実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第18回】仕事に追われLeo16さん妄想世界に逃避の巻(Act.12)

1. 話は妄想から始まる


 ワールドカップでしたね。でも私がよく読むブログでそれをメインの話題にしていたところはあんまりなかった。『琴乃のだらだら(萌え萌え)日記』と関西支部くらいか。関西支部はサムライブルーよりコマツピンク(ビキニ・等身大)の記事の方が印象に残っている。ぽんたさん最近は目の具合はいかがですか?ともかくみなさん、世間じゃこれだけの大騒ぎなのに見事な外しっぷり。さすがと言うかなんというか。



 『M14の追憶』も今回のW杯は完全にパス。でも冬季五輪のときはけっこう熱心だった。北海道がお好きなだけあってウインタースポーツには格別な関心をもっているのだなあ、という程度に思っていたのだが、先日『七人の女弁護士』というドラマを見て、その考えを改めました。



 金メダリストの荒川さんがゲスト出演していたのである。それも、主人公の弁護士(釈由美子)の学生時代の親友で、今は法廷で対立するクールな女検事という、かなり本格的な役だ。そのセリフ回しがすごかったのである。もう安座間美優から直接に演技指導を受けたとしか思えないようなスーパーハードボイルド。ほとんど本家を越えている。そうかこんなところで冬季五輪と実写版はつながっていたのか。
 前回の日記で、亜美の攻撃を避けるまことのアクションが格好いいと書いた。安座間美優も運動神経が良さそうだ。荒川さんはハードボイルドつながりということで、安座間にスケート指導をしてやってはくれまいか。
 何でこんなことを言い出したのか、アニメ版も好きな方ならお察しであろう。そう私の脳内では、すでにアニメ第39話『妖魔とペア!?氷上の女王まこちゃん』が実写版でリメイク中なのである。まことはシンプルなグリーンのコスチュームでリンクを華麗に舞う。可愛い。ところが妖魔に襲われて、衣装の胸とおへそのあたりが裂けちゃう。思わずビデオをコマ送りにしてしまうような、微妙な露出度である。それがなんと安座間美優で。おおおおおおっ。



美奈子「本当にバカ……」


 というわけでAct.12です。

2. 前回の宿題:高丸演出について


 さて、前回の安座間美優によるダンス風アクションに続いて、今回は沢井美優のバスケ風アクションが見られる。ペンキ塗り立ての看板で服を汚してしまった美奈子が、うさぎの案内でブティックに行き、服を買う。しかし色々と試着しているうちに店の前には「愛野美奈子だ」という黒山の人だかり。その様子を見たうさぎは意を決して「私が引きつけますから、その間に逃げて下さい」と美奈子のヒゲ武者役を買って出る。

 その時の、ショーウィンドウの向こうから美奈子を見守るファンに対して、うさぎがブロックするように構えてからさっと進んでいくアクションが、これはバスケの動作なのではないか。そっち方面に疎い私には確言できないが、ともかく、Act.6よりもむしろこちらに、彼女の運動選手っぽい身のこなしを感じたのである。
 で、こういうシーンを見ていると、やはり高丸監督という人は、素材の良さをそのまま活かすタイプなのだと思う。下手に役者をいじらず、自由に演じられる空気をつくり、そうやって出てきたイメージを足し算して画面を作っていくのだろう。たとえば美奈子と二人でタクシーに乗ったうさぎが髪に触れる仕草なんかも、演技というより沢井美優がインタビュー映像なんかでよくやっているものである。
 だから前回、今回と、我々は戦士を演ずる少女たちの、本来の持ち味を味わうことができる。安座間美優のダンスを活かしたアクションやとぼけた味。沢井美優のスポーツライクな動きや溌剌さ。エキセントリックな北川景子。浜千咲のオタク殺しの笑顔。そして小松彩夏の輝くばかりの可愛らしさ。どれも楽しい。
 田崎監督はこだわりの人で、きびしい演技指導でみんなをぎゅうぎゅう絞ったし、舞原監督は自らが燃える闘魂となって俳優陣にガッツを注入した。鈴村監督は雰囲気を盛り上げてみんなを上手に乗せた。これらの人々は、やり方は様々だが、とにかくその場の空気に刺激を与えて、いつもと違うものを引き出そうとしている。でも高丸監督はおだやかで、自然体。
 以上は勝手な想像ではない。『Act.Zero』の特典映像に、田崎竜太監督、沢井美優、そして渋江譲二がバスで思い出のロケ地を再訪して回るというのがある。その中の会話。


沢 井「(田崎監督は)おそろしい方でした(笑)」
渋 江「最初はね、そういうふうになっちゃうよ」
沢 井「でも(みんなそう言うけど)そこまで怒られましたっけ?わたし的には、なんかお父さん的」
田 崎「鈴村君が、初めてセーラームーンをやるというのでNo.8(東映撮影所第8スタジオ)に見学と挨拶に来たとき、(仮面)ライダーで一緒だった田崎が、“オラァ!あざまー”とか声を荒げていてビックリした、というのを聞いたことはありますね」
沢 井「だから、みゅうちゃんと景ちゃんはすっごい怖がってました」
渋 江「景ちゃん、そうだ、そんなこと言ってたよ。中打ち(中打ち上げ)で“久しぶりに田崎さん来るんだって”って言ったら、“えっ、ウソ、わたし怒られる”って(笑)」

沢 井「高丸さんは、マルチな感じ、撮り方が」
渋 江「高丸さんは、さすがに(一般の)ドラマやってたっていうか、一番おだやかな感じですね」
沢 井「うん。おだやか、そうですよね」
渋 江「舞原さんは、逆に熱い」
沢 井「熱い。(コブシを握って)“よしっ!”っていうぐらいを目指す。普通に“OK”じゃイヤなんですよ。逆に、自分では良い芝居が出来たと思って“いまのは出来た。よしっ!”って思っても、舞原さんが普通に“OK”だと、“ちょっとダメだったかな〜”みたいな感じになったよね」
田 崎「鈴村監督は?」
沢 井「鈴村さんは役者を盛り上げてくれる。乗せてくれるのがうまくて」
渋 江「そうそれがすっごくうまい」


 このように、田崎監督最終作となったAct.8、あの「行くよー」「行けー」の現場が、当の安座間美優と北川景子にとってはトラウマにも等しい恐怖体験だったことがありありと分かる。
 あ、いやそういうことを言うために引用したんじゃない。高丸監督のことだ。つまり「おだやか」なのだ。

 沢井美優は「マルチな感じ」とも言っている。マルチ撮影とは複数のカメラを設置して、ひとつのシーンを一気にいろんな角度から撮影しておいて編集するという撮り方だ。テレビドラマでは普通に行われる技法のようだが、ワンカットずつ構図や演技にこだわりながら撮るよりも、現場のスムースな流れを優先する、という意味では、やはりこの人の基本姿勢をうかがうことができる。そういった要素が、キャストの自然な魅力を画面に定着させることに一役買っているわけだ。
 えーと、前回の日記で高丸監督リスペクトをするなどと大それたことを言ってしてしまった手前もあってここまで頑張ってみましたが、そろそろ限界です。ここからの話は、今までの裏返しだ。
 確かに自然体の良さというのはあるかも知れない。がしかし、この実写版セーラームーンのメインキャストは、沢井美優を除く全員が、芝居に関してはほとんど素人同然なのである。それを承知で選んだ以上、スタッフ、特に監督に求められるのは、ありのままの彼女たちを撮ることではなく、この原石たちを磨き、才能を開花させてやる教育者・指導者としての手腕だ。
 「怖い田崎」「熱血舞原」「おだての鈴村」は、手段は様々だが、そのための自分の方法をもっている。ところが「おだやか高丸」には、それがない。多くのファンが批判するのもそこのところで、まあこれについては弁護のしようもないです。
 まして前回と今回は、美奈子の心理の起伏がそのままストーリーであり、テーマである。そのハイライトとなるのが、「ヒゲ武者」から観覧車にいたる一連の場面である。ここで美奈子は、自分がその身代わり役を演じているプリンセスが、逆に自分の身代わり役をしているという皮肉な状況への複雑な想いにかられる(これは前回同様、原作で話の大筋をつかんでいる視聴者にしか分からない)。同時に、これまで失望していたうさぎにほんの少し心を開き、無邪気なプリンセスを守るために使命を全うしようという気持ちになる。この二つを表現しなければならないのだから、小松彩夏は大変だ。そしてそれを演技指導と演出力によってサポートしなければならないのが監督の責務だ。それができていないのはやはり、どうも。
 まあそのあたりの問題については、もうすでにあちこちで語られていたと思うが、改めて観ても、やはりここには具体的に何かが足りない。それは何かというと、私は「街をショッピングするうさぎと美奈子」のシーンだと思のだけれども、どうでしょうか。

3. ここが足りない!と私は思う


 Act.12は、Act.11の最後で妖魔にとりつかれた美奈子の事務所の社長が、美奈子に襲いかかるところから始まる。そこへ再びうさぎがやって来て、美奈子の逃走を手助けする。

 タクシーに乗って妖魔=社長を振りきったうさぎと美奈子。美奈子は、ひょっとしたらうさぎは、妖魔の存在を察知して自分を助けに駆けつけてくれたのではないかと密かに期待する。ところが話を聞いてみると、うさぎはたんに、前回美奈子にもらったサインを忘れてきたことに気づいて、こっそり取りに戻っただけだった。そして病院で美奈子を救ったのも、追いかけてくる社長が妖魔だと見破ったからではない。多忙な芸能界の仕事に疲れたアイドルが、息抜きを求めて逃げ出そうとしたのだと思っている。あらためてがっかりする美奈子。
 「もう嫌」タクシーを降りるなり、美奈子はうさぎに構わずさっさと一人で歩き出す。ところがペンキ塗り立ての看板にぶつかってしまい、服を汚してしまう。うさぎは「大丈夫ですか」と言いながら、内心では(うわあ。美奈子もドジ踏むんだ〜)と、けっこう喜んでいる。
 この場面は、うさぎが、それまでただ憧れの対象であった美奈子を、もっと身近な存在として感じるようになるきっかけとして用意されている。でも「美奈子もドジ踏むんだ」だけでは、アイドルの意外な突っ込みどころを見つけたファン、という以上の意味をもたない。むしろその次の会話の方が重要である。



美奈子「このへん、くわしくなくて。服、替えられるようなお店あるかな」
うさぎ「ありますあります。すっごくいいとこ」


 「このへん、くわしくなくて」と言う美奈子はちょっと淋しげだ。彼女は中学生で芸能人で夜のお仕事もしている(セーラーVのことだが)。プライベートな時間なんかほとんどない。だから街のことも知らない。
 うさぎはそういう美奈子の孤独を、ここで感じとらなければいけない。そっかー。アイドルって大変だな。どこへ行ってもファンに追いかけ回されて、年頃の普通の女の子として気軽にショッピングなんか行けないんだ。だったら今日は私が街を案内して、美奈子を元気づけてあげよう。「ありますあります。すっごくいいとこ」
 と私は思うのである。つまり、次にいきなりブティックでの美奈子のお着替えショーに移る前に、ちょうどAct.6で引っ越してきたばかりのまことを街じゅう連れ回したように、うさぎが美奈子を連れて「これ可愛いでしょ」とかあっちこっちのお店を回る。その無邪気さに、美奈子の硬い表情が徐々にほぐれていって、最後には笑顔を見せるようになる。それからお着替えショー。そういう流れが、ここではどうしても必要だ。なぜか。
 第一に、美奈子が笑顔を見せるまでの橋渡しだ。お着替えのあとで、うさぎが美奈子の「ヒゲ武者」を買って出る例のシーンになる。そのとき美奈子は飛び出すうさぎを見送りながら「裏口があるのに、本当にバカ」とぷっと吹き出す。いや本当は吹き出さないのだが、ここは実際の作品より「M14バージョン」の方が正しいと思う。で、そういうふうに笑っちゃうためには、うさぎってこういう子なんだ、と美奈子が理解し、心を許す場面がその前になくてはならない。

 第二にケーキだ。ヒゲ武者騒動が終わったあと、美奈子と待ち合わせた場所へ行くとき、うさぎはふと思い立ってクリスマス・ケーキを買う。ショート・ケーキ2個である。Act.2で亜美が買ったプリン2個と同じだ。つまり「一緒に食べましょう」という意味であって、ファンからアイドルへの贈り物ではない。美奈子、きっとプライベートなクリスマスも送れないんだろうな、と思ったうさぎの、ささやかな友情のしるしだ。だからうさぎの美奈子に対する感情が、この段階で友達感覚に近いものになっていなければいけない。お着替えショーだけでは、まだファンとアイドルの関係のままだ。
 第三に観覧車のなかでの「こんなに笑ったの、久しぶりかも知れない」という美奈子のセリフだ。うさぎと美奈子は同い年の女の子として一緒にケーキを食べ、一緒の仕草をして笑い合う。でもこの場面だけで「こんなに笑った」なんてしみじみ言えるほどには笑っていない。このセリフは、だから美奈子の気持ちの中では、今日一日のことを指している。うさぎに引っ張り回されて、いろんなところへ行って、ふだん芸能界では出来ない体験をして、戦士であることも忘れて、いっぱい笑ってしまった。こんなに笑ったの、久しぶり。
 まあとにかく、この観覧車のシーンでなぜ美奈子がうさぎを受け入れる気持ちになったのか、その心理的な辻褄が合うように前半を組み立てて行くことが、今回の最大のポイントである。そして小松彩夏だって、あるいは沢井美優だって、複雑な脚本の背景に双方のどんな感情の流れがあるかを監督からじっくり指導されれば、もっと豊かに表現をふくらませることができたろうし、我々は彼女たちがだんだんと演技の力を身につけていく過程を観察することができたはずである。こんなことはあまり言ってはいけないが、やはり舞原監督や田崎監督がこのエピソードを演出していたらなあ、と思わずにはいられない。

4. 髪をといたプリンセス



 ところでブティックのシーンに戻るが、うさぎは「私が引きつけますから、その間に逃げて下さい」と美奈子に言って、おだんご頭に結った髪を解く。ここはスローモーションでばっとうさぎの黒髪が映る。うさぎが自宅以外の場所でおだんご頭の髪を解く、というのはこのシーンが初めてではないかと思う(Act.5のパジャマパーティーでもおだんごのままである)。そしておだんごを解いたうさぎというのは、前回、今回を通して何度も挿入される「幻の銀水晶を、お願い」とささやくプリンセスのシルエットだ。
 ところがケーキを買って待ち合わせの場所にやってくるうさぎは、もうおだんご頭に戻っている。いつの間に結い直したんだよ、という揚げ足取りをするつもりはない。そういうことを言っていたらキリがない。でも、ここで美奈子に手を振るうさぎの髪が解けていれば、美奈子がそこに前世のプリンセスの面影を見て一瞬はっとする、そうだ、やっぱり彼女がプリンセスだった、というふうに、うさぎに対する美奈子の気持ちをもう一歩近づける演出も可能なのだ。

 もっとも、そうすると無邪気に手を振るうさぎを見てほほえむ美奈子、というカットを捨てなければならない。それは惜しいな。私もここ好きだし。だからそのままで良いかも知れない。でもやっぱりうさぎの髪は解けたままでいて欲しかった。そうすれば、このあと二人がゴンドラのなかで対話するシーンは、同じシルエットをもつ二人が左右対称に配置される構図になり、プリンセスの影武者である美奈子と、美奈子の影武者であるプリンセスが、ケーキを食べようとするときに、同時に同じ仕草でイチゴをつまむ、という合わせ鏡のような、今回のエピソードの面白さを象徴するイメージになったのではないか、とも思うのである。


 でも、うさぎを待ちながら観覧車を見つめる美奈子の後ろ姿は、なぜこんなに淋しそうなのか。そしてそのイメージは、Act.47で旅立っていく美奈子の脳裏になぜ蘇るのか。そもそもなぜ二人は観覧車に乗るのか。そんなことを考えると、またしても私の妄想はとめどなく広がり、もうどうにも止まらない。

5. それでまた話は妄想に終わる


糸車
 この夏、沢井美優が初の本格的ミュージカル作品として取り組む『眠れる森の美女』は、ペローの他にもグリムやアンデルセンも取り上げている、ヨーロッパでは有名な童話だ。ある国に王女が生まれる。王は華やかな祝宴を開くが、招待を受けなかったことをねたむ悪い魔法使があらわれ、呪いをかける。やがて美しく成長したプリンセスは、呪いの通り、糸車の針に指を傷つけて百年の眠りに落ちる。彼女をめざめさせることができるのは王子だけだ。
 糸車とは何か。タロット・カードでは、それは「運命の輪」(Wheel of Fortune)と呼ばれているという。昨日、今日、明日という同じ繰り返しのなかで、しかし運命の糸を確実に絡めとって回転してゆく時間の流れ。『眠れる森の美女』のプリンセスは、見えない糸に導かれるように、城の奥に隠されていた古い糸車までたどりつき、針に触れる。そのとき彼女の時間は止まり、王国は眠りにつく。我々のプリンセス、セーラームーンも同じだ。結局は予告されたとおりの結末にたどりつき、世界の時を止めてしまう。

 Act.12の観覧車は、まるで大きな糸車のように見える。前世から現世へ、そして未来へとゆっくり回りながら、星の滅亡という、かつてと同じ悲劇の場所へ確実に戻って行く運命の輪。そのゴンドラに乗っているのは、今のところただ一人その動きの意味を知っている美奈子と、まったく気づかないまま、すでにじりじりと運命の糸にたぐり寄せられているうさぎ、この二人である。
 美奈子は自分がこれからやろうとしていることが、本当は絶望的な抵抗にすぎないことを、心のどこかで気づいている。「運命は、変えられないのね」いずれプリンセスは覚醒するだろう。そして過酷な試練の淵で、心引き裂かれるような選択を強いられるだろう。そのときまで、この無垢な笑顔を影になって守るのが私の使命だ。なぜなら世界を救えるのはこの人しかいないのだから。そしてそれを知っているのは私だけなのだから。
 私たちがこの地球に転生してきたのは、同じ過ちを繰り返さないためだった。だとしたら、過去の記憶もないまま、この世界で新しい友達としてかつての戦士たちと出会い、闘いながらもこんなふうに今を明るく生きているプリンセスにこそ、運命を変え、新しい未来の扉を開く希望を託せるのかも知れない。だから、いまは現世の私のファンでいてくれるあなたのために、私もちょっとだけ闘いを忘れて、歌ってみよう。音程もちょっとだけずれてるけど。
 そうしている間も、観覧車はゆっくりと、確実に回り続ける。美奈子はもうここから降りることはできない。前世の使命を自覚したとき、彼女は運命の輪のなかにみずから飛び込んだ。観覧車のゴンドラに乗ってしまったのだ。
 想い出した記憶は消せない。だから美奈子は再び地上には戻れない。この場所から抜け出るためには、空に向かって飛翔するしかない。そして実際、彼女はそのようにしてこの世界から去って行くだろう。曇った硝子からもう還れない眼下の光景を見つめるそのまなざしは、それゆえ深い哀しみに満ちている。「いつか君とのぼった観覧車からの景色/涙こらえてにじんでた」

 でも『眠れる森の美女』のプリンセスが、最後には百年の眠りから目覚めたように、この物語も幸福なおとぎ話として完結する。Final Actの最後の最後、何もなかったようにそれぞれの幸せな日々を過ごす4人の脳裏に、一瞬あのうさぎの歯茎が、いや笑顔が、フラッシュバックする。忘れていた大切なこと。
 「うさぎ!」何かに導かれるように集まる4人の元戦士たち。そこへ「みんな〜!」と駆けてくるうさぎ。バックに「Friends」のイントロが聞こえる瞬間、手を振るうさぎの背景にワンカットだけ、けれどもしっかりと観覧車が映っているのを見逃してはならない。それはこのAct.12のカットよりも小さく見える。みんな運命の輪から自由になって、最高の結末を迎えたのだ。めでたしめでたし。まさに絵に描いたようなハッピーエンドだ。「予定調和の小説や映画」のような話だ。けれども美奈子、あなたが歌うほどつまらないとは思わない。
 あれ。まだ1クールなのに、最後まで行ってしまったよ。大丈夫かこの日記。


(放送データ「Act.12」2003年12月20日初放送 脚本:小林靖子/監督:高丸雅隆/撮影:上赤寿一)