実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第3回】浜千咲がそこにいた、の巻(Act.2)



 浜千咲が屋上でサンドイッチ食べてる!浜千咲が塾でどきどきしながら美奈子を聴いてる!浜千咲がハニワに襲われて落っこちた!「ホテルルートイングループ」に「金ちゃんヌードル」に「名鉄レジャック」だ!(CMです。今日はパチスロないぞ)そして浜千咲が変身した!浜千咲が笑ってる!浜千咲がテレビに帰ってきた!
 そりゃあ再放送ですよ分かってますよそんなことは。でもいいじゃないですか。神様、願わくばこの再放送で浜千咲の新たなファンが増えて、彼女が一日でも早く、本当に私達の前に戻ってくれるための力となってくださいますように。アーメン。いや神様なんていない。だけど何か信じたい。
 そんなこと思う午前3時、皆さんAct.2も無事に放送されました。いや別に危惧する理由なんかなかったですけどね、でもひょっとしてひょっとして、万が一「浜千咲」というクレジットが全部「梨華」もしくは「泉梨華」に変えられていたらどうしよう、ということは懸念していたんですね。まあその割にAct.1を観たときには、「始まったあ」とボーッとしちゃって、主題歌のとき、ちゃんと浜千咲の名前で映っていたかどうか確認するのを忘れちゃいましたけど。でも今回はしっかり見ました。心配ありません。浜千咲で間違いないです。

 

 さてこの実写版Act.2は漫画の第2話、それからアニメの第1シーズン(いわゆる「無印」)第8話「天才少女は妖魔なの?恐怖の洗脳塾」に対応していて、基本的なストーリーラインはどれも一緒。成績トップ、でもなんか取っつき悪そうな亜美が登場→亜美の不思議なエナジーを感知して、学校からの帰り路、彼女に接触するルナ→それをうさぎが見ていたことがきっかけで、うさぎと亜美は初めてことばを交わす→仲良くなりかけるが、亜美は「これから塾があるから」と去ってゆく→実はその塾には妖魔が潜入していて、生徒たちの若いエナジーを吸い取ろうともくろんでいた。妖魔に襲われる亜美→助けに入るセーラームーン、でもピンチ→メイクアップ!セーラーマーキュリー見参、という流れである。
 にもかかわらず実写版は、アニメ版とはかなり異なる水野亜美像を創り出した。そういう意味で「アニメのリメイクではなく、原作漫画に戻った上での再映像化」を謳い文句とする実写版の特徴がよく出ていますね。原作の初登場の場面で亜美が眼鏡をかけている要素を取り入れたりとか。
 今回、私が注目したポイントはまず、亜美が「塾にいかなくちゃ」と言ってうさぎと別れるシーン。漫画では、塾が毎日あると聞いてびっくりするうさぎに、亜美が「私は勉強くらいしか取り柄がないしね、ママみたいに医者になりたいの」と言って、その時、ちょっとうつむき加減で、ほっとため息をついているんですね。

アニメ版もほぼ同じ展開ですが、やや曖昧な笑顔で「勉強くらいしか取り柄がないもの」と言って去ってゆく亜美を見送りながら、うさぎは「なんか別世界の人って感じ」と呟く。えーと以上はアニメのビデオがいま手元にないので、深夜、寝静まった娘の部屋に忍び込んで、なかよしアニメブックス『美少女戦士セーラームーン』2巻で再確認してきました。私はいったい何をやっているのか。
 あれほど大人気となったアニメの水野亜美に、実は私はあまり感情移入できなかった。たぶん久川綾さんの声があまりにも優等生っぽかったためなんじゃないかと思う。漫画を読み直してみると、亜美はホワンとした笑顔だったり、ちょと寂しげだったりして、「私は勉強くらいしか取り柄がない」というセリフも彼女らしい謙遜、あるいはふと洩らした真情と取れるのだが、アニメを初めて見たときには、こんな場面でうさぎみたいな子に向かってそんなことを言うなんて、それ謙遜ではなくイヤミにしか聞こえないじゃないか、と思ってしまったのです。ルナのことを「空から降ってきた天使かと思っちゃった」とか、ちょっとブリッ子(死語)かな、なんて。でも万が一、アニメの亜美ちゃん信者が読んでいるとアレなのでこのくらいにしておこう。

 さてさっきの場面、実写版ではどうか。まあ説明は不要かとも思いますが、学校からの帰り道、ルナを拾ってもらったことがきっかけで亜美に話しかけるうさぎ。でも亜美はまだうち解けることができないまま「私、塾があるから」と別れる場面につながります。少し歩き始めたけれど、愛野美奈子の新曲がかかるCDショップの前で立ち止まる亜美。お互いにファンであることが分かって新譜のMDを貸してあげるうさぎ。ここで「(美奈子の曲は)暗記のとき聴くとはまるから」「暗記、やっぱやることが違うわ」という会話があって、うさぎが初めて「水野さん」のことを「亜美ちゃん」と呼ぶ、という流れです。「勉強くらいしか取り柄がない」というセリフは出てこない。
 別れた後、去ってゆく亜美を眺めながらうさぎが呟くセリフがアニメ版の「なんか別世界の人みたい」とまったく逆なのは、意図的か。「なんか、水野さんってぜんぜんみんなが言っているような子じゃないよ。面白いし。本当は普通の子なんじゃないかなあ」これを受けてルナの「普通じゃないわ、彼女、戦士だもの」というセリフが続く。

 ルナはそう言うけど、実写版の世界では「本当は普通の女の子」とうさぎに認められることが、共に闘う戦士となるための条件なんですね。Act.3ではレイのことを「やっぱり噂だけ。霊感強いのは本当らしいけど、そのせいで色々言われてて、でも普通の子だよ」そしてAct.6ではまことに向かって「男らしいばかり言ってごめんね。まこちゃん女の子だよ」そうか美奈子がなかなか戦列に加わらなかったのは、うさぎにとって普通の子じゃなかったせいなのか。
 話を亜美に戻して、もうひとつのポイントは、続く塾の場面。漫画ではゼミの講師みたいな人から「水野さん、期待しているわよ」と声をかけられる。「あなたみたいな優秀な人が、明日の世界を背負って立つのよ。みんな、あなたを目指しているわ。どんどん勉強してレベルを上げるのよ」そう言われたときの亜美の表情、これもちょっとアンニュイな感じです。それは過大な期待をかけられたプレッシャーとも、勉強やつれとも取れる。

以上、再び娘の部屋へ行ってなかよしコミック『美少女戦士セーラームーン』1巻を確認してきました。娘よこんな父親を許しておくれ。もう朝だ。これから仕事だというのに。
 しかし続ける。アニメはどうか。亜美が塾へ行くと塾の先生が「クリスタルディスクを使ってもっともっと勉強するのよ。期待しているわ」と声をかける。でも亜美は顔を曇らせて「悪いけどあのディスクを使うと頭が痛くなるのよね」と呟く。このディスクをパソコンに入れてヘッドフォンをつけて勉強すると、サブリミナル効果か何かで成績が凄くアップする。でもこれには、実はエナジーを吸い取るためのダークキングダムの洗脳プログラムが仕組まれていたのです。亜美ちゃんはそれを無意識に察知して、不快に感じていたわけですね。それで結局ヘッドセットを外して、ノートにペンで勉強を始める。そのため教室で彼女だけが洗脳にかからず、妖魔に襲われる、という展開になります。
 何が言いたいかというと、つまりアニメはここで、塾の先生に声をかけられたときの亜美の暗い表情の理由を「あのディスクを使うと頭が痛くなる」という独白で説明しちゃうんですね。冒頭では「成績が良いことを鼻にかけている」などと同級生に後ろ指を指され、毎日塾に通っていることをうさぎが驚いても「勉強しか取り柄がない」とネガティブに反応し、成績優秀なことを塾の講師に誉められても嬉しそうな顔ひとつ見せずうつむく、というふうに積み上げられてきた天才少女の孤独な内面描写が、この時点から後退してしまう。だからアニメの亜美ちゃんは、初めて妖魔を退治した翌日はもう元気いっぱい。「悪い奴らを倒すために,一緒に力を合わせて戦いましょうね」と先輩戦士のうさぎを圧倒してしまう。まあそれがアニメ版の楽しさでもありますが。それにしても、このアニメ第8話ラストで二人の会話が交わされ、孤独な天才少女水野さんが「亜美ちゃん」になる場所は学校の屋上。実写版では亜美の孤独を象徴する場です。なんだか意味深ですね。
 そして実写版。塾(アルトゼミナール)に入り、エスカレーターに乗ろうとする亜美を追いかけて、講師の野田先生(春木みさよ)が声をかける。

  
野 田「水野さん、この間の模試、また最高得点よ。このレベルだったら高校どころか、大学でも受験できるわよ」。
亜 美「でも、医学部志望ですから」
野 田「大丈夫よ。でも、どうしてそんなに医者になりたいの?」
亜 美「母の希望なんです。私も、母に喜んで欲しくて」
  
野 田「親孝行なのね」
亜 美「私、勉強くらいしか、取り柄ないですから」
  
  (うさぎに借りた美奈子のMDをそっとカバンから取り出す)


 そうか。原作ではうさぎに対して言っていた「母の希望で医者志望」「勉強くらいしか取り柄がない」を、こっちへもって来たか。対話の相手を、亜美の本当の気持ちを分かってくれそうなうさぎではなく、たんに優秀な生徒を自慢げに思っているだけ、という感じの塾の先生に変更したことによって、このセリフに込められた亜美の寂しい気持ち、いかにも優等生らしい返答しかできない自分への嫌悪感、そんな諸々の感情がひしひしと伝わる。しかも塾の入り口で「おい、あれが例の、いつも成績トップの子だぜ」みたいな感じで遠巻きにうわさ話する生徒たちのショットが挿入されるので、彼女の孤独は一層きわだつ。こんなふうに実写版は、さらに亜美を孤独の淵に追いつめて、そこから、同じクラスにうさぎという唯一の友達を得ても、今度はその友情を独占したいという嫉妬に苦しむ亜美の物語を紡ぎ出してゆくことだろう。
 私にとって実写版の世界はここから始まった。正直言ってAct.1を観た段階では「ふーん。実写版、こんな感じね」ぐらいだったのだ。いや私だけではない、このAct.2から始まりAct.28にいたる水野亜美=浜千咲の物語、それは放送当時どれほどのファンを魅了し、どれほど熱烈に語られたことか。あれは三年前のことだ。
 浜千咲、あなたはいったい今どうしているのだろう。少女の時は移ろいやすい。あなたが住むという京都のシダレザクラは今年も散ったことだろう。そしてあなたはもう「水野亜美」でも、たぶんあの「浜千咲」でもない。でも変わってしまっていてもかまわない。私はたぐいまれな才能を秘めたあなたの、別の新しい物語が見てみたい。