実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第19回】クンツァイト様 堂々降臨、それでも主演は沢井美優の巻(Act.13)


 色々あったが、ともかく仕事の山場は越えた。前回のおわび日記には温かいメッセージの数々、ありがとうございました。予告どおり削除しましたが、コメントはぜんぶPCに保存させていただきました。あと組関係の方から「へんな遊びするな」とかお叱りもなくて良かった。組関係ってベッチ組のことですけど。
 多忙ではありましたがもちろん再放送はちゃんと観た。横浜×巨人戦の影響もなく時間通りのオンエア。そうだ、ついでですが、野球中継についてちょっと調べてみたら、もうあまり心配しなくて良いことが分かった。
 要するにCBC、というかTBSが中継するのは基本的に巨人戦なのだ。もともと巨人戦は東京ドームの試合は日テレが独占的に放送して、それ以外の球場でやるビジター試合をフジとかTBSとかが分け合って放送していた。ところが、もう最近では昔のような視聴率は取れないので、昨年、フジとTBSは巨人戦の中継を最大15分しか延長しないと発表した。そして今シーズンは、新聞のテレビ欄を見ると「最大10分まで延長」になっている。しかも今日の共同通信ニュースだと、10連敗とワールドカップの余波で、6月はさらに過去最低の資料率をマーク。「一部キー局は、オールスター戦後、試合が延びても放送時間を延長しないことなどを検討している」のだそうである。ジャビット怖るるに足らず。しかし選手諸君は高給取りのくせにそんな仕事ぶりでよいのかね。ちなみに今シーズンの1軍選手の平均年俸トップスリーは、巨人の1億133万円、中日の9277万円、阪神の8904万円だって。ふーん。
 本題に入る前にもうひとつ、こっちは心配なニュース。最近ちょっと気になっていたので、今回ひさしぶりにAパートとBパートの間に入ったCMをメモってみた。「美容整形の城本クリニック」「『新キッズウォー』番組宣伝」「公共広告機構」「民放各社のコマーシャルのCM」「地上派デジタル告知広告」「CBCラジオの北野誠の番組」「コルゲンコーワ」「CBC主催のバッハコンサート」お気づきであろうか。いつの間にか「パチンコスロットのマックスグループ」や「金ちゃんラーメン」や「アートネイチャー」がどんどん姿を消して、民放各社の告知CMとか自社の番組宣伝ぱっかりになっているのだ。スポンサーがぞくぞく引き上げているのか?大丈夫か?私はどうすればいい?
 という不安をかかえつつも、Act.13だ。

1. 四天王最後の男

「そうだ。オレたちはオレたちのマスター、王子エンディミオンをさがして転生してきた。だがその記憶もとりもどさぬうちに、またしてもあいつの手のうちにはまり、この身を売った。そしてこの身を変えられた」



以上はなかよしKCコミックス『美少女戦士セーラームーン』2巻から、前世の記憶を取り戻したクンツァイトのセリフである。セーラー戦士がプリンセスを守るために転生してきたように、四天王も王子を守るために転生してきた。しかし「あいつ」クイン・ベリルの手におちいる前の彼らがどんなふうだったかは、具体的には描かれていない。アニメ版もそうである。というかアニメは、四天王がもともとエンディミオンの護衛戦士だったという設定すら省かれてしまって、ただの敵役のままで終わっている。まあネフライトは、第24話『なるちゃん号泣!ネフライト愛の死』で前半のクライマックスを担当しているが。
 ともかく、普通の人間(とは言えないかも知れないが)として生活していた彼らが、どんなふうにクイン・ベリルから召還されてダーク・キングダムの四天王となったか、そのプロセスを初めてじっくり描いたのがこの実写版Act.13、クンツァイト誕生編である。

2. 元基はこれでいい



 さて今回のお話。うさぎがクラウンにやって来ると、カウンターの元基は茫然自失というか、ほとん幽霊のように生気がない。水槽の掃除をしている間に愛するカメ吉が行方不明になってしまったのだという。そこへ「見つけてくれたひとがいるぞ」と衛が駆けつける。三人はカメ吉の発見者、シンのもとへと急ぐ。
 シンは古びた洋館に独りで暮らしている、大人しい青年だ。見つけて貰ったカメ吉を大事そうに抱えて大喜びの元基は、ひとしきり礼を述べた後、うさぎと衛を置いて「じゃ、これで」とすぐに帰ってしまう。
 いつもの元基に較べると、友達を置いて一人で帰っちゃうって、これどうかという気もするが、まあそれだけ嬉しかったのだろうと一応納得できるし、「早くエサやった方がいいよ」というシンのフォローのセリフもある。それに、続くシーンをセーラームーンとエンディミオンとクンツァイトの初顔合わせ場面にする演出上の必要からも、元基はいない方がいい。それからAct.7の遊園地デート以来、うさぎを意識していたらしい元基であったが、もうそういう思いはふっ切れていて、だからうさぎちゃんを残してさっさと帰っちゃうんですよ、と視聴者に伝える意味もある。この人の恋人はしばらくの間カメです。
 ついでに言えば、衛の立場というものもある。この段階での渋江譲二は、役者としては「矛盾の男」というより「滑舌の男」である。やたらとセリフ読みの滑舌を気にしていて、感情表現よりそっち優先だ。いやそれは良い。セーラー戦士たちもそうだが「新人が基礎から演技の勉強をして成長してゆく姿を温かく見守る」ことができない人は、この実写版は見ない方がいい。とはいえ、準主役だから、ある程度の対面は保ちたい。黄川田将也と窪寺昭という芸達者に両側から挟まれてしまっては、さすがのタキシード仮面も見劣りしますからね。というわけで元基、退場。
 さあここから先は窪寺ワールドである。とにかく、改めて言うまでもないがシン=クンツァイトを演ずる窪寺昭がすばらしい。おそらくスタッフは、彼に出会って、クンツァイトだけは誕生編に1話を費やそうと思ったのではないだろうか。



 いやようやく男優陣に柱となる役者が出てきて良かった。四天王だ何だと言っても、演技的にはある意味セーラー戦士たち以上にひやひやもんだった。それでもベリル様のお膝元にいる間は、杉本彩のド迫力をきわだたせるという意味でかえって良い味になっていたが、外に出すと危なっかしくて。
 特にジェダイト。Act.7やAct.8の増尾君を見ていると、高校の文化祭で演劇部の発表をソデから見守る顧問教師の気分になる(そこまで言うか)。ようやく良い兄貴が登場してくれて良かったね。ちゃんとこの人を見て、お芝居の勉強をするんだよ。あ、でも君は今、石になっちゃっているか。じゃまた復活してからということで。

3. 沢井美優のぶつかり稽古を見よ


 しかしまあ、シンという内気で自然を愛する青年と、傲岸不遜なクンツァイトという見事なコントラストを演じて鮮烈な登場をはたした窪寺昭については、観ての通りであるので、改めてあれこれ言うまでもないかと思う。今回はそのシンとがっちり組んだ沢井美優、こっちに注目してみたい。
 カメ吉を抱えてそそくさと帰る元基を少々あっけにとられて見送りながら、「私たちもこれで…」と去ろうとするうさぎと衛を「ちょっと待って!」と引きとめるシン。「名前、聞いてもいいかな。何か、会ったことある気がして」そして玄関先から部屋のなかに場面を移しての三人の会話となる。といっても衛はほぼ聞き役で、事実上うさぎとシンの対話なのだ.



うさぎ「会ったことあるかなあ……えっと、名前は?」
シ ン「一応、シンということにしてるんだけど」
うさぎ「一応、って」
シ ン「いや、実は、憶えてないんだ」
うさぎ「えっ」
シ ン「記憶がなくなってるっていうか。……自分が、何者なのかも分からないんだ」



(回想するうさぎ。タキシード仮面の言葉がよみがえる「どうしても幻の銀水晶を手に入れたかった。オレが、何者であるかを知るために」うさぎ、心のなかで「そっか、タキシード仮面と同じ……」)







うさぎ「ねっ。ちょっとでも憶えていることない?場所とか、そうだなあ、何か好きなものとか……」
シ ン「好きなもの(少し考えた後)花。白い花とか、緑。それに海とか」
うさぎ「自然が好きなんだ!それ手がかりにして……」
シ ン「いやいいんだ。オレはこのままで」
うさぎ「えっ?」
シ ン(一瞬、何かにおびえ、狼狽したような表情になり)「引きとめて、ごめんね」



うさぎ「そんな、あきらめちゃ駄目だって。私、協力するよ。(シンの手を握って)相談できる人知っているから、そこへ行こう」
シ ン「オレは、ここから出ちゃいけない気がする」
うさぎ「えっ?(シンの手を放し)そっか、じゃあ、ちょっと待って」


 で、うさぎがレイに電話すると、火川神社では亜美とまことが、正月の初詣に向けての準備を手伝っている。カメ吉の失踪騒動ですっかり忘れていたが、みんなでレイを手伝う約束だったのだ。(関係ないけど、「さわいみゆうのこえのつや」はこういうところの印象的なひとコマを押さえるのが上手いなあ。まああれだけのMADを作る人なのだから当然といえば当然だが。この、うさぎの電話を受けるレイについては、これなんか見ながらお読み下さい)。うさぎが来ないのでみんなおかんむり。とてもシンのことを相談できそうな雰囲気ではない。というわけで、うさぎは一人でシンの記憶を取り戻す方法はないかと考える。
 さて、いま引用した場面では「いや、実は(本当の名前は)憶えてないんだ」というシンの答えに、うさぎが「えっ」と言うとき、手持ちカメラが素早くシンから振られて、うさぎの表情を拾いに行く。



それから、「ちょっとでも憶えていることない?」といううさぎの問いにシンが「花。白い花とか、緑。それに海とか」と答えるときにも、カメラはシンのセリフの途中で、うさぎの顔のアップに切り替わっている(この笑顔がとても可愛い)。そして「自然が好きなんだ」という、うさぎのセリフにつながる。えーと私は何が言いたいか。
 シンは自分の記憶がないことへの不安から、かすかに会った憶えのあるうさぎと衛を呼び止めたが、一方では、過去を想い出せば今の自分が自分でなくなるという恐怖におびえてもいる。今回はクンツァイト誕生がテーマなので、カメラはここでシンをアップでとらえ続け、彼のそういう複雑な感情の流れを追うことに専念しても構わないはずだし、窪寺昭にはそれで場面をもたせるだけの表現力がある。
 ところが実際の演出は、シンのセリフのひとつひとつに対するうさぎのリアクションを拾い、さらに向き合う二人のショットで全体をまとめて、この場面を「シンの心情告白」ではなく、「シンとうさぎの対話」として構成するのである。だから沢井美優の方も、シンの話にタキシード仮面のことを想いながら、いまここにいるシンをおびえさせず、何とか元気づけてやろうとする、というなかなか難しい芝居をしなければならない。つまり今回二巡目の登板となった舞原監督は、窪寺昭という新たな才能が登場したことをもっけの幸いと、彼を相手に、沢井美優に芝居の稽古をつけさせているのだと思う。
 こういう、きちんとした俳優の胸を借りて一対一で芝居をするということは、新人にとってすごく大事なレッスンだ。実写版のスタッフは、戦士たちにそういう勉強の機会を作ってあげている。北川景子には升毅(パパ)、浜千咲には筒井真理子(ママ)、小松彩夏には池田成志(齋藤社長)、このへんはみんな80年代から舞台のキャリアを積んでいるしっかりした役者である。ただ小松彩夏が池田成志の怪演から何かを学べたかどうかはよく分かりません。そして安座間美優には黄川田将也。この人も、若いけど上手いね。
 沢井美優にも一応、森若香織のママがいる。彼女もゴーバンズ解散後は舞台をやっているそうだ。ただ、もともと舞台俳優として出発した人ではないし、彼女から何かを学ぶのも難しそうだ。そこで窪寺昭。彼もそんなに舞台のベテランというわけではないが、とにかく才能がありますね。渋江譲二も後の回になると沢井美優と良いお芝居を出来るくらい息があってくるのだが、いまはまだまだ滑舌の男。というわけで、いまの場面ではほとんど無言だった渋江君もまた、今回の後半ではひとりでシンを訪ね、窪寺先生相手に演技のレッスンだ。でも物語のなかではマスターと家来だから、衛はシンをもうすでに「お前」と呼んでいる。これは二人の主従関係を暗示する脚本家の伏線と考えて良いだろう。

4. やっとうさぎちゃんの魅力が描かれた


 それともうひとつ、私がこのシーンを重要だと思う点は、実はここでようやくうさぎというキャラクターがきちんと説明されていることだ。
 うさぎはどうしてみんなから愛されるのか。なるちゃんによれば「うさぎはさ、自分のことになるとダメだけど、ひとのためだと、すっごい一所懸命にやるじゃん。ぜったい大丈夫だよ。信用してる」(Act.42)ということだが、いままでそんなに「ひとのために一生懸命」やったことなんかない。ナコナココンテストに出るためにひとの力を借りようとしたことはあったが。だから前回でも、あれほどうさぎをケーベツしていた美奈子が、なぜ観覧車でうさぎを認める気持ちになったのかが、もうひとつ伝わらなかったのである。いささか遅きに失した感もあるが、しかしまあ良い。今回のエピソードはこの後、ほとんどないお小遣いを工面して、何とかシンに記憶を取り戻させてあげようとするうさぎの奮闘ぶりを描く。そうやって、ようやくうさぎがどんな子かということが、十分に表現されたのである。

5. 田崎監督がオヤジなら、舞原監督はオジキだ


 私はこの日記の第13回目で、Act.7には、スタッフに対する田崎監督の「主役は沢井美優だ!この子をもっともっと活かせ!」というメッセージが込められている、と書いた。そしてこのAct.13は、明らかにそれに対する小林靖子と舞原監督からの返答だと思う。レイ・亜美・まことの三人の登場は、冒頭のクラウンのシーンと、火川神社のシーンだけにとどめておいて、後はとにかくうさぎを中心に話は進む。そして沢井美優は、Act.7にも増してさまざまな演技を要求され、それに見事に応えてみせる。シンの家を訪問するまでは、黄川田将也と一緒にちょっとだけホラーテイストの入ったコメディ調、シンの家では、さっきも書いたとおり、窪寺昭のセリフひとつひとつへの反応を繊細に表現する室内劇、中盤は渋江譲二とのロマンティックな恋愛劇。後半のアクションも一人で担当している。しかも変身バンクはなし。今回は沢井の芝居を見せる回だから、作り置きのシーンはいらないよと言うことか。
 とりわけ、衛とうさぎの恋愛ドラマの部分が私は大好きです。それまでのセーラームーンでは決して正面から扱われることのなかった、月野うさぎと地場衛の恋愛がきちんと描かれている。私にとってはずーっと物足りなかったまさにそのことが、ズバリのかたちで出てきたのだ。初めて観たときは感激したよ。
 原作漫画では、衛は連載第3回の話でうさぎがセーラームーンであることを知り、第6回の最後で自分がタキシード仮面であることをうさぎに打ち明け、はじめて「うさこ」と呼んで優しい態度をとる。もうそれからは二人は超ラブラブだ。でもそれまでうさぎに対して思いっきりつっけんどんだった衛は、なんで突然ころりと態度を変えたのか。それはほとんど説明されない。なにしろその間、新たな戦士のレイが仲間入りしたかと思うと、次はすぐにまこと=セーラージュピターが登場する、そしたらルナが前世からの使命について語り出すといった具合で、うさぎは心落ち着くヒマもない。衛も衛で、自分の過去を知るために宝石泥棒を繰り返したあげく「幻の銀水晶」の存在をマスコミに発表したりと、とにかくみなさん大忙しなのである。だから二人が愛し合う理由としては、セーラームーンとタキシード仮面だから、あるいは、結局それが前世からのプリンセスと王子の運命だったのね、というあたりで納得するしかない。
 アニメもそうだ。アニメ無印の二人は互いの正体を知らないまま、第28話『恋のイラスト、うさぎと衛が接近?』でちょっと気持ちが近づき合う。でもそれっきりこの関係は発展しない。そして第34話 『光輝く銀水晶!月のプリンセス登場』で、二人は互いがセーラームーンでありタキシード仮面であることを同時に知り、前世の記憶が戻る。けれどもそこで衛は洗脳されてダークキングダムの司令官エンディミオンとなってしまい、シリーズ後半は、彼を奪回するためのうさぎの闘いになる。要するにいままでのセーラームーンでは、現世の「月野うさぎ」と「地場衛」の恋がまともに描かれたことはなかった。
 でも実写版の登場人物たちは、みんなそれぞれに、過去の事実を事実として受け止めながらもそれと闘い、現在から新しい未来を創っていこうとしている。だからうさぎと衛の恋も、前世からの運命の繰り返しであってはならない。いまを生きる月野うさぎと地場衛の新しい物語であるべきだ。そこで小林靖子は、うさぎの心のなかで「タキシード仮面」へのあこがれが次第に薄れていって、「地場衛」への恋をはっきりと自覚するようになるそのときまで、タキシード仮面の正体をずっと伏せておく。
 では衛はどうか。それは、たぶん田崎監督がAct.7でスタッフに出した宿題なのだ。ここから先、うさぎが地場衛に恋するようになる、そのプロセスは脚本の通りに描いていけばいい。うさぎは衛の正体を知らないのだから、その彼女がどんどん衛を気にするようになれば、視聴者だって「あ、うさぎちゃんはタキシード仮面ではなく、ふつうの男の子としての衛くんが、だんだん好きになっているのだな」と分かるに決まっている。
 けれども衛は違う。衛はすでにうさぎがセーラームーンであることを知っている。だからいくら脚本のなかに衛がうさぎを気にするシーンがあっても、なんの工夫もなく映像化すれば、視聴者は「やっぱり衛くんはうさぎちゃんの正体を知っているから気になるんだね」としか思わないだろう。しかしそれはこの実写版の狙いではないのだ。Act.7のラストシーンで「あいつがセーラームーン」とつぶやく衛の後ろ姿に、セーラームーンではなく、普通の女の子の「月野うさぎ」のアップをかぶせたのは、衛もまた、セーラームーンやプリンセスにではなく、この「月野うさぎ」に恋をしなければいけないという意味だ。
 だから変身していない、ふだんの月野うさぎの魅力を十分に引き出して「あ、衛くんはいま、セーラームーンだからじゃなくて、普通の女の子のうさぎちゃんに惹かれているな、うさぎちゃん可愛いもんね」と視聴者に思わせる演出がなければいけない。そしてそういう要求にも応えられる豊かな表現力を、沢井美優はもっている。それはこのAct.7で証明したつもりだ。あとは演出する側の責任だ。
 というのが「うさぎ=沢井美優の父」田崎監督から出された宿題だと思うのだ。そしてそれにチャレンジしたのは、やっぱり舞原監督だ。田崎監督が沢井美優のお父さんなら、舞原監督はおじさんだ。このAct.13の沢井美優がいかに魅力的か、『オーバーレインボー・ツアー』のハイトーン・ボイスを聴いてください。こっこれが沢井美優の歌声か。すごいな。
 ではなくて、ここから鴨川の前原海岸のシーンにいたる沢井美優を見てください。ってもうみんな見てるね。すごく印象的なのだけれど、あらためてじっくり冷静に観察すると、意外と表情のアップが少なくて、引きの画面が多い。なのに、衛への想いに自分自身とまどいながらも、シンの記憶を取り戻すために一生懸命なうさぎ、というイメージがそれはそれは伝わる。衛のリアクションもぎりぎりまで削られているのに、うさぎを見守っているうちに、相変わらずぶっきらぼうなんだけど確実に心をひかれている様子が、これも手に取るように分かる。要するにひとつひとつのカットに、確かな演出の計算と、熱い思いがこもっている。言っては何だが前回と較べてタマが違う。やっぱり実写版の屋台骨は舞原監督が支えていたのだなと痛感させられました。


6. 何か間違ってましたか?


 あ、それと最後に個人的な思い違い。クンツァイトの髪の毛攻撃を受けたアユミっていう女の子が、終わりの方でコンサート会場で暴れ出して妖魔と化す。そこへ駆けつけたセーラームーンは、彼女の顔を見るなり驚いたように「この人!」という。このセリフの意味、私は取り違えておりました。
 いや物語的にはですね、この子がセーラームーンに向かって「助けて」と心の声で叫びながら苦悶する。するとルナがあらわれ「妖魔が乗り移っているんじゃないわ。人間が妖魔に変わっているのよ。あなたの力なら、人間の身体を傷つけずに、妖魔の力だけを封じられるはずよ」と言う。それでムーン・ヒーリング・エスカレーション、という流れですから、要するにセーラームーンは、彼女を見るなり「この人!(今までみたいに妖魔に取り憑かれただけの人とは違う)」ということに気づいた、そういう意味のセリフなんでしょうね。
 ところが、お気づきの方もおられるでしょうが、このアユミって女の子、Act.3の火川神社のシーンで「あんたが変な術使うの止めるって、約束すればね」とレイに詰め寄っていたあの子(国光レイナ)なんである。だから私は「この人!(前に神社でレイちゃんををいじめていた子じゃない)」という意味かと、てっきり思っていたのである。でも今回再見してみたら、Act.3ではレイと同じセーラー服だったのに、今回は違う制服なんですね。ていうことは、山本ひこえもん君みたいに、こっそり何回か登場しているキャラクターってわけではないのだな。
 というわけで今回もとっちらかった感想ですみません。それから次回予告で「次回は1月10日にお送りします」のテロップは出ませんでした(笑)。次回のタイトルは「明けましておめでとうの巻」だなやっぱり。


(放送データ「Act.13」2003年12月27日初放送 脚本:小林靖子/監督:舞原賢三/撮影:上赤寿一)