実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第17回】子供はわかってくれないの巻(Act.11)


 蒸し暑くなってきましたね。でも再放送中の実写版セーラームーンの世界はめっきり冬めいて、みんな外出するときにはマフラーを巻いているし、暖かそうなジャケットを着ている。



 このまま順調に進めばあと3週間後にはAct.14、つまり「明けましておめでとう」の回だ。7月も半ばにさしかかり、セミも鳴き始めていることだろう。小学校ではプールが始まって、子どもたちは泳ぎ疲れて夏休みの夢をみながら眠る。そんな真夜中に、テレビの画面では美少女たちが振り袖姿で書き初めをして、私はそれを見入ったりするのである。

1. あなたの前世は?


 話は変わるけど、武内直子の原作漫画『美少女戦士セーラームーン』にときおり出てくる前世の回想場面によれば、セーラーヴィーナスは、かつて月の王国ではプリンセスのお目付役だったようだ。たとえば、こっそり地球に行こうとするプリンセスをつかまえるヴィーナス。「見つけた!プリンセスまた王子に会いに行くの?興味本位で近づいたりしてはキケンです」「興味本位なんかじゃないわよ。ヴィーナスなんか、本気でヒトを好きになったコトないくせにっ。わかんないよあたしの気持ちなんてっ」「プリンセス!んもうっ、あたしだって……」実はヴィーナスにもあこがれの人はいる。エンディミオンにいつも影のようにつきしたがう長身の護衛の戦士。そうです漫画のヴィーナスは、前世ではクンツァイトにひそかな恋心を抱いていた。



 いきなり話がそれた。原作での四天王とセーラー戦士とのカップリングについては、また別の機会のお話としておきます。とにかくヴィーナスは、地球の王子と月のプリンセスの恋に危険な予感をおぼえ、お目付役としてなんとかしなければと責任を感じている。これは実写版のキャラクターと一緒だ。
 一方セーラーマーキュリーは、分厚い本をどっさりかかえて「あなたはシルバー・ミレニアムを継ぐ者として学ばなきゃいけないことが山ほどあるんですよ!」とプリンセスに説教したりしている。つまり姫の家庭教師というわけだ。実写版の亜美は、そういう仕事は全く放棄している。



 ここまでははっきりしているのだが、マーズとジュピターについては、そのへんが明確には語られていない。でもまあマーズは、姫を将来のクイーンにふさわしく育てるために、礼儀作法なんかをびしびし指導するしつけ係だったに違いない。原作を読んでも実写版を観てもそれ以外に思いつかない。ではジュピターはどうか。プリンセスの料理番か?あるいは宮廷の庭師?
 そんなラチもない空想を楽しんでいた私だったが、実写版の世界に出会って、ジュピターは前世でプリンセスの「御学友」兼「SP」といった役回りではなかったかと考えるようになった。
 おてんばなプリンセスがどうしても言うことをきかず、お忍びで宮殿を抜け出す場合、ヴィーナスは仕方なくジュピターを同行させる。うるさいヴィーナスがついて来るのはカンベンというプリンセスも、友達感覚のジュピターならまあいいかと思う。というふうに、ジュピターはプリンセスの御学友として常に身辺にいる。そしていざ何らかの危機が迫ったときには、身を挺してプリンセスを守る。それが彼女の使命だ。細かい作戦よりもとっさの判断と行動力に長けているという性格も、他の戦士にはない怪力という属性も、そういう任務にうってつけなのだ。
 Act.6で最初に登場するまことは、バスケットボールをぶつけられそうになったうさぎを救い、チンピラ少年たちから彼女を守る。Act.8でナコナココンテストに出たがる彼女に、初めからいちばん同情的なのはまことだ。Act.9で巫女に扮した亜美が潜入している成田社長の邸宅を、庭師に変身して偵察するうさぎの近くには、警官姿のまことがいる。まこと=ジュピターが「御学友」兼「SP」だという私の想像は、そういうところから来ている。私もヒマ人だな。
 そして今回のAct.11だ。みんながクラウンに集まって、セーラーVを探すための作戦会議をしているのに、うさぎだけは、美奈子が事故にあったというニュースにびっくりで、それどころじゃない。結局、レイが制止するのも聞かず、美奈子の入院している病院に向かってしまう。それにぴったりついて行くのが、やっぱりまことなのである。
 これは現世の話としては、実はまことも美奈子のミーハーなファンだったというちゃんとした説明がある。けれども私は、いま言ったようなことを考えているので、これは前世の二人の関係を暗示してもいるのだと解釈している。レイがうさぎのことだけ文句を言って、まことの行動については(いちおう怒ってはいるが)なんだか大目に見ているような感じなのも、そのへんのジュピターとしての役割を無意識のうちにわきまえているのだろう、とか。
 しかしまあ、前世の物語に消極的な小林靖子が、ホントにそういう裏設定を考えていたかと問われると、私も確信があるわけじゃありません。次回Act.12で、美奈子のところに忘れてきたサインを取りに行くときは、うさぎ一人だしね。

2. あのころの話


 なんていきなり与太話で遊んでしまった。実はAct.11については、いまさらながらの再放送レビューという立場から、あえて改めて語るべきことはそれほど多くないのだ。「でもそんなこと言うなら、過去の日記にも、改めて語る必要のあったことなんてほとんどなかったじゃん」なんて問われると返す言葉もないが。
 今回は個人的な思い出話をひとつだけ書いておきたい。


 Act.11。病室にいる美奈子。事務所の社長に言われておとなしく入院しているが、負傷そのものは、かすりキズ程度で実際には大したことはない。ただ彼女を襲った事故が、実はダーク・キングダムの攻撃だったというのが問題である。つまり敵はいよいよ彼女をプリンセスと見なし、狙いを定めてきたのである。
 そんな美奈子にアルテミスが語りかける(今回はまだ姿を見せず、窓の外から声だけの出演だ)。

アルテミス「美奈子、これからが本当にたいへんだよ。君は戦わなければならない。そして絶対に負けてはいけないんだ。それもたった一人で」


  


美奈子「大丈夫。歌の世界に入ったときから一人だったし、セーラーVになったときも、ちゃんと自分で決めたんだから……プリンセスとして」


 土曜の朝、初回放送を、当時小学校低学年だった娘と一緒に観ていたときの話だ。ここのところで娘が「お父さん、やっぱり美奈子がプリンセスなのかなあ」と聞いてきた。私は少し迷って、当たりさわりなく「どうだろうね」とか答えたと思う。
 そして翌週、Act.12のラスト、ついにセーラーVがヴィーナスとしての正体をあらわし、プリンセスの名乗りをあげる場面で、娘は「お父さん今度のセーラームーンは、やっぱりセーラームーンじゃなくてヴィーナスがプリンセスなんだ!」と、かなり真剣に驚いていた。私はちょっと感動したね。子供の素直さというものに。
 でもよく考えたらお父さんはお前に原作コミックスを全巻買ってあげているんだよ。自分が読みたかったからだけど。お前も読んでいたはずだが、ヴィーナスが初登場したときプリンセスのふりをしていたこともちゃんと描いてなかったか?まあ、買ってやったのは幼稚園のときだったし、絵だけ見ていたのかもな。最近じゃ真剣に再読しているのお父さんだけだし。とほほ。

 いやそんなことはどうでもいい。えーとですね、このAct.11はどんな話か。すでに書いたように、アイドル愛野美奈子の事故をニュースで聞いたうさぎは、心配のあまり、まことと一緒に美奈子の入院している病院に潜り込む。そしてそこで本人とばったり出会う。美奈子は、セーラームーンが自分の正体を知ってやって来たのではないかとドキッとする。でも実際には、怪我のことが心配で押しかけて来ただけの、ただの迷惑でミーハーなファンだった。あこがれの美奈子に会えてうさぎは大はしゃぎ。頼まれて仕方なくサインをしてやる美奈子が「もっと他に大事なことがあるんじゃない?」と探るように問いかけても、うさぎは「全然ないです。プリンセスより、セーラーVより、愛野美奈子が一番です!」とネタバレにも気づかず答える。その強烈な馬鹿っぷりを見た美奈子は深く失望する。
 そこへテレティアで連絡があって、うさぎとまことは妖魔退治に出動。待ちかまえていたゾイサイトの計略に、セーラームーンをはじめ戦士たちはピンチに陥る。けれども、初めてうさぎに会って何もかもむなしくなってしまった美奈子は、ぽつんと病室で 「あんな子が、セーラームーン……」とつぶやくだけで、とうとう助けには行かなかった、というのが大まかなストーリーだ。
 ダーク・キングダムの攻撃が本格化してきて、プリンセスのヒゲ武者としての自分の任務も、ますます危険な段階に入った、でもここが正念場だ、やらなければならない、それが前世からの使命だから。そう決意を新たにする美奈子。ところがそこへやって来たのが、自分が命をかけて守ろうとしているプリンセスその人。そのあまりにあんまりな危機感のなさに激しく脱力。「私が孤独な闘いを通して守ろうとしているプリンセス=セーラームーンって、こんな子だったの」という美奈子の落胆が物語の主題である。
 でもそういう美奈子の心理は、ここまでの実写版の物語を額面どおりに受け取っていたのでは分からない。つまり初回放送でそれが理解できたのは、シリーズ前半を引っ張る謎として提示される「プリンセスの正体は?」という疑問に「そんなもんセーラームーンに決まっているじゃないか」と突っ込むことができて、しかも「そういえば原作じゃセーラーVはちょっとの間プリンセスのダミーだったよな」という予備知識もあるような、我々大きいお友達だけなのだ。だから、そういうヒネクレた予断をもたない私の娘なんかは「美奈子がプリンセスなのかなあ」と思うくらいで、彼女の失望の、本当の理由は分からない。たぶんエピソードそのものが意味不明だったんじゃないか?

3. だってぜんぶ伏線なんだもん


 でもうちの娘も、まあ原作はたいして読んでいなかったようだが、アニメのセーラームーンはよく見ていた。セラミュにも行った。これも私が行きたかったからだけど。ともかく、うさぎがプリンセスなのは先刻ご承知のはずだ。なのにAct.12のフェイクにひっかかるなんて、ひょっとしてうちの娘はバカか?そんな子は小さいお友達のなかにもめったにいなかったのか?
 う〜ん。バカかも。いやいやそうではない。娘はアニメを知っていたけれど、というかアニメを知っているだけに、実写版には初めから色々とまどっていた。特に大きかったのは「美奈子がアイドル歌手」という、原作にもアニメにもミュージカルにもない設定である。それから、セーラーVが「彼(タキシード仮面)に近づいてはだめ」とセーラームーンに忠告した意味も彼女には謎だった。つまり実写版が展開するにつれて、彼女の「?」はだんだん美奈子に集中していった。
 どうも今度のセーラームーンは、何か「違う」セーラームーンの話だ。そしてその違いは、特にヴィーナスがポイントになっている。娘はそう考えていた。そこへ美奈子初主演となるこのAct.11という謎めいたエピソードが来て、続くAct.12で驚愕の事実が判明する。それで「今度のセーラームーンはヴィーナスがプリンセスなのか。だからアニメの美奈子と設定が違うんだ」と素直に納得したのである。そんな娘を誰が責められようか(誰も責めていない)。バカにする奴は出てこい!(だからそれはあんただろ)。それに実際、表向きはそういうふうに話が進んでいるのである。
 これまでのエピソードでも、実写版は、小さいお友達にはいささかハードルの高い伏線をいっぱい張り巡らしてきた。でも亜美とママの関係も、レイとパパの関係も、それが分からないとエピソード全体の意味が読めなくなるというようなものではなかった。ところがこのAct.11は、いわば1話がまるごと伏線なのである。そして翌週のAct.12では、ヴィーナスがプリンセスであるということで一応の決着がついてしまう。そうすると、その後の展開を予想していないうちの娘のような子にとって、今回のエピソードは要するに、プリンセスである美奈子姫が、自分の配下であるセーラームーンのお馬鹿さ加減にあきれた、というだけの話になるわけだ。そうではないことが劇中できちんと明らかになるのは、Act.25の最後の方でうさぎが目覚めてからなのだが、子供をそんなに待たせちゃいけません。
 ま、きわめて家庭内的な実体験に基づく意見ではありますが、そういうわけで今回のプロットには、タテマエ上はまだ「プリンセスの正体は誰でしょう?」という謎で引っぱりながら、内心では「ま、そうは言っても、皆さんとっくに分かってるんでしょ」という制作サイドの、視聴者へのナアナアな態度というか、甘えがあったのではないか。子供番組である以上、そこはもう少しきっちりケジメをつけて欲しかった。
 ただ一方で、そういうとんでもなく長い伏線の張り方が、大きいお友達を熱中させ、未だに深夜枠の再放送を必死で観てしまう私のようなファンを生んだというのもまた事実だ。あちらを立てればこちらが立たず、というか。困ったね。

4. 次回へと期待はTAKAMARU?


 本当は今回の日記で、Act.3、Act.4に続いて二度目の登板となった高丸監督の演出についても語るつもりだった。ネットで実写版の批評をあれこれ読む限り、およそ肯定的な評価を受けたためしのない高丸監督。しかし回数的には最も多くのエピソードを手がけているのもこの人だ。ようし、それならここで私がどーんと高丸リスペクトをやってやろうじゃないか。せめてそのくらいの新機軸でも試みないことには、この「何でいまごろ実写版の視聴レポやってんの?」日記にわざわざお付き合い頂いているみなさんに申し訳がない。それに私もいままで、高丸演出というものを真面目に考えたこともなかったしな。そう思ったわけです。ところがしかし、これがなかなか。
 いや、たとえば「高丸回はテンポが悪い」と言われるアクションシーンだが、今回はけっこう良かった。



Cパート、催眠術にかかってゾイサイトの操り人形と化したマーキュリー&マーズが、うさぎ&まことに襲いかかる、そのときの、もう完全にイッちゃっているとしか思えない北川景子の表情(特に目)とポーズは、前回の「泣き芸」に匹敵する迫力だし、マーキュリーに襲われ「亜美ちゃん、やめろ」と言いながら攻撃を避ける安座間美優の動きも、特技のダンスを活かしたシャープなキレの良さがあって実に格好いい。



しかし考えてみるとこれはすべて個人芸のレベルだ。全体の演出はというと、正直言ってやっぱりかなりユルイかなあ。
 じゃあ美奈子はどうだ。今回私は、美奈子に関してはかなり恐る恐るだった。これは『M14の追憶』を読み続けていた副作用だと思うが、Act.7で初めてセーラーVとしての彼女のセリフを聞いたとき愕然とした。言っていることばが頭の中で自動的に「小松語」に変換されてしまうのにゃ。それに前回ラストの、あのお辞儀である。
 もう本格的な美奈子の登場となる今回はどうなってしまうかと思った。が、心配するほどのことはなかった。これはひとつには、セーラーVあるいは愛野美奈子を小出しにするという、一種のティザー(じらし)広告的なスタッフの戦略のせいだと思う。すでに2年半前に美奈子のセリフが与えるインパクトを体験している我々は、さあ今週はセーラーVの登場だ。やれやれセリフはなかった。次は確かちょっとセリフあったな。今度は美奈子としての登場だ、うわあ次はAct.11だ。いよいよ来るぞ、というように、徐々に心の準備を整え、身構えることができた。そのため予想していたほどのダメージはなかった。防御がしっかりしていれば吸収できる。
 それに高丸監督は可愛い子を可愛く撮るのが上手だ。小松彩夏のフォトジェニックな魅力を引き出しているということに関しては、申し分ない水準に達していると思う。その可愛らしさがセリフ回しのインパクトを大幅に中和するので、実際、私はぜんぜん平気でしたね。この先、美奈子がいくら出てきても大丈夫だという自信もついた。それもこれも、映像から伝わる「可愛いでしょ。これだけ可愛い子なんだから、後はまあいいんじゃない」という高丸監督のアバウトなメッセージのおかげである。そう「アバウト」これが高丸監督を理解するためのキーワードだ。
 うーん、誉めているんだか何だか自分でも分からなくなってきた。それに、さっき「可愛い子を可愛く撮るのが上手だ」とは書いたが、じゃあAct.11のどのカットにそういう監督の才能を見ることができるのか、素材としての小松彩夏の良さとは区別して説明せよ、と問われたら、いまはちょっと困る。そういうわけで高丸監督の第一次総合評価は次回の宿題とする。
 いや待てよ。しまった!次回はAct.12か。あらゆる問題が、最後には演出への疑問という一点に収束すると言ってもいいような回である。なんで私はそんな火中の栗を拾いに行くことになったかな。ま、なるようになれだ。


 それにしても娘よ。汚れちまったお父さんも、お前のように「今度のセーラームーンはヴィーナスがプリンセスなんだ!」なんて本気で驚きながらAct.12を観てみたかったなあ。ということで次回に続く。


(放送データ「Act.11」2003年12月13日初放送 脚本:小林靖子/監督:高丸雅隆/撮影:上赤寿一)