実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第51回】夏服の少女たちの巻(Act.33)

1. セーラーV異聞


 再放送レビューとは直接関係ないんですが、原作の美奈子について、最近ちょっと気になったことがあるので、まず書いておきます。
 以前にも書いたけれど、『コードネ−ムはセーラーV』は最初、『なかよし』の季刊姉妹誌『るんるん』1991年夏休み号に「読み切り短編」として掲載された。それが好評だったので、構想を新たに長編化した作品が『美少女戦士セーラームーン』であり、これはその年の大晦日に書店に並んだ『なかよし』1992年2月号から連載されている。つまり『セーラームーン』に先行する「セーラーV」は、およそ半年前に描かれた短編一本しかない。
 現在刊行されている『コードネ−ムはセーラーV』(旧版全3巻、新装版全2巻)は、『セーラームーン』の連載開始後に、その「外伝」として1992年の『るんるん』春休み号から連載されたものであり、先行作品ではない。ただしオリジナルとなった前年の読み切り短編も、作品内の時系列にあわせてその「第3話」として収録されているので、これだけは確かに、セーラームーン以前に執筆された作品である。
 『コードネ−ムはセーラーV』は、美奈子とアルテミスの出会いから始まり、様々な悪役との戦いがエスカレートして、最後に美奈子がアイドルのオーディションに合格する話で終わる。美奈子は人気美少年アイドルの相手役ヒロインとして映画デビューすることが決まり、撮影のために香港に行くが、その美少年アイドルは四天王の配下で、彼との対決を通して自分が戦士である本当の意味を知る。そして仲間を探し求める決意も新たに帰国する。芸能界デビューは止めてしまったらしい。最終回のラストシーンでは、ちょうど国際学会に出発するママを見送りに来た水野亜美がゲスト出演して、国際線の空港ロビーに降り立った美奈子とニアミスを起こしている。実写版の美奈子の本格的初登場シーン(Act.10)が成田の国際線ロビーであるというのは、おそらくこの『セーラーV』のラストを踏まえている。でも漫画の美奈子は変なお辞儀をしない。
 ということはともかくとして、要するに武内直子は、『セーラームーン』の連載と並行して、セーラーVがセーラーヴィーナスになるまでの「外伝」を描き起こし、オリジナル短編の主人公、愛野美奈子を再び主役として「復権」させたのである。「セーラームーンには主役が二人いる」というのはそういう意味だ。もちろん、作品内の時系列に沿えば、最初は『セーラーV』で主人公として活躍していた美奈子が、『セーラームーン』で脇役に「転落」した、という見方も成り立つが、それは実際の執筆順や作者の意図を反映するものではないことは、十分ご注意いただきたい。
 ついでに書いておくと、原作の美奈子は、愛の戦士なのに「自分が愛した男は常に敵で、自分の手で倒さなければならない」という宿命を前世から背負った悲しい女である。彼女の心に触れた男は、必ず彼女自身の手によって命を失う。実写版の美奈子はAct.35でゾイサイトと一時的に手を組み、彼とわずかに心を通わせるが、それが一度は自分が命を奪った男であるのは、そのような理由による。

2. 正しくは「夏服のうさぎと亜美」


 さて実写版再放送だ。テレビのこっちは師走の寒さも厳しくなってきたが、あっちは「そんなの、ダメだよ。もうすぐ、夏だし」(Act.32)というわけで、今週から少女たちの制服も衣替えだ。ただし十番中学のみ。したがってレイと美奈子は違う。そもそも美奈子って、このあと制服で登場した事ってあったっけ?あとまことも、今までと同じ前の学校の制服のままで通しているから、結局、戦士たちのうちで衣替えしたのはうさぎと亜美だけだな。じゃ今回のタイトルには偽りありってことになるか。まあいいや(いいかげん)。
 それにしてもレイの学校については、実写版にはさっぱり説明がない。原作やアニメでは、ミッション系の名門T.A.女学院に通っていることになっているのだが、それも明言されていなかったと思う。ただレイの制服を夏仕様にしないスタッフの気持ちは、何となく分かる。神に仕えるシャーマンは男嫌いの純潔な乙女。そのことをくっきりと示すのが火川神社の巫女さん姿、あの白い衣と赤い袴だ。そういう神聖な時間以外のとき、めったやたらと純白の服を着せて欲しくはない、と私も思う。前回クラウンで白いカーディガンを着ていたレイに違和感を憶えたのはそのせいでもある。だから学校の制服も紺のままでいい、というか下手に白っぽい夏服にならないで欲しい。

3. 舞原監督四巡目、9本目の登場


 2006年12月6日(水)午前3時15分、Act.33再放送。私はもう2時15分の放送開始をあきらめつつある。ここのところ塩田明彦監督の映画『どろろ』の予告編→金ちゃんヌードル→アヴァン・タイトルというパターンの始まりが多いような気がします。『どろろ』っていうのは手塚治虫のアレだってさ。アクション監督が程小東(チン・シウトン)である。この人の監督した『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(1987年)のとその『2』(1990年)はよかったなあ。いまでも時々DVDで観て涙ぐんだりする。
 それから最近は、エンドタイトルの後に、翌日の『渡る世間は鬼ばかり』の番組宣伝が入らなくなったのは嬉しい。CBCは私の要望を受け入れてくれたのだろうか。代わりにここのところ、実写版の終了後は『嫌われ松子の一生』の番宣、というのが定着している。このテレビ版は私は観ていないが、これならまあいいや。
 さて本題。まずはアヴァンだ(当たり前だ)。前回のラスト、夕暮れの埠頭で衛に抱きしめられるうさぎから始まり、次はクラウンで亜美・まこと・レイに衛との交際を宣言するうさぎ。
 前回のクラウンでは、亜美の可愛すぎる衣装やレイの真っ白なカーディガンが気になったが、今回は私としてはOKです。やはり舞原監督回は、こういうところには格別に(笑)こだわりが感じられる。亜美ちゃんはけっこう可愛い系のファッションだが、過剰にならない程度に抑えてある。レイとまことについては、だいたい何を着せてもモデルのように決めてしまうので(というか実際モデルなわけだが)、できるだけ「格好いいお姉さん」になりすぎず「活発な中学生」に見えるように工夫する。レイは今回、肩が出ていてちょっとセクシー、とか思うが、下は少年のようなキュロットスカートだ。そしてまことのポニーテールがあまり好きではない(推定)舞原監督は、髪を下ろさせ、あまりフェミニンな感じにならないように帽子をかぶせる。

4. カメラワークの妙を見よ


 撮影監督は、これが初登板となる小林元。しかしよくカメラマン変わるねこの番組も。そして今回の冒頭のクラウンのシーンは、カット割りがかなり少ない。私はカメラマンの違いによる映像の異なり具合をあまり注意して観ていないので、この特徴が小林カメラマンによるものなのか、それとも演出の指示なのかはよく分からないが、ともかくなかなか良いのだ。たとえばこんな場面。

亜 美「うさぎちゃんたちは信じないんでしょ」
うさぎ「うん。ぜったい星なんか滅びない、って言ってくれたし、約束したんだよね、一緒に戦うって。だから、みんなにも内緒にしないで、堂々としようって」
亜 美「じゃあ、私も信じないことにする」

うさぎの、長めのセリフが始まってから、カメラはその言葉に少しずつ心を動かされていく三人を順々に捉える。もしここでカットを割ったら、つまり三人のアップをワンカットずつ並べたら、うさぎの言葉に三者三様の反応を示すレイとまことと亜美、という感じになっただろう。けれども実際には、カメラは右から左にパンして、レイからまこと、そして亜美へと途切れなく続き「じゃあ、私も信じないことにする」という亜美の返事までつなぐ。だから三人が一緒になってうさぎを見守っている感じが良く出るし、亜美の返事が、三人全体の総意である、というニュアンスも伝わる。
 ただしその後「私は感心しないわ」というレイのセリフが入り、亜美もまことも我々視聴者も、レイちゃんだけはやっぱりそう言うか、と一瞬ひやっとさせる。ここはカットを割って、レイだけは別意見ということを強調。でも結局、それはレイのお茶目であることが判明する。というか、ずーっと「男なんか」と主張してきたレイとしては、すぐに手のひら返したように「応援するわ」なんて言えないわけだ。何しろこの人は意地っ張りだからね。前言撤回するにもそれなりにワンクッション必要だ。
 だからレイは「前世とか言うよりも、今、男なんかと一緒にいていいのかってこと」とかねてからの主張を繰り返しながらも、まことと亜美の背後に回って三人一組の構図に収まる。この構図が、私もうさぎを支持するわ、という意思表示である「だから、私たちで一緒に気をつけましょ。大事なプリンセスに何も起きないよーに」。ここまでワンカット。一見反対するフリをして、実はみんなと一緒だよ、というところまでの流れを、途切れず一気に見せる。なんだ一緒だ、やっぱりレイちゃんの気持ちもつながっている。仲間なんだなあ、と思う。そして次。

レ イ「やめろって言ったってムダでしょ。ロンドンまで行こうとするんだもの」
まこと「お姫様のお守りはたいへんだな」
亜 美「うさぎちゃん、良かったね。あんなに好きだったもんね」

この三人のセリフがまたワンカットでつながっている。みんなの思いは通じ合っているのだから、ひとりずつカットを割る必要はないのである。そしてうさぎの笑顔がズームアップされて、最後。

うさぎ「(亜美に駆け寄り、抱きしめて)あみちゃーん、(まことを抱きしめて)みんなー、(レイを抱きしめて)ありがとー。よーし、がんばるぞ、おー!……ひとりにしないで〜」

 ここもワンカット。一人一人と順々にハグするうさぎを、カメラはずーっと途切れず移動撮影で追っていく。こうして、うさぎを思うみんなの気持ちが、うさぎを包み込んでひとつにまとまってゆくのである。さすがに「がんばるぞ、おー」まではつき合いきれないので、最後は四人の笑顔を順番でアップでワンカットずつ一巡するけれどもね。一方、ひとり困った顔の猫ルナ。ここでアヴァンが終わって主題歌。
 こういうふうに、極力カットを割らないことによって連続性を強調された画面が、そのまま少女たちの連帯感をヴィヴィッドに伝えてくれる。観ていてとても楽しいのでしつこく分析してしまいました。

5. セーラーマーズ、会心のファイト


 主題歌が終わってようやくAパートだ。ここで今回と次回の物語の主役が呈示される。クラウンからの帰り道、途中まで一緒に歩いて、「じゃ」「うん、また明日」と別れる亜美とレイ。待つ人のいない家に帰る二人。がらんとしたマンションに、とても無邪気そうに「ただいま」と帰って、明かりを次々に点けていく亜美と、淡い照明のなか、落ち着いた様子で、ママの写真の前にすわり「ただいま」というレイ。タイプは違うけどそれぞれに健気な二人を描いてほろりとさせるあたり、やはり実写版は舞原監督だよ。ともかく、ここで今回と次回が誰をめぐるエピソードであるかが明示される。
 言うまでもなくこのAct.33とAct.34は前後編になっていて、二つのエピソードで、これまで断片的に語られていた、レイとパパ、亜美とママをめぐる物語が一応の結末を見る。それはみなさんご存知の通りだ。だから主役はレイと亜美の二人にほかならないが、さらにもう少し詳しく言うと、レイの方により多くのウェイトが置かれている。それはたとえば今回のバトルシーンを見れば明らかだ。
 もうすっかりあたりも静まった深夜の屋外、花壇で風に揺れる花から妖しい金の光が溢れ出て、妖魔になる。花から生まれたのだから、名前は妖魔(花)でいいか。
 その出現を察知したルナは、うさぎを起こそうとするが、うさぎは、衛のことをみんなから応援してもらってホッとしたせいか、それともいつもこうなのか、幸せそうな笑顔ですっかり寝込んでいて使い物にならない。しかたない、とルナはテレティアで他の戦士に連絡する。でもまことも、あくびしながら出動の際、自宅マンションの駐輪場で自転車をぜんぶドミノ倒ししてしまって、現場復帰していたら出遅れてしまった。結局現場に駆けつけたのはレイと亜美の二人である。特にレイは、おそらくルナから知らせを受けるよりも前に、自分の霊感で妖魔の出現をキャッチしたに違いない、いちはやく変身した姿で現場に姿を現し、強力な火炎攻撃のつるべ打ち。亜美がようやく来た時には、妖魔はすでに退散した後だった。
 このマーズの登場シーンは、もんのすごく格好いい。ここんとこだけDVDで何度も観ちゃいますよね。夜の静寂の中、ハイヒールを鳴らしながら登場するセーラーマーズの美しい影。こういうふうに、暗闇の中を、逆光を浴びたシルエットの状態で登場するヒーロー、というのは、夜の闇を撮らせたら世界一の映画監督クリント・イーストウッドがわりと使う手だと思うが、このマーズ登場シーンも『ダーティーハリー4』のクライマックスみたいで、もうむちゃくちゃ格好いいです。照明のなかに入って、視線を下げてちょっとポーズとか、溜息が出ます。
 いつもと違うジャズっぽいBGMが夜の雰囲気を盛り上げるなか、たった二発の火炎攻撃で妖魔を退散させてしまうマーズ。その間、焦った様子は微塵もなし。自分の攻撃が妖魔にどれほどのダメージを与えたのか、冷静に観察しながらつかつかと歩み寄るクールな戦いぶりは、これまでに見たことのないものだ。
 ボクシングとか格闘技の試合では、勝ったクセに「今日はイメージ通りの戦いができなかった、すみません」とか謝る選手がいるが、きっとマーズにとっても、いつも仲間たちとバタバタ走り回りながらやっているようなバトルは、みっともない、「イメージ通り」ではない戦いだったのでしょうね。一糸乱れず、美しく勝つこと。それがマーズの、戦いの美学だ。このAct.33の前半のバトルは、おそらくそれを最も完璧に近い形で実現できた、セーラーマーズ自身にとって会心のファイトなのだと思う。きっとね。

6. メタリア妖魔は戦士たちの心の隙を衝く


 なぜドラマはいきなり前半に、セーラーマーズのほぼパーフェクトな勝利を持ってきたのか。もちろん、後半の戦いのブザマさを強調するためだ。今回のラスト、同じ妖魔(花)がわざとレイの近くに出現する。気配を察知したレイががやって来て変身すると、妖魔(花)は最初のバトルで負った顔の傷を撫でてみせる。これはお前に対するリヴェンジ・マッチだ、という意味だ。
 というように敵も気合いが入っているが、それ以上にレイの気が乱れきっていて、戦いにならない。なにしろ、直前までパパと会話していたところなのだ。
 あの晩、まるで芸術品のように美しくクールな戦いぶりを見せたレイが、父親に会った直後では、心が揺れて散らばって、同じ妖魔に対してみっともないほどの苦戦をする。プライドの高いレイとしては、ほとんど「醜態をさらした」と言えるレベルのものだ。だからセーラームーン、ジュピター、そしてルナが駆けつけて助けてくれても、礼すら言わずとっとと帰っていく。屈辱なのである。もう二度と、パパのことで心を惑わされたりしない。パパに会ったら冷たく見返してやる。そう誓って、そのためにどんな時でも冷静な自分でいるよう心がけてきた。
 なのにこんなふうにパパと会うとすぐに取り乱してしまう自分がいる。あれほど簡単に倒せた敵にさえ苦戦している自分がいる。みじめだ。どうして私は、パパを忘れることができないの?パパが私を捨てたという事実に、いまもこれほど傷つけられなければならないの?
 以前、M14さんが、東映チャンネルの一挙再放送をご覧になったmasapoyonさんの「不信感のあるところに、必ず妖魔は現れ、苦しめる」というなかなかに印象的な一言を引用しておられたが、そういう傾向は、どうもAct.31以降、特に強くなってきているようにも思う。Act.31では、元基の告白を拒否したまことが、本当にそれで良かったのかと河原で自問自答している場に、泥妖魔たちがぞろぞろ現れる。それはまるで、まことの自分自身に対する疑問や不安がそのまま具現化したかのような出現の仕方だった。そして今回Act.33と次回Act.34でも、妖魔(花)はレイ=マーズの、父親と葛藤する心の弱みをつけ狙う。もちろん物語のなかでは、妖魔(花)がレイばかり狙うのは、初戦の敗北で受けた雪辱をそそぐため、という説明はされている。しかしその初登場シーンからして、火川神社の自室でママの遺影を見つめるレイの顔のアップの次に、深夜の屋外、花壇で風に揺れる深紅の花、そしてそこから深紅の妖魔誕生、という展開で、イメージカラーの連鎖は、この妖魔とレイとの間に最初からなにか特別な関係でもあるかのような印象を与えずにはいられない。
 これらAct.31とAct.33の妖魔は(Act.32で黒木ミオがうさぎに仕掛けたユウトなどとは違って)活発化したクイン・メタリアから自然発生した妖魔であり、クイン・ベリルや四天王のコントロール下にはない。そういう妖魔たちが、決まってセーラー戦士の心の弱みをピンポイントで責めてくるのはなぜか?そしてクイン・メタリアの活動が、プリンセス=うさぎと幻の銀水晶に連動していることと、どう関係するのか?それはまだ私にはよく分からない。考えてみます(このフレーズも最近増えてきた)。

7. ここまでの長い道程


 で、えーと、何が言いたかったかというと、今回と次回Act.34は、いちおう亜美とレイ、主人公が二人いるエピソードではあるが、基本的にはレイに重心が置かれている、ということだ。たとえば今回、マーズが2回も妖魔と戦っているのに対して、マーキュリーは変身さえしない。次回だって、マーキュリーは妖魔と単独対決はしていない。なぜ亜美は変身して戦わなかったのか?
 う〜んどうなんでしょうかねえ。「亜美はダークマーキュリー篇の主人公としてすでにクローズアップされているから、今回はマーズ寄りで話を進めていった」それもそれでありうる話だけどなあ、などと思いを巡らしながら、私はここ2日ほど、今回に至るまでに、レイと亜美、二人の家庭についてはどのような描写や言及が重ねられてきたか、そして二人の間にはどんな心の交流があったか、を頭の中で数え上げる作業をしてきた。
 そこでちょっと、それらをここに列挙しておきたい。これまでの各話レビューで触れてきたことの繰り返しが多くなるが、勘弁してください。

【Act.2:亜美】アルトゼミナールで塾の講師との会話「(先生)どうしてそんなに医者になりたいの?」「(亜美)母の希望なんです。私も、母に喜んで欲しくて」「(先生)親孝行なのね」「(亜美)私、勉強くらいしか、取り柄ないですから」亜美は、自分が医学部を志望するのは「母の希望」だからなのだと思っている。
【Act.3:レイ】クラスメートに囲まれ「あんたの霊感は不吉だって前から言われてたもんね」と言われてカッとなるレイ。初めてセーラーマーズに変身して「やっと分かった、私に力があった理由。不吉な力なんかじゃなかった」と涙を流すレイ。レイは、霊感のせいで、自分はパパから見捨てられたのだと思いこんでいる(Act.8)。だから「不吉な力」という言葉には過剰に反応する。詳しくはこの日記第5回をご参照ください。
【Act.4:亜美とレイ】「(亜美)レイさん、もしかして、仲間が怖い?」「(レイ)え?」「(亜美)ごめんなさい。ちょっと、分かるような気がしたから」「(レイ)そう…なのかな…。友達とか、家族とか、いつかきっと壊れるから…今までずっとそうだったし」うさぎや亜美と仲間になることを拒むレイの強気な態度が、実は自分の心の弱さを隠すためのものであることを亜美は勘づいている。でもその根底に父親との断絶によって負った傷があることはまだ知らない。だから「家族とか、いつかきっと壊れるから」というレイの言葉の後半部分は理解できない。亜美はママとの絆を信じている。共感と異和感。
【Act.5:亜美とレイ】朝、部屋でめざめる亜美。ホワイトボードには「今度の模擬テスト、期待してますね」というママからの伝言。これに対して再びホワイトボードが登場する今回、Act.33で、それを受ける「この間の模試の成績さすがね」というメッセージが書かれていることに注意。もちろん間が空きすぎているので、同じ模擬試験を指しているわけではないだろうが、伝言の内容が往復している。亜美が努力して良い成績を取るのは、ママとコミュニケーションをとるためなの手段なのである。Act.5はそんな優等生の亜美が、うさぎの友情を失う不安から無理をするエピソードであるが、その様子をはじめから「私はおかしいと思っていた」と心配していたのはレイであった。
【Act.6:レイ】ジュピターに初変身したまことに「でも、もう男に惑わされるのも終わりよ」レイの男嫌いが初めて明言される。次のAct.7のラストでも、男のことであれこれ悩むのは「くだらない」と言ってまことと対立する。こういった男嫌いの根っこにはファザコンがある。
【Act.8:レイ】父親の秘書に連れ去られたホテルで、まことに「パパはね、私の持っている力が嫌いなの。だから神社に預けたのよ」と告白。
【Act.9:亜美とレイ】レイは成田物産社長から、幻の銀水晶らしき宝石をタキシード仮面から守って欲しいという依頼を受ける。成田はその年齢も、社会的な地位のある名士という点も、パパを連想させる。そんな人物が自分の霊感を頼ってきたということがレイの心の傷を刺激する。「どうせ私の変なウワサ聞いたんでしょ。こんなときだけ私の力をあてにしないで欲しいわ」と唇をかむレイの様子を見て何かを感じ、「じゃあ私が」と、レイの代わりに弟子の巫女となることを進んで引き受けるのが亜美。
【Act.10:レイ】少女時代の回想「ママは死んだんじゃなくて、月に帰ったの」とほほえむ少女レイ。しっかり者のレイが、実は「夢みたいな、ものだけど」そんな空想にすがって母親を失った淋しさに耐えてきたことをうさぎに告白する。あのときの傷は、もう癒えたのでも克服されたのでもないのだ。
【Act.16:亜美とレイ】「裏表のない人間なんていないわよ。誰だって、いろんな自分がいるわ。私だって」とマーキュリーを叱るマーズ。「レイちゃんも?」亜美にとっては、そんなふうに自身の内面の葛藤を正直に告白してまで励まそうとしてくれたレイの誠実な気持ちが、なにより嬉しかった。ここで「私だって」と言うレイは、おそらく胸中では父親のこととなるとどうしても取り乱す自分のことを思っている。それに対して最後のシーンで、亜美は手作りクッキーに添えるカードに「ママへ」と書く。
【Act.17:レイ】レイ墓参り。「あなたがお父さんと一緒に来たら、もっと喜ぶでしょう」と言う神父に「父は、母が死んだときにも仕事をしていたような人です。母も望んでいないと思います」と冷たく答えるレイ。しかし無言でそっと優しくレイの肩に手を置く神父(=ファーザー)。次回Act.34への引きとなる名シーンだ。
【Act.21:亜美】クンツァイトの術にかけられ、一時的に幼児への退行化現象を起こした亜美は、世話をしてくれたまことに「遊園地行きたいな」と言う。木馬遊園地(という名前はAct.27に出てくる)のメリーゴーラウンドこそ、亜美の記憶の原点、両親の愛にはぐくまれて何も悩みのなかったころの想い出の場所である。ここで亜美の最も幸福な時代は終わり、そこから現在の屈折した亜美の性格がかたちづくられていった。だから、そこからまったく違う成長の仕方をすればありえたかも知れない「もう一人の亜美」ダークマーキュリーとして誕生するために、亜美はこの場所へ戻らなければならなかった。そしてここから娘の葛藤が静かに始まっていたことに気づかなければ、ママは亜美を見つけることはできなかった。

 ざっとこんなもんだと思いますが、見落としがあったらまたコメント欄の方でよろしくお願いします。特に今回の「レイと亜美」というカップリングにつながる伏線として注意しておきたいのは、Act.4、Act.5、Act.9、Act.16という流れである。Act.4の対話で二人は互いの孤独な胸のうちをほんのちょっと理解し合う。Act.5で、レイは人知れず努力している亜美の気持ちを推しはかる。Act.9で、亜美は霊感少女レイの心の傷をそっとカバーしてやる、Act.16では、亜美が自分の心の暗部をさらけだすと、レイもまた、自分も他人から思われているほど強い人間ではないのだと告白して励ます。二人は互いが「素直に自分を表現することができない」という共通する問題をかかえていることを知っている。そしてその根源には「肉親とのコミュニケーションの欠落」というこれまた共通する問題が横たわっている。にもかかわらず、亜美はママの言うことになら何でもしたがい、レイはパパの言うことになら何でも抵抗する、という正反対の態度となってあらわれる。いちばん分かり合えていていちばん分かり合えていない。そしてとうとう今回、レイと亜美は衝突する。

8. 終わんなかった……えーい次回予告だ!!


 とここまで書いて、もう日曜日の昼も過ぎた。今週は週末も帰りが遅かったりして、書くのに手間取ってしまった。本当はこれから、これらの資料をベースに、「レイとパパの物語」「亜美とママの物語」を比較して、二人の悩みの共通点と相違点を考えてみたいと思っていたのだが、時間の都合でそれは次回Act.34のレビューに回します。中途半端ですみません。
 あ、いや次回の原稿はもう半分以上出来ていたんだ。水曜日あたりに、他人のブログで遊ぶ禁断の企画「『M14の追憶』2年間の軌跡を振り返る」をUPしますので、『M14の追憶』を愛読されているみなさん、お暇なら読んでみてください。そしてその次がAct.34レビュー、今回の続きの回になります。おそらく日曜か月曜にあがります(もっと早く書けますように)。ではそういうことで。


【今週の猫CG】Bパート、猫ルナが人ルナに変形するとき、わずかにCGと言えなくはない(7時47分)。
【今週の待ちなさい】Cパート、後半のバトル。セーラーマーズ(7時53分)と、そのマーズの助けに入るセーラームーン(7時55分)、2回あります。


(放送データ「Act.33」2004年5月29日初放送 脚本:小林靖子/監督:舞原賢三/撮影:小林元)