実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第89回】DVD第1巻:Act.2の巻(中編)


新数学勉強法―時代が数学を要求している (ブルーバックス 7)

新数学勉強法―時代が数学を要求している (ブルーバックス 7)


 3代目セーラームーンの神戸みゆきは『マーメイドメロディぴちぴちピッチ』に声優として出演したうえ、テーマソングも歌っていた。黒木マリナは『おねがいマイメロディ』だ。河辺千恵子は言うまでもない。セラミュの方々にとって、アニメは卒業後の重要なフィールドである。できたら実写版の方々とぶつかり合わないでいただけると、私の心も安まるというものだ。と思っていたら、弓原七海さんの新しいCDは「昔みたいに何かの主題歌という訳ではない」んだそうですね。なんかもう打てば響くというか、たいしたものである。後は、徐々に声の仕事が増えていきそうな沢井さんを、顔の見える仕事に引き戻す、という重要な課題が残る。う〜ん。まあ、ともかくDVDレビュー、Act.2の続きだ。

1. 何度観ても飽きない私は網タイツに弱いのか?


 初めてクラウンの秘密の部屋に入ったうさぎは、使命について説明しようとするルナを無視して、黒い革ジャンに赤いタンクトップ、網タイツに底の分厚いブーツという派手なスタイルに変身する「さっき道ですれ違った人、かっこよかったからさ。これいいよー。何にでも変身できるもんね」。こういうのを見ていると、実写版はちょっともったいないことをしたな、という気がする。いや「もったいない」というのも変な言い方ですけどね。
 前回Act.1のシックなドレス、今回のミュージシャン風衣装、そして次回Act.3の巫女さんと、初期のエピソードを観ていると、うさぎちゃんのコスプレを毎回の「お約束」にしようとしていたのかな、とも思う。原作漫画がそういう趣向だった。原作の第2話で、うさぎは、亜美の通っている学習塾に潜入するとき、なぜか白衣の女医に変身する。第3話では、レイを乗せたバスが異次元空間に吸い込まれようとするとき、これまたなぜかスチュワーデスに変身する。第4話では、仮装パーティーに潜入するために、プリンセスのドレス姿に変身する。
 アニメ版はどうだったかな。原作第2話(実写版Act.2)に対応するアニメ第8話では、原作どおり女医に変身していたね「こちらに急患がいると聞いてきたのですが!」これら原作やアニメの狙いは明らかだ。とくにこれといった必然性もない、女医とかスチュワーデスとかプリンセスへのコスプレというのは、要するにリカちゃんやバービーの「着せ替え」と同じ発想である。幼年層へのアピールだ。
 では「幼年層」とはどのあたりを指すか。未就学児童から小学校の前半、年齢でいえば2歳か9歳くらいまでの女の子であろう。アニメ版セーラームーンはこの層に爆発的な人気を呼んだ。1990年代前半の話だ。
 しかし、これは私の印象だが、実写版の放送が始まった2003年ごろには、この層はさらに二つに分離していたと思う。アパレルっぽく言えば、未就学児の「トドラー」(2歳から5歳ぐらい)と、それより上の「キッズ」(6歳から9歳)とに分かれたのである。もっとも私、業界人ではありませんので、アパレル的なことはよく分からないまま書いておりますが、ちょっとここで、2000年あたりの少女文化についてざっと概観してみたい。

2. 二十一世紀の少女たち


 「ジュニア向けファッション雑誌」というジャンルは、1997年7月創刊の新潮社『ニコラ』くらいから始まったようだが、本格的に競合誌が参入するのは2000年以降で、2001年になると白泉社の『CANDy』(6月)、祥伝社の『melon』(8月)、徳間書店『ラブベリー』(10月)が相継いで創刊されている。これらの雑誌は小学校高学年から中学生を具体的な読者層としていたが、そのすぐ下の、小学校低学年・中学年にも影響を与えた。つまり、こういう雑誌がちょっと上の世代のために出現したせいで、少女たちは早熟になり、小学校に入ったころから、早くもあこがれの対象を、アニメのヒロインから雑誌のジュニアモデルに、あるいはリカちゃんやバービーの着せ替えからキッズブランドのファッションに移すようになっていった。おとぎ話めいたプリンセスへの夢が、モデルやアイドルといった現実的な願望に転換する年齢が早まったのだ。実際、2001年の夏に行われた「モーニング娘。」新メンバーオーディションでは、応募資格は中学生以上と告知されていたにもかかわらず、小学生の応募が非常に多く、そのため急遽「ハロプロキッズ・オーディション」が開催されたという。また、沖縄アクターズスクールは、2000年に大阪校を、2001年に横浜校を開いている。
 ファッションやアイドルのことはあまり詳しくないのでこのくらいにしておく。こういう変化は、小学生向けの少女漫画やアニメの世界にも顕著に表れてきた。セーラームーン末期の『なかよし』(講談社)は、外部作家のCLAMPを連れてきて『カードキャプターさくら』の連載を始める。実は私、この作品はアニメ版しか観たことがないが、はっきりとファッション性が強調されていたのが印象的だった。また『ちゃお』(小学館)にも、今井康絵が『はじけてB.B.』(1997年6月号〜1999年1月号)『とっても!B.B.』(1999年2月号〜2000年5月号)を連載して、かなりの人気を呼んでいた。この漫画は沖縄アクターズスクールとのタイアップ作品で、「B.B.」というのは当時アクターズスクールのユニットだった「B.B.Waves」のことだ。それで『はじけてB.B.』には山田優が、そして続く『とっても!B.B.』の方には、やはり当時このユニットのイチオシだった「舞・美優・星」の3人が、漫画のキャラクターとして「出演」していた。「舞」は又吉舞、「星」は喜友名星、そして「美優」こそ我らが安座間美優である。2007年3月4日付け「みゅうみゅう」で、安座間美優は、山田優とのツーショット写真にそえて「昨日のTGCは本当に最高でした!」という記事を書いているが、これはその頃からのファンへの感謝のメッセージと理解していいのではないかな。まあみなさんもご存知でしょうが。
 余談であった。この漫画は沖縄出身の「七海」という名のヒロイン(!)が、歌と踊りでアクターズのトップ集団「B.B.Waves」を目指すというお話だが、そういう古典的な少女コミックのフォーマットに、実在するタレントのタマゴとか、アクターズスクールのオーディションとかの現実をリンクさせたところが受けたのだと思う。
 今井康絵はその後も『ちゃお』で『シンデレラコレクション』を連載する(2003年1月号〜2005年5月号)。これは、初めてMezzo Pianoの服を着たのがきっかけで、少女モデルへの道を歩み始める女の子の物語で、まあ同じような内容であるが、目玉はMezzo Pianoブランドのナルミヤインターナショナルと全面提携したところにあった。作品中にはナルミヤの新ブランドとコラボしていたアミューズのユニット「BOYSTYLE」がレギュラーみたいに登場して、主人公をはげます。河辺千恵子も一度、実名でゲスト出演していた。これもけっこう好評だった。『ちゃお』は『なかよし』よりも対象年齢を低く絞って、小学生だけをターゲットにしていると思うが、それでも、保育園児や幼稚園児を対象とする作品とは違う、ある種のリアリズムが要求されるようになってきたのである。
 今井康絵は、最近でも『くるりんぱっ!』と続編『ホップ・ステップ・くるりんぱっ!』を『ちゃお』に描いている(2006年3月号〜2007年4月号)。これは、運動が苦手だと思っていたヒロインが、ふとしたきっかけでフィギュアスケートに開眼するという「またかよ」という感じの物語である。いちおうタイムリーにフィギュアを取り入れたこともあって、それなりに好評だったようだが、今回は荒川静香も浅田真央も安藤美姫も実名で登場しなかったので、1年間で連載を終えている。そろそろ新しいパターンの話にも挑戦していただきたいですね。編集者の方、柳の下のドジョウを狙うような企画ばかりでは作家も可哀相だよ。

3. 美少女戦士アパレルムーン


 ともかく、アニメ版の放送開始から数えて10年ぶりにセーラームーンが実写版で復活したのは、そういう時代だった。対象とすべき視聴者層が、まだ「悪と戦う正義の戦士」とか「月のプリンセス」などというおとぎ話のフォーマットが通用する未就学児と、そういうものよりも、チャイドルやジュニアモデルへの関心が強い小学生というふうに、二極化を始めていた。テレビアニメで言うと、2004年から始まった『ふたりはプリキュア』と、2006年から始まった『きらりん☆レボリューション』では、対象となる層が二分化している。『プリキュア』は未就学児に強く、もともと『ちゃお』の人気漫画のアニメ化であり、かつヒロイン月島きらり役の声に「モー娘。」の久住小春を起用した『きらりん☆レボリューション』は小学生に強い。
 もちろん、未就学児を惹きつけるファンタジー的な設定に、小学生くらいの女の子たちをも飽きさせない要素や、巧みな物語性をかねそなえていれば、両方の層にまたがる支持を得ることは可能だ。1999年から2002年までまる4年のあいだ放送されていた東映の『おジャ魔女どれみ』シリーズはその代表例だし、『ちゃお』の人気作品『わがままフェアリー ミルモでポン!』も、アニメ化と同時に小学館の『幼稚園』と学年別月刊誌に並行連載を始め、2002年から2005年まで3年半にわたって放送が続くという成果をあげている。
 などと書いていてはきりがないので、セーラームーンに話を戻すと、アニメ版は、本放送終了後3年たった2000年春、テレビ朝日系で日曜日の朝に再放送されていた。『どれみ』の前番組みたいな感じでやっていたと思うが、再放送にもかかわらず好評を博して、相変わらず未就学児に強いことを実証していた。
 で、ここに、おしゃれに敏感な小学生を惹きつける仕掛けを絡めれば、かつてのアニメ版のように、2歳から10歳くらいまでの層をひとくくりにかっさらえる。さっきは「この層は二極化した」なんて書いたが、しかしトイザらスでプリキュアやディズニープリンセスの「なりきりセット」に目を輝かせたり、リカちゃんの着せ替え服を集めたりする未就学児と、チャイドルにあこがれ、ジュニア雑誌のキッズブランドの服に魅入る小学生女子の視線とは、本質的にそんなに違うものではない。
 2003年秋におけるセーラームーン実写化の背景には、あるいはそういう深慮遠謀があったのかも知れない。セーラームーン本来の魅力である「メイクアップ」「愛と正義の美少女戦士」あるいは「プリンセス」といったファンタジックな基本設定で、うんと小さいお友達の心をつかむ一方、『ラブベリー』とか『melon』とか『CANDy』とか『SEVENTEEN』とかのモデルをメインキャストにもってきて、毎回すてきな服を着せて、ジュニア向けファッション雑誌なんかを読み始める小学生のお友達のハートもゲットする、っていう戦略だ。以前 seigneurさんは、M14さんのところのコメント欄で「他の戦士はたいてい実年齢相応なのに、うさぎだけいつも、Daisy LoversとかMezzo Pianoとかの子供服のブランドを着ている」と指摘されていたが、それはつまりそういうことなのではないか。うさぎちゃんの私服は、小学生がいま現在あこがれている服であり、レイやまことのスタイルは、もうちょっと大きくなったら着てみたいと思うようなファッション、というような。実際、ファッションショー的に戦士たちが色んなコスチュームを楽しむ、という場面は、物語の流れとは関係なく随所に仕組まれていた。
 でも、そういう狙いがあったとして、実際の成果はどうだったかというと、失敗とは言えないまでも、大当たりと言えるほどには、ツボにはまらなかったわけだ。変身コスチュームは変身コスチューム、ファッショナブルな私服は私服として、両者は有機的につながらなかった。どうすれば良かったのかな。毎回テレティアでうさぎちゃんがキッズブランドの服に早変わりというのも、身もフタもないという感じがするし。
 たとえばアニメ『カードキャプターさくら』では毎回、最後にマスコットキャラクターのケルベロスが、その回さくらのファッションについてワンポイントアドバイスするコーナーがあった。ああいうのはどうかな。ルナが毎回のラストで「今週の戦士のファッションは、ここがポイントよ」と解説する。もちろん美奈子はアルテミスだ。ダメかな。
 いつまで経っても馬鹿話が終わりそうもないのでこのくらいにしておく。こんなくだらないことを私がえんえん考えてしまうのも、うさぎちゃんの悩ましい網タイツの太ももが悪いのだと思う。でも、その格好のままカラオケで美奈子を歌おうとしたところで「明日テストあるの忘れてた!」と、慌ててテーブルに教科書やノートをぶちまける、という展開で、大人っぽい姿にあこがれていても中身はまだまだ子供、というギャップが演出される。そして次のシーンは中間考査の発表だ。ということは、網タイツ仕様のうさぎが言っている「明日のテスト」が、この中間考査のことで、ふたつのシーンの間には、おそらく1週間近くの間が空いている、と考えるべきであろうか。

4. 数学的な悩み


 今回はもう終わりにしようと思ったが、最初に出した本の話まで行き着いていませんでしたね。
 次のシーン、試験結果発表の張り紙から推定される2年1組のクラス構成については、すでに前々回およびその前の日記で検討した通りである。関係ないが、アニメ版第8話で張り出される全国模試の結果は「1位:水野亜美、2位:吉田映作、3位:北野隆、4位:山田百恵」であった。ちなみに亜美ちゃんは2年5組。
 そして昼休みだ。ちょっと気になるのが、うさぎがモモコのミートボールを「いただき〜!」するカットの後、引きの画面で、手前に映っている男子二人組。弁当箱がピンクで、しかもそのサンドイッチを二人で仲良く分け合っているようにさえ見える。怪しい。
 まあしかしそんなことはいいや。一緒にお弁当を食べる友だちもいない亜美は、本とコンビニの袋をもって教室を出る。その姿を目で追ううさぎ。で、屋上である。サンドイッチを食べながら読書する亜美の前を、カメラがすーっと横移動する。飲み物は「森のカフェ」であるが、直前の教室のシーンで、なるの座っている背後のテーブルに置いてあるのも、おそらく同じ銘柄だろう。しかしこれは現実にある商品ではないと思う。一方、亜美が読んでいる本。これは実在の本である。講談社ブルーバックス、遠山啓の『新数学勉強法』。
 タイル方式の算数の勉強法って、みなさんお分かりになりますか?たとえば小さな正方形のタイルを「1のタイル」として、中くらいのタイルを「5のタイル」、大きなタイルを「10のタイル」とする。別にコインでもおはじきでもいいのだろうが、ともかくそういう道具を使って「5+7」という数式を考える場合、5は「1のタイル5枚=5のタイル1枚」であり、7は同様に考えて「5のタイル1枚+1のタイル2枚」である。したがって「5+7」とは「5のタイル2枚 +1のタイル2枚」ということになり、5のタイルは2枚で「10のタイル」1枚に換算されるから、答えは「10のタイル1枚+1のタイル2枚 」で「12」である。要するに「5 +5=10」「10+2=12」という手順を踏むわけですね。
 こういう、タイルを用いた段階的な算数学習の利点は、たとえば「ケタが上がる」という概念を直感的に理解させやすいとか、理解できない児童が、どこまで理解できていて、どこまで理解していないかを、教師が把握しやすい、というような利点があるんだそうです。
 しかし、私が小学生の時どうだったかは忘れたが、昔は、こういう算数の教え方は邪道だったそうです。まず指を折って数えることを教え、慣れたら指を見ないで数える、というのが王道だったらしい。そういう伝統を破ってタイル方式を提唱し、また暗算中心の日本の算数教育に異を唱え、筆算を中心とした計算練習で、より効率よく算数を学ぶための体系を考えたのが遠山啓(とおやま・ひらく 1909〜1979)先生なんだって。
 遠山氏は、1950年代から算数教育の改革運動を始めたが、それはただちに日本の教育界に受け入れられなかった。氏の著作を不適切な図書と見なして学校から追放した地域もあって、実は私の住んでいる愛知県もそうだったようです。でも遠山先生はその後も努力を続け、1960年代末期には障害児教育の研究にも取り組み、その結果、氏の算数教育の方法論は徐々に浸透し、現在では様々な教科書や、NHKの教育番組などでも採用されている、ということです。
 そんな遠山先生ですから『新数学勉強法』もただの数学の本ではない。何しろ「数学恐怖症を世の中にひろめた原因のうちの99%までは、過去の誤った数学教育にある」である。「暗算偏重の算数教育を日本にもちこんだのは、昭和10年から国定教科書になった尋常小学算術(俗に「緑表紙」とよばれている)であった」である。「こういうひねくれた難問がいくらできても、数学の本通りを1歩でも進んだことにはならないし、またこういう難問ができなくても少しも悲観する必要はないのである」である。なかなかに反骨の人だ。こういう本を、亜美ちゃんは屋上でサンドイッチ食べながら、独り読んでいるのである。ただの良い子ちゃんのガリ勉ではないのだ。
 しかしこの本、ブルーバックスの通し番号7番である。ひとケタ台というのがスゴイ。初版は1964年(昭和39年)ですよ。まさか「亜美にふさわしい数学の本」ということで、スタッフが古本屋を走り回って入手したわけではなかろうし、現在もAmazonとかに出ているということは、実写版の撮影時に、決して手に入りにくい状況ではなかったのだと思う。でも今年のブルーバックスの目録では品切れ扱いになっている。そこでみなさん、この機会にみんなで一緒に注文を出してみてはどうでしょうか。
 古典的名著とはいえ、そんなに一般に売れるとも思えない絶版書籍に、一時的に問い合わせが集中する。これはどういうことだろうと、版元の講談社では話題になり、それが同社の『FRYDAY』もしくは『週刊現代』の聞き及ぶところとなって、取材が開始される。注文した人はみんな、3年近く前から消息不明の、幻の美少女アイドルのファンだという。彼女はいまどこにいるのか、『FRYDAY』もしくは『週刊現代』は捜索をはじめ、ついに浜千咲の現在を突き止める。それでその記事が載った号を、ハマチスト(死語)がひとり100部ずつ買い占めて、さらなる話題を呼ぶのだ。一人あたりの負担は3〜4万円、もちろん出せるよね。弓原七海のCD100枚と言われたらちょっとためらう私も、これなら。
 でもなあ、千咲さんがもし「今はそっとしておいてもらいたい」と思っているのなら、平穏をかき乱すような真似を、もちろん私はしたくないしな。どうしようかね(なかば本気で悩んでいるところが馬鹿である)。


 というわけで今回はこのくらい。もはや構成もなく、ぐだぐだである。このままでは全話DVDレビューに3年くらいかかってしまうのではないか。
 来週はとうとう日曜日も休みがないので、きっとまた更新までに間が空きます。ごめんなさい。しかも学校は運動会なので弁当も作んなくちゃ。トホホ。