実写版『美少女戦士セーラームーン』ファンブログ


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【第699回】回想がつなぐマンダラ人間模様の巻


 このブログではちょっと触れる機会もなくてスルーしてしまいましたが、昨年11月30日に映画プロデューサーの黒澤満さんが亡くなりましたね。仲村トオルが弔辞を読んだ話がニュースになっていた。



 痛快青春映画の名作「ビー・バップ・ハイスクール」(1985年公開)で一躍スターとなった仲村が、あふれる涙を何度もぬぐった。約10分間の弔辞で、涙が途切れることはなかった。
 専大在学中の85年、同作の主演オーディションに挑戦。そこで黒澤さんと初めて出会った。仲村は約6000人の中から見事合格し、デビュー作で映画初主演。同年12月に公開され、翌86年の興行収入ランキングで2位(14億5000万円)を記録する大ヒットとなった。
 弔辞で故人との出会いを振り返った仲村は「黒澤さん、僕を選んでくれてありがとうございます」と声を震わせて感謝。「劇的に人生が良い方向に変わったのは……黒澤さんのおかげです」と人目をはばからず号泣した。

(SANSPO. COM 2018年12月8日)


 黒澤満はもと日活の人だったんだけど、1977年、岡田茂にヘッドハンティングされて東映に移り、監督:村川透、主演:松田優作『最も危険な遊戯』で東映セントラル(後のセントラル・アーツ)を旗揚げした。これがヒットして遊戯シリーズは三部作となり、さらに角川春樹が同趣向の『蘇る金狼』『野獣死すべし』を制作し、テレビでは『探偵物語』がオンエアされた。ぜんぶ黒澤満が企画・プロデュースに加わっている。「松田優作の育ての親」と言われる所以である。



 1980年代に入ると『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズ(1985年〜1988年、全5作)、1987年から開始したテレビドラマ『あぶない刑事』シリーズとその劇場版、1989年から1994年まで全4作がリリースされたVシネマ『狙撃 THE SHOOTIST』などを企画して仲村トオルを俳優として育て上げた。



 そういう意味で松田優作と仲村トオルは黒澤満門下の兄弟分みたいなものだ。実際、仲村トオルは松田優作をこよなく慕い、優作もまた仲間トオルを可愛がっていたという。小林信彦は1986年の記憶として、自分の小説『紳士同盟』が映画化されたとき、松田優作に会ったことをエッセイに書いている。『紳士同盟』は角川から独立してまもない頃の薬師丸ひろ子主演作品で、制作は黒澤満、監督がビー・バップの那須博之、仲村トオルが出演していて、あと脚本の丸山昇一とか音楽の梅林茂といった松田優作ゆかりの人物が係わっていた。



 一九八六年暮に、ぼくの原作による映画「紳士同盟」の試写が渋谷であり、終わったら近くのビアホールに集まるようにと言われた。
 ぼくがひとりでビアホールにいると、ぶしょうひげにレインコート姿の松田優作が入ってきて、一面識もないぼくに「こんにちは」と言った。
 彼は映画には出ていないのだが、作品をチェックにきたのだろう。
 「原作はああいうものですか?」
 と、ぶっきらぼうに訊く。
 「かなり、ちがいます」
 とぼく。一度、脚本家にあずけた以上、あれこれは言えない。
 「でしょうね」
 松田優作がつぶやいた時、新人時代の仲村トオルが入ってきた。
 「でけえな、おまえ。おまえの芝居、良かったよ」
 わざと見上げるポーズの優作に仲村トオルは直立していた。

(小林信彦「いろんな人たち」『にっちもさっちも』文芸春秋、二〇〇三年)

 


 松田優作の身長は公称185cmだけど、奥さんの松田美由紀によれば本当は183cmぐらいだとか。これに対して仲村トオルも公称185cm。



 まあどっちにしてもデカイ。それはよく分かる。きっと仲村トオルのほうが公称どおりでちょっとだけ優作よりでかいんだろうな。そういう事実を踏まえて揶揄したのだろう、きっと。



 それから3年後の1989年に黒澤満が企画した『華麗なる追跡 THE CHASER』で、松田優作は久々に村川透監督と組んだ。これはテレビのスペシャルドラマで、フローレンス・ジョイナーが女優として出ていた。ひょっとして知らない人がいるかな。ジョイナーは陸上選手で「女子100メートル10秒49」というすごい記録を作り、奇抜で派手なネイルとファッションで有名になったけど、ドーピング疑惑が囁かれ始めるとさっさと引退して、1998年、38歳という若さで亡くなった(これも薬物の副作用ではないかと噂された)。



 そのジョイナーが、成田―バンコク間で起こった旅客機爆破事件をきっかけに国際的陰謀に巻き込まれるスポーツ・ジャーナリスト役で出演していたのである。で彼女を助ける公安外事課の刑事が松田優作で、その若い同僚がデビューまもない香川照之だった。
 浅草キッドの玉袋筋太郎がパーソナリティを務める『たまむすび』というTBSのラジオ番組があって、ゲストの香川照之が当時の想い出を語っていた。その音声を書き起こして載せてくださっているブログを見つけたので引いておく。



香 川「フローレンス・ジョイナーという当時の陸上の女子のスプリンター。メダリストが女優として出るっていう売りのドラマで。優作さん、それが『ブラック・レイン』の後の、最初で最後になった一本なんですけども。それにまあ、本来僕の役は仲村トオルがやるはずだったんですよ」
玉 袋「おっ」
香 川「で、仲村トオルは当時、松田優作さんと同じ事務所。セントラルアーツという、『あぶ刑事』の流れをくむチームですよ」
玉 袋「あ、そうですね」
香 川「で、そのチームがですね、トオルを指名したんですけども。仲村トオルは僕と同い年なんですけど。全く、その前に僕たち映画でも一緒でしたし。仲良かったんですけど。トオルは降りたんですよね。トオルは優作さんの病気のことももちろん、誰も知らなかったし。まだまだ長く生きられると思った中で、『僕は優作さんともっと力ついてからやるから、俺は降りる』って言って降りたらしいんですよ」
(『miyearn ZZ Labo』「香川照之 松田優作との想い出を語る」2015年2月20日→ここ

 
 しかし、このドラマの撮影が終了して1ヵ月少し過ぎた1989年11月6日、松田優作は世を去った。だから仲村トオルは尊敬する優作との共演を果たすことができなかった。
 『紳士同盟』から10年あまり経った1998年、これも小林信彦の小説『悲しい色やねん』が映画化された。黒澤満の企画で主演は仲村トオル、監督は森田芳光だった。ヒロインの石田ゆり子にとっては映画デビュー作だったと思う。



 松田優作の評価を大きく高めた『家族ゲーム』(1983年)や『それから』(1985年)の森田芳光監督作品だけに、仲村トオルも心に期するところはあったのではなかろうか。森田芳光の確信犯的な演出(『紳士同盟』同様ほとんど原作を離れた、ヤクザものVシネのパロディのような筋立てと、明らかにおかしなイントネーションの大阪弁など)には辛辣だった批評家も、仲村トオルには好意的だったように記憶している。仲村トオルはその後『海猫』(2004年)で再び森田監督作品に登場、森田芳光としては『失楽園』以来の、濃厚な性愛シーンを伊東美咲を相手に演じて話題になる。



 森田監督は続いて『間宮兄弟』(2006年)『サウスバウンド』(2007年)を手がけ、2作連続でまだ新人の北川景子を起用する。次の『わたし出すわ』(2009年)は、森田芳光が久しぶりに自分でオリジナル脚本を書いた監督作であった。




 主演の小雪も仲村トオルも分かったような何だかよく分からないキャラクターを演じていたが、北川景子も記者役でワンポイント出演していて、これで仲村トオルも北川景子も、名実ともに「森田組」に入ったなという印象が強かった。でもその2年後に森田芳光は肝不全で還らぬ人となった。森田監督の映画で仲村トオルと北川さんが共演するチャンスはなくなってしまった。



 2007年、映画『ワルボロ』が公開される。1980年代のツッパリ少年を描いた青春映画で、公開当時はなんで今さらこんな話を? という声があったけど、私は、制作が黒澤満で、『ビー・バップ・ハイスクール』みたいで、松田翔太の第一回主演作品で、しかも松田翔太のヤクザの叔父さんを演じているのが仲村トオルで、と聞いただけで、もうこれは「正解」な映画だ、と思ってしまった。



 ちなみにヒロインは新垣結衣。新垣結衣はこの2007年の夏から秋にかけて、『恋するマドリ』『ワルボロ』『恋空』と立て続けに主演級の映画作品を公開して鮮烈な印象を残したんだが、うち『恋するマドリ』が松田龍平の相手役、『ワルボロ』が松田翔太の相手役だった。ちょっと前に『獣になれない私たち』の松田龍平と新垣結衣は画になる恋人同士だなあ、というようなことを書いたけど、考えてみたらもう10年以上前からそうだったんだ。



 2016年1月、森田芳光へのオマージュとして制作された映画『の・ようなもの のようなもの』のヒロインは北川景子。




 森田監督ゆかりの俳優が沢山ワンポイント出演しているという触れ込みで、仲村トオルも居酒屋の親父役で、『悲しい色やねん』を髣髴とせる怪しいイントネーションの大阪弁を操っている。でも、ここでもまだ北川景子との本格的な絡みはない。そして同じ2016年の7月から日本テレビで『家売るオンナ』の放送が始まる。



 『ワルボロ』から10年経った2018年の11月、映画プロデューサー黒澤満が世を去った。……という話は冒頭に書いたね。出棺の様子を伝えるネットニュースの写真では、仲村トオルと松田翔太が並んで棺を運んでいた。かつて松田優作に可愛がられていた仲村トオルが、いまでは松田翔太の叔父さんみたいに見える。そして2019年1月、『家売るオンナの逆襲』の放送が始まった。



 第2話、足立(千葉雄大)がフェンシング仲間の留守堂(松田翔太)を誘い「ちちんぷいぷい」で水割りを飲んでいると、いつもの屋代(仲村トオル)と布施(梶原善)がやってくる。



足 立「あの、課長、布施さん」
二 人「ん?」



足 立「こちらフリーランスの不動産屋さんで、留守堂さんです」



屋 代「えっ留守堂?」
布 施「どこかで聞いたことあんな」



留守堂「留守堂です。よろしくお願いいたします」
足 立「この前にくまるさんの件で」
布 施「あぁ、あのユーチューバーの肉まんの」
足 立「にくまるです」



足 立「留守堂さん、課長の屋代と元課長の布施です」



留守堂「屋代さんは三軒家さんのご主人ですよね?」



屋 代「えっ?」



足 立「何で知ってるんですか?」
留守堂「不動産業界で知らない人はいないですよ」



留守堂「いいですねぇ、すてきな奥様で」
屋 代「おかげさまで」



 という、冒頭のこの場面を観ていて脳裏を駆けめぐったさまざまな記憶を、少し整理して文章にしてみたら、けっこうな時間と分量を費やしてしまった。なので今回の記事はこの程度にしておく(笑)。いやぁぜんぜん話の内容に入れなかったな。
 ま、若い人に言っておきたいが、歳をとるってこういうことだ。なんでもないドラマのワンシーンにインスパイアされて、そこに出ていない俳優たちの記憶まで次々に浮かび、溢れ出てしまう。やっかいと言えばやっかいだし、愉しいといえば愉しい。



 男 「ねえちゃん! ケツ触らせろよ」



万 智「ケツ? 私の?」



 男 「うん、おねえちゃんのおケツ」



万 智「ケツ。結構ですが、夫婦でも恋人でもない私のケツをあなたが触ることに、どういう意味があるのでしょうか」



 男 「えっ?……触りてぇから触りてぇんだよ!」
万 智「そんなに触りたいなら、どうぞ」
 男 「もういらねえよ! おめぇは一体、何者なんだ!」



万 智「不動産屋です」



 あ、それと、ブログを引っ越したというのもあるな。見てくれはあまり変わっていないかもしれないが、書いている側としては、やはり使い勝手がだいぶ違うので、「はてなダイアリー」とは違う、「はてなブログ」には「はてなブログ」なりの書き方があるような気がする。そういう意味ではこれからのブログの方向性について試行錯誤している感じもなくはない。そんなこんなで、本日はこれにて失礼。



 次回はいよいよ沢井様が『家売るオンナ』にご登場なさいます。では。



追記】読み直して、ひとつ大事なリンクを外していたことに気づいた。といっても、このブログをずっとお読みいただいている方には目新しい話じゃないです。仲村トオルの原点『ビー・バップ・ハイスクール』そして『紳士同盟』を監督した那須博之監督は2000年、『モー娘。走る!ピンチランナー』を撮ったが、それに続くモーニング娘。主演映画として、実写版セーラームーンを企画した。結局その話は流れたが、そのときの「セーラームーンを実写でやる」という発想が後の実写版の原点となったことを、白倉伸一郎が2012年のツイッターで言っていた。



「関係者のなかに植えつけられ」って、要するに白倉さんの頭の中に植え付けられたってことではないのかな、とも思うが、ともかくそんなふうに那須博之の名は、実写版セーラームーン誕生にゆかりある人物として記憶されている。



さらにオマケ

『家売るオンナ』(第1シリーズ)最終回より、向き合って立つ屋代と万智(コメント欄を参照)