実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第13回】異常事態発生!でもやっぱり主役は沢井美優の巻(Act.7)


 タイトルどおり今回の再放送ではちょっと異変があった。それは金ちゃんラーメンのコマーシャルが「こだわりソースがおいしい金ちゃん焼きそば屋ソース味」に変わったことではない(なぜか金ちゃんラーメンのCMばかり話題にしてしまうが、別に関係者ではありません)。
 ひとつは番組直前のCMがニンテンドーDSだったこと。初めてだ。AパートとBパートの間にも流れていた。ニンテンドーDSのCMといえば誰もが沢井美優を想い出す、かどうかは知らないが、まあファンとしては、少なくとも松平健とかパチンコスロットとかに続いて本編が始まるよりは、すんなり入り込める。
 これは良い変化だが、問題はもうひとつだ。番組が始まると同時に画面の下の方に「部屋を明るくして離れたところでご覧ください」というキャプションが出たのである。別に出たっていいのだが、今週から突然というのが解せないのだ。初回放送時にも、もちろんなかったはずだ。
 言うまでもなくこの手の注意書きは、1997年、ポケモンのバトルシーンでチカチカする光を見て気分が悪くなって倒れた子供が続出した、という事件が起こって以来、アニメ番組でお約束のように出るようになったものだ。先週のAct.6で誰か気分が悪くなって局にクレームをつけたのだろうか。倒れて病院に担ぎ込まれた人がいるのだろうか。
 だとしたら原因は何か。シュープリームサンダーのチカチカか?それとも安座間美優の破壊的にハードボイルドなセリフ読みのせいか?しかしそれは部屋を明るくしようが画面から離れようが変わらないぞ。ひょっとして美少女4人が並んだラストシーンで悶絶した人がいるのか?だったらヴィーナスが合流した時点で放送中止だ。どうする?
 まあこの件に関しては不明である。来週も様子を見るが、それで何かが分かるとも思えない。

1. セーラーVとセーラームーンは初対面?



 さて、そういうわけでAct.7である。主題歌が終わると、いきなりセーラームーンが妖魔と対決中という、これまでにないパターンの導入部だ。そしてそのアクションシーンが、敵を惑わすバレエ風のクルクル、攻撃をかわすスウェイ・バック、そしてキックというシンプルな組み合わせながら、良くできている。
 今回の監督はAct.1とAct.2で実写版の基礎を築いたメイン監督、田崎竜太である。彼がこのAct.7と次回のAct.8を最後にセーラームーンから退いて仮面ライダーに行くことは、当初からの決定事項だった。おそらく田崎監督としては、最初の2話でドラマの基本路線は敷けたが、アクションについて「これだ」という方向性が見いだせていないことに心残りはあったろう。この冒頭のアクションシーンは、短いなかにも、そのへんを補っておきたいという気合いが感じられる。そして沢井美優もよく応えた。キックの足はちゃんと上がっているし、ティアラを投げつけるときのポーズも板についてきている。
 しかしなぜ、冒頭からいきなりアクション場面なのか。妖魔がどういういきさつでこの世界に姿を現し、うさぎはどうやってそれを探り出したか(まあルナに聞いたのだろうが)、そういった説明は一切抜きで、ドラマが始まれば、闘いはすでにクライマックスである。これはどのような意味をもつか。
 これと関連するのがセーラーVの問題。バトル終了後、自分を助けてくれたタキシード仮面を追おうとするセーラームーン。そこへどこからか「追っては駄目!」と呼び止める声が。さあいよいよみなさんお待ちかね、セーラーVの初セリフですよ。静かに静かに。


  


セーラーV「追ってはなめ。彼に近づいてはなめ。危険なのよ。彼は敵だと思いなさい」


……マズいな「駄目」がどうしても「なめ」に聞こえてしまう……はい、今のは聞かなかったことにしとこう。えーと、なんでしたっけ。

 問題はこのときのセーラームーンの態度である。セーラーVの姿を見るなりすぐに後を追いかける。その「すぐに後を追いかける」動作が「あのセーラーVについに出会った」という感じには見えない。驚きが足りないのだ。むしろ「あっ、またセーラーVちゃんだ。今度こそ話がしたい」と駆け寄っている感じに見える。つまり二人は、これが初対面ではないのではないか。
 さっきも言ったように、今回は事情説明もなしにバトルシーンの途中から始まる。これはスタッフからの「こんなふうに、いちいちドラマのなかではエビソードとして取り上げていませんが、みなさんが見ている以外にも、戦士たちは妖魔と闘っているんですよ」という説明だと思うのだ。だからこれ以前にも、セーラームーンはルナに叩き起こされ、何度か夜の街に出かけて妖魔退治をしているのではないか。そしてそこでセーラーVとはすでに会っているのではないだろうか。
 私がそう考えるのは、前回のマーズのことがあるからだ。初登場となるAct.3以来、Act.5にいたるまでは、レイはセーラーVについて特に何も言及していない。ところが前回のAct.6になるとそれが一変する。
 まず、うさぎがまことを火川神社に連れて行って、レイを紹介する場面。そのときレイは境内でルナと話をしている。


  


ル ナ「そう。レイちゃんの占いでも、セーラーVの居場所、分からないのね」
レ イ「(頷いて)私も、彼女には何か感じるものがあるんだけど」


もうひとつは最後の方、ジュピターが初変身して妖魔を倒し、四人が揃った後のセリフ。


  


ル ナ「戦士は四人揃ったわ。力を併せて、プリンセスと幻の銀水晶を探しましょう」


マーズ「まずはセーラーVの正体ね」


 なんかAct.6になって、レイはがぜんセーラーVの正体に興味を示しているのだ。とくに前に引用した方の、火川神社の境内でのセリフにご注意いただきたい。
 「私も、彼女には何か感じるものがある」という言い方は、普通に考えれば、直接本人に会って感じた、という意味だ。たとえばこの直後、うさぎがまことを連れてくると、レイはすぐに戦士ではないかと気づく。レイの霊感は直接会った相手、もしくは近くに存在する者に対してはたらくのである。まあ、火を見つめていて「何かが近づいてくる」と漠然と状況を予感する場合もあるのだが、それなら「彼女には何か感じる」などとは言わないだろう。つまりレイも、ドラマの中では語られていないが、この段階ですでにどこかでセーラーVを間近に見ているのではないだろうか。
 もともと単独行動への志向が強いレイのことだ。夜中に炎を見つめていて「何かが起こった!」と霊感がはたらき、ひとりで飛び出す(あるいはAct.33のように、ルナが妖魔の出現を察知するが、うさぎを起こしてもぜんぜん目をさまさないので、テレティアでレイを呼び出す)そして妖魔と闘う。そのときばったりセーラーVと出会って「何か感じた」。そういうことではないかな、と思うのです。

2. 名探偵ミナコ


 いったいお前は何をごちゃごちゃ言っているのか、今回がセーラームーン、あるいは戦士たちとセーラーVの初対面でなければ何だというのだ、と思われる方がおられるかも知れない。でもこれはセーラーV=美奈子にとってはけっこう重要な問題だと思う。つまり、いま述べたように理解すれば、美奈子の立場が救われることになるのだ。
 この段階で美奈子が置かれている状況は、本格推理で言う「名探偵のジレンマ」にちょっと似ている。違うかな。
 名探偵のジレンマとは何か。たとえば金田一耕助は名探偵ということになっている。でもほんとうの名探偵なら、彼は連続殺人事件の第一の殺人が起こった時点で即座に犯人を突き止め、残りの殺人を未然に食い止めるべきなのだ。けれどもそれでは推理小説にならない。だから金田一は仕方なく、第二、第三の殺人が起こるのを指をくわえて待っていて、結局、犯人がぜんぶ目的を遂げてから、事件のすべてをさらさら謎解きしてみせる。まわりの刑事たちは、さすが名探偵とほめたたえるが、でもまともに考えれば、そんな今さら手遅れという段階になって事件を解決したってどこが名探偵か、ということになる。これが名探偵のジレンマだ。

 美奈子の目下の役目は、プリンセスのヒゲ武者となり、彼女を危機から守り、過去の悲劇を繰り返さないために、うさぎと衛の接近を防ぐことにある。でもこの目的を万全に果たしたら、セーラームーンの物語にならない。だから美奈子は、セーラームーンが何回も妖魔に襲われ、ピンチに陥り、そのたびにタキシード仮面に助けられるのを、黙って見ているしかなかった、ずーっと登場することができなくて、セーラームーンのタキシード仮面への想いが決定的になった頃にようやくノコノコ現れて「やっぱり運命は、変えられないのね」とすべて分かっていたかのようにつぶやく。まともに考えれば、もう手遅れになってから出てきて、お前はいったい何をやっていたんだ、リーダーのくせに本来の役目をぜんぜん果たしていないじゃないか、ということになる。
 でも、もしテレビのドラマとして我々に見えている以外のところで、セーラーVが活躍していたとしたらどうだろう。視聴者が知らないだけで、本当はセーラーVは影武者として、ダークキングダムを牽制する作戦をある程度成功させていた「かも知れない」。護衛隊長としてひそかにセーラームーンの危機を助けていた「かも知れない」。タキシード仮面とセーラームーンの出会いを妨害する工作も行っていた「かも知れない」。そしてすでにセーラームーンの前に姿を現し、助言や忠告を行っていた「かも知れない」。こういう余地が成り立つのである。つまり我々がテレビで見ていたのは、実は有能な護衛戦士のリーダーである彼女の、失敗談だけを集めたものだという解釈だって成り立つし、そうすることによって彼女のメンツも保てる。
 そんな細かいことまで考えるヒマでオタクな大きいお友達への配慮として、スタッフは前回や今回、レイやうさぎがセーラーVとすでに会っていたとも取れる曖昧な描写を入れたのではないか、と私は思うのですがみなさんどう思われますか?そうですか、考えすぎですか。じゃ次。

3. 小文字入りの「みゅう」


 まことについては、今日はとくに触れるまでもないと思っていたのだけれども、安座間党の切り込み隊長とかわけのわからない称号をいただいてしまったので、少しだけ書く。
 今回はまことに関連して二つの大きな伏線が張られている。ひとつは言うまでもない、元基との関係だ。

 遊園地のグループ・デート。ジェットコースターに乗る組み合わせをじゃんけんで決める。うさぎは元基=タキシード仮面(と勘違いしている)とペアになりたい。でも結果は、うさぎと衛、まことと元基、ついでにレイと亀愛好仲間の高井君、というペアになる。がっかりするうさぎを見たまことは「私せっかくだから初めて会う人にしておく」と言って、うさぎと交替して衛とペアを組む。
 つまりまことと元基はこの時点でもう顔なじみなのだ。確かにそれより前に、まことがクラウンのミーティングルームにいるシーンがあるから、レジにいる元基をもう知っていてもなんの不思議もない。でもこの二人は運命の二人だ。その最初の出会いのシーンを出さないというのが面白いですね。
 これはうさぎと衛の出会いとの対比だと思う。主役の二人は会った途端にケンカして、忘れられないファースト・コンタクトをはたす。一方のまことと元基は、画面に映りもしない、後から思い出せないくらいの地味な出会いだったということだ。「ねえまこちゃん、僕たち初めて会ったとき、どんな話をしたっけ」「さあ、なんだったかな……」こんな感じ。
 まあ会った途端に一目惚れとか、反撥し合うとか、そんな印象的な出会いなんてそれこそドラマや漫画の世界の話だ。現実なんて地味なもんである。最初に交わした言葉って何だっけ、というようなことも多いのではないでしょうか。私と妻の場合なんかもですね、ってそんなことは誰も聞いてないか。ともかく、そういうファンタジーな恋愛とリアリズムの恋愛が、対照的に示されています。そして自分から元基とのペアを解消しながら、結局は鏡の間で元基ともとのペアに戻る、という展開が、まことの今後を予言していることにもなる。だから「運命は変えられない」とラストで美奈子が言うとき、美奈子はうさぎと衛のことだけを言っているのだが、結果的にこの言葉は、まことと元基のことを指してもいるのだ。

 もうひとつのまこと絡みの伏線というのは、これもまあ、分かりやすい。衛とのボートのシーンだ。さっき言ったように、まことは元基とのペアをうさぎに譲って、衛と組んでデートする。そしてうさぎと元基がいかにも恋人っぽく池でボートを楽しんでいると、その手前をまことの漕ぐボートが凄いスピードでぐいぐい進んで追い抜いて行く、というシーンがある。衛は「大丈夫か」とか言いながら、まことの怪力をちょっと面白がっているようにも見える。しかしその怪力を、やがて身をもって味わうことになるのである。
 だいたい衛がうさぎ以外の戦士とツーショットになるというのが珍しい。そして次に衛とまことのツーショットが実現するとき、衛はタキシード仮面の正体がばれて、まことに殴られる。このシーン、DVD『キラリ☆スーパーライブ』の特典映像をご覧になった方はご存じのように、渋江譲二は初め、ほおを張られるぐらいのつもりでいたら、安座間美優が「なぐり倒したい」と監督に言ったために、そういう演出になったという。だからこのAct.7のボートシーンも「ふっふっふ。矛盾の男、君はいま安座間にボートを漕がせて面白がっているが、その報いはAct.21に、やってくるからな」とほくそ笑みながら観るのが正しい鑑賞の仕方だ。

4. 大文字三字の「みゆう」


 さて最後になるが、今回いちばん感じたことは、田崎竜太が沢井美優に注ぐ愛情の深さである。いや変な意味ではなくて。

 この日記でも、これまで沢井美優について本格的に触れる機会は少なかった。けれども「明るくて素直で誰からも好かれるドジでおっちょこちょいな女の子」という、少女漫画のヒロインとしてはあまりにも紋切り型なキャラクターを、シリアスな内面をかかえた他の戦士たちとちぐはぐにならないよう「実写として違和感がない程度にマンガチック」という線で演じるというのは、実はなかなか大変なことなのではないかと思う。
 この人の魅力は、スターのオーラをあまりギラギラ発散しないところにあるのだろう。しかし、ではただの庶民派かというと、そうでもないような気がする。見る者の視線を集める華はあるし、輝いている。それでいて役柄や周囲とのバランスを考えて自分の光量を調節する本能をもっている。潜在的な才能はあるが、現代では難しい素材だと思う。1950年代とか、往年の日本映画だったら活きるタイプ、なんて言ってもそりゃどういう意味だと聞かれそうだが。
 初めてAct.1を観たとき、私は河辺千恵子ばかりに気を取られて、沢井美優があまり印象に残らなかった。今回の再放送では冷静に観たが、やっぱり河辺千恵子のように「私を見て光線」を出している人の前では、画面がハレーションを起こさないよう自分の光量を絞るのである。たぶん自然に。そして以降のエピソードでは、次々に登場する仲間の引き立て役だ。この引き立て役の「受け」の芝居というのも、彼女がセーラー戦士たちのなかでいちばん達者だったからこそ成立するのだが、そんなことは普通の視聴者には分からない。結局、主役にして縁の下の力持ち。これではちょっと浮かばれない。誰かがテコ入れをしなければ。
 と思ったのかどうなのか、田崎監督の今回の演出は、冒頭のアクションシーンに始まり、元基を「この人がタキシード仮面」と勘違いする演技、クラウンでいつもと違って物思いにふける様子、東京ドームシティの急降下するタワーハッカーではしゃぐ姿、ボートでのぼけっぷり、地場衛に手を握られてどきどきする表情、妖魔をやっつけたときの「私だって学習するんだから」といういつもながらの笑顔、と、とりあえず沢井美優という女優の引き出しをぜんぶ開けてみせることに専念している。次回はレイとまことの話だから、それをやるチャンスは今回しかなかった。
 そしてそれはたぶん、視聴者よりもむしろスタッフに向けられた監督のメッセージだ。これが沢井美優という素材のもつ可能性なのだ。だから主役なのだ。一年かけてこの原石を磨きあげる義務が君たちにはあるのだ。分かっているのか。他の戦士たちがまだまだ発展途上だからといって、沢井の器用さに、むしろ君たちが頼っているのが現状ではないか、とゲキを飛ばしている。そういうふうに思えるんですよ私には。
 とりわけラスト。うさぎの変身を見てしまった衛が「あいつが、セーラームーン」とつぶやきながら去って行く場面。これまでケンカしたり、変身後は助け合ったりしてきた場面が回想シーンとして入る。ここまでは誰でもやるだろう。でも最後は、真顔でこちらを見つめるうさぎのアップを、去って行く衛の後ろ姿に、横切るように重ねる。それも二回。笑顔じゃないところが良いんですね。うさぎというのは実はすごく複雑なキャラクターなんだ。この顔からどれだけの表情を出せるか、やってみたまえスタッフの諸君。



 で、結局そのメッセージはスタッフにちゃんと伝わったかですって?分からない方は「Special Act」をご覧下さい。最後の結婚式のシーン、舞原監督のたっての指名でうさぎの父親役を演じたのは誰か、それを見れば答えは一目瞭然なのです。


(放送データ「Act.7」2003年11月15日初放送 脚本:小林靖子/監督:田崎竜太/撮影:上赤寿一)