実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第66回】今夜もあれこれ考えるうちに夜が明けたの巻

1. 全国区再放送実現に向けての秘策


 今夜のAct.39再放送は2時45分からである。まったくCBC公式にある「毎週水曜日 深夜2:15〜再放送!」ってのは一体なんなんですか。もういいや(と何度書いたことか)。
 しかしやはり深夜はつらいよ。この東海地区限定の再放送が終わったら、今度はぜひ全国区でもっと見やすい時間帯に地上波で再放送していただきたい。そのための作戦も密かに考えている。しかしこれちょっと、書いてもいいのかな。と言いつつ書く。
 TBSは今夜、去る2月3日に放送した生活情報番組『人間!これでいいのだ』のなかで「表現に行き過ぎた点があった」という発表を行った。なんでも「聞くだけで頭がよくなる音」として風鈴やオルゴールを紹介したのだが、実はそれ、千葉工業大学情報科学部の研究チームの論文を無断で使用したもので(取材協力を断られたらしい)、かつ内容を歪曲したものであったらしい。この番組は以前『ぴーかんバディ』という名前だったころ、「白いんげん豆ダイエット法」を放送して、視聴者が下痢や嘔吐を訴え、行政指導をうけて番組タイトルを変えた、という前歴もあると聞く。効果が出ないばかりか、体調を崩して商品そのもののブランドイメージを著しく損なうという意味では、納豆を毎日2パック喰えというのよりもタチは悪いかも知れない。まあどっちもどっちか。
 昨年のTBSといえば、ボクシング世界戦の疑惑判定なんてのもあった。この際だからこの局には、徹底的に全番組コンテンツの内容再検討を行っていただきたい。いや本当はすべてのテレビ局にそうしていただきたいわけだが、とりあえずTBSだ。そしてちょっとでも疑いや問題のある番組は、徹底調査がすむまで一時休止だ。そうするとたぶん、色んな番組に灰色判定が出て、春の番組改編のラインナップに混乱が生ずる。その混乱に乗じて、どっかに実写版の再放送を割り込ませるのだ。
 私は敵に塩を送ってもいいと思う。つまり、昨年の『セーラー服と機関銃』と『美少女戦士セーラームーン』をセットで夕方の時間帯に再放送して、来る『そのときは彼によろしく』決戦に向けて、長澤まさみVS北川景子セーラー服対決を盛り上げるのである。あっちはゴールデンの時間帯で放送された1時間番組で、やや分が悪い、という意見もあるだろうが、大丈夫だ、全部で7話しかないもん。北川さんは今メディアへの露出もたいへん多く、追い風で急上昇中だ。そこへ「あの北川景子のデビュー作」を月〜金のオビで再放送する。『セーラー服と機関銃』は2週目で終わってしまう。その後『ドラゴン桜』を入れたとしても全部で1ヶ月だ。一方、実写版は30分番組ながら、2ヶ月半は続く。そうすると視聴者には、だんだん長澤さんより北川さんの印象が残っていって、『そのときは彼によろしく』が公開される夏には、みんな主演より、わき役の北川さんを目当てにするように洗脳されてしまっているのである。ついでに「あのセーラームーン役の子は誰?」という声もささやかれるようになって……「亜美ちゃん役の子って、引退したの?」と話題になって……。バンザーイ!
 疲れきって眠い頭には、どうしても邪悪な妄想がふくらむね。でも今日は2時45分まで起きていなくちゃいけない。というわけで再放送を待つあいだ、今夜も寝ないために日記を書いています。

2. あれは誰だ?


 親方さんのブログのAct.38レビューを読んでいたら「仮面ライダークウガが出ていましたね」とあった。美奈子が東映大泉撮影所から歩いて出てくるシーンで、背後を赤・白・青の3人のヒーローが通り過ぎていく。そうかこれクウガなのか。この撮影のためにわざわざ倉庫から引っ張り出したということか。ライダーっぽいとは思ったが。でも親方さん、後の2人は誰ですか?
 最近のライダーは、私には後ろ姿なんかじゃよく分かんない。なにせこの時間帯、うちの子は『ボケモンサンデー』派なのである。録画までして繰り返して観ている。と思っていたら、やった!このまえの日曜日、子供に頼み込んで『仮面ライダー電王』を観させてもらったのだ(なんという親だ)。そしたら息子が「来週からこっちにする」と言い出したのである。これで問題がひとつクリアした。
 みなさんはもう『電王』観ましたか?今なら電車(電ライナーとか言う)もガンガンCGで走る。最初の頃のルナがCGで活躍したように。早く見ないと、そのうちスケジュールや予算が逼迫して、電ライナーが『シベリア超特急』みたいになっちゃうぞ。

3. 総集編物語


 Act.38は回想シーンをメインとした一種の「総集編」で、前回Act.37とセットで、戦士たちにつかの間の休息を与える回になっていることはすでに述べた。この「総集編的な回をシリーズ中に1回は入れる」というのは、東映特撮の伝統みたいなものだ。そのへんの事情について、少し私の考えを書いてみる。なお、いつものことだが、以下この項はすべてデータに基づく私の推測であり、いかなる現実的な根拠もない。やっぱりただの妄想かもしれないということだ。


 1989年、フジテレビ系で放送されていた東映不思議コメディシリーズは「魔法少女もの」路線に突入した。第1作目は小沢なつき主演の『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』(全26話)であるが、これは主演女優の駆け落ち騒動かなにかで、1年を待たず打ち切りという異例の事態にいたる。急遽その続編として制作されたのが島崎和歌子主演の『魔法少女ちゅうかないぱねま!』(全23話)。小沢なつきさんはその後たいへんアダルトでビデオな人生を歩まれることになるわけだが、『ちゅうかなぱいぱい』第4話「さらわれたぱいぱい」や第15話「私のぱいぱい人形」をもじったタイトルのビデオがまだ発売されていないのは、不幸中の幸いである。島崎和歌子さんについては、別に言わなくてもいいよね。
 そんなスタート時の混乱はあったものの、翌年の『美少女仮面ポワトリン』から、「不思議少女シリーズ」は、予定どおり1年間だいたい51話程度のフォーマットで継続される。ただし最終作となった『有言実行三姉妹シュシュトリアン』は42話だった。私はどれも好きだったが、選べと言われれば迷うことなく『不思議少女ナイルなトトメス』だ。堀川早苗。
 しかしそんなことは誰も聞いていないので話を進める。このシリーズは毎回、夏休み期間に「総集編」回を入れることが恒例となっていた。夏休みにたまたま見たお友達に「こんな話だよ、面白いよ、2学期が始まってからも見てね」ということなのかな。スタッフにとっても、ちょっと早めの夏休みになったかも知れないけど。

『美少女仮面ポワトリン』第33話「一挙公開? 愛ある限り名場面集」(1990年8月26日)
『不思議少女ナイルなトトメス』第33話「イブンバツータな総集編」(1991年8月25日)
『うたう!大龍宮城』第30話「アイナメ」(1992年8月2日)
『有言実行三姉妹シュシュトリアン』第31話「山吹家真夏の悪夢シュシュトリアン名場面集」(1993年8月15日)

 エピソードタイトルが良いね。ふつう「なんだ今日は総集編か」と思われて視聴率が下がることを怖れ、露骨にそれと分かるタイトルは避けると思うのだが、そういうこっちの予想の虚をついて、モロに「名場面集」と銘打つ度胸が爽快である。ただしオペレッタ風の『うたう!大龍宮城』だけは全エピソードタイトルが「ヒラメ」とか「イセエビ」とか魚介類の名前に統一されている都合上「アイナメ」なんだが、これも凄い。ドラマのサブタイトルが「アイナメ」だよ。さすが浦沢義雄である。そう、東映不思議シリーズのメインライターは浦沢義雄なのだ。
 そして『シュシュトリアン』放送終了から3年を経て、1996年、浦沢義雄はついに戦隊ものに参加する。あの「戦う交通安全」、親方さんも「長い戦隊シリーズの中でも、最高傑作」と言っておられるシリーズ第20作目『激走戦隊カーレンジャー』のメインライターに起用されたのである。「手取り19万で正義の味方までやんなきゃなんないの?」と変身を嫌がる自動車会社勤務のヒーロー、巨大化の理由が「芋ようかん」である敵、敵と味方の「愛の交換日記」、「5対1なんて卑怯だ」と禁句を激白しながら爆死する敵、等々、まさに不思議少女シリーズがそのまま戦隊ものになっちゃったようなノリで、とても楽しかった。
 でこの時、浦沢義雄としては、同じ特撮ドラマなのだから、不思議少女のころと同じように『カーレンジャー』にも「総集編」で息抜きする回を入れようと思っていた。ところがそのころの戦隊シリーズには、まだそういう前例がなくて、その案は突っぱねられてしまった。浦沢は「おかしいよ」と抗議した「スーパー戦隊にも名場面集の回があっていいと思うよ」。そしてスタッフも「そう言われりゃそうだよな」と納得した。というわけで翌年、第21作目の『電磁戦隊メガレンジャー』から、戦隊シリーズでも総集編が入れられることになったのである(毎回くどいようだが、ぜんぶ私の想像です)。

『電磁戦隊メガレンジャー』 第44話「お気楽!健太の年越し騒動」(1997年12月28日)
『星獣戦隊ギンガマン』   第43話「伝説の足跡」(1998年12月27日)
『救急戦隊ゴーゴーファイブ』第44話「救急ファイル99」(1999年12月26日)
『未来戦隊タイムレンジャー』第45話「終末!TR(トゥモローリサーチ)」(2001年12月31日)
『百獣戦隊ガオレンジャー』 第45話「闘い、終わらず」(2001年12月30日)
『忍風戦隊ハリケンジャー』 第45話「隠れ家と大掃除」(2002年12月29日)
『爆竜戦隊アバレンジャー』 第44話「サラリーマンはアバレ仕掛けの夢を見るか?」 (2003年12月28日)
『特捜戦隊デカレンジャー』 第45話「アクシデンタル・プレゼント」(2004年12月26日)

 ご覧いただければ分かるように、戦隊ものの総集編は、常に年末の最後のオンエア回で放送されている。年末である理由は……なんなんでしょう。「冬休みに」ということかも知れないし、年末の忙しい時期に見逃したり、ビデオに録り損なったりしても話が分かるようにという配慮かも知れない。それとも1年間の思い出をまとめて、さあそろそろ終盤ですよという合図か。あるいは最終シーズンに向けて新しいメカや玩具を投入、そのための新たな特撮バンク作りのための余裕づくり。そもそも年末って、ドラマの再放送と総集編が多い年だし。いずれにせよ、こんな風に戦隊シリーズでは、総集編が導入された当初から「年末最後にオンエア」が定番化している。
 さて、言うまでもなく実写版セーラームーンは、上のリスト最後の『アバレンジャー』『デカレンジャー』と同時期、2003年の秋から2004年の秋にかけて放映された番組である。変則的なスケジュールであり、年末のAct.13はまだまだ総集編をやるには早すぎた。入れるとしたらAct.28前後であろうが、そこでも総集編はなかった。でも3クールも半ばを過ぎたあたりで、そろそろこのへんで、という声があがった。きついスケジュールの中、本編と同時進行で、CDの録音があり、キラリ☆スーパーライブの準備があり、ビデオ『スーパーダンスレッスン』の制作があった。そしてAct.35とAct.36には、スーパーライブのイベント本番(2004年5月2日)の映像が使用され、、それからナパーム炸裂という撮影的には大がかりなイベントがあった。ここまで頑張り抜いた戦士たちに、わずかながら休息を与えよう。ということで、Act.37ではうさぎがPムーンとなって失踪という展開で沢井美優を休ませ、Act.38は「総集編」にしてほかの戦士たちを休ませてみたのだ。
 ところが、これが制作進行のうえでも、なかなかうまいタイミングであることにスタッフは気づいた。シリーズのクライマックスに向けていろんな調整をはかる上で、第3クールの終わりごろに総集編をもってきて余裕を作るやり方が、きわめて有効な手段であることが分かったのである。だったらスーパー戦隊も、別に年末最後日の総集編オンエアにこだわらなくてもいいのではないか?このようにして、実写版セーラームーン終了後のスーパー戦隊シリーズ2作品では、これまでの恒例を破る試みが行われた。

『魔法戦隊マジレンジャー』 第35話「神々の谷〜マジ・マジ・ジジル〜」(2005年10月30日)
『轟轟戦隊ボウケンジャー』 第39話「プロメテウスの石」(2006年11月26日)

 ね、どちらも従来より総集編の放送時期が1カ月以上前倒しになっているのだ。第35話と第39話。これは実写版のAct.38を微妙に連想させるタイミングだと思いませんか。私はこれ、いま書いてきたように、実写版セーラームーンの影響だと思っているのだが、どうかな?どうかなって言っても、こんなことを真剣に疑問に思っている人なんて、そんなにいないか。

4. プリンセスの哀しみ


 さて、あとはこのAct.38が、みなさんがコメント欄でご指摘されているように「ただの総集編ではない」点についても分析しなければならない。と思っていたのだが、ここで時計の針は午前2時40分をまわってしまった。というわけで、Act.39を観ますね。

しばらくおまちください(視聴中)


 観たよ。そして改めて思った。Act.38のメインパートとなる「総集編」部分が、プリンセス・ムーンとうさぎの対話によって構成されていることは、やはりとても重要だ。
 Act.39の初めの方、クラウンのシーン。うなだれるうさぎを心配そうに見守るレイ・亜美・まこと。でもうさぎは深い溜息をついた後「もうだめ、我慢できない、ダイエット中止!」とショートケーキをパクつく。呆れる三人とルナ。ここから今回のエピソードは、しばらく続いた重くシリアスな流れを急に中断して、初期のようなコメディ調に戻る。
 その意味については次回に考察するとして、このうさぎのおちゃらけは、Act.38の印象を引きずったまま観てみると、あたりまえだが明らかに不自然である。作られた無邪気さだ。
 Act.38のうさぎは、自らの意識の深層に降りて行き、前世の悲劇を生々しく記憶しているもう一人の自分に出会った。そして彼女、プリンセス・ムーンに向かって、現世で衛と出会えたこと、最初はケンカしながら次第に惹かれあい、互いを思う気持ちをはぐくんできたことを懸命に説明した。それでもプリンセス・ムーンはつぶやく「なんど生まれ変わったとしても、エンディミオンとは一緒にいられない。前世から決められていることは、変わらない。また星がほろんでしまう。いまもそれは進んでいる……」
 プリンセスとうさぎの会話は、Act.37の美奈子とレイの会話と対照をなしている。Act.37では、美奈子がレイに向かって、前世の物語を説く。Act.38では、うさぎがプリンセスに向かって、現世における衛との出会いを物語る。Act.37の美奈子は、月と地球の争いがどのように起こったかを、筋みち立てて説明するが、最後に星の滅んだ原因は彼女自身にも分からないという。Act.38のプリンセス・ムーンは、戦争について詳しいことは何も言わない。ただエンディミオンを失った悲しみ、それが星を滅ぼす原因であったこと、そしてそれが再び繰り返されようとしていることだけを訴える。そして美奈子の前世の物語は、回想シーンをほとんど挟まないので、抽象的でよそよそしい、どこか遠くで起こったおとぎ話のように聞こえる(実際そうなのだが)。しかしプリンセス・ムーンは、今もありありと彼女の胸に焼きつけられている悲劇の瞬間を、まるで今まさに目の当たりにしているかのように語る。
 うさぎの記憶の表層に、前世の記憶が甦ることは、最後までない。前世で何が起こったのか、その詳しい経緯を知らないまま、実写版のうさぎの物語は終わる。けれどもここでプリンセス・ムーンと対面することで、彼女はプリンセスが前世に受けた傷の深さを、その痛みの生々しさだけを実感として体験してしまうのである。悲しみに満たされたプリンセスの心には、エンディミオンしかない。プリンセス・ムーンは、ただエンディミオンを失った瞬間だけを繰り返し回想する。彼女の心にはマーキュリーも、マーズも、ジュピターも、ヴィーナスの姿もない。ルナもまったく出てこない。星を滅ぼすほどの悲痛な感情の前には、忠実な護衛戦士たちも、あるいは現世の「仲間」たちの姿も消え去ってしまったのだ。その事実はうさぎを打ちのめす。プリンセスとは結局、彼女なのだから。その証拠に、うさぎ自身、こうやってプリンセスに語りかけるときに出てくるのは、衛への想いばかりなのである。
 だからうさぎは「衛…」と呼びかけて、かつて聞いた衛の言葉と一緒に「星なんか滅びない」とつぶやくことでしか、プリンセスの絶望に対抗する術がない。衛しかいないのだ。この戦いはうさぎにとって、仲間の戦士と力を合わせて一緒に戦う、という問題ではなくなってしまった。
 そんなふうにAct.38を観ていると、Act.39のクラウンのシーンでも、結局うさぎは、仲間にプリンセス・ムーンとの対話を伝えはしなかったのだろうと思う。いや、みんな、プリンセスの姿から戻って帰ってきた自分をいたわって、大好きなショートケーキを用意してくれて、心配そうに見守ってくれているのだ。少しは話したかもしれない。しかしプリンセスの深い深い哀しみと、ありありと見えた破滅のヴィジョンと、そしてそこにはレイも亜美もまことも美奈子も見えなかった事実だけは、自分自身の胸のうちにしまっておこうと決意したのだ。だから唐突ともいえる「ダイエット中止!」の一言でごまかした。仲間の戦士にさえ本当の苦悩を打ち明けることなく「無邪気なうさぎちゃん」を演ずることにしたのだ。M14さんは現在、Act.46の台本比較を通して、うさぎと4人の間に溝が出来てゆく「うさぎ問題」について考察を進めておられるが、それは仲間の戦士たちからうさぎが疎外される問題であると同時に、たぶんうさぎ自身がプリンセス・ムーンの孤独をひとりで抱え込み、仲間を疎外する、という問題でもあると思う。


 えーい今回は前世をめぐる「非対称問題」についても、もう少し考えをまとめる予定だったのだが、もう無理だ。Act.39レビューをまとめながら、また考えますんで。朝になったよ。これから仕事に出て、昼にもういちど読み直してから更新だな。じゃまた。