実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第368回】景子の稽古 居合い篇の巻(NHKドキュメンタリー『輝く女 北川景子』後編)


モモコこと清浦夏実については、私なりに事態がつかめてから書くつもりだった。それで、ここ2〜3週間、ヒマを見つけてはネットであれこれ調べていた。だけど結局よく分からないままで、おそらく新しい情報は、もう出て来ないと思うので、軽めに総括しておく。
昨年の暮れ、彼女の最新シングル『ホログラム』がリリースされた(2012年11月23日)。私が、二つあった彼女の公式サイト、所属レーベルであるフライング・ドッグの「シュガー・ピーナッツ」と、所属事務所オスカー・プロモーションの「ソルト・ピーナツ」が、どちらも消えていたことに気づいたのは、その時だと思う。「あれ、どうしたのかな」と思ったけど、そもそも公式個人サイトがふたつもあるのは紛らわしいので、統合する途中とか、そういうことであろうと勝手に納得していた。
年が明けて春になって、ブログで4月4日の渋谷gee-ge『鉄ロックフェスティバルEXTRA!!!!! vol.3』への出演告知があった段階でも、特別な様子ではなかった。私も正直、久しぶりに清浦夏実の生の歌声を聞こうかな、なんて気持ちに傾いたんだが、それなりに色々あるんで「また今度」という感じで参加を見送った。それだけに、4月1日のブログにはびっくりした。



小さく大きな決断をしました。
人生が変わる音がしました。
全く迷いませんでした。


2年前の4月4日は、
初めてワンマンライブをやった日でもあります。


今年の4月4日も、
とても意味のある日になりそうです。


この日をもって
私は当分、私として歌いません。
来るべき時がきたんだと、確信しています。
私は、私の直感を信じます。


なので出来ればみなさん
渋谷gee-geにライブを観にきてほしいです。
いつまでも存在しないです。
あなたに、見届けてほしいのです。


いきなりそんなことを言われても困る。予定も入れてしまったし、もう無理だ。でも、このブログだけでは何がどうなって、彼女がそういう決断に至ったのか分かんない。それに「私は当分、私として歌いません」という奇妙な言い回しは何を意味するのか。
それで4月4日以降、私はライブに行った方の感想レポートなどをネットで検索しては読んでいたのだが、どうも結局、当日の夜も本人からは「歌手活動を一時休止する」という以上の発言はなかったらしい。ただライブは相当な決意のこもった熱唱で、みんなの胸を打ったようだった。
それだけである。雰囲気的には、なんか事務所とか会社とか、そういう大人の世界の諸事情を突きつけられて、傷ついたすえの決断、というニュアンスを感じなくもない。でもそれはただの印象だ。
歌手活動を止めても、清浦夏実はラジオのパーソナリティとして関東では一定の人気を保っているらしいし、ブログにはその話題が良く出ているから、それはそれでいい。ただ番組を聴けない地域の人間には、ちょっと存在が遠くなってしまった感は否めない。う〜ん。


とにかく、河辺千恵子にせよ、小枝→弓原七海→kuuleiのtomoyoにせよ、そして清浦夏実にせよ、実写版セーラームーン関係者が歌手の世界に入ると、なぜか受難が待っている。まあ河辺千恵子の場合は、横槍入れた人とすったもんだの末に結婚して、かわいい赤ちゃんも生まれて、本人的にはそれでいいんだろうな。
何にせよ、清浦さんの歌声がしばらく聞けないのは本当に残念。でも21歳。まだ人生駆け出しの現役女子大生だ。とりあえずは残り少なくなってきた大学生活を悔いの無いように楽しもう。そして(日大芸術学部で映画をやっているんだったよね)卒業制作には全力で取り組もう。


ところで、清浦夏実ブログの最新エントリーには、お祖母ちゃんの家に大切に保管されているという、自分の2006年カレンダー(当時中学3年生)とのツーショット画像(現在大学3年生)が出ている。本人はどういうつもりで載せたのか知らないが、けっこう変わっていないんですよ、モモコが。



そういう意味で言うと、NHKドキュメンタリー『輝く女』の北川景子も、基本ナチュラルメイクなせいか、けっこう火野レイなんだよね。こっちよ!研究員が、前回の最後の画像を見て「実写版のオープニング・タイトルと変わっていない」とコメントしてくれていたので、検証してみよう。



おおお。確かに。と、いささか強引な展開だが、前回に続き、北川景子ドキュメンタリー『輝く女』のレビューです。


1. 今回も言葉少なめです



というわけで、夜もホテルのお部屋にお邪魔してインタビューした翌日は、朝も早くから、お部屋に突撃。



「ふつうカメラ来ないじゃん、おはようございますみたいな。まさかホントに来るとは思わなかった」とかぶつぶつ言いつつ「でも今日は隣の隣くらいがメイク部屋だからこのまま行けばいいんだ」と、思いっきりルーズな格好で部屋を出てしまい、移動を始める北川景子。



スッピン大公開ということであるが、これってスッピンなのか?スッピンに見えるナチュラルメイクではないか?
いやどちらでもかまわないが、私はこのくらいで十分だけどな(何が「私は」だよ)。これだけ良い素材をお持ちなのに、なぜ彼女はしばしば「ここぞ」という時に奇妙な厚塗りをするのだろうか。



というわけで居合いの稽古の2日目だ。
火星発動機さんが居合道の経験があるということで、コメントをくださっているのだけれど、それを読むとますます不思議な世界だなと思う。一人でやる演舞みたいなものなのに、相手をばっさり斬るところを生々しくイメージする。だからおしまいに、刀に「血振り」をくれて鞘に収める動作の時にも、真っ赤な血糊が見えていなければならないわけだ。もちろん、想像力の豊かな人とそうでない人とでは、それなりに個人差があるのだろうが、北川さんの場合どうでしょう。
今回の所作は、最後は血振りをして納刀、という手順なのだが、火星発動機さんの見立てによると、北川さんは「血振り」が不十分で、あれでは鞘から血があふれちゃう、ということです。もっとも、北川さんの中では、実は返り血を浴びている自分の姿が脳裏に浮かんでしまい、動揺を抑えながら刀を収めたので血振りを忘れたとかね。
ていうか、まずいよ私。北川景子さんより富田剣士の居合道の指導の方に興味がいっちゃっているし(笑)。



富 田「今日は、できれば武士道の求めるところを、少しでも体感していただきたい。それは頭で考えるのではなくてですね、技の、動作の中で、自分が無になったり、それから、相手に対する心構えができたり、そういうところで、武士道というものを体験していただきたいと思います。ひとつの到達点というか、それは相手を意識できるかどうかですね」



富 田「ここで相手が来るのを察知して、いったん受けるんですね、相手の撃ってきた刀を。その撃ってきた刀を、躰をかわして流してしまうんですね。いったん防御をしたあと、相手の態勢が崩れたところを見計らって、そこを斬る」



富 田「血が付いているのを、ここまでで、血を落としてしまうという、そこから手を持ち替えて、逆に納刀していくという、ちょっと変わった納刀をするんですけれども」



富 田「敵はこう、立ち上がって上段から撃ってきますので、刀を抜いてその刀を下から受けます。相手の、撃ってきたのを“受ける”っていうことは、イメージ的に分かりますか?」



北 川「はい」



富 田「受けられなければやられてます。だから受けるっていうのが大事なんです。この技は」



北 川「一瞬一瞬に賭ける想いみたいなものが、いまの私とはぜんぜん違う」


ということで、ここで一休み、腕組みしてあれこれ考え込む北川景子。



北 川「身を守るためといっても、人を殺すような技を午前中もやってきたんだなぁって思ったら、そういう、それってけっこう、本当に自分をしっかり強くもっていないと圧し潰されそうになるかも知れないと思って、やりたくない、っていう感じになった。なんでだろう、不思議ですね」

2. 新さばモグ伝説(続き)


午前の練習が終わって、先生といっしょにお昼ご飯の時間。
いやもう、食べ方とか箸の使い方のことは、いいかげんスルーしておこうとも思うんだけど、でも、かなりシリアスな話をしながらも、実にぱくぱく、気持ちの良い食べっぷりなので、ついそういう場面をキャプチャしてしまう。
私自身は箸使いがすごく悪い。そして妻は料理が苦手なので、まあ朝・昼・晩の食事時に家に居るときには、どちらかといえば食べる方ではなく、台所に立ってあれこれ作る方である。そういう立場から言うと、北川さんみたいに何でも沢山食べてくれる人が相手の方が、ご飯の作り甲斐があって楽しい。食べてる画像が多くても、悪気はないんです。


  


北 川「あんまり、やっぱり斬りたくはない。やればやるほど思いますね」
富 田「うん。それは斬りたくはないな」


  


北 川「逆になんか、ここに敵がいるって言われても、そっちをよけて斬りたくなっちゃうっていう感じが……。多分、だんだん想像ができてきているからかもしれないですけど」
富 田「余計にね」
北 川「人がいるっていう、そういう想像、間合いというかが分かって来るじゃないですか。剣の切っ先のもうちょっと先に人がいるとか分かってくると、そこ避けたくなる、みたいな」
富 田「そうか。リアルになってきたね」


  


北 川「あまり、やりたくないな。でも、そうなるかも知れない状況でも、強く生きてたっていう、そういう男の人たちの力強さみたいなものは、やっぱり格好いいと思います」


  


富 田「武士の覚悟とは、今日をしっかり生ききるということですね。明日は死ぬという覚悟をしていて、じゃあ今日は一所懸命に生ききって、もうここで生命がなくなっても、悔いがない、という言葉が良いかどうか分かりませんけれども、生ききった、ということを残したいわけですね、そういう覚悟を毎日繰り返すことが、私は武士道の考え方だと思うんですよね」


  


北 川「今を生きる。次の一秒で死んでもいい、生きてます、だからたぶん次の一秒で死んでも大丈夫。その時できる100%のことをしていれば、いいと思うんですよね。それが他人から見て大したことなくっても、自分にとって100%。楽しみ方とかがんばり方とか……それでいいと思うんですよね。そしたらどこの時点で死んでも後悔はない。それ以上はがんばれなかったし、それ以上は楽しめなかった」


  


ここで画面の外から、「それって、そういうふうに思うようになったきっかけは何か(あるんですか)」というような声がかかると、彼女はちょっと考えてから、「阪神大震災だと思います」と答える。師範が「いくつぐらいの時ですか?」と問い、北川さんが「七つです」と答える。



そしてナレーション。「1995年1月17日、マグニチュード7.3、阪神淡路大震災。北川景子の自宅は当時、神戸市、震源地の近くだった。小学二年生の彼女は、弟の手を引き、必死で避難した」


ここから、彼女が「命」ということを考える原体験となった阪神・淡路大震災の話になる。今回のドキュメンタリーで最も重い部分でもあり、ハイライトとも言えるが、でもその間も、北川さんのお箸と口だけはけっこう休まないで、ずっと食べ続けていて、こういう人って好きですね。


  


北 川「両隣が全壊とか半壊とかで(人が)亡くなっていたり、もう、すぐ火が迫っていたりとかして、瓦礫の下から人が“助けて”って、そこを弟と一緒に逃げて、“見ちゃダメ”って。助けてたら死ぬって。……それは今でも、どっちが正しかったかとは思いますけど、火と、あと煙がすごくて(口元をおおう)みんなこうやって逃げて、戦争と思いました、最初は。地震とかじゃなくて」


  


(スタッフの声)「そのとき、助けなくて良かったのかなって?」
北 川「まあ、たぶん一生、それはつきまとう罪悪感だと思います。だから、そうして、姑息とまではいかないんですけれども、逃げたぶんは、なんか役割をはたさなきゃいけないじゃないですか。きっと。そこで生かされたからには」


  


北 川「その時は、もう、毎日考えるのは、生かされた意味というか……。“どうして助かったの”って弟に聞かれて、とっさに答えたのが、“なんか、仕事があるんやろう、私らには”って。“何の?”って言われたけど、“わからんけど何かあるんやろ”って、言ったんですよ。“何かしなきゃいけない”って。変な話だけど、一回死んだもんだと思って、何でもやれば、どんなことでも乗り越えられるんじゃないかって、思ったんですよね」


  

3. 介錯


お昼が終わって、午後の練習の前にお茶を喫して、話は「介錯」のことに及ぶ。すごいね「介錯」だよ。



富 田「怖いですか刀というのは」
北 川「怖いっていうか、重みはありますよね。単純に重いっていう意味ではなくて、正しく使う術を持っているひとであれば、本当に人を殺すこともできるという意味で」
富 田「武士道ということで言いますとね、武士の情けという言葉があるのをご存じですか?」
北 川「はい」



富 田「それを非常に象徴する技として、介錯という技があります。ゆえあって切腹をしなきゃいけないという事態に陥ったときに、介錯という役目を仰せつかって、その方が武士として見事に最後を遂げられるようにしてあげる、という技なんですよね。それは腹を切る人の首を切り落とすわけですけれども、中には(自分の腹を)刺すこともできない人もいるわけなんですよね。で、そういう人が、最後の最後に武士として見苦しくなく死んでいくための手助けをするというか。
 よく、武士道で、憐愍の情とか惻隠(そくいん)の情とか言うんですけれども、刀は殺人、人を斬るためのものですね。でも、介錯のような使い方をすれば、逆に、もちろん生命は落しますけれども、武士としては生かされる。そういう刀の使い方もあるんですね」



富 田「ちょっと難しいかも分かりませんけれども、残心、心を残すという言葉がありましてね、倒してしまったということで、憐れみの心というんですか、生命をとったということでね、別に、後悔の心じゃないんですよ、でも、憐れみの心を、相手に残すということが大事なんです」



北 川「……武士っていうのは、斬りっ放しではなくて、斬ったら、相手のことも最後まで、想うというか憐れむということを最後まで忘れないっていうところが、すごく美しいって思いましたし……」



北 川「やっぱりこう、刀を常に持っていて、常に、人に挨拶をするときも、アンテナを張ってなくっちゃいけないくらい殺伐とした時代に生きるって、つらいとは思うんですよね、どうしても。でもそのつらいっていうこととか、弱音っていうのは、たぶん全然いわないで、常にぴしっと、こう、緊張して背筋を伸ばして、生きていたと思うんですよね。武士の人たちって。たぶんそれが、私が魅かれる理由なんだと思う」


だいぶ字数を使って、前編、中篇、そして今回が後編と続けてきましたが、まだ終わらないなぁ。仕方ない。


次回、「完結編」でございます(笑)。