実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第49回】観るのも辛いエピソードを、読むのも辛い長さで語るLeo16の巻(Act.31)

 その高層マンションはダーク・キングダムのエナジーファームだった。アリ地獄のようなワナに引きずりこまれた犠牲者は、この建物のエントランスに送り込まれ、それから妖魔によって部屋まで運ばれる。各部屋には『マトリックス』みたいに、ただエナジーを吸われるだけの存在と化した人間たちがごろごろしているのだ。
 外部の侵入を防ぐためにエントランスに張られた結界(バリヤ)を、力をあわせて放射したビームで破った4人の戦士。しかしホッとするのはまだ早い。
マーキュリー「妖魔を探さなきゃ!」
 だがそのとき、マーズはすでに、急激に接近する敵の気配を、いちはやく察知していた。エレベーターのシャフトを伝い、排気のためのダクトのなかを素早く移動して、ものすごい速度で妖魔が迫ってくる!
マーズ「待って!来るわ!」
 そう警告を発したまさにそのとき、天井の排気口をぶち破って、妖魔が目の前に飛び降りて来た。間髪を入れず戦士たちに襲いかかる。
セーラームーン「きゃっ!」
 セーラームーンとマーズは、転がってよけるのが精一杯で、反撃の体勢に移れない。ちょっと離れたところにいたジュピターも、風邪気味でふらふら。攻撃どころか立っているのがやっとの様子だ。
 (もらったあ!)すぐさまとどめを刺そうとする妖魔。だがそのとき、
マーキュリー「こっちよ!」
 背後から牽制する声が響いた。妖魔はあせる。バカな!私の素早い動きを制することのできる者などいないはず。なにしろクンツァイト様が「お前の足の速さは、オリンピックに4大会連続出場して9個の金メダルを取ったカール・ルイス以上だ。よしお前を妖魔(金)と名づけよう」と言ってくださったくらいだ。
 しかしマーキュリーの敏捷さは妖魔の予想を遙かに越えていた。振り返ったときにはもう、水の戦士は決め技を放つポーズをとっている。
マーキュリー「マーキュリーアクアミスト!」
 あっという間に妖魔は消滅する。立ち上がったマーズがにっこり笑った。
マーズ「やったわね」
 マーキュリーも笑い返す。戦いは終わった。だがもうひとつやるべきことがある。人々は倒れたままなのだ。
ルナ「セーラームーン、この人達にパワーを」
 頷いたセーラームーンがスティックをかざすと、光が放たれ、人々に降りそそぐ。その様子を見届けたマーズがみんなに目線を送ってうなずく。ミッション終了、ただちに撤収の合図だ。
 倒れていた人々は顔をあげる。
なる「ん?なんでこんなとこに……」
 なるがめざめたとき、すでにセーラームーン達の姿はそこになかった。

 『M14の追憶』11月20日4月30日で読める小林靖子の台本に忠実に、Act.16の戦闘シーンを再現するとこんな感じか。実にスピーディーな展開で、マーズのきびきびした司令塔ぶりとマーキュリーの敏捷な攻撃能力が印象を残す。そして、なるが目ざめたときには戦士達の姿が夢のように消えているという、余韻をたたえた幕切れ。素晴らしいです。
 もちろん、実際に観ることのできる鈴村監督演出バージョンもいい。戦闘開始と戦闘終了をマーズが告げる、という台本上のポイントは犠牲にしてしまうことになったが、マーキュリーと妖魔の攻防を入れ、間に挟まれる「こっちよ!」のセリフに(くいくい)のアクセントをつけて、台本では展開がめまぐるし過ぎて見えにくかった「レイのお説教で吹っ切れて元気になった亜美ちゃん」を強調する。そして最後に「やったわね」「やったね」「やったな」。微妙な語尾の違いだけで、どのセリフを誰が言ったか一目瞭然というきっちりしたキャラクターの捉え方といい、仲間たち全員の亜美に対する温かい気持ちが伝わる効果といい、これもこれで捨てがたい。
 というわけで我々はAct.16についてふたつのバージョンを楽しむことができるようになったわけだ。ありがとうM14さん。さて本題です(長いよ前フリが。しかも他人の日記をパクって)。

1. 「どうして私だけ?」


 2006年11月22日(水)スポーツ中継のため深夜2時25分にAct.31再放送開始。来週も2時25分である。いつになったら正式の時間である2時15分に戻るのか。
 さて今回は、木野まことの語りでアヴァン・タイトルが始まる唯一のエピソードです。なので、まずまこちゃんのお話を聴いてみましょう。

うさぎたちのクラスに転校してきたアイドルの黒木ミオ。ちょっとクセある子らしくて、うさぎもひどい目にあったりしたんだけど、なんだかんだで上手くまとまったみたいで、学校もクラウンもいつも通り。ただ、私はそれに安心してられないんだよね。戦士の力に覚醒していないのは、私ひとり。あせってるわけじゃないけど、正直「どうして私だけ?」とは思うかな。どうして?……昔から、私のなかにある疑問……

 とても象徴的なアヴァンである。つまり、まことにとっての問題は、戦士の力に覚醒していないとか、そういうことよりも「どうして私だけ?」というところにあるのだ。
 「どうして私だけ?」最初にそう思ったのは、両親と死に別れたときだったろう。それから、たぶん親戚の家なんかをたらい回しにされてから一人暮らしをすることになり、学校を転々とした。そのたびに、先生や友だち、あこがれていた先輩、色んな人たちとの別れを繰り返した。いつも最後はひとり取り残されるのだ。
 でもメソメソするのはガラじゃないし、うじうじ悩むのも性じゃない。だから、どうってことないよ、っていうふうにやり過ごしてきた。でもときどき思っていた。「どうして私だけ?」
 十番中学に来て、うさぎたちに出会って、ようやく自分の居場所を見つけたと思った。だけどここは、ゴールじゃなくてスタート地点だった。そして気がついたらうさぎもレイも亜美ちゃんも、新しい自分に向かって一歩踏み出していた。私だけが以前のままだ。みんなと一緒に戦って、同じ経験をしてきたはずなのに、やっぱり私だけが変わらない。どうして?どうしていつも、私だけこういうことになるのだろう。
 だからこの「どうして私だけ?」は、初めて登場したAct.6の「いつも、最後はひとりだ」という独白と、結局は同じ意味だ。そして今回のラストで、まことはそんな「昔から、私のなかにある疑問」に対して、自分で勝手に答えを見つけ出してしまう。でもそれは仲間の戦士たちにも、我々視聴者にも、およそ説得力をもたない。なのにまことは、答えが見つかったと宣言して、自己完結して、話はそれで終わってしまう。
 そういう意味で今回のお話は、Act.26に近いと言えるかも知れない。Act.26でも、うさぎはずっとかかえていた衛への恋心に、自分で勝手にピリオドを打って、「それでいいの?」という我々の気持ちを置き去りにして、話を終わりにしてしまった。けれどもAct.26の甘い切なさと、このAct.31の苦いやるせなさは、なんだかとても印象が違う。

2. 「やっぱアニメじゃなくて実写版だよ」


 さて、Act.21では遊園地で倒れた亜美に付きそうまことを助け、いいところを見せた元基だが、その返礼にマフラーを貰って舞い上がってからは、ずーっと元どおりのバカっぷりで、もうゴールデン・ウィークだというのにまだマフラーを巻きっぱなしである(初回放送は5月8日)。
 ゴールデン・ウィークという言葉は日本の映画業界から生まれた和製英語だ。昔はお盆よりも正月よりも、この連休中の映画館の入場者数が年間で一番多かったのでそう名づけられたという。だからデートに誘うなら、遊園地とかではなくてやっぱり映画である。というわけで、前回、アニメ映画『ファインディング・カメ』のチケットを見せてもまことにあっさり無視された元基は、今度は実写映画『カメファイター』で再びアタックを試みようとしている。「やっぱアニメじゃなくて実写版だよ」(笑)
 まあしかし、物語内の話としてはこれも無視される可能性が大だったのであるが、運命は元基に味方した。最近ちょうど引っ越しした元基は、その作業中に何をどうしたか、左手を怪我してしまっていたのである。だからクラウンにやってきたまことは、痛々しく包帯を巻いたその姿を見て、思わず声をかける。

まこと「元基君どうしたの!」
元 基「ちょっと引っ越しでやっちゃって」
まこと「大丈夫?」
元 基「うん」
まこと「引っ越しって、自分の?」
元 基「一人暮らし始めたんだ」
まこと「へえ」
元 基「けどいきなりこれでしょ。上手く自炊もできなくてさあ。まいったよ」
まこと「そっか。あ、あたし今日カレー作るから、明日でよかったら持ってくるけど」
元 基「いいの!」

 いやしかし元基が馬鹿でほんとうに良かった。普通だったらこんな場面でこんなに派手に包帯しているなんて絶対ウソだ。まこちゃんの同情を引こうとしているんだ。しかも一人暮らし始めたなんて伏線まで張って、次は下宿に来てご飯を作ってくれって誘い込むつもりだぞ、なんて手に汗握るところだが、元基だったらそんな悪だくみはしない。ぜんぜん安心して観ていられるし、むしろ「今度こそがんばれ」と応援したくなるもんね。ちなみに私、最近はもう手首にサポーターですませているんですが、仕事に出るときはこれ見よがしに包帯をぐるぐる巻いて「痛くて書類はかどらなくて…」なんて言っているチョイ悪オヤジです(使い方、間違ってますね)。
 で、クラウンのミーティングルームでまことが何をやっているかというと、ジャガイモを食べている。戦士として覚醒するためにルナが考えた特訓である。でもジャガイモ。遅れてうさぎや亜美とやって来たレイが「けど、それが戦士と何か関係あるわけ?」と問いかけるのも当然だ。ルナの言い分では「まこちゃんに何が欠けてるのか分からないから、まず苦手なもの、ぜんぶ克服してみたらどうか」ということなのだが、さすがにこれは大ハズレである。
 ではまことに欠けているもの、それは何なのか。という問題をめぐって今回の話は展開するわけだが、その前にここで、亜美がおずおずとレイに賛成して「あの、ちょっと言いにくいんだけど、なんとなくどうかな、って気が」と言っていることに注目しておきたい。亜美も少しずつ、こういう場で自分の意見が言えるようになってきているのです。

3. 美奈子の家とうさぎの家


 さてこの後、ダーク・キングダム、美奈子、うさぎの家の動向がそれぞれ描かれるが、ダーク・キングダムはともかくとして、あとの二つが何となく分かったような分からないようなエピソードだ。
 制服姿の美奈子とピアノエレクトーンの上のアルテミスが会話しているシーンでは「ジュピターの覚醒がまだうまくいっていない」という連絡を受けた美奈子が「確かに遅いけど、でもきっと目ざめる。そのために前世をもって生まれてきたんだから。私も」とつぶやく。最後の「私も」という一言で、美奈子自身が、実はまことと同様、まだ戦士として覚醒していないという事実、そして本人がかなり焦っている様子が初めて明らかにされる重要なシーンだが。その意味はまだこの段階では分からない。分かるのは、ここが自宅だということだ。Act.15のアヴァン・タイトルに出てくる美奈子の部屋とはちょっと違うが、ホテルの一室ではない。もちろん、影武者としての役目は終了しているから、別に自宅でもいいのだが、後半もホテルを転々とする美奈子が、今回のみ自宅であるという事実が、なんだか奇妙な印象を残す。確かM14さんは、高丸監督のケアレスミスという可能性もまったくなくはない、と指摘されていたはずだが、そうかもね。
 そして次のうさぎの自宅のシーンは、さらに不思議だ。いつものように食事の時間なのだが、なぜか月野家の食卓まで全部イモづくしなのだ。ひょっとして、勿体ないので余った分をクラウンから持ち帰って、ママに料理してもらったのかなあ。しかもそこで電話がかかってくる。受話器を取るママ「もしもし、パパ!え、また出張?ちょっと社長に文句言っちゃうわよ文句。うそうそ、本気にしないでよ〜」えーと出張というのは、こうやって勤め先から電話をかけて、そのまま家に帰らず行っちゃうというパターンもあるのでしょうか。出張の多い方、どうでしょうか、って言うとまたM14さんのことになっちゃうか。ほかにもお読みいただいている出張がちの方、どうでしょう?
 さらにそれを聞いたうさぎは、ママが喋っている受話器に向かって「パパ、おみやげヨロシクね。ういろうとひつまぶしとね…」って、名古屋か。出張と聞いただけでその先が名古屋と予想できるってどういう子か。そりゃ『キッズ・ウォー5』『セーラームーン』と、CBC制作のドラマに2本も続けてレギュラーもらった身としては、名古屋をヒイキしたくなる気持ちは分かる。というかどんどんヒイキにして遊びに来てください。それからドラマおめでとうございます。関東地区のみの深夜だそうですが。名古屋と沢井さんは縁があるのできっと放送されると思います。
 話がずれてきたのでこの件はまあいいや。

4.未来のnonnoモデルは発展途上中


 本筋に戻ると、翌日のクラウン、ライスまで用意し、ハヤタ隊員のようにスプーンを振りかざして「カレー!」と叫ぶテンション上がりっぱなしの元基のもとに、ようやくカレーが届く「はい、好みに合うか分かんないけど」。もちろん元基は、お礼にまことを『カメファイター』に誘う。
 さあこういう話を聞いてだまっちゃいられないのがうさぎだ。一大事とばかりに飛び込んでくる。

うさぎ「まこちゃん、これから元基君とデートなんだって!」
まこと「違うって。カレーをお裾分けしたから、お礼ってだけで」
うさぎ「どうかなあ。元基君うれしそうだったよ。あの感じ、ぜったいまこちゃんのこと好きだね」
まこと「ちょっとやめてよ。やっぱり行かない。そんなふうに言われるの、元基君だって迷惑だし」
うさぎ「なに言ってんの。元基君がかわいそうじゃん」
レ イ「行けば。私は別に何も言わないわよ」
まこと「態度が言ってる」
ル ナ「まこちゃん、これも戦士の修行よ」
まこと「関係ない」
うさぎ「待って待って、もうちょっと可愛い格好の方が良いよ」

 というわけで、一緒に映画に行くか行かないかでもめてたのに、勝手に行くことに決めて、まことの服選びまで強引に話を進めたのはうさぎだ。偉いぞ。しかし鑑賞ポイントとしては、このシーンはやはり安座間美優と北川景子だ。Act.8で対立していたころは、いろんな意味で観ている我々が手に汗にぎる二人の芝居であったが、とにかく上手になった。
 北川さんは、うさぎが「あの感じ、ぜったいまこちゃんのこと好きだね」などと言っている背後で、千咲さんといたずらっぽく目くばせをしているのが可愛い。初対面のAct.6で「もう男に惑わされるのも終わりよ」なんてまことに言い放っていたレイちゃんも、あれから半年も過ぎた今では、カラオケばかりじゃなく、そういう恋の話題も受け容れられるくらいに、人格の幅というものが広がってきている。だから「行けば。私は別に何も言わないわよ」とそっけなく言っているわりに、その表情はいたずらっぽい。もちろんまことの背中を押してやろうという愛情はあるのだが、でも次にまことが意固地になって「態度が言ってる」と反撥するのを、なかば予想して楽しんでもいるのだ。こういうレイちゃん、というかゆとりのある芝居をしている北川さんが見られる機会は、これまであまりなかった。
 そして安座間さん。とにかくただごとではない成長ぶりだ。ただし当社比ならぬ当人比であって、そもそもスタートラインが他の人よりぐっと低い海抜ゼロメートル地帯からの発進だったから、その分やたらと演技力が伸びた気がするだけだと言われれば、う〜ん、反論はできない。ちなみに私はこういうことを愛情込めて書いているつもりなんだが、もし万が一でも本人がこれを読んで、へこんだり傷ついたりするようなことがあってはならないから、安座間ブログへの読者登録は死ぬまでしない。
 だからもうちょっとこの話題を続けるが、なにしろAct.5の最後の次回予告で「シュープリームサンダー!」のかけ声と「いつも最後はひとりだ」のつぶやきを聞いたときの衝撃はすごかった。沢口靖子以来だと思った。ただデビュー当時の沢口靖子のカーナビのようなセリフ回しは、関西弁を矯正された結果だと見当がついた。コテコテの大阪弁で育った生一本の浪花っ子が、ある日とつぜん「おまえ正統派アイドルになるから、明日からすべて標準語でしゃべれ」と言われたらものすごく変なしゃべり方になった、その極端な例だと思う。しかし安座間さんの場合、いったい何が理由なのか見当もつかないところがミステリアスであった。ひょっとして彼女、実はもともと、我々にはさっぱり理解できないディープなうちなーグチでしゃべっていたのかも知れません。
 いずれにせよ、そういう意味で最初のハードルがものすごく低かったのは認めるし、だから急激な成長ぶりもある種の錯覚だと言われればそりゃそうでしょうよと答えておくが、何にせよ安座間さんの表現力がぐんぐんついてきていることは事実である。しかも、普段のまことのキャラクター設定自体がハードボイルドなので、たまにデートに誘われてどぎまぎしている可愛い素顔とかを見せる今回は、よけいにその魅力が光る。普段はクールで表情を見せないゴルゴ13が、ほんのちらっとヒューマンな一面を垣間見せただけで感動しちゃうのと同じようなことだ。
 うーん。今回は放送日の翌日が休日で、時間に余裕があったりしたせいか、いつにも増して余計なことを書いている気がする。本題に移らなくては。でもその前にちょっとだけ、次のお着替えショーのシーンに触れておきます。
 結局まことは元基と映画に行くことになって、じゃどんな服にしようかと、みんながテレティアにメモリーさせた衣装をまことに着させる。うさぎのはちょっとお嬢様っぽくて、レイのは婦人警官と消防士の制服で、亜美のは白のワンピースと、真ん中からヒモの出てくる説明不能なやつ。
 この、レイと亜美の二人がテレティアにメモリーしていた服の問題については、また機会を改めて考えてみたいと思っているのだ。特にレイ。私は、小林靖子の設定では、レイは実際の映像ほどには私服を着ない事になっていたんじゃないかという気がします。
 制服って何か。これを着ている間は、個人的な感情よりも、職務を優先させろ、っていうふうに人を縛るものだ。レイにとってはそこが大事だ。たとえば巫女の衣装をまとっている間は「神に仕える身」である。目の前にパパが現れても、そう言い聞かせて、個人としての感情を殺して、心の動揺をいくぶんか押しとどめることができる。というか、そうありたいと期待して傷ついた心にまとうヨロイなのだ。私はここで垣間見えたレイの制服フェチってそういう意味だと考えているわけです。
 まあそのへんの話はまた今度ということで、いまはまことの話だ。ともかく残念なのは、今回はせっかくのまことの晴れ舞台なのに、髪型にも服装にも、もうひとつ思い入れが足りないことである。今回と次回は高丸監督。えーと5巡目の登場で9本目。この段階で舞原監督の8本を越え、担当話数が最も多い監督となるわけだ。今回が舞原監督だったら、こういうシーンとかでまことをヴィジュアル的に「見せる」ということにもっともっとこだわって、メイクに駄目出しを重ねて、素敵なファッションショーを楽しませてくれたと思う。急激に伸びてきて、まだこの先しばらくは伸びる、磨けば磨くほど輝くであろうと予感させる安座間さんが相手だっただけに、「いまあるがままに可愛く撮る」というところに持ち味がある高丸監督では、ちょっと役不足だったな。残念です。

5. 「止めた方がいいって」


 結局まことは「もういい。自分の服で行く」と元のボーイッシュな普段着に戻って部屋を出て行く。見送る仲間の戦士たちの背後で、ルナがテレティアを持ってぴょんぴょん跳びはねている。里奈ちゃん、私のメモリーした服も見て欲しかったわけね。残念でした。
 そんなふうに『カメファイター』を観に行ったまことと元基の二人であるが、どうにもぎこちなく、まことは映画が終われば、すぐに帰ろうとしてしまう。ルナが割って入って二人をつなぎ止めるが、河原を歩きながら、ついに勇気をふるって「ずっと気になっていたっていうか、マフラーもらったときから、いいな、って思って」と告白し始めた元基を、まことはほとんどおびえたように遮ってしまう「ごめん。あたし全然そんなんじゃないから。女の子らしくなんかないし、ケンカけっこう強くて、学校でも、怖がっている子いるっていうかさ。絶対ダメだと思う。がっかりするよ。止めた方がいいって。ありえないし私なんか」
 あまりにあんまりな言い方に、元基は、これはもう完全に相手にされてないなあと思って、あきらめる。「いやあ、まいったなあ。こんな徹底的に断られるの、はじめてかも。でも、スッキリした。じゃあ……後さあ、やっぱりまこちゃんは、女の子らしいと思うよ」そう言い残して去っていく元基の後ろ姿を見ながら、落ち込むまこと。
 これまで先輩とかに告白して相手にされなくて、Act.6で登場したときも、ひそかにあこがれていたバスケ少年のカケル君のためにお弁当とか作って、でもそれは、前にまことがやっつけた少年たちの仕組んだウソで、さんざん馬鹿にされて「ほんと、ガラじゃないっつーの」と淋しく自分に言い聞かせてきたまことが、いざ自分が告白される側に回ったら、どうしていいのか分からなくなってしまった。
 元基の言葉を素直に受け止められない。本気で受け止めて、また自分が傷つきたくはない。でも私の方から一方的に断って、元基を傷つけたくもない。で、考えた理屈が「がっかりするよ。止めた方がいいって」だったわけだ。たまたまプレゼントする相手もないマフラーをあげただけなのに、それをものすごく大切にしている元基君は誤解している。だから私の性格も誤解している。きっと後になって、たいして女の子らしくもないことが分かって失望するに決まっている。絶対ダメだと思う。だから最初からつき合わない方が良い。それが元基君が傷つかないためでもある、そういう説明で納得してもらうつもりだった。でもそれを聞いた元基君はとてもとても淋しそうな顔で去っていった。何かが間違っている。だからまことは河原にしゃがみこんで考える。
 結局、まことは自分が断ったにもかかわらず「元基が去っていった」と思いこもうとしている。それがおかしいのだ。今回のラストシーンで、Act.6の最後と同じ心象風景が繰り返される。両親から始まって、親戚、先生、同級生と思われるシルエットが、次々に少女のまことの前から去っていくイメージ。今回はその最後に、元基の後ろ姿が加わる。そうじゃないだろう、元基が去っていったのではない。まことが元基を拒んだのだ。
 いままで恋愛に失敗して、もう傷つくまいと「私は恋をするようなガラじゃない」という殻をつくって、そのなかに閉じこもったまことに、ようやくその殻を破って、その心根をストレートに見つめてくれる相手が現れた。なのにまこと自身はもう、殻の外に出ていくことが怖くなってしまっていた。それは今のまことの弱さだ。ほんとうは元基の気持ちに応えて、勇気をもって心を開き、普通の女の子らしさを取り戻すことが必要だった。
 Act.22の引き裂かれた手袋、Act.23のカラオケ、どちらも日常的なアイテムだ。戦士の力にめざめるきっかけは、妖魔との戦いよりも、むしろ普段の生活のなかで、人と人との絆を確認したときにもたらされる。亜美もまた、ダーキュリーの呪縛を解いてくれた仲間たちに、心から「ただいま」と言って、この世界に帰還したことによって、戦士の力を手に入れた。なぜなら、彼女たちが力を得て戦うのは、前世のためではないからだ。戦いは、家族や友人や愛する人たちが暮らしている、この世界を守るためにある。そしてそんな世界のなかで、友情のしるしに編み物を編んだり、カラオケパーティーを開いたり、男の子と恋をしたり、家族と笑いあったり、アイドルとして歌を歌ってみんなの心をはげます、そういう等身大の少女としての生活を取り戻すためにある。セーラー戦士であることから解放されるための戦いなのだ。
 ところが今回、まことの「戦士としてのめざめ」は、それとは全く逆のかたちでやって来る。言うまでもなくこれがこのエピソードの最大の問題だ。

6. 「だから私はひとりでいいんだ」


 元基が去った後、河原でひとり落ち込むまこと。そこへ泥妖魔がわらわらと出現する。泥妖魔の登場は初めてですね。まことはとっさにテレティアで仲間に連絡を取り、変身して戦うが、仲間は駆けつける途中で泥妖魔に邪魔され、なかなかやって来ない。苦戦を強いられるジュピターは自分に言い聞かせる「落ち着け。大丈夫。ひとりでもできる。いままでだって」。そっと目を閉じる。
 両親、先生、友だちといったシルエットが少女のまことの前から去っていき、最後に元基の姿が消えていく。なにもない空白に、風の音、そして風にそよぐ木々の小枝(こえだと読む。「Mio」とは読まない)のささやきだけが聞こえる。その声が、彼女に何かを伝えた。この時の安座間さんはとても美しいです。もくもくと雷雲が発生し、あたりは急に暗闇になって、ジュピターはこれまでになく強力なシュープリームサンダーを放つ。戦士の力が目ざめたのだ。
 敵が消滅すると、あたりはまたとつぜん昼間に戻る。ちょっとこれは……しかしまあ、今回の演出については多くを言うまい。ようやく駆けつけた仲間にジュピターは言う。

「私、分かったよ。必要だったからだ。一人になること。風を聞くこと。ぜんぶ前世から決められてた。だから私はひとりでいいんだ。……仲間と別れるって意味じゃないよ。うまく言えないけれど、私のひとりって言う意味は、もっと違うんだ。(ヴィーナスの方を向いて)そうだろう。私たちの現世(いま)は、前世に理由がある」

 このようにジュピターの「戦士のめざめ」は、彼女自身が日常を捨てる決意とともにやって来た。もちろん、戦いは今のこの世界を守るためにある。しかしそうやって守られる世界の中に、彼女の居場所はない。前世から使命を受けて使わされた者、本来この世界には属さない者であるからこそ、この世界を守るために戦う力が与えられている、彼女はそのように理解している。「木野まこと」は、そんな戦士セーラージュピターが、現世で戦う合間の仮の姿に過ぎない。だからこの世界の人々とは関わりを持ってはならない。家族も友人も、そして恋人もありえない。そういう考え方で、固い殻で自分の心を包んでおくことこそが、戦士としての強さであると自分に言い聞かせている。「だから私はひとりでいいんだ」。
 ほんとうはそれが間違った理解なのは、さっき言ったとおりだ。ここでジュピターの力を目ざめさせたのは「やっぱりまこちゃんは、女の子らしいと思うよ」という元基の一言だ。この一言が、実はまことの閉ざされた心の深層にまで届いていたから、力を出せたのだ。でも本人はぜんぜんそう思っていない。
 だから駆けつけた仲間たちは、ジュピターの覚醒を喜んではいるものの、彼女の言葉にはやや当惑気味だ。とくに直接語りかけられたヴィーナスは、なにか非常に複雑な想いをかかえているように見える。ヴィーナスの思いはジュピターのこの告白に非常に近い。アイドル愛野美奈子として絶大な人気を誇りながら、そんなものはセーラーヴィーナスの影でしかないと考えている。だから深くうなずくべきところなのだが、しかしこうやって、同じ考えを他人の口からはっきり聞かされるとき、その孤独への決意の痛々しさに、ほんとうにこれでいいのだろうか、という疑念が胸に広がる。
 ジュピターがヴィーナスを通して、ヴィーナスがジュピターを通して、戦士としての戦いの真の意味にめざめるのは、まだまだ先、Act.46の話である。でもなぜ、ジュピターはここで覚醒できたのか。うさぎ、レイ、亜美は、直感的にではあるが、それぞれ自分の戦いの意味を正確につかむことによって戦士の力に目ざめた。なぜまことだけは、ずっと後になって「違う。戦士の力がめざめたのは、ひとりじゃなかったから」とようやく気づくような覚醒の仕方をしたのか。
 先に述べたように、今回のエピソードは、まことの「どうして私だけ?」というアヴァン・タイトルから始まる。そしてこれは、初めて登場したAct.6の「いつも、最後はひとりだ」という独白と、本質的には同じ問いである。つまり言い換えれば、まことは、まだセーラージュピターではなかったときの「いつも、最後はひとりだ」という独白から、一歩も前へ進んでいないのだ。うさぎや亜美やレイが、初めのころから較べてそれぞれに成長したのとは裏腹に、まことだけが変わっていない。ぐんぐん成長したのは安座間美優の演技力だけで、まことの心のなかは「いつも、最後はひとりだ。でも、どうして?」のままだったのだ。
 ここでちょっと、それぞれの戦士たちが初めて変身したいきさつを思い出していただきたい。Act.1で、小林靖子は原作にものすごく重要な変更を加えている。原作でもアニメでも、うさぎはルナに言われるがままに、まず自分の部屋でセーラームーンに初めて変身する。それから「なるちゃんが危ない!」ということになってジュエリー展会場に駆けつけるのだ。
 けれども実写版では、うさぎはまず、妖魔の気配を感じてなるの危機を直感し、「うさぎのままで」ひとりで救いに行く。「だって、だって、何かわかんないけど、なるちゃんが危ないって分かったんだもん。何でか分かんないけど」。それを聞いてルナは「あなたが戦士である理由が、ちょっと分かった気がする」と納得する。初変身はそれから、なるママの渡辺典子の前なのである。
 Act.2の亜美は、ピンチに立たされたセーラームーンが、それでも亜美の気持ちを大事に守ろうとしている様子を見て「私、月野さんといっしょに戦いたい」と決断する。Act.3のレイは、そういう宣言はしないが、子供のころから自分にそなわっている不思議な霊感は何なんだろうというコンプレックスをかかえていて、妖魔を前にしたとき、ようやくその力をぶつけるべき真の相手を見いだして、即座に変身する。
 何が言いたいかというと、みんな、セーラー戦士という新しい自分に向かっての「初めの一歩」は、必ず自分の足で、自分の決断で踏み出しているのである。まこと以外は。Act.6のジュピター初変身シーンは、ものすごく変則的なので、みなさんもよく憶えておられますよね。まことだけは、妖魔に首を絞められながらも「いつも、最後はひとりだ」という、閉ざされた自分の殻から出ることができなかった。そのまま妖魔に倒されていてもおかしくはなかった。戦いへの一歩を踏み出せたのは、そんな彼女の心の奥底に降りていったセーラームーンのおかげだ。「ひとりじゃないよ。まこちゃん、変身して」カウンセラーのようなセーラームーンの手助けがあって初めて、ようやくジュピターは誕生したのである。最初からして、この人は例外的な未熟者だったのだ。
 非常に身もフタもない言い方で恐縮ですが、小学校の5年くらいから、女子って身体の発育にすごく個人差が出てきますよね。まあ男子もそうなんだけど、でも女子の方が劇的だ。背が低い子と高い子だけじゃなくて、大柄な子は身体も急激に女の人っぽくなって、胸がふくらんできて、よく分からないけど、いや当時は分からなかったけど、早い子では初潮なんかも始まって、体育の時間を休んだり。ところが精神的な発育状態はどうかというと、別に身体の大きい小さいがそのまま反映されているわけではない。むしろ、まだ小柄だったり身体の線がぜんぜん女っぽくなっていない子の方が早熟で、ませた知識を披露してくれちゃったり、逆に大柄な子は意外と自分がどんなに男子をドキドキさせているかという実態を理解していなくて、「だから男子ってヤダ」みたいなすごく幼稚っぽいレベルの反応しか示さなかったりね。
 私はどっちのタイプにも関心があったのですが、っていう話をしたいわけじゃないんだ。えーと、つまりまこと=セーラージュピターって後者だと思う。身体の成長が先行して、心の発育がまだこれからの子。背が高くて、力もあって、体力的には、もう変身すれば即戦力のパワーファイター、しかも一人暮らししているし、世話焼きな性格で他人のためならとことん行動する人だから、精神面でもかなり自立しているように思える。でも、まあ確かにしっかり者ではあるが、一面ものすごく甘えん坊で、実は心の方は見かけほど成熟していない。だから恋愛なんて、まだまだ。
 ここになるちゃんを持ってくると話は分かりやすい。前回なるは、黒木ミオがうさぎをハメようとしていることに気づいて、話をつけようとしている。でもまことは、Act.6の冒頭でうさぎに絡んだ三人組に対しても、あるいはAct.20の最後でタキシード仮面の正体が地場衛であることを知ったときも、解決法は「とりあえずぶん殴る」だ。友だちの守り方が非常に子供っぽい。だからなるちゃんには甘えてばかりのうさぎも、まことに対しては、カケル君とのこととか、今回の元基君とのことになると、むしろお姉さん役に回る。初変身シーンもそうです。
 そういう意味でジュピターは、実は精神面ではまだセーラー戦士になるのはちょっと早い、という段階で、すでに戦士になってしまった子なのだ。そして今回も、真の意味で覚醒することなく、戦士の力を手に入れてしまった、まず身体の変化が先に訪れる、そして心の変化はいつもワンテンポ遅れてやって来る。それがジュピターという戦士の特徴だと思う。それは、まず女優としてのレギュラーの座を手にして、演技は後追いでついて来るという安座間さんの立場と、微妙にシンクロしていたりして。


 長々と書いてきた結論がこの程度かい、と思われる方もおられるでしょうが、いや実に今回はつらかった。うさぎはAct.26で衛との恋の終わりを宣言したけれど、セーラームーンの話の本筋はこの二人の恋の成り行きなわけですから、それで終わるということはありえません。でもまこと(と美奈子)は、男の子を好きになっても、その恋は決して成就しない、というのが原作やアニメのお約束。だから初回放送でこの回を観たときには、これまで思わせぶりな伏線を張ってきた元基とまことの関係が、これで終わりなの?という割り切れなさでいっぱいでした。なにしろ「だから私はひとりでいいんだ」で戦士の力にめざめてしまうんですから、終わりと思ってもしょうがないでしょう。
 そんな苦い気持ちは、今回あらためて観ても変わらない。でも安座間さんの魅力はすばらしい。そういったことを、どんなふうにまとめようかと逡巡しているうちに、手の調子も良くなってきたし、間に休日を挟んだこともあって、なんだかだらだらと間延びた文章になってしまいました。とにかく、観るのが辛い回です。だったらこんなにレビューを書くなよ。


【今週の猫CG】【今週の待ちなさい】どっちもなし


(放送データ「Act.31」2004年5月8日初放送 脚本:小林靖子/監督:高丸雅隆/撮影:川口滋久)