実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第35回】書き直ししているうちに更新が遅れちゃいましたの巻(Act.22)

1. さらに混迷をきわめる放送スケジュール


 やはり私はアメリカ人でもジャック&ベティでもなかったようだ。また背景色を変えてしまいました。ホントにまあころころと。でもこの前は取りあえず不具合を修正するのに精一杯で、配色までじっくり考えている余裕はなかったのだ。今度こそは、少なくとも当分この配色で変わりませんので、よろしくお願いします。
 さて、夜など窓を開ければけっこう涼しくなってきた名古屋ですが、皆さんのところはいかがですか。実写版は今回Act.22の再放送。初回放送は2004年3月6日。春は近いが、まだちょっと寒そうで、みんなマフラーをしている。一方CMはすっかり秋めいて、今回は「金ちゃん花かつお入りきつねうどん」「ハウスカップシチュー」「金ちゃん鍋焼きうどんトリオ」などと、うまく作品内の季節感とマッチング。しかしここで交差して、間もなくドラマの中の時間は春から夏へと進み、テレビを観ているこちら側は秋から冬へと向かっていく。
 それはそうと、来週また放送がないんですよ〜。来週20日は午前2時15分から「機動戦士ガンダムSEED DESTINYスペシャルエディション〜砕かれた世界〜(前編)」午前3時10分から「アキハバラ@DEEP」後は4時過ぎからニュースとかで放送は終了である。
 ガンダムか。(前編)ってことは翌週は(後編)が放送されるんだろうなあ。ただし毎週水・木曜深夜という変則的なスケジュールで放送されていた「アキハバラ@DEEP」が次の木曜で終了、しかもその前にやっていた小林靖子脚本のアニメ「ウィッチブレイド」も終了。全体的に番組改編期ということもあり、再来週の放送があるのかないのか、あるとして何時に放送されるのか、もはや見当もつかない。
 しかし、前々回もそんなことを書いたが、それはもうどうでもいいのである。放送さえしてくれれば、2週間に1回、3週間に1回の放送ペースでもいいや。なんなら月1回はどうだ。そうすれば後2年3ヶ月は続く計算だ。つまり2008年の年末までじっくり実写版の再放送を楽しめるのだ。え、それけっこういいなあ、と自分で考えていて本気でうらやましくなってきた。

2. 氷の戦士ダークマーキュリー誕生


 2006年9月13日(水)午前3時10分、Act.22再放送。前回は、病院から消えた亜美の居場所を突き止めたまことが変身し、そこへセーラームーンとマーズも駆けつける。クンツァイトに「見せてやれ」と言われて、三人の前でダーク化する亜美、というところで終わった。そして今回のアヴァン・タイトルはそこから始まる。ここは何となく見たことある感じの場所だ。あれだ、Act.6で、なるちゃんたちがストリートバスケのタケル君(妖魔)に連れ去られ、置物みたいになっていた、あのモノクロ画面の異空間だ。同じような柱が立っていて、彫刻があるところも一緒だからかな。今回はクライマックスも劇場の舞台で展開されるが、オープニングも舞台の大道具めいている。
 その舞台の中央に、泉というのか噴水というのか、イタリアンでルネサンスな感じの天使像がある。有名な作品なんだろうけど、すみませんよく分かりません。とにかく、そこに流れる水が一瞬にしてつららとなる。それをマーキュリーがもぎ取ると剣に変化するのだ。水の戦士が凍てついて、氷の戦士となる。ダークマーキュリーの誕生だ。
 『40歳からのヲタク道』の親方さんは「ダーキュリー」という略した言い方はあまり好きじゃないそうだが、しかしダークセーラーマーキュリーとダークマーキュリーのどっちが正式名称なんだろう。ひょっとして台本では「マーキュリー(黒)」かも知れない。私なんか、初めて見たころは分かんないので「セーラーダーク」と呼んでいた。「マーキュリー・パワー・メイクアップ」でセーラーマーキュリーになるのだから、「ダーク・パワー・メイクアップ」では当然セーラーダークになるだろう、と推理したのだ。実はいまでもこれが一番正しい解釈だと思っている。
 まあともかく、「せらむん」という略称は自分からは使わない名古屋支部だが「ダーキュリー」は使用可です。ちなみに「セラミュ」というのもあまり好ましくないが、事あるごとにいちいち「セーラームーンミュージカル」と書くのも大人げないので良しとしている。あと色々あるが、もちろんこれはあくまでこっちの勝手なルールです。コメント欄への書き込みは「せらむん」だろうが「山ヒー」(山本ひこえもんの略。いま考えた)だろうが別に気にしませんのでどしどしどうぞ。
 話を戻す。ともかく、このダーキュリーがめちゃくちゃ強くて、戦士たちはあっという間に倒される。不敵に微笑みながら、セーラームーンにとどめを刺そうと歩み出るダーキュリー。だがクンツァイトに止められる。まだ早い、ひとまずセーラー戦士たちをとことん追い込んで、様子を見てみよう、というのがクンツァイトの作戦だ。その結果「追いつめられてなにが出てくるかは、お楽しみだがな」。
 というわけで一気にケリはつかない。これは長期戦なのである。マーキュリーを連れてダークキングダムに去るクンツァイト。クラウンに戻り、テーブルに置かれたみんなのミトンを見て、いままで亜美をひとりぼっちにしていたことを思い、今さらながらに後悔する戦士たち。
 翌朝。いなくなった亜美ちゃんのことを、先生やみんなにどう説明しようと思い悩みながら登校するうさぎだが、意外なことに亜美は学校に来ている。「亜美ちゃん!」と嬉しそうに駆け寄るうさぎ。でも何か様子が変だ。亜美ちゃんは、なるちゃんたちクラスメートに囲まれてすっかり人気者なのである。みんなマインドコントロールされている。「おはよう、月野さん。学校は休みたくないから、ちょっと居心地よくさせてもらったの。学校で戦う気はないけど、油断はしないでね」

3. でも学校へはちゃんと出席します


 というふうにこのダーキュリー、日常生活ではちゃんと優等生らしく欠席はしないし、バトルの前には以前のマーキュリーと同じように「逃げてもムダよ」と決めてみせるし、弁当はやっぱりコンビニである。悪役になっても以前のキャラクターをそのまま引きずっている。しかもダーク化してからの方が活き活きしているので、観ている側としてはちょっとどうしていいか困るなあ。
 もちろん、前にも書いたとおり、ダーキュリーは亜美と別人格ではないのだから、キャラクター的につながっていることにぜんぜん問題はない。でも本当なら、そういう以前からの要素を残しつつ、残酷で冷徹、そして何よりも無表情というのがイメージだろう。何しろ氷の戦士なのだから。
 ところが監督ローテーションに誤算があった。今回を担当したのは「愛と情熱の戦士」美少女大好きの舞原賢三である。前回Act.21でもまことを可愛く可愛く描いた舞原監督は、今回も「ダーク化しても亜美は亜美だ。オレは好きだぞお」とAct.22の中心で愛を叫びまくっている。
 そして浜千咲も、ダーク化した亜美という役が面白くってしょうがない。ここのところ、Act.17とAct.18はレイと美奈子の確執、続くAct.19とAct.20はうさぎの恋の行方がテーマで、亜美はほとんど放置状態だった。あるいは浜千咲自身の都合で出演シーンを削らざるをえなかったのかも知れないが、いずれにせよ、本当はこの4話を通して、少ない出番をおろそかにせず、クラウンで編み物をしながら様々な想いをめぐらせる亜美の肖像を丁寧に描き出して、ダーキュリー誕生へとつながる伏線にするべきだったのだ。でもケンコー監督も高丸監督も、メインの話はきっちり撮ったが、そういうサイドストーリーまでは目が届かず、せいぜい土壇場のAct.20でようやく集中的に亜美を描いた程度だった。浜千咲としてもけっこうフラストレーションがあったのではないか。
 そこへ亜美ちゃん命(推定)の舞原監督が来たのだから、これはもういきなりレッドゾーンだ。その結果、おそらく、凍てついた心をもつ氷の戦士ダーキュリーの「冷たさ」が強調されるはずだったダーキュリー誕生篇は、「久しぶりに私の見せ場よ」とばかりに放埒な悪の戦士を実に活き活きと演ずる浜千咲を、舞原監督が喜々として追いかけ回す、とてもホットな展開になってしまった。
 実際のところ、ダーキュリーとなった亜美はあまりにも楽しそうで、うさぎたちの、敵に操られている亜美ちゃんを取り戻したい、という思いとバランスがとれていない。最初にイメージされたダーキュリーは、これほど快楽的な表情を見せない、ひたすら冷ややかでとことん無表情な悪の化身だったはずだ。だから物語的には、このキャラクターはおかしい。しかし「おかしいぞ」と言うには浜千咲的はあまりにも魅力的な悪役を造形してしまったのである。だから困るのだ。
 ともかく、舞原賢三という共犯者を得て、浜千咲がこういうモードに入っちゃっているんだから、これはもう何を言っても仕方がない。対する視聴者の反応としては(1)「ホントにもう、舞原監督ったら」と笑ってスルーする、(2)「亜美ちゅわ〜ん。黒くなっても亜美ちゅわ〜ん」とミーハーになる、(3)「亜美ちゃん、そんな楽しそうにしないでくれ」と泣く、という三種が考えられるが、放送当時より(2)が圧倒的に多かったことは言うまでもない。物語的には(3)が最もまっとうなはずなんだけどね。ホントのことを言うと、私もいまだにどれをとるかハッキリしていなくて、だからこのエピソードを観るための基本的スタンスが、実はまだできていないのである。

4. うさぎの決意


 そんなわけで昼休み、マインド・コントロール状態のなるちゃんたちはみんな亜美とお弁当を食べるので、うさぎは居場所がなくなって屋上へ行く。そして、いつもひとりぼっちでお昼を食べていた亜美の気持ちを思う「私たち、亜美ちゃんのことこんなふうに一人にしちゃってたのかなぁ……。亜美ちゃんと戦うぐらいなら、私セーラームーンやめる」
 Act.17で衛に失恋したうさぎは、ショックで変身して戦うことができなかった。そこから少しずつ戦士としての自覚を身につけ、月野うさぎであることとセーラームーンであることの二人三脚を自分のなかで無理なくこなせるようになってきたのだが、今度はセーラームーン放棄宣言である。これは変身「しない」という意志的な選択だから、変身できなかったAct.17とは意味が違う。そして実際、今回のエピソードの最後で、ダークマーキュリーに向かい合ったうさぎは、自らの意志でセーラームーンから月野うさぎの姿に戻る。この段階でうさぎは、セーラームーンとしての自分をほぼ完璧にコントロールできるようになった。しかし、前にも書いたことだが、そのようにうさぎが人格を統合すると、すかさず今度はプリンセスという人格が現れ、さらにプリンセス・ムーンという人格が現れていく。そしてうさぎはこれから先、愛する人々を守るために、そんなふうに暴走し変身していく自分をどうやってとどめるかというテーマに繰り返し直面する。ここでの「セーラームーンやめる」宣言は、そういう物語後半のうさぎ自身の戦いを無意識のうちに予告するセリフでもある。
 がしかしその時「それはダメだ!」という声がする。アルテミスの登場だ。うわーようやくCGだ。学校の屋上をぐるぐる周りながら会話するアルテミスとルナがCGだよ。でももうすっかりぬいぐるみに慣れちゃって、異和感ありまくりである。
 まあそれはともかく、アルテミスはメッセージを伝えに来たのだ「どうしてもマーキュリーが敵になるなら、戦うしかない。プリンセスからの伝言だ。黙って倒されるわけにはいかないんだよ、地球のためにも」

5. 美奈子についてまたまた考えてみたら夜が明けた


 ということで、美奈子は今回、戦士たちに「マーキュリーを倒せ」と命令する。立場を考えれば分からないではないが、なかなかに非情な役回りである。もちろん、うさぎたちはそれに反撥する。同じ戦士の仲間である亜美ちゃんと戦うことなんて出来ない。
 この対立の構図は、アニメ第3シーズン『美少女戦士セーラームーンS』における、外部太陽系戦士とうさぎたちの関係と同じだ。破壊の戦士セーラーサターン=土萌ほたるをめぐって、外部戦士は彼女を殺して星を破滅から救おうとし、うさぎはセーラー戦士同士の戦いを避けようとする。そしてほたる=サターンを、銀水晶のもつ慈愛の力で救おうとするのである。
 そもそも実写版の美奈子=セーラーヴィーナスのイメージは、初めから『セーラームーンS』における外部太陽系戦士と重なっていた。同じセーラー戦士でありながら、プリンセスのそばにいる守護戦士たちとは馴れ合わず、常に一線を画した孤高の存在。冷静で、目的のためには非情な手段もあえて厭わない。そのような類似性をさらに印象づけるのが今回のエピソードだ。制作サイドも、おそらくそれをある程度は意識しているのではないかなと、私は思います。前々回の日記ではブラック・ムーン篇つまりアニメの『R』に出てくるブラック・レディとダーキュリーの相似について述べたが、そういうふうに実写版は意外と、第一部ダークキングダム篇以外の色々なところから原作やアニメのテイストを取り入れているように見えるのだ。
 それはまあ良いとして、今回も美奈子=ヴィーナスはズレまくりだ。だいたいこの人が今までやってきたことって、結果的に見ればぜんぜん実を結んでいないのだ。だからその行動の動機がしばしば不可解に見える。しかもそれはほとんどの場合、美奈子の責任ではない。彼女自身としては考えて考えた末の行動なのだが、なぜか脚本が、そういうヴィーナスの努力をないがしろにする方向で進むようになっている。だからちょっと可哀相である。
 原作漫画の美奈子の行動はもっと明快だ。実は今回、この項目を書いているうちに、この辺でそろそろ原作と実写版の美奈子の立場を比較しておこうという気になった。そうしないと、実写版における美奈子の行動の不可解な部分が、ますます分からなくなるからだ。
 実写版の美奈子は、アイドルであるとか難病をわずらっているとか、とにかくあまりにも原作からかけ離れた設定が目立つので、細かいところをきちんと原作と比較する試みは、いままであまり行われていないのではないか。でもそれをやらないと分からない部分というのは、実は結構ある。たとえば原作第7話。セーラームーンの危機を救うために颯爽と登場したセーラーV。赤いゴーグルを投げ捨て、ゾイサイトを一撃で倒すその姿はセーラーヴィーナス。アルテミスが歩み出て「このお方は月の王国シルバーミレニアム、その王室の聖石、幻の銀水晶の聖なる継承者、プリンセス・セレニティだぞ!」と見得を切る。
 四天王の一人ゾイサイトをあっさりやっつけて印象的にヴィーナス登場、というところに原作の工夫があり、Act.12のヴィーナス初登場シーンは、それを忠実に活かそうとしている。だからこの時のゾイサイトにだけは「ヴィーナスビーム」がめちゃくちゃ効くのだ。
 また原作ではその時、背後にふと人の気配を感じたヴィーナスが「だれっ?」と腰のチェーンを投げつける。それをかわして物陰から立ち上がったのはタキシード仮面だ。目と目があった瞬間、ヴィーナスは「あの男は!」とその正体に気づく。原作ではこの場面がタキシード仮面とヴィーナスの初対面なのだ。
 ところが実写版では二人はAct.1からとっくに面識があって、特にヴィーナスはタキシード仮面の正体がぜんぶ分かっている。そうするとこの場にタキシード仮面が登場する物語上の必然性がもうひとつ弱い。だから実写版は、ゾイサイトと「マスター」の関係を暗示するドラマを挿入して、タキシード仮面がこの場に居合わせることの意味をおぎなう。だいたいそういうことを踏まえて、初めてAct.12のラスト、ヴィーナスと背中合わせにぼーっと突っ立っているタキシード仮面の意味(というか、そういう演出で高丸監督が説明を投げちゃった人物関係)が見えてくると思うのだ。
 まあそんなこんなで、私は今回この項目で、ちょっとそういうことを整理して、ヴィーナスの立場というものをもう少しはっきりさせようと、原作の美奈子の設定と行動を書き出して、実写版を理解するうえで大事だと思う比較ポイントを箇条書きにしていったのである。そうしたら半分くらい進んだところで、気がつけば夜も明けてしまっていて、本日、日曜日の午前には更新するという前回の日記の約束をはたせなくなってしまったのである。とほほ。そして今日は、ほとんど徹夜状態で、今シーズン最後の市民プールに子どもたちを連れて行ってへとへとである。月曜日が祝日で本当によかった。
 いずれにせよ、今回の調査結果をすべて紹介していたら、今日の日記はAct.22の視聴レビューではなくなってしまう。やめだ。またそのうちに、ということで。

6. 美奈子についてまたまた考えてみたら夜が明けた(やりなおし)


 話を戻す。今回の美奈子は、うさぎに「マーキュリーが敵になるなら、戦うしかない」という試練を突きつける。美奈子は戦士のリーダーとして「プリンセス(うさぎ)に前世の悲劇を繰り返させない」というおおきな使命を背負っている。そのためには、これからもうさぎにはとてもつらく厳しい選択を迫らなければならないだろう。亜美と戦うなんてまだ序の口だ。だから心を鬼にしてそう言ったのである。
 でも、そう言ったところで簡単に聞き入れるプリンセスではない、ということも美奈子は知っている。だからこれまでになく積極的に戦いの場に駆けつけ、ダーキュリーがセーラームーンを襲う場面で助けに入る。ほとんど戦う意志のないセーラームーンに代わって、ダーキュリーに立ち向かうのだ。いつもはタキシード仮面が出るところだが、彼は陽菜の手作りハンバーグを食っている。
 というわけで、今回を契機に、いままでタキシード仮面の担当だった「セーラームーンのピンチを助ける」という役割は、ヴィーナスに入れ替わる。この問題についてはM14さんの分析を見て下さい。しかしこういうところにも、美奈子の不運さ、というか、彼女の努力をないがしろにする脚本家の美奈子いじめは出ているように思えます。
 たとえば、Act.1を見る限り、セーラーV時代の美奈子は「衛=エンディミオンが前世の記憶を取り戻して、プリンセスに接近したりすることのないよう牽制する」こと、そして「うさぎにも、タキシード仮面に近づかないよう忠告する」ことを、自らの主な使命と理解していたようである。でも「セーラームーンのピンチを助ける」という仕事は、あまりきちんとこなしていなかった。だからその隙にタキシード仮面は何度もセーラームーンのピンチを助けて、その結果、二人の関係は美奈子の心配する方向に加速度的に進んでしまったのである。
 で、ようやく今回から「セーラームーンの助っ人」稼業を本格的に始めたヴィーナスだが、すでに病魔は彼女を急速に蝕んでいて、身体はぼろぼろ。はっきり言って助っ人としては役立たずである。実際「セーラームーン、しっかりしなさい」と颯爽と登場したわりには、いきなりダーキュリーにあっさりと倒され「プリンセスがこんなに弱かったなんて」と嘲笑される始末。それで、もう自分には独力でプリンセスを守れる余力がない、と自覚した美奈子は、次回Act.23で、自分の後継者、戦士のリーダーとして目をつけたレイ=マーズに希望を託す。なんか書いていて本当に可哀相になってきます。
 さらに追い打ちをかけるのは今回の結末だ。例えば今回の亜美が、最後まで悪の化身のまま微塵も揺るがずダーキュリーであり続ければ、「セーラームーン、戦いなさい!」という最初のヴィーナスのセリフにもそれなりの説得力が生まれる。でも今回のラストでダーキュリーは、戦いを放棄してうさぎに戻ったセーラームーンの涙に激しく動揺し、一瞬、亜美の姿になる。やっぱり戦わないうさぎの方が正解で、だから「戦いなさい」という美奈子のアドヴァイスは、大間違いだったのである。
 というふうに、とにかく美奈子はやることなすこと裏目に出るので可哀相で仕方ない。もう少しどうにかしてあげられないものか。

7. 無私の涙


 さて、またしても夜明けが近いので、もう終えても良いのだが、最後に私の大好きなラストシーン、セーラームーンの変身を解いて、亜美ちゃんに話しかけるうさぎのセリフを再録しておきたい。

「私、亜美ちゃんとは戦わない。亜美ちゃん。捕まっちゃったの、気づかなくてごめんね。独りにして、ごめん。(ミトンを取り出し)これ、ありがとう。私なんて、自分のことばっかり考えて、でも、もうそんなことしない。こんなふうに戦うなんて、絶対できない。だから……亜美ちゃん、いっしょにクラウンに帰ろう」

 この言葉がダークマーキュリーと化した亜美にどれほど通じたのか、それは分からない。ひとまず亜美はおとなしく無表情に聞いているが、しかし最後には嘲弄するように「最後の演説は、それでおしまい?」と言い放って剣を一振りする。うさぎが手にしていたミトンは、真二つに切り裂かれて足許に落ちる。
 この、切り裂かれたミトンを見て悲しみに暮れ、涙を流すうさぎの表情が、本当に素晴らしい。こういうところで泣きのシーンが入ると、自分の説得が通じなかったことが悲しいのか、あんなに仲良しだった亜美ちゃんと敵対しなければならないことが辛いのか、とか、色々な感情が入り混じっているように見えるものなのだが、ここでの沢井美優の、だいたい10秒ぐらいの悲しみの表情には、そういう混じりっ気がない。自分が傷つけられたとか自分が辛いとか、そういう「我」がまるで感じられないのだ。「私が」なんて気持ちはどこかに行って、ただただ亜美のために涙を流している。
 マーキュリーが真っ二つに切り落としたうさぎのピンクのミトン、うさぎにとってそれは、自分のためにそれを編んでくれた亜美の心そのものである。亜美ちゃんは一生懸命手袋を編んでくれていたのに、私はそんな亜美ちゃんの心を真っ二つに引き裂いた。引き裂かれて哀しい姿になった亜美ちゃんがここにいる。取り返しのつかないことをしてしまった。ごめんなさい、ごめんなさい。ただただそういう気持ちでいる。そしてそんな無私の涙が、幻の銀水晶の力を、あるいはプリンセスとしてのセーラームーンの慈愛の力を甦らせ、ほんの一瞬ではあるが、もとの亜美の姿さえ取り戻させるのである。
 結局、クンツァイトの機転で、亜美はあと一息というところでダーク・キングダムに連れ戻される。何の役にも立たなかったヴィーナスが(すごい言い方)、それでも「自分たちの力のすべてを、思いだして」と戦士たちにアドヴァイスだけして去って行くと、二つに切られたはずの手袋はセーラームーンのヒーリングの力で元に戻っている。
 大丈夫、きっと亜美ちゃんも還ってくる、セーラームーンもマーズもジュピターも、そんな明るい予兆をそこに見て希望を感じる。ここは本当にいいですね。今度は感激の涙をぽろぽろこぼす沢井美優も素晴らしいし、北川景子はいっそ卑怯といいたいほど十八番である瞳のウルウル芸で迫る。安座間さんだけは涙ぐんでいないが、すっごく前向きな明るい笑顔で、うんうん。あなたはそれで良いよ。そしてなぜか安座間さんだけ正座している。


 というわけで9月18日月曜日の朝になってしまった。沢井さん、今日が『眠れる森の美女』の最終公演、千葉市民会館の千秋楽である。行けなくて申し訳ない。でもdanteさん、M14さんが観に来ているぞ。これで最後だ、悔いのないようにがんばれ沢井美優!!


(猫CGデータ)Bパート、7時43分。学校の屋上をぐるぐる周りながら会話するアルテミスとルナ


(放送データ「Act.22」2004年3月6日初放送 脚本:小林靖子/監督:舞原賢三/撮影:松村文雄)