実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第15回】謎が謎を呼ぶAct.4とAct.9の意外な共通点の巻(Act.9)



前回の日記のコメント欄にあるとおり、M14氏の情報提供によって、先週私が見逃したAct.8最後の予告編は、市販ビデオと同じロングバージョンであることが判明した。もちろんビデオにはないエンドタイトル付きだ。私が人事不省の状態でダイニング・テーブルに伏せていた間、たまたまお仕事の都合で名古屋に泊まっていたM14氏がしっかり放送をご覧になっていたというわけで、こういうのを天の配剤というのだろう。
 また『周回遅れの記録』cap5lp氏からは、今回の再放送バージョンが東映チャンネルで再放送されたものと同じであることを教えていただいた。ただし東映チャンネル版は、最後に出るCBCのURL表示にボカシがかかっていたそうなので、ボカシなしのヘア解禁版、ではなかった完全無修正版としては、この地上波再放送が初のオンエアとなる。cap5lp氏は最近「セーラー戦士をやっているとそのうち自然に手からビームが出るようになる」という法則を発見された。「継続は力なり」ということだ。私もがんばります(何を?)。
 というところから予想できたように、今回のAct.9も、初回放送時は「予告編ショートバージョン+プレゼント告知」だったのが、この再放送では「予告編ロングバージョン」になってた。初回放送では、今回のプレゼントは2004年カレンダー。前回のCDプレゼントの時は、4人の戦士が順番にしゃべっていたが、今回はうさぎ一人のアナウンスである。




(応募方法のテロップが映り、4人がそれぞれカレンダーの、自分がメインのページを開いて見せるなかを、うさぎのナレーション)「みんな!セーラームーンの2004年カレンダーができたの。これを抽選で100名様にプレゼント。はがきに、必要事項と番組の感想を書いて応募してね。次回も見ないと、お仕置きよ!」


最後は、クラウンのカラオケステージで、中央にはレイが足を組んですわり、その後ろに向かって右からまこと・うさぎ・亜美が立って「お仕置きよ」のポーズ。中央にレイという配置がちょっと面白い。足を組んですわっているのがかっこいい。もちろん全員変身前の制服姿だ。2004年カレンダーか。♪時はなぜ一秒さえも、立ち止まらないのだろう♪


1. かなり個性的な鈴村演出



 ま、それはともかくAct.9だ。鈴村展弘監督の初登場である。鈴村演出、ひとことで言えばマンガチック。クラウンのカラオケステージで、マイクに向かって「私、タキシード仮面が、好きです」と告白するうさぎ。でもカメラが引くとそこには誰もいなくて「し〜ん」という文字が流れる。ニセタキシード仮面のニュースを聞いたうさぎがその姿を想像するときには、うさぎの頭の上にマンガの吹き出しのようなものがあらわれて、そこに様々なニセタキシード仮面のイメージが浮かんで、最後にぱちんとはじける。巫女に扮した亜美はしきりにメガネをあげるコミカルな小芝居をする、といった具合。
 それから、複数の戦士が変身するとき、変身バンクを分割画面で同時に流す(ジュピターとマーキュリー)というのも、今回が初めてであることに気づいた。
 ただこういったエフェクト多用の演出についてどう評価すべきか、いまは正直なところもうひとつ分からない。なぜかというと、このAct.9は、そういう細かいところをあれこれ言う以前に、エピソードの構成の仕方そのものに謎があって、どうしてもそちらが気になってしまうである。そしてその謎は、原作と比較することによって半分は解明できるのだが、それがまた残り半分の新たな謎を呼ぶのだ。なんて、もったいぶったことを言ってないで、さっさと原作と比較してみましょう。

2. 今回のものがたりは



 夜ごと繰り返される「幻の銀水晶を、お願い」という夢の謎を解明するため、これはと思う宝石を次々に盗む地場衛=タキシード仮面、だがそれらしきものは一向に見つからず、次第に手詰まりになる。そこで彼はマスコミに声明文を送りつけ、自分の目的が銀水晶であり、それはこの日本のどこかに眠っているはずの、時価数十億円とも言われる幻の秘宝であると知らせる。
 衛の狙いどおり、新聞やテレビは一斉にこの話題をとりあげ、世間は「幻の銀水晶を探せ」ブームで沸く。騒ぎのなかから、どこかから有力な手がかりがあらわれるのを待つ衛。だがそれより先に、ダーク・キングダムがこの騒動に目を付けた。だいたいこのあたりまでが原作どおり。しかしそのダーク・キングダムの手口から、実写版は原作と違う流れをたどりはじめる。

原作では、テレビのワイドショーに「幻の銀水晶の研究で有名な異園(イゾノ)教授」が登場し、銀水晶の魅力について語る。「意外なところにあるかも知れません。みなさんの力をかしてください」ところが実はこれがゾイサイトで、催眠術でテレビを見ている人をすべて洗脳してしまう。
 人々はゾイの術にかかり、誰もが我を忘れて幻の銀水晶を探し求め、電話でテレビ局に結果を知らせる。「博物館にもない」「遺跡を発掘しても駄目」「皇居の中にもない」(最後のこれ、けっこうドキッとする。怖いもの知らずだな武内先生は)そうやってゾイは銀水晶のありかについての情報収集をするのである。

3. 実写版のおはなし


 とにかく武内直子は洗脳とか催眠術のネタをよく使う。実写版でも、すでにAct.2(亜美が通うアルトゼミナールの塾生を洗脳)やAct.6(ストリートバスケの人気者を利用してファンを洗脳)がそういう話である。今回もそれでは、いくらなんでもワンパターンだ。たぶんそう考えたのだろう、実写版では「銀水晶に詳しい鑑定士の青井先生」がワイドショーに登場するが、この人はネフライトに催眠操作されているだけであり、テレビを通じて人々を洗脳したりはしない。もし何か見つかったら、ぜひお知らせを、と視聴者に訴えるだけの、わりと地味な活動だ。その番組を見ているうさぎのママなんかは、ハイテンションになって連絡先のメモをとり、家中の宝石をひっくり返しているが、術にかかったわけではない。
 実写版では、続けてタキシード仮面のニュースも報道される。この混乱に乗じて、タキシード仮面の格好をして、彼に罪をなすりつけて宝石泥棒をはたらく連中が出てきたらしく、何人ものタキシード仮面が目撃されているという。この設定も原作にはない。

 ネフライトに操られる宝石鑑定士の青井先生、そしてニセタキシード仮面、この二人と戦士たちとを絡めて物語を進行するために、実写版はさらに、成田物産社長の成田という、やはり原作には出てこないキャラクターを出す。成田は自分の所有している宝石が幻の銀水晶に違いないと確信していて、さっそく青井先生に鑑定を依頼する。その一方で、タキシード仮面から狙われることも恐れていて、どこで聞きつけたか火川神社を訪れ、「火野先生の霊感」で宝石が盗まれないよう守って欲しい、とレイに依頼する。
 成田物産は国内有数の一流企業であり、かれが銀水晶だと主張する宝石も高価なものらしく、本物の可能性もある。だから戦士の使命を考えれば、ぜひ依頼をうけて実物を確認しておくべきだ。しかしレイは、この件にかかわることに、もの凄く心理的な抵抗を感じている。
 成田は年齢的にはレイの父親ほどの年齢の、押し出しのいい社会的な地位のある名士である。そしていまはその能力が必要だから「火野先生」と持ち上げてはいるが、結局はレイを「普通じゃない変な力をもった霊感少女」としか見ていないことは明らかだ。要するに色んな意味でパパを連想させて、彼女の心の傷を刺激するのである。だからかかわりになりたくない。でも戦士の使命として行かなくちゃいけないという責任感もある。ひとり葛藤するレイ。

 そんな様子を見抜くのはやっぱり亜美である。「じゃあ私が」「亜美ちゃんが?」「形だけでいいんだし、レイちゃんの弟子ってことなら、ちょっとやってみたいかな」というわけで亜美がレイの代わりに、弟子の巫女として乗り込むことになる。
 この亜美の思いやりが、あからさまな同情だったらプライドの高いレイは拒絶するだろう。でもAct.3で巫女に変身したときの亜美の嬉しそうな顔からして「やってみたい」は半分本音だ。この人は変身願望があるからね。だからごく自然にレイを助けてあげることができたし、レイも最後に、少々ぎこちないが、素直な気持ちで「ありがとう」と言えたのである。いい話ですね。
 というふうに、ここのところは実写版の長所が出ていてるのだが、それから先の物語はどんどんトーンダウンする。
 巫女として成田邸に潜入した亜美をバックアップすべく、庭師に変身して成田邸の庭の樹を刈っていたうさぎは、忍び込んだタキシード姿の人影を見つける。あたりには護衛の警官隊。このままじゃタキシード仮面が警察に捕まっちゃう。うさぎはとっさに、自分がタキシード仮面に変身して警官たちの注意を惹きつけ、その隙をついてタキシード仮面を逃がしてやる。

 「良かった、もう大丈夫」と思って見たら、助けたのは似ても似つかぬニセ者。なんとそれはアルテミスだった。というのはもちろん嘘である。吾郎ちゃんだ。半年ちょっと前までやってた『仮面ライダー龍騎』で吾郎ちゃん役を演じていた弓削智久が、タキシード仮面のニセ者としてゲスト出演している。
 『仮面ライダー龍騎』で、不治の病に冒されながらも闘う仮面ライダーゾルダ=北岡弁護士と、その事実を知りつつ彼に影のように付き添う秘書、吾郎ちゃんの悲劇を描いたのは、もっぱら小林靖子だった。この二人と、実写版セーラームーンの美奈子=ビーナスとアルテミスを比較しているヒマは、いまはない。もう誰かやっているかも知れないしな。
 ともかくその弓削智久、今回はちょっとキモい。「あんた、女か」とうさぎに迫る。思わず悲鳴をあげたうさぎは、結局、それを聞きつけた警官隊に再び追われるはめになる。袋小路に追いつめられて、どうしよう。そこへどこからともなく「セーラームーン、変身しろ」と本物のタキシード仮面の声。そうか、とメイクアップ。

 しかし変身したセーラームーンがそれからどうしてどうなったかは描かれない。ここから先、鑑定士を影で操っていたネフライトを見つけ出して闘い、成田社長の宝石も幻の銀水晶ではなかったことを突き止める、というメインストーリーを担当するのは、成田邸に残った亜美=マーキュリーとまこと=ジュピターとである。
 一方、主役の二人は話の本筋から放り出されたままで、最後の最後にようやく登場する。幻の銀水晶騒動をめぐる事件の展開には一切かかわらず、ただ警官隊から逃げ続けていただけのようなのである。そしてセーラームーンはタキシード仮面に問いかける「どうして幻の銀水晶のことを教えちゃったの」「オレには、お前たちみたいな力がないから。だが、どうしても幻の銀水晶を手に入れたかった」おわり。

4. マンガ版のおはなし


 この意味不明な後半部分は何なのか。実は実写版は、原作漫画のクライマックスシーンをまるごと抜いてしまったのである。そして代わりのエピソードを付け加えるでもなく、最後に原作のセリフだけを律儀に引用しているのだ。
 さっきも述べたように、原作では四天王(ゾイサイト)自身が銀水晶研究家のイゾノ教授に扮して、テレビ電波で人々を洗脳して銀水晶の情報を集める。でも結局どこからも有力な情報は得られない。そこでゾイは「もう用は済んだ」と、今度はテレビの画面を通じて、操っていた人々のエナジーを吸収する。さっきまで銀水晶探しにやっきになっていた人々が、街じゅうでばたばたと倒れてゆく。テレビを見ていたうさぎも、しまった、と思ったときにはかなりのダメージで頭がもうろうとしていた。
 東京中の人が倒れている、何とかしなくちゃ、と外に飛び出したうさぎだが、もう力はなく、倒れ込む。そんなうさぎを抱きとめる人がいた。タキシード仮面だ。


  


タキシード仮面「わたしの軽はずみな行動から、こんなことになってしまった」
セーラームーン「タキシード仮面、やっぱりこの事態は、あなたが。あなたは一体」
タキシード仮面「ちがうんだ。こんなつもりではなかった。わたしはどうしても幻の銀水晶がほしい。だがわたしには何の情報もなくて、きみのような力もない。変身するんだ、セーラームーンに!
セーラームーン(知っているの、あたしがセーラームーンだって。あなたは一体、何者なの?)
タキシード仮面「わたしには、この事態をどうすることもできない。きみだけだ、みんなをすくえるのは」


 ちなみに衛がうさぎの正体を知るのは、原作では第3話マーズ誕生篇、レイを救うために変身するうさぎを偶然目撃したときです。
 さて原作の続き。タキシード仮面の言うとおり変身したものの、ゾイの術にダメージを受けたセーラームーンはすでにカラータイマー点滅状態だ。(どうしよう。みんな、生きてるの?街じゅうの人がたおれて、救うっていったって、どうやって!?)けれどもタキシード仮面が励ます「しっかりしろセーラームーン。きみならできる!」その言葉に勇気づけられて、ムーン・スティックに全身全霊をこめるセーラームーン。スティックから光とパワーがあふれ出て、街じゅうで倒れていた人々が救われる。



 そうなんですよ。これは実写版では次回Act.10の最後、ゾイサイトの音楽攻撃「プリンセスへのレクイエム」で倒れたプリンセス関係の人々を癒す場面だ。セーラームーンが絶大なヒーリングの能力を発揮するクライマックスを次回にもっていって、その場面で交わされるセーラームーンとタキシード仮面の会話だけを、そのままAct.9に残しているのである。
 原作のタキシード仮面は、自分が銀水晶の存在を世間に知らせたせいで起こった騒動を、もはや自分ひとりの力ではどうにもできないことを思い知る「オレには、力がない」。だからうさぎに助けを求める。「セーラームーン、変身しろ」一方セーラームーンも、倒れた人々を前に、自分の無力を知る「あたし、あみちゃんやレイちゃんやまこちゃんみたいに霧や火やあらしをおこせるわけでもない。あたしにはなんの力もない!」けれどもタキシード仮面という心のささえを得ることで、強力なヒーリングの力が湧き出て、人々を救ってあげることができた。無力なふたりの想いがひとつになることで、世界を救いも滅ぼしもする力を発揮する。月並みな言い方をすれば「愛の力」ってやつです。これが原作のテーマだ。
 実写版はこれをバラバラにしてしまった。タキシード仮面は警官に追われるうさぎを助けるために「セーラームーン、変身しろ」と言い、Act.10でセーラームーンがヒーリングの力で人々を救う場面には、タキシード仮面はいない。

5. 「前世の恋」は禁句!?


 なぜこのように実写版は、原作漫画のいちばん大切なポイントを捨ててしまったのか。それはよく分からない。分からないのだが、それなりに思い当たるふしは、ないではない。
 今回の原作のラストで、セーラームーンは、人々を救ったものの自分のパワーを使いきってその場にくずおれる。それを抱き上げるタキシード仮面。うさぎは、タキシード仮面の腕の中でまどろみながら、前世の記憶を刺激されて、幸せな気分になる(あたし、この手を、知ってるわ、ずっとむかしから)。二人の心がひとつになって、月の王国で幸せだった時代の記憶が目ざめかけるのである。けれども実写版は、ここまでの物語をいっさい省略し、ニセタキシード仮面の大量発生をめぐるドタバタ劇でお茶を濁しているから、そんな前世の恋の記憶が登場する余地もない。
 そこで想い出されるのがAct.4だ。この日記の第7回に書いたように、原作漫画第4話のクライマックスは、仮面舞踏会での、タキシード仮面とプリンセス姿のうさぎとの優雅な踊りである。そこで二人は、踊りながら無意識のうちに前世の記憶を甦らせ、互いをうっとりと見つめあう。



ところが実写版Act.4では、仮面舞踏会ではなく仮装パーティーの会場で、うさぎがプリンセスのドレス姿どころか、クマのぬいぐるみを着てタキシード仮面に抱きつき、邪険にされる、という意味不明な話になっている。
 どちらもキーワードは「前世の恋」だと思う。遠い過去における月のプリンセスとエンディミオンの恋が、主人公二人の記憶にのぼろうとする、原作がそういうロマンティックな場面にさしかかると、とたんに実写版は「クマのぬいぐるみ」だの「にせタキシード仮面」だのというつまらないエピソードを持ち込んで、その場の雰囲気をぶちこわしにする。とにかく、小林靖子を初めとする実写版のスタッフ陣は、二人が前世の恋の記憶を甘く追想する、というモチーフに対して、悪意に近いネガティヴな感情を抱いているのだとしか思えない。
 ただそれ以上のことは今はまだ分からない。ともかくこれは実写版セーラームーン全体を読み解くためのキーワードのひとつだと思う。物語が後半に進めば進むほど、誰もが前世、前世といいながら、結局美奈子を除けば誰一人、前世の記憶を完全に回復しない、それが実写版の世界だ。そのようなことと、Act.4や今回Act.9で示される、前世の恋愛を拒否するかのような姿勢が、何か関連しているといえるのか、ともかく再放送を見直しながら、もう少し考えてみたいと思う。

6. なるちゃん一番のり


 ということで、ちょっと今回、私は考え込んでしまっていて、締めくくりらしい締めくくりができないのだが、ま、気分転換に、最後に河辺千恵子について触れておきたい。
 名作のほまれ高い前回のAct.8だが、河辺千恵子ファンとしては不満が残る。うさぎを軸にレイとまことの友情を描く、というメインプロットの犠牲になってしまった。だってなるちゃんなら、ミーハーな美奈子ファンのうさぎが、ナコナココンテストの準備もせずに勉強していることをおかしく思うはずだし、理由を聞いたら親友として協力を惜しまないはずだ。それなのにAct.8の彼女は、他の友達とナコナコの練習に余念がなくて、うさぎを気にもかけない。ひょっとして前ほど親友ではなくなってしまったのか?
 今回はそのへんに対するフォローが入る。さすがにタキシード仮面のことになると、亜美がまあまあ同情的なくらいで、レイもまこともルナも厳しい。そんなうさぎの話し相手になれるのは、やはりなるだ。うさぎは放課後の教室で、なるだけには「さっと来て、さっといなくなっちゃう人」への想いを打ち明ける。これがしっかり伏線となって、Act.15でなるは、クラウンでばったり会った地場衛にもじもじするうさぎの様子を見るなり、ははあこれがあの「さっと来て、さっといなくなっちゃう人」だな、と気づく。本人も気づいてはいないが、実写版の全キャラクター中、地場衛=タキシード仮面=うさぎの想い人という真実をいちばん先にヒットするのは、実はなるである。戦士でなくても、やっぱりうさぎには欠かせない親友なのです。


(放送データ「Act.9」2003年11月29日初放送 脚本:小林靖子/監督:鈴村展弘/撮影:上赤寿一)