ・山田孝之・塚本高史、その下に国仲涼子・北川景子・黄川田将也・本多力という面々が続く。北川さんと黄川田くんの名前が、また仲良く並んでいる。北川さんのパートは、もう撮影が終わっちゃったようですね。
 それで思い出したのだけれど、以前『Dear Friends』の出演者が決まったとき、私は「北川景子と黄川田将也、初の共演!!の巻」というタイトルで、日記を書きかけたのである。でも書いている途中で、この2人は実写版のAct.7で共演していることに気づいて、その日記はボツにした。うっかりしていた。実にうっかりしていた。恥ずかしいことだ。
 ただ、後で改めてAct.7を観てみたら、北川景子と黄川田将也が同じ画面に映っているシーンはほとんどない。東京ドームシティの遊園地、うさぎとまことに呼び出されたレイはご機嫌ななめで「どうして私まで?」とつっかかる。そこに衛が出てきて今度はうさぎと衝突、さらに不穏なムードが高まりかけたところへ、元基が「あれ、うさぎちゃんたち衛のこと知ってたの?」と登場。ここで初めて、レイと元基はひとつの画面におさまる。でもその後、うさぎが元基、まことが衛とペアになった後は、レイはもっぱら、しゃっくりのとまらない「カメ愛好仲間の高井君」の面倒をみて、さらに高井君に取り憑いた妖魔に不意をつかれて襲われて、物語の本筋にはぜんぜん絡んでこない。で、最後の方で、鏡の間で気分を悪くして、ぐったりしている元基を遠目に「え、彼がタキシード仮面と思ってたの?まったく、くだらない勘違いでいい迷惑だわ」とうさぎにぼやき、「くだらないってことはないだろ」と怒るまこととにらみ合う。これだけだ。2人が同時に映る場面は、実質3、4カットしかなかった。
 だから「事実上の初共演」と言い張っても、あながちでたらめではないと思うのだが、やはりこれは言いわけだ。それに、この日記を書いていて、ほかにもいろいろ思い違いをしていることに気づいたりして、人間の(というか「私の」)記憶なんてあてにならないものだな、と思い知った。というわけで、ちょっとみなさんにお尋ねしたい。みなさんは Act.7以外で、北川さんと黄川田くんが「共演」しているシーンを覚えておられるだろうか。もしご存知だったら、ぜひコメント欄でご指摘ください。私の記憶では、ない。実写版には、火野レイが「こんにちは」とクラウンに入って来て、元基に年間パスポートを見せて、奥に入って行く、というシーンがひとつもない。レイはいつも、うさぎたちが来たときにはすでにカラオケルームにいるか、うさぎたちがいるところへ、ドアを開けて階段を降りて入って来るか、あるいは階段を上っていってドアを開けて出て行くか、それだけだ。その前後、クラウンの入り口カウンターから、あの秘密のカラオケルームに続く細長い廊下のような空間に、火野レイがいたのを見かけた記憶が、私にはない。
 うさぎや亜美やまことが、何度もあの廊下を出入りしていることについては、改めて指摘するまでもないだろう。ルナはAct.29で、喜々として元基に年間パスポートを見せつける「はい、これ、ちゃ〜んともってるの」「だからね、ちっちゃい子だけだと入れないの。パパかママが一緒じゃないと」「ちっちゃくないもん」「え、ちっちゃいじゃん」「ちっちゃくない」。そしてAct.44、亜美の手作りクッキーを「まずい!まずい!」とネフライトがほおばる間に、帽子を目深にかぶって顔を隠し、しかしパスポートはしっかり見せてさっと奥へ入っていく見覚えある少女「え!今の…」もちろん愛野美奈子だ。
 美奈子だって一度はきちんと元基の前を通過してクラウンに入っている。なのに私には、レイがここを通り過る光景を見た覚えがないのだ。そればかりではない。Act.23で、レイは「マーズれい子」として歌うためにひとりカラオケで特訓する。でも上手く行かないので、仕方なくうさぎに助けを求める。喜んで駆けつけたうさぎが、クラウンに入って「はい!」とパスポートを見せても、そこに元基はいなくて、カメ吉が水槽からひょいと首を伸ばす。Act.34のレイはパパを逃れて、亜美とクラウンに泊まる。そのとき元基の相手をするのはまことだ。まるで元基とレイが接触するのをまことが防いでいるようですらある。というか防いでいるのは小林靖子だ。台本には書いてあるのに、すべての監督たちが示し合わせてそういうシーンはことごとく削除した、とは考えにくいからね。
 なぜ小林靖子は、レイが元基のいるクラウンのカウンターを通り抜ける、という何でもない描写を、まったく(ではないかも知れないが)書かなかったのだろう。別に理由はひとつとは限らない。私は、だいたい以下のような諸事情が重なった結果ではないかと思うのだ。

(1)レイちゃんはカラオケ嫌いだから「カラオケやりに来ました」みたいな感じで入っていくのはちょっと変。
(2)レイちゃんは一匹狼だから「友だちと楽しむのよ」みたいな感じでパスポートを見せるのはちょっと変。
(3)後半でネフライトがクラウンの住み込み従業員になる予定が最初から決まっていたから。
(4)レイちゃんは巫女で、男嫌いだから。
(5)レイちゃんにとってクラウンのカラオケルームは、実はとても大事な安息の場所だから。

 (1)と(2)については、レイのキャラクターを配慮してということだ。まあそのまんまというか、説明は不要だろう。(3)と(4)と(5)についてちょっと解説しておく。
(3)はあれだ。レイが普通にクラウンのカウンターを出入りしている描写が前半からあると、後半でどうしてもネフリンと顔を合わさなければならない。でもそうしたら、勘のいいレイがネフリンの正体に気づかないというのもちょっとおかしな話になる。それで最初から伏せておいた、という解釈だ。でもそんなことまで最初から考えていたかどうか、私も半信半疑です。
(4)「レイは巫女で男嫌いだから」クラウンのカウンターと、あの細長い廊下は、Act.7でうさぎと元基がデートの約束をした場所であり、Act.14で衛がうさぎを背負った場所であり、Act.15でその話を聞いてドキドキしたうさぎを見て、なるがうさぎと衛のデートを思いついた場所であり、Act.19でまことが元基にマフラーをプレゼントした場所であり、Act.25で陽菜が、衛の気持ちが自分から離れていることに気づいた場所であり、ああもうキリがないや、カメファイターもネフリンと亜美も、要するに実写版における恋愛ドラマはだいたいこの狭い空間で動くのである。元基は自分自身の恋愛のみならず、そのすべてに何らかのかたちで関わっている恋の仲介者と言ってもいい。そしてレイは言うまでもなく男嫌いだ。彼女は内面的には一種のファザコンで、男を恋愛の対象とすること自体をいまはまだ完全に拒絶している。そしてそれが、神に仕える純潔な巫女という外面と表裏一体になっている。レイがこの空間を行ったり来たりすると、その純潔な処女性がどうしても汚されてしまう。だから実写版における恋愛の司祭者たる元基とは、引き離しておかなければいけない、だいたいそういう意味です。
(5)「レイにとってクラウンは大事な安息の場所だから」うさぎはセーラー戦士になる前から、なるちゃんたちとクラウンに出入りしていた。うさぎにとっては、クラウンは初めから、学校帰りの遊び場所のひとつだ。そして亜美やまことにとっても、そこは放課後の集合場所だ。要するに学校の帰り路とつながった空間である。特に亜美にとって、うさぎの存在は「同じ戦士である」こと以上に「初めてできたクラスの友だちである」という意味の方がおおきい。クラウンは、そんな仲良しの友だちと、帰りに寄って、いろんな話や相談ができる場所なのだ。しかしレイにとってはどうか。レイももちろん、ときどき制服姿でいるから、事実としては放課後にクラウンに寄っているのだろう。でもレイにとってのクラウンって、なんだかうさぎたちと同じ意味での「みんなで集まる場所」とは違うような気がするのだ。そしてそういう印象を与える理由として「レイがクラウンのカウンターを通る場面がぜんぜん(あるいはほとんど)画面に映されない」ことがあるように思える。
 そもそもレイが自分の学校で、自分のクラスでどんなふうに日常を送っているのか、という光景は、実写版ではひとつも描かれない。もっともこれはレイばかりではなく、美奈子も同様だ。まことだって、廊下を歩いているシーンぐらいしか映らないし、要するに実写版では、具体的な学校生活の風景は、うさぎのクラスに関してしか出てこない。けれどもそこに「カウンターを通らないレイ」というイメージが加わることによって相乗効果が生まれる。つまり、うさぎや亜美や、あるいはまことにとっては「学校帰りの集合場所」であるクラウンが、レイにとっては、もっともっと現実世界からきっぱり隔絶した、シェルターみたいな場所ではないかと思えてしまうのだ。
 レイが学校で、戦士とは別に、うちとけた親友をもっているようにはとても見えない。学校はレイにとって、仮面をかぶってやり過ごす空間なのだろう。そして神社も、多くの人々が参拝する開かれた公の場で、レイはそこで巫女として過ごしている。そしてそこは、いつ不意に、パパからの使いが黒塗りの車で駆けつけて来るかも分からない、心落ち着かない場でもある。Act.31でレイのテレティアの変身機能には、婦警さんとか消防士とかの「制服」しかメモリーされていないことが明らかになる。「役に立ちそうなもの以外いれてないの」とレイはうそぶくが、ほんとうは、常に「制服」をまとい、世界のすべてに対して、自分を防護せずにはいられないということなのではないだろうか。
 そう考えると、戦士たちの中で、外界から隔離され、自分を保護してくれるような空間、制服を脱いで、自分が素直な自分になれる空間を誰よりも求めていて、だからクラウンに誰よりも安らぎを感じていたのは、実はレイなのかも知れない、と思えてくる。Act.10で、うさぎを見るなり家出してきたことを見抜いて、ちょっとためらいながらも、ついつい引き取ってやったのはレイだった。そしてAct.34では、今度はレイ自身がさっさと大きなバッグをしょってやって来て、クラウンに籠城を決め込んでいる。一直線にクラウンに避難してきたのだ。それは、亜美が手提げひとつで、さんざんさまよったあげく、夜遅くにようやくクラウンに辿り着いた、という感じだったのとは対照的だ。マーズれい子が「ここでなら少しだけは/素直になれるかもね」と歌っていたのは、クラウンのことであるような気がしてならない。
 

 まあそんな理由で、北川景子と黄川田将也は実写版でほとんど接する機会がなかったのだと、私は勝手に推測しています。そして2人は実写版が終わった3年後の『Dear Friends』で、リナと洋介として転生し、それはそれは激しく共演されているようなのですが、私は原作は読んだが映画はまだ観ていないのであります。すみません。