実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第68回】Act.40台本比較(落ち穂拾い篇)の巻(Act.40)


 今回はいよいよAct.40ですが、実はいま、私の手許にはその撮影台本があるんだな。M14さんからお送りいただいたのだ。M14さんは先日のオークションで、まあ全体的にはまずまずの落札価格で、新しく何冊かの台本を入手された。で、お祝いのメールを送ったら「今まで日記のネタにした台本、いる?」という返事がきた。もちろん私の答えは「いる!」だ。そしたらすぐにドーンと送られてきた。しかも「もう用済みだし、別に返さなくてもいいですよ」とおっしゃる。こちらは郵送料すら払っていない。
 あつかましい奴、と言われそうだ。実際あつかましい。でも実はM14さんって、読み終えた書籍に対して容赦なくこんなことをされるアブナイ方でもあるのだ。もちろん御本人が身銭を切って落札されたものだから、捨てようが三枚に下ろそうが誰にも文句は言えない。言えないがしかし、貴重な資料があまりにももったいない。だったら私が引き取ろう。いやもう喜んで。
 そんなわけで、『M14の追憶』で過去に取り上げられた台本は、現在は私のところに保管されております。ざっと目を通してみましたが、やはり火野レイが印象的だ。戦士たちが集団で何かする場面のト書きに、さりげなく「マーズたち」と書かれていたりして、チームとしてのセーラー戦士たちのカナメはやはりマーズだ、ということがよく分かる。だからこれらの台本は、10年ぐらい後に、D.Sさんが北川景子記念館を建てて初代館長に就任されたとき、展示品として寄贈します。その時はNakoさんも見学に来てください。
 ともかく、そのNakoさんにもDVDプレゼントしちゃうし、M14さんって良い人だ。Nakoさんはあからさまに副賞の方を楽しみにしておられたが、そんなこと言わずに、ハードに『Dear Friends』を鑑賞した後は、『マスター・オブ・サンダー』で思い切り脱力しよう。つまりこれは温水と冷水を交互に浴びるようなもので、美容に良いはずだ(『あるある大事典』調べ)。
 冗談もほどほどにして、ともかくそんなわけで今回は、実写版台本のリサイクル篇である。いやリサイクルではなくリユースか。要するに『M14の追憶』「http://m14.hatenablog.com/search?q=検証・これが実写版の台本だ!%e2%88%92act40"検証・これが実写版の台本だ!−act40」に指摘されていない落ちこぼれネタを拾い集めてみよう、という企画です。はたしてタダでもらった残り物に福はあるのか?

1. うさぎのM「私が、守らなきゃ」


 2007年2月14日(水)深夜2時15分、Act.40再放送開始である。やった!2時15分だ。『どろろ』のCMもなくなった。いや、別に『どろろ』に恨みはないのだが。
 さて前回Act.39のレビューでは、最も感動的な「進悟、進悟を助けて!止まって……お願い」というあたりのエピソードについて、まったく触れないまま終わってしまった。しかし言うまでもなく、シリーズ全体の流れから見れば、やはりここが前回のハイライトである。今回の台本のアヴァン・タイトルも、十分にそのことを意識している。
 放送されたバージョンのアヴァンは、ホテルの一室で、美奈子がアルテミスに引退宣言する前回のラストカットからそのまま続いている感じになっているが、台本のAct.40「シーン1」は、うさぎのナレーションによる回想なのだ。「クイン・ベリルに掴まっていた衛が、私を襲ってきたの。最初はどうしてかわかんなかったけど、すごい大切な事教えてくれたんだ……」
 エンディミオンと戦うセーラームーン。ムーンフェイズの時計にヒビが入り、セーラームーンの全身からまた光が放たれる。エンディミオンは叫ぶ「落ち着け、力を止めろ、お前が止めるんだ!うさぎ!」。
 進悟のことを思い出し、必死で銀水晶の暴走を止めたセーラームーンは、ほっとしてへたりこむ。エンディミオンは、そんな彼女をいたわるように、しかし厳しく言う「うさぎ、俺は、もしもの時には本気でお前と戦う。俺達にはそれぐらいの覚悟が必要なんだ。星を、滅ぼさないために」
 危機一髪だった進悟のところに駆けつけて、無事を確認したうさぎ。その胸に、エンディミオンの声がもう一度よみがえる「お前が信じるのは俺じゃない、お前だ……いつかきっと、一緒にいられる日がくるから」。うさぎは進悟を見つめて、心のなかでつぶやく「私が、守らなきゃいけないんだ」。と、台本ではここまでの回想がアヴァンの冒頭に来る。美奈子の引退宣言はその次だ。
 この、前回から繰り返される「私が、守らなきゃ」というフレーズ、そしてエンディミオンとの誓いが、これからずっと、うさぎの心の中に流れ続ける。みんなとはしゃいでいるときも、戦士として戦っているときも、うさぎは心の底で、ずっとそのプレッシャーと戦い続けている。そのことが、台本でさりげなく暗示されているのだが、これについては最後にまた触れたい。
 ただ、衛は「お前が信じるのは俺じゃない、お前だ」と言い、うさぎに強い心をもってもらうための試練として、Act.39の最初で敵対宣言までしたわけだが、やはりうさぎは、本当にひとりでは力を抑えることができなかった。「落ち着け、力を止めろ、お前が止めるんだ!うさぎ!」というエンディミオンの言葉がなければ、たぶん無理だったろう。衛という心の支えは、どうしても必要だったのだ。だから、とことん敵対するつもりだった衛も、最後に自分の真意を語らざるを得なかった。Act.39だけを見れば、それでうさぎもひとまず納得し、衛を信頼する気持ちを取り戻して、やれやれ、ということになったわけだが、長い目で見れば、ここでエンディミオンが非情に徹しきれなかった、という事実が、やがて訪れる最後の悲劇を予告してもいる。エンディミオン=衛を失ったとき、うさぎの「自分を信じる」気持ちも折れてしまうのである。

2. 「奥さん、そりゃないでしょう」(鈴村展弘)


 考えてみると、前回と今回は物語の構造がほとんど同じだ。前回は(1)エンディミオンが四天王サイドにつき、セーラームーンに宣戦布告をして、(2)それから齋藤社長の主婦ドキュメンタリーがあって、(3)最後にセーラームーンがエンディミオンへの信頼を取り戻す。今回は(1)齋藤社長がマーズれい子の肩を持ち、今後の仕事は彼女に回すと美奈子に宣言する、(2)それから新曲争奪バトル大会の収録があって、(3)最後に齋藤社長が妙なリズムを取りながら美奈子のレコーディングに聴き入り、美奈子はブースから社長に手を振る。

(1)信頼を寄せていた相手から試練を与えられる主人公
(2)齋藤社長の常識ではありえない番組制作
(3)主人公は信頼する人との絆を回復する

 という同じパターンの反復だ。しかし(2)の部分について言えば、前回の月野育子の森林公園アスレチックドキュメンタリーはいかにもムリヤリで浮いているが、今回の新曲争奪バトル番組は、物語の展開にうまく組み込まれている。そのへんの事情を考えると、前回、なぜうさぎママのあんな変てこりんなドキュメンタリーのエピソードが割り込んできたのか、その意図がおぼろげながら見えてくる気もする。つまりAct.39の「月野育子の主婦レポーター」という仕掛けは、今回の展開に対する伏線というか、言い訳づくりなのかも知れない。
 冷静に考えれば、Act.40のプロットもかなりむちゃくちゃである。確かにこれまでエピソードに芸能界が絡むと、「マーズれい子、病院でミニコンサート」(Act.23)といい、「ミオとうさぎ、美奈子シークレットライブを企画」(Act.30)といい、「うさぎ、ロンドンに行きたい一心で人気アイドルのユウトの付き人になる」(Act.32)といい、いずれ劣らぬ「ありえねー」話ではあった。だが、美奈子シークレットライブや、ユウトの付き人になってロンドンに行くなんていう話は、とことんバカな純真なうさぎだったから信じてしまっただけで、やはり物語の世界でも、普通なら「あり得ない話」だったんだ、というオチがついている。
 一方、Act.23の「デビューしたての新人歌手が、とつぜん病院でコンサートを行う」という展開もかなり無理はある。しかし愛野美奈子が定期的に行っている慰問コンサートのオマケということで、まあなんとか納得できる。しようよ。ともかくそれに較べると、今回のマーズれい子のエピソードは規模が違う。病院コンサートは1回ぽっきりだったけど、今回はもう本格的なデビューに向けてにスタジオに入って、スタッフもいて、本物のモデルみたいに(本物なんだけど)写真撮影をしているのである。ありえなさのスケールがでかすぎる。さらには、その新人歌手と、トップアイドルの美奈子と、あとはただの素人で、番組が制作されるというのだ。
 しかし我々はAct.40を初めて観たときも「まあこのくらいあり得ない話なら、今までにもあったもんな」とけっこう納得していた。そうじゃないですかみなさん。それはもちろん、戦士が全員そろう、(そしてタンクトップを着る、)そしてはしゃぐ、という魅力的なシチュエーションを作ってくれるんだったら、もうどんな無理だってついて行くよ、というこちらの弱味につけ込まれたということもある。しかしその一方で、あまりに唐突な話を1週間前に観たばかりなので、免疫ができていたせいもあったのではないかと、改めて思ったのである。
 ちょっとM14さんの検証の(その7)をご覧いただきたい。マーズれい子登場に、最初は「関係ない、私はどうせやめるんだし」と言っていた美奈子が、新曲も彼女に回そうとしている社長に対してむかっ腹をたて、ついに「私が歌うわ。マーズよりいいものになるわよ。絶対」と反撃に出る場面だ。「出たわね、負けず嫌いが」
 レイは「そこまで言うなら、勝負して決めてもいいわよ」と迎えうつ。ここで、放映では切られているが、台本では社長が「ちょっと、それいいじゃない!新曲の争奪戦なんて面白いわー。番組になるわよ、どっかに持ち込みましょ」と携帯を取り出すのである。そして次が月野家の居間、うさぎが携帯を手に立ち上がって「え、美奈子ちゃんと!?行く!すぐ行く!うん、みんな連れてく」と叫ぶ場面なのだ。まるで齋藤社長がバトルのメンバーを集めるために、先週会ったばかりの、美奈子ファンで旧友の娘であるうさぎにダイレクトに電話をかけたんじゃないか、と思ってしまうつなぎ方である。
 でもそれは不自然なので、やはり齋藤社長は収録スタジオを押さえるためにすぐさま電話をかけ、一方でレイがテレティアでうさぎに呼び出しをかけたと考えるべきなのだろう。でも社長からうさぎへ、というカットつなぎは、先週の出来事を連想せずにはいられない。
 さらに、うさぎが「みんな連れてく」と猫ルナを抱えて飛び出したあとに、残されたママは一人で鏡を観ながら「何でレポーターの話ダメになっちゃったのかしらねえ……菅生ちゃんのビデオが失敗ね」とぼやく、これはもうはっきりと視聴者に前回のエピソードを想起させるためのセリフだ。
 つまりこのシーンつなぎは、「新曲の争奪戦」→「番組になる」という展開のムリヤリ感をカムフラージュするために、前回のエピソードを視聴者に思い出させようとしているのではないか。「そういえば先週は、いきなり月野育子が社長の旧友で、主婦レポーターに抜擢され、しかも今アメリカに行っているプロデューサーのために、テストビデオを撮る、なんて話だったなあ。そうだ、あのむちゃくちゃな話に較べれば、今回なんてぜんぜんアリだよ。何しろ戦士がみんな揃うんだもん」と思いこませようというわけだ。
 そんなふうに、前回Act.39というのは、今回の無理やりなプロットをすんなり見せるために、あえて同じパターンを踏んだ、いわば捨てゴマかも知れない、という見方もできるんじゃないだろうか。

3. ジェダイト増尾の思春期お悩み相談室


 一方、四天王側では、悩める思春期少年ジェダイトの物語と、人間となったネフ吉の物語が動き出す。まずジェダイト。ベリルに召喚され、複雑な表情のままベリルの前にひざまづく。「おお、ジェダイト、よくぞ参った。お前のわらわへの忠誠、些細なことで揺らぐものではあるまい?」。ジェダイトの表情は苦しげだ。ベリルの術で自らに剣を向けさせられた時のことを回想している。で、その次に、放送ではカットされたセリフがある。台本から引用です。

ベ リ ル「例え、マスター・エンディミオンを思い出そうとも、わらわを忘れられぬのであろう?」
ジェダイト「はい……、自分でも、不思議なほど……」
ベ リ ル「(満足げに)エンディミオンの事、託せるのはお前だけだ」
ジェダイト「……」

 最初のベリルとジェダイトのやりとりが、放送には出てきませんね。これも実に興味深い。まず「例え、マスター・エンディミオンを思い出そうとも…」というベリルのセリフと「はい」というジェダイト。Act.32の長〜いアヴァン「これは何の集会だ?」の時には、ジェダイトは、「前世?前世とは何だ?」と頭をかかえていた。しかしこのカットされたセリフで、ジェダイトがすでに、自分がもともと誰の家来であったかを、すでに思い出していることが明らかにされる。
 一方、ネフライトも、同じAct.32では衛に向かって「お前がマスター…エンディミオン」とつぶやき、必死で前世を思い出そうとしていたが、今回のクラウンのシーンで衛と再開したときは「マスター、俺をダーク・キングダムに連れて行ってくれ!頼む!」と言っている。この「マスター」という呼び方は明らかに、彼もまた前世の記憶を取り戻していることを暗示していると思う。しかし2人の記憶はいつ戻ったのだろう。やっぱりAct.36のラストで、忠誠を誓ったベリルに裏切られたショックがきっかけなのだろうな。
 ベリルも凄い「例え、マスター・エンディミオンを思い出そうとも、わらわを忘れられぬのであろう?」だよ。翻訳すれば「坊や、この菱形の誘惑に耐えられて?私は学園祭の女王、杉本彩」という意味だ。違うかな。とにかくベリルは、このジェダイトなら、自分の思うままにできる、とナメきっている。そして画面のなかのジェダイトは、確かにまだその妖艶な色香に惑わされているだけのように見える。これは増尾君の演技力のせいか舞原監督の演出プランか。しかし台本のジェダイトは、苦悩しながらも「はい……、自分でも、不思議なほど……」と答えているのだ。ジェダイトの胸のうちでは、純情で一徹な愛情が芽生えはじめているのだろう。
 ジェダイトは、ベリルを愛している。ベリル様をボクのものにしたい。しかも彼は、ベリルの真意をすでにさとっている。ベリル様はボクの本当のご主人、エンディミオン様に夢中。ボクのことなんかただの坊やだと思っている。これが計算高い大人だったら、エンディミオンを応援して、プリンセスとエンディミオンをくっつけようとするよね。それで、小娘にエンディミオンをとられて傷心のベリル様をなぐさめ、取り入って、だんだんとこっちを向かせよう、とか。でも純情な思春期少年ジェダイトにはそれができないんだよ。
 ベリル様はマジでマスターを愛している。マスターを振り向かせるためなら、ボクらの命すら惜しまない。とても辛い。でもマスターを見つめるベリル様はほんとうに美しい。そんな美しいベリル様を、ボクは好きになってしまったんだ。だからベリル様に忠誠をつくそう、ボクではない別の男をベリル様が手に入れるために、何でもしよう。それがベリル様の望みならば。彼は引き裂かれるような思いのなかで、そう決意したのである。その純情な思いが、最後の最後にはベリルの胸を打つのだ。美少女ばかりに目が行くが、思春期の少年というのも、それはそれで美しいよ。自分のことさえ思い出さないようにすれば。
 そういえば、クンツァイトやゾイサイトも、ベリルの狙いが何よりもエンディミオンであることを、とっくに知っている素振りをしばしば見せている。ということはつまり四天王は、前世で貧しい身なりの女ベリルが、地球の王子に恋い焦がれていたことを知っていた、ということなのだろう。ベリルは初めのころ、四天王が前世の記憶を取り戻すことをひどく怖れていたが、それはひょっとすると、そんな惨めだったころの自分を思い出されたくなかったから、ではないだろうか。

4. ジョンとポール、猪木と馬場、ゾイサイトとクンツァイト


 さて今のジェダイトとベリルの対話の次のシーン、これがまた、放送ではまるごとカットされている。シーン7、ダーク・キングダム、ゾイサイトの部屋。これもなかなか面白いんだ。全文を採録しておく。

    ピアノを弾いているゾイサイト。
    壁際にいるクンツァイト。
クンツァイト「何をしている」
 ゾイサイト「ネフライトが無事なら居場所を知りたいと、マスターが」
クンツァイト「ご苦労な事だ」
 ゾイサイト「……意外だな」
クンツァイト「何がだ。マスターの甘い所は昔通りだ」
 ゾイサイト「お前の事だ。マスターとの賭けを律儀に守るつもりとは」
     ×    ×    ×
    回想。
  衛   「もし俺がお前に勝ったら、しばらく俺に協力してもらう」
     ×    ×    ×
クンツァイト「……奴が何をするのか興味がある。それだけだ」
 ゾイサイト「……」

 最初が「何をしている」「ネフライトが無事なら居場所を知りたいと、マスターが」という対話。つまり衛や四天王は、ネフライトが死んでいないことを知っている。そこでゾイサイトはピアノを弾きながら、心を「飛ばし」て、ネフライトの居場所を捜しているらしいのである。で、クラウンで住み込みのバイトをしているネフ吉を見つけ出し、マスターに告げたのだろう。これで、衛がネフ吉と再会するシーンの意味がよく分かったよ。
 衛がクラウンに入ってくると、元基が「衛!お前なんだよ、最近全然連絡つかないじゃん」と責め、衛は「悪い、色々忙しくて」と答える。当たり前だ。前回セーラームーンに「いつかきっと、一緒にいられる日がくるから」と言って去って行ったばかりではないか。その舌の根も乾かないうちに、こんなところにのこのこ出てきて、うさぎにバッタリ会ったらどうするんだ。
 だから私はこのシチュエーションを「深夜」と考えることにした。うさぎのことが心配でたまらない衛が、夜の遅い時間にこっそり、彼女は最近どうしているか、元基にさぐりを入れに来た、というところかな。でもそれも本当はだめだ。元基のことだ、翌日また「夕べ衛が来ていたよ」とか言って、うさぎの心を乱すに違いないだろうからね。そこまで考えて行動しなけりゃ、とか思いながら観ていたわけだ。
 でもそうじゃなかった。衛はここにネフライトがいることを、すでにゾイサイトから聞いて知っていたのである。それで、ちょっとだけでも元気な姿を見たいと思ってやって来たのだ。死んだと思っていたネフライトが生きていて、びっくりして凄く嬉しいはずなのに、見た目わりと冷静だったのは、渋江君の演技力のせい(だけ)ではなかったんだ。あるいはネフライトが頭を下げてトレイを運んでいたのも「どうせゾイの奴が俺の居場所を見つけて、最悪、クンツァイトの奴があざ笑いにやって来るかもしれない」なんて思って顔を隠していたのかも知れないね。


 さっきの、削除されたシーン7の対話に戻る。つまりゾイサイトはマスターのために、ネフライトの居場所を捜しているのだ。ゾイサイトが「意外だな」と言うと、クンツァイトが「マスターの甘い所は昔通りだ」とあざける。するとゾイサイトは静かにほほえんで(かどうかは分からないが)そうではなくて、意外なのは「お前の事だ。マスターとの賭けを律儀に守るつもりとは」と返すのである。
 ゾイサイトは知っているのだ。現世では「私は全てに対して復讐する。最初はマスター、お前だ」(Act.24)と言っているが、前世では誰よりもマスターに忠実だったクンツァイト。その忠誠心は、実はまだ、完全に消え去っているわけではない。心の奥底に眠っている。本人も自覚していない意識の深層で、クンツァイトは昔のようにマスターの忠臣であり続けたいと、いまも望み続けているのである。剣ではマスターに負けるはずのないクンツァイトが負けてしまったのは、そんな無意識の欲求が彼の動きにブレーキをかけたからだ。きっと二人の戦いは、最後までクンツァイト有利に進んでいた。でも最後の一手をどうしても決められず、そこで返り討ちされた、そんな感じだろう。そうか「どうやって衛が勝ったんだ」というmizuさんの突っ込みには、こういうふうに答えればよかったわけだ。
 「意外だな。マスターとの賭けを律儀に守るつもりとは(何だかんだ言って、やっぱりお前こそ、今でもマスターの第一の忠臣だよ)」自分でも気づいていない図星を指されたクンツァイトは、しばし言葉につまって「奴が何をするのか興味がある。それだけだ」と吐き捨てる。沈黙のゾイサイト。このシーンを読んでいると、ゾイサイトとクンツァイトの火花散る対立ってのは、お互いを知り抜いた二人の、よじれによじれた友情のなれの果てなのだなあ、と実感できるような気がしてくる。こういうのって、あるよ。ビートルズとか日本プロレスとか(ほかに例が思い浮かばないのかよ)。
 ともかく、このシーンは、マスターをめぐるガンコな男二人の、奇妙な友情と対立のドラマなのだ。そしてそれが、今回のメインストーリー、プリンセスをめぐって同じような関係にあるガンコな美少女二人のドラマの、幕を引くのだ。「何考えてるの。プリンセスまで引っ張り出すなんて」「私達普段はプリンセスなんて呼ばないし、お姫様扱いもしないのよ」

5. レイと美奈子とスタジオで


 さて、メインパートとなる美奈子とマーズれい子の丁々発止のやりとりは、台本のシーンや台詞を切ったりつなげたり、色々と手が入っているうえ、池田成志のアドリブも出まくりで、比較しながら見ると実に面白い。それから新曲争奪バトルも、台本のテイストをより効果的に活かす舞原監督の手腕が随所で光って、これもやはり興味深い。しかしまあそのへんのところは、M14さんのとても分かりやすく的確な分析と紹介に、特につけ加えることもないのでパス。ただちょっとだけ感想を述べさせていただきます。
 私は今回のエピソードに、そこはかとなく「梶原一騎」を感じるのだな。それも星一徹と星飛雄馬というより、丹下段平と矢吹丈。小林靖子は『巨人の星』派ではなく『あしたのジョー』派だろうと思いますね。実にどうでもいい話ですが。
 ぶちこまれた少年院で、傷害事件を起こしたボクサー力石徹に出会い、叩きのめされた矢吹丈は、初めて真剣にボクシングの世界に興味をもち、それまで本気で相手にしていなかった丹下段平の来訪を心待ちにするようになる。段平は週に一回ここを慰問し、少年たちにボクシングをコーチしているのだが、それもこれもすばらしい素質をもったジョーに会いたいがためなのだった。
 ところが、ようやく自分からボクシングをやる気になったジョーに、段平おやじは、まるで手の平返したようにものすごく冷淡な態度をとり、別の少年を「見込みがある」と行って熱心に指導し始めるのである。あぜんとする丈だが、やがてメラメラと嫉妬と対抗心の炎を燃やす。今度の少年院対抗ボクシング大会では、ぜったいあいつに勝ってやる。私は今回の菅生ちゃんが段平おやじに見えて仕方がないよ。
 ただ、梶原一騎だったら「あえてジョーにつらく当たった段平の心境」というのは後でしつこいくらいに語られるのである。そこまでやれとは言わないが、美奈子の「負けず嫌い」に火をつけるためにレイと組んで芝居を打ったが、本当は美奈子のことを誰よりも大事に思っている、という齋藤社長の本心を暗示するような描写が、もうひとつふたつ欲しかったなあ、とは思う。
 前回も書いたように、私は、美奈子にとっての今回のエピソードは、亜美やレイにとってのAct.34と同じだと思っている。つまり美奈子の心には、レイや仲間の戦士たちと初めて素直に笑い合えた喜びばかりでなく、それをひとり見守る齋藤社長の「お父さん」のような愛情に満ちたまなざしも刻み込まれたはずである。だからこそ「あなたはまだ、使命の重さを分かっていない」なんて言葉をレイに叩きつけながらも、芸能活動の引退を撤回したのだ。もちろん、レイやうさぎたちへの感謝の気持ちもあるだろうけど、これまでの美奈子の心のなかでは、ただいっぱい仕事をもってくるだけのビジネスパートナーだった社長の、深い愛情の絆を感じたこと、何よりもそれが、美奈子をアイドルにつなぎ止めたおおきな原因だと思う。


 あともうひとつ、これは最後の「風船割り対決」のBGMなんだけど、『DJ MOON』とかじっくり聴き直しているヒマがなくて、何て曲なんだかよく分からない。どこがポイントかというと、1930年代のエロール・フリン主演の活劇のタイトル曲風、というか、コルンゴルド調、というか要するにジョン・ウィリアムズの『スター・ウォーズ』や『スーパーマン』風なのだ。風船割りで使う剣を『スターウォーズ』のライト・サーベルに見立てた、ということなのであろうが、どっちかといえば『スーパーマン』っぽいところがご愛敬でもある。大島ミチルがこういう曲を書いてスタッフのイマジネーションを刺激したのか、逆に大島ミチル自身が「こんな感じの曲を」という指定を受けたのか、興味は尽きないのだがよく分からない。CDのどこに入っている曲なのかお分かりの方は、ぜひ御一報ください。

6. 「笑う五人のなかに美奈子がいる」(泣け!)


 最後に、ラストの妖魔とのバトルについて一言ふれておきます。「妖魔の気配よ!」というルナ、そしてうさぎ・亜美・まことを囲むように登場する泥妖魔たち。うさぎが「また、いつもの」と息を呑むと、まことが「ゲームの勢い残ってるんだ。一気にいくよ!」と合図、みんなが「うん!」とうなずいて、美奈子の『Kiss2 Bang2』の軽快なビートにのっておしおき開始、というあれだ。
 画面で見る限り、うさぎの「また、いつもの」というセリフは、「また、いつもの奴ら(泥妖魔)が出てきた、何なの?」くらいの意味にとれる。次のまことの「一気にいくよ」は、いやあ格好いいですね。美奈子もレイもいない場で、とっさにチームリーダー代理を買って出るまこちゃんのカンとノリの良さってヤツですよ。ところがこの場面、台本を見ると、だいぶニュアンスが違うのです。

  ルナが「!」と見る。
ル ナ「妖魔の気配よ」
一 同「!」 
  うさぎ達の前に、泥妖魔達がわき出す・
うさぎ「また……、これっていつもの……」
  一瞬ペンダントを握るうさぎに、まことが明るく。
まこと「ゲームの余韻残ってるんだ。一気にやっちゃお」
 亜美とルナもうなずく。

 ぞくぞくと「わき出す」泥妖魔たちを見たうさぎは「また……これっていつもの……」と「ペンダントを握る」。言い回しといい動作といい、うさぎの内心の不安と動揺を表現しているとしか思えない。つまりうさぎは、泥妖魔が自分(銀水晶)の力から起こって来る、ということを自覚していて、だから、これは自分が抑えなきゃ、止めなきゃだめだ、というプレッシャーを感じて、思わずペンダントをぎゅっと握った。そう読めるのだ。そしてそんなうさぎの態度から何かを察したまことは「ゲームの余韻残ってるんだ、一気にやっちゃお」と「明るく」声をかける。つまりこれは攻撃開始の号令ではなく、うさぎ個人への励ましなのだ。
 最初に書いたように、小林靖子は今回の台本を、前回の回想シーン、間一髪で助かった進悟を前に、うさぎが「私が、守らなきゃ」とつぶやく場面から始めている。そしてラストのバトルでも、うさぎは「また…これっていつもの…」とペンダントを握るのだ。うわべは無邪気を装っているうさぎの心の底流に「また力が暴走したらどうしよう」という不安と「そうなったら私が自分で守らなきゃ」という孤独な決意が、ずっと持続しているのだ。そうやって、うさぎの孤立感はどんどん深まっていく。
 そんなふうにうさぎはうさぎ自身の問題に悩み、レイは美奈子のことを想い、まことは元基への気持ちを抑えつけて戦士としての運命に殉じようとしている。亜美は一種の傍観者的な立場にいて、さしあたって今回は、レイが「マーズれい子」に扮したことの意味について考えている。ある意味、Act.20のころに近いようなかたちで、亜美を仲間はずれにして、戦士たちはそれぞれ自分の問題をかかえ、孤立しているのだ。
 ただその一方で、仲間を大切に思う気持ちだけは、あの亜美を失った経験を通して、みんなしっかり学んでいる。その絆だけは信じられるから、うさぎも美奈子もレイもまことも、今回のように仲間と遊んでいるときは(と言ってもそんな話は今回かぎりだが)心からの笑顔を見せる。そのへんの舞原演出は、本当に素晴らしい。でも台本を読むと、笑顔が素敵なぶんだけ、それぞれの戦士の抱える問題の重さが、とりわけプリンセスに課せられた試練の過酷さが、胸に染みてくるのである。そんなことを考えながら、5人の屈託のない笑顔を見ていると、楽しいよりも何だかとても切なくなってくる。それがAct.40というエピソードの本質だと思う。


 というわけで今回はこのへんで。次回は2月21日水曜日深夜にAct.41再放送、久々にあの方が登場される!というわけだが、その3日後の2月24日と言えば、えーっ、あの方の20歳のお誕生日ではないか。これはなんというタイミングの良さだ。私が舞台であの方を初めて観て、たちまち魅了されたのは、確か彼女が14歳の頃のことではなかっただろうか。個人的には実写版の戦士よりも長いつきあいだ。よし、次回も全力をあげて書きます。というわけで、気力充実のために週末まで更新は行いませんが、悪しからず。


【今週の猫CG】Cパート、7時51分。テレビ局のスタジオで5人を見守るルナとアルテミス
【今週の待ちなさい】なし


(放送データ「Act.40」2004年7月17日初放送 脚本:小林靖子/監督:舞原賢三/撮影:上林秀樹)