実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第57回】新春クロスオーバー随想:白雪姫とセーラーマーズの関係とは?の巻


 賀春。2007年だ。みなさん明けましておめでとうございます。
 さて昨年「初期M14」の研究をやったとき、久々に「火野レイの逆襲」を読んで、ようし私もお正月はレイちゃんをテーマにしようと思った。つまりパクリである。しかしそうは思ったもののこれといったネタもない。まあ今回は年賀状代わりで、中身よりも更新することに意義があるということでカンベンしてください(ではいつもは中身があるとでも?)。でもうんと短いからいつもより読みやすいと思いますよ。

 

 唐突だがみなさんはグリム童話「白雪姫」の話はご存知だろうか。大体のところは知っておられるに違いない。それから、一般の児童書なんかに書かれている話が、実は残酷描写を抑えた子供向けバージョンであって、元のお話はかなり血なまぐさかったりすることも、最近ではけっこう知られている。
 グリム版「白雪姫」は、とある王国の女王が、冬の日に窓ぎわで針仕事をしている、という場面から始まる。手ずから針仕事をしているくらいだから、王女とは言っても、実際には田舎の小国の領主の嫁さんといった感じなんだろうね。それはともかく、王女はふとあやまって、針で自らの指先を傷つけてしまう。そして指先からにじみ出た血は、窓枠にのこった残雪のうえにしずくとなってしたたり落ちる。
 窓枠は黒檀(こくたん)で出来ている。その真っ黒な窓枠に、前日は大雪でもあったのか、雪が真っ白く降り積もっているわけですね。そしてその真っ白な雪の上に、自ら流した真っ赤な血が一滴、二滴としたたり落ちた。それを見て王女は思わず「この窓枠の黒檀のように黒く、雪のように白く、血のように赤い娘が欲しい」とつぶやく。まもなく王女は身ごもり、やがてあのことばどおり、黒檀のように真っ黒な髪と、雪のように真っ白な肌と、そして血のように真っ赤な唇をもった美しい娘を産む。王女は彼女を白雪姫と名づけた。
 さてこの王女は不思議な魔法の鏡をもっていて、毎朝その鏡に向かって「この世でいちばん美しいのは誰?」と問いかけ、鏡から「あなた様、女王様ほど美しい方はこの世にいない」と言ってもらうことを日課にしている。ところがある朝、鏡は「あなた様、女王様はたとえようもなく美しい。けれども今日8歳の誕生日を迎えられた白雪姫は、その千倍も美しい」と答えた。怒り心頭に発した王女は猟師を呼び出し、白雪姫を森の中に連れて行って殺すよう命じる。だが人の良い猟師はいたいけな美少女を手にかけることができず、森に置き去りにして行ってしまう。白雪姫は深い森をさまよった末、森の奥に住む七人の小さな妖精たちと出会い、かれらに守られて成長していくのである。
 というようなところが「白雪姫」の話の前半である。娘が幼稚園のころ『シンデレラ』や『眠れる森の美女』と並んで、何度も何度も寝る前に読み聞かせていたお話だけれども、そのたびに私の頭のなかには、真っ黒な髪と、真っ白な肌と、真っ赤な唇をもつ、もう一人の美しい娘のイメージが思い浮かんでいた。言うまでもない、火野レイだ。そんなわけで私のなかでは白雪姫とセーラーマーズというのは重なってしまっているのである。「黒檀のように黒く、雪のように白く、そして血のように赤い」美しい娘。

 

 黒・白・赤というのも、実に激しい配色であるが、これはどういう意味かというと、紅白というのはめでたくて、黒というのはお悔やみだ。さらに紅白を分析すると、赤は赤ん坊、誕生あるいは出産の色で、白は白無垢、結婚、花嫁の純潔だ。そして黒はさっきも言ったように葬式、法事の色だ。つまり赤・白・黒というのは誕生と結婚と死である。どれも日常的な時間ではない。人生の最も大きな節目となる瞬間であり、日本人の場合だと、出産のお参りは神社で、結婚式は教会で、葬式はお寺で仏教式という、いったい宗旨はどうなっているのか無茶苦茶な人も多いわけだが、要するにどれも宗教の領域にかかわることがらである。
 だからこそ、神社の巫女をやりながら、母の墓参りに教会に通う霊感少女は、赤と白のコスチュームに身を包み、豊かな黒髪を伸ばしていなければならないのである。

 

 さて「白雪姫」の話に戻る。物語は、白雪姫が七人の小人に守られて生きていることを知った女王が、自ら老婆に扮して森に入り、姫を亡きものにしようとくわだてる、という展開になる。で、その作戦が、(1)猛毒が塗ってあるクシを白雪姫に売りつける(2)リボンを売りに行って、試着の際に胴を締め上げて窒息させる、(3)毒リンゴを売りに行く、という三段階を踏む。ディスニーのアニメ版の印象が強いので最後の毒リンゴしか憶えていない人が多いと思うが、実はここでも、(1)豊かな黒髪を猛毒のクシで責める、(2)白い肌をリボンで責める、(3)赤い唇を毒リンゴで責める、というように黒・白・赤にきちんと対応しているのである。
 ということは「黒檀のように黒く、雪のように白く、そして血のように赤い」という三色のうち、黒が髪を、白が肌を指すのはいいとして、赤は、やっぱり唇なのである。でも白雪姫の唇が「血のように赤い」というのは、ちょっとう〜ん、あまりにも肉感的すぎるというか、あまりにも杉本彩というか、子供むけの話としてどうかな、という感じがしませんか?おそらくウォルト・ディズニーもそう考えたのであろう、アニメ『白雪姫』のヒロインは、もちろん真っ赤な唇でリンゴをかじりはするが、いわゆる「リンゴのほっぺ」の女の子としても描かれていて、だから赤は唇の赤ともほっぺの赤ともとれるようになっている。
 で、セーラーマーズだ。それも実写の。マーズの赤は火星の赤であり、燃える炎の赤である。これが唇の赤だと、さっき言ったようにセクシー系に走り過ぎだし、かといってリンゴのほっぺでは子供過ぎる。血の赤だと、以前こっちよ!さんの言っていたトゥーランドーだ。まあそれもいいけどな。ともかくそういう意味で「炎と情熱の戦士」というフレーズは、妙な連想ぬきでストレートに赤のイメージを定着させる、理想的な設定だと思う。そして白。マーズが他の戦士たちに較べて格別に色白なのかどうかは、アニメや漫画では分からない。でも北川景子のお肌は、もうハイビジョンの大画面で鑑賞したくなるくらい芸術的な美白だ。最後に黒。これまでの漫画やアニメのレイは、最初からあの髪だった。というか、うさぎや亜美も最初から金髪や青い髪だったりしたわけだが、実写版ではみんな変身とともに髪の色が変わるのである。火野レイだけがその原則から外れるのはおかしい。だから北川景子のレイは変身前は茶髪で変身後に豊かな黒髪になるのだ。そしてそのことによって、日本人だとちょっと分かりにくいマーズの黒髪の意味というのが、より明確にきわだつ。

 

 というふうに、ずっと白雪姫とセーラーマーズのイメージを重ねていた私にとって、北川景子のレイちゃんこそが、待っていた理想のマーズだったのである。黒檀のように黒く、雪のように白く、血のように赤い戦士。セーラーマーズは「赤の戦士」ではない。赤と、白と、黒の戦士だ。そのことをはっきり示してくれたのが、実写版の北川景子だったのだと思う。

 

 というわけでみなさん。本年もよろしくお願いいたします。