実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第52回】『M14の追憶』にトラックバックの花束をの巻


 すっかり年の瀬だ。松下さんと沢井さんの『眠れる森の美女』が遙か南の地で(失礼だろそれは)再演される日も近い。12月25日分なんか前売りが完売だぞ完売。danteさんには悪いがバンザイ!そして安座間さんが20歳におなりになる日も間もないが、それより早く今週末には、2004年12月17日より始まった『M14の追憶』が開設2周年を迎えられます。
 そもそも私のこの日記は、第1回に書いたとおり、『M14の追憶』の呼びかけに応えて始まった。そうしたらいきなり御本人からコメントがついて驚いたり(「はてなダイアリー」同士でリンクを貼ると自動的にトラックバックが送信されるということを知らなかった)さらにブログの本文記事でもご紹介いただいて、初回からいろんな方に好意あるコメントをもらったり、間もなくD.Sさんから「セーラームーンリング」へのご招待をいただいたりして、だんだん深みにはまり込んでいった。その結果、再放送の生視聴にこだわって寝不足になったり、大量のレビューを書きまくって腱鞘炎になったりもした。元はと言えばみんなM14さんのおかげだ。ほんとうに感謝しています。そんなご縁もあるので、今回は2周年記念企画として、その軌跡を少しばかりドキュメントしてみます。

 

 で、『M14の追憶』といえば「ネタがない」だ。違うか?しかしまあともかく、これほど「ネタがない」と言いながら続いているブログというのも珍しいのではないかと思う。なので今回はちょっとそのへんの謎に迫ってみたい。私自身、いまはまだ「地域限定の再放送」というネタに恵まれてはいるものの(ネタなのか?)、そろそろ来年3月に放送が終了した後を考えなければいけない。その参考にしたいということもある。はたしてネタ不足をなげくのも芸のうちか。継続のコツはほんとうにこれですべてなのか。何か特別な秘訣はないか。それともやはり「ブログの神様」に祝福されているのか?
 まずは検証だ。以下のリストをご覧ください。

2004年12月21日「いまのところ今週分しかネタがありません」
2004年12月25日「年内はネタがもちそうです」
2004年12月28日「ネタが出そろったところで最終回を考えたい」
2005年01月13日「原稿のストックが尽きました(泣)」
2005年01月20日「話のネタもさることながら書籍、DVD、CDを探すのも一苦労」
2005年01月23日「さすがに毎日書けるだけのネタが無くなってきた」
2005年02月01日「ブログのネタ集めも楽じゃない」
2005年05月18日(別館設置後)「とても両方に書けるほどのネタは無い」
2005年10月11日「セーラームーンのネタを思いつくまでの場つなぎはこれ」
2005年11月14日「何かネタはないか」
2005年11月28日「ネタが無いのでact16を見よう」
2005年12月19日「でもさすがにネタが無いので早く続編を作って欲しい」
2006年01月25日「ネタが無い」
2006年02月22日「なにかネタはないか」
2006年03月11日「週の後半に出張が無いのは久しぶりだ。で、ネタも無い。」
2006年06月05日「木曜日あたりにネタが無くなって書くかもしれん」
2006年06月29日「明日から出張なので次回の更新は週末です。ネタが...」
2006年07月12日「ううっ、次のネタが無い」
2006年09月27日「日々、ネタ切れの恐怖との戦いなわけです」
2006年11月13日「これが終わったら本当にネタが無いんですが」

 最後に引用した先月13日の日記には、続けて「2ヶ月に1回はこんなことを書いているような気がする」と書かれています。以上を総計すると19回になりますが、集中的に「ネタがない」と連呼している時期もあるので、だいたいそんなもんでしょう。わりと正確な自己分析である(笑)。
 というわけで、たんなる印象ではなく、本当にこの方は、2年にわたってコンスタントに「ネタがない」とぼやき続けていることが立証された。しかし本音はどうか。御本人の回顧によると「思えば昨年の11月から12月がいちばん苦しかった」(2006年4月13日)ということらしい。ちょっと覗いてみましょうか。昨年、つまり2005年の11月のタイトル一覧はこんな感じ
 うーんなるほど、こりゃ大変だ。もう苦しまぎれに手当たり次第ネタにしている感じ。11月14日15日16日あたりはネタにすらなっていない。美奈子の立ちくらみ状態だ。
 そして12月はこれだ。これも全体的につらそう。クリスマスイブの「実話・一杯の牛丼」なんて涙を誘われる(そんな話ではない。ちゃんと読んでるのか?)。
 ともあれ、この時期の不振の最大の理由は、やはり戦士たちの活躍不足のために志気が落ちた、ということではなかろうか。実際、2005年は実写版のファンにとってはいまいちパッとしない年だった。見事に一年間の主役を張った余勢を駆って、ドラマに映画にと、先兵としてダッシュをかけることが期待された沢井美優は、イメージDVDを中心に固定客相手の商売に終始して、マイナーなところに落ち着いてしまった。いやもちろん沢井美優がファンを大切にしてくれることに文句はないのだ。私は事務所の責任を問うているのである。そして浜千咲の営業停止。これも被害は甚大だった。当初はこの二人がローテーションの柱になって実写版のファンに話題を提供してくれるはずだったのだが(勝手に決めるなよ)、実際には2005年を支えたのは小松彩夏であった。しかしグラビアやファンタは、着衣で十分通用するこの美少女の価値にふさわしい使い方とは言えないし(だから勝手に決めるなよ)、テレビへの出演はほとんどサブリミナル映像のようなものであった。
 あの頃はそんな感じで、正直いって2005年末ごろには、なんだかセーラー戦士たちもこうやってだんだん見かけなくなっていって、小松さんも週刊ナントカの袋とじの彼方に消えていくのかなあ、と淋しい思いだった。M14氏の低迷もそのへんと関係があると思う。実際、年が明けて 北川景子ハリウッド進出のニュースが入り、あの嵐を呼んだ激動の北川ブログも開設され、北川様の怒濤の大進撃が開始されると、安座間美優『ガチバカ』レギュラー、沢井美優も、あまり触れたくはないが『チェーン連鎖呪殺』ようやくリリース、そしてミュージカルに挑戦などと、少しずつ明るい灯がともりはじめ、そういった動向と歩調をあわせて『M14の追憶』も息を吹き返す。2006年4月13日の記事に「戦士たちが媒体に露出してくれると、ネタもさることながら、こちらの気力が増進する」という述懐が見られるが、やはりネタがないことよりも気力の問題だったのではないかと思うのである。

 

 しかし改めて上のリストを見ると、実はその「一番苦しかった」という2005年の年末よりも、ブログ開設当初の2004年12月末から2005年1月までの方が「ネタが」「ネタが」と繰り返していることに気づかされる。1ヶ月間で実に4回。週1回のペース。
 ところがいま読み返すと、さほどネタに詰まっているという感はない。2004年12月に書かれた記事の一覧はこちら、2005年1月はこちらをそれぞれご参照ください。ね、実に充実したラインナップでしょう。ではこの第一期の「ネタがない」とは何であったのか。御本人の弁では、開設当初は一週間分はできていた原稿が、どんどん目減りしていったことへの怖れなのだという(1月15日)。いまから思えば贅沢な話である。
 確かに言われてみると、1月13日には「原稿のストックが尽きました(泣)」と泣きが入って、翌14日はいきなり「サトウの切り餅」である。また1月22日の「戯曲・セーラールナの誕生」は初の創作系の試みであるが、これなんかも、ちょっと苦しくなってきたかな、という感じで、実際その翌日には「さすがに毎日書けるだけのネタが無くなってきたので、今後は不定期更新になりそうである」という弱音が出る。しかし、翌日は「愛野美奈子の逃避行(前編)」であり、その後も「タキシード仮面とセーラーヴィーナス」そしてその翌日も……と持ち直しており、結局2005年1月もほとんど実写版の考察に終始している。
 そう考えると、ここでも本当の不安はネタ不足よりも別のことにあったのではないか、つまり「こんなこと始めてしまったが、どこまで情熱をもって続けられるだろうか」という前途に向けられていたのではないだろうか、と思えてくる。なにしろ「実写版セーラームーンが終わって2ヶ月が過ぎた。やっとセーラームーンの無い生活に慣れた」という時点で実写版の世界を語り始めようというのだから。遠ざかる感動の日々をどこまで新鮮な気持ちで思い起こし、記録にとどめることができるかという不安との戦いであったのだろう。

 

 あるいは百歩譲って、本当にネタ不足に喘ぎながらの出発だったとしても、それはそれで変ですね。そもそもネタがないと連呼しながらブログを始めるなんて話、聞いたことがない。そう考えると、やはりこの時期に、将来的なネタ不足を予測しつつもこういうことを始めた、始めなければならなかった意義について、我々はもう少し考えておくべきではないか、と思うのである。では「こういうこと」とはどういうことか。
 たとえばさっきも引用した、記念すべき第1回目の記事をもう一度見てみよう。この回はうさぎのキャラクター分析に当てられている。「実は物語の形成にいちばん影響が大きいのが、うさぎの人物設定なのだ」。アニメでは戦士たちのリーダーであり、常に最後に必殺技で敵を倒す最強の戦士であり、聖母のような慈愛で仲間を庇護するプリンセスであったうさぎ=セーラームーンが「実写はただの中学生」であった。まずここにポイントを置いて実写版の世界を読み解いていこう、というところから初期の考察は書き始められている。
 でもほんとうは、実写版のうさぎも、そこまで極端な「無人格の主役」ではない。というか立派な主役だ。にもかかわらず、なぜ『M14の追憶』はそう断言するところから始まったのか。
 ひとつには最終回の印象があると思う。放送終了後2カ月といえば、私なんかも、まだあの結末の割り切れなさが尾を引いていた時期であった。『Special Act』(2004年11月26日発売)というフォローはあったが、あれはあくまでもボーナス・トラックで、本編終了後の釈然としない感じを完全に打ち消すまではいたらならかった。そしてその原因は、やはり物語のまとめ役としての主人公の不在、そこからくるカタルシス不足にあった。普通のヒーロー物だったら最後にきっちり話をしめるはずの主人公が、プリンセス・ムーンに人格をのっとられたまま終わって、とってつけたようなエピローグが最後に来る。それを観終わった後の「???」という空気が、まだ濃厚に残っていた頃だ。このあたりの問題は12月28日から4回にわたって続いた「最終回の意味」で考察されている。そしてここまでが開設当初から用意されていたネタである。主人公の存在感の希薄さが、前半のお話を少女たちの群像劇として成り立たせるためのプラスの要因としてはたらきながら、後半では前世をめぐる物語をまとめきれなかったマイナスの要因としてはたらいた、そういう「諸刃の剣」ともいえる実写版の構造を明らかにする、というプランに沿って、初期の考察は書き進められている。だから第1回は、うさぎのキャラクター分析から始められた。
 それからもうひとつの個人的な理由としては、M14氏が、初回放送時には実写版を「うさぎの物語」としてそれほど強くは受け止めていなかった、ということがある。私が以前この日記の第22回でAct.15を長々と(いつもだけど)レビューしたら、M14さんからは「すごいな。act15をネタにできるなんて。そうか、うさぎと衛の恋愛ストーリーでは重要な回なのか」というコメントをいただいた。私はむしろ『M14の追憶』が、うさぎと衛の恋愛物語としては前半のカナメとなるAct.13やAct.15にあまり触れていないことが不思議だったので、このコメントには「なるほどそうか」と膝を叩いたものである(ポン)。どうも最初はうさぎの恋愛ドラマにあんまり関心がなかったみたいなのだ。ついでに言えば、最近のM14さんが、自分では沢井党の「準」党員としか名のらないのも、「実写版をうさぎの話として観ていなかった自分には正規の党員を名のる資格なし」という後ろめたさゆえのことと推察している(それと小松彩夏にミサオを立てる気持ちがちょっと混じってもいるのだろうな)。でもまあ最近の活動ぶりは、沢井党の広報隊長と呼んでもいいくらいのもんです。確かに歯茎だマイナーだといつもひと言よけいな人ではありますが、情報提供者の万丈(呼び捨て)やsakuraさん(その後お身体の具合はいかがでしょうか?)はじめ沢井党の皆さん、党員として認めてやってください。あ、もう認めているか。ところで沢井さんのラジオ番組、どうなっているのでしょうか?
 話を戻す。『M14の追憶』が、うさぎを「無人格の主役」と断定したところから始まった背景には、そういった諸々の事情もあるにはあると思うのだが、ここにはもうひとつの大きな理由が隠れている。実はこの「うさぎの印象が薄すぎる」というのは、実写版放送当時、いわゆるアニメ版原理主義者たちによってあちこちの掲示板に書き込まれた批判を代表する意見なのだ。

 

 2003年10月に実写版セーラームーンの放送が始まるや、ネット上では「ここがアニメと違う」という指摘がぞくぞくと開始された。まずターゲットはうさぎであり、そして「IQ300の天才少女」ではなくて「内気な優等生」だった亜美。まあアニメ版を基準に実写版を見ればそういうことになるよね。とりわけうさぎに関しては、主役だけに指摘は集中した。もちろんそれはそのとおりだ。実写版のうさぎは、常に力強い正義の戦士でも、あるいは聖母でもない。明るいけれども、アニメのうさぎならびくともしないような日常の小さな出来事に傷つき悩みもする普通の女の子だ。そしてそういう「アニメと違う」設定から、実写版ならではの魅力ある世界が切り開かれていったのである。
 ところがアニメファンの一部には「アニメ版こそ完全なセーラームーンである」という前提があった。一世を風靡したアニメ版のブームを考えれば、そういう気持ちも分からなくもないのだが、そのために「違う」という指摘がそのまま「間違っている」という批判に直結していったのは不幸なことだった。アニメのうさぎと違う。だから失敗作だ。そういう考え方で行くと、逆に「違っているから面白い」と実写版を評価すれば、当然「アニメを批判するのか」と反感を買うことになる。二者択一というか踏み絵というか。さらに言えば、実写版を熱中して観ていた我々にも、その全体像を語ることはまだできなかった。なにしろ多くの謎や伏線をはらみつつ、物語は進行中だったのである。こうして実写版の支持者は、バッシングの嵐に語る気力を失い、荒れていく掲示板から徐々に去っていった。
 私も早々に去っていったひとりだから正確には分からないけれど、放送終了後2カ月も経った頃には、アニメ原理主義者の批判キャンペーンも、おおむね沈静化したのだと思う。あの方々は、結局、実写版は低視聴率に終わったという事実にそれなりに満足して「あれはなかったこと」にして終わったのではないだろうか。
 で『M14の追憶』に話は戻るが、要するにそんなタイミングでのブログ開始だったのだ。放送終了後2カ月。非常に微妙な時期だ。あの毎週土曜日朝が待ち遠しかった日々の記憶も鮮明に残っている。DVDのリリースも続いている。改めて全体を振り返りながら、アニメと違う実写版の世界を落ち着いて検証することができる。そのようにして第1回目は、かつて最も批判された「実写はただの中学生」という、うさぎのキャラクターをめぐる考察から書き始められた。ブログとして公開する以上、それを他にもいるはずの、アニメ原理主義者の言われない非難に悲しい思いをした実写版のファンに届けたいという気持ちはあっただろう。けれども放送終了後「まだ」2ヶ月でもある。あまり目立つと、ようやく静かになった状況を再燃させてしまう可能性もなくはなかった。だから隠れるようにひっそりと始められなければならなかった。一応 12月30日のコメント欄に、記念すべき最初の訪問者としてかの長茄子さんのお名前を見ることができるが、総じて来訪者は少なく、現在の、ほとんど掲示板と化している毎晩深夜のお祭り騒ぎがうそのような静けさである。その静けさのなか、実写版をめぐるあれこれの想いが、アニメ版との比較を中心に、文字通り黙々と綴られているのだ。

 

 以上は、当時を知る方々には言わずもがなのことであるが、最近は私のブログのコメント欄にも、後からビデオでファンになられた方が書き込んでくださっているので、ちょっと状況を書いてみた。改めて言うが、これら「初期M14」(by D.Sさん)はどれも「ここがアニメと違う。だからダメだ」というかつての批判に対する「ここがアニメと違う。そこがよかった」という遅ればせながらの返答なのだ。これから初期の『M14の追憶』を読まれる方は(面白いですよ。いや別に最近のがどうとか言うわけじゃなくて)、そのへんのことを頭の隅っこに入れておいていただきたいと思う。そうすれば、たとえば「セーラームーンでなくても倒せる妖魔」という、今となってはどうということもないタイトルが、当時は下手をすれば一部の人々に挑発と取られかねない刺激的な題名であった事情が分かるはずだ。そしてそう理解すれば、その本文で「つまり実写版ではムーンが特別に強いわけではないのだ。なんて素晴らしい設定だろうか」と言いきって溜飲を下げた後に、わざわざ注をつけて「アニメファンは許せないかもしれないが」と突っ込みをいれたときの、「万が一あの人々の来襲があったらどうしよう」という一抹の不安も読みとれるはずだ。あるいは「1月8日の記事で「随所でアニメ版と比較をしているので、私が原作やアニメを批判していると思われたら、それは誤解である」という言わずもがなの釈明に一回分が費やされなければならなかった理由も分かるはずである。ほんの2年前は、まだそういう言い訳が必要だったのだ。いや、本当はこんな記事を書いている今でも、私は少し不安だったりする。

 

 というわけで、結局「ネタがないと言いながら続けられる秘訣は何か?」という疑問に対する答えはよく分からなかったが、でも私としては、「ネタがない」という他人のブログを1回分のネタにできる、という発見があったことは、ちょっとした収穫だった。これもブログの神様の恩寵か。
 ともかく「何度でも不死鳥のように甦れ!」なんてカッコいいことを言うとプレッシャーになるかも知れないので「瀕死の状態でもだらだらと生き続ける」というあたりで、これからもネタ不足をぼやきながら頑張ってください。2周年おめでとうございます。後は今回の、書いた私もいくつ打ったか把握していない大量のトラックバックに、先方の携帯やPCが持ちこたえてくれることを祈るばかりである(だったらリンク貼るなよ!)。