実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第29回】亜美ちゃんまこちゃん補完計画の巻(Act.19)


 いやあ、しばらくぶりです。テロ未遂事件で大騒ぎのロンドンから帰国、台風とニアミスしながら家族で実家に帰省、都内の停電騒ぎを横目にTDLと、なんだか慌ただしい日々でありましたが、おかげさまで無事でした。いやマジで帰国は大変でしたわ。免税店で買うつもりだったウイスキーも、妻に頼まれていた洗顔のナントカも問題外でアウト。長いフライト中にこの日記でも書こうかと予備のバッテリーまで買ったのに、ノートパソコンの持ち込みなんか無理無理。ニンテンドーやipodさえダメなんだからね。文庫本さえ取り上げられた。要するに荷物は持つなということだ。これだけチェックが厳しいと、当然スケジュールも乱れに乱れて、巨大なヒースロー空港はもう大混乱。ま、そのおかげで無事に帰れたんだからいいとするか。
 それにしてもロンドン、人はみんな親切だったけど、物価はやはり高いなあ。一泊15000円程度のホテルの部屋には冷蔵庫もないし、仕事の都合でコピー取ろうと思って町に出ても、普通の文具屋みたいなところのセルフサービスのゼロックスが、どこも一枚20円以上はする。うさぎちゃん、アイドルタレントのユウトの付き人でロンドンに行けたとしても、いつもお小遣いの足りないあなたじゃ一日も生活できなかったぞ。
 そんなわけで、回線使ってインターネットなんかしたらチェックアウトのときいくら請求されるか分かったもんじゃないので、まったく使わずじまい。その余勢をかってこの2週間、ぜんぜんネットにアクセスせず、自分のブログさえチェックしませんでした。で、一昨日名古屋に落ち着いてからようやく開いて、期間限定日記のコメント欄に大笑い。すごいなあ。ここは掲示板か。M14さんが管理人やってくださっている。こっちよ!さんはとうとう本当に名古屋に来られて再放送を鑑賞されましたか。ともかく本人の不在中にもかかわらずこれほどの御愛顧をいただき、ありがとうございました。約束通りの期間限定で削除しましたが、すべてのコメントは大事に保存しておきます。
 で、再放送をナマ視聴できないぶん、DVD第5巻を持ち歩いて、ヒマをみてレビューを書きためてペースが遅れないようにしておこうと思っていたのですが、なかなかそう上手くは行かないもんですね。なんだかんだと、もうぜんぜん余裕がなかった。やばい。それでも今週8月23日(水)はスポーツ中継で再放送が一回休みになるらしいので、なんとか追いつくつもりでいます。
 ということで、今回はえーと、Act.19だ。初回放送はずばり2004年の2月14日でしたから、もうバレンタインデーを題材にしないわけにはいかない。うさぎのお母さんがお友達から預かってきた小学生のひかりちゃん、ひかりちゃんが想いを寄せるボーイフレンドの大地君、大地君があこがれている家庭教師の陽菜、陽菜のフィアンセの衛、衛に片思いのうさぎ。小学生二人も加わって恋の五角関係、バトルロワイヤル篇です。うさぎに励まされたひかりちゃんは大地君に豪華5000円のチョコレートを渡せてひとまず上手くいったけれど、うさぎは、手編みのマフラーはもちろん、代わりにと思った義理っぽい市販チョコも衛に渡せずじまい。仕方がないのでタキシード仮面に渡す、というお話ですね。

1.監督ローテーションに難あり


 前回の日記にお寄せいただいたコメントで、これまで佐藤健光監督がどう評価されていたかということを遅ればせながら知って少々驚いた。そうか、けっこうそういうふうに言われていた人なのか。でも、だから付け加えるわけでもないが、評価しないという人の意見も、分からないわけでもない。つまり佐藤演出は、人物の距離感や動きの描写にすぐれた技量を発揮する反面、そういう動きがないシーンでの心理表現には、正直言って不満が残る。
 具体的には水野亜美。前回、前々回を通して、亜美はほぼ同じスタンスでうさぎの恋愛問題を少し離れたところから、静かに見守っている。表面的には何も行動を起こさず、ただ黙々と編み物をしている。けれどもその胸の奥深くには複雑な感情の流れが途切れず続いていて、それはAct.21以降の彼女の心理にも連なっている。
 編み物というのはほとんど動きがないから、ちらっと見ても何をやっているのかさっぱり分からない。作品ができあがってみて初めて、そうかこういうものを編むために、ずうっと地味な作業を繰り返していたのか、と分かる。まさにそんなふうに、亜美のかかえる様々な想いは、まだ表に明かされないまま、ひそかに織りなされ続けているのである。
 そういう、亜美自身によってはまだ語られない感情の流れがどのようなものか、ニュアンスぐらいは視聴者に伝わるようにフォローする、それが演出の役目だろう。けれども佐藤監督はそれをしない、というよりできない。佐藤監督は、立つ・座る・歩くといった動きとセリフの連動によるキャラクターの心理描写を得意とする反面、こういう動作の少ない場面での心理描写は苦手のようである。だから亜美が何を考えているのかはよく分からないし、マーキュリーに変身するまでは、登場していた事実さえ見逃しそうになるくらい印象が薄いのだ。
 で、そんな佐藤監督が初めて2話ぶんを担当した後の、今回Act.19と次回Act.20を演出するのが、三巡目となる高丸監督である。この人も、そういう微妙な心理のアヤを描くのがあまり、というかかなり得意ではない。そのことはAct.12でばっちり証明ずみである。証明されても困るわけだが。
 だから今回も、どうしてもそのあたりが気になってしまう。佐藤監督回に続いて、亜美の心理描写がまたしても非常に弱いのである。

2. いつも同じような場面の引用ですみません


 たとえば主題歌が終わった後の冒頭シーン。って私はこの日記でやたらと「主題歌が終わった直後のクラウンのシーン」を引用している気がするが、各エピソードのテーマやポイントとなる人間関係が、ここで簡潔に示される場合が多いのだ。だから各監督の特徴を検討するには、ここがどう演出されているかを見るのがいちばん手っ取り早い。というわけでついサンプルとして引用してしまうのです。まあ言い訳はいいや。

まこと「あれ、また編んでるの?もう課題終わったでしょ」
 亜美「うん、なんか好きになっちゃったみたい。今度は、手袋編もうと思って」
まこと「へえ。それもお母さんに?」
 亜美(みんなの手袋だとも言えず、困って)「う…ん」
まこと「私も誰かにあげようかな。色が合わないんだよね。うさぎの勢いにつられて買っちゃって。……うさぎ、マフラー完成したの?」
 亜美「うん。今日返してもらってた」
まこと「あれ、地場君にあげたいんだろうな。明日バレンタインだし」
 亜美「うさぎちゃんは、ただ編むだけでいいんだって言ってたけど、やっぱりちょっと元気なかった」
まこと「だろうな。好きになった人に彼女がいたんじゃ。でも将来結婚することになっているっていうのはまだ知らないよね」
 亜美「うん。言ってない」
まこと「どうしよう。本当のことは言った方がいいけど……」
 亜美「あ、うさぎちゃんが、地場君のことはレイちゃんには内緒にしてって」
まこと「そうだな。男からむとキビシイからな。で、レイは?」
 亜美「ルナと話があるって言っていた」
まこと「なんでここでやらないわけ?」
 亜美「さあ」
まこと「ふーん」

 ここのところ、うさぎもレイもまことも、時おりクラウンに顔を見せる、という程度になってしまって、それぞれ勝手に行動している時間の方が多い。亜美だけが留守番係みたいになって、編み物を続けていて、みんなの動向を把握している。戦士としての結束がばらばらになりかけている目下の状況を、いちばんよく見通せる立場にいるのが亜美なのだ。
 その亜美の胸を何よりも痛めているのは、信頼し合わなければならない仲間同士が、互いに隠し事をしているという事実だ。まことは、衛と陽菜の関係をうさぎに告げられないでいるし、うさぎは衛のことをレイに内緒にしている。レイはレイでひとりでルナと何事か密談している。でもみんな、それなりに理由があってそうしているのだ。誰を責めることもできない。そもそも亜美自身、まことと共に、一方では陽菜が衛の婚約者みたいな存在であることをうさぎに隠し、もう一方ではうさぎが衛への恋で悩んでいることをレイに隠している状況にある。どうしようもない。いまできるのは、友情を信じ、きっとまたクラウンに戻って来てくれるだろうという願いを込めて、みんなを待ち続けることだけだ。
 という亜美の心理を象徴するのが、このシーンから出てくる「仲間全員のために手袋を編む」という行為だ。そしてここでまず最初に編んでいるのがピンクの毛糸、うさぎの手袋だ。これはまあ当然だろう。つまりこの場面のテーマは、うさぎの悩みに何もしてあげられない亜美が、せいいっぱいの想いをこめて手袋を編んでいる、というところにある。まこととの対話を通して、そういう亜美の気持ちが表現されるべきシーンだと思うのだ。
 ところが演出は、亜美がうさぎのことを語り始めると、そのセリフにかぶせて、うさぎの下校風景を挿入してしまう。マフラーの入った紙袋をかかえて一人しょんぼりと帰宅するうさぎ。そうじゃないと思うんだけどなあ。ここは「衛にマフラーを贈れなくて悩むうさぎ」を強調するのではなくて「悩むうさぎを思う亜美」の表情をきちんと捉えるべきシーンだよ。ついでに言えば、まことがうさぎを想う気持ちは、前回、前々回のまことの行動できちんと説明されている。だから、とにかく亜美に焦点を絞るべきではないか、うさぎのカットなんか挿入したりしている場合じゃないだろう、舞原監督だったらそうしてるぞ、と鑑賞しながら思わず握り拳になってしまうんですよ。
 でもまあ、高丸監督の名誉のために言っておくと、今回はもう一度クラウンのシーンがあって、ここは良いですね。大量の毛糸を抱えた亜美が入っていくと「プリンセスのことで何かあったらしいんだけど、言わない」レイと、それを責めるまことが言い争いをしている真っ最中で、結局レイもまことも、さっさと出て行ってしまう。そのときの亜美の、ぽつんと取り残された感じの表情は、とても印象的です。

3. 編む女の肖像


 というように、私はAct.17からAct.20までの4話で見ることのできる「編み物をする亜美」に、かなりこだわりがあるのだ。でもAct.17とAct.18の佐藤監督も、Act.19とAct.20の高丸監督も、そこのところにあまり注目してくれなかった。要するにそれが不満なのです。しかし私はなぜ亜美の編み物姿にそれほど固執するのか。その点を少し詳しく説明しておきたい。
 せっせと毛糸を買ってきては、クラウンで黙々と編み棒を動かし続ける亜美。だいたい家庭科なんて進学にはあまり関係ない科目だ。かつての「ママみたいなお医者さんになる」という目的に向かって勉強一筋だった亜美なら、授業の課題が終わっても違うものを編むなんて、そんな時間の浪費はしなかったろう。でも今はちがう。しかもその姿はけっこう楽しそう。たぶん本当は手芸とかが好きで、でも今までは勉強優先で我慢してきたんですね。それがようやく、進学のプレッシャーでがんじがらめだった状態からほんの少し解放されて、愛する人たちのために時間を費やす気持ちのゆとりができたのだ。
 でもそれは、本当は他人のために費やす時間ではない。立ち止まって自分を見つめ直すための、亜美自身に必要な時間でもあるのだ。
 亜美は、いまの自分に欠けているのが、ありのままの自分を直視する勇気であることを、レイから教えられた。友達ができるっていうことは、決して楽しいばかりじゃない。思いもよらない自分の独占欲や嫉妬心、疑い深さに気づいて傷つき悩む、つらい経験でもあるという事実を、うさぎと知り合うことによって、亜美は身をもって知った。そんな自分への嫌悪感を乗り越えられず、出口のない感情の泥沼に沈んでしまっていた亜美を救ったのは「誰だって色んな自分がいるわ。私だって」(Act.16)というレイの言葉である。
 イヤな面も含めて「色んな自分がいる」私自身を、ありのままに受け入れる勇気と強さをもてなくちゃいけない、とレイちゃんは教えてくれた。欲望も嫉妬もする弱い自分をさらけだして、裸の心でみんなのなかに飛び込んでいくこと、それができて初めて、本当の友達になれる。今はまだ、みんなとの気持ちの伝わり方が一方通行なことも多いけど、そうやって少しずつ変わっていけば、もっともっと、お互いに気持ちが通じ合えるようになるだろう。そんな思いを込めて、亜美は静かに、大切な仲間への贈り物を編み続けている。
 けれども反面、自分一人が置いてきぼりにされてしまっていることへの淋しさも、亜美を編み物に向かわせている動機のひとつである。うさぎは恋に悩み、まことはうさぎの恋の行方が気が気ではなく、レイは何かプリンセスのことで悩んでいる。これまでひとつにまとまっていた戦士たちの思いはばらばらに乱れ、自分だけがクラウンに一人取り残されている、みんないつになったら戻って来てくれるんだろう、そう思いながら、彼女たちの手袋を編んであげることで一時の気休めをしている。そういう面もあるには違いない。
 そこに出てくるのがクンツァイトだ。仲間の戦士たちの気持ちはみんな亜美から離れているし、亜美は亜美で、いつもは自分自身に対してさえ固く閉ざしている心を解いて、自分の中の人間的な弱さ、ネガティブな感情が渦巻く心の暗い深淵を覗き込んでいる。非常に無防備で、絶好のチャンスだ。というわけでクンツァイトは、かねがね目をつけていた亜美に術をしかける。
 改めて言うまでもないとは思うが、ダークマーキュリーとは、クンツァイトによって無理やり変えられた亜美のニセの姿というよりは、むしろ亜美自身のうちに潜む心の暗闇が実体化した姿であって、亜美の人格の一部が増幅された存在である。だからAct.20のラストで亜美に術をかけたクンツァイトは、そのまま彼女を拉致することなくいったん解放してやり、亜美のなかから自発的に「悪なる亜美」が誕生し、戻って来るのを待ったのだ。
 えーとここで石肉さんの浜千咲マルチチュード論に触れてみようかとも一瞬思ったが、改めて読んだらとってもむずかしかったのでやめとく(おいおい)。
 そういえば、かつてぼうたろうさんが『千咲ちゃんねる』のなかで「Act.21で亜美がダーキュリーとなるまでの変化(ベッドにうずくまる→旺盛な食欲でまことの作ったおかゆを平らげる→遊園地で無邪気に遊ぶ)の描写は、胎児が産み落とされ、発育していく過程に対応している」と指摘されていて(ここ)、石肉さんはこの解釈を高く評価されていた(ここ)。要するにダーキュリーとは、亜美自身のなかに胚胎し、成長し、産み落とされたもうひとりの亜美だ。で、そういうふうに考えると、「編む女」というイメージにはもうひとつの意味が重なるようにも思える。
 つまりクラウンで延々と編み物を続けている亜美が、私にはどうしても妊婦さんに見えてしまうんですね。何を産もうとしているのか。それはダークマーキュリーだ。彼女は自分の中で、もうひとりの邪悪な亜美が息づき始め、やがて生まれて来ることを無意識に予感しながら、静かに編み棒を動かしているのではないか、なんて思ってしまうのです。ただこれは、自分の妻が妊娠中に編み物ばかりしていた私の個人的な連想なのかも知れませんが。
 まあ勝手な思いこみでいろいろ書いてきたが、要するに問題はAct.16にある。Act.16は、それまでの亜美の物語のひとまずのクライマックスであると同時に、ダーキュリー篇のプロローグにもなっている。亜美はAct.16で初めて、自分のなかに渦巻く暗い感情について告白する。そしてそれがダークマーキュリーというキャラクターの核となっていく。また小林靖子によれば、クンツァイトが亜美に目をつけたきっかけも、Act.16の戦いでマーキュリーが圧倒的な強さを示したことにあるという。そういうふうに、Act.16でまいた種が、Act.21のダーキュリーへと結実するわけで、その間をつなぐ、目立たないけど重要な過程が「編み物をする亜美」だと思うのです。
 だからAct.17&Act.18もしくはAct.19&Act.20のどちらかを、亜美ちゃん命(推定)の舞原監督が担当してくれていればなあと思ったりもするのだ。しかし、もしここに舞原監督が投入されていたとすると、Act.21のダーキュリー登場は舞原監督以外の人が演出していた可能性が高いわけか。うーん。むずかしいですね。

4. まことはそんな子じゃないって!


 さて、今回は五人の戦士ひとりひとりについて、高丸演出との相性を検証し、最後に、やっぱり高丸組といえば美奈子だ、今回も美奈子が、出番は少ないが抜群に可愛い、アルテミスにびっくり箱を渡した後の笑顔は最高ですね、という結論で終わる予定だった。ところが、前回あまり語れなかった亜美のことを書こうと思ったら、これがけっこう説明しづらくて、何度も書き直したり苦心惨憺しているうちに、すでにかなりの字数と時間を費やしてしまった(それでも読みにくかったのではないかと思う。すみません)。なのでこのくらいにしときます。後は、同じく高丸監督の次回Act.20、森林公園ダブルデートの巻で、できたら考えてみようかな。
 ただしまことについては、どうしてもひとこと言っておきたい。前回の佐藤演出がぴたりとハマっていただけに、このAct.19のまことがかなり低調に見えるのは、まあ仕方ない。しかしそれにしても、ちょっとこれはないんじゃないか、と首をかしげざるをえない場面がある。まことが元基にマフラーをプレゼントするシーンだ。
 亀吉にさえマリリンからバレンタインのプレゼントが届いたのに、自分には誰からも何にもなしで、クラウンのカウンターでしょんぼりしている元基。そこへやって来た亜美が手提げの中を探るので、元基も思わず期待してどきどきしてしまうが、でも亜美が出したのはクラウンの年間パスポート。腕に抱えているプレゼントっぽい紙袋も、中身を見ればただの毛糸玉。がっくり。亜美が去った後「義理もなしか」とひとり溜息をつく元基。
 このシーンは面白いですね。つまりうさぎやレイやまことは、もう年間パスポートなんか見せずに、顔パスで普通に入っていってるということだ。元基もそれに慣れているから、亜美だけが律儀にパスポートを探す様子を見て「ひょっとしてオレへのプレゼントかも」なんて勘違いしてしまったという一幕です。いやしかしそれは本題ではなかった。
 で、またしょんぼりモードに戻った元基が、不意に大きなクシャミをすると、そこへまことが通りかかって、なんと手編みのマフラーをプレゼントしてしまう。
 でもこの時点でまことは元基に特別な感情をもっていない。まことが元基の優しさを知り、彼が見た目よりも思慮深い人間であることに気づいて、はじめて心を動かされるのはAct.20である。今回はその伏線で、まことはまだ元基のことを、単純なカメ好きのお調子者くらいにしか思っていない。
 だったらなぜ手編みのマフラーなんかをプレゼントしたのか。さっき引用した冒頭のクラウンのシーンで、まことは、うさぎにつられて一緒にマフラーを編んではみたものの、自分に似合う色でもないし、しょうがないから「私も誰かにあげようかな」なんて言っている。つまりあげる相手は誰でもよかったのだ。そうすると、まことはほんの気まぐれで、たまたま出会った元基にマフラーをあげちゃったことになる。でも今日はバレンタインデーだ。そんなことしたら、元基だって勘違いするだろう。それはまことに似合わない行為だ。そういう、恋愛がらみで人の気持ちをもてあそぶようなことをする奴は絶対に許せないというのが、まことの性格だったではないか。
 だから、ここでまことが、どうして他ならぬ元基にマフラーを渡したのか、その理由づけがされなければならない。そう考えると、元基のクシャミが意味をもってくる。つまり大きなクシャミをした元基を見て、まことは、元基君、風邪かなと心配し、だったらちょうどいいや、風邪引かないように、マフラーはこの人にあげよう、と思ったのだ。この間わざわざ呼び出して、地場君の彼女の情報を教えてもらったことへの、お礼にもなるしね。
 でも手編みだよ。うさぎなんか小学生のひかりちゃんに「どうかなあ。最初から手編み渡すのは、重たい女って思われるんだって」なんて忠告されて、結局くよくよして渡せなかったくらいだ。それをあっさり渡すなんて、やっぱりぜんぜんその気がない相手にするのはおかしいんじゃないか?それともこの段階で、実はまこと、ひそかに元基に気があったってことか?安座間美優の演技がハードボイルドすぎて、そのへんがうまく表現できていないだけのことか?
 いや、この時点でのまことにそういう含みはない。そうではなくて、彼女は元基が勘違いするなんて可能性を、まるで予想していないのだ。だって彼女はいままでずーっと、みんなから「恋愛するなんて似合わない、ガラじゃない」って言われ続けてきたのだ。で、先輩に振られて、こっちに転校してきたときだって、バスケのタケル君の手紙を真にうけたら「お前、自分のキャラ分かってねえんじゃねー」って三人組にバカにされた。だから元基君だって、まさか本気にするはずないもん。
 というわけで、まことは、バレンタインのプレゼントが一個もなくてしょげている元基に、私なんかからのこんなものでよければ、という気持ちでマフラーをプレゼントしたのだ。そして驚喜する元基を尻目に「いいなあ、悩みがなくて」とつぶやきながらさっさと去る。元基と自分の関係がそれ以上発展するなんて、これっぽっちも思っていない。このシーンを書いた脚本家の意図は、だいたいそういうことでまず間違いないだろう。
 ところが実際の映像はどうなっているか。ビデオをお持ちの方、よかったら7時42分のところを観直してください。画面の手前で元基がクシャミをすると、奥の方からまことがすたすたやって来てマフラーを渡す。ただでさえハードボイルドで、しかも顔の小さい安座間美優がさらに画面奥に小さく映っているもんだから、クシャミをした元基を見て、まことが内心なにを考えているのかはほとんど理解不能だ。クシャミと、まことが元基に声をかけたこととの間に因果関係があるのかどうかが、さっぱり分からない。
 だからこの場面だけ見ていると、なんだかクシャミの音で元基の存在に気づき「あ、そうだこの人がいた、処分に困っているどうでもいいマフラー、どうでもいいこの人にあげちゃえばいいや」とか、そういう感じに見えてしまうのだ。それは困る。それではまことが、元基の心をもてあそぶバカでヤな女になってしまうではないか。
 そう見せないところが演出家の腕の見せどころだと思うのだ。安座間美優が手の込んだ感情表現ができないというのなら、ここはいちばんギュッと絞って徹底的に演技指導するもよし、元基のクシャミの次に、元基を見つめるまことのアップをつなげて編集でカバーするもよし、とにかく脚本家の意図にできるだけ近づけて、なぜ好きでもない男に手編みのプレゼントをして、相手に期待をもたせるようなことをしたのか、まことの立場をフォローしてやる義務が、監督にはあるはずだ。しかし現実には、Act.12で、うさぎに対する美奈子の感情の変化を説明しきれなかったときと同じように、クシャミをした元基を心配しているまことの優しさも、こんなふうに男の子にプレゼントしたってどうせ本気に受け止められるはずがない、と思い込んでいるまことの一抹の孤独感も、ぜんぜん拾えていない。非常に残念である。


 なんか尻切れトンボですが、今回はこれまで。いや疲れた。ルナとアルテミスのCGは、ないです。もうぜんぜんないな。今後は「CGがあった回」だけ書きますので、書いてなかったら人形だけと思って下さいね。
 それから撮影監督。Act.7からベテラン松村文雄に変わって上赤寿一氏が撮影監督を務めてきたが、今回より第3の男、川口滋久の登場だ。このカメラマンの違いも、作品の印象をかなり大きく左右する重要なファクターなのだけど、なかなかそこまでフォローできないなあ。


(放送データ「Act.19」2004年2月14日初放送 脚本:小林靖子/監督:高丸雅隆/撮影:川口滋久)