実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


最新記事〕 〔過去記事〕 〔サイト説明〕 〔管理人

【第16回】休みがとれて今週は一日早い更新ですの巻(Act.10)


 前にも書いたが、うちの食事はだいたい私が作っている。でも結婚当初は、魚が苦手な妻に代わって魚介類を扱うだけだった。その後、子供の弁当が大ざっぱなので文句をつけたら、朝は忙しくてヒマがないと言うので、私が引き受けることになった。早起きついでに朝食も一緒に準備したら喜ばれた。そのうち、キャベツとかの千切りも私がやった方が細いし、つながっていないと誉められたので、調子に乗って夕食のつけ合わせを作りおきするようになった。次がハンバーグやミートソースだ。妻のはタマネギのみじん切りが粗くて炒める時間も足りないので、タマネギ嫌いの子供には不評だ。仕方ないこれも私だ。というふうに次第に守備範囲が広くなっていったある晩、帰宅したら妻がヤケドを負っていた。揚げていた冷凍コロッケが爆発したんだって。その場で揚げ物関係からの完全引退宣言だ。こうして私はほぼ全部門の担当となった。
 この日記、意外と女性が読んで下さっているみたいなので「いかにして働くダンナに料理作りをしつけるか」の実例を紹介してみようと思ったが、書いてみたらあまり実用性がないことに気づいた。よほどバカな亭主でないと、こうも簡単に妻のおもわく通りには動かないだろう。すみません。

1. 親の心、子知らず



 さて前回Act.9の冒頭、うさぎはだいぶ遅く起きてきて、テーブルにつくなり「ママ、目玉焼き二つね」なんて言っていた。もう後かたづけに入っている育子ママは「モーニングサービスは終了で〜す」とイヤミを言うが「いいじゃん、土曜日だよ」と返すうさぎにはまるで通じていない。このママの気持ち、私も家庭の食卓をあずかる者としてよく分かる。私はおまえの家政婦ではないのだ、まったく。甘やかして育てすぎたか。
 と思っていたら、これは今回Act.10冒頭の伏線だった。主題歌が終わると、いきなり朝の食卓でうさぎとママが大ゲンカだ。理由はオムレツにチーズを入れるとか入れないとかいう実にくだらないことだが、前回を見ていれば、それがケンカに発展するのもうなずける。たぶんうさぎがまた寝坊してきたくせに「チーズ入りのオムレツにして」とか勝手なことを言うので、カチンときた育子ママはただのプレーンオムレツを作り、うさぎの文句に取り合わなかったのだろう「うさぎのわがままには、もうママ、うんざり」「私だってママなんかうんざり」「あ、そう。じゃこれからはうさぎに何にもしてあげなくていいのね。助かるわあ」

 「もうっ!」とダイニングキッチンを飛び出すうさぎを見送りながら、進悟が「これは家出パターンだな」と冷静につぶやく。そして進悟の言うとおり、部屋でプンプンしながらあれやこれやを無造作にかばんにつめこみ、うさぎは家を出る。
 いきおいで飛び出したものの、さてどうするか。まずクラウンに行ったけど、そこには地場衛がいて、遊園地のときのドキドキを思いだし、気後れして入れない。なるちゃんは不在。亜美の家は久しぶりにママが帰って来て寝ている。まことは家の模様替え中。あと行く場所は火川神社しかない「でもレイちゃん、きびしいからなぁ。家出って言ったら、怒られそう」
 レイは大きなバッグを抱えてやって来たうさぎを見るなり、すぐに家出と察しがつくが、すぐには助け船を出さない。プライバシーに踏み込むのはよけいなお節介、本人のためにもならない、というのが彼女の主張だったからね。

 でも、Act.8で父親の秘書に捕まったところを救ってくれたまこと、Act.9で自分の代わりに巫女を引き受けてくれた亜美、そんな仲間たちの思いやりに触れて、レイも少しずつ変わってきている。正面きって言うのも照れくさいから、うさぎに背を向けたまま、ややぎこちなく「……行くとこないなら、神社の仕事、手伝う?」「いいの!」
 こうしてレイのところに転がり込んだうさぎは、近く行われる神社の子供会で使う『かぐや姫』の紙芝居づくりを手伝いながら、レイにママのグチを言いまくる。そこへショボーンとやって来た小さな女の子がエリカちゃん。かぐや姫の話が大好きで、紙芝居作りを手伝っていたのだが、色塗りに失敗してしまったらしい。レイは色を塗り直して、エリカちゃんの失敗を優しくフォローしてあげる。母親がいないということもあって、同じ境遇のレイはこの子を妹みたいに可愛がっているのだ。そんな二人を見つめるうさぎ。

 そうか、レイちゃんもエリカちゃんも、ママとケンカすることもできないんだ。それなのに私ってば、さっきからママのことばっかり言って、バカバカバカ。うさぎは自分がいかに恵まれた家庭環境に甘えていたかを知る。そしてレイのきびしさが、実は誰よりも自分自身に甘えを許さないきびしさであったことにようやく気づく。「レイちゃんって、なんか尊敬」
 夜、うさぎは家へ帰る。「ママ、ただいま」と抱きつくうさぎに「はい、お帰り」とニッコリ答える、晩ご飯を支度中のママ。「何だ、一晩も持たないや」と相変わらず冷静な進悟。

2. ふたつの物語


 というふうにこのAct.10はまず「ささいなことでママとケンカして家を飛び出したけれど、レイちゃんやエリカちゃんにママの大切さを教えられ、やっぱりママが大好き、と帰って来るまでの、うさぎの一日」というホームドラマとしての一面をもっている。話はうさぎの家から始まってうさぎの家で終わり、その間のうさぎの行動に沿って物語は進む。その限りでは主役はまぎれもなくうさぎで、レイはあくまでうさぎの心の変化のきっかけをつくるサブキャラクターに過ぎない。

 ところがこれはただのホームドラマではなくセーラームーンだ。そしてセーラームーンとしての今回の主題は、四人の戦士たちが、自分たちはどこからやって来たかを知る、というところにある。『かぐや姫』はそのテーマを暗示するための小道具である。そしてこっちのお話の主役はレイである。
 そのためAct.10には「朝の食卓でのママとのケンカ」に始まり「夜の食卓でのママとの仲直り」に終わる「うさぎの物語」としての枠組みとは別に、『かぐや姫』に始まり『かぐや姫』に終わる「レイの物語」としての枠組みが用意されている。オープニングとエンディングがもうひとつある、というのが今回の趣向だ。
 アヴァン・タイトル。夜、ひとりで『かぐや姫』の紙芝居を準備をしているレイ。昔、病床のママがよく読んでくれた、そしてそのママがいなくなってからは、ひとりで何度も読んだ『かぐや姫』の物語。ひとりぼっちの少女時代、ママはきっと月に行ったんだと信じていた。そしていまもその気持ちはなぜか消えない。ふと窓を開けて夜空を見あげ、ママを想ってほほえむレイ。満月がおおきく映り、そのまま主題歌へとつながる。

 そしてラスト。ルナから、プリンセスとは実は月の王国のプリンセスであり、自分たちもそのプリンセスを守る月の戦士であることを知らされた四人。「月の王国か。夢みたいな話だな」というまことに、レイはどこか一点を見つめながら、きっぱり「現実よ」と答える。その表情は、自分が小さいころから、なぜこれほど『かぐや姫』のお話に惹かれていたのか、その謎が解けたことへの静かな興奮に満ちている。夜空に月を見上げるたび、いつも郷愁をさそわれ、死んだママがそこにいる、と思えたのは、ただの絵空事ではなかった。そんなレイの表情のアップに、再び夜空の月が重なる。これが「レイの物語」としての、今回のもうひとつの冒頭と結末だ。そんなふうに枠組みが二重になっている。

 そしてそこに、さらにもうひとつ、ゾイサイトが『プリンセスへのレクイエム』という曲によって創り出した妖魔と、戦士たちの闘いの話が絡む。まあこっちの方は、よく言われているように、かなりムリヤリな話ではある。プリンセスだけを苦しめる妖魔の不思議な歌声に、来日中のどこかの国のプリンセスが倒れるのはまだしも、絵本のなかのプリンセスやプリンセス人形(これはバンダイのライバル、タカラのアレか?)まで燃え上がり、なぜかエリカちゃんも倒れてしまう、その理由が「エリカは自分とかぐや姫を重ねていたから」だという説明の強引さは、シリーズ中でもトップクラスだろう。しかしそうすることで、「うさぎの物語」と「レイの物語」が並行するプロットに、さらに「子どもたちを助けるために闘う戦士」という特撮ヒーロー物のオーソドックスなストーリーパターンをしっかり組み込むことができたのである。だからあれこれ言うよりも、これだけの要素をうまく組み合わせ、ひとつの話にまとめあげた脚本家の力量を、ここでは買っておきたい。

3. 鈴村監督はレイに夢中(推定)


 ただ、改めて作品全体を見終わった後の感想を言えば、はじめは本筋だったはずのうさぎの物語が、後半へ行くほど印象が弱くなって、結局レイの話になってしまっている。そしてその理由は、たぶん監督にある。
 だいたい鈴村監督は、前回もコメディ調の展開のなかで、唯一レイと亜美の関係だけをけっこう真面目に描いていた。そして今回もレイの描写にやたらと力が入っている。要するにレイのヒイキなのだ。
 そのことがよく分かる対照的な二つのシーンがある。まずひとつは火川神社で『かぐや姫』の紙芝居を作るレイと、それを手伝っているうさぎのシーン。うさぎがさんざんママの悪口を言った後、レイがアヴァン・タイトルで月を見上げてほほえんでいたことの理由が説明される場面に移る。


うさぎ「あれ、レイちゃん、最後のシーン無くない?かぐや姫が月に帰るところ」


  


レ イ「ああ、描きたいっていう子がいるから、そこだけまかせてあるの」
うさぎ「あ、さっきの子?『かぐや姫』好きなんだ」


  


レ イ「かぐや姫になりたいのよ。月に、亡くなったお母さんがいるって思っているから」
うさぎ「えっ」


  


   黙ってどこか一点を見つめるレイ
   少女時代の回想 誰もいなくなった病室にたたずむ少女時代のレイ
   片づけられたベッドにぽつんと置かれた『かぐや姫』の絵本


  


モノローグ「ママは死んだんじゃなくて、月に帰ったの」
   ほほえむ少女レイ
   現在に戻る。宙を見つめるレイの横顔アップ

  


レ イ「夢みたいな、ものだけど」
   追想から醒めやらない、夢見るような表情のレイ


 うさぎは今回、今まで気づかなかったレイの内面の孤独、強さ、そして優しさに触れて、ただきびしいだけとしか思っていなかった彼女を、仲間のひとりとして思いやり、尊敬する気持ちをもつようになって、ほんの少し成長する。そういう心境の変化を描くには、この、少女時代の回想に浸っている横顔のレイを「いままで知っていたレイちゃんと、なんか雰囲気ちがうな」と見守るうさぎの顔があった方がいい。というか構図的にはうさぎとレイは並んで座っていて、それをレイの手前から撮っているショットなのだから、レイの横顔の向こうにはうさぎがいるはずで、むしろ画面に映り込まなければおかしいのだ。でもうさぎの顔はあるべき場所にない。どけちゃったのだ。

 これと好対照を成すのが、最後にうさぎが泣くシーン。自分が月の戦士であるとルナから告げられた四人の戦士は、それぞれに動揺を隠せないが、ただ亜美・レイ・まことの三人は、自分たちがこれまでどこか現実世界に馴染めず、周囲から孤立して生きてきたのはそのせいだったのか、と何かしら納得している部分もある。特にレイは、さっきも述べたように、幼いころから『かぐや姫』に心惹かれていた理由が分かって、ひそかに感動している。一方うさぎは、家族にしても友人関係にしても、いまの環境に何一つ疑問も不満も感じないで育って来た幸せな子だ。だからいきなり、自分はもともと地球の人間ではない、という事実をつきつけられて、ショックでぽろぽろ泣き出す。「あのさ、私たちもルナみたいに月から来たのかなあ。ママの本当の子供じゃなかったりする?」
 そこでルナが「うさぎちゃんはママの子よ」とフォローを入れて、仲間のみんなもうさぎを気づかい、今回のうさぎの物語は、ひとまず結末へ向かう、という運びになる。はずなのだが、泣いているうさぎの横顔の向こうに、もう思いっきり瞳をうるませてそれを見守るレイが映って、場面をさらっていってしまう。でもどう考えても、ここでレイだけが貰い泣きをするというのはおかしい。それにさっきの火川神社のシーンでレイの横顔を同じ構図で撮ったときは、隣でそれを見つめているはずのうさぎを、邪魔な背景だと言わんばかりに除けていたではないか。それなのに今度は、泣き出すうさぎの横顔を隣で見守るレイがしっかり映っている。そればかりか、カメラのピントは手前で泣いているうさぎからウルウルしているレイの方に移動してしまうのである。もう鈴村監督、レイのウルウルに夢中。まあ確かに何度観ても、この北川景子の「泣き芸」は圧巻なのだが。

4. NGワードをさがせ!


 というふうに、どうも鈴村監督は沢井美優よりも北川景子にご執心なのである。まあこれは、女優と監督の相性の問題というのもあるだろう。要するにですね、鈴村監督が担当する回は「口もとのアップ」「横顔のアップ」のショットがけっこう多い。そしてこれはふたつとも沢井美優にとって不利な材料である。

 ただ口のアップについては言わないでおく。前回と今回までのところで、彼女の口の大写しに(さほど大きな)問題点があったようには思えないし、つい先日あるブログのコメント欄で(笑)「歯茎」というのが沢井美優主義者にとって刺激の強い禁句であることを知ったからである。
 で横顔だ。前回のラストも、去って行くタキシード仮面の横顔にセーラームーンの横顔が重なる、というものだった。今回も、アヴァン・タイトルで少女時代のレイが現在のレイに重なるアップは横顔だし、うさぎとママのケンカも、向き合う二人を横顔の分割画面で映して、にらみ合いの雰囲気を出している。そしてさっき触れた、火川神社のレイの回想シーン、ラストでぽろぽろ泣くうさぎ、とにかく印象的な場面にかなり真横からのショットが用いられている。で何が言いたいかというと、あのー、いま気づいたんですが、沢井美優を語るにあたって、横顔の特徴的なライン、特に「鼻筋」に触れるというのは、これもNGなんでしょうか?
 ……やっぱりこの問題についてもこれ以上は触れないでおく。いやすみません。
 そしてもうひとつ、今回のエピソードでうさぎ=セーラームーンの印象を弱めてしまっている大きな要因がある。最後にそのことについてちょっと触れておきたい。

5. リーダーがいないから


 今回、妖魔との戦闘シーンでは、ゾイサイトの創った音楽妖魔に、マーズもマーキュリーもジュピターあっという間に倒され、セーラームーンがひとりで頑張る。そして強力なヒーリングの力を発揮して、妖魔を粉砕するわけだが、三人はなぜ今回ろくに闘いもせずあっさり倒されてしまうのか。その理由は原作を読めば分かる。
 前回の日記にはくわしく書かなかったが、実はAct.9とこのAct.10の元になった原作漫画の連載第6回目は、その前の第5回のラストでまことがジュピターに変身した話の続きである。そこでルナがまず宣言する。セーラー戦士はそろった、ついに真実を知らせるべき時がきた。これまでプリンセスとだけ言っていた、あなたたちが探し出さなければならないその人は、実は月のプリンセスなのである。そしてあなたたちもまた月の王国からやって来た戦士で、セーラームーンはそのリーダーなのだ、と。呆然とするうさぎ。



 つまり原作は、戦士のリーダーとして指名されたものの「あたし、あみちゃんやレイちゃんやまこちゃんみたいに霧や火やあらしをおこせるわけでもない。あたしにはなんの力もない」と悩む甘えん坊のうさぎが、バタバタ倒れていく仲間の戦士に「しっかり、あなたがリーダーなのだから、みんなを救って」と希望を託され、「きみならできる」とタキシード仮面にはげまされ、ついに底力を発揮し、リーダーとしての資質を証明する、という流れになっている。

 ところが、改めて言うまでもなく、実写版の世界は、基本的には美少女たちの青春群像ドラマみたいなもので、原作やアニメと違って、誰がリーダーとかいうことは特にない。まあリーダーだサブだと衝突する人はいるが。とにかくそういう設定であるから「あなたがリーダーだ」とうさぎを追い込むことができない。そして前回述べたように、タキシード仮面も不在だ。だから最後のヒーリングが原作ほど盛り上がらない。
 そしてルナが真実を告げる場面は、実写版ではこの後に移動されている。だからせっかくひとりで戦って、戦士の強さの片鱗を見せたうさぎは、このルナの話にショックを受けて、またもとの頼りないうさぎちゃんに戻って、ぽろぽろ泣いてしまうのだ。こうして実写版は「少しは成長したけれど、まだまだ子供のうさぎちゃん」という、原作とはまったく違った着地点にいたる。

6. エピローグ/さて次回は?


 私はなんだかんだ言っても、やはり実写版の主役はうさぎだと思っている。だから沢井美優についてもっと色々書きたい。そしてAct.1からここまでだって、うさぎ=沢井美優の魅力は確かにあちこちにばらまかれている。でもこうしてひとつつづ順々に各回をレビューしてくと、なぜかうさぎを中心にしては語りづらい。エピソード単位では、そういう構成になっているのだ。まあ後半になればそうでもなくなるか。しかしそれにしても不思議なシリーズだなあと思う。タイトルは『美少女戦士セーラームーン』なのに。

 そういうわけで、またしてもイマイチまとまりありませんが、これくらいにしておきます。次回はいよいよ美奈子の本格的登場だ。あ、それにちなんでもうひとつだけ。
 『ラスト・サムライ』も『さゆり』もまだ観ていないので最近のことは分からないのだけれど、昔の外国映画では「日本人はよくお辞儀をする」というイメージから、不自然な着付けでキモノを着た日系人の俳優が、どこかヘンなお辞儀をするシーンが結構ある。今回のラスト、海外レコーディングを終えて空港に降り立った美奈子が、詰めかける取材陣(妙に数が少ない)に対して見せるヘンなお辞儀がまさにそれなのだ。つまり美奈子はレコーディングだけでなく、ロンドンで「外国映画のなかの日本人の演じ方」も学んできたのだろう。さっそくそれを実践しているのだ。見上げた女優魂だ。これは『Special Act』で語られる海外での成功への伏線でもある。なおこの件に関しての質問・反論は受け付けません。以上。


(放送データ「Act.10」2003年12月6日初放送 脚本:小林靖子/監督:鈴村展弘/撮影:上赤寿一)