実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第31回】リアル沢井さんに感無量の巻(ミュージカル「眠れる森の美女」)

1. というわけで行ってきちゃいました


 今週も再放送はお休み。代わりに、昨日8月27日(日)岐阜県多治見市、笠原中央公民館の『眠れる森の美女』公演に行ってきたのでそのことを書く。地方公演の日程が公表された当初は「ちょっとこの日は無理だなあ」とあきらめていたのだが、その後、こちらの夏の予定もいろいろ変更になって、めでたく行けることになった。本当にうれしい。
 一方、関西支部ぽんたさんは、色々ご都合もあって、結局8月25日(金)の兵庫県淡路島公演(驚愕の入場無料)には行けなかったようである。ただ入場整理券がどのようなものかはエスティマ日記で拝見できます。こんなかんじ。ぽんたさん代わりに行ってきましたよ。遅くなりましたが500記事達成おめでとうございます。ぱちぱちぱちぱち。と言いつつ関西支部と名古屋支部は明晩より緊張関係に入る。優勝マジックは着実に減っているものの、中日もここのところ負けぐせがついている。直接対決の結果次第では大どんでん返しもないではないということだ。

2. これが地方公演だ



 会場だった多治見市の概況については、先日のM14さんの連続企画「ようこそ、うさぎちゃん!」にゆずります。名古屋市内からはJR中央本線の快速で、およそ30分で多治見駅に着く。そこから東鉄バスに乗って20分もすれば「笠原町役場前」。役所に隣接して公民館はある。バスの本数が少ないので注意しなければならないが、所要時間は約1時間。それほど遠くへ行くという感じはない、はずなのだが、体感距離はすごく長い。遙か田舎へ来てしまった気さえする。いや多治見の方すみません。
 とにかくバスが上り坂を進んで行くうちに、道はどんどん曲がりくねって、しかも「こんなとこ大型車両が通れるの?」と思うくらい細くなっていくのである。窓の外には緑が拡がり、同乗していた四、五人のおじいちゃんおばあちゃんは、時たま停留所で一人、また一人と降りていく。乗る人はほとんどいない。傍らの娘も「お父さん、本当に大丈夫?」と不安げだ。お父さんだって知らないよ。
 昔はセラミュに連れて行くと大喜びだった娘も、小学校高学年になった最近は、こういうのはほとんど父親への義理でつき合うという感じ。実写版のキャストやモー娘のファンだったのも今は昔で、最近はもっぱら山Pと亀梨君だ。ジャニーズだ。山下君と沢井さんは両立するっていうことを、いちどsakuraさんのブログでも読ませて教育しなければいかんなあ。
 などと思っているうちに着いた。笠原中央公民館だ。ちゃんと『眠れる森の美女』の看板が出ている。よかった。電話で予約しておいたので、親子ペアチケットは前売り料金の3000円だ。もちろん全自由席。入っていったら劇団東少の公演パンフもちゃんと1000円で売っていた。
 ホールは600席あまり。後ろ半分は、なんとはじめから座席にカバーがかけてしまってある。おそらく前売りの段階で、半分は埋まらないと判断したのであろう。通路を隔てた6列目の真ん中寄りに席を取り、午後1時30分の公演開始直前に、この父親はいったい何をやっているのかという自分の娘の視線を気にしつつ、観客数を数えてみる。200人は入っているんじゃないか。でも250はいないな。ほとんどが家族連れだから、世帯数としては100組弱だと思う。残念と言えば残念だが、まあ実写版も555も放送終了から一年以上経っているし、今回の地方公演の中では料金も高めだ。場所を考えればこんなものだろう。むしろ問題は、途中で飽きてしまう小さいお友達がどれくらいいるか、ということだが、結果から言えば、みんなけっこう静かに観ていて、環境は非常に良かった。多治見市の子どもたちはみんな良い子だ。隣の幼稚園年長くらいの女の子が、始まってから何度も「セーラームーンはいつ出てくるの」と小声でお母さんに尋ねていたのが微笑ましかったです。


 芝居の内容については、danteさんの観劇レポートがある。石肉さんやナイジェルさんも、後日詳細をアップされる予定だそうである。詳しく語ろうとするとどうしてもネタバレになるので、地方公演の全日程が終了してから発表するということなのだろう。danteさんもその点に配慮した書き方をされている。私もそうしてもいいのだが、後になると忘れてしまいそうだし、実は第12回目の日記で当てずっぽうで書いたことがけっこう間違っていたので、今のうちに訂正しておきたい。なので、なるべくこれからご覧になる方の興ざめにならないよう、短めの第一幕、ストーリーの基本設定に関することを中心に書いてみます。けれどもやっぱりまったく白紙の状態で観劇したいという方は、申し訳ないけれどもここから先は読まないようにして下さいね。

3. 初演は激動の60年代だった そして演劇は時代を反映する



第12回目の日記で、私はこのミュージカルの初演は1996年の夏休みと書いたけれども、会場で買った公演パンフに、脚本の重森孝氏が書かれているのを読むと、これはぜんぜん間違いであった。初演はなんと1965年(昭和40年)の夏で、重森氏自身の脚本・演出だったという。この時のキャストは王女が西沢和子、王子が木俣貞雄、料理番の娘が森田和代。西沢和子というのはテレビアニメ『あしたのジョー』で白木葉子の声をあてた方だろうか(劇場版では壇ふみに変わっていた)。あとは知らない人だ。
 その翌年、東京都芸術祭公演として、東京文化会館で再演されたときはかなり豪華。王女は松島トモ子で、「緑の妖精」が森下洋子。音楽は大町陽一郎指揮、東京都交響楽団によるナマ演奏で、スタッフ・キャストは総勢200名以上であったという。すごいね。その後もこの脚本による上演が全国で行われたという。
 劇団東少の三越劇場ファミリーミュージカルが定期公演化するのが1980年、その演目として初めて『眠れる森の美女』が取り上げられたのが1989年夏公演だそうだが、この時のキャストは書かれていない。そして1996年の小田茜版、2000年、20001年の細川ふみえ版、2006年の松下萌子版、ということになるようだ。
 なるほど、それで分かったよ。『眠れる森の美女』の舞台といえば、チャイコフスキーのバレエとか、その音楽を使ったディズニーのアニメとか色々あるが、このミュージカル版の最大の特徴は「料理番の娘」というオリジナル・キャラクターにある。重森氏がどんなことを考えてこういう脚本にしたか、1965年という初演の年を考えるとよく理解できるのだ。
 この有名な童話のあらすじは、さっきの第12回や、同じくこの日記第18回でも少し触れた。大抵の人も知っているとは思うが、今回のミュージカル版の第一幕に相当する部分だけ、簡単に紹介しておく。
 ある王国に王女が生まれ、盛大な祝宴が開かれる。王国に住む三人の妖精が祝福に駆けつけ、一人目の「赤の妖精」は不思議な魔法で王女に「美しい歌声」をさずけ、二人目の「緑の妖精」は「かろやかに踊れる力」をさずける。
 そこへ、招待を受けなかったことを妬んだ黒の妖精があらわれ、呪いをかける「王女は18歳の誕生日に、糸車の針に刺されて死ぬだろう」。動揺する王や王妃たち。だがそこに寝坊して遅れた三人目「白の妖精」がやって来て「王女は死ぬのではなく、長い間眠るだけでしょう。そしてその眠りの中で、黒の妖精の呪いを解く力を得るでしょう」という魔法をかける。ここまでの大筋は、もとの童話どおりだ。
 一方、その同じ日に、城の料理番夫婦にも娘が生まれる。「お前もたいした子だよ、王女様と一緒の日に生まれてくるなんて」。とはいえ、自分の子供が生まれた喜びにふけっているヒマもない。王女誕生の祝宴に駆けつけた沢山の客のために、数々の豪華料理を準備しなければならないのだ。たったひと皿だけ、残り物の料理を自分の娘のためにとっておいて、ふとひとりごとを言う料理番「だけど不思議だな。王国一の料理人の娘のためのお祝いが、このたったひと皿の料理だなんて」
 そこへ王様からのお触れが伝わる。「王女は糸車の針に刺されて死ぬ」という黒の妖精の呪いに動揺した王が、国中の糸車を集め、すべて焼き払うから差し出せ、というのである。料理番夫婦も糸車をもっている。しかし料理番の妻はそれを王様に差し出すことを拒む「これは私のお母さん、お母さんのお母さん、そのまたずっと前のお母さんから回し続けた糸車。私がこの子に残せる物はこれしかない。いくら王様の命令でも、それだけはできない」というわけで、料理番夫婦は、糸車をこっそり物置きの奥にしまい込む。そのたったひとつ焼かれずに残った糸車は、やがて王女にかけられた不吉な呪いを実現することになるだろう。
 糸車とは何か。夜ごとの糸つむぎを主な副収入にしていた中世ヨーロッパ農村部の女性たちにとって、それは昨日・今日・明日と、同じ労働の繰り返しによって織りなされていく時間の流れであり、そのなかで糸と共に紡がれていく、悲喜こもごもの生活を象徴している。糸車には庶民たちの先祖代々の、生活の喜びや悲しみの記憶が、すべて染みついている。いくら王の命令だからといって、それを燃やしてしまうことはできない。王侯貴族の優雅な生活は、そのような庶民たちの地道な暮らしに支えられてはじめて成り立っているのだから。
 童話の『眠れる森の美女』では、糸車は、ひとつだけ忘れ去られて城の奥に眠っていて、それを18歳の誕生日を迎えた王女が偶然見つけることになっている。だから糸車の意味は様々に解釈することができる。しかしこのミュージカル版では、糸車ははっきりと、ブルジョア階級に対する、プロレタリアの生活を象徴している。だから王の命令にもかかわらずそれを隠した料理番夫妻の行為は、中世の封建社会における、支配者階級に対する被支配者の、ささやかな階級闘争を暗示している。


 なんて意味を児童向けのミュージカルに読みとるのは、それちょっとどうよ、と思われる方もいるかも知れない。でも多分そうだ。もう一度繰り返すがこの脚本が書かれたのは1965年(昭和40年)、時代は60年安保と高度経済成長の真っ盛りである。ベトナム戦争なんてのもあった。って私はさすがに学生運動なんか経験している世代でもないのだが、70年代の前半だったら記憶に残っている。当時、演劇運動などに関わっていた芸術家たちの間には、寺山修司とかが代表的な例だけれども、そういう、なんというか左翼的な発想で、古典的な童話や物語を読み替えるという試みがけっこう流行っていた。このミュージカルが、「王女として生まれ、物質的には恵まれて、なにひとつ不自由なく育てられながら、心の貧しいブルジョア階級の女の子」(松下萌子)と「料理番の娘として生まれ、生活は貧しいが心の豊かな労働者階級の女の子」(沢井美優)という二人の対比を軸につくられているのも、そんな60年代的な心情を反映するものであることは、間違いないと思う。
 私は第12回目の日記で、今回の公演は、沢井美優の「料理番の娘」役を膨らませるために、もともとの脚本をけっこう改訂しているのではないかと書いた。でもいま述べたように、料理番の娘は、王女と対照をなす役として、初演からかなり重要なパートを占めていたはずだ。
 それから、糸車の針に触れて眠りについた王女が、夢の中で出会う「料理番の娘」の役どころだが、danteさんの観劇レポートで読んだときには、ひょっとしてこれは沢井美優ファンを意識した今回の趣向かな、とも思っていた。でも、パンフレットの最後の方に載っているこれまでの公演のスナップ写真を見ると、細川ふみえ版でもやっぱり、そこでの料理番の娘の役は同じであることがわかる。
 要するに今年の公演のための大幅な改訂はなされていないのだと思う。というわけで12回目の日記で予想したことは、たいへんな誤りであった。訂正とお詫びを申しあげます。

4. 見どころを、ほんの少し


 それから、まあ色々あるが、あとは気づいた点をざっくりまとめて終わります。全体の構成は二幕九場。第一幕は40分程度、間に15分の休息を挟んで第二幕は1時間あまり、ぜんぶでちょうど2時間という構成。第一幕は料理番の娘と王女の誕生、黒の妖精に呪いをかけられる王女、というところまでで、料理番の娘も王女も、ゆりかごの中の赤ん坊。彼女たちが成長した姿で登場するのは、第二幕からなんだな、と思ってのんびり構えて観ていたら、確かにその通りなんだけど、あっと驚く文字通りのサプライズがあって、私は思わず椅子から身を乗り出した。そうか石肉さんが書いていたのはこのことだったのか。あとでよく読んだらdanteさんももちろん書いていた。念のために詳しい解説をとばし読みしておいて良かった(?)。
 第一幕については「緑の妖精」についてもぜひ触れておきたい。1966年の東京都芸術祭公演では森下洋子がやった役。パンフレットによると、今回これは日によって別の役と入れ替わるダブルキャストだが、私が見た公演では矢嶋美紗希という人で、とても良くて今回の収穫でした。この人だけが、第一幕では唯一トウシューズを履いていて、かなり見応えのあるバレエを披露していた(ただし第二幕では普通の靴に戻っている)。
 第二幕は、よく知られている童話とはかなり違った展開になるので、ストーリーの詳細は伏せておく。と言いつつはじめの部分だけね。まず松下萌子の演ずる王女。とてもきれいです。王と王妃に大切に育てられ、美しく成長し、恵まれた生活で、部屋には高価なハープがあって、それをポロロンと弾いたりする。でも一向に心は晴れない。ここにはなんでもあるけどなんにもない。次に舞台は厨房に移る。こっちは高価も何も、そもそも楽器がない。なんにもないけど、料理番の娘もその仲間たちも、ナベやまな板を叩いたりして音楽を奏で、楽しく歌い踊っている、というふうに、ブルジョアお姫様と庶民の暮らしぶりが対比的に示される。沢井美優の歌と踊りを全面的に楽しめる見せ場はこの第二幕冒頭しかないので、これからご覧になる方はここのところは瞬きしないように。正直、もう少し沢井さんのソロの歌を聴きたかった。
 一方の松下さんは、さすがに主役だけあってけっこう歌う。アイドル唱法というのか、ミュージカルっぽくないのが何となく不思議である。溝呂木君は、歌については何というか。えーと、ともかく出てくるのが遅いので、彼を目当てのファンはやきもきさせられるに違いないが、後半にかっこよく決めてくれます(歌の説明になっていない)。

5. 特別な撮影会はありませんでした



 舞台終了後は恒例の握手。別に特別な撮影の機会が設けられているわけではなくて、子供が並んで握手するのを親が携帯とかで撮っているだけだが、何しろ客の数がせいぜい200人なので混雑しない。けっこうどこからでも撮れるし、自分の子供を撮ったあと、近づいて握手する親もいた。松下さんには悪いが、やっぱりここでは「うさぎちゃん」が一番人気ですね。全員と握手するにも大して時間はかからなかったはずだから、待っていた若干の大きいお友達らしき方々も、東京公演とは違って、あとから写真を撮らせてもらったり話したりする時間もかなりあったのではないだろうか。でも私は、娘の番が来るまで近くでずーっと沢井さんを観ていて、沢井さんと握手する娘を一枚撮っただけで満足して帰った。娘は「もう列終わるし、お父さんも並んで握手してきたら」と言ったが、いいんだ、お父さんは。ボンネットをかぶった可愛い沢井さんをこんなに間近に見ることができて、お前と握手するところが撮れたんだもの。


【公演データ】2006年8月27日(日)多治見市笠原中央公民館ホール 午後1時30分開演
劇団東少 子供のための名作ミュージカル『眠れる森の美女』
シャルル・ペローの原作による プロローグとエピローグのある2幕9場
<スタッフ>脚本:重森孝/演出:源紀/音楽:神尾憲一/振付:山本教子/舞台監督:倉本秀哉/プロデューサー:相羽源之助
<キャスト>王女:松下萌子/王子:溝呂木賢/料理番の娘:沢井美優/若者:高口真寤/王:小池雄介/王妃:中島由紀/大臣:水木竜司/女官長:中村ひろみ/白の妖精:花木佐千子/赤の妖精:山田麻由/緑の妖精:矢嶋美紗希/黒の妖精:大佳央