実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第83回】DVD第1巻:Act.1の巻(中編)


 基本的なデザインは変えずに、こんな配色にしてみましたが?

1. 見えすぎちゃって困るの


 さて、この1年というもの、水曜の深夜は、家族も寝静まってしんとなったリビング・ダイニングの照明を落とし、音量を絞ったテレビの前で、膝を抱えて再放送を観ていたわけである。とうに不惑を過ぎたというのに、中学生が『11PM』や『ウイークエンダー』を見るような真似をしていて、人生これでいいのか、という問題はさておき(おくな)、私はやはり、こういうのが正しいテレビの鑑賞法だと本気で思う。ただし「部屋を明るくして、テレビから離れてお楽しみください」というテロップとは真っ向から対立することになるので、よい子のみんなにお薦めはできません。
 それに較べると、ノートパソコンのスクリーンで、時おり一時停止したりコマ送りしてエディタにメモを書き入れながらDVDを観るというのは、もう邪道も邪道、極まれりという気もする。しかし、画面のすみずみまでクリアに見えるため、今まで気づかなかった発見があって、これがまた止められない。
 たとえば主題歌の後の冒頭、朝のベッド。ピンクのチェックの布団から、枕元の目覚まし時計に手を伸ばすうさぎ。その時計を置いたサイドテーブルの下段に並んでいる本は、ジャケットの色合いから、なかよしKCコミックスに見えるのだがどうか?ひょっとしてセーラームーンの旧版コミックスがぜんぶ並べられているんじゃないだろうか、とか、窓際に置かれた、胴体に「ぎゃふん」と文字が書かれた青いぬいぐるみ、これはいったい何だろう、とかね。
 ついでに時計は、文字盤に羊のイラストが描いてある黄色くて円いのと、赤字に白のハートマークをあしらった四角いのと、2つある。これはうさぎのものか?どうでしょう。寝坊対策として、別の部屋にあった目覚ましを2つ並べているんじゃないかな。うさぎ自身の時計は、今回は映らないけど、部屋に入って手前左の棚に置いてあるやつ、Act.5のパジャマパーティーで亜美がこっそり「今なら、まだ塾に間に合う」と振り返った、あのイルカのイラストの青いやつじゃないかという気がします。
 それから放課後、遅刻したうさぎの居残り掃除のシーン。ぞうきん持参でつき合ってくれたなるちゃんに、感激のあまり抱きつくうさぎ。その背景にクラスの時間割が掲示してある。

   1時限  2時限  3時限  4時限  5時限  6時限
  英 語  社 会  体 育  理 科  英 語  数 学
  国 語  美 術  数 学  社 会  英 語
  体 育  数 学  理 科  国 語  英 語  音 楽
木  音 楽  英 語  国 語  数 学  技・家 
  英 語  美 術  理 科  社 会  数 学  国 語

 技術・家庭科は木曜5時間目だけだ。つまりAct.16のクッキーもAct.17のマフラーも木曜日の出来事と特定できる。それからAct.29のバレーボールVS黒木ミオ戦は、月曜日で間違いないだろう。体育は水曜日の1限目にもあるが、黒木ミオはまず転校してきて春菜先生に紹介され、次に、休み時間にクラスメートに囲まれてサインなんかして、それからバレーボールのシーンになる。だから月曜日(1時間目が英語で3時間目が体育)の出来事と考えた方が自然である。
 じゃあこのAct.1のお話は何曜日か。これは簡単だ。隣の黒板に「10月3日(金)日直 北野・山崎」と書き込んである。現実世界でAct.1が放送されたのは2003年10月4日(土)だから、その前日ということだ。金曜日、1時間目の英語の授業に遅刻して怒られたうさぎは、罰として6時間目終了後、机のぞうきんがけをするよう命じられたのある。
 中学校で6時間目が終了するのは、だいたい午後3時30分前後。で、この居残り掃除のシーン教室の時計は午後3時50分ごろを指している。なるは、みんなが下校したり部活に行ったりして教室を去り、うさぎ以外、誰もいなくなったころ合いを見計らって、こっそり手伝いに戻ってきたのだ。なるちゃんってホントにいい性格だなあとつくづく思う。ついでにこの板書で、うさぎのクラスに北野と山崎という子がいることも分かった。
 ただ、2003年の10月3日とか、そこまで我々の現実時間と重ねて考えていいのかどうかは分からない。いちおう、実写版の世界は、お正月もバレンタインデーも、我々の世界とリアルタイムで進行していると見なせる。教会の共同墓地にある火野レイの母の墓には確か「RISA HINO 1963-1995」と刻まれていたはずで、そうすると火野レイは、母親が26才だった1989年に生まれ、6才になった1995年に母(享年32)を失い、小学校から先を火川神社に預けられて過ごし、物語開始時点の2003年で14才(中2)ということになり、ちょうど良い感じではある。しかし一方では、この世界では4月になっても進級せずに同じクラスのままなのだから、まったくのリアリズムで考えてもいけないわけで、そのへんの、現実世界との距離の取り方は微妙です。少なくとも、十番中学の学校の机がみんなピンクなのは「これは美少女戦士セーラームーンのお話で、だからあまりリアルな現実の尺度で考えないでね」というメッセージであろう。
 このピンクの机は田崎監督のアイデアではないかな。仮面ライダー電王の東映公式ページによると、田崎監督は撮影前のセット打ち合わせで「デンライナーが走ってる感じを出すために、食堂車は、カメラを揺らすんじゃなくて、揺らせるセットにしてほしい」という要望を出したそうである。なるほど、車両のセット一杯だけでデンライナーの話を進めるという、ほとんど『シベリア超特急』のようなことをやりながら、印象がぜんぜん違うのは、そういうところにプロの目が光っているからなのだ。おかげでデンライナーのシーンは、以降もちゃんと走行中の車両に見えるのである。田崎監督がパイロット監督に起用されるのは、こういった、シリーズの基本設定や舞台をゆるぎなく構築して、その後も繰り返し使用されるに耐えうるしっかりした土台づくりが出来る人だからなのだろう。そういう意味で、ピンクの机、という十番中学の基本フォーマットも、田崎監督の支持によるものではないのかな、と思ったりするわけです。
 というふうにですね、パソコン上でDVDを鑑賞していると、これまで気づかなかった細部にまで目が及び、様々な感想が浮かんでくるのである。だからこっちはいくらでも楽しく書ける。ただ、読んでくださるみなさんが楽しめるとは限らないのだ。

2. やりすぎ厳禁


 たとえばAct.1。前回の日記にも書いたように、この記念すべき初回は、原作漫画、連載第1回の、わりと忠実な映像化である。アニメ無印の第1回「泣き虫うさぎの華麗なる変身」(1992年3月7日放送、脚本:富田祐弘/演出:佐藤順一/作画監督:松下浩美)もやはりそうである。だからストーリーはどれもほとんど同じパターンだ。

うさぎ遅刻→登校中にルナと遭遇→なるに誘われてママの宝石店のバーゲンに行く(実写版ではジュエリーショーのリハーサルを見学)→地場衛と初の接近遭遇→ルナから自分がセーラー戦士だと知らされる「これは夢よ」→なるちゃんのピンチ!セーラームーンに変身→タキシード仮面に助けられながら初勝利

 で、同一パターンだからこそ、こまかい違いを比較するのがおもしろい作業となる。しかしあまり細部にこだわっていると、大変なことになる。たとえば、原作冒頭のママは、うさぎのお弁当を作り終えて「セーラーV大活躍!強盗団壊滅」という見出しの朝刊を読んでるが、アニメ版のママはセーラーVの記事ではなく、新聞広告の安売りのチラシを比較検討している、そして実写版のママはまだお弁当を詰めている最中で、セーラーVについてはテレビのワイドショーが報道中、とか、そんなところからひとつひとつ比較していては、いつまで経っても進まないし、気がついたら書いている私だけが楽しんでいて、誰も読んでいないということになりそうだ。もともと普通の日記じゃないのでそれも悪くはないのだが、まあ、とことん詳細な比較検討は、将来ほんとうにネタ切れになったときのためにとっておくことにします。それに、アニメシリーズは現在、正規にストリーミング配信されていて(2008年1月末まで)、第1話だけは無料で視聴可能である。細かい違いまで興味のある方は、実際にご覧になったらいいだろう(ここここでどうぞ)。でも私はMacなんで視聴できないんですけどね。
 と言いつつ、その冒頭にかかわる興味ぶかいポイントを、ひとつだけ指摘しておく。実写版で、ダイニングのテレビに映るワイドショーでは、セーラーVが前夜「宝石泥棒を阻止」したとレポーターが言う。もちろんこれは、アヴァン・タイトルでセーラーVが、タキシード仮面の活動を邪魔したことを指している。しかし原作でママが読んでいる朝刊には、さっき書いたように、セーラーVが「強盗団を壊滅」したと書かれている。またアニメ版では学校でなるちゃんが「ねえねえ、セーラーVがさ、また現れたんだって。聞いた?宝石強盗の犯人を捕まえちゃったのよ」とうさぎに言う。つまり原作やアニメでは、第1話の前夜に起こったのは、タキシード仮面による宝石泥棒事件ではなく、まったく別の「強盗団」による事件で、しかもその犯人をセーラーVがつかまえて、見事に事件を解決した、ということになっているのだ。ではその「強盗団」とはどんな連中で、どんな事件だったのか、キューティー・ケンコー一味が登場する実写版Act.ZEROのお話は、ここから着想を得ているはずだ。

3. なるちゃんをしつこく讃える


 そんなわけで、最初は原作・アニメ・実写版の詳細な比較対照表をつくるつもりだったんだが、止めておく。今回は最も大きな実写版Act.1の特徴、つまり主人公うさぎと、親友なるちゃんのキャラクター造形について、原作やアニメとの違いをチェックするだけにとどめておきたい。まずは前回も触れたなるちゃんからだ。
 実写版のなるちゃんについては、前回と、それから今回もすでに書いたとおりだ。居残り掃除させられたうさぎを、こっそり後からフォローしに現れ、元気づけるためにカラオケに連れて行く。すごく優しく、思いやりがある。そして妖魔に身体を支配されたママの異変にすぐ気づき、自分の疑惑を確かめるため、とっさに「中身、言ってみて」と問いかけるような機転もある。頭の回転が速い。
 原作やアニメのなるは、もっとおっとりしている。たとえば原作とアニメでは、遅刻したうさぎは、罰としてそのまま廊下に立たされることになるが、朝食も食べずにきたので、廊下でやおら弁当を広げる。そこをまた春菜先生に見つかって大目玉を食らうのだ。
 で、休み時間になって、原作では腕組みしてグチるなる「もー。うさぎったら信じらんないっ。女の子のクセに早弁なんて…」
 アニメ版も同じ。ちょっとここで、休み時間のなるとうさぎの会話をアニメから引いておく。二人の友だち関係がどんな感じか、具体的なニュアンスとして分かる箇所だと思う。ちなみに途中でクラスメートの海野ぐりおが登場し、二人の会話に絡んできます。海野は成績優秀でオタクな(なんのオタクかはよく分からない)少年である。アニメでは最初はうさぎにつきまとい、最終的にはなると恋人同士になる。海野か、懐かしいね。実写版も、理科の加藤先生を出すぐらいなら、ぐりおをちょこちょこ出す手はなかったものか。しかしそうするとひこえもんの出番がなくなるか。

な る「もう、うさぎったら信じられない。女の子のくせに早弁なんてさあ」
うさぎ「だって育ち盛りなんだもん。ねえなる、私の気持ち分かってくれるでしょ、なるちゃん」
な る「う〜ん」
ぐりお「うさぎさん、テストどうでした?」
うさぎ「う、海野」
な る「この落ち込みよう見れば分かるでしょう。駄目だったに決まってるじゃない」
うさぎ「ぐっ!」
な る「あ、傷ついた?ごめん」
ぐりお「そんなに落ち込むことないですよ。僕も今回手を抜いたもんで100点とれなくて。ま、テストなんてゲームですよ」 
な る「ヤな奴ね」
うさぎ「ううううう(泣)」
な る「あ、ね、ねえねえ、セーラーVがさ、また現れたんだって。聞いた?」

 アニメ(や原作)のなるには、河辺千恵子のさばけた歯切れの良さはなくて、おっとりしたお嬢様タイプだ。そしてうさぎの親友ではあるが、実写版のなるのように、いつもうさぎを温かくつつむ包容力は持ち合わせておらず、うっかりうさぎを傷つけるようなことも言ってしまって、あとから慌てたりしている。そして性格は基本的に常識人というか、突飛なことはとても出来そうになくて、だからトンデモないことをしでかすうさぎに感心する反面、心配しつつ見守っている。アニメ版なるちゃんのうさぎに対するノリは、ひとことで言うと『ちびまる子ちゃん』の、まる子に対するたまちゃんのそれに近い。関係ないが、アニメ版『ちびまる子ちゃん』(原作は集英社『りぼん』)は、アニメ版セーラームーン(原作は講談社『なかよし』)よりも2年前、1990年に放送が開始されて、中断時期はあったものの、今日まで人気を保っているという、ケタ外れの化け物番組である。世の中にはセーラームーンもかなわないという存在がいる。
 それはともかく、言うまでもなくこの第1話の最後で、うさぎは初めてセーラームーンにメイクアップして、なるちゃんを危機から救うことになる。原作のラストシーンは、その翌朝の学校で、セーラームーンのことを興奮ぎみに友だちと語る、なるちゃんだ「でねっ、強盗に襲われたあたしを、例のセーラー服戦士が助けてくれたのよ」。アニメのなるは、それをまだ夢のなかの出来事と勘違いしている「ねえ、ゆうべ素敵な夢を見たの。セーラームーンっていう正義の戦士が現れて、怪物をやっつけるの!」しかしアニメ版なるも、これから何度も変身したうさぎに助けられて、確かにセーラームーンが現実の存在であることを知るだろう。そして正義の戦士セーラームーンにあこがれると同時に、知り合いであることをちょっとした自慢の種にする。要するに、原作やアニメのなるは、セーラームーンから庇護を受ける存在なのだ。
 それからもうひとつ、実写版では、なるママ(にとりついた妖魔)が、ジュエリーショーのクライマックスで、集まった女性たちのエナジーを一気に集めようとする。一方、原作とアニメでは、宝石店を経営するママが「宝石のバーゲン」を開いて、高価なジュエリーを格安で売る。当然バカ売れなのだが、実はその宝石は人々のエナジーを吸い取る石で、身につけた人々は貧血みたいになって倒れてしまう、という話である。
 実写版では、このママ(渡辺典子)には妖魔が取り憑いていることになっている。そしてなるは、前回の日記にも紹介したとおり、かなり早くそのことに気づいてママに疑惑を抱く。一方、原作とアニメでは、そもそもこれはママではない。本物のママは縛られて地下室に放り込まれていて、妖魔がママに扮しているだけなのだ。それなのに、なるは気づかず襲われてしまう。というわけで、実写版のなるの方がだんぜん偉い。
 いや偉いとか偉くないはともかく、第1話にして、ここまでくっきりと、なるのキャラクターの違いが分かるということが言いたいのだ。原作のなるはこれ以降、後になればなるほど、どんどん影が薄くなってしまう。アニメの場合は、無印中盤の締めくくりとなる、ネフライトとのドラマチックな恋愛物語があるし、その後に海野との恋愛話もあるのだが、主人公であるうさぎとの関係においては、亜美や他の戦士たちが登場して以降、なるは「うさぎの第一の親友」という立場からは後退する一方である。
 でも実写版では違う。確かに話が終盤に進めば進むほど出番が減っていくが、Act.46の最後で退院したなるが、戦士たちから孤立してしまったうさぎの心をどれほど慰めたか、私はほんの3週間ほど前に再放送で確認したところだ。実写版のなるちゃんは、仲間の戦士たちとはまた別のやり方で、うさぎの心を支えるかけがえのない存在だ。それは彼女の包容力と聡明さゆえであり、そのことは、もうこのAct.1からしっかり描かれていた。と改めて私は痛感いたしました。アニメのなるはセーラームーンとしてのうさぎにとって、庇護しなければならない対象だ。でも実写版のなるは、プリンセスとして孤立していくうさぎが庇護を求める対象なのだ。そういう関係が、Act.1の段階ですでにはっきり現れている。私はそれに感動しているのだ。


 というわけで、今回はこのへんで終わりにします。うさぎの話は次回だ。でも来週はちょっと仕事が忙しくて、次の更新は週末までないかも知れません。
前回のコメント欄で万丈さんいわく「もっと、じわじわとメイクアップしなきゃ」の変身シーンについても考える、かも知れませんので、『M14の追憶』の実写版各戦士の変身シーン秒数計測結果を予習されよ。