深田恭子主演のドラマ『富豪刑事デラックス』を観ていたら、実写版で亜美の母親を演じた筒井真理子がゲスト出演していた。このドラマにはレイの父親役だった升毅もレギュラー出演している。まあ筒井真理子については「さわいみゆうのこえのつや」のここやここに書かれているように、けっこう実写版に出ていた役者との共演も多いみたいだし、特にどうという話ではないが、ちょっと嬉しかった。
閑話休題。昨日の日記にお寄せいただいたコメントを読み、皆さんが安座間美優のことをどう考えているかよーく分かった。特に男性陣。なんだかんだと文句を言いながらも結局「守ってあげたい」なのですね。そういうことなら、私ももう少し語っておきたいことがある。明日は仕事も休みだし、少々疲れてはいたが、いま、上にリンクを張った「さわいみゆうのこえのつや」石肉さん編集のMAD「まこと&元基@ジュピターby平原綾香<完成版>」を観て(聴いて)テンション上げた。二日続けての更新なんて、たぶんこれが最初で最後であろう。今夜は朝まで生ジュピターだ。
本ブログが教科書と仰ぐ「M14の追憶」のなかに「木野まことの栄光」と題する実写版ジュピター論がある。実に前編・中編・後編と3回にわたって、実写版シリーズからまこと=ジュピター全登場シーンをピックアップして、分析と考察を試みた労作である。ここまでやるM14氏は、やっぱり安座間美優が大好きなんだ、ということがここで言いたいわけではない(しつこいね私も)。セーラージュピターというキャラクターは、セーラー戦士のなかで一番「ふつう」である。言いかえればインパクトが最も弱い。だから主役よりもワキに回って、おいしい見せ場を他の戦士にもっていかれることが多い。けれどもそんな控え目なところがかえって魅力でもある。だからつい頼まれもしないのに彼女の良さをもっとアピールしてあげたくなる。M14氏は基本的にはそういうスタンスで詳しい検証をおこなっている。その気持ちはよく分かる。だから私もこうして深夜に書き綴っているのである。
さて、繰り返すがこのジュピターの「ふつう」っぽさ、というのは、悪く言えば他の戦士のような強烈な個性に欠ける、キャラクターのカラーが曖昧だ、という意味でもある。そこで突然ですがクイズです。水星の戦士マーキュリーのコスチュームカラーは青で攻撃属性は水。火星のマーズは服が赤で攻撃は炎。ではジュピターの攻撃属性は何でしょう?
「雷(いかずち)と勇気の戦士」で「シュープリームサンダー」だから雷電(カミナリ)だ、と答えそうになった方はいませんか?でも正解は、木星の戦士でコスチュームカラーは緑だから、攻撃属性は木=植物なのである。少なくとも初期の原作版に基づけばそうなる。
漫画で、うさぎが初めて出会った時、まことはバラのピアスをしている。去って行く後には残り香。うさぎは思わず「バラのピアス……いいにおい」とつぶやく。そして初めて変身したジュピターが出す攻撃技は、フラワーハリケーンだ。アニメや実写の影響でシュープリームサンダーだと思いこんでいる人も多いが、違います。さらに原作のまことは、料理が特技である一方、ガーデニングなどの園芸も大好きなのである。
もちろん原作でも、長身で力持ちという要素を外しているわけではないし「雷電をあやつる戦士」というフレーズも初めの方から出てくるのだが、にもかかわらず武内直子は明らかに、青=水のマーキュリー、赤=炎のマーズに対して、緑=植物のジュピターというイメージでまことを描こうとしている。ただしそれは初期の話であって、連載が進めば進むほど、原作のジュピターもフラワーハリケーンをすっかり使わなくなり、ほぼ100パーセントカミナリ系の戦士になってゆく。この点にも注意しておきたい。
一方アニメのまことは初めから怪力少女の電撃戦士で、グリーンのコスチュームを除けば、植物を連想させる要素はほぼない。そもそもフラワーハリケーンは、アニメでは最後まで出てこなかったはずだ。攻撃はシュープリームサンダー、スパークリングワイドプレッシャーなど徹底してカミナリ系である。
さて、ここで原作とアニメの関係を考えてみよう。以前の日記でも述べたように、『美少女戦士セーラームーン』は、先に原作が存在して、それがアニメ化されたというのではなく、原作漫画とアニメがほぼ同時進行でスタートした企画である。だから基本的な設定は、原作者とアニメスタッフの合同会議によって作られている。このことは武内直子も認めるところで、たとえば、原作漫画の火野レイ初登場の回には、あるページの欄外に、作者メッセージとして「マーズ誕生のエピソードは三種類のプロットを考えたのだけれど、アニメは結局、第一案を採用し、この漫画では、編集者がそっちの方が良いと言ったので、最後に考えたものを採用した」という趣旨のことが書かれている。
そういうふうに、いわば基本設定のすり合わせ会議がされたにもかかわらず、原作のキャラクターとアニメのキャラクターにはそれなりの相違が生まれることになった。まあ漫画は漫画、アニメはアニメという表現形式の違いもあるし、武内直子という人はかなり自分の考えにガンコにこだわる人みたいだから、そういうことも影響しているのだろう。木野まこと=ジュピターのキャラ設定についても、同じ事情が推定されるのだ。
つまり具体的に言えばこういうことだ。原作者の武内直子による本来の構想では、ジュピターは緑のコスチュームに身を包んだ背の高い木星の戦士で、攻撃に使うのはフラワーハリケーンなど、風と植物を主体とする技ということになっていた。ところがアニメ版の制作スタッフが、それではインパクトが弱いということで、カミナリ技を使うパワーファイターという変更を提案する。武内直子はしぶしぶそれを受け入れて「雷の戦士ジュピター」という要素を漫画にもとりいれたが、それでも連載当初は、「風と木の戦士」という自分のオリジナル設定にもこだわりをみせていた。しかしアニメ版が圧倒的な人気を誇るようになったので、原作も後には、少しずつそっちの電撃パワー路線に完全に移行していった。
こう考えると、実写版のジュピターは面白い。実写版でジュピターが最初に使う攻撃技はシュープリームサンダーだ。視聴者にはアニメ版の印象が強いだろうし、やはりヴィジュアルのインパクトを重視すればこっちの方が良い、という判断だろう。まことが力持ちであることも、以降しばしば強調されてはいる。
しかしやはり基本的な印象は植物系、風と木の戦士なのだ。前回の日記で触れたAct.6のイメージショット(風に吹かれる木)もそうだし、Act.8ではフラワーハリケーンも使うようになる。さらに『Special Act』では、戦士の闘いを終えた彼女がフラワー・アレンジメントのような仕事をしていて、うさぎのウェディング・ブーケのデザインをしている、という話も出てくる。そのウェディング・ブーケが最後の最後に彼女の手に渡るのは、もちろん元基との恋愛ドラマの必然的帰結であるが、同時に、彼女が植物を自在に操る戦士だから、という解釈だってできなくはない。
そして何よりも安座間美優のたたずまいである。只野和子のキャラクターデザインによるアニメのまことは、女子バレーボールの人気選手とかにいそうな感じの大柄な女の子だった。しかし安座間美優にそういうアスリート系の印象はない。ふとももが違いますよね(そこかよ)。
大柄と呼ぶにはあまりにもスタイルの良いこの美少女が、手足の長い肢体を緑のコスチュームに包んでポーズを決めるとき、その立ち姿から我々が受けるイメージは、やはり「力」よりも「ぎこちなさ」、いや間違った「しなやかさ」である。植物(樹木)系なのだ。こういうことが、実写版におけるまことのふつうっぽさというか控え目なところとかと関係があると、私は考えている。
冒頭に引いた「M14の追憶」によれば、脚本の小林靖子はインタビューに答えて、一番書きやすいキャラクターは木野まことだった、と述べているそうだ。私にはその真意は分からないが、初めから赤や青といった原色に染められていないぶん、脚色家として自由に色づけする余地があったという意味かな、とも思うのである。安座間美優が演ずるジュピターの緑は、パステルカラーの印象がある。癒しであると同時に、なんとなく保護してしたくなってしまう草花なのである。
それから、これは直接ジュピターに関する話題ではないのだが、彼女の初登場のタイミングに関連して、最近考えたことがある。原作漫画では連載第1回、第2回、第3回でセーラームーン、マーキュリー、マーズが順々に登場し、続く連載第4回は彼女たち三戦士だけの話、そして第5回目にジュピターが登場する。これを実写版と比較すると、Act.1からAct.4まではきちんと原作に対応している。続くAct.5が実写オリジナル脚本の回なので、ジュピター誕生編は原作とはひとつずれてAct.6になる。
アニメ版は戦士たちを揃えるまでにかなりの回数をかけていて、その印象が強かったせいか、実写版は放送当時、ちょっと戦士たちを早く集めすぎるのではないか、と批判気味に言われたこともあった。でもこうして比較すると、基本的には原作漫画のペースに対応していることが分かる(ただし『なかよし』は月刊誌だが)。そう考えると今度は逆に、なぜ実写版は、まだまことが登場していない段階でAct.5を入れてきたか、という点が少々疑問となるのだ。
実写版の放映は秋から始まった。だから年末年始の玩具商戦にそなえて、できるだけ早く戦士たちを揃えておきたいというスポンサーの意向があったかも知れない、M14氏はそう述べてもいる。確かにそれは考えられる話だ。だから実写版はてきぱきと原作の回数ペースに合わせてAct.3までで三戦士を揃えた。Act.4は原作でも三戦士の話なのでそれにあわせた。ここまでは分かる。
ではなぜ次も原作通りAct.5でジュピター登場、とせず、ここに実写オリジナルのエピソードをぶつけてきたのだろうか。
これはもう何の根拠もない私の憶測だが、おそらくスタッフ、特に脚本の小林靖子は、本当はもう少し回数をかけてうさぎ・亜美・レイという三人の人間関係を掘り下げたかったのではないだろうか。
さっきも書いたように、まこと=ジュピターは比較的おとなしめのキャラクターなので、登場回数を少し遅らせてもすぐに思い通りに動かせる自信が、小林靖子にはあった。これに対して三戦士、特に亜美とレイは強烈な個性の持ち主なので、実写版独自の脚色を加えようにもなかなか手強い相手である。だからまずは彼女たちをじっくり描き込んで、そのキャラクターを自家薬籠中のものとしてからジュピター登場という展開が理想だった。けれどもスポンサーとか上からの要請で、ジュピターはもっと早く出すようにという縛りが与えられてしまった。だったらせめてその前に一回だけは、自分のオリジナル脚本で、実写版ならではのうさぎ・亜美・レイの関係をしっかりかたちづくっておこう。そういう小林靖子の思いが凝縮した結晶が、あの珠玉の名作Act.5ではなかったか。
私がそう考えるのは、アニメ版のことがあるからだ。アニメ版の放送スタートは、原作漫画連載第3回の載った『なかよし』1992年4月号(実際は3月発売)が世に出た直後、つまり原作の方で三戦士が揃った直後の1992年3月7日である。そしてアニメ第1シーズン(無印)の前半2クール(第1話〜第26話)のオープニング、つまり主題歌のバックに映るタイトルアニメには、セーラームーン、マーキュリー、マーズの三人しか出てこない。要するにアニメ版は、当初から前半2クールはこの三人だけで話を進める予定だったのだ。ちなみにアニメでまこと=ジュピターが初めて登場するのは2クール目のほとんど終わり近く、第25話である。
さすがに実写版でそこまで引っ張るつもりもなかったろうが、小林靖子はこのアニメ版のことが念頭にあって、それで、まことの出番はもっと遅くても良い、と考えたりしていたんじゃないかなあ、と思ったのだ。特に久しぶりにAct.5を鑑賞しているうちに、その感はますます強くなってしまいました。
M14氏はAct.5に関連して、三人だけのエピソードをもうちょっと観てみたかった、と書いておられた。私も今回、改めて鑑賞して、その気持ちが分かった。というか、実はそもそもそれは制作スタッフ、とくに小林靖子の思いなのでなかったか、とも考えたわけです。Act.5の最後の三人の笑顔、そしてエピローグと続く展開を追っていると、しばらくはその余韻に浸っていたい気分にさせられてしまう。なのにそんな思いを断ち切るように、最後に安座間美優が登場して次回への引きとなる。それが興味をかき立てるというより、かえって興ざめに感じられてしまうのだ。安座間美優はもうちょっとセリフのしゃべり方を勉強してから出てきても遅くはなかったのではないか。いやそれは話が違うか。
このアニメ版がスタートしたタイミングとか、第25話でようやくジュピターが登場した意味なんかを考えてみると、またちょっと興味深い推測が可能なのだが、ただ話題は実写版から離れることになってしまう。なのでそれはまた機会があったらのお楽しみということにして、今回はこのくらいにしておきます。しかしそんなこと楽しみに待ってくださる方がいるのかどうか。