実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第551回】ちょこっとAct.ZEROの巻

 

 

 アカデミー賞ノミネートが発表された。シルヴェスタ・スタローンがロッキー役で助演男優賞候補、それに『スター・ウォーズ』が5部門、『マッドマックス』が10部門にノミネートだそうで、ひょっとすると今はまだ1970年代なのかも知れない。

 

 

 話は変わるが、音楽における大衆性(ポップ)と前衛性(アヴァンギャルド)の両立ってことを私が耳で学んだのは、モーツァルトからでもマイルス・デイヴィスからでも美空ひばりからでもなく、ポール・マッカートニーとデヴィッド・ボウイからであった。二人とも1970年代に大ブレイクしたが(『ジギー・スターダスト』が1972年、『バンド・オン・ザ・ラン』が1973年のリリース)ポールの場合、それ以前にビートルズというとんでもない前歴があるので、もうひとつ前の世代の人という印象が強い。デヴィッド・ボウイはまぎれもなく我らの世代の我らのスターである。たぶん北川景子さんのご両親も我々と同世代で、ボウイの熱心な聴き手なのだろう。そうでなきゃあの年代の女の子がボウイを「神」と呼んだりはしないよな。

 

 

 そんなわけでDAIGOと北川景子が交際していると聞いた時、私が最初に思ったのは「二人ともデヴィッド・ボウイをリスペクトしているよな」ということだったが、その二人が入籍を発表したその日に、まさかボウイの訃報が流れるとはね。歳をとるといろいろ思わぬことが起きる。
 デヴィッド・ボウイは69歳の誕生日にあたる2016年1月8日にニューアルバム『ブラックスター』をリリースして、その3日後に還らぬ人となった。そういうつもりで聴いてしまうせいもあると思うが、ここでの彼の歌声は、何かを吹っ切ったような若々しさと、終末を見据えた老成を兼ねそなえて、しかも実にクリアである。アルバム全体も、ロック・ファンには分かりやすい構成でありながらいろいろとミステリアスな仕掛けも多く、いかにもデヴィッド・ボウイらしい遺作だ。あちこちに「死」の影を感じるという意味で、音楽性は違うが、私はイギー・ポップが2013年にストゥージズ名義で発表したアルバム『レディ・トゥ・ダイ』を連想した。

 

 

 ついでに(ついでに、というのも不謹慎だが)もうひとり、レミー・キルミスターも年末に亡くなった。「煙草を欠かすと喉に悪影響が出る」といってマールボロを手放さず、普段の飲み物がコカ・コーラのジャック・ダニエル割り(ジャック・ダニエルのコーラ割りではない)というライフスタイルを自己責任で貫いた人だった。さすがに数年前、糖尿病の合併症を起してからは節制したらしいが、もう実にロックな人生と申しますか、日本ではたぶんボウイほど知名度は高くないけど、英国では典型的なロック・スターのイメージで、広く国民に親しまれていたと思う。彼の死の直後にモーターヘッドは解散を表明した。当然と言えば当然だが、みごとな散り際である。

 

 

 さらについでに言っておくが、これは訃報ではなくて、ゲスの極み乙女のニューアルバム『両成敗』も良かった。日本のロックの「今」の空気をそのままパッケージしたような新鮮な活気があって、たまにこういうのを聴くと耳が若返る(ような気がする)。私生活のゲスっぷりを先取り的にアルバム名にしているセンスもなかなかロックでよろしい。
 旬のバンドなので、川谷絵音にはどんどん曲を書いて欲しい。で、当分はその印税を嫁さんへの慰謝料につぎ込み、自分はベッキーの稼ぎで食わせてもらえば、きっと世間も許してくれるし(推定)、音楽活動を続ける励みにもなる。

 

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 さてここらで本題へ、と思っていたら、土曜日から日曜日にかけて、二日がかりで仕事が入ってしまって、もうブログを書いている時間があまりなくなってしまった。もうしわけないがDVDレビューはお休みさせていただきます。で、前にちょっと言っていたAct.ZEROの話。

 

 

 今年最初のブログのお年玉企画としてAct.ZEROの台本を紹介させていただいた。そのとき「ふうん」と思ったんだけど、美奈子とアルテミスが出会う「シーン2」の舞台がちゃんと「病院・屋上」と書いてあったのだ。
 まあ美奈子の格好がパジャマにガウンなので、普通に考えてこのビルは病院だろうと推測できるけど、劇中で明示されていたわけではなかった。でもト書きには、Act.ZERO冒頭で美奈子がクリスマス・ソングを口ずさんでいるのは病院の屋上であると明言されいている。

 

 

 

 一方、本編のAct.36でも美奈子とアルテミスの出会いが回想で描かれる。どこかというと、レイがこっそり美奈子を見舞いに訪ねるシーンだ。

 

 

 

 

 美奈子は「私はたぶん、あと二、三ヶ月しか生きられない」とレイに告白し、さらに「セーラー戦士になる前から分かってたことよ。問題はそのことじゃなくて、敵を倒す前に、戦士が一人欠ける可能性があるってこと。リーダーの私がね」と続ける。

 

 

 この少し後で美奈子とアルテミスの出会いが回想シーンとして挿入されるのだが、台本にはその場所が「同・屋上」と指定されている。美奈子はやはり、入院中の病院の屋上でアルテミスと出会ったのである(ただ季節の指定がなかったので、半袖のパジャマになってしまっている)。

 

 

 

 Act.ZEROは全体的にコメディ・タッチで、初めてセーラーVとして活躍した美奈子の「これって最高のクリスマスプレゼントかも」というセリフも無邪気に聞こえる。でもほんとうは、彼女はこのとき、すでに余命宣告というクリスマスプレゼントを受けていたのだ。たぶん直接告知されたのは保護者だろうが、本人のおよそのことは察知して、屋上でひとり夜空の満月を見上げていたのであろう。

 

 

 

 

 Act.ZEROとの台本上の密接なリンクはAct.35にもある。戦いが終わってセーラーヴィーナスから「今日のお詫びに、これを」と美奈子のライブのチケットを受け取ったセーラームーンは、きょとんとしている。そしてエンディミオンから「知らなかったのか?セーラーVのころから知ってたぞ」と言われて、しばらく「……」が続いた後で「うそ〜!」と叫ぶ。

 


ヴィーナス「プリンセス」



ヴィーナス「今日のお詫びにこれを」




ヴィーナス「それじゃあ」



セーラームーン「なんだろう、これ」
エンディミオン「ライブのチケットじゃないのか?」
セーラームーン「ライブのチケットって?」


セーラームーン「あ」


セーラームーン「愛野美奈子のライブのチケットだ!」


セーラームーン「嬉しい!絶対手に入らないと思っていたのに」


セーラームーン「でも、何でヴィーナスが?」
エンディミオン「自分のライブだからだろ」


セーラームーン「?」


エンディミオン「……まさか」


セーラームーン「え?」


エンディミオン「知らなかったのか?セーラーVのころから知ってたぞ」


セーラームーン「……!」


セーラームーン「うそぉおおおおっ」

 


 でも地場衛はどうしてセーラーVが愛野美奈子だと知ったのか。その答えもAct.ZEROにあった。
 なるちゃんのママのジュエリーショップ「ジュピター」が泥棒に狙われているらしいので、セーラーVが物陰から様子を伺っている。

 

 

 

 

 するとうさぎが「愛野美奈子〜!」と絶叫しながら飛び出してくる。愛野美奈子の新曲の発売日だったのだ。うさぎはただCDショップへ急いでいるだけなのだが、セーラーVは「どうして分かったの!?」と動揺して逃げ出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その様子を見ていたタキシード仮面は「セーラーVは愛野美奈子だったのか」と驚く。だから衛はAct.35で「セーラーVのころから知ってたぞ」と言ったのだ。
 というふうに、Act.35とAct.36にはそれぞれ、Act.ZEROと密接につながるセリフが出てくる。つまりAct.ZEROの台本は、Act.35やAct.36と並行する時期に書かれたと考えて良いのではないか。台本が上がるのって、ごく大ざっぱにオンエアの1ヶ月前らしい(間違っていたら御指摘ください)。てことはAct.35のオンエア日が2004年6月12日、Act.36が6月19日なので、執筆は5月初旬。
 以上のように考えると、2005年3月25日にビデオがリリースされたAct.ZEROの企画は、だいたい1年前の2004年春にスタートしていたことになる。けっこう早い。ひょっとすると白倉伸一郎は、実写版セーラームーンと並行して『コードネームはセーラーV』の実写版を、実はビデオオリジナルで何作か作るくらいの心づもりがあったのではないか、という気もしてくる。少なくとも後日談を「Special Act」として制作する企画よりは早かったのではないか。
 なんてな。今回はまあそんなところで。仕事へ行ってきますわ。